まほと逸見姉妹の話。モブキャラも1名あり。
時系列としては3話と1話の間。
誤解されがちではあるが、日々厳しい練習に励んでいる我が黒森峰戦車道チームも一日の全てを戦車道につぎ込んでいるわけじゃない。
乗員や車両の疲労度合を無視した過剰な練習は事故や怪我の大きな原因になりかねないし、いくら練習場が居住区から距離があるとはいえ、早朝深夜に戦車を稼働させれば騒音問題は避けられないので、練習時間は遅くとも20時までと厳密に定められている。
勿論練習後に車両を使わない自主トレーニングに励む隊員は大勢いるものの、宿題や授業の予習復習、それに洗濯といった身の回りのことをする時間も必要なため、ほとんどの隊員が21時頃までには帰宅の途についてしまう。
つい数時間前までは大勢の隊員が戦車を駆り、駆動音や砲撃の騒音が鳴り響いていた練習場も21時を回った現在となっては静寂と暗闇が広がる無機質な世界へと変貌を遂げ、ガレージでは闇の中にうっすらと浮かぶ武骨な戦車のシルエットが昼間の頼もしい姿とは打って変わって、不気味な様相を呈している。
そんな異様な空間に私は姉さんを連れて足を踏み入れていた。
「さすが黒森峰は違うね。いっぱい戦車があって羨ましい」
黒森峰の誇る戦車の一団がよほど魅力的だったのか、姉さんは目を輝かせて暗闇に隠れた戦車を遠目に見つめていた。
私も黒森峰に進学した時はこの力強い戦車の数々に圧倒されてのを覚えているし、戦力層が薄いであろう無名校チームに所属する姉さんが羨望の眼差しを向けるのも理解できる。
でも、姉さんには悪いけど今は戦車を見ている場合じゃない。
「ほら、姉さん。戦車は後で好きなだけ見せてあげるから行くわよ」
無理やり手を引っ張って先へ進もうとしたところ、姉さんは少し名残惜しそうな表情を浮かべていたものの、観念したのか「約束だからね」と呟いて、私に手を引かれるまま後ろをついてくる。
私達が目指しているのはガレージ最奥の隊長室。
そこで姉さんを西住隊長に引き合わせるのがこんな夜遅くにわざわざガレージを訪れた目的だ。
本来であれば明後日から始まる短期編入生のスケジュールは明日早朝の連絡船で黒森峰に到着。その後、午前中に編入の手続きと学園施設の見学を行い、午後の練習前に隊長及び指導担当者である私と顔合わせ。そのまま練習を見学するというスケジュールになっていた。
これが誰とも知らない赤の他人なら何も問題が無かったのに、編入してくるのが姉さんとあっては話がまるで違ってくる。
私と姉さんは一卵性の双子で多少の表情の違いこそあれ、基本的には瓜二つ。
しかも、私は双子であることを周囲には知らせていない。
寮で姉さんと遭遇した直下と雛芥子の慌てようからもわかるように大勢の前に姉さんが姿を現したとしたら間違いなく大騒ぎになる。
第一、悪戯好きで私になりすますような姉さんを誰も存在を知らない状態で黒森峰に解き放っておくなんて想像するだけでも恐ろしい。
せめて西住隊長にだけは事前に事情を説明しておく必要がある。
そう考えた私は携帯電話で連絡して訪問の許可を取ることにした。
さすがに「今度編入してくるのは私の姉で、実は一卵性の双子なんです」なんて衝撃的な告白を電話で口にしてしまうのは憚られたので、「短期編入生のことで大事な話があるので本人を連れて行っていいでしょうか?」と少しぼかして伝えたところ、幸いにも隊長から「まだ隊長室にいるので構わない」とお許しが得られたので、こうして2人して深夜の隊長室まで足を運んできたというわけだ。
夜も更けた遅い時間ということで、寮からガレージに至るまで他の隊員にも出くわすこともなかったのは不幸中の幸いだった。
もし途中で誰かに遭遇していたら、どれだけ足止めを喰らうかわかったものじゃない。
「いい姉さん? これから西住隊長に会ってもらうけどくれぐれも失礼の無いようにしなさいよ。私のフリをして隊長に接するようなことは絶対しないこと。いいわね?」
ガレージ奥の扉から各部屋を繋ぐ廊下へ進み、隊長室まであと少しのところまで来たところで姉さんにこれでもかというくらい念を押す。
隊長なら姉さんが私になりすましたとしてもすぐに見破ってくれるだろうとは思うけど、ただでさえ、姉さんが編入してくることによる混乱で少なからず隊長に迷惑をかけてしまうことは確定事項なのだから僅かでも迷惑の種は減らさなくてはならない。
「ひどいなあ、エリちゃん。言われなくてもそんなことしないってば」
「当たり前でしょ。隙あらば私になりすましてたような人を信用できるわけないじゃない」
「もう、私だって西住隊長にはずっと会ってみたかったんだからね? お姉ちゃんとしてちゃんと挨拶するに決まってるでしょ」
そう言い切る姉さんの表情はいつもの緩んだものではなく、私のように少し強張った顔に変わっていた。
綻んだ笑みの多い姉さんも真剣な時はこのような表情になるので、少なくともさっきの言葉に嘘は無いように思える。
不安が無いわけでは無いけど、今は姉さんを信じよう。
「私が先に入るから呼んだら中に入ってきて」
隊長室の前まで来たところで姉さんに待機の指示を出して少し後ろに下がらせる。
説明も無く2人同時に部屋に入ると隊長を驚かせてしまうので、まずは私が先に隊長と話して双子の姉がいることとその姉が今回の短期編入生であることを伝えて、その後に姉さんと実際に会ってもらって混乱が起きるであろうことへの説明と一緒に今後の軽い打ち合わせをする。
そういう段取りになっているので、姉さんには少し廊下で待っていてもらうことにした。
いざ部屋に入ろうとはしたものの、何せ隊長にも秘密にしていたことを打ち明けるのだ。
姉さんも緊張しているように私も緊張で少し手が震えてしまう。
ドアの前で何度も深呼吸をして手の震えを緩和させてから、ノックをしようとドアの前に手をかけようとしたところで、隊長室の扉が当然開いた。
「……え?」
驚きのあまり後ろに下がってしまった私の目に入ってきたのは操縦手として隊長と共にティーガーⅠを駆る3年生の先輩だった。
「あれ、副隊長早かったね。もう片付け終わったから中に入っても大丈夫だよ」
いくつかのお皿とカップの載ったお盆を抱える先輩を見て私は事情を察する。
世話焼き気質の先輩は隊長と親しいこともあって、隊長に夕ご飯を差し入れに来ることが多く、私も何度かご相伴に預からせてもらったこともある。
たぶん、私が連絡した時は隊長との夕食が終わった頃ぐらいで、来客が来ると聞いて慌てて片づけを始めたのだろう。
急がせてしまってすみませんと謝罪すると先輩は「いいのいいの。気にしないで」と落ち着いた様子で返してくれた。
「わざわざこんな時間に大変ね。短期編入生を連れ来るって隊長が言ってたけどその後ろの子が……え?」
私の後方を驚愕の表情で見つめる先輩。
視線の先には真剣な面持ちを崩さない姉さんがどうしたものかと待機を続けていて、先輩から見ればドアを開けたらいきなり私が2人いるようなものだから驚くのも当然だ。
それにしても、部屋の中には隊長1人しかいないことを前提としていた計画だったので、先輩が残っていたのは完全に計算外だった。
「……なにこれ怪奇現象?」
隊長ほどでは無いにしろ、落ち着いた性格の先輩からしてもよほど衝撃的だったのか事態を正確に把握できていないようだった。
「私の姉です」と説明しようとしたところ、先輩は大慌てで隊長室に舞い戻ってしまい、中から「まほちゃん、大変大変! 副隊長がなんか分裂してる!」なんてとんでもない言葉が聞こえてきた。
確かに分裂したのは間違いないけどそれは生まれる前の話だ。
それにしても落ち着いた先輩ですらここまで取り乱すとなると他の同級生や後輩たちがどのような対応を取るのか不安が掻き立てられる。
加えて、些細なことではあるものの、先輩が普段隊長のことちゃん付けで呼んでることに少し驚かされた。
「エリカ、一体何があったんだ?」
先輩の様子に只ならぬモノを感じたのか、隊長も急いだ様子で隊長室から出て来てしまう。
しかもタイミングが悪く、この騒ぎにどうしたものかと姉さんも前に出てきてしまったため、事前な説明をした上で行うはずだった対面の予定は大幅に狂い、隊長は真横に並んだ私と姉さんに鉢合わせることになってしまった。
そして、私達姉妹を見た瞬間、隊長は私が今まで見たことも無いような驚愕の表情を浮かべ、まるで石のように固まってしまった。
本来であれば、私がすぐにでも事情を説明して隊長の動揺を鎮めなくてはいけないはずだったにも関わらず、隊長のあまりの驚きっぷりに気が動転してしまい、動き出すことが出来なかった。
「あの……西住隊長大丈夫ですか?」
ある意味、第三者だったのが功を奏したのだと思う。
動転することなく、すぐに動き出すことができた姉さんが隊長を心配して声をかけてくれた。
それで少し隊長も落ち着いたのか、「心配をかけてすまない。少し驚いてしまった」と反応を返してくれる。
「事情は大まかにだが把握した。確かにこれは重要な案件だ」
先ほどまでがウソのように隊長がすぐ普段の落ち着いた雰囲気を取り戻してくれたことにはホッとしたものの、私としては隊長を驚かせないように説明を進める予定がまさかの事態になってしまった申し訳なさでいっぱいだった。
「本当にすみませんでした。まさか私もこんなことになるとは思わなくて……」
「むしろ謝るのは私の方だ。あんな風に驚くのは失礼だった、本当に申し訳ない」
私の不手際から起きた事態だと言うのにこうして気を遣ってくれる隊長の優しさが身に沁みる。
隊長は全国大会以降見せてくれるようになった満面では無いけど人を安心させてくれる柔らかい笑みを浮かべながら――
「ようこそ黒森峰女学園へ。短い間だが、戦車道について存分に学んで今後の糧にして欲しい」
何故か私の方に握手をせんとごとく手をかざしてきた。
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かざされた手に冷静さを失った脳が悲鳴を上げる。
明らかに隊長は私と姉さんを間違えている。
本来なら私がかけるべき心配の言葉を姉さんが先に言ってしまったので、たぶん隊長は姉さんのことを私だと認識してしまったのだろう。
普段であれば表情の違いで間違いなく判別もつくだろうけど、今の姉さんは緊張のためか、穏やかな笑みでは無く私とほぼ表情が変わらないので違いがわかりにくい。
先ほどの私が隊長にかけた言葉も、私からすれば「姉さんのことを説明する前に隊長と会わせて驚かせてすみません」という意味合いだったのに隊長からすれば姉さんが「妹が普段お世話になっているのにこんな風に驚かせてすみません」という意味に捉えられた可能性が高い。
「いや、その……あのですね」
手を握ることもなく、慌てふためく私に隊長は怪訝な顔をしてくる。
どうしたものかとふと視線を姉さんに向けるとあちらも対応に困っている様子が見て取れる。
隊長の面子を守るためにこのまま私が姉のフリをして押し通すことも一瞬頭を過ったものの、このあと長時間3人で話すことを考えれば正直なところ騙し通せる可能性は0に等しい。
心苦しい行為に胸が張り裂けそうになったが、その場しのぎで誤魔化そうとする方が隊長に対する裏切りだ。
「あの隊長、大変言いにくいんですが……その……私、エリカです」
「……え?」
私の意を決した告白に隊長はみほがよく見せるようなキョトンとした表情を浮かべたと思うと私と姉さんの顔を交互に見比べ、姉さんに「エリカじゃないのか?」と問いかける。
「……はい。いつも妹がお世話になってます」
姉さんが重苦しく口を開くと隊長は間違えてしまったことがよほどショックだったのか私の方に顔向け「すまなかった」と呟くと顔を俯けてすっかり暗い面持ちに変わってしまう。
「き、気にすることなんてありませんよ。うちの両親だってたまに間違えるくらいなんですから、こんなの慣れっ子です」
「そ、そうですよ。間違えられるなんて双子のアイデンティティーみたいなものなので気にする必要なんてありませんから」
「気休めはいい。いつも一緒にいるエリカを見間違えるなんて、謝っても謝り切れない過ちだ……」
姉さんも援護に加わり、必死にフォローしようとするも隊長の表情は重いまま変わらない。
色々な偶然が重なったことによる間違いとはいえ、まさか隊長がここまでショックを受けるなんて思わなかった。
「悪いのは双子だって隠してた私です。だから、元気出してください。お願いですから」
結局、姉妹2人で必死の呼びかけを続けたにもかかわらず、隊長の落ち込みっぷりは直ることなく、冷静になった先輩も加わった3人がかりの説得でどうにか元の隊長に戻ってくれた。
そして姉さんが編入してから数日間の間、隊長が私に声をかける前に必ず一呼吸置くようにしていたのはまた別の話。