朝の教室で起こったちょっとした騒動の後、残念なことにお姉さんが戻ってくることはありませんでした。
エリカさんが言うには、授業のある時間は学校や寮といった施設の案内と説明を受けていて、昼食もその途中どこかで食べているらしいです。
エリカさんも含めてお昼をご一緒できなかったことは残念でしたけど、放課後にお姉さんを迎えに行くというエリカさんに無理を言って同行させてもらうことには成功しました。
連れて行く代わりにあなたも指導担当者になって貰うからとエリカさんには厳命されましたが、その方が必然的にお姉さんと話せる機会が増えるので私としては願ったり叶ったりの展開としか言いようがありません。
どんなことを話そうか、期待に胸を膨らませて考えているうちにいつの間にか待ち合わせ場所の公園に到着していて、ベンチに腰掛けながら本を読んでいるお姉さんの姿が見えました。
「エリちゃん、迎えにきてくれてありがとう。それと確か赤星さん……だったよね?」
こちらに気づいたお姉さんは本を鞄にしまいながら近づいてくると、私の方を見ながら恐る恐る確かめるように話しかけてくれました。
そうですよ、と答えたところ、「驚かせてしまってごめんなさい」とわざわざ朝の出来事について謝罪してくれたのです。
「気にしないでください。むしろ、貴重な体験が出来て楽しかったぐらいですから」
教室にいた全員に違和感を感じさせないほどエリカさんに成りきっていたお姉さんの演技は今思えば非常に見ごたえのあるものでしたし、エリカさんのお姉さんに対する素の態度を見ることも出来て、私としては満足としか言いようが無い経験でした。
エリカさんにとっては大変だったかもしれませんけど、微笑ましい悪戯だと思います。
「……ありがとう。これからよろしくね」
安心したように微笑むお姉さんの表情は朝に会った時同様とても穏やかで柔らかく、やっぱり、顔は似ていてもエリカさんとはかなり印象が違うように感じられました。
そのまま握手を交わし、お互いに挨拶を済ましたところで、ふとエリカさんの方へ視線を向けたお姉さんはそのままエリカさんのところへ近づくと顔を手で押さえてじっと見つめ始めました。
「あれ、エリちゃん、凄く疲れた顔してるけど何かあったの?」
「疲れるに決まってるじゃない。あれからどれだけ大変だったと思ってるのよ」
心配そうにエリカさんのことを見つめるお姉さんを逆にじと目で睨みながらため息をつくエリカさん。
実際のところ、お姉さんがこうして一目見ただけで気付いてしまうくらい、エリカさんは疲労していたんです。
朝に起こった騒動で、私たちの教室どころか学校中がちょっとした騒ぎになってしまいました。
なにしろ、あのエリカさんに双子のお姉さんがいて、その上黒森峰に編入してくるという衝撃ニュースですから当然と言えば当然かもしれません。
その情報は凄まじいスピードで学校中に広まっていったらしく、ホームルームが始まる前には高等部のほぼ全員が知ってる公然の話になっていたみたいです。
その渦中にいるエリカさんへの注目度は相当なもので、休み時間になるや、クラスメイトどころか他のクラスの同級生、一部の後輩までがエリカさんを取り囲んで質問攻めにするという異様な光景が生まれていました。
『ねえねえ、お姉さんいつ編入してくるの?』
『見た子に聞いたんだけど逸見さんにそっくりなんでしょ? 写真とかないの、写真』
『お姉さんも戦車道上手いの?』
副隊長として普段は凛々しい表情で皆を統率しているエリカさんですら今回の熱狂っぷりにはとても対処が追いつかなかったらしく、ひたすら皆の昂揚を抑えることに終始していました。
明日になれば機甲科に正式編入してくること。
質問が多過ぎてとても答えきれないので今日の練習後にちゃんと機会を作るから今は解散して欲しい。
休み時間になる度にこの2つをひたすら訴えかけるエリカさんの疲弊っぷりは相当なものだったようで、最後の授業が終わった途端、机に突っ伏してしまうほどでした。
「だってエリちゃん、私と双子だってこと話してなかったんでしょ? もし事前に知ってたらここまで大騒ぎにはならなかったと思うよ」
「それは……そうかもしれないけど……」
「双子だって知っていれば、赤星さんだってエリちゃんじゃないって気付けたかもしれないよ?」
事実、私もエリカさんにお姉さんがいるということ自体は知っていましたが、それが『双子の姉である』という最も重要な情報に関しては知らされていませんでした。
ただ、双子だという知識が事前にあったとしてもあの時のお姉さんをエリカさんではないと気付けるかどうかはまた別です。
「それでも難しかったと思います。あの時のお姉さんは完全にエリカさんに成りきってましたから」
仕草や表情も普段のエリカさんと瓜二つで、私は何も違和感を感じることができませんでした。
誰か人の名前を呼んでもらったり、エリカさんしか知らないようなことを話せればまだわからなかったかもしれませんが、巧妙にそのような話題を避けて会話をしていたのでそれも難しかったかもしれません。
「当然よ。それぐらいやれないようなら黒森峰副隊長の姉なんてやっていられないもの」
「あ、それ凄くエリカさんっぽいですね」
先ほどまでの穏やかな表情から凛々しい顔に変貌するお姉さん。
その見事なまでの切り替えっぷりに思わず感嘆せざるをえませんでした。
「だから、私のフリは止めてって言ってるでしょ! 今度やったら本気で怒るわよ!」
「はいはい、わかってるってば。もうしないって朝ちゃんと約束したでしょ?」
「今やったばかりじゃない!」
「これはただ物真似しただけ。エリちゃんのフリしたわけじゃないよ」
微笑ましい姉妹のやり取りで場が和む中、ふと私の頭に素朴な疑問が沸いてきました。
「エリカさんはお姉さんの真似ってできるんですか?」
「は? 突然何言い出すのよ」
「いえ、なんとなくですけど。何でもそつなくこなせるエリカさんだったらこういうのも出来るのかなって」
はっきり言ってしまえば個人的な興味以外の何ものでもありません。
ただ、やはり、エリカさんになりすましていたお姉さんを見てしまった以上は、
エリカさんの方もどうなのか非常に気になってしまいます。
「私もエリちゃんがやる私の真似見てみたいな。なんとなくわかるでしょ?」
私の疑問にお姉さんも気になったのか、援護射撃を送ってくれました。
エリカさんは普段見ないような渋い顔していましたが、疲労困憊の中、私とお姉さんの期待する目に抗えなかったのか、これっきりよと言いながら顔を手で触って表情を変えてくれました。
でも、残念ながらその結果は凄惨そのものでした。
口元はお姉さんのように笑おうとしているのがわかるんですが微妙に引きつってますし、何より目が全然笑っていないのがとても怖いです。
自分で言っておいてこう思うのは申し訳ないんですけど、正直やらない方が良かったとしか言えません。
「ひ、酷いよ、エ、エリちゃん。わ、私そんな顔じゃない……あははははっ……お腹痛い……」
よほど壷にはまったのか、お腹を抱えながら大笑いするお姉さん。
ですが、その直後に怒りの形相に変貌したエリカさんに思い切り耳を掴まれてしまいました。
「痛い痛い痛い! エリちゃん、耳は止めてってば!」
「姉さんがやれって言ったくせに笑い過ぎなのよ」
「ごめん、ごめんってば。許してよお」
再び始まった仲良し姉妹2人の掛け合い。
その光景を穏やかな気持ちで見守りながら、今日の朝感じた期待が間違いではなかったことに私はとても安堵しました。
思っていた通り、これからしばらく退屈することは無さそうです。