軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その①

 大洗女子学園の図書室で、梓は本を読んでいた。冷房によって作り出された涼やかな空間は、今が夏であることを忘れさせる。夏の風物詩とも言える蝉の鳴き声、緑や土の匂いが感じられないことも、夏を忘れさせる一因となっていた。

 そんな中で、梓は本の細かい文字を懸命に目で追っている。両肘と本を机の上に立てて、余程面白いのであろうか、その表情には笑顔が見られた。

 

「『上杉謙信で見る義の精神』ねえ……梓ちゃん、最近こういう本ばっか読んでるね」

 

 何が面白いのとばかりに言ったのは、あゆみである。折角の休みの日だと言うのに、かれこれ二時間近くは、梓の読書に付き合わされていた。いや、付き合うことを決めたのは自分であるし、強制されてるわけでもないので梓に非はないのだが、愚痴の一つぐらいは勘弁してほしい。机を枕代わりに、ぐったりと視線を右に左に動かすと、何冊かの本が視界に入って来た。どれもこれも『上杉謙信』の名前入りの本ばかりだ。

 

「そりゃあ、彼氏の事が書かれた本だからね。面白いに決まってるじゃん」

 

 あゆみの漏らした言葉に、口角をニヤリと上げたのはあやだ。揶揄い気味の口調であゆみに答えたかと思えば、意識は隣で本を読んでいる梓に集中していた。

 あやもあやで、最近の趣味として梓弄りなるものを楽しんでいた。梓の恋人であるみほのことで揶揄うと、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にするのが楽しくて、思わずやってしまうのである。今回も、梓の反応に期待を寄せる。

 だが、梓はあやの揶揄いを、本に夢中でまったく聞いていなかった。ページをめくることにいっぱいで、あやの期待する反応はない。

 

「ちぇっ……」

 

つまらなそうにあやは舌を打った。

 

「もう、あやちゃん。梓ちゃんに意地悪するのはやめなよ~」

 

 あやの向かいの席で本を読んでいた優季が、苦笑しながら本を閉じた。こちらはさして本に熱中していたわけではないらしく、あやたちのやり取りをしっかりと聞いていたようだ。

 閉じた本を机に置いて、硝子窓の奥に広がる大空を眺める。悠々と浮かぶ雲、眩い太陽、吸い込まれそうな青々とした空、これを見ると、今は確かに夏だった。

 

「夏だね~、アイスが食べたいな~」

 

「アイス!?」

 

 アイスという単語に桂利奈が喰いついた。先ほどまで、梓の読んでいた本を借りて、その難解さに回していた目を、これでもかと輝かせている。

 その背後に、いつの間にかふらりと姿を消していた沙希も、ぼうと立っていた。彼女もアイスという単語に惹かれて戻って来たのだろうか。こちらも心なしかわくわくとしている。

 

「賛成。異議なし、異論なし。そうと決まれば早速行こう」

 

 きびきびと席を立つあゆみ。彼女は特にアイスが食べたいわけでもなかったが、現状の退屈を紛らわせるということで行く気になっている。

 こうなって来ると、あやも拒否するという選択肢はなかった。言われてみると食べたくなるもので、肯定的意見を出しておく。

 こうしてアイスを食べに行くことになったのだが、梓のみ残して行くことになった。声を掛けても、

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 と、おざなりな返事しか返って来ないからだ。アイスを食べるよりも、こうして本を読んでる方が良いらしい。一応、メモ書きだけ残してから、あやたちは図書室を後にした。

 それから梓が本を閉じたのは、時計の針が半周したころである。読後の余韻に浸りながら息を吐くと、そこで、気付けばあやたちが居なくなっていることを認識し、机に置いてあったメモ書きに目を通す。

 

「そう言えば、アイスクリームを食べに行くとか言ってたっけ。まあ、良いや。別の本、読もっと」

 

 読み終えた本を置いて、別の本に手を伸ばす。

 その本の表紙には『上杉謙信の後継者、直江兼続』と記されていた。

 梓は上杉謙信の本だけでなく、この直江兼続の本に関しても色々と漁っていた。何だか、自分に当てはまる人物のような気がしてならないのだ。隊長の座を譲られた身の上、つまり梓はみほの後継者なのである。謙信の真の後継者と呼ばれている兼続に学ぶところは多い筈だ。自他ともに謙信と同一視しているみほの後を継いだ梓としては、他人とは思えない。

 早速、本を開こうとしたその時、梓は声を掛けられた。

 

「隣の席、良いかしら?」

 

 どこかで聞き覚えのある声だ。

 自然と声のした方向に視線を移せば、そこに居たのは見覚えのある人物である。みほと共通した眼裂の長い瞳、銀を紡いだような髪、半袖だから見える引き締まった腕。それはここにいる筈のない人物だった。

 

「逸見、エリカさん」

 

「こんにちは、澤梓さん。それで隣は空いてるかしら? 見たところ空いているようだから、失礼するわね」

 

 梓の答えを待たずに、エリカは隣の席に座った。そうして、重ねられた本の山から一冊手に取ると、団扇代わりに軽く仰ぐ。額やうなじにはうっすらと汗が浮かんでおり、暑い暑いと愚痴をこぼした。お嬢様然とした容姿ながら、妙に動作が様になっている。

 どうして黒森峰のエリカが大洗にいるのだろうか。唯一理由になりそうなみほは、既に黒森峰に帰っているというのに。遊びに来たと言っても、特段大洗には物珍しいものはない。

 暫く梓が頭を悩ませていると、エリカが小首を傾げた。

 

「どうしたの? それ、読まないの?」

 

「えっ?」

 

「いや、えっ? じゃなくて……と言うかあなた、ふふ、隊長も随分愛されてるわね」

 

 梓が手に持つ本、積み重ねられた本、そして団扇代わりにしていた本を見て、微笑ましそうな表情がエリカの顔に浮かんだ。

 今度はきっちりと聞こえていた。咄嗟に下を向く梓。恥ずかしさで頬を赤くする。

 

「初々しいわねぇ。そう言えば、あなた一人なの? 隊長から聞いた話では、友達がたくさんいて、大体一緒に行動してるって聞いたけど」

 

 未だ恥ずかし気な梓は、上目遣いに問いに返した。

 

「皆は、アイスクリームを食べてくるって」

 

「ふ~ん。暑いからってアイスを食べるのは感心しないわね。知ってる? アイスってものすごく糖分が入ってるのよ。と言うのも、人の舌は冷たいものの甘みを感じにくくさせるからなんだと。戦車道やってるし、というか女の子なんだから、そういうところは気を付けた方が良いと思うのよね、私は。まっ、偉そうに言いつつ、ついつい私も食べちゃうんだけど」

 

 おどけた風にエリカは舌を出す。

 見た目より取っ付きやすく、おちゃめなところがあり可愛らしい人だと梓は思った。恥ずかしさも、ついでに緊張感もなくなったので、真っすぐエリカの目を見てから言った。

 

「あの、みほさんはお元気ですか?」

 

「隊長? そりゃあ、もうバリバリ元気よ。相変わらず直ぐ怒るんだけど、怒声が記憶にあるものより二割ぐらい増してるのよね。この前、まほさんが隊長を揶揄った時なんかは、本当に龍が咆哮したって感じで凄かったんだから。でも、日常が帰って来たんだなって思うと、何だか嬉しくなっちゃって、うっかり隊長を止めるの忘れちゃってね。まほさん、涙目よ。おかしいったらありゃしないわ」

 

 梓はその光景を頭の中で想像してみた。まほの涙目はちょっと想像出来ないが、みほの怒り顔は鮮明に浮かんで来る。自分はそこまで怒られた印象はないけれども。

 すると、突然頭の中のみほが爽やかな笑顔になった。笑顔の先には梓がおり、みほは梓の名前を優しく呼ぶ。

 

『梓、今日もお前は美しいな。済まぬ、私は我慢弱いのだ』

 

 力強くみほに抱きしめられ、そしてお互いの顔が近付き、

 

「うふふ、みほさん」

 

 頬に両手を当てて、梓は左右に首を振った。

 

「何を想像したのかは大体察するけど、あなたは想像力が豊かなのね」

 

 この想像、と言うより妄想までも微笑ましいと感じるようなエリカではなかった。

 

「はっ!? いや、これはそのぅ」

 

 エリカの心配と不審が入り混じった眼差しに、血液が梓の頭の方へ駆け上る。思わず声が上ずってしまった。またもや頬を赤く染めるのだが、今度は耳元まで真っ赤に染まる。

 

「なるほど、まあ、秋山さんたちがいるから、そんなにつまらないことはないと思っていたけど……ちょっとこれからが楽しみになって来たわね」

 

 あうあうと口を開閉する梓を見ながら、エリカはおもむろに立ち上がった。その際に、本を元の位置に戻すことを忘れない。

 

「貴重な時間を私とのお話に使ってくれてありがとう。悪かったわね、読書の邪魔をして。私はもう行くから」

 

 エリカは梓が手に持っている本の表紙に視線をやってから、

 

「これから短い間になるけどよろしく頼むわね、山城殿。じゃあね」

 

 片手をあげて、歩き去って行った。

 梓も遅れてエリカの背に手を振り、見送る。

 

「山城殿、か」

 

 エリカが言った山城殿とは、直江兼続の通称である。山城守という位にあったことから、そう呼ばれていたのだ。梓としては、そのように呼ばれるのは満更ではない。

 

「そうだよね、みほさんが謙信公なら、やっぱり私は兼続公。これからもっともっといっぱい勉強して、兼続公みたいな人になるんだ」

 

 決意を新たに梓は本を開いた。

 

「そう言えば、短い間になるけどよろしくってどういうことだろう?」

 

 一瞬疑問を浮かべたが、本の内容が気になる梓は直ぐに疑問を頭の中から消して、文字の世界へと入って行く。そして部屋が閉まるまで、梓が椅子から離れることはなかった。

 


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