終わりのエクスマキナ   作:七月なご

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同位体(パラレル)2

 

 部屋から抜け出した三人は人の行き交う通りを横切って、細い裏路地を路地を縫うように走る。

 その後ろを天狗の一団が勢い良く追いかけていく。

 

「天狗さん、日中でも容赦なく追いかけてきますね。人様の迷惑です」

「ああ、常々思うがあいつらは後ろめたさが足りんな。ご近所の評判が下がったらどうしてくれるつもりだ」

「それでエクス、これからどうするつもり!?」

 

 マキナに手を引かれながら、小百合が不安げな顔で尋ねる。

 

「決まってる。月宮御所に殴りこむ。大天狗とやらに話をつけるしかあるまい」

「しょ、正気なの!?」

「いつかはそうするつもりでしたから。それに自宅にまで来られた以上、もう逃げるという選択肢はありません」

「さて、大通りを横切るぞ。天狗共が人様に迷惑を掛けんように迅速にな」

 

 言って、裏路地を抜けて大通りに飛び出す三人。

 その時、裏路地にしゃらんと鈴の音が鳴る。

 

「鈴の音……?」

「どうしました、小百合ちゃん?」

「マキナさん、今鈴の音が聞こえなかった? どうしてかしら、凄く気になるわ」

 

 言って、小百合は通りを見回す。

 だが、鈴の音がしそうな物は何もない。

 それどころか、普段ならば商店が立ち並び人が溢れているはずの大通りには、人影一つなかった。

 

「誰も居ない? 何もない? 嘘。ねえ、エクス。ここは夜も人波が途切れないあの大通りよね? 昨日だって通りかかった時には降臨祭の飾り付けがあったはずなのに」

「そのはずだがな……これも天狗の仕業か」

『ふぁふぁふぁ、その通り!』

 

 聞きなれた天狗口調の機会音声が周囲に響く。

 

「ふん、お出ましか!」

 

 直後、飛来した大質量の塊が大地を揺らす。

 エクス達の目の前に飛来したのは、五メートルほどの人型機械。

 

「え、何あれ……ロボット? まさか……あれ、動くんじゃないわよね」

 

 小百合の不安に応えるように、鉄色の全身を持つ人機はその両腕両肩両足から蒸気の煙を吹き上げ、力強くゆっくりと立ち上がった。

 ズシリとアスファルトを軋ませ、人機が二つの足で大地を踏みしめる。

 

「ひいっ!? 本当に動いた!」

「人形遊びとは天狗共も意外と少女趣味だな」

「な、な、何を悠長なことを言ってるのよ!? 逃げないと! っていうか、これは人形でも女の子じゃなくて男の子が好きなほうでしょ!?」

 

 立ち塞がる脅威などどこ吹く風、興味深そうに人機を観察するエクス。

 小百合はエクスのコートを力一杯後ろに引っ張って撤退を促す。

 

「ふぁふぁふぁ、ここは大天狗様が創造せし平行世界! 残念ながら既に汝等逃げ場なし! 大天狗様が来るまで逃げ惑うがいい!」

 

 人機頭部に置かれた台座の上、鋼の腕をつけた天狗が吼える。

 

「我こそは躍進機関イの十二号! 我が機甲闘法、人の身では到底抗えぬと知れい! いざ参る!」

 

 台座の上で拳を振り上げる天狗。

 人機が蒸気を吹き上げてそれに呼応し、天狗の動きをなぞる様に拳を振り上げた。

 

「エクス、あれは人間では勝てない物体なんでしょうか? 私はエクスよりもその辺の感覚が疎いので」

 

 そこまでぽんやりと人機を見上げていたマキナが、エクス同様あまり危機感のない様子でエクスに尋ねる。

 

「いや、勝てるだろう普通に。変態忍者の方がどう見ても手強い」

「あ、やっぱりそうですよね。良かった、私もコモンセンスです。なら普通に倒してしまっても問題ありませんね」

「この期に及んで減らず口とは! ならば受けて後悔せよ、我が鉄の腕! いざ! いざ! いざ! 覚悟ッ!」

 

 機械の上で天狗が右拳を振り下ろし、それと連動して人機が右の拳を振り下ろす。

 マキナはふわりと後ろに飛び退いてそれを回避する。

 

「なんの! 拳は一つだけではないぞ!」

 

 続いて左の拳を振り下ろす人機。

 続いて右、更に左。人機の拳が一撃毎に大地を揺らし、マキナを捉えるべく隕石のように大地に突き刺さっていく。

 

「ふぁふぁふぁ! 結局は逃げるだけか! 安心するがよい、大天狗様の創りしこの世界、人死には出ん! 安心して鉄の拳を味わえい!」

「ではエクス、ここは私が相手をしますから小百合ちゃんを頼みました」

 

 意気揚々と連打する人機の目の前、特にあわてた風もなくマキナが言う。

 

「ああ、任せた」

「任せたって、まさか……マキナさん、あれに勝つつもりなの!?」

「はい、あれは大きくて堅いだけですから、変態忍者よりも余程簡単ですよ」

 

 言って、マキナは人機の足元へと滑り込む。

 

「ぬう! 小癪な! 踏み潰してくれる!」

 

 天狗が左足を振り上げ、それに連動して人機が左足を振り上げる。

 

「それは下策です。バランス、崩れますよ」

 

 マキナは軽く跳躍した後、そのままくるりと体を捻って、人機の右足に後ろ回し蹴りを入れた。

 

「お、お、お、おっ!?」

 

 太股位置に受けた衝撃にぐらりと人機が揺れる。

 そこにすかさずマキナがもう一度回し蹴りを入れる。

 そして、更にもう一度。

 要塞のように鎮座していたはずの人機はいとも容易く揺れ動き、その上に乗った天狗が振り落とされまいと必死にもがく。

 

「ぬおおおお! 強靭無比と聞いていたがこれほどとはっ!?」

「止めです」

 

 ただ粛々と単純作業のように人機を攻撃していくマキナ。

 度重なる衝撃を受け、完全にバランスを崩した人機は、ついに轟音と共に地面に仰向けに倒れてしまう。

 あまりにあっけない幕切れだった。

 

「さて、再起されても面倒だ、潰すぞ」

 

 小百合を小脇に抱えたまま、エクスがすかざず人機の右足に飛び乗り、膝関節部分を力一杯踏み抜いた。

 

「はい、念のため左足も潰しておきますね」

 

 左足に飛び乗っていたマキナが、エクスと同じように膝関節を踏み砕いた。

 

「さて、お前の負けだ天狗。さっさと俺達を元の世界に戻せ」

「ふ、ふふふ、ふぁーっふぁっふぁっ! 何を呆けたことを既に勝負は決している!」

 

 人機の台座から投げ出され地面にうずくまりながらも、天狗はエクスの言葉に高笑いで答えた。

 

「どういう意味だ? 俺達にも分かる様に言え」

「全ては神務多忙な大天狗様に暇ができるまでの時間稼ぎ! 我の敗北など折込済みということよ!」

 

 言うと同時、エクス達が身構えるよりも早くしゃらんと鈴の音が鳴る。

 周囲の風景がかき混ぜた様に捻じれ、無人の大通りに居たはずの三人は広い庭園の真ん中に立っていた。

 

「──っ!? 何、何が起こったの!?」

「恐らく、元の世界に戻ってきたのだろう」

「はい、ここは……恐らく月宮御所近くの公園ですね」

 

 周囲を見回す三人。

 その三人を取り囲むように、待ち構えた大勢の天狗が輪を作っていた。

 

「ふっふっふっ、これが月人様の神通力を堪能できたようであるな。もはや主達は籠の鳥。覚悟はよいかな、お三方?」

 

 リーダー格の天狗が勝ち誇った様子で言う。

 

「ふん、覚悟だと? そんな薄い囲みで覚悟を求められても困るな」

 

 道を切り開くべくエクスは囲っている天狗へと駆ける。

 だが、天狗達の輪に向けて駆けていったはずのエクスは、いつの間にか輪の内側へと駆けていた。

 勢い余ったエクスは、そのまま目の前に居たマキナを巻き込んで芝生に転がっていく。

 

「きゃっ!? 何をしているんですか、エクス!」

「む、すまん、マキナ」

 

 マキナを押し倒すように地面に倒れ伏すエクス。

 

「ふぁふぁふぁ、籠の鳥と言った意味、ご理解いただけたかな? 諸君らは既に捕まっておるのだよ」

 

 リーダー格の天狗は腕を組んで愉快そうに高笑う。

 エクスは倒れた体を起こしながら、無言で高笑う天狗を威圧する。

 

「ぐ……に、睨みつけようとも無駄! 手出しできぬことは分かっているのだからな」

 

 反射的に仰け反った体勢を戻してリーダー格の天狗が言う。

 それに追随してエクスを挑発するように次々とポーズを決めていくその他の天狗達。

 

「こいつら……無闇矢鱈な挑発をして、憎しみは余計な争いの火種にしかならんと知らないようだな」

「ふぁふぁふぁ、愉快愉快! 先日までの借りはここで返してやるわ!」

 

 天狗達は円陣を組むと三人の周りをぐるぐると回り始める。

 

「くそ……。回転数を上げすぎて虎バターにでもなってろ」

「馬耳東風! 実に愉快愉快!」

「程度の低い行為は止めよ。役目を担う者には品格も必要じゃ。この者達も結果の変わらぬことを長々とやられては気分が悪かろう」

 

 鈴の音と共に凛然と響く声。

 円陣を組んでいた天狗達はピタリと動きを止め、直立不動の体勢をとる。

 エクスとマキナは同時に小百合の方を向いた。

 

「な、何よう……?」

 

 小百合は不安げな顔をしたまま不思議そうに首を傾げる。

 

「小百合……お前じゃないのか?」

「わ、私が静止なんてかけても天狗が言うこと聞くわけないじゃない!」

「そうじゃ、時渡りの少女ではない。今の声は儂じゃ」

 

 天狗が作っていた輪の一部が割れ、鈴の音を響かせて兎の仮面を着けたバゼットが現れる。

 

「儂はバゼット。主等が気にしていた躍進機関の大天狗であり、この星……宇宙、ひいてはこの世界の創造に多大な影響力を持つ月人じゃ」

「月人!」

 

 驚きの声を上げる小百合。

 

「…………」

「…………」

 

 エクスとマキナは苦々しい表情をして、無言のままバゼットと小百合を見比べる。

 

「姿、形、声、似ているな……」

「はい、もし同位体(パラレル)だとすると……」

 

 マキナがエクスの独り言に繋げるように小声で呟いた。

 

「エクス、マキナさん……」

「大丈夫です、小百合ちゃん。もし貴方が何者であろうと、私にとっては小百合ちゃんですから」

 

 不安そうな声色で二人の名を呼ぶ小百合に、マキナは苦々しい表情をバゼットに向けたまま答えた。

 

「バゼット、お前に尋ねたいことがある!」

 

 小百合をバゼットから隠すように前に出てエクスが言う。

 

「ふむ、儂としても敢闘したお主達の疑念に答えてやりたい所じゃがのう。儂がこの星に留まる期日は決まっておる故、無駄にできる時間がないのじゃ」

 

 バゼットがしゃらんと鈴の音を響かせる。

 瞬間、小百合が上空から照らされたサーチライトのような光に包まれ、ふわりと宙へ浮き上がった。

 

「故に今宵はここで失礼させてもらおう」

「え? ええっ!?」

 

 突然の出来事に、小百合は訳も分からず、浮き上がった体を地上に戻そうと泳ぐように宙をかく。

 

「小百合ちゃん!?」

「なんだと!?」

 

 小百合の異常に気がついたエクスとマキナが後ろへ振り返る。

 天まで届く光の柱の中、小百合の体は既に手が届かない高さまで達していた。

 

「エクス! マキナさん!」

 

 エクスが視線を夜空に向ける。

 小百合を浮かび上がらせていく光の柱、その先にあったのは宵闇のような黒に幾つもの発光体が散りばめられた円盤だった。

 

「エクス、上空に円盤があります!」

「くそっ、円盤まで引っ張り出してくるとは派手にやってくれる!」

 

 エクスとマキナは真剣な表情で必死にもがく小百合を見上げる。

 だが、いくら二人が小百合の身を案じようとも、二人にはどうすることもできず、ただことの成り行きを見守ることしかできなかった。

 

「風華並みの身体能力を持っていると聞くが、さしものお主達もこれでは手出しできまい。安心せよ、時渡りの少女を無下には扱わん。あれは"儂"じゃからのう」

 

 言って、バゼットはふわりとエクス達に背を向ける。

 

「……っ! やっぱり同位体!」

 

 バゼットの言葉にマキナが真剣な表情で呟く。

 

「待て、バゼット! ならばせめて質問に答えてから行け!」

 

 エクスとマキナがバゼットに詰め寄ろうと一歩踏み出す。

 

「作り変えた空間法則も明朝には元に戻る。それまでは大人しくしておるのじゃな」

 

 だが、バゼットはエクス達の言葉に答えない。

 背を向け終わると同時に、バゼットの姿は声だけを残して幻のように消え去っていた。

 

「…………くそっ、話を聞かん奴め!」

 

 バゼットの居なくなった空間を、エクスは忌々しげに見据え続ける。

 

「ふぁふぁふぁ、如何な地上の蛮勇とて月人様の前には無力か。願わくはこれ以上拙者達の邪魔もせぬで欲しい所よ」

 

 天狗達も思う存分高笑いをした後、エクス達を一瞥して庭園を去っていく。

 エクスとマキナはどうにかして空間の檻を突破しようとするが、創造主自らが法則を操作した空間内では同じ結果が繰り返されるだけだった。

 

「馬鹿共め、全知全能が全てを決して統べる世界など……即座に全ての終わりだ」

 

 庭園に取り残されたエクスとマキナはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 円盤で月人御所に連れ去られた小百合は、発着場に控えていたバニー姿の女性達に恭しく迎え入れられていた。

 ついぞこの間とは真逆とも言える待遇を小百合は不審に思ったが、バニー達の礼節を弁えた態度に強くは出れず、そのまま巫女服にウサミミを着けた侍女に御所内を案内されていた。

 

「ねえ、貴方達も月宮庁の職員なの?」

 

 美しい庭園を一望できる廊下の途中で、小百合が前を行く長髪の侍女に尋ねた。

 

「はい。その通りでございます」

「私をこれからどうするつもり? 大天狗とか言う奴の生贄にでもするの?」

「生贄など滅相もない。バゼット様とゆっくり"再会"していただくだけです」

「再会。再会って……どういう意味なの? 昨日、庭園で会ったことじゃないのよね」

 

 警戒心よりも疑問が勝った小百合は、不思議そうな表情を隠さずに侍女に尋ねる。

 侍女は何かを答える前に、廊下の奥で足を止め小百合の方へと向き直った。

 

「こちらの部屋でバゼット様がお待ちです。全ては全知全能たるバゼット様が明らかになさるでしょう」

 

 小百合はまじまじと侍女を見つめるが、侍女はそう言ったきり眉ひとつ動かすことをしなかった。

 

「分かったわ。入るわ。入ればいいんでしょ? そうね、どうせ私には選択肢はないのだから入るしかないものね」

 

 小百合は顔を強張らせると、その真紅の瞳に棘を宿す。

 

「……ふん、随分と久しぶりな気がするわ。こんな顔をしたの」

 

 小百合は自嘲するようにそう言うと、勢いよく襖を開けてバゼットの待つ部屋へと踏み込んだ。

 

「やれ、騒々しいのう。お主は礼節を知らぬのか? それとも悪の権化じゃと思うておる儂と対峙すべく意を決したのかのう?」

 

 余裕綽々で愉快そうに笑うバゼット。

 それに対して、小百合は踏み込んだ瞬間に絶句していた。

 今小百合とバゼットが居るのは変哲のない八畳間。ただしそれは床だけのこと。他は全て、天井も、壁面も、入ってきたはずの入り口も、全てが宇宙空間になっていたのだ。

 

「な、なに、これ……」

 

 バゼットから勤めて視線を逸らぬようにしつつも、小百合は丸くした目で周囲を確認する。

 何度も確認する必要すらなく、そこは宇宙空間に浮かぶ八畳間であった。

 

「驚いたようじゃのう、時渡りの少女。ここは現世(うつよ)の名である平賀・S・小百合とでも言った方が趣きがあるかのう」

 

 仮面を揺らして愉快そうに笑うバゼット。

 小百合は怯える表情を必死に隠して自らによく似た体躯の少女を睨みつける。

 

「ふん、貴方が大天狗の正体ね。貴方の部下には言ってあるけれど、私は時渡りではなくて輪廻転生者なの。時渡りを期待して攫ったのならとんだ無駄足ですからね」

 

 その言葉を聴くと、バゼットは仮面の口辺りを手で隠して更に愉快そうに笑った。

 

「くっくっくっ、流石じゃ流石、気丈に振舞うのう。安心せよ。お主の認識する範囲では輪廻転生者かもしれぬが、お主は紛うことなく時渡りじゃ。厳密には異なる世界をと言う但し書きが付くがのう」

「……どういう意味?」

 

 愉快そうに笑うバゼットとは対照的に、小百合は不愉快さを隠さずに尋ねた。

 

「風華も言ったそうじゃな。主のエレキテルはこの文明を凌駕しておると」

「それが、どうしたのよ? 出所は別の星とかかもしれないでしょ。異なる世界とやらよりもよほどありそうだわ」

「そうではないことは主が一番知っておろう。何しろ主はその姿でしか転生せぬのじゃからのう」

「それは……」

 

 小百合は歯切れ悪く押し黙る。

 

「その知識、源泉はこの世界ではない。かつて今の世とよく似た世界があった、昭和平成なる年号を経たその世界は、宇宙全域に渡る大いなる発展をし、そして……全ての終わりを迎えた」

「つまり終末戦争が起こったのね」

「否。そのようなものはそれが最も高次元の宇宙であろうとも、数多の平行世界が同時に滅ぼうとも、理の範疇に過ぎぬ。全ての終わりは文字通り全てが等しく終わる瞬間。連なる幾重もの世界も、絶対も、全知全能も、全てが等しくじゃ」

 

 バゼット強い口調で断言する。

 それに呼応して部屋を取り囲む宇宙空間に亀裂が入った。

 

「じゃが……全ての終わりに運良く見逃された儂は、一人この世界を再び作り上げた。それが時渡りじゃ」

「何それ、スケールが大きすぎるわ。それに……それじゃ私じゃなくて貴方が時渡りじゃない」

 

 小百合は軽く頭を抑えながら、理解ができないと言った風に大きく首を振る。

 

「そう、流れ着いたのは独り。そして儂も時渡りであり、お主も時渡り。つまりはそういうことじゃ」

「……それが同位体(パラレル)とか言うものなの? 私には分からないわ。全く」

 

 自らに言い聞かせるようにそう言う小百合。

 だが、言葉とは裏腹に、睨みつける小百合の目はバゼットの髪へと向いてしまう。

 その髪は小百合によく似た、白百合のような長髪。

 髪だけではない。巫女装束のような服装に包まれたその体躯も小百合にそっくりだった。そう、幾度転生しても決して変わらぬ小百合の体躯と瓜二つ。

 そして、バゼットが言うことが事実であるのならば、恐らく仮面の下に隠された素顔も──

 

「賢しいお主じゃ、分からぬはずもなかろう。それが意味することはただひとつ。お主と儂が元来"ひとつ"の存在であると言うことじゃと」

 

 言ってバゼットは仮面を外す。仮面の下にあったのは真紅の瞳をした少女の顔──即ち小百合そのものだった。

 

「っう──!」

 

 視界が歪み平衡感覚が失われるような衝撃を覚え、小百合は吐き出せる言葉全てを呑み込むように息を呑む。

 会話のやり取りの僅かな間が永遠とも思える静寂を生む。

 驚き、恐怖、猜疑、様々な感情が小百合の中で渦を巻き、小百合の視線は吸い込まれるようにバゼットに釘付けられ目を逸らせない。

 

「焦がれたぞ、儂の同位体であるお主との再会を。頬に紅差し一日千秋の思いで恋焦がれる乙女のようにのう」

「どうして!? どうして私なの!? どうして私と貴方が同じなの!?」

「高位の月人はその強すぎる力故に、ただ"ある"だけで世界の理を歪めてしまう。故に単一の自分を二つの器に分けてその力を弱める必要がある。その器が同位体じゃ。もっとも、儂達の場合は均等な配分ではないのじゃがのう」

「嘘よ、嘘。そんなの貴方の出鱈目だわ! 月人だもの、顔真似ぐらいは平気でしてみせるでしょう!」

 

 小百合はゆっくりと近づくバゼットを払いのけ、一歩、二歩と宇宙空間との境まで後退する。

 

「嘘ではない。そもそも無限転生などが人の身でできるはずはなかろう? 人の体(うつわ)が滅びた後は月人の神性が不死を呼び覚まし新たなる生を得る。そして、その姿は遺伝子と言う理を凌駕し、月人である儂と同じ姿となる。それこそお主が月人の同位体である紛れもない証」

「…………」

 

 無言でバゼットの言葉に耳を傾ける小百合。

 最初から小百合も分かっていたのだ。バゼットの真剣な眼差しが、自らの言葉に嘘はないと語っていることに。

 

「さあ来るのじゃ、小百合。お主には月人の権能はない。じゃが、儂が本来の全知全能を取り戻すにはお主が必要じゃ。再び有るべき儂に戻り、世界を導こうではないか」

 

 小百合と全く同じ顔で手を差し伸べるバゼット。

 小百合は差し伸べられた手を取らず、ただその手を睨みつけた。

 

「……なら、もし、私と貴方がひとつになったとしたのなら、今の私はどうなるの?」

「恐れることではない。今までの無限転生となんら変わらぬ。ただ持つ記憶が倍に増えるだけじゃ」

「そう、今の私は居なくなるのね。なら……嫌よ、嫌。私は貴方とひとつになんてならない」

 

 小百合はできる限り鋭い眼光を作ってバゼットの手を払いのける。

 

「ほう……?」

 

 バゼットは意外そうな顔をすると、まじまじと小百合の顔を見る。

 

「今の私が仮初めだとしても、今の私には大切な人が居て、やりたいことがあるの。今の自分をそんなに簡単に捨てられないわ!」

「要らぬ。そんなことは全て些事じゃ。世界の行く末と天秤に掛けられる事ですらない」

「──ッ!」

 

 表情ひとつ変えずに断然と言い切るバゼット。

 小百合はその言葉に明確な嫌悪感を抱く。

 

「要らない……要らないですって? 嫌よ、なら尚更嫌。私の大切なものを要らないなんて言う人間に、私がなりたいわけがない!」

 

 小百合は目に涙を浮かべ、全身全霊でバゼットを否定する。

 

「そうか、主は儂を否定するか……」

 

 バゼットはそんな小百合を寂しげな眼差しで少し見つめた後、

 

「愚かしきことじゃのう。同位体となるときに、記憶だけでも分けておくべきじゃった。全ての終わりの訪れを防ぐ、儂の責務すら忘れるとは」

 

 寂しげな眼差しを冷たい眼差しに変えて小百合を見据える。

 他者を省みず他者を寄せ付けないバゼットの瞳。

 小百合は理解する。バゼットが小百合自身だと言うのなら、それは過去の自分、孤独を気取ったかつての小百合そのものなのだと。

 

「……そう、孤独なのね。貴方」

「そうじゃな。孤独じゃ。記憶がなくとも他ならぬお主だけは儂を理解できる、そう思っておったのじゃがのう。儂の心の内を知るものは独りとして居なかったようじゃ」

 

 バゼットはしゃんと鈴を鳴らして右手を掲げる。

 どこからか伸び出でた無数の赤い糸が小百合の体に絡み付いて自由を奪う。

 

「っう! 結局無理やりするのね!? 自分の意見だけに従って、だから貴方は孤独なのよ!」

 

 小百合は赤い糸を振りほどこうと必死にもがくが、その意思に反するように体から力が抜け落ちていく。

 

「主が己の本義を忘れるからじゃ。今はこれから至る歴史において大切な時期。これ以上問答に使う時間も勿体無い」

 

 縛られた小百合をゆっくりと引き寄せるバゼット。

 

「ならないわ……自己中心的で高慢よ、貴方。私はそんな貴方とひとつになんてならない!」

 

 小百合はバゼットを目一杯睨みつける。

 

「好きに言うがよい、結果は同じこと。儂と主は本来一人。岩に隔てられた川の流れが一つに戻るが如く、互いが無意識に一人に戻ることを望むのじゃ」

 

 バゼットの指が触れ、小百合は動かない体で搾り出すように悲鳴をあげる。

 小百合に対する自らと同じはずの存在が行う容赦のない行為。

 小百合は自問自答する。自分は拒む相手にあんな表情をできるのだろうか、そんなことはできない。いいや、絶対にしないと。

 しかし、目の前に居るもう一人の自分は、平然とそんな行為を行ってしまう。

 

 小百合は決意する。体も、心も、意思も、何もかもが奪われても、バゼットとひとつになどならないと。

 ──だが、やがてその意思も、小百合の何もかもが朧げになっていくのだった。

 


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