大洗の進軍は遅々としたものであった。少し進めば偵察を出すという用心深さに加えて、雪上ということもありいつもと勝手が違うのも要因の一つである。所々に存在する丘陵を登るのに苦戦しながら着実に一歩一歩進んで行った。
みほはキューポラより上半身を出して、周囲を警戒する。双眼鏡を用いてプラウダの戦車が雪に紛れたりはしていないか注意深く観察していると、視界に三輌のプラウダ戦車が飛び込んで来るのが見えた。
「偵察か?」
呟くと同時に砲塔が向けられ、ドオンと重たい破裂音が轟く。飛来する砲弾は大洗の戦車近く、高々と積もる雪を一瞬で抉り取った。
これで、大洗の履修生たちもプラウダ戦車の存在に気付く。驚きの声は上がるが、狼狽えている様子はなかった。
「たった三輌で我らに挑むか……何を企んでおるのか知らぬが、望み通り相手になってやろう」
みほは迎え撃つように指示を出した。
長砲身となったⅣ号戦車とⅢ号突撃砲が砲撃を加える。砲弾はプラウダの車輌を的確に捉えて、見事に白旗を掲げさせた。真白な世界に映える黒煙が、空に立ち昇り溶け込む。この煙が二本視認出来ることから、ニ輌の戦車を撃破したと分かった。
「T‐34を二輌撃破しましたね。幸先の良いスタートではないでしょうか」
優花里が嬉しそうに言った。
その言葉にみほは素直に頷くことが出来ない。何か胸に引っ掛かるものがある。それが何なのかは不明だが、無視して良いものではなさそうだった。
考えている間に、残りの一輌が逃走を図ろうとする。履修生たちは追撃することを通信越しにみほへと進言して来た。
『西住ちゃん、追撃しよう。みすみす逃す必要はないって』
「ふむ、よろしいでしょう。追撃します」
これには素直に頷いた。
大洗は逃走する戦車の追撃に掛かった。隊列を崩さず、雪を踏み鳴らして、まるで山が動くように揺るぎない前進を続ける。
追撃して行くと、待ち構えるように数輌の戦車が行く手に姿を現した。逃走していた戦車は反転、これらの戦車に合流して大洗を迎え撃つ態勢に入る。
「撃てぇ!」
みほは号令を掛けた。
大洗が砲撃すると、プラウダ側も反撃する。数の上では互角であり、壮絶な撃ち合いになると思われたが、プラウダはあっという間に潰走を始めた。この撃ち合いで、プラウダはさらに二輌の戦車を失った。
『弱すぎるぞ、何だこれは!?』
信じられない、と桃は驚愕した。こちらに被害は皆無だが、既に四輌の戦車を撃破している。強豪校の一角にしては何という手緩さであろうか。
通信では、桃のようにプラウダの弱さに驚く声や、拍子抜けしたとでも言いたげな気の抜けた声が飛び交う。
『これでサンダースと同格なのか』
『なんかもう楽勝だよね~。ストレート勝ちしちゃったり?』
『私たちが強すぎるんじゃないの』
みほは通信の声を聞きながら考える。
(確かに、他愛ないぞ)
だからこそおかしい。
昨年戦った時はこんなものではなかった。この程度であれば、内輪もめしていようが負ける筈がない。かと言って、たった一年でこれほどまでに弱体化したとあらば、準決勝にまで上り詰めることはないだろう。何かある。
みほが考えていると、頻りに皆が追撃するべきだと言って来た。これだけ弱いのなら慎重になる必要はない。一気に攻め潰してしまおう。
勝ちを確信したような通信越しの声は、みほの胸の引っ掛かりを解いた。同時に、手に取るようにプラウダの手の内が読めた。
(なるほど、なるほど。私たちを招き寄せて包囲し、悉く討ち取る心づもりであろう。弱兵ぶりはこちらを油断させるためのもの。確かこの先の窪地には廃村があった筈。そこでノコノコ釣られる私たちを待ち構えておると見たわ)
間違いないだろうと腹の底から笑いたくなった。
だが惜しいかな。プラウダの策はみほの想像した通りの策であったが、察知するのが少し遅かった。僅かの時間の差が、これからの展開を定める。
みほがプラウダの罠を明かそうとした時、怒声のような声があがった。
『西住! 何をチンタラしているんだ! このままでは敵のフラッグ車が逃げてしまうぞ! 早く追撃の命令を出せ! ええい、お前が出さないと言うのなら、私が出す! 全車、敵を追うぞ! 進め!』
指示を出したのは桃であった。
潰走するプラウダ戦車の中には、フラッグ車が混じっている。フラッグ戦はフラッグ車さえ倒せば勝ちなのだ。むざむざとこれを逃がすという手はない。
桃の指示に従ったのは、彼女の乗車する38tとⅢ号突撃砲に八九式中戦車。主に試合前の作戦会議で、慎重論ではなく速攻論を語った者たちだ。
『ごめん、西住ちゃん! だけどあれさえ倒してしまえば、私たちの勝ちなんだ。勝手は重々承知だけど、行かせてもらうよ!』
これに息を呑んだのは、みほ以外の追撃に加わらなかった者たちである。気持ちは分からなくもないが、明らかな独断専行だ。
「皆、引き返して! みほはそんなことを言ってないよ! 戻って!」
沙織が通信機に向かって怒鳴るも、追撃する者たちは喚声をあげていて沙織の通信に気付いていない。例え気付いたとしても止まらないであろうが。
自分の言葉では止まらない。どうするべきかみほの指示を仰ごうと、沙織が小窓から顔を出してみほを見た。その時、みほは怒りを超えた悲しみの表情を浮かべて、じっと黙って前方を見つめていた。沙織はその表情に何も言えなくなる。
『みほさん、どうしますか?』
代わりだとばかりに、緊迫した様子で梓が訊ねた。
返答はなかった。
暫くすると、遠くから間断のない砲撃音が聞こえて来る。どうやら追撃した者たちがプラウダの罠に嵌ったようだ。
「皆、聞こえる! 大丈夫だったら返事をして!」
『うわッ!』
沙織の通信に、返って来るのは爆音と悲鳴だけである。何とかしたくはあったが、どうにも出来はしない。無事を祈る以外に沙織が出来ることはなかった。それは沙織以外の者たちも例外ではない。みほもただ沈黙を保っている。
轟く砲撃音は鳴り止むことを知らなかった。すると、砲撃に晒されている者たちから通信が入る。
『西住ちゃん、聞こえる?』
声の主は杏だった。
弱々しくも切羽詰まった声で、追撃した後何が起こったのかを杏は話す。
潰走するプラウダを追撃した杏たちは、廃村に進入した。そこでフラッグ車を見失ったかと思えば、四方八方を完全包囲される形で敵が出現。散々に攻め立てられるも、命からがら何とか脱出し、廃れた教会の中に逃げ込んで、現在籠城中とのことだ。
『ごめん。こんなことになって何と詫びれば良いのか分からないけど……本当にごめん』
『会長は悪くない。全ては私の責任だ。西住、済まん』
涙ながらに杏と桃が謝罪をする。
よもやこのようなことになるとは思っても見なかった。恣意的な行動を取った挙句に敵を倒したならまだしも、戦況を危機に陥れてしまったのだ。謝罪だけで許されることではないが、謝罪をする以外はない。二人に続く形で、他の者たちも先を争うように謝罪の言葉を口にした。
その謝罪の言葉にみほはため息をつく。
よくも勝手なことをしてくれたなという怒りのため息か、この愚か者どもめがと失望のため息か。杏たちの身体が震えあがった。
しかし、このため息の意はそのどちらでもなかった。怒りも失望もなくはないが、仕方のない人たちだなというため息である。
みほは、別段杏たちを責めるつもりはなかった。勝たなければ廃校。そのことを考えれば、桃の越権行為も焦燥に駆られたものであることは分かる。勝たなくてはという想いが先行したのであろう。それにきちんと心の底から謝罪をしてくれたのである。心を打たれたと言ってもよく、至って穏やかな気持ちだった。言い訳、開き直りをされれば決して許しはしないが、反省心を持つならばその限りではない。
「怪我はありませんか?」
この言葉も穏やかな気持ちの表れであった。
『へっ? いや、だ、大丈夫だよ』
予想していた反応と違う。火山が噴火したように怒鳴り散らして来ると思っていたのに、みほは優しく気遣って来た。しどろもどろに杏は答えるしかない。
そうですか、とみほは頷き返事を送った。
「堪えて下さい。今からそちらに合流します」
『えっ? あちょっ――』
杏の返信を待たずして、みほは通信を切った。
それから梓たちへと鋭く言い放つ。
「今も敵の猛攻に杏さんたちは晒されています。彼女たちの自業自得とは言え、これを見殺すことは戦力的にも、心情的にも出来ないでしょう。私たちはこれより、彼女たちの立て籠もる教会へと駆け入って、救出します」
みほがそう言いわたすと、先ず返事をしたのはみどり子である。
『私は西住さんに従うわよ』
みどり子の返事は大多数の返事であったが、救出しに行くという決断を危ぶむ者たちも当然いる。軽率に過ぎるのではないか。今回の戦いは慎重にやると決めていると言うのに。代表として梓がみほを止めに入った。
『みほさん、お気持ちは分かりますし、仰ってることもごもっともなことと思います。ですけど早まってはいけません。いくらみほさんと言えども危なく、無謀極まりないかと思います。ここはもう少し様子を見て何か手立てを考えた方が――』
「それでは遅い」
梓の言葉にみほは被せる。
「梓さん……いや、梓。お前は私のことをよく分かってくれているが、それでも完全には理解していないようだな」
『何を仰るんですか……!?』
「上杉謙信とはどのような男か……西住みほとはどのような女か……義とは何であるか……戦いに多少の犠牲は付き物である。それを知らぬ私でもなく、時に犠牲となるよう指示を与えることもある。だが、今回はそのような指示を与えた覚えはない。私の心は決している。止めるな」
こうまで決意の固さを示されてしまえば、梓も口を閉じるしかない。みほを信じて付き従うだけである。
他に止めようとする者はいなかった。みほは早速実行に移す。
みほの指示に従い、Ⅳ号戦車、M3中戦車リー、ルノーB1bisが前進を開始し、そうして一丸となって廃村へと突入して行った。