第五章
エクスとマキナは庭園の芝生に座り込んで空を見上げていた。
明けた夜は透き通った青を経て、既に黄昏色に染まっている。間もなく再び宵闇へと包まれることだろう。
バゼットが言ったとおり、庭園の空間法則は夜明けと共に本来の状態に戻った。
だが、それでも二人は動かず、無言のまま揃って空を見上げ続けていた。
途方に暮れている訳ではない。
二人には取ることができる手段がある。
否、このままでは二人がもらたしてしまう結末がある。
だが二人はその結末を望まない。故に躊躇っているのだ。
二人がもたらしてしまう結末は、"全てを終わらせてしまう"かもしれないと知っているからだ。
「万物は相互に干渉し変化していく……生も死も概念も、全てはそのための過程に過ぎないのならば」
灯り始めたビルの明かりを眺め、エクスがぽつりと呟き。
「独りが選び統べる世界は、それが全知全能であろうとも感情の熱的死した世界。……ですね」
同じくビルの明かりを眺めたままマキナが言葉を継ぎ足した。
「そしてその先に待つのは"全ての終わり"、か……」
言って、エクスは再び黙りこくる。
再び訪れた沈黙。マキナは仕方がないといった風に目を閉じると、すぅと小さく息を吸い込んで口を開く。
「エクス」
「…………」
一言だけ名前を呟いたマキナに、エクスは何も答えない。
「エクス」
「言わなくても分かる。……別人ぶっても所詮俺はお前で、お前は俺だ」
二度の呼びかけに、渋々と返答するエクス。
「それでも、口にします。これが私達が"二人"で居る間の取り決めですから」
「…………」
「エクス、私達がそれを認めないのなら、小百合ちゃんを無理やり攫ったバゼットを否定できません」
「分かってる。
エクスは自らの顔に手を当てると、迷いを払うように大きく首を振った。
「はい、そうです。だから貴方はエクス。私はマキナですよ」
マキナは優しく微笑みながら、エクスと自身を順番に指差して、諭すように言う。
エクスは暫しの間無言だったが、やがて自嘲するように笑った後、いつも通りの不敵な顔でゆっくりと立ち上がる。
マキナはそれを見届けると自らもゆっくりと腰を上げた。
「なあ、マキナ。小百合はバゼットとひとつに戻ったと思うか?」
「大丈夫ですよ、エクス。月見団子とケーキです。私とエクスですら違う答えを出せるんですから」
「ふっ、愚問だったな。ならば俺達も保護者の務めを果たすとするか。行くぞ、小百合を助けに」
「はい、行きましょう。遅れた分だけ大急ぎで」
二人は遠めに見える街並みを眺める。
ビルの灯りは綺羅星の如く輝き、夜空に現れ始めた星と共に大地を照らしていた。
「あの灯りの分だけ人が居て、感情があって、意思がある。多種多様、刻々と変化する世界はその世界が生きている証、ですね」
言って、マキナは静かに歩き出す。
「果てを求めるが故に終わりを呼び寄せる者と、終わりであるが故に続く煌きを信じられる者。バゼット、因果なものだな俺達は」
エクスはもう一度だけ街並みを眺めると、漆黒のコートを翻す。
そして、先を行く"自分自身"を追いかけるのだった。
「何、備品のサイドカーが奪われたとな! 承知した、こちらも迎撃体勢に入る! 後は任せておけい!」
月人御所の南門付近に広がる庭園。
通信端末で報告を受けた警備の天狗面は、端末のスイッチを切ると慌しい様子で周囲に指示を出す。
「報告! 例の二人組みは我らのサイドカーを奪った模様! 門を閉めて迎撃体勢にあたれい!」
天狗の大声と共に、荘厳な作りの門が閉まり、閂が通される。
庭園の灯篭に灯りがともり、玉砂利の音を響かせて天狗面達が次々と集結していく。
その光景はまさに天狗だらけの百鬼夜行。
「注視せよ! 神出鬼没の奴らよ、いつ来てもおかしくはないぞ!」
「応!」
秋の虫達が静かな音色を奏でる中、天狗達は無言で来るであろう襲撃者に備える。
やがて虫達の恋歌に混じって、蒸気動力の駆動音が聞こえ始めた。
「来たぞ!」
堰を切ったように、一斉に天狗達が武器を構えて門の前に立つ。
それを嘲笑うかのようにサイドカーが夜空を舞う。
「上、上、上! 上だっ!!」
虚を衝かれて浮き足立つ天狗達。
門の上を飛び越えて現れたサイドカーは、そのまま斜め四十五度の角度で深々と庭園の玉砂利に突き刺さる。
サイドカーの壊れた蒸気動力から蒸気が漏れ出し、辺りを霧のように包んでいく。
「馬鹿な……。なんと言う向こう見ず。呆気ない結末よ。仕方ない、救護班に担架を持ってくるように言ってやれい!」
ひときわ鼻の長いリーダー格の天狗は呆れるように肩をすくめると、脇に控えていた天狗に指示を出す。
「フッ、気遣ってもらってすまんな。あつかましいついでに担架の追加を頼む。お前達全員を乗せるには二つでは足りんからな」
ぽつぽつと雨の降り始める中、じゃりじゃりと足音を立て、漏れ出す蒸気の中からエクスとマキナが姿を現す。
「なんと! 無事とな!? なんと頑強な若人よ!」
「さて、残念ながら今日の夜勤は終わりだ。親切な天狗を虐げるのは忍びない。素直に退け」
「怪我をする前に退くなら今のうちと言うことです。今日は本気を出す予定ですから」
エクスが黒いコートを夜風に靡かせ、マキナがカフスのボタンをはずして腕まくりをする。
「ふぁふぁふぁ!! それは流石に慢心が過ぎると言うもの。如何に人間離れした強さでも、完全装備のこの人数相手に勝てると思うでないぞ!」
リーダー格の天狗が、
それに追随するように周囲の天狗達も構えを取った。
「仕方ありません。……それでは粉砕します」
マキナは鋭い眼差しで迫り来る天狗達を見据えると、近くで蒸気を上げているサイドカーを軽々と持ち上げ、天狗達めがけて思い切り投げつけた。
「っふぉふぉ、なんとおおおっ!?」
蒸気筋肉鎧の力を最大発揮して全力後退する天狗達。
マキナは天狗達がサイドカーを回避したのを見届けると、逃げた天狗の一人を蹴り飛ばし、天狗をドミノ倒しのように連鎖させて次々と吹き飛ばしていく。
「ははは、マキナの奴め、今日は相当ご立腹と見える……まあ、俺もなんだがな」
エクスはエレキテル刀の刀身を顕現させると、天狗達の大きく振り回す。
「馬鹿め! 我等は皆防電チョッキ着用済みよ! うごっ……」
高笑っていたはずの天狗は、皆腹部を抑えてその場に崩れ落ちた。
「馬鹿者はお前達だ。同時に拳打を入れたのにも気が付かんとは笑わせる」
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。好き放題に蹂躙される天狗達。
あれよあれよと言う間に天狗達は積み重なって丘になり、山となった。
「ふん、呆気ないものだな」
積み重なった天狗の山を見て、エクスが鼻で笑う。
「いいえ、まだ前哨戦みたいですよ」
マキナが真剣な表情のまま視線を横に動かす。
庭園に隣接した廊下を駆ける天狗の群れ、群れ。
エクスとマキナの居る庭園に向けて、先ほどの天狗達の数を遥かに超える、天狗津波が押し寄せてきていた。
「なるほど、中々どうして手間をかけてくれる」
忌々しげに言うエクスをよそに、四方三方から次々とやってくる天狗。天狗。天狗。
天狗印の金太郎飴もかくやと、天狗達は際限なく中庭に集合していく。
「少々多いですが……戦うしかありませんね」
「仕方あるまい。バゼットの所に行く前に追いつかれるのは目に見えている。天狗共がバゼットとの話し合いに巻き込まれては困る」
エクスとマキナが天狗達と対峙する覚悟を決めたその時、銃声が聞こえ、一人の天狗が崩れ落ちた。
突然の出来事に慌てふためく天狗達。
「ケッ、死にゃあしねぇよ。警官用の
廊下に隣接する部屋の障子を蹴破って、拳銃を構えた烏丸が二人の前に現れる。
「無事だったのか、烏丸」
「無事だぁ? 嫌味かそりゃ。テメェ等の足を思い切り引っ張って、どさくさに紛れて逃げ出したのが無事っていえるんなら無事だろうさ。手助けしたつもりがとんだクソッタレが居たもんだぜ」
烏丸は吐き捨てるようにそう言うと、二人を追い払うようにシッシッと手を振った。
「行きな、東の方が手薄だ。ここは俺が引き受けとく。嬢ちゃん、助けるつもりなんだろ? 最後ぐらい役に立たせろよ」
烏丸はエクスとマキナと入れ替わるように前に進み出ると、迫り来る天狗達を迎え撃つ。
「はい、お言葉に甘えさせていただきますね」
「ああ、任せた。せっかくのお膳立てだ、無駄にはせんさ」
烏丸は何も言わず、背を向けたまま拳銃を持った右手を上げる。
エクスとマキナはそれを確認すると踵を返して、バゼットの居る御座所を目指して駆け出した。