試合開始の合図が出て、直ぐに動き出したみほとは反対に、まほは開始地点から一歩も動いていなかった。動かざること何とやら。彼女は偵察に向かわせる者を選別し指示を出したきり、後は黙って情報が来るのを待っていた。
そして大洗勢が207地点に登り陣を構築したという情報がもたらされると、閉ざされていた口をおもむろに開いた。
「あいつめ、何を考えている……」
高地に陣をとった。それの意図するところは、単純に考えれば高地を天然の要害と成し、押し寄せる自分たちを見下ろし圧倒するというもの。こちらが力ずくで攻略に掛かれば甚大な被害を被るばかりか、撃退されるやもしれない。なるほど、基本的だからこそ油断のない作戦である。だが、
「みほだぞ」
まほは訝しさしか感じなかった。
このような戦術の教科書を少し齧ったような戦法をみほが採るだろうか。確かにそれが有用ならば執るだろう。しかし、引っ掛かる。直感とでも言うべきか。あのみほのこと、別の意図があるように思えるのだ。
すると、新しい情報がまほに寄せられた。207地点に陣取ったみほに次の動きが起こったという。通信越しに聞かされたまほは、眉間の寄せた皺をさらに深いものとした。
「尺八だと?」
『その通りです。副隊……敵の隊長西住みほは、大変に機嫌よく尺八を吹いて遊んでいる模様です。他の者たちはその尺八に聞き入りながらも、どこか呆れた様子が見受けられます』
尺八。確かにみほは尺八が上手である。暇があれば尺八を吹いたり、琵琶を弾いたりしていた。だが、試合中にやったことは一度もない。
何かある。みほが尺八を試合中に吹くことに、何か意味がある筈だ。
その時、エリカの声がまほの耳に届いた。
『隊長、私、副隊長が何をなさりたいのか分かったかもしれません』
「本当か? 聞かせてくれ、エリカ」
まほが先を促すと、エリカはまさかと思いながらも、みほならやりかねないというような気持ちのこもった声でまほに言った。
『恐らくですが、再現なさっているのではないでしょうか』
「再現? 再現……あっ!」
まほは気付いた。確かに、みほならあり得ない話ではない。
再現である。この時、まほの脳裏には今回の決勝戦のキャッチフレーズが浮かんでいた。それは、決着! 川中島決戦!! というもの。つまりみほが再現しているのは、
「あいつは、第四次川中島合戦を再現しているのか!?」
で、あった。
第四次川中島合戦。上杉謙信と武田信玄の一騎打ちという伝説があった戦いと言えば、多少分かる人もいるのではないだろうか。
では、この戦いの何をみほが再現しているのか。謙信は第四次川中島合戦で、妻女山という山に布陣した。そうして川中島を見下ろしながら、茶臼山という地に陣取った信玄の動きを、琵琶を弾いたりしながら悠々と眺めていたという。
「なるほどな。あいつらしいことだ。観客の期待に応えてやろうというわけか」
みほが戦いにおいて芸術家的気質があることは、以前述べた通りである。自分の戦いを見ている者たちの心を如何に捉えるか、こういう一種の遊び心のようなことも、みほにとってみれば十分な戦術であった。現に、まほたちが知る由もないが、観客たちはみほの行動に大いに盛り上がっている様子である。
「面白いことをする。流石はみほだな」
と、まほは賞賛の言葉を送る。
ならば、黒森峰が採るべき戦術は啄木鳥の戦法であろう。第四次川中島合戦で、武田軍が採った戦法である。啄木鳥が獲物を捕らえる時、獲物が潜む木の穴の反対側をつつき、獲物が驚いて穴から出て来たところをパクリとするのだ。啄木鳥の戦法とは、部隊を二つに分け、一つの隊で敵の後方を衝き、逃げ出して来たところを待ち伏せしていたもう一つの隊でパクリとするという戦法だ。みほが過去の戦いを再現するような行動に出たならば自分たちも、
「まっ、今は第四次川中島合戦でもないし、私は武田信玄本人でもないから、みほの誘いに乗ってやる理由が欠片もないんだな、これが」
とはならないのが、まほである。みほとは正反対に現実主義者なまほには、遊び心などというものは存在していない。極論、観客なぞどうでもいいし、相手が奇抜な行動を起こして来たとしても、冷静に対処するだけである。
それでは、高地に陣取ったみほに対してどうするべきか。相手は、堅固な城に立て籠もっているようなものである。孫子に曰く、攻城戦を行う場合は十倍の兵力が必要だ。近代戦となると違うかもしれないが、無視していいことではないだろう。
「正直、二倍程度の兵力差で十分な気もしないではないが、かと言って短絡的に総攻撃というのも考えものだ」
けれども、相手の動きが変化するまで睨み合うなんてことは出来ない。これが合戦であればそれで良いのかもしれないが、生憎と試合である。睨み合ったまま両校動かないとあったら、審判から警告が飛んで来るのは火を見るより明らかだ。
「誰でもいい、名案はないだろうか」
まほはマイク越しに意見を求めた。ここもまた、みほとは違う。
みほの場合、今はほんのちょっとだけ改善されたが、基本は独断である。自分一人で決めて、決めた案を伝えて、それを実行に移す。他人の意見など一切求めていない。同意も反対も別案も聞かず、ただこれこれこの通りにやれというだけだ。
一方で、まほは人の意見をよく聞いた。反対意見があれば改善をほどこし、別案がありそれが有用ならばそちらを採用することもある。優柔不断なわけではない。算盤を弾いて計算する回数が人より多いのである。
意見を求めると、総攻撃をするべきという案が多かった。戦車の質及び数の利から一番有効な作戦だと口を揃える。だが、まほはもっと別の意見が聞きたかった。故に他を促すと、総攻撃を反対する形でエリカが述べた。
『総攻撃をやるには少し早いかと考えます。敵の気力が盛んなうちは、ひたすらその気力を削ぐことに力を費やすべきです。さもなくば手痛い反撃を受けるでしょう。それに……総攻撃は副隊長が最も望むところです』
どういうことだろう。皆がエリカの発言の先を待った。
『副隊長は、一か八かの決戦を望んでいるのです。私たちが総攻撃に移れば、副隊長はフラッグ車、つまり隊長目掛けて遮二無二に攻撃を加えて来るでしょう。隊長は勿論のこと、皆も知っていることですが、あの方は天の意思、運命というものを信じています。そんな方ですから、命知らずなことも、あの方の中では必勝の算です。隊長が目の前に現れれば、必ずやるでしょう』
みほのことを知っているまほたちだから、エリカの発言は大いに頷けるものだった。高地に陣取ったのは、何も第四次川中島合戦の再現をするためだけではなかったのである。質と数に任せて全車高地に向かわせれば、みほは嬉々として駆け下って来るだろう。
冗談に出来ないほど、本当に天に愛されていると言いたくなるようなみほだ。もしかしたらが現実になると考慮したら、迂闊なことはやれない。ましてや慎重派なまほは、エリカの話を聞いて、総攻撃をしないことを決断した。
『だったら、フラッグ車以外で総攻撃をするのは如何でしょうか?』
このような発言が出ても、まほは首を縦に振らなかった。
まほには、みほの天運以外にも懸念することが内部にあるのだ。そのことが、気にかかってしまっている。それは、部隊内での連携のことだ。
元々、対立しあっていた機甲科生。みほが大洗に行ってからは、心を入れ替え協力し合うようになったのだが、如何せんそれぞれに戦い方の癖があった。まほ流の戦い方とみほ流の戦い方だ。その癖が連携の邪魔をしている。外から見ればきちんと連携し合っている様に見えて、見る人が見ればお粗末なところが多々あった。
総攻撃するとあったら、自分が直接指揮を執らなければ、その不十分な連携を衝かれて粉砕される危険性があった。このこともあって、総攻撃をしない決断をしたのだ。
「総攻撃はしない。そう決めたのだが、ならばどうするべきか」
他の案が思い浮かばない。これが相手がみほじゃなければ、さっさと電撃的に強襲して瞬殺しているところだと言うのに、味方の時は頼もしく、敵になると恐ろしい人物だ。
しばらく黙していると、一人、案を生じさせ出した機甲科生が現れた。
赤星小梅である。小梅は、言うとするならみほ派の筆頭格であり、黒森峰においてはまほやエリカ同様に、みほに信頼されていた。柔らかな眼差しと態度が心地の良い人物である。その小梅が口を開いた。
『隊長、私にヤークトティーガーを二輌程お貸し願えないでしょうか。多少の犠牲は払いますが、突破口を切り開いてみせます』
声音は相変わらずの優しさであったが、まほはその中に宿る覚悟と自信を読み取った。自分を除いて、当時もっともみほに近い人物であった小梅であるから、彼女の発言には興味がある。
「聞こう。小梅、詳細を頼む」
まほは、マイク越しの柔らかい声を一言も逃すまいと、集中を始めた。そうして小梅が語り始めると、有無もなく数回頷くのであった。