夜の街を切り裂いて駆ける白馬。
混乱に乗じて逃げ出したエクス達一行は、暴走する白馬が切り開いた道を突き進み、今現在は都庁から少し離れた裏路地を走っていた。
「はあっ、はあっ……。少しだけ休ませて……」
バニーの格好をしたままの小百合が、ビルの壁面に片手を付いて乱れた呼吸を整える。
「小百合ちゃん、飲み物をどうぞ」
「あ、ありがとう……」
マキナからペットボトルを受け取ると、小百合は恐怖と疲労で乾いた喉を潤わせるように一気にそれを飲み干す。
「ほう、今回はちゃんとお礼がいえるじゃないか。最初からこの位素直なら手間がかからなかったんだがな」
「……ッ!」
小百合は水分でいつもの思考が戻ったのか、面白そうに小百合を見ているエクスを睨みつけた。
「以後気をつけろよ。いつも誰かが助けに来てくれるとは限らんぞ」
「っ! べ、別に私は助けてなんて……」
言いかけたところで小百合の言葉が止まる。エクスに口を塞がれ口にはしていなかったものの、小百合が助けを求めていたのは明白。
助けを求めていなかったなどと口で言っても、小百合自身虚しいだけだと気が付いてしまったのだ。
「と、とにかく、これ以上は関わらないで! 私は独りで生きていくってもう決めてるの!」
目に薄っすらと涙を浮かべつつ、小百合は精一杯の虚勢をもってエクスを睨みつける。だが、その姿はどう見ても寂しい少女が意地を張っているだけだった。
「ふふふ、そうですわ。邪魔をされては迷惑ですわよね。だって小百合さんはあれから楽しいところでしたものねぇ」
突如、ビルの谷間に響く甘い声。
「小百合ちゃん、危ないです!」
エクスを睨みつける小百合の体をすかさず抱きかかえ、マキナが軽やかに後ろに飛び退く。
間髪入れず、先ほどまで小百合のいた場所に、豪奢な金髪の少女──風華が音もなく飛来した。
「あら、うふふ……。小粋な真似をしますわねぇ。そこの可愛い貴方も一緒に兎刑に処してあげますわね」
ゆらりと向き直る風華。それは先ほどまでの恐怖の再来だった。
「ひっ……!」
風華と目が合い、百合が怯えた顔でのけ反る。
エクスとマキナは同時に半歩踏み出し、小百合を庇う様に風華の前に立ち塞がった。
「フッ、どうする小百合お嬢様。これでも関わるなとでも言ってみるか?」
「意地悪はいけませんよ、エクス」
小百合の腕を掴みつつ、マキナが空いた右手の人差し指をピッと諭すように立てる。
「あらあら、良かったですわね、小百合さん。素敵な騎士様が二人も居て。でも……私は男を嬲る趣味はありませんの──!」
言うと同時に、風華がエクスに向けて名刺手裏剣を投げつける。
「ちぃ!」
「私が嬲るのは可愛い女の子だけ! 男は先にさっさと死なない程度に半殺しにしてさしあげますわぁ!」
コートを翻して手裏剣を叩き落したエクスに、間髪居れずビルの壁を蹴って舞い上がった風華が匕首を振り下ろす。
エクスは小さく弧を描いて身を躱すが、匕首がコートの裾を縦に引き裂いた。
「あらあら、うふふ、本当にもう……。さっさと死ねばいいのに」
風華が向き直り、興奮で頬を赤らめ口元を歪める。
「ったく、こんな危険人物が野放しな現代社会はどこかおかしいな。マキナ、小百合は任せた。俺がやる」
「エクス、やはり止めたは聞きませんからね」
「言わんさ。それと忘れ物を借りてるぞ、お嬢様」
エクスは懐からエレキテル刀を取り出し、光り輝く刃を顕現させる。
「さあ来い、変態。貴様を今から更生施設送りにしてやる」
「あらあら、強がって、でも駄目ですわ。いくらアピールしても男は可愛がりませんの」
風華は手にした匕首をぺろりを舐めると、
「大天狗様に逆らう有害文明推進者として処分されるがいいですわ!」
言うと同時、エクスの首筋に向けて刃が弧を描く。
エクスは上半身を仰け反らせてそれを躱すと、その流れで上段からエレキテル刀を振り下ろす。
「うふふ、甘いですわ。浅薄ですわ」
風華は独楽のようにくるくると回りながら、横に滑ってエレキテル刀を躱す。
更に流れで匕首を横に薙ぐが、エクスはそれを難なく躱した。
「有害文明推進者だと? だが、このエレキテル刀をお前達に渡せば、小百合から手を引く訳でもないんだろう?」
「ええ、勿論ですわ。知識持つ人間を野放しでは意味がありませんし、これは大天狗様の勅命ですもの。ならば小百合さんを手に入れるのはこの世界に必要なことですの」
風華はビルの壁を蹴りこんで、右から左から代わる代わる斬撃を繰り返す。
「ふん、この世界とは大きく出たな。信奉しているんだな、大天狗とやらを」
対するエクスもエレキテル刀を横に大きく振り回して、風華の斬撃を弾き飛ばしていく。
「大天狗様を知れば分かりますわ。あの方は有害文明を禁止することで、戦争や環境破壊を未然に防いでいますの。貴方達が想像もつかないだろうスケールで、正解を選び続けているのですわ」
「それは神気取りの所業だな……ああ、なるほどな。なぜ都庁に居るかと思えば、躍進機関は
エクスの言葉に風華がピクリと反応する。
「あらあら、いけませんわね。お利口さんなのはいいですけれど、月人様を怪しむのは重罪でしてよ?」
風華は胸の谷間から更にもう一本の匕首を取り出し、両手に匕首を持つと、エクスに斬りかかる速度を早めた。
「エクス! 手数が倍以上になりますよ!」
横から静かに観戦していたマキナが堪らず声を出す。
「ちぃっ! 分かっている! こいつ、嬲らんと言っておきながら手を抜いていやがったな!?」
「うふふふふふふ! だって、私、本気になると止まりませんの! 可愛い女の子を喘がせるまで! 衝・動・がっ!!」
歪んだ笑みを浮かべ、風華が嵐の如く匕首を振り回す。
エクスはエレキテル刀の柄で匕首を受け止める。
金属のぶつかり合う音と共に、振るわれる匕首は更にその速度を増していく。
荒れ狂う刃の嵐に押され、エクスが半歩後ずさった。
「くそっ、なんとかに刃物とはこのことか!」
「あらあら、ふふふ! 抵抗しなくてもいいのにしぶといですわ。私が嬲りたいのはあそこの可愛いお二人ですの!!」
風華が振り回す匕首は更に精密さと速度を増して、エクスに代わる代わる牙を剥く。
「お洋服の一枚一枚を徐々にひん剥いて! 白い肌を羞恥に染め上げて! あの澄ましたお顔を快楽に染めて! その火照りをわたくしがその舌で慰めてさしあげますの!」
狂気と恍惚に満ちた表情で匕首を振り回す風華。
「エクス、早くその卑猥な物体を止めてください。小百合ちゃんが怯える子兎のようになっています。私も凄く不愉快です」
横で怯える小百合を抱え、マキナが凍りつきそうな眼差を風華に向けた。
「分かってはいるんだがな。これでこいつはかなり、やる!」
エクスは風華の攻勢を何とか避けていくが、風華が繰り出す刃の旋風はなおも勢いを増していく。
「うふふふふふふふ!! そして羞恥はいつしか快楽に変わり、行き着くのは忘我体け……う……ぐご……っ!?」
言葉の最中に身を屈め、呻き声をあげる風華。テンション高く匕首を構えた風華の腹部には、鈍い音を響かせてマキナの蹴りが入っていた。
「お、おい、マキナ──」
「エクス、交代です。私で淫らな妄想をしないでください。もう耐えられません。有害です」
マキナは心底不愉快そうな表情をした後、足を振り抜いて風華をゴミ捨て場に叩き込んだ。
「いや、マキナ。……交代と言う前に蹴りが入っていたぞ」
「問題ありません。そもそもの所、精神的陵辱行為をされていたのはエクスではなく私ですから。実害のある私が実力行使に出るのはごく自然な流れだと思います」
動かなくなった風華の方を向いたまま、ツンとした表情のマキナが答えた。
「……全く、容赦なしとは困った奴だ。普段は似ていないのかと錯覚しそうになるが、一皮めくればやっぱりそっくりだな、俺に」
エクスはマキナを見ながらやれやれと頭をかくと、小百合のほうに向き直る。
「何はともあれ、終わったぞ」
エクスの言葉を聴いた小百合は無言でしなしなとその場にへたり込むのだった。
その後、小百合はエクスとマキナの住居に戻っていた。
あれよあれよと言う間に連れて来られた小百合だったが、流石に今回は逃げる素振りは見せなかった。
ただ、少しだけ赤らんだ頬を膨らめて、テーブルとにらめっこをしているだけだった。
「それで、何よ。聞きたいこととかあるんじゃ……ないの? 私がどうして襲われるか、とか」
テーブルの向かいに座ったまま何も言わないエクスに、小百合が恐る恐る声をかける。
「別に聞きたいことはない」
「ん……っ」
ぶっきらぼうに返答され、小百合が小さく体を揺らす。
「じゃ、じゃあ、なんで助けてくれるのよ。親切心だけで助けてくれる限度を超えてるわ、これ」
小百合は俯いたまま、上目遣いでじっとエクスの顔をみつめる。
エクスはしおらしい小百合の様子に、少し困ったように口を開いた。
「お前を助けたのは俺の知り合いに似ていたからだ。だから本当にお前に感謝されるようなことじゃない。今まで通りにしていればいい」
エクスは照れくさそうに小百合から視線を背け、ひらひらと手を振ってみせる。
「今まで通りになんて……できないわよ。私は一人で生きていくって決めたのに、貴方達に二度も助けられて、頼ってしまって……全然好きにできてないもの」
小百合は薄っすらと目に涙を浮かべ、頬を更に赤く染めてより深く俯いた。
それを見たマキナがエクスに目配せをする。
エクスはマキナと見合った後、バツが悪そうに口を開いた。
「お前がどうして襲われるかは天狗が勝手に喋っていた。
「……私は時渡りなんて便利なものじゃないわ。私は
小百合は俯いたまま、意を決したように語っていく。
「だから、誰とも関わらないように、誰とも親しくならないようにしてきたわ。最も耐え難い痛みは孤独と喪失の痛みだもの」
「その台詞は矛盾しているな。孤独が痛いのなら何故孤独を求める」
「……孤独が癒されるのが怖いのよ。そうしたらまたいつか失って傷ついてしまう。傷から血を流し続ける方が、治った傷をまた抉られるよりも安らかだわ」
今日の出来事で自らを孤独に押し留めるための心の枷が外れてしまったのだろう、小百合は堰を切るように心の内を語っていく。
「なのに……あの時は助けてって叫んでた。きっと心のどこかで貴方達を期待していたのよ。最低よ、私……最低過ぎるわ」
それだけ言うと、小百合は拗ねる様に口を尖らせて再び俯いた。
エクスは視線をだけをマキナに向ける。
マキナは小さく頷いて小百合の前へと歩いていく。
「それなら、小百合ちゃん。私達の所に住んでみませんか? あの変態から小百合ちゃんを守ってあげられますし、私達も小百合ちゃんがいた方が楽しいですから」
「えっ?」
驚いた小百合は、見開いた目でマキナの顔を見る。
マキナは両手の先端を合わせてにっこりと微笑んでいた。
「つまりだ、お前の心を満たせるものは結局、お前が捨てたつもりでいたもの以外に無いんだろう?」
小百合が否定の言葉を紡ぐ前にエクスがそう続ける。
「でも、言ったでしょう? 私はこれ以上誰かを失うのが怖いの」
「なるほど、先を見越すのは賢いことだ。だが、まだ見ぬ終わりに恐怖して、今という時の価値を無くすのは恐怖じゃないのか?」
「今の価値……。そんなこと、考えたことも無かったわ」
小百合は俯いたまま膝の上の両手を握り締めた。
「そもそも、出会いも、別れも、人生が一度きりでも度々あるものじゃないか。それを恐れていても仕方あるまい」
「この一歩を踏みしめてみましょう、小百合ちゃん。だって、貴方は心の底では誰かを求めていたんですよね?」
小百合は腕組みをして不敵に笑うエクスと、両手を合わせてにっこりと微笑むマキナの顔を、ゆっくりと交互に眺める。
「……そう、ね」
呟く様に言った小百合の言葉に反応し、エクスが立ち上がる。
「言ったな。よし、もう反故にはさせんぞ。マキナ、料理の準備を頼む! 歓迎会でもするか! ハーッハッハッ!」
エクスは小百合にこれ以上有無を言わさぬよう、マキナの返答も待たずにコートを翻して部屋から出て行ってしまう。
小百合がその様子をじっとと眺めていたが、
「弱いわ、私……。結局、人恋しさに負けちゃうなんて……」
やがて諦めた様な表情してため息をついた。
「大丈夫ですよ、小百合ちゃん。その感情はきっと必要なものですから」
マキナはそんな小百合を見て優しく微笑むのだった。