黒ずくめの魔戒騎士   作:Hastnr

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2:【命銘】

――――――

 

「――『号竜』一騎。確かにお預かりさせていただきます」

 

 陽の光を浴びて青々と茂る芝生の上に立ち、桐ヶ谷和人は深々と頭を下げた。

 その手に携えるのは、今しがた受け取ったばかりの最新鋭の魔導具。

 全体を囲む金属のフレームに、蒼く塗装した木材――に似た全く違う素材――をはめ込んだような、大きめのスーツケース。何も知らない者にはそう見えるこの魔導具を受け取り、無事に持ち帰るのが、和人に与えられた任務だった。

 

「確かに、お渡ししました。『綾の番犬所』まで、宜しくお願いします」

「必ず」

 

 そう答え、和人はもう一度深く頭を下げる。

 今は亡き偉大なる魔戒法師・阿門の再来。

 そう呼ばれる天才――魔導具『号竜』の開発者である彼は、和人が思っていた以上に若い。無論、和人の方が年下ではあろうが、恐らく5歳も違わないのではないだろうか。

 そんな事を考えながら頭を上げた和人の視界に改めて映るのは、半壊した洋風の屋敷。まるで、屋敷そのものが宙吊りにされて空から落とされたかのように、大部分がひしゃげている

 この屋敷が、あの『牙狼』の称号を持つ『黄金騎士』が暮らす家だったと聞いた時の驚きは、闇の世界に携わる者にしかわからないだろう。

 

「あの……『黄金騎士』は、もう」

「はい。すでに『約束の地』へ旅立ちました。あの人は……今もそこで戦っているはずです」

 

 和人の問いに、彼が頷く。

 明日奈やユイと出会うより以前、和人は――いや、全ての魔戒騎士は、ある男の陰謀によって『破滅の刻印』と呼ばれる死の呪いを受けた。鎧を召喚する度に命を削るその悪辣な呪いは、魔戒騎士達を全滅寸前まで追い込んだ。

 その窮地を既の所で救った魔戒騎士こそ『黄金騎士 牙狼(ガロ)』。

 全ての魔戒騎士の頂点に立つ生ける伝説にして、金色に輝く希望の象徴。数多の強大なホラー達を封印し、討滅した、地上最強の守りし者。

 彼の奮闘によって騎士達が受けた『破滅の刻印』は解かれ、和人もこうして命をつなぐ事ができている。ただ、その代価として、黄金騎士は『約束の地』と呼ばれる魔境へと旅立ち、たった一人で困難な使命に立ち向かわなければならなくなった――そう聞いている。

 

 和人も、かつて一度だけ、牙狼と同じ戦場に立ったことがある。

 天を衝くほどに巨大な魔導兵器を打倒せんと、蒼銀、そして白妙の鎧をまとった騎士と共に魔界を駆け、群れなす敵を尽く蹴散らしていく牙狼の姿に、和人はもちろん、同じ戦場にいたあらゆる魔戒騎士が勇気づけられた。

 牙狼が使命を果たし帰還する日まで、この世界を守り抜くのは、彼に命を救われた魔戒騎士全ての責務である。

 

「……では、俺はそろそろ失礼させていただきます。色々と、ありがとうございました」

「号竜をよろしくお願いします。……ああ。番犬所に着くまで、魔戒騎士の血だけは浴びせないでくださいね」

「血、ですか……? わかりました、気をつけます」

 

 最後の忠告に、若干怪訝な顔をしつつも。

 和人はもう一度深く礼をした後、『号竜』をしっかりと携え、その場をあとにした。

 向かう先は『魔界道』と呼ばれる、魔戒騎士や法師のみが通ることができる、いわば隠し通路。何の変哲もない丘の中腹に魔導火を掲げ、和人は開いた入り口から通路へと入り込む。石を固めて造られたトンネルとでも言うべき古路は、基本的に歩いて通るしかないのだが、普通の道を進むよりよほど時間を短縮できる。

  

「――調子はどうだ、ユイ」

 

 首から下げたペンダントが見えるよう、軽く下を向きながら和人は口を開く。以前トップにはめ込まれていた白い霊石は外され、その代わりに、正面を向いた人の顔に似た鋼の細工が飾られている。幼い少女をモデルにしたと思われるその細工は、色こそ素材そのままのメタルカラーだが、あらゆる部分が精緻かつ繊細に作られており、小さな鼻先から可愛らしい口元、細い髪の一本一本までが丁寧に作り込まれている事がわかる。伸びた髪の先は、以前からあった桜色と薄青の細飾りへとつながっており、まるで最初からこういうデザインとして設計されていたかのようだ。

 両目から前髪、さらに頭にかけての部分は、戦女神がつける兜、あるいは装着型ホログラフィックディスプレイめいた飾りで覆われており、その下に存在するであろう双眼を見ることはできない。デザインと実用性を天秤の左右にかけ、和人がさんざん悩んでいる間に『モデル本人』が後者を選んだ結果、この神経感知機器(NERVE GEAR)めいた細工が施されていた。

 

『はい、パパ。とっても快適です』

 

 ペンダントトップに刻み込まれた少女の口元が動き、かちかちという金属同士がぶつかる音を伴いながら、ユイの声を響かせる。彼女の魂は今、このアクセサリー――『魔導具ユイ』の中にあった。

 魔戒騎士が振るう魔戒剣、そして、その身に纏う鎧。それらの元となる金属『ソウルメタル』を用いて作られ、契約に応じたホラーの魂を封じた物を指して『魔導具』と呼ぶ。正確に言えば、魔戒法師が造る道具の大半が『魔導具』という大きなカテゴリーの中に属しているため、ホラー達がその魂を封じるアクセサリもまたその名で呼ばれている。

 こうして魔導具に魂を封じている間、ホラーの本体は魔界にて眠りにつく。ただ、ユイの場合、本体が既にこちらの世界に来ているということと、ユイ自身が魔界に肉体――あの黒髪の子供の姿――を戻すのをやけに嫌がったという経緯があるため、現在は和人達が暮らしている屋敷の一室にその体を置いている。そのため、屋敷周囲に張られた結界の中にいる間であれば、魔導輪と本体の間で魂を自由に行き来できるおまけ付きだ。

 

「何かあったら、遠慮なく言ってくれ。リズも、その方が安心するだろうし」

『はい!』

 

 魔導具ユイ、そして、ベースとなった魔導具(通信機兼、お守り)を作ったのは、誰あろう魔戒法師リズベット。和人の友にして、色々と頭の上がらない存在である。なにせ、和人やシノンが使う魔導八卦符や各種魔導具を作り、更には魔戒剣の一振り――白撃剣(DARK REPULSER)となる剣を鍛え上げたのが彼女なのだ。リズベットのサポートが無ければ、今頃何度死んでいたかわからない。

 シノンのように、ホラーとの戦闘に加わることはあまりないリズベット――もとい、リズだが、和人はシノン同様、その(スキル)に、そして彼女自身に無限の信頼を置いている。

 そのリズが、魔導具ユイを作り上げて、はや数日。

 番犬所より与えられた指令を果たすついでに、屋敷のベッドに寝かせた本体から離れても問題が発生しないかを確認する試験を兼ねた遠出は、どうやら無事に終わりそうだ。前のお守りから引き継いだ、遠隔通信機能を使ってリズに伝えてもいいのだが――そこは、ユイ自身から直接聞いた方がよいだろうと考え、和人は魔導輪に伸ばした手を戻す。

 目的地は、もうすぐそこに迫っていた。

 

 

――――――

 

 ――夢を見る。

 ありえない現実。ここではない場所。どこか遠く。

 私ではない私の夢を。

 

 紅白の衣を纏い、誰かと共に戦う私。

 天空の檻に囚われ、誰かの助けを待つ私。

 どこかの病室で眠る、誰かの手を握り続けている私。

 森の中のログハウスで、誰かの為に料理をする私。

 塗替えられていく現実を、誰かの隣で駆ける私。

 人の身には永すぎる時間を、誰かと一緒に生きていく私。

 

 そこにいるのは、私。無数の私。私ではない、私。

 いつも、私の隣にいるのは、真っ黒な影法師。

 顔は、見えない。声も、聞こえない。

 せめて、その身体に触れたくて、手を伸ばす――そうすると、きまって目が覚める。

 

「――うーん……ごめん。全っ然、わかんないや」

「まあ、そうだよね……」

 

 大学の講義が始まる前の、中途半端に空いた時間。

 半分ほど席が埋まった小講堂で、講義担当の准教授の到着を待ちながら。特に深い理由もなく、明日奈は最近見るようになった奇妙な夢のことについて零す。同じ長机を共有する隣の席に座った、黒い髪の彼女に。

 その話に付き合わされる格好になってしまったルームメイト――紺野 木綿季の表情は、当然といえば当然だが、実に曖昧なもので。

 

「ねー、明日奈。いつからそんな夢、見るようになったの?」

「……そうね。だいたい……一週間くらい前から、かな」

 

 細いシャープペンシルを、片手で器用にくるくると回す木綿季の問いに、僅かな沈黙を挟んで明日奈が答える。木綿季は眉間に小さな皺を寄せ、むむむと考え込みながら応ずる。

 

「……って事は、さ。やっぱり一週間くらい前に原因があったりするんじゃない?

 例えば、ちょうどその時、そういう感じの小説読んだーとか、アニメとか映画を見たーとか、

 あとは……ボクみたいに、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとゲームしてたとか」

 

 『ボクも徹夜でゲームした後、よく夢の中でゲームしてるんだー』と宣う木綿季の隣で、明日奈はじっと考え込む。

 

 一週間前に見たもの……見てしまったもの。

 小さな迷子。黒ずくめの青年。明日奈を殺そうと迫りくる怪物。

 その怪物を斬り裂いた、夜空のような鎧をまとう騎士。

 

(あれから、もう……一週間も経つのね)

 

 木綿季の部屋があるマンション、その側まで送り届けてもらったあの夜以来、明日奈はあの青年――キリトと会っていない。それは、ユイについても同様だ。

 彼らと会ったことを、明日奈は木綿季に話していない。キリトに口止めされているという事もあるし、言っても信じてもらえるような話ではないのは、火を見るよりも明らかだ。

 この平和な世界の影には、人を喰らう魔獣・ホラーが潜んでいる。そして、ホラーを狩ることで、人知れず人間を守り続けてきた存在――魔戒騎士がいる。そして、明日奈はキリトという魔戒騎士に命を救われた――そんな荒唐無稽なおとぎ話を、一体誰が信じられるというのだろうか? 

 

「ねー、明日奈。ちなみになんだけど」

「なに、木綿季?」

「明日奈が見た夢の中に――ボクは、いた?」

 

 純粋な興味に満ちた視線で見つめてくる木綿季の隣で、明日奈はじっと考える。朧気な夢の中に、年下の友人の姿はあっただろうか、と。

 ふと、妖精卿(Alfheim)めいた、見知らぬ世界で舞う木綿季――髪が今よりもっと長く、全体的に幼さを残しているが――の姿が、見えたような気がする。そこでは多くの妖精たちに囲まれながら、水のように蒼い髪をした自分と、少しだけ今と違う木綿季が、剣を手に全力で切り結んでいて――。

 虚ろな夢の断片が、明日奈の脳裏で微かな像を結ぼうとした、その直前。小講堂の前方にある扉が開き、講義資料の束を抱えた准教授が入ってきた。A4サイズのレジュメが配られ始め、そろそろ講義が始まろうとしている。

 

「いたよ。木綿季も」

「ほんと?」

「うん。だいぶ、子供っぽい感じのユウキだったけど」

「えー、なにそれ。失礼しちゃうなあ、もう」

 

 予想されていた受講人数より出席者が少なく、大量に余ったレジュメを准教授が片付けている僅かな時間に。

 曖昧な夢は、密やかな女子トークの題材に変わっていた。

 

 

――――――

 

 

「――ねえ、和人。あんた、なんか悩んでない?」

 

 お手製のアイスドリンクが入ったボトルと共に差し出された一言に、和人の足は思わずたたらを踏んでいた。

 和人達の拠点となっている、森の中の古屋敷。その地下にあるのは、魔戒騎士のための訓練場。振り子細工の要領で四方八方から迫る半月状の刃をホラーに見立て、制する事を目指し魔戒剣を操る。ホラーを、ではない。自分自身を制する為に、魔戒剣を振るう。

 メンテナンスの為に預けていた『号竜ピナ』を『綾の番犬所』の神官――シリカの元へ移送する任務を終えた後。自宅に戻ってきた和人はこの訓練場にこもり、数時間ひたすら双剣を振るっていた。

 

「い、いや。リズ、俺は別に悩んでなん――」

「ほんっと、嘘が下手よね。あんた」

 

 ストローと蓋がついた、本来スポーツドリンク用の白いボトルを受け取ろうと伸ばした手をするりとかわされ、和人は思わず、リズ――リズベットの濃い桜色の瞳を見つめる。瞳のそれより淡い桜色をした、肩に僅かにかかるくらいの長さの髪型がよく似合う、専属魔戒法師(マスタースミス)に、視線で訓練場の脇に設置された長椅子を指し示され、和人はしぶしぶながらそこに腰を下ろす。背負った魔戒剣は二振り共に鞘ごと外し、椅子の側に用意されたホルダーに立てかける。

 

「帰ってきてからずーっと顔に書いてあるのよ。『まよいが あります』って。

 ――せっかく、シノンが気を使ってくれてるんだから、とっとと吐き出しちゃいなさいよ」

 

 子供用のドレスを思わせる細かな刺繍が施された白布で飾られた、鋼の色をした金属の台座。その台座の上に、丁寧に安置されて微動だにしない魔導輪に、リズの視線が向かう。

 彼女が修練場にやってくる、10分ほど前。

 『結界の様子を見てくるついでに、ユイちゃんと少し散歩してくるわね』と言って、本来の肉体に魂を戻したユイと共に出かけたシノンの真意に今更気づき、和人はがしがしと髪をかく。ユイが邪魔というわけではない。邪魔なのは、ユイの――子供の前では格好悪いところを隠そうとする、男の――あるいは父親の――安いプライド。

 隣に腰を下ろしたリズから、今度こそドリンクボトルを受け取り、和人はストローに口をつけて中身を吸い上げる。煮切った赤酒と薬湯を混ぜて冷やした、シンプルな回復薬(ポーション)が、鍛錬で感じた僅かな疲労感を流水に洗われる砂のように消していく。

 

「本当に……悩んでるってほどの事じゃないんだ」

「うんうん」

「……シリカに言われたんだ。そろそろ『称号』を持ってくれないか、って」

「『称号』って……魔戒騎士の称号?」

 

 怪訝な顔で問い返すリズに、和人は静かに頷く。

 魔戒騎士の『称号』。

 選ばれた魔戒騎士だけが名乗ることを許され、そして、名乗らねばならない誉れ高きもう一つの名。口に出すだけなら鳥の羽のように軽くとも、背負い征くならば鋼の剣の如く重い。

 

「そっか……鎧が変化してだいぶ経つし、そうなるだろうなーって思ってたけど……ついに来ましたか」

 

 黒い鞘に収まった二振りの魔戒剣を感慨深げに見つめながら、リズが呟く。

 その一振りは彼女が手ずから鍛え上げたもの。

 もう一振りは和人が、父親から――『既にこの世にいない方の』父親から、赤銅色をした鎧と共に受け継いだもの。

 魔戒騎士の間で『ハガネ』と呼ばれるそれは、一般的な魔戒騎士がまとう鎧の一種。魔戒剣同様、ソウルメタルで作られたその鎧は、まとう者の成長や経験に呼応して姿を変え、独自の姿に進化する事がある。和人が装甲(よろ)う漆黒の鎧も、かつては銅色をした『ハガネ』であり、ホラーとの戦いを重ねる中で現在の形態に変異した。

 鎧が『ハガネ』では無くなった時点で、その魔戒騎士には称号を名乗る権利が与えられる。そして、新たな鎧と称号を、次の世代に受け継がせてゆく魔戒騎士の『系譜』――その開祖(オリジン)として、番犬所に記録される事になるのだ。

 ――が。

 

「……あんまり嬉しそうじゃないわね。もしかして、嫌なの?」

「そうじゃなくて……なんていうか、急にスケールが大きくなりすぎて、実感が湧かなくてさ」

 

 魔戒騎士として本格的に活動を行うようになってはや数年。昼は陰我を持つオブジェを祓い、頼まれれば魔戒法師達に力を貸し。時に、現れたホラーと戦い。ごく稀に、大いなる戦いに馳せ参じ。

 守りし者としての日々をこなすだけで手一杯――そして、どこか満足していた和人にとって。

 誇り高き称号と、星と闇の色をした鎧と共に、未来永劫まで繋いでゆくべき魔戒騎士の系譜(リンク)――その起点(スタート)になるというのは、どこかこそばゆく、どうにも自分の手には余るような気がして。

 まさかそんな事を言う者はいないだろうが、『魔戒騎士の血は、この俺で途絶えていい』――などと、冗談でも言えなくなる程度には重い責任を負うのが少し怖いというのもあり、神官であるシリカと知らない仲ではない事をいいことに、のらりくらりと後回しにし続けていた。

 

「でも。なら、どうして今になって」

「……ほら。今、『牙狼』の称号を持つ黄金騎士がいないだろ。どこの番犬所も、それで少しピリピリしててさ。

 『東の番犬所』から『綾の番犬所』(シリカのとこ)に、もっとしっかり管理しろってお達しがあったみたいで……」

 

 魔戒騎士を統括し、支援し、果たすべき任務を指令として与える聖域『番犬所』。

 国内に複数存在する番犬所の中でも、特に『東』『西』『南』『北』の名を関する番犬所は、多数の魔戒騎士が属する大組織である。管轄している地域も広く、管理する神官達の権限も強い。それに比べると、和人が所属している『綾の番犬所』は現在、魔戒騎士1名、神官1名によって運営されている超零細もいいところであり、規模も権限も上の番犬所に、この程度の事でNOと言えないのが実情だ。

 そんな『綾の番犬所』も、かつては和人以外にも魔戒騎士が所属していたのだが――現在は、それぞれの事情で別の管轄へ移っている。

 それはそれとして、ふんふんと頷きながら話を聞いていたリズにも、事の次第は理解してもらえたようだ。

 

「なるほどね。それで、シリカに泣きつかれて、黒の騎士様はようやく踏ん切りをつけようとしていると」

「……いや、泣きつかれてはいないぞ」

「はいはい」

 

 顔馴染みの神官の名誉を想い、咄嗟についた嘘は一瞬でバレた。

 

「それで、和人。どんな称号にするかは、もう決めてあるの?」

「いや、全く」

「やっぱり……そんなことだろうと思ったわよ」

 

 予想通りとばかりに呆れ顔を浮かべるリズに、和人は面目なさに満ちた苦笑いを返す。

 系譜を持つ魔戒騎士の称号は、『黄金騎士 牙狼』に代表されるように、『●●騎士 ●●』という形式をとるのが通例とされている。稀に、その例に当てはまらない騎士も存在しているが、大半の称号持ち騎士はこの形式に則る。

 既存の称号と同一の物を使用してはならないという制約はあるが、そこさえ守れば、どんな称号を名乗るかは開祖たる魔戒騎士の自由である。

 そう。自由だからこそ困るのだ。なにせ和人自身が名乗るのはもちろん、次の世代も、その次の世代にも、鎧と共に未来永劫に渡って継承されていくものなのだから。

 

「なあ、リズ。何か、こう……よさそうなの、無いか?」

「うーん……うちの魔戒騎士様にぴったりの称号ねえ……」

 

 和人から先程のドリンクボトルを受け取り、リズは真剣な瞳で考え込む。冷たいドリンクをストローで吸い上げながら、あちらこちらに彷徨わせていた彼女の視線が、壁にかかった二振りの魔戒剣に向く。

 

「ねえ! 和人って、二刀流で戦うじゃない? だったら、『双剣騎士』っていうのは――」

「却下で」

「ちょっとー! そっちから聞いといて即却下ってどーいうことよー!」

 

 ぷんぷんと怒るリズに平謝りしながらも、和人は拒否する姿勢を崩さない。

 確かに、二刀流は自分の戦闘スタイルであり、それを称号として名乗りたい気持ちも無いわけではない。ただ、二刀流を操る魔戒騎士は既に何人か存在しており、和人の専売特許(ユニークスキル)というわけではないのだ。

 代表的な所だと、かの牙狼と共に並び立つ三騎士の一人にして、(あお)(しろ)く輝く鎧をまとう魔戒騎士。海の向こうにも、影を絶つ程の腕前を持つ双剣の使い手がいると耳にした事がある。

 仮に和人が『双剣騎士』を名乗っても、まさか彼らが文句を言っては来ないだろうが――先達を差し置いて自分がその称号を得るのは、何か違う気がするのだ。

  

「悪い、リズ。本当に悪いけど、それ以外で頼む」

「わかったわよ……。真っ黒騎士……流石にかっこよくないわね……。白黒……って、これじゃパンダね。

 黒曜……はちょっと違うし。影妖……も違うわね。銀鴉……これはこれで……」

 

 魔戒騎士としての責任云々はともかく、まずは称号をどうにかしないことには始まらない。ああでもないこうでもないと唸りながら真剣に考え込むリズの隣で、言い出しっぺである和人も、顎に手を当てて考え始めた数分後。

 台座に置いた魔導輪が小さくカチリと音を立て、同時に訓練場の扉が外から勢い良く開かれる。

 

「和人、番犬所からの指令よ!」

『パパ、番犬所から指令です!』

 

 封蝋を押された赤い便箋――番犬所より送られた指令書を携えたシノンが、急ぎ足で地下訓練場へ入り込んでくる。今はベッドの上に肉体を横たえているのであろうユイも、魂を魔導輪へと転送し終え、かちかちという金属の接触音と共に告げた。

 こうして魔戒騎士に下される番犬所からの指令とは、ごくごく稀な例外を除き、基本的に『管轄に出現したホラーを討滅せよ』という事を指す。

 

「ありがとう、シノン」

「どういたしまして」

 

 長椅子から立ち上がった和人は、シノンの手から便箋を受け取り、魔導火の炎を当てた。ブライトオレンジの火が一瞬で便箋を焼き尽くし、空中に魔導文字を浮かび上がらせる。黒黒としたインクで描かれるのは、蛇とナメクジが狂ったリズムでダンスした痕跡のような、うねりくねった文字。番犬所からの指令書は、万が一関係者以外の者の手に渡っても内容を解読されないよう、こうして魔導火と魔導文字による二重体制で守られている。

 

「『再来の銃火。正義に潜む悪意となりて出現せり。速やかに殲滅せよ』――か」

「相変わらず、面倒な書き方ね……隣、借りるわよ。リズ」

「ええ、どーぞ」

 

 毎度毎度迂遠な言い回しを使う番犬所からの指令を、和人は声に出して読み上げる。訓練場の横に併設したリズベットの工房(Weapons depot)の中に飛び込んだシノンが、戦闘用の魔法衣に着替えつつ、愛用の長軸魔導筆(アンチホラーライフル)魔導八卦符の束(弾薬ケース)を用意している間に、和人もその場でいつもの魔法衣――闇夜を溶かし込んだような黒いロングコートを羽織り、黒鞘に納めた二振りの魔戒剣を背負う。

 

「和人、こっち向いて」

「ああ」

 

 身を屈めた和人の首に、魔導輪を手にしたリズが手を伸ばす。ソウルメタルで形作られた小妖精に繋がる細い鎖を、その首にかけてやる僅かな時間に、桜色の髪の乙女と黒い騎士の唇が交わり――かちゃりと留め金が締まる音を合図に、二人の唇は距離を取り戻す。

 それは、待つ者の祈り。征く者の誓い。

 

「――行ってくる、リズ」

「気をつけて、和人。シノンも、無茶しないでね」

 

 和人の首に回していた腕を解いたリズが、着替えを終えて待っていたシノンの方を見ながら告げる。頭部をすっぽりと覆えるフード付きのマントにも見える魔法衣を着込み、武器を包んだケースを背負ったシノンも、微笑みながら頷きを返す。

 

「ええ、そのつもりよ。じゃ――行くわよ、和人!」

「ああ!」

 

 リズの視線に見送られ。その身に武器を、魂に使命を帯びた魔戒騎士と魔戒法師が、魔獣を身の内に孕む街の中へと飛び出していく。

 境界は破られた。もうじき時刻。そう、ホラーの時刻。

 

 

 

――――――

 

 

 

「――どう、明日奈。作れそう?」

「うーん……やっぱり、どうしても大きなオーブンが必要だね……」

 

 午後の講義が早めに終わり、馴染みのカフェ――スキンヘッドのマスターが印象深い事で有名な――で、木綿季とゆっくりお茶を楽しんだ帰り。マスターの奥さんが作ったという新作スイーツ『ハニービーアップルパイ』を、なんとか家で再現できないか、明日奈は、ああでもない、こうでもないと検討を重ねていた。

 

「やっぱり、ボクの部屋のレンジじゃ難しいよね……あのパイ、結構大きかったし。

 1ピースだけって、作れないのかな?」

「うーん……最初からカットして作っちゃうと、ソースやフィリングがこぼれちゃうし……。

 でも、あのサイズを1枚まるごと再現しちゃったら、私達2人だけじゃ食べきれないわよね、きっと」

 

 あの『ハニービーアップルパイ』は、もともとの味の良さもさることながら、カットされた見た目の美しさとボリューム感が、全体を1段階上のレベルに引き上げており、サイズを小さくしても、逆に大きくしても、あの得も言われぬ満足感は得られないだろうと明日奈は踏んでいた。

 当然、一人暮らし用の小さい電子レンジで作れるモノではない。また、仮に作ることができたとしても、いくら甘いものに目がない明日奈と木綿季とはいえ、二人で食べきるのは無理がありすぎるサイズになってしまう。

 常連の好でレシピのヒントを教えてもらった事もあり、明日奈の料理の腕なら作れないことも無さそうなだけに、それ以外の所で詰まっているのがどうにも口惜しい。

 

「そーだよねー。誰か、一緒に食べてくれる人がいればいいんだけど」

「そうね。どうせなら、おっきなオーブンを持ってる人だったら、もっといいかも」

「あははっ。確かに、それなら言うことなしだねっ」

 

 快活に笑う木綿季と共に帰り道を歩きながら、明日奈はふと考えてしまう。あの黒ずくめの青年――キリトは、甘いものは好きなのだろうか、と。

 あの日、あの後。『君を巻き込んだのは、俺に責任がある』と――明日奈にお礼の一つもさせず、夜の中へと消えていった青年。暗黒を打ち祓い、人々の安寧を守る、魔戒騎士。そういえば、彼と初めて出会ったのは、こんな夕暮れ――陽の光が夜の闇と切り替わ(スイッチ)る、こんな時間ではなかったか?

 

「あーすなー? どうしたの? ぼーっとしちゃって」

「……う、うん! ちょっとレシピについて、ね!」

 

 怪訝な顔で覗き込んでくる木綿季を必死でごまかしながら、カフェから自宅までの近道である高架下の狭い道を、明日奈は歩いて行く。上を複数の線路が通るこの歩行者用の道は、入り口から出口までに距離があるせいか、まあまあ広いはずなのに妙な圧迫感を放っている気がして明日奈はあまり好きではない。だが、ここを通らなければ20分は帰宅時間が増えてしまうのだから仕方ない。

 等間隔に並んだ灯りが、構造的に外部光が入りにくい半地下の道を照らしているものの、うち幾つかはちかちかと明滅しており、明日奈が苦手なジャンル――”ホラー”のワンシーンのような不気味さを醸し出している。

 雰囲気のせいか、背後から足音までも聞こえてくるようで――

 

「わわっ!!」

「ゆ、木綿季!?」

 

 足音が幻聴ではない事に、明日奈が気付いた直後。隣を歩いていた木綿季が、背後から誰かに追突されてバランスを崩す。顔面からアスファルトの道路へあわやという寸前、持ち前の運動神経をフル活用した木綿季がなんとか体勢を立て直すことに成功した一方、地面に倒れ伏したのは、彼女にぶつかってきた方の――女性、だろうか。

 

「木綿季、大丈夫?」

「ボクはだいじょうぶ……だけど、こっちの人の方が……」

 

衝撃で乱れた髪と服を軽く直しながら、木綿季はぶつかってきた女性を心配そうに見つめている。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

 うつ伏せに倒れたまま動かない女性に、明日奈は声をかけ木綿季と二人がかりで仰向けに姿勢を変える。スカートが汚れるのも構わず、明日奈は女性の容態を見るため、倒れた彼女の側に膝をついて座りこんだ。

 見たところ息はしているようだが、呼びかける声に反応は無い。歳は明日奈たちと同じくらいだろうか。着衣はひどく乱れ、靴を履かずに走ってきたらしき足にはホコリや土がこびりついている。よく見れば、体の様々な所に切り傷や擦り傷があり、固まりきっていない傷口から、血がぽたりぽたりと流れ落ちている。

 

「どうしよう……。木綿季、一応警察に――」

「やあ、お嬢さんがた。どうかしたかい?」

 

 渡りに船とはまさにこの事。

 木綿季に、念の為警察と救急へ連絡してもらおうと思った矢先。ちょうど高架下道の入り口に、警察官が姿を見せた。黒い制帽に青いシャツといった、まさに街のおまわりさんといった出で立ちをした警察官は、にこにこと嘲笑いながら、明日奈たちの方に歩を進めてくる。

 

「あっ、おまわりさん! この人が、ボクにぶつかってきて、怪我してて!」

「なるほど。それは災難だったねえ」

 

 かがみ込んでいた木綿季が立ち上がり、慌てて警察官に事情を伝える。

 それを聞いていた警察官は、人の良さそうな笑みを浮かべたまま――腰のホルスターにしまっていたリボルバー式拳銃を右手で抜き、構えた。

 

「やっぱり、トドメをさしとくべきだったか」

「――えっ?」

 

 ぱあんっ、と。

 乾いた音が一つ、コンクリートに囲まれた半地下の道にこだまし、くすんだ硝煙の匂いがあたりを満たす。疑いようのない銃火。殺意に満ちた銃声。その弾丸が向かった先は、銃声に驚いて力なくへたり込む木綿季ではなく、状況の変化についていけず動けないままの明日奈――でもなく。

 まるで誰かから逃げてきたような出で立ちをしていた、あの見知らぬ女性。

 数秒前まで、傷ついた人の形をしていた彼女。銃声の直後、彼女の体は内側からぶくぶくと膨れ上がり、そして、ポップコーンのように勢い良くはじけ飛んだ。

 撒き散らされた赤い液体が、細かな肉片と共に明日奈の全身に飛び散り、その体を赤く染め上げる。生暖かさを――人が生きていた証を示す赤いシャワーを浴びながら、あまりの事に脳が活動を拒否した明日奈は声も出せず、動くことすらも叶わない。

 恐怖に腰を抜かしたまま、両手を使って後ずさり、必死に警察官から遠ざかろうと――した木綿季が掴んでしまったのは、地面に飛び散った肉肉しい色のチューブの一端。ぐにゅりという嫌な感触と共に、チューブの両端から液体が吹き出し、木綿季の体を汚す。少し前まで、人間の中で機能していたはずの太い管。

 

「ひ、ひぃっ――」

「おっと、横取りはよくねえな、お嬢ちゃん」

 

 たまらず悲鳴を上げた木綿季へにやけた顔を向けながら、警察官はしゅっと小さく息を吸う。それだけの動作で、辺り一帯に飛び散っていた、人間の肉が、内臓だったものが、脳味噌の破片が、こぼれ落ちた眼球が。人体を構成していた血液以外のパーツの全てが、ずるずるという粘着質な音を立てながら、警察官の口の中に吸い込まれていく。

 にちゃり、くちゃりと。

 不快な水音と共に噛み切られ、咀嚼され。人が、人だったものが、警察官の腹の中へと嚥下されていく。

 

「――前菜はシェフの気まぐれ血抜き肉のオードブル……まあ、星3.5ってところか。

 さて、『お次』は……」

 

 『前菜』を堪能しながら、警察官はその口元からはみ出していた女性の小指を飲み込み、ごりごりという音を立て骨を砕きながら咀嚼する。そうして、ふうっ、と満足したように息を吐き、汚らわしい視線を木綿季に、そして明日奈に向ける。

 

「……やだっ、やだよぉ……あすなぁ……」

「ゆう、き……」

 

 死ぬ。

 殺される。

 喰われる。

 その本能的な恐怖に怯え、必死に逃げようとする木綿季の視線と、明日奈の瞳が交差する。その木綿季の脚の間に、俄に黒いシミが浮き上がり、アンモニア臭と共に溢れ出した液体がコンクリートの上を流れ、道の上で小さな川を作る。

 友人と一緒に逃げ出そうと、必死に体を動かそうとしても、あの光景が――銃声と共に、目の前で人が破裂したあの瞬間が蘇る。恐怖に縛られた明日奈の元に、辛うじて動くことに成功した木綿季がぎゅっと体を寄せる。

  

「いやあ、麗しい友情だねえ。おじさんそういうの好きだけど……さて、どっちから喰ってやるべきか。

 ……んん? これは、もしかして……」

 

 警察官――その姿をした怪物の視線が、木綿季と明日奈の間を行き来し、やがて明日奈の方を見ながら停止する。その視線で、じろじろと舐め回すように明日奈を眺めたあと、警察官は――

 

「ははっ……ははははっ! こりゃあツイてる! 俺は最高にツイてる!

 こーんな所で一番のお目当てに出会えるとはなあ! こっち(人間界)に戻ってきたかいがあるってもんだ!」

 

 笑う。狂ったように、笑う。

 怪物は、その右手に携えたリボルバーの銃口を明日奈に向ける。殺すため、侵すため、喰らうために、向ける。

 真っ黒な拳銃。その銃口が向かう先は、明日奈の眉間。逃れようのない自身の死に怯え、明日奈はぎゅっと固く目を閉じる。

 

「安心しろよ、お嬢さん。あんたはメインディッシュ(特別なお料理)なんだ。

 時間をかけて、たっぷりじっくり、隅から隅まで味わって喰ってやる。

 そのあとは――デザート(そっちの嬢ちゃん)だ」

「あすなぁっ……!」

 

 ようやく動かせるようになった腕で、明日奈は慟哭の声をあげる木綿季の体を抱きしめる。

 理不尽な死が迫る。逃れようのない死が来る。恐怖に満ちた死が訪れる。

 死の運び手たるは、人を喰らう悪魔。人の皮を被った悪意。人の形をした悪夢。

 そんな超常の存在に、ただの人間が抗えるはずがない。

 抗える者が居るとしたら、それは――

 

「じゃあな、お嬢さん」

 

 ぱあんっ、と。再び。

 死を運ぶ、乾いた音が響く。

 聴覚が麻痺し、心臓がきゅっと縮み上がり、そして――ほんのりと暖かく、柔らかな感触が、体を包む。

 

(…………あれっ……? わたし、いきて、る……?)

 

 固く閉じていた目を、明日奈は恐る恐る開ける。その視界を支配するのは、夜の闇――いや、夜の闇の如き黒で染め抜かれた、柔らかなコートの裏地。今の今まで誰かが着ていたのだろうか、ほのかな温もりが残るそれが、明日奈と、木綿季を守るように覆いかぶさっている。

 

「……あすな、明日奈? だ、大丈夫!?」

「だいじょうぶ、みたい……木綿季は?」

「ボクも……」

 

 隣で縮こまっていた木綿季が、状況を飲み込めず目を白黒とさせながらもようやく動き出す。明日奈はこくりと頷きを帰しながら、両手でコートを掴み、少しだけずりさげる。

 確保された視界に映るのは、明滅を繰り返す蛍光灯に照らされた夜の地下道。そこにいたのは、明日奈と、木綿季と、人を喰らう怪物だけ――そのはずだった。数秒前までは。

 

「――よう、兄ちゃん。誰だてめえ」

 

 警察官の格好をした怪物が呻くように声を発する。その姿は、もはや明日奈達には見えない。

 誰かが。

 シンプルな装飾を施され、シャープなシルエットを描く、ライダースーツに似た黒い上下を着込んだ誰かが、明日奈と木綿季を庇うように、怪物との間に立ちはだかっている。

 誰か――片手に剣を携えた『彼』は、怪物と真っ向から対峙しているせいで、その顔を見ることはできない。

 それでも、わかる。

 その背を、二振りの長剣が収まる黒鞘を背負ったその後ろ姿を、明日奈は知っている。

 

お前らの天敵(魔戒騎士)だ」

 

 その声を――人を喰らう魔獣に立ち向かう、強く鋭い意志を秘めた声を、明日奈は知っている。

 夜の訪れと共に現れる、彼。

 あの時、明日奈の危機を救い、何処かへと去っていった彼。

 そして今、明日奈の命を守り、何処より現れた彼。

 彼を。

 守りし者を。

 明日奈は知っている。

 

「キリトくん!」

 

 彼は――黒衣の魔戒騎士・キリトは、返答の代わりにもう一振り魔戒剣を抜き放ち、頭上に掲げる。打ち合わされた二つの刃が、禍き銃火の音とは一線を画する気高い響きを放つ。切っ先で描かれる無限の軌道が空間を斬り裂き、輝ける白き光円を作り出す。

 その光の中より顕現せし、星と闇に彩られた狼の如き鎧を全身にまとい――守りし者(キリト)はホラーと対峙する。

 

 

 

―――――

 

 

『――パパ! あれは、ホラー・シガレインです! 右手の銃に気をつけてください!』

『ああ』

 

 目の前で人の皮を脱ぎ捨て、本来の――ホラーの姿に戻るシガレインを見据えながら、キリトは頷く。召喚と共に鎧と融合した魔導輪ユイの事を心配したのも束の間、この様子なら問題は無いだろうと判断し、素早く意識を切り替える。

 シガレインの姿を例えるなら、ボリュームアップされた兵士といったところか。ヘルメット、そして無数のワイヤーめいたものがつながる頭部が、さながらWW1かWW2のガスマスクを被った特殊部隊を想起させ、ラグビーの防具をいじりまわしたような漆黒の装甲に覆われた大仰な体躯が、右腕の巨大な砲を支えている。

 体の周囲には、無数の尖った金属片に似た武器がぐるぐると回転しながら浮遊しており、その様子は以前のルナーケンの『月』を思い出させる。

 あと数秒、ここに来るのが遅ければ、明日奈達はこいつに喰われていた。

 もう数分、ここに来るのが早ければ、こいつが喰らった誰かを救えていたかもしれない。

 救うことが出来た安堵と、間に合わなかった後悔を共に抱え、キリトはホラーとの距離を詰める。

 

『パパ、来ます!』

『任せろ』

 

 右手の砲を構えたシガレインは、砲口に巨大な火球をチャージし、キリトに向けて撃ち放つ。直線的な軌道を描く火球の弾速は早いが、魔戒騎士の反応速度で見きれない程ではない。それでもキリトは回避せず、一歩一歩踏みしめるようにして前に進む。

 放たれた火球が、ソウルメタル製の鎧の表面にあたり、はじけ飛ぶ。そのまま二発、三発と、続けて放たれるシガレインの砲火がキリトの鎧を直撃する。その火球の雨に撃たれながら、魔戒騎士は一歩、また一歩と前に進む。理由は単純だ。避ければ、火球が後ろにいる明日奈達に当たるかもしれない。ならば、回避を選ぶ道理無し――たとえ、一撃喰らう度に、体に痛みが奔ろうとも。

 放たれた無数の火球。その尽くが鎧に弾き飛ばされ、火花となって通路内を煌々と照らす。その輝きを狼の如き鎧に反射させながら、キリトは両手に黒解剣、白撃剣を構える。

 

『まっ、待て! 魔戒騎士! 取引しよう! これでも俺は、あの有名な黄金騎士と戦っ――』

『黙れ』

 

 自慢の火球が鎧に通用しないことに焦ったシガレインが口走った提案を、キリトは一蹴する。

 当然だ。欲望のままに人を喰らい、そして、明日奈達をも喰らおうとしたホラーと、誰が取引などするものか。

 

『はあっ!!』

 

 剣の間合いまで距離を詰め、キリトは白撃剣を一閃。輝く刃の一撃で、シガレインの周囲を漂う鉄片を消滅させ、返す黒解剣の一撃で、シガレインを真横に吹き飛ばす。

 斬撃というより、むしろ打撃と言うべきその一撃が、コンクリート製の壁にシガレインの体をめり込ませる。直後、身動きが取れなくなったシガレインの体へ向け、キリトは黒解剣を投げつけ、その肉体を壁に縫い止める。ソウルメタル製の剣が突き刺さった瞬間、コンクリート製の壁面に放射線状の亀裂が無数に走り、その衝撃の威力と共に、キリトの怒りの大きさを如実に示す。

 

『や、やめろっ! やめてくれ! せっかく人間界(こっち)に戻ってこれたのに!

 ようやく、【極上の獲物】を食える所だったのに!』

『――どういう意味だ』

 

 縫いとめられたシガレインが絞り出した一言。

 その言葉が気になり、振り下ろしかけた白撃剣を止め、キリトはシガレインに問い返す。

 ホラーにとっての極上の獲物――それは、同族(ホラー)の血を浴びた人間。『血のドルチェ』とも呼ばれるそれは、ホラー達を寄せ集める餌として機能するほど、ホラーにとって抗いがたい魅力を放つ存在であるという。

 だが、明日奈も、その側にいたもう一人の女性も、ホラーの血を浴びてはいない。もしどちらかが『血のドルチェ』であるならば、同じホラーであるユイが即座に気付くはずだ。

 

『あれはな……あの女は、特別なんだよ! 俺たちみたいなのにとってはな!』

『どういう事だ! 言え!』

『言ったら――あの嬢ちゃん、喰わせてくれるかい?』

 

 シガレインが、嗤う。

 

『ふざけるな!』

 

 滾る怒りに応え、鎧が吼える。

 シガレインを突き刺していた黒解剣の柄を左手に握り、キリトは躊躇いなく引き抜く。左半身を引きこみつつ、右半身を前に出すようにひねり、右手に握った白撃剣を縦に一閃。更に捻った体を元に戻す勢いを活かし、逆手に持ち替えた左の黒解剣を横に振るう。

 ソウルメタルの刃が、コンクリートの壁面を溶けたバターのように叩き切る。無論、そこに押し込められていたホラーの肉体ごと。

 深々と十文字に斬り裂かれ、シガレインは細かな火花となって人間界より消滅した。

 

『――お疲れさまです、パパ。ホラーの気配は消えました』

『ああ』

 

 キリトは――和人は鎧を魔界に返還し、ふっと息を吐く。そうして、二振りの魔戒剣を軽く振るい、背中の黒鞘に戻す。ルナーケン、そして、シガレイン。わずか10日未満で、2体ものホラーが出現している事に妙な胸騒ぎを覚えつつ、和人は巻き込まれた被害者二人の元へ歩く。

 ホラー出現の知らせを受け、シノンと共に街を探索していた矢先。警察官らしき男に銃口を向けられている明日奈と、その友人らしき女性を見つけ、ギリギリのタイミングで割り込み、ホラーが放った銃弾を蹴り飛ばす事に成功したのは僥倖と言うほか無い。もし、あとコンマ数秒でも遅れていたら、明日奈ともう一人のどちらか、あるいは両方がこの世から姿を消していただろう。

 

『パパ。ママと、お連れの方にお怪我は無いようです』

「わかるのか? ユイ」

『はい。私達(ホラー)は血の匂いには敏感ですから。だから、あの血は――』

 

 和人が救えなかった誰かの血。誰かの命。

 無敵に近い魔戒騎士であっても、神ではない。その手で守れる命もあれば、その手からこぼれ落ちていく命もある。

 その事実を噛み締めながら、今だけは、守ることのできた命のことを考えるべく、和人は巻き込まれた二人のもとに駆け寄ると、ひざまずくように姿勢を低くし、未だ立てないでいる明日奈達に目線の高さを合わせた。

 

「大丈夫か、結城さ――」

「キリトくんっ!!」

 

 言い終わる前に、コートを抱きかかえたままの明日奈が飛びついてくる。シガレインが倒されたことで安心し、そして、先程まで味わっていた恐怖としっかり対面してしまったのだろう。その瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落とさせながら、明日奈は和人に強く抱きつきながら嗚咽の声を漏らす。

 

「こわかった……怖かったよ……ひうっ……あの人、助けられなくて……動けなくて……」

「……ああ、わかってる。君はよく頑張った。大丈夫。もう大丈夫だから」

 

 幼子のように泣き続ける明日奈をしっかりと抱きとめ、赤い血を浴びた彼女の髪を、和人は右手の袖で優しく拭う。八卦符が通じる相手なら、ホラーと遭遇し、人の死を間近で見てしまった記憶を全て消して日常生活に戻してやることもできる。だが、八卦符が何故か通じない明日奈は、これから恐怖の記憶を抱えていく必要がある。和人自身は、他人の記憶を弄くり回すのは好きではないが――そこに恐怖だけが残る記憶なら、いっそ無い方が幸せではないのか? というのが番犬所の方針であり、それにも理があることは和人も認めていた。

 せめて明日奈の心が少しでも早く安らげるよう、その髪を手でゆっくりと梳かしてやりながら、和人は黒髪の少女の方を見る。

 

「君も、大丈夫だったか。えっと……」

「っ……ぼ、ボクは……んんっ……だいじょう……ひっぐ……」

 

 泣き続ける明日奈に宛てられたらしく、彼女もまた、目の端からぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。気丈な性格なのか、それでも笑おうとする名も知らぬ彼女を見ていられず、和人はつい左腕を伸ばし、その小さな体を明日奈同様にぎゅっと抱き寄せた。

 

「ひゃっ! え、えっと……」

「……悪い。これしか、思いつかなくて」

 

 『迷惑だったら、やめる』と和人が言う前に、左腕の中からも、堰を切ったようにとめどない嗚咽の声があふれ始める。死の恐怖を味わったばかりの精神(こころ)を癒やす僅かばかりの助けにでもなればと、その背中をぽんぽんと軽く叩いてやりながら。二人が泣き止み、落ち着くまでの間、和人は彼女たちの震える体をその腕の中にじっと納め続けた。

 

 

 

――――――

 

「――じゃあ、キリトは前にも、明日奈の事を助けてたんだね」

「ああ……どっちかっていうと、俺が助けてもらったんだけどさ」

 

 白いクロスが引かれたテーブルを挟んだ向こうに座る木綿季の言葉に、キリト――もとい、和人は、曖昧な調子で首を縦に振った。

 ホラー・シガレインを討滅し、シノンと合流した後。ようやく泣き止んだ二人をそのままにしておくわけにもいかないのは当然として、血と汚れにまみれた二人をそのまま家に返すわけにもいかず。

 他意はない、本当に他意は無いのだと自分に念を押しながら、和人はシノンと共に近くの魔界道を経由し、二人を森の中の古屋敷――とどのつまり、自宅へと連れ込んだ。邸内で待っていたリズに風呂を用意してもらい、汚れた二人の世話をシノンとリズに任せる。二人共、本当にホラーの血を浴びていないか、その調査を兼ねて。

 

 結論から言えば、彼女らはどちらも『血のドルチェ』では無かった。リズとシノン、優秀な魔戒法師二人が徹底的に調べ上げて――当然だが和人はその場に居合わせていない――出した結論だ。疑うべくもない。

 明日奈も、木綿季という小柄な女性も、ホラーの血を浴びた者でないことに安堵しながらも。和人の胸中によぎるのは新たな疑念。

 

(なら、シガレインはどうして、あそこまで結城さんにこだわったんだ……?)

 

 明日奈の話を聞く限り、シガレインが固執を示したのは、木綿季ではなく明日奈の方らしい。彼女が血のドルチェでないなら――なぜ、シガレインはあそこまで貪欲に彼女を狙ったのか。ホラーにとって、人間そのものが極上の食物である。故に明日奈に固執したと解釈する事もできる――が、魔戒騎士としてのカンが『そうではない』と叫ぶ。

 この件の裏には、何かがある――根拠は薄く、直感の域を出ない考えだが、和人にはどうしてもそちらの線を捨てきる事ができなかった。

 なぜかホラーに狙われ、なぜか八卦符――というか、魔戒法師の術が効かぬ彼女。その裏に全てを繋げる何かがあろうと無かろうと、今の段階では恐らく、判断材料が不足している。

 テーブルの向こう。ユイ――魔導輪ではなく、元の体に戻ったユイを膝に載せ、あの夜から今日までの事を笑顔で話している明日奈とユイの姿は、まるで本当の母と娘のようだ。そんな彼女が、どうしてホラーに狙われなければならないのか。

 

「――えっと、"ゆうき"さん」

「どうしたの、キリトくん?」

「なに? キリト」

 

 思わず漏れ出たつぶやきに、”結城”と”木綿季”の二人がテーブル越しに揃って反応する。赤と榛、2色4つの瞳に見つめられ、やってしまった、と和人が自分の顔に手を当てる一方、二人の”ゆうき”は顔を見合わせ、やがてどちらからともなく吹き出すようにして笑った。

 先に口を開いたのは、名字が”ゆうき”の方――つまり、明日奈。

 

「ねえ、キリトくん。私の事は、”明日奈”でいいよ。『ゆうき』だと二人いるし、わかりづらいでしょ?」

「……じゃ、じゃあ……明日奈、さん」

「んー……”さん”付け禁止。君、私の命の恩人なんだから、ね?」

 

 有無を言わさぬ、明日奈の笑顔。

 ホラーの一撃より、よほど心身を揺さぶるな微笑みに翻弄され、和人は躊躇いながらもその名を口にする。

 

「じゃあ……。あ……明日奈」

「はーい。何かな、キリトくん」

 

 ――これは、勝てない。

 本能的にそう感じさせられながら、和人は明日奈の瞳を見つめ返し、真剣に言葉を紡ぐ。

 

「あ、明日奈さ……明日奈。もう、リズ達から聞いてると思うけど、君はあの怪物たち――ホラーに狙われている」

「ホラーに……」

「理由はわからない。本当なら、ホラーにまつわる記憶を消して、君を日常生活に戻すべきなんだけれど、

 なぜか君は、魔戒法師――リズやシノンの術が効かない。美術館の時も、そうだった」

「美術館の時って……あの、御札みたいな物のこと?」

 

 和人は静かに頷く。御札――もとい、八卦符を使われた記憶がある時点で、明日奈に術の効果は出ていないのは確実だ。

 

「ね、ねえ。キリト。それじゃ、明日奈はどうなるの? このまま一生、あの怪物に狙われるの?」

「……すまない。今は、なんとも言えない。

 番犬所……こういう問題に詳しい所に、過去に同じような件が無かったか、調べてもらうつもりだ。

 それで、原因か、対応策が見つかるまでは……」

「までは?」

 

 友人を心配する木綿季の真っ直ぐな瞳に見つめられ、和人はがしがしと頭を掻く。

 

「その……変な話に聞こえると思うんだけどさ。しばらくの間、ここで暮らしてもらいたいんだ」

「ここ、って……」

「キリトくんの、お家?」

 

 目をぱちくりとさせながら、困惑の色をありありと浮かべる明日奈と木綿季。確かに予想外もいいところだろう。安全のために、少し前に知り合っただけの男の家に暮らせと言われたのだから。

 どうしたものかと悩む魔戒騎士に変わって言葉を継いだのは、和人の左隣に座ったリズベット。二人を入浴させ、明日奈には自身の着替えを貸している彼女は、女同士という事もあってか既に二人と打ち解けているようだった。

 

「この家を中心に、ここらへん一帯にはホラー避けの強力な結界が張ってあるの。

 大抵のホラーは近づけないから、少なくとも寝込みを襲われるなんてことだけは絶対に無いわ」

「……ねえ、リズベット。その結界、ボクの家の周りに貼れないの?」

 

 木綿季の問いに、リズベットはふるふると首を横に振る。

 

「そうできれば一番いいんだけどね……。街に近づけば近づくほど、『陰我』が――

 なんていうか、ホラーを呼び寄せる『素』みたいなのが、どんどん増えちゃうのよ。

 そういう陰我が多い所だと、私達の結界も機能しなくて……ごめんね」

 

 極論を言えば、街全体にホラーよけの結界を張ることができれば、魔戒騎士も魔戒法師もわざわざホラー退治に労力を割く必要は無くなる。それができないから、彼らのような存在が必要となるのだ。

 思い悩んだ様子の明日奈、そして、木綿季の目を順番に見つめてから、和人は口を開く。

 

「明日奈。ここにいる限りは安全だし、君が大学や、他の所に行っている間は、俺やシノン、リズが君を守る。

 監視されてるみたいで、正直気分は良くないだろうけど……自分の命を守るためだと思って、納得してくれないか」

 

 榛色をした瞳を見つめ、真摯に頼み込む。和人とて、これが受け入れがたい願いだとわかっている。それでも、彼女の安全と最大限の自由を考えると、これが一番マシな選択肢ではあるはずだ。

 和人、シノン、リズ。木綿季。そして、ユイ。集まった皆の視線を受けながら、明日奈はしばらくの間、静かに目を閉じて考え続け――ゆっくりと目を開け、和人を見つめた。

 

「……一つだけ、約束してくれる? キリトくん」

「ああ」

「私に、嘘だけはつかないって……約束、してくれる?」

「嘘、を?」

 

 問い返す和人に、明日奈はこくりと頷く。

 

「君はきっと、これからも、私――ううん、誰かのために無茶をして、ホラーとすごく大変な闘いを続けると思う。

 私は、君に守られてばっかりで、君を手伝う事はできないけど……せめて、心配くらいさせて欲しいの。

 だから、危ない事をする時は、誤魔化さないでちゃんと教えて」

 

 真剣な、そして、閃光のような輝きを秘めた視線が、和人の瞳を射抜く。

 その眼差しに応えるべく、和人もゆっくりと呼吸を整える。

 

「約束する。この先、何があろうと、君に嘘はつかない

 

 それは小さな、そして厳かな、侵すべからざる騎士の誓い。

 捧げられた誓約を胸にしかと刻み、明日奈はゆったりとした微笑みを浮かべた。

 

「それじゃ……ホラーに狙われなくなるまで、お世話になります。キリトくん」

「ああ、こちらこそ……で、その。嘘を付かないと言った矢先に、悪いんだけどさ」

「?」

 

 顔に疑問符を浮かべた明日奈を正面から見つめながら、和人は頭を下げる。

 

「ごめん。俺、君に初めて会った時からずっと、嘘ついてた。

 俺……本当は、『桐ヶ谷和人』って、言うんだ」

「きりがや、かずと……キリト……あっ!」

 

 キリトの――和人の事情を察した明日奈が、小さく驚きの声を漏らす。

 

「……そっか。だから、キリトくん……」

「ごめん。あの時は、なるべく君を巻き込まないように必死でさ……なかなか言い出せなかった」

「……いいよ。約束したあとについた嘘じゃないし、許してあげます」

 

 そう言って、明日奈はテーブル越しに、その細い右手を和人に向けて真っ直ぐに延ばす。

 

「えっと、じゃあ……キリトくん? それとも和人くん?」

「明日奈の好きな方でいいよ」

「じゃあ……改めて。これからよろしくね、キリトくん」

 

 暖かな微笑みと共に差し出され右手を、和人の右手が握り返す。男の大きなごつごつとした手とは異なる、小さな手。簡単に折れてしまいそうな白く繊細な手と、騎士の固い手が握手を交わす。

 その様子を、シノンも、リズも、木綿季も。そしてもちろんユイも。ほっとした笑顔を浮かべながら見守っている。特に、ユイの喜び様はひとしおだった。

 

「ママ! これからは、私もママと一緒にいられるんですね!」

「そうだよ、ユイちゃん。これからよろしくね」

「はいっ!」

 

 名残惜しくも握手を解いた手で、明日奈はユイの頭を優しく撫でる。美術館で出会い、そして別れたあの夜以来、ユイが母親――明日奈に会いたいと願っていた事は和人も理解していたが、あくまで彼女はただの人間。ユイの気持ちもわかるが、迂闊に巻き込んではいけないと諭してきた。それが再び、明日奈と出会えたばかりか、共に生活することが出来るようになったのだから、ユイの喜びは察するに余りある。

 そんな二人の横で、じっと何事かを考え込んでいた木綿季が、テーブルに体を乗り出すようにしながら和人に問いかけてくる。

 

「……ねー、キリト。聞いていい?」

「ああ。木綿季さん」

「”さん”は、つけなくていいよ。ボク、たぶんキリトより年下だし。助けてもらっちゃったし」

 

 仲睦まじく話し続ける明日奈とユイに聞こえないよう、小声で話しかけてくる木綿季に、和人も同じようなボリュームで応じる。

 

「あのさ。明日奈はいいとして……ボクは、どうなるの?」

「そうだな……。木綿季さ……木綿季は、明日奈と違って、法師の術が効くはずだ」

 

 『そうだよな?』という無言の確認を込めて向けた視線に、右隣に座るシノンが首肯を返す。

 

「だから木綿季には、後で術をかける。そうすれば、さっき見た物を忘れて、明日には普通の生活に戻れるさ。

 もう、ホラーに狙われる事も無いはずだ」

「そっか……キリトの事とか、いろいろ忘れちゃうんだね。ボク」

「……ああ。君の記憶を、こっちの都合で勝手に操作することになって、すまない」

 

 ホラーとの戦いに巻き込まれた被害者にトラウマが残らないよう。そして魔戒騎士達の情報が無闇に出回るリスクを避けるために必要なことであるとはいえ、人の思い出を勝手に書き換える事に変わりはない。頭を下げて詫びる和人を、木綿季はわたわたとあわてて押しとどめる。

 

「その、怒ってるとか、そういうんじゃなくて……もちろん、怖かったし、覚えていたいものじゃないけど……。

 でも、『キリトに助けてもらった』っていう、ありがとうって気持ちまで忘れちゃうのが……その……」

 

 僅かな緊張と共に頬をうっすら赤らめ、指先をくるくると動かしながら、木綿季は言葉になりきらないない想いをどうにか言葉に紡ぐ。

 常人の知らぬ世界に生き、闇の中より人を助ける戦いを続ける魔戒騎士には、その言葉だけで十分すぎる。

 

「そう言ってくれるだけで十分だ。ありがとう、木綿季」

「こちらこそ。ありがとっ、キリト」

 

 木綿季の明るく、眩しい程に素直な笑顔。この笑顔を守りきれた事が、騎士の誇りとなって、明日の和人を動かす原動力となる。

 そうだ。騎士の誇りと言えば――。

 

「はいはーい。お集まりの皆さん、ちゅうもーく。ちょっとお時間いいかしらー?」

 

 ぱんぱんと手をたたきながら立ち上がったリズベットに、一同の視線が集まる。何か大事なことを忘れている気がして、記憶を遡り始めた和人に、リズベットが含みのあるウィンクを送る。

 

「いい機会だし、この場を借りてみんなに相談したいことが――」

 

 

 

――――――

 

 

 暗闇を織り上げたヴェールで外界から区切られた、聖域にして魔境。

 『番犬所』とは概ねそういった場所であり、この『綾の番犬所』も例外ではなかった。

 

「――前に出なさい。魔戒騎士」

 

 果ての見えぬ天井から吊り下がる、白いブランコ。そこに座るのは、どこか神秘的な白いドレスを纏った幼い少女。薄褐色の髪を左右で一房ずつ束ねた彼女。その足元に静かに踞っていた、蒼と白の鱗を持つ巨竜が長い首を持ち上げ、紅の瞳で騎士を見据える。

 号竜『ピナ』。頭頂から尾の果てまで、ゆうに5、6メートルはあろうかという、番犬所の守護者にして強力な魔導具。魔導輪同様、ホラーの魂を封じ込め、コア部分にはソウルメタルも使用された鋼の魔竜。

 そのピナを従える、白いドレスの少女こそ――この『綾の番犬所』唯一の神官・シリカ。普段は朗らかな笑顔と共に、フレンドリーに接してくれる彼女だが、今この時ばかりは真剣な表情と固い声音で、魔戒騎士を迎える。

  

「その系譜に、新たな銘を刻まんとする騎士よ。鎧を、ここに」

「ああ」

 

 魔戒騎士は――和人は、背負った魔戒剣二振りを左右の手で引き抜くと、腕を伸ばして刃を打ち鳴らす。ソウルメタルの刃が描く光の無限記号が、空間を貫く白き道となり、魔界より騎士の鎧を喚び醒ます。

 道に惑う旅人を照らす瞬く星の輝き(ランベントライト)。その光に縁取られ、すべてを包み込む夜の漆黒(コート・オブ・ミッドナイト)は、命を守る鋼の鎧となる。互いに互いを引き立てあう二つの色で形作られた、未だ銘を持たぬ鎧。

 その鎧は、そして、鎧をまとう騎士は。今宵、誇り高き称号と共に、新たな系譜の開祖となる。

 

 闇の中に浮かび上がる、騎士の姿。

 まだ魔戒騎士も魔戒法師も存在しない時代、ホラーの腕を噛み千切ったという金色の狼の伝説に肖り、祈りと共に狼の意匠を込められた兜。金色に輝く二つの瞳。口元で噛み合わされた鋭い牙。

 使い手の意思に応え自在に重量を変えるソウルメタルで創り上げられた装甲が全身を覆い、腰には十文字を描く騎士の紋章が輝く。

 左右の手に携えるは、騎士の得物たる両刃の長剣。右に、闇の如き黒解剣(ELUCIDATOR)。左に、光を顕す白撃剣(DARK REPULSER)

 顕現せし騎士の姿を、シリカが。そして、シノンが、明日奈が、木綿季が、リズベットが。神官の左右に並んだ彼女らが、微笑みと共に各々の瞳の中へその姿を映し出す。

 黒狼を象った装甲の内より、和人もまた彼女らと視線を交わす。神官と。そして、頼れる相棒と。守らねばならぬ者と。助け出せた者と。支えてくれる者と。

  

「番犬所の神官・シリカが今ここに問う! 汝の名は、いかに!」

 

 古来から続く、神聖なる名乗りの儀式。

 その礼則に則り、神官たるシリカが力強く叫ぶ。

 騎士は、剣を掲げる。

 全てを断ち切る、固い戦士の誓いと共に――その名を灼き付けろ。

 

『――俺は魔戒騎士・桐ヶ谷和人!

 夜天騎士 斬討(キリト)の称号を背負う(ひらく)者!

 この鎧と共に、永遠に続く闇を照らす希望の光(守りし者)とならん!!』

 

 空気を震わせながら、咆哮(ちかい)が轟く。

 番犬所を包む闇のヴェールを引き裂いて、祝福の光が騎士を照らす。

 それは、誉れ高き苦難の道を歩まんとする若き騎士を寿ぐ、かつて散っていった全ての騎士達の輝き。

 

 夜天騎士斬討。

 明日奈は捧げた。新月の夜よりなお深き闇色を纏いて、人を守る黒の剣士の幻想を。

 リズは刻んだ。かつて共に見上げた星天の如き、闇を照らす確かな光を。

 木綿季は掲げた。恐怖(ホラー)を斬り裂く、英雄の姿を。

 シノンは詩った。陰我を討ち滅ぼす、騎士の使命を。

 

 折り重なる想いと、切なる祈りが形作る、最も新しき騎士の系譜。

 重く、そして、暖かな称号を掲げて。和人はこの夜、魔戒騎士としての新たな一歩を踏み出した。

 

 

――――――

 

 

 魔界の深奥で、”それ”は待っていた。

 目覚めの時を。芽吹く時を。開花の時を。

 

 計画は順調だ。

 長きに渡り待ちわびた結実の時。それは未だ訪れずとはいえ――そう遠い日の事でもない。

 

 放たれた種子達は遠からず目的を達し、我がもとに帰るだろう。

 その時、新たなる世界(じだい)は訪れる。

 

 甘い甘い復讐の味を心待ちにしながら、”それ”は魔界で静かに蠢き続けた。

 

 2:【命名】 終

 

――――――

 

 人々の営みの陰で、騎士は為すべき定めを果たす。

 その背に負う銘が変わろうと、背負った使命は変わらない。

 

 次回 【継翔】

 

 輝く明日を守るため、斬り討つ剣が夜を駆ける。


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