軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

45 / 57
その③

 試合開始時刻になると、会場の熱気はいよいよ上がるところまで上がろうとしている。可視化せんばかりの熱は、観客一人一人が小さな太陽のようであった。勿論、本物の太陽とて負けていない。天に座して小さな分身たちを見下ろし、これこそが真の光だとばかりに晴れ晴れと輝いている。

 そんな中にあって、大洗女子学園と黒森峰女学園の戦車道チームは、お互い緊迫した面持ちで向かい合っていた。誰一人身動きを取らない。いや、取れないと言った方が適切な表現なのかもしれない。

 大洗側は、初めて決勝戦という空気に触れて、緊張が著しいものとなっているように思われた。気付かず手足を震わせる者、音を立てて生唾を飲みこむ者がいる。

 対して、黒森峰女学園の緊張ぶりは大洗以上であった。彼女たちは一様に、不安や動揺、負い目を宿した視線をみほに向けている。平常ぶりを示しているのはまほだけだった。

 

「ちっ……これから試合だと言うのに何という面をしておるのだ」

 

 と、みほは苛立ちを露わにしている。彼女たちの気持ちが分からないみほではなく、逆に痛いほど心に響いて来るものがあるが、それはそれ、これはこれである。

 晴れの決勝戦だというのに辛気臭い表情をされると、こちらの気まで滅入るというもの。よもやそれが狙いではないだろうか。みほが黒森峰の実力を把握していると同時に、黒森峰とてみほの強さはよく理解しているところである。

 

(この私に本来の実力を発揮させないようにこのような癪な真似を……薄汚い奴らめ)

 

 そう思った。

 しかし、みほの脳裏に嘆願書に書かれた彼女たちの本音がよぎると、すぐ思い返した。

 

(いや、彼女たちに下賤な思惑は存在していない。ただ一途に私の事を思っているのだ。可愛い奴らではないか)

 

 物は言いようであり、気もまた持ちようである。

 みほは微笑を浮かべた。温かい笑みである。

 笑みを向けられた黒森峰女学園の少女たちは、表情を安堵の色に塗り替えた。安堵と共に、闘志も湧き出て来たようである。顔つきが勇士のものとなった。

 これで良しと、みほは審判に目で相槌を打つ。

 

「黒森峰女学園、大洗女子学園、隊長か副隊長、こちらへ来てください」

 

 大洗女子学園からはみほが進み出る。黒森峰女学園からはまほだ。審判の目前にまで足を進め、伸ばせば手が届くところまで二人は距離を縮める。みほとまほは、互いの鋭い瞳に視線を合わせた。

 

「みほ、ついにこの日が来たな。一日千秋の思いを胸に随分と待ちわびたよ。誰がこの日を想像していただろうか。無名校で素人だらけの高校が、こうして決勝戦に臨むことを。如何に率いるのがあの西住みほでも、と誰もが思っていた筈だ。だが、私は、私たちは想像し、確信していた。私たちの最後の敵は、お前なのだと」

 

 まほが口を開いた。最初の言い出し方は常日頃の冷静なものであったが、次第に感情が前面に出て来るようになっていた。胸の内から激する感情を抑えようと瞼を閉じる。

 みほも全く同じ気持ちになった。先ほどの黒森峰女学園の少女たちに対する気持ちはすっかりどこかへ行ってしまい、頭の中はまほ一色となっている。

 

「姉上、今日こそ勝負を決するぞ。私が強いか、姉上が強いか、二つに一つだ」

 

 きっちりと調子強く断言した。みほは全身に精気をみなぎらせ、陶酔的な快さを抱く。

 ここでタイミングを見計らったか、審判が決勝戦のルール説明に入った。決勝戦は、これまでの試合と変わらずフラッグ戦である。事前に分かっていたことだが、つくづく大洗にとってありがたいことだ。

 正直な話、殲滅戦になってしまっては大洗に勝ち目はない。

 みほも軽々しく勝てるなどと口には出来なかった。これが、相手が黒森峰でなければ、まほでなければ自信満々に胸を張るだろう。けれども、戦うごとに必ず勝利を収め、天下に対し悉く恐れ憚らない武勇の道を歩むみほにしても、まほだけはやはり別格なのである。

 自分と唯一対等で、同じ道を歩む女。みほにとって姉とはそういう存在だった。

 

「両校整列!」

 

 審判が声を張り上げた。

 すると、まほが拳を握り顎のあたりにまで上げて来る。意図を理解したみほも、拳を握ってまほの拳に軽く当てた。トン、と拳同士がぶつかり合った。

 そうしてから二人は踵を返し列に戻って行く。二人が列に戻ったのを確認すると、審判は挨拶の指示を出した。礼に始まり礼に終わるのが戦車道である。

 

『よろしくお願いします!』

 

 白練の布で行人包みにされた頭が、深々と曲げられた。

 

 

 

 

 礼が終わって直ぐ、大洗も黒森峰も審判の次なる指示に従って颯爽と戦車に乗り込む。乗り込めば向かう先はそれぞれの試合開始地点であるが、途中、優花里がみほに発言した。

 

「みほ殿、釈迦に説法とは思いますが、黒森峰は強大な戦車と鍛え抜かれた練度を以て、一気呵成に攻め立てて来るものと思われるであります。恐らくは森の中をショートカットして来るでしょう。そこを待ち伏せしましょう」

 

 右手に視線を遣れば、濃い緑の葉で単純に着飾った木々が見える。戦車が通れるかどうかと言ったところだが、黒森峰の練度であれば、平地と変わらない動きが出来るであろう。

 森を抜けて強襲して来る可能性は、黒森峰の戦い方を考慮すれば十分にある話だ。高火力にものを言わせて突っ込んでくるのは、みほがいた頃も暫しやっていた。

 だが、みほは首を横に振る。

 

「優花里の意見は道理のものだと私は思う。私とてその事を考えないでもなかったが、ちと別の事を考えた。優花里が申す戦術はまさに西住流の戦術であり、黒森峰でも常道の戦術である。姉上も西住流の人間であれば、かような戦術を取って来ると優花里が思うのは不思議なことではない。だが、姉上は他人が言うほど西住流に傾倒はしておらん」

 

「どういう事でありますか?」

 

 優花里が小首を傾げる。

 疑問は、優花里のものだけでなく、みほの肉声や咽頭マイク越しの声に聴き耳を立てていた者たちの疑問でもあった。

 

「先日、プラウダのカチューシャさんが姉上を武田信玄に例えておった。それを聞いた時、私の胸にすんなりと落ちた。思い返せば、姉上の根本となる戦い方は、信玄坊主と似ておる。一歩一歩、臆病なまでに準備を整え着実に、奇策だって使用する時は使用する。私ほどの者が相手なのだ。必ず、姉上は慎重に慎重を重ね過ぎな上で来る筈だ」

 

 まほの事を良く知るのは、やはり妹のみほを置いて他にはいない。そのみほがこう言っているのだから、優花里たちは納得する以外にはなかった。

 が、納得したは良いものの、新たなる疑問が生まれる。大洗としてはどういう戦術を取るべきなのか。勿論、みほはその疑問にも答えを出した。

 

「全車、207地点に押し上る」

 

 言われて履修生たちは試合会場の地図に目を通した。207地点は丘となっており、頂上にまで達すればそれなりの高地である。なるほど、ここに陣を構え天然の要塞と成し、黒森峰を迎え撃とうという魂胆か。履修生たちは理解したが、それは間違えだとみほに笑われた。

 

「そのような安全策の如き事を私は考えておらん。丘を確保するのは二つの理由がある。実質は一つなのであるが、まあお楽しみというやつだ。そうさな、一つだけ申せることは、やはり今回の試合でも思い切りが必要という事だ」

 

 みほはこれ以上語らなかった。

 とにかく207地点を確保すべし。履修生たちは互いに確認し合う。

 そうこうしている内に、審判が試合開始の合図を出す。空を花火が彩ると、大洗勢はみほの指揮の下に行動を起こした。二キロ以上の道のりを障害なく駆ける。

 

「やはり出て来なかったか」

 

 みほは自分の予想が当たって嬉しそうである。

 何事もなく丘につき、今度は頂上を目指した。この時もまた苦も無く登りきると、大洗勢は丘から見下ろすように戦車を配置につけ一息つく。丘の下には、黒森峰の戦車の姿は見えない。

 

「それで、ここからどうするの?」

 

 沙織が振り返りみほを見る。

 何やらごそごそと足元をあさっていたみほは、目的のものを探し出したのか子供のようなうきうきとした表情を沙織に向けた。

 向けられた沙織は、驚きを通り越して呆れている。沙織だけではなく、華も、麻子もそして優花里も開けた口が閉じらない。

 

「今、試合中……」

 

 そんな沙織の呟きが聞こえているのかいないのか、みほは手に持ったものを口元に近づけた。そうして涼やかに奏でられる音色。沙織たちは初めて聞く音色だったが名前は知っており、華は何回か聞いたことある音色で思わずポロリと言った。

 

「これは……尺八ですか?」

 

「私は琵琶以外にもこれが得意だ。小鼓があればもっとそれらしくなって風情があったのだがのう」

 

 みほは心底残念そうに眉を顰めた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。