第六章 エクスマキナ
もしもその身が終わりそのものならば、その全てに意味はない。
終わりとまみえるという事は無すら残さず消えうせるということ。
手の届く場所はなく、目に映る風景もない。うつろうものもうつろわざるものも全ては無価値。
故に全ての終わりたる少女には心も意味もなかった。
されど、偶然が彼女に心をもたらした。
自らの作り上げた世界に訪れた全ての終わりに対し、終わらぬ世界の道中で宣言した全知全能の神が一人。
その時、全ての終わりに新たな意味が宿り。その姿に、その心に、意味が宿った。
そして、心は全ての終わりの前に立つことを願った。
ただあるだけで全てを終わらせる、
孤独な誰かの心に意味を宿らせることができるように。
自らの
***
風華を退けたエクスとマキナは月人の御座所に踏み入る。
そこには外の空間からは想像もつかないほど広大な空間が広がっていた。
大広間に敷かれた畳は果てが見えないほど連なり、時折ロウソクのように揺らめく周囲の景色は、宇宙やいつの時代のどこの星かも分からない風景へと移り変わっていく。
「チッ、既に時間と空間が歪んでいる。バゼットの奴は全知全能を取り戻したようだ」
先ほどまで大広間であったはずの空間を見回し、エクスは忌々しげに呟く。
「どうしますか、エクス? 一応、歪んでいるものの空間自体は繋がっているとは思いますが」
「皆まで言うな、無茶は少ない方がいい、根性で走るぞ。どうせ空間と一緒に時間も歪んでいるんだ。外から見れば結果は同じだ」
「はい、そうですね。そう言うと分かっていました」
揺らめき移り変わる異界の遠景に落ちぬよう注意しながら、二人は畳と襖の広間を駆ける。
一歩前に踏みしめた畳が過去の宇宙へと変わり、二歩前に踏みしめた畳が未来の平行世界への扉となる。
ただ足元の畳だけが確かな空間を二人は迷い無く駆け抜けていく。
そして、二人の体感時間で数十分以上駆け抜けた後、広間の果てに御簾が浮かび上がった。
「エクス、見えました!」
「ああ、これ以上空間が歪む前に踏み込むぞ!」
御簾を突き破るようにして突き進むエクスとマキナ。
次に二人が足を踏み入れた先は、宇宙空間に浮かぶ八畳間だった。
「ふむ、途中で諦めるかと思ったが、お主等の根性には敬服するのう。よく己の場所を見失わなんだ」
肘置きに肘をつき、素顔のバゼットが面白そうに顔を歪める。
「……エクス、バゼットちゃんの姿はそのままのようですね。ですが権能は取り戻しています、不思議です」
「そのようだな。バゼット、小百合をどうした」
「ほほう、見上げたものじゃ。儂の素顔を見てもその言葉を放てるか」
バゼットは感心したように目を細めた後、静かに上を指差す。
宇宙の果てに赤い糸に雁字搦めにされた小百合が虚ろな瞳で浮かんでいた。
「小百合ちゃん! 返してください、小百合ちゃんを」
「返す? まこと不思議なことを言う。あれは所有物でもなんでもない。儂じゃ、身も心も紛う事なき同一の」
「それでも……小百合ちゃんは小百合ちゃんです。貴方が小百合ちゃんの有り方決めることはできません」
静かに静かにマキナが言う。
その瞳には溢れんばかりの怒気が宿されていた。
「ああ、なるほど。我が同位体が儂とひとつに戻ることを拒んだのはお主達の影響か」
「小百合は拒んだか。そうか……あいつも今に価値を見出せたか。ならば俺のおせっかいもたまには役に立つというわけだ」
エクスは満足げに頷く。
「何を嬉しそうにしているのじゃ。儂としては余計な手間をかけさせたお主等に、文句のひとつでも言ってやりたい所なのじゃがのう」
冷たい視線を向けるバゼット。
「……ふん、なるほど。その目、以前の小百合と同じだな。警告だ、止めておけ。そんな目で全知全能を振るえば全ての終わりが訪れざるを得んぞ」
「警告? この儂に警告とは面白いことを言うのう。そもそも、お主達は知らぬのじゃ。全ての終わりが何を意味するかを」
断然と言い切り、冷たい視線のまま二人の無知を嘲笑うバゼット。
「いいえ、知っていますよ。その意味を知る者は異なる数多の世界を含めても貴方と"私"の二人だけです」
マキナはバゼットの冷たい視線を全て受け止め、その上で言ってのける。
「なんじゃと……?」
「"全ての終わり"とは停滞の果てへと辿り着いた世界に訪れる終わりそのもの」
マキナの言葉に継ぎ足すように言葉を繋げるエクス。
バゼットはその言葉に小さく体を震わせた。
「全ての外にあり、終わりと言うただ一点でのみ他と交わる、哀れな君臨者」
更にマキナが言葉を繋げる。
「自らが終わりそのものであるが故に、終にただ一人立つことを約束された者」
「それが全ての終わり」
エクスとマキナが代わる代わる言葉を繋げ──
「そう、つまり……それが"私"だ」
最後に一拍の間を空けてエクスが言った。
「お主達、いやお主は一体何を言っておる……?」
バゼットは思わず立ち上がって身を乗り出すと、まんまるになった目でエクスとマキナの顔を凝視する。
「ほう、存外に鈍いのか、認めたくないのかどちらだ? つまり私とエクスも、お前と小百合と同じ関係……異性体ということだ。です」
言って、マキナが髪をほどいて不敵に笑う。エクスと似つかぬはずのその姿には、はっきりとエクスの面影があった。
その顔を見たバゼットは青ざめ、ごくりと息を呑む。
バゼットはその顔に覚えがあった。否、顔ではない。それは世界の外より眺めた終の光景そのもの。
「まさか、まさか、まさか、お主は……ッ!」
「エクス、私は信じています。この世界は未来の果てにある"私"ではなく、今ここを選ぶと」
「ああ、俺もだ。終わりまでの道中に立つ二人の異性体(パラレル)は願う。意地っ張りで臆病な月人の同位体が歩き続ける今を」
エクスがマキナに手を差し出す。
「されど原義の"私"が告げる。感情の熱的死を迎えた世界は"全ての終わり"だと」
マキナがエクスの手を取る。
「故にはじめよう!」
「今ここで!」
「今と果ての未来を分かつ!」
「「快刀乱麻の幕引きを!!」」
エクスとマキナの姿が重なり、世界におけるその存在が完全に同一点に収束する。
──そして、"それ"は世界という器から、認識できる全てから悠々と溢れ出した。
世界を構成する方程式全てを通り過ぎ、因果律はその意味を失う。
時間、空間、全てが崩壊し、死刑執行前の囚人のごとく粛々と絶対者の執行を待つ。
全ての法則は例外なく平伏し、概念が跪いて道を開ける。
多層多次元の宇宙、平行世界、異世界、世界に連なる全ての要素が砕け散る。
その瞬間、全てを支配していた絶対も、世界も、有も、無も、何もかもが平等に──全てが終わる。
そこに"ある"のは漆黒を纏い、黒い髪を靡かせたマキナ。いや、エクスでもあるその存在はエクスマキナと呼ぶのが正しいのだろう。
「や、やはり……お主は!」
バゼットが恐怖と絶望に満ちた眼でその姿を認識する。
エクスマキナはそれを見て口の端を吊り上げると、機械仕掛けの大鎌を取り出して自らの傍らに浮かべた。
それは機械仕掛けの大鎌を持った黒い髪の少女。
それは森羅万象の結末。
それは始まりと対を成す絶対の終点。
その少女こそ──