軍神!西住不識庵みほ   作:フリート

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その⑤

 二回戦も大洗が制した。太陽は西に沈み始め赤々と天を染めようとしている。

 思った以上に長い時間、緊迫した状態が続いたとあって、大洗もアンツィオも疲労がこれでもかと溜まっていた。誰もがこのまま地面にどさりと横になりたい気分であった。

 そうしたいのは山々だったが、最後にやるべきことが残っている。お互い残りの力を振り絞って向かい合い整列し、ありがとうございます、と一礼を相手に送る。これで本日は終了ということで、大洗はさっさと帰路に着こうとした。早く帰って休みたいという気持ちを、各々行動に表す。

 みほも、久方ぶりにここまで疲れた、と顔や態度に表さないまでも疲労を確かに感じながら帰ろうとした。

 

「ちょっと、待ってくれないか」

 

 帰ろうとするみほたちをアンチョビが止めた。一体何の用かとみほが振り向くと、もう一度同じ言葉をアンチョビは言う。

 そして、何か指示をアンツィオ戦車道部員に与えた。するとアンツィオ戦車道部員は、途端に元気を取り戻し機敏な行動を始める。これにはみほも驚きを隠せない。どこにこんな元気を残していたのだろうか、と黙って様子を見守る。準備は一瞬の間に終わった。

 

「さあ、座ってくれ」

 

 準備されたのは様々な料理だった。パスタにピッツァと言ったイタリアを連想する料理の数々。どれもこれも大皿にたっぷりと盛られている。湯気が立ち昇り、風に乗って美味そうな匂いが漂って来た。何のつもりかまったく分からない。

 アンチョビが胸を張って説明した。

 

「アンツィオでは、試合が終われば対戦相手やスタッフを労う意味で、宴会をするのが流儀なんだ。そういうわけで遠慮せずに食べて行ってくれ。味は一級品だぞ。そこら辺の店で食べるより断然美味いから」

 

 ということらしかった。

 いきなり食べろと言われても困ってしまう。みほはどう対応しようかと頭を悩ませたが、最終的にはご馳走になることにした。押しつけがましいと言えばそうだが、折角作ってもらったのだから、礼儀として一切手を付けないというわけにはいかないし、何より腹が減っている。これほど美味そうなご馳走を前にすると、腹がうるさくて仕方がない。黙らせる意味でもアンチョビのお言葉に甘えさせてもらおう。

 

「どうぞ」

 

 案内されるままに、大洗の戦車道履修生たちも席に着いていく。彼女たちとて腹が減っている。食べて良いと言うのなら遠慮はしない。

 全員が席に着いたのを確認すると、アンチョビは前へと出る。

 

「諸君、今日はお疲れ様! さて、話したいことは山ほどあるが、こういう挨拶を長引かせるのはよくない! なので何も言わない! それから大洗の諸君は、遠慮せずに今日の宴会を楽しんでいってくれ! それじゃあ、いただきます!」

 

 いただきます、と声を合わせて大合唱すると、早速、みなが我先にと食事に箸をつけていく。みほもどれから食べようか迷っていると、隣の席にアンチョビが座って来た。

 

「先ずは一杯」

 

「これは恐れ入ります」

 

 みほのグラスに注がれる飲み物。透き通った色をしている。どうも、ワインではなさそうだった。日本酒か何かだろうか。一口、喉を鳴らした。

 

「何だ、ただの水ではないか」

 

 どうやら酒ではなく水だったようだ。アンチョビが先ずは一杯などと言うから勘違いしてしまった。久方ぶりの酒だと思っていたと言うのに。少し残念に思いながらも、いつも飲んでいる水より大層美味く、二口目でこれを一気に飲み干す。喉の渇きが潤った。

 

「おお、良い飲みっぷりだな」

 

 水に飲みっぷりもくそもあるかと思いながらも微笑して返す。

 

「お返しに、私からも献じさせていただきましょう」

 

「おっ、ありがとう」

 

 アンチョビは自らのグラスで水を受けて、一息に呷った。

 飲み干したグラスをテーブルに置いて、アンチョビはみほに笑い掛ける。

 

「今日は負けたよ、完敗だ。どうやら傲慢だったのは私だったらしい」

 

 嫌味かはたまた皮肉か。随分と女々しい奴だとみほは気分が悪くなった。男女に限らず、女々しい人は嫌いである。ねとねと湿気を帯びたような性格は、無性に身体を掻きむしりたくなるのだ。

 だが、誤解があるとするならば、アンチョビはそういう性格とは無縁な人物であるということ。彼女自身はからりと晴れのような性格をしている。そう言った意味では、みほと近しい性質の人間だった。

 先の発言とて深い意味はなく、見事だったとみほを、大洗を誉めているだけのことである。みほは何の邪気もないアンチョビの笑顔でそれに気付き、邪推したのを恥ずかしくなって、自分のグラスに水を注ぎ誤魔化すように口をつけた。

 

「あの時は私も言葉が過ぎました」

 

 苦笑してこう返すより他はなかった。

 

「傲慢なのはお互い様だったってことか、わははは!」

 

 如何にも愉快で堪らないといった風に、アンチョビは腹を抱えて笑った。

 みほは一層のこと苦笑を深くした。

 

「さあ、食え食え。よく見たらまだ一口も食べてないじゃないか。のんびりしていると直ぐになくなっちゃうぞ」

 

 周りに視線を向ければ、宴会は始まったばかりだと言うのにもう空になりかけの大皿が見受けられる。随時補充はしてくれているようだが、確かにこのままでは何も食べれず仕舞いになってしまいそうだ。

 みほも適当に小皿に移して食事を開始した。

 匂いで分かっていたことだが、やはり美味い。箸を持つ手がそれなりに動く。あくまでそれなりに。もともと、みほは少食なのである。食べるより飲む方が好きだ。周りの大洗やアンツィオ生のごとく、がつがつと胃袋を満腹にするのではなく、腹を大人しくさせればそれで良しぐらいの感覚だった。なので、いつもの食事より少しばかり多めに食すと、みほは食事を止めた。

 

「もう良いのか? まだたくさんあるぞ」

 

「はい。十分に堪能させて頂きました。大変美味でありましたので、いつもよりも多く食してしまいました」

 

「ふ~ん。もっとたくさん食べるイメージがあったが、意外にも少食なんだな」

 

 アンチョビはみほの少食ぶりに驚いてはいたが、追及することはなく、別の話題に話を移した。

 

「ところで西住、ああ、こうすると姉と被るな。みほと呼んでも良いか?」

 

「構いませんが」

 

「では、改めて、みほ。私たちは今日戦って、大洗が勝ち、アンツィオが負けた。それで負けた身としては、勝ったお前たちに是非とも優勝してもらいたい。だから、一つだけ、警告と言うか助言をさせてもらえないだろうか」

 

「それはありがたいことです。是非ともお聞かせ願えないでしょうか」

 

「よし、ならば言うぞ」

 

 姿勢を正したアンチョビは、最も真面目な表情を作り、目線をしっかりとみほに合わせて、きっぱりと言い切った。

 

「次の試合、このままだとお前、負けるぞ」

 

「何ですって?」

 

 思わずみほは訊き返した。

 またもや戯言を弄したなと身体に熱がこもって来る。美味い食事で気分が良かったのを、一気に吹き飛ばされた。顔が熱い。

 

「それだ! お前が負ける敗因は」

 

 アンチョビが赤く染まったみほの頬を指さす。

 

「今といい、試合が始まる前に私と話をした時といい、お前はあまりにも気が短過ぎる。ちょっと自分を馬鹿にされただけで直ぐにカッとなるその性格、どうにかしないと、次のプラウダ高校との試合は絶対に勝てない。断言する」

 

 まともに話を聞く気になったのだろう、みほは身体の向きをアンチョビの正面に持って来る。お互いに向き合う形となって、アンチョビは口調強く続けた。

 

「いいか、よく聞けよ。プラウダ高校の現隊長であるカチューシャは、お前と相性が最悪だ。あいつは人を見下し馬鹿にすることを生きがいにしているような女だ。間違いなく、お前のことを見下し嘲笑ってくるだろう。そもそもお前の癇癪持ちは有名な話だ。生きがい云々がなくとも狙ってくる」

 

 緊張の色がみほの赤ら顔に付加される。

 

「それだけじゃあないぞ。お前の周りにも侮辱を加えてくる筈だ。その時、お前は堪えきれるのか? 自分を侮辱されて、姉を侮辱されて、大洗を侮辱されて、黒森峰を侮辱されて、西住流を侮辱されて、西住家を侮辱されて、極めつけには、母を侮辱されて……お前は冷静にいられる自信があるか?」

 

 想像したのだろうか、みほの眼裂の長い、刀のような瞳が見開かれた。眩いまでの輝きを放っている。厳しく引き結ばれた口元、膝の上に置かれた拳が震えを見せて、形相は恐ろしいことになっていた。侮辱など、無論、黙ってはいられない。

 アンチョビは続けて言う。

 

「プラウダとはお前も因縁があるだろう。そのことも含めて、お前は冷静に戦えるのか。その様子を見れば、無理そうだな」

 

 その通りだった。想像の嘲弄(ちょうろう)だけでこれほどまでに激怒していては、実際ではどれほどのことになるだろうか。アンチョビの懸念通り、憤怒の感情に突き動かされて無理な指揮を執った結果、

 

「いくらお前でも、カチューシャは冷静さを欠いて勝てる相手ではないぞ。負けるだろうさ。それもこの上なく無様に、な」

 

 今度は、内訌(ないこう)があったからなどという言い訳は通用せずに、負ける。

 みほはハッとした顔になった。赤々と湯気を出さんばかりだったのを、死人のように青白くする。はっきりと最悪の未来がみほには見えた。

 頭が冷えたのか落ち着きを取り戻すと、みほはアンチョビの両手を握って、深々と頭を下げた。

 

「お言葉、感謝いたします。貴女の言葉を聞かぬままであれば、私は末代までの恥を世に残すところでありました」

 

「気にするなって。言った通り、私はお前たちに勝ってほしいんだ。ただそれだけのことで、ここまで感謝されることでもないよ。極論、私のためであってお前のためじゃないんだから」

 

「この御恩は必ずお返しします」

 

「大げさだなあ。まっ、何か私が困った時は、遠慮なく力を貸してもらうぞ」

 

「はい。その時は、必ず」

 

 晴れやかに笑うと、みほは身体の向きをテーブル側に戻し、再び箸を手に持った。

 

「あれ、もう食べないんじゃなかったのか?」

 

「いえ、今日はもう少し食したい気分になりましたので」

 

「そうかそうか、だったらもう一杯」

 

「でしたら、私からも」

 

 お互いのグラスに水を注ぎ、二人はグラスを軽くぶつけ合うと、揃って飲み干す。それから気分良く話に花を咲かせた。余程に気分が良いのだろうか、みほは酔ったように顔を赤く染め上げるのであった。

 

 

 


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