軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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劇場版 軍神の系譜
プロローグ


 その日は休日であった。黒森峰に帰還して初めての休日であり、エリカを自宅に招いて、久方ぶりに二人きりでの食事を楽しんでいたのだ。

 みほが黒森峰を離れて以降、どんな出来事があったのかを互いに話し合って、笑い合って、心地の良いひと時を送っていた。そんな時である。二人の水入らずの時間に、水を差し込んで来た客人の姿が見えたのは。突如鳴らされたインターホンに会話を中断させられると、エリカが応対するため憮然と席を立った。

 

「折角話が盛り上がって来たところだったのに……隊長、私が行きます」

 

 隊長。エリカはみほをそう呼んでいた。また、エリカに限ったことではなく黒森峰機甲科はみなそう呼ぶのだ。みほが帰って来て直ぐ、前隊長であったまほがさっさと手続きを済ませて、自身の地位をみほに譲り渡したのだ。

 決勝戦が終わって隊長を譲ると宣言したまほだが、早々にその宣言内容を実行に移したのである。故に、大洗に引き続いて黒森峰でも、隊長の座にみほは座ったのだ。

 暫くして、客の応対に出向いていたエリカが、緊張の色を顔に浮かべて戻って来た。何かあったのか、とみほが訊ねる前に答えが現れる。

 

「やあ、みほ君。事前に連絡もなく、またお友達と食事中に訪ねて来てすまないね。君が礼儀に欠けることは蛇蝎の如く嫌っているのは重々承知しているが、どうしても君の顔が見たくなったんだ。少しの間、お邪魔しても構わないかい?」

 

 エリカの背後より現れたのは、中年の男性であった。前髪を左右にきっちりと分けて、上下スーツを着こなし清潔感に溢れている。勿論、鼻下や顎鬚、口髭の剃り残しはない。実年齢よりも若々しく見えて、美男と言っても良かった。

 客人の姿を認めたみほは、さっと立ち上がり衣服を整える。御見苦しいところをお見せして申し訳ないと言いたげに、バツの悪そうな顔で出迎えた。

 畏まるみほに男性は笑った。

 

「何をそんなに改まるんだ。私と君の仲じゃないか。もっと気楽にしてくれ。それはそうと、都合の方は大丈夫なのかい? もし悪いならこのまま帰るよ。君の顔を見るという当初の目的は果たせたわけだからね」

 

 とんでもないことだ。そんなことをさせるわけにはいかない。

 客人は辻廉太という名前なのだが、彼には文部科学省学園艦教育局長という肩書があった。学園艦を統括している、みほにとっては雲の上の存在である。そればかりか、日頃親しく付き合いがあり、可愛がってもらっているという自覚があるため、無下には出来ない。

 このまま帰すだなんてことは許されないことだ。

 

「ハハ、何を仰せられますか。いやいやようこそお運びくださいました。今、見苦しいものを悉く片付けますので、少々お時間のほどを」

 

 急いでテーブルの上の食事をみほが片付けようとする。みほだけにはさせまいとエリカも片付けに加わろうとしたが、辻が二人を止めた。

 

「いや、そんなに気を遣う必要はないと言うのに。ああ、みほ君、一つ聞きたいことがあるのだが、その料理は誰が作ったのかな?」

 

「私でございますが……」

 

 何とも歯切れの悪い回答であった。辻の視線の先には、大皿にこんもりと盛られた二口、三口程度の大きさのハンバーグが載っている。エリカの好物であり、こんがりと程よい焼き目が付いていて、作った自分でも美味そうだった。実際に食したら美味かった。

 このハンバーグに何か問題でもあるのだろうか。みほが不安そうにしていると、辻は浮き浮きと弾んだ声で言った。

 

「そうか、君が作ったのか。良ければなのだが私にも食べさせてもらえないだろうか。こうして良い匂いを嗅いでいると、お腹が空いてきた。勿論、タダとは言わない」

 

 土産がある、と持っていた大きめの紙袋より辻が取り出したのは、一本の酒瓶だった。勿論、空ではなく中身が入っている。みほと、二人のやり取りを見守っていたエリカは顔を青くして狼狽えた。ちょっと待ってほしい。

 文部科学省学園艦教育局長という地位にあるものが、学生の家に酒を持ち込んだ。これがマスコミに知られればとんでもないスキャンダルである。辻は無論のこと、みほやエリカもただでは済まないだろう。軽率なことをする、とみほは辻の好意が苦々しかった。

 とは言え、中々値が張りそうな酒である。まあ、辻ほどの男であるから、マスコミ対策などは抜かりがない筈だ。ここ最近は一切飲んでいなかった酒であるし、無類の酒好きであるみほが、苦々しく思っても辻の好意を拒否するわけはなかった。

 

「頂きましょう」

 

 三人でテーブルを取り囲んだ。みほの前には杯が、エリカと辻の前にはコップがそれぞれ用意されており、土産の酒が並々と注がれている。

 みほは喉を鳴らして一杯目を飲み干した。大変美味な酒だ。辻とエリカが一口飲み終えるまでに、さらに二杯飲み終えた。そうして酔いが出ていない顔で食事を摘まむと、また杯に口をつけた。

 

「もう少し味わって飲まれてはいかがですか?」

 

 このままではみほが、土産の酒を全て胃に流し込んでしまいかねない。しかめっ面と苦笑い半々の顔でエリカが声をかけると、うっとりとした声音で答が返って来た。顔に酔いはなかったが、声には酔いが出ているようであった。少し高音だ。

 

「ちゃんと味わって飲んでおる。それに美味い酒とはこうして飲むのが正しいのだ」

 

 この返答が面白かったのか、辻は愉快そうに大口を開けた。アハハ、アハハ、と軽快な響きは聞いている方も同様の気持ちとなり、エリカも思わず口元を緩める。

 それなりの時間、三人は酒と料理に舌鼓を打って、エリカのコップの中身が半分ほどになった時、辻がこのような話を切り出した。

 

「そう言えば、恋人が出来たらしいじゃないか。おめでとう、みほ君」

 

 正直な話、割かし付き合いは長い辻だが、みほに恋人ができるなどと欠片も思っていなかった。彼女自身が恋愛に興味を持っていなかったのもそうだが、そもそも彼女が己の恋人として認めるような人間が現代にいるとは思っていなかったのだ。

 そのような人間は数百年以上の時代を遡るか、テレビ画面の中にしかいないものと断定していた。それがこうして現代で見つかって、しかも女性である。世の中は狭いようでいて、広くもあるのだなあ、と感心を抱いていた。ともあれめでたいことだった。

 

「あれほどの者と巡り合えた私は、当代一の果報者でありましょう。地獄に仏、堪えがたき人身を受けて生まれたものの、梓の存在あるならば然程の苦痛でもありますまい」

 

 上機嫌でみほは口を開いた。酒が入ると口数が多くなる彼女であるが、今日はいつも以上に口のすべりが良好なものと見えて、夢中で梓のことを話し続けている。くどいほどに梓がどれほど素晴らしい女性であるかを話しているのだが、珍しい惚気話だけあって、エリカと辻は飽きずに耳を傾けていた。

 

「私も恋人が欲しいわ」

 

 ほうっと息を吐きながら、エリカが虚空を見上げる。みほが幸せそうに恋人のことを話しているのを聞いていると、自分も途端に欲しくなってきたのだ。

 その呟きを耳聡く聞き取ったみほが、ふわふわとしたことを言い出した。

 

「エリカには姉上がおるではないか。互いにまんざらでもあるまい。何なら私がお膳立てしてやるぞ。然様なことになれば、エリカは我が義姉となるのだな。こいつは良い、さらに酒が進むというものだわ、ハハ、ハハ」

 

 確かにエリカにとってまんざらでもない話だ。まほと愛を語らい、みほとの姉妹仲を深める。想像が捗ると酒が美味くなるもので、エリカの酒を飲む速度が、目に見えて速くなった。

 こうなってくると、辻も男として負けられないと酒を飲み続ける。

 飲むことに関しては、三人が三人とも人には負けないと思っていたから、ぐいぐいと器を傾けてはグビリと喉を鳴らし続けた。

 

「おや、酒が無くなってしまったようだね」

 

 三人でいくらでも飲み続けていれば、一瓶などものの直ぐであった。だが、これで終わるわけがない。辻の残念そうな声に反応したみほは、おもむろに席を立つと別部屋から新たな酒を持って来た。三人は酒盛りを再開する。

 時計の針が二周した頃、みほが杯をテーブルに置いて、辻の顔を見た。

 

「そろそろ頃合いかと思われます」

 

 何のことかな、と辻は言わなかった。来るべき時が来た、という風に顔を引き締める。

 やはり何かあったか、とみほは思った。辻は多忙な人である。自分の顔を見たい、自分と酒を酌み交わしたい、そんな理由で突如訪ねて来るとは考えられなかったのだ。それなりの話があると睨んでいたが、どうやら正解らしかった。一旦酒を止めて、辻の話を聞く。

 

「単刀直入に話そう。八月三十一日を以て、大洗女子学園は廃校になる。みほ君……君や大洗女子学園の生徒たちには大変申し訳なく思っているよ。約束を果たせなかったのは、偏に私の力不足が招いた結果だ。済まない」

 

 戦車道の大会において、大洗女子学園が優勝を果たせば廃校を取り消す。辻は大洗女子学園生徒会長の杏とそういう約束を行っていた。口約束ではある。しかし約束は約束であり、その約束を守れなかったのだ。

 思いがけないことだった。が、みほの頭は至って冷静さを保っていた。

 辻は本当のことを話している。酒に酔った末の戯言ではなく、真面目な話なのは表情を見れば分かるものだ。本来、約束事を破った辻に対して、然るべき怒りを覚えなくてはならないのに、そんな気は微塵も起きない。黙って頷くに留まった。恐らく、話に先がある。腹を立てるのは話の先を聞いてからでも遅くはない、という考えだった。

 事実、辻の話は続いた。

 

「しかし、このままで終わらせる気はない。私は何とかして、大洗の廃校を取り消してみせる。今回の問題には、私よりもさらに上の人間が動いている。一筋縄ではいかないだろうが、必ずやり遂げてみせるよ。ついてはみほ君、お願いがあるんだが、今回の一件、君には大人しくしておいてもらいたい」

 

「何ですって?」

 

 また驚かされた上に、今度は少しムッと来た。大人しくしていてほしいとは、つまり今回の一件から手を引いてほしいということである。

 そんなこと出来るわけがなかった。大洗の者たちが廃校の取り消しが無理だったと知れば、再び阻止するために動き出す筈だ。そしてみほに助けを求めて来るだろう。みほとて約束をしたのだ。杏には大洗を救うと、他の者たちには助けが必要だったらいつでも助けると約束した。辻の要求はこれらの約束を破れと言っているに等しい。無理な話だ。

 

「何故、私を遠ざけようとするのです。訳を伺わないでは、首を縦に振るわけにはまいりません。納得の行く訳をお教えくださいませ」

 

「君は自分が思っているより影響力が強い。今回の一件で君が表立って動けば、事はさらに拡大しどんな展開になるのか予測がつかないんだ。勘違いしないでほしいのは、時が来れば君の力も貸してもらうということだ。だからその時が来るまで、お願いだ。いや、お願いしますよ、西住みほ君」

 

 みほと親しい友人の辻廉太ではなく、文部科学省学園艦教育局長としての頼みだった。これでは拒否することなど不可能と言っても過言ではない。友人としての辻にならやんわりと断りを入れることも出来たが、文部科学省学園艦教育局長としての辻となれば。

 けれども杏たちと交わした約束を破りたくはない。それはそれで嫌だった。

 

(致し方あるまい。こう言われてしまっては、私は何ともすることは出来ん。だが約束は果たさねばならん。ふむ、良い方法を思いついた。これならば、問題は無い筈だ。後は、梓に任せることにしよう)

 

 深く悩み抜いた末、みほは一つの結論を出した。

 

「委細承知致しました。時来るまでは、黒森峰で吉報を待つことに致します」

 

「済まないね」

 

「いえ、しかしこれぐらいの手助けはお許し願います。エリカ、済まぬがお前に頼みごとがある。こういう事情で私は動けぬから、どうか大洗に力を貸してやってくれ」

 

 辻は何も言わなかった。それなら認めるということだろう。

 自分が動けない以上は、他の人に頼むしかない。エリカならば自分の望む以上の働きをしてくれるであろうし、大洗の者たちとも上手くやるに違いなかった。

 みほはエリカに全てを託したのだ。

 

「お任せください、隊長。きっと、貴女の心を煩わせることはないでしょう」

 

 コップの酒を飲み干し自信満々の表情を浮かべるエリカに、みほはこの上なき頼もしさを覚えるのであった。

 

 


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