無線傍受機を通してみほの声が聞こえなくなった。この事態が示すところは無線傍受機の露呈である。その事実を知らされたアリサの心中は至って平静だった。狼狽一つも見せずに、やはりという気持ちが強いようだった。
「流石ね。無線傍受機の存在を悟るなんて」
とは思ったものの、いささか予想していたより早く見つかっているのも確かだ。そのことに関しては残念な気持ちを隠せはしない。けれど見つかるところまでは想定内である。だからこそアリサに焦りの色が見えないのだった。
「見つかったところで私たちが不利になるのかと問われればその通りではないわ。依然として私たちが有利よ」
勿論理由がある。無線傍受機の存在を察知した大洗は無線による通信は出来ない。なぜならば作戦が丸聞こえだからである。とするなら、大洗は通信なしで戦わなくてはならず、それはみほが指揮を執れない。各々で勝手に戦わなくてはならないということなのだ。
みほが指揮を執らないのならアリサに恐れるものはない。一輌一輌確実に仕留めていくだけである。みほも彼女の乗る戦車一輌だけなら敵にしてもそこまで問題ではないのだ。
三部隊それぞれに散り散りになっている大洗戦車の探索をアリサは指示する。
さらに念のために無線傍受機も作動させておく。よもや通信を使っては来ないだろうが、万が一ということがあるのだ。用心に越したことはない。
万全の状態を保っておいてからアリサはサンダースの通信が入るのを待った。
時計の秒針が一周ほど回ると、アリサの耳に人の声が聞こえて来る。
『全車輌、ジャンクションに集結して下さい。そこに身を伏せ、北上して来た敵を左右よりの攻撃で粉砕します』
聞こえて来た声はサンダースの仲間たちではなく、驚くことにみほの声である。
通信を傍受されていることに気付いておきながらどういうことだろうか。本当は無線傍受に気付いていないのか。そんな筈は無い。みほほどの人物が気付かない筈は無いのだ。ではこの通信にはどういった意図があるのだろうか。
アリサは考えて、閃いた。
「これは罠よ。私たちを誘い出そうとしているに違いないわ」
みほの意図をアリサはこう捉えた。偽の情報を流しノコノコとやって来たところ、別の場所に潜ませていた戦車たちで一撃を加えようというものだと。これは別の通信手段を構築したと判断するべきだ。本当の作戦は別の通信手段で伝えているのだろう。その通信手段とはおそらくだが携帯電話。携帯電話のメール機能を以って通信手段としているのだ。
そんな手に乗るものかとアリサは思ったし、馬鹿にするなとも思った。この作戦はアリサが無線傍受を見抜かれたことを見抜いていない前提がないと意味がない。とうの昔に見抜かれたことに気付いている。
「これを逆手に取ってやるわよ」
アリサは地図を広げてジャンクションの位置を確認した。そこから大洗の本来の伏せ場所を探り、ケイたちに指示を送る。
「隊長、聞こえてますか。0985の道路を進むとジャンクションがあります。そのジャンクションを一望できる高地だか丘だかに向かって下さい。大洗はそこにいます」
『オーケー。だけどさっきから本当に頭冴えまくりだよ? 何かしてない?』
無線傍受のことをケイは疑っている。ケイはまだ気づいていないようだが、これも時間の問題だろう。しかしこの問答を長引かせて時間を取るわけにはいかない。
「今日の私は調子が良いんです。それではお願いしますね」
と早々と無線を切った。
これで撃破したという報告を待つばかりである。
だけどここに来て妙な胸騒ぎがした。アリサはこれで正しかったのだと自分に言い聞かせて朗報に期待を寄せる。
短い時間が経った。
まだ報告はない。時間が時間だけに急く必要はないのだが、アリサの胸が高鳴る。
今度は短くない時間が経った。
そろそろ何か報告が来ても良い頃合いである。だけど何もなくアリサは段々と苛立ってきているのを感じた。焦慮も強いものになってきた。
「何故何も連絡がないの。もしかして私の読みが外れた? そんな筈はないわ」
こうなったらこちらから通信をとアリサが無線に話し掛けようとしたその時、背後から砲撃音が鳴った。
アリサが恐る恐る振り返れば、視線の先には砲塔を向けて来る八九式中戦車の姿が見える。何故こんなところにとアリサの思考は一瞬、二瞬と停止した。
八九式中戦車が背を向けて逃げようとすると、アリサは停止していた時間を取り戻すように生き生きと思案を始めた。
(私は読み違えたのね。先ほどの西住みほの通信は誘い出す罠なのは間違いなかった。だけど狙いは私と隊長たちを完全に引き離すため。これは私一点に狙いを集中して来ている。そしてこの八九式は、私を誘い出すのが目的。誘い出された先には敵の戦車が待ち伏せしており包囲される。これには引っ掛からないわよ)
アリサは操縦手に指示を出した。このままむざむざと、逃げる八九式中戦車を追えば馬鹿を見る羽目になる。ただ潜伏場所を明らかにされた以上いつまでもここにいるわけにはいかない。アリサの駆るシャーマンは八九式中戦車とは逆の方向に前進を始めた。
これで取りあえずは良しと安堵に胸を撫で下ろし、やがて、えっと顔色を蒼白に染めた。
「そ、そんな……何で」
潜伏場所を抜けた先にはいる筈のないⅢ号突撃砲とⅣ号戦車が待ち構えていたのである。
「策ばかり弄する者は、よく頭を使い、よく考える。それ故にいらんことまで考えて、無用な心配をし、結果このようなことになるのだな」
みほはこちらに走って来るシャーマンを見て満足そうに頷いた。自分の人物評価もそう捨てたものではないと思ったからである。
賭けであった。
もしアリサがみほの通信を傍受して、初めからフラッグ車だけに的を絞り始めたことを察して守りを固められたら負けていた。最初の作戦は各個撃破としていたため、それを読み取ったアリサも瞬時に、作戦を大きく変更したことを察せなかったのだろう。
もしアリサが八九式中戦車を馬鹿正直に追いかけていたらそれでも厳しいものになった。アリサが予想した通り、ジャンクション近くの丘には38tとM3中戦車リーがいる。フラッグ車を撃破するために九輌の敵を引きつけておく足止め役だ。間違いなく撃破されるであろうから三対十、八九式中戦車を撃破されれば二対十である。これで勝つのは奇跡を期待しなくてはならない。
事はみほの描いた通りになった。
賭けに勝ったのである。
「今こそ敵のフラッグ車を討ち取る時よ」
数の利がある上、完全に不意をうった。この機を逃す理由はない。
Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車の砲塔がアリサのフラッグ車を捉える。
時間を掛けていては丘のニ輌を撃破した残りの九輌に合流されてしまう。みほが砲撃の合図を下そうとした瞬間、通信手の沙織が窓から顔を出してみほに叫んだ。手にはこの試合限りの通信手段である携帯電話を持っている。
「みほ! 38tとM3からだよ! 【やられた てき ろく】だって!」
やられたと書かれつつやられる直前ぐらいに送って来たものであろう。内容の【てき ろく】を瞬時に理解したみほは眉間に皺を寄せて、
「撃てぇッ!!」
と、急かすように荒い声をあげた。
どうやら思っている以上に猶予がないようだった。
丘の方に敵が六輌しか来ていないのなら残り三輌は……しかし遅かったようである。
Ⅲ号突撃砲とⅣ号戦車のそれぞれの砲手である左衛門佐と華が指示を受けて砲撃し、爆音が大地を揺るがすと、Ⅲ号突撃砲が吹き飛んで、Ⅳ号戦車の近くでぐるぐると回転し白旗を上げた。
「おのれ、ここに来てッ」
みほは歯軋りして新手を見つめた。思いもかけないことだ。シャーマンが二輌にファイアフライが一輌。大地を揺るがさんほどの爆音はファイアフライの砲撃らしかった。シャーマンの車長の一人はケイであり、ファイアフライの砲手はナオミである。
何故ケイたちが現れたのかと言えば、これはケイの直感だった。蟲の知らせと言うべきか、何か嫌な予感のしたケイは自身と他二輌を率いてアリサを守るために来たのである。
そんなことを知る道理もないみほは、裏をかいたと思っていたらその裏をかかれたのかと膝を力の限り拳で打つと、
「だが勝つのは私たちぞッ!」
隙をついて逃げ出したフラッグ車を追撃しだした。これをさらに追いかけるケイたち。途中、八九式中戦車も合流し、Ⅳ号戦車の背後についた。大洗のフラッグ車であるⅣ号戦車を守るためである。
各車両の砲撃が絶え間なく続く。激しい追撃と砲撃。お互いのフラッグ車への砲撃が三度繰り返される。ついにはファイアフライとシャーマンの砲撃が八九式中戦車を捉えた瞬間、Ⅳ号戦車はみほの指示で止まった。
みほは咄嗟にこの試合二回目の賭けに出ることを決心したのだ。
一発である。逃げる敵フラッグ車が照準に入った瞬間を狙う。
これで決めなくては負けだ。
みほは自身の武運を信じ、何より砲手の華に信頼を向けた。
華は落ち着いた様子で照準器を覗いている。責任は重大であった。誰も邪魔しないように声も音も立てない。一撃に全神経を集中して、一瞬のタイミングを計って撃った。
Ⅳ号戦車が龍の一撃を砲弾という形で放出した。
砲弾は吸い込まれるようにアリサの駆るフラッグ車に着弾し黒煙を上げる。
黒煙が晴れていくとそこには純白の旗が風にはためいていた。
『サンダース大学付属高校のフラッグ車、行動不能を確認。よって、大洗女子学園の勝利』
ここにサンダース大学付属高校と大洗女子学園の一回戦が幕を閉じ、勝者と敗者が決まったのであった。