みほが集めた情報を基にアリサへの警戒心を強めているように、アリサの方もまた埋伏先でみほへの警戒心を存分に高めていた。
アリサはサンダースの頭脳である。作戦はいつも自分一人で考え、実行に移し、勝利をもたらして来た。決して天才などではなく、先人たちの知識を学び、ああでもない、こうでもないと悩み、必死に努力して己を鍛えて来た。その結果が、自分は並の人間ではなく出来る人間だとという自負に繋がっている。
その自負を抱えるアリサをしてみほは油断ならない。
みほは別格なのだ。一人の人間として彼女に勝てる存在などそうそういない。自分も勝てるのかと問われれば黙ってしまうだろう。勝てると断言したい。負けないと声をあげたい。でも無理だ。そう簡単に負けはしないだろう、ぐらいが限界だ。
不安だった。不安で不安でしょうがない。
原因の一つは隊長のケイだ。
「今回の試合、全力で楽しもうね」
ふざけるんじゃない。相手を誰だと思っているんだ。そんじょそこらの優秀と評価されている人間とはわけが違うんだぞ。楽しむ余裕などあるわけがないのだ。
問題はそれだけでなくケイがみほを見逃したという点である。みほ自らサンダースに乗り込んで来たのには驚いたが、それをケイが見逃したのにはもっと驚いた。地団駄を踏まされた気分である。捕まえておけば初戦の勝ちは確定していたのに、みほと戦いたいという理由で見逃したのには本気で腹が立った。
戦力はこちらの方が充実している。けれどもだから何だと言うのだ。聞くところによれば、聖グロリアーナを倒したと言うではないか。初めて一か月も経ってない素人集団を率いて、どうすれば勝てると言うのだろうか。自分が同じ立場だったら考えたくもない。
そしてそんなことを出来る人物を欠場させることが可能な筈だったのに。返す返すも口惜しい。自分がケイと一緒にいれば、と悔やむばかりである。
アリサは戦車の中で親指の爪を噛んだ。噛んだ爪から身体の震えが伝わって来る。
「大丈夫かしら。私の作戦は完璧な筈。だけど相手はあの西住みほ。もしかしたら、通用しないかも」
今回の作戦もアリサは一人で立てた。そしてアリサの見るところ、みほのようなタイプは独断で作戦を立てるに違いない。意見を聞くことがあっても、結局は自分で全部決める筈だ。ならばこの試合は、アリサとみほの一騎打ちとも言える。どちらの読みが優れているのか。
「上等よ、やってやろうじゃない。私を誰だと思っているのよ。私はサンダースの副隊長アリサ様よ。いずれ、サンダースの隊長となって、サンダースを日本一にする女。ここで西住みほを倒せば、私こそが日本高校戦車道ナンバー1。チャンピンオンよ」
自分に言い聞かせ、震える身体に喝を入れる。
試合は既に始まっていた。時間的にそろそろ最初の戦闘が始まる頃合いである。身体の震えを抑えたアリサは、自問自答の類を止めて試合に意識を集中させた。
その時、無線より隊長であるケイの声が届いて来た。前線で何か動きがあったようである。
『アリサ、敵がいたよ。B0885S地点、M3中戦車リーが一輌』
ケイが率いる一隊がジャングルの地点にて敵の偵察を見つけた。さらにケイによる報告は続き、M3はこちらを誘い込むように逃げているとのこと。そのまま追撃するということで、一旦報告は途切れた。
「分散させて各個撃破を狙ってるのね。実はそう見せかけてという可能性が無きにしも非ずだけど、ここは深読みしないでおくわ」
アリサは大洗の戦術を読み取ったが、別に驚きには値しない。大洗が採れる戦術は余程奇をてらわない限り二つしかないのだ。分散して各個撃破と隠れている自分たちに的を絞るという二つのみだ。サンダースの情報を根こそぎ持って行ったのだから、今回の試合で自分たちのフラッグ車が隠れ潜んでいるということに気付いているだろう。だからこそ、この二つである。如何にみほと言えど、選択肢はこの二つだけであったろう。
ちょっとばかし意外だったのは、みほが前者の戦術を採ったことである。映像や話を聞く限りでは、フラッグ車に狙いを定めて一気に決戦に持ち込みそうな人格なのだ。大方周囲に強く反対でもされたのか。それでも強行しそうなものだが、まあ、今は置いておこう。
「先回りして隊長たちと挟撃し、M3を早急に始末しなさい」
ケイとは別の隊にアリサは指示を出すと共に、この試合で用意した作戦を使う準備をした。情報は力である。事前では大洗に情報を奪われてしまったが、ならばこちらは試合の途中途中全ての情報を頂こうではないか。
この作戦こそアリサがみほに、大洗に勝つために立てた作戦。戦車道史上初めてであろうし、おそらくこの試合で禁止される。でも、まだ禁止されていない。だから使うのだ。
準備が整うと、アリサは全神経を右耳に集める。ここに大洗の情報が入って来るのだ。
アリサの作戦とは――
『……挟撃された? 落ち着いて梓さん。直ぐに増援を送るから今しばし辛抱しててね。八九式中戦車は南西より北東へと進んで下さい。私たちは合流しM3中戦車リーを救います』
無線傍受であった。財政的に余裕のあるサンダースだからこそ採れる作戦だ。これで大洗の動きは逐一筒抜けである。みほの、味方の危機にも全く動じていない冷静な声音が、アリサの耳をゆすぶる。
すぐさまアリサはケイに指示を送った。
「隊長。隊長の隊は今すぐ追撃を中止し、南西に向かって下さい。現れるであろう敵をそこで迎撃お願いします」
『オッケー。だけどよくそんなこと分かるね?』
冴えてるね、と付け足してケイは通信を切った。
実はアリサ、大洗の無線を傍受して盗聴していることを、ケイには伝えていなかった。何のことはない。絶対に反対されるからだ。
ケイは正々堂々、力と力のぶつかり合いが好きなのである。小細工や奇策を好まないのだ。ましてや無線傍受など許さないだろう。
「副隊長、本当に良いんでしょうか。こんなことやって」
無線傍受に対して少し思うところがあると言ったのは砲手であった。彼女も彼女でこれは卑怯なことじゃないか、とアリサに苦言を呈する。
けれどアリサはそう思わない。彼女にとってこれは卑怯でも何でもなく、数あるうちの作戦の一つなのだ。
「無線傍受はルールブックに禁止と記載されてないわ。だったらやっても何も問題は無いわよ」
卑怯というのはルールや決まりを破ることを指すのだ。アリサとてそんな輩は大嫌いである。戦いの類でルールを破る者は人として最低限の倫理を持ち合わせていない者というのがアリサの持論だ。そのような者たちと自分を一緒にしてほしくはない。
「隊長の気持ちも分かるわよ。戦車道は戦争じゃないって隊長はいつも仰ってるけど、まったく異論はないわ」
ケイに黙って無線傍受という作戦を採ったことは、ケイに対してアリサも悪いと認識している。勝敗よりもどれだけ楽しくやれるのかが大事というケイの考えも分かっているつもりだ。
でも、勝ちたいじゃないか。勝敗があるんだから、どうせだったら勝ちたいだろう。それにケイのことを含めた三年生のことを思えば、彼女たちはサンダースで一緒に戦車道をやるのは今年で最後だ。
勝たせてやりたい。優勝旗を掲げさせてあげたい。うれし涙で高校戦車道を締めくくって欲しい。
「それに、私は勝つ作戦を考えなくちゃならないの。責任があるから」
皆は自分を信じて作戦を一手に担わせてくれているのだ。この期待にも、応えなくてはならない。
そのためにも全身全霊でやる。今までの努力を全てつぎ込む。出来る事は何でもやって、サンダースに勝利という栄光をもたらすのだ。
「私は一切手を抜かない。全力でぶつかって、何が何でも勝利をもぎ取る。これが私の――正々堂々よッ!」
きっぱりとアリサが言い切った。
砲手の少女はアリサの心の内を聞かされて一瞬驚いた表情を作るも、直ぐに破顔して言った。
「あなたは最高のナンバー2です」
ナンバー1ではなくナンバー2。しかしながら、これは誉め言葉としてはナンバー1である。
正面から褒められて気恥ずかしかったのか、アリサは顔を紅潮させてふいっとそっぽを向いた。
(アリサなる者はただ者ではなかった。サンダースにおいて、最も警戒すべき相手はケイではなくやはりこの者だったのだ)
見事に手玉に取られている、とみほは思った。
心を見透かしているがごとく、先手先手を的確に打って来る。みほは初めての体験を味わっていた。
あまりにも敵が鮮やかな攻めを見せて来るものだから、みほは場当たり的な対応しか出来ず、それも完璧に対処される。あっぱれ以外の言葉は出てこない。
『西住隊長ッ! 何とかして下さいッ!』
追撃して来るシャーマン軍団からの砲弾の雨がⅣ号戦車と八九式中戦車に降り注ぐ。ケイの指揮の下で振るわれる力は勢いがあり、みほたちに反撃の隙を与えない。同じく勢いに定評のある八九式中戦車の磯辺典子も、今はただ悲鳴染みた声でみほに助けを求める以外になかった。
「ヘイヘイ、ドラゴンッ! 逃げてばかりじゃなくて戦ってよー!」
砲撃による爆音と戦車のエンジン音他もろもろの音を、意に返さないようなケイのよく通る声が聞こえる。
「中々申して来るではないか」
みほは苦々しく、さりとてどこか愉快そうに呟いた。
確かにケイの言う通りで、試合が始まってからこの方、みほは森の中を逃げ回るばかりであった。偵察に送ったM3中戦車リーを狙われ、八九式中戦車と合流し救出に赴こうと思えば待ち伏せ、それから一時撤退先には必ず敵がいる。
流れを持っていかれていた。これでは狩りの獲物である。じわじわと弱らされて、最後には狩人に狩られるのだ。
しかし、この西住みほともあろう者が、このままむざむざとやられるわけにはいかない。何とかしなくてはならなかった。
「一先ず森を抜けるか。このままではサンダースの思う壺よ」
みほはやや前方を走る八九式中戦車、ケイのシャーマン隊とは別の隊に追撃されているだろうM3中戦車リーに一旦森を抜けるように通信を入れた。この間にも敵の発砲は続く。
「麻子さん。進路を東にとって。森を全速力で抜けるよ」
難なく敵の砲弾を回避した麻子は、指示通りに東へ進路を変える。八九式中戦車は進路を変えずに真っすぐと進んで行った。
サンダースの追撃は、二手に分かれたⅣ号戦車と八九式中戦車の内、Ⅳ号戦車に狙いを付けたようだった。
みほは砲弾を回避しながら森の中を走り続ける。次第に明るい場所が見えてきたが、やはりと言うべきかサンダースのシャーマンが待ち伏せをしていた。
「駆け抜け―!」
前方からも後方からも天を打ち砕くような音と一緒に砲弾が飛んで来る。みほはただ一心不乱に突き進み、前方で砲塔を向けてくる二台のシャーマンの間を抜けて行った。森を抜ければ追撃はここで終わった。
「やっと人心地つけるわ」
と、大きく息を吐いた。
だが言うものの、本当に休むわけではない。これからサンダースが、いやアリサがことごとく動きを読んできたからくりを解かなくてはならない。そう、からくりをである。
何かある筈なのは明白だ。それ程までにアリサの読みは的確過ぎるのである。これほどの読みを個人の能力だけで出来るのならもう異能者だ。だからからくりがある。そしてどのようなからくりなのかは、ある程度の予想はついた。
(最初は千里眼の類かと思うた。何らかの機械を使いリアルタイムの映像を送り込んでいるのかと。しかしそれでは動きが速すぎる。それに映像だけを見てあそこまで的確にこちらの動きを読み取るのは無理だ。だとするならば)
みほが探るように見上げた先には、バルーンが一つ飛んでいる。空にふわりと浮かぶバルーンには、アンテナが付いていた。
(無線傍受……ハハ、ハハ、その手できおったか)
なるほど通りで。無線傍受によりみほの指示は全部筒抜けだったのである。
気分良さそうにしながら、みほは己の首に取り付けられたマイクを外す。続けて車内より顔を出す沙織にも首からマイクを外すよう指示を出した。
いきなりの指示に困惑する沙織だが、みほの言うことである。何か訳があるのだと素直にマイクを外した。
「皆、上を見て」
沙織がマイクを外したのを確認してから、Ⅳ号戦車の全員に向けてみほは言った。優花里、沙織、華、麻子は言う通りに空を見て、バルーンとそれにつけられている無線傍受機の存在に気付く。
「ああー! 無線傍受機ッ!」
優花里がバルーンを指さして叫んだ。顔には紛れもない怒りの色が露わとなっている。
「無線、傍受? それって盗聴じゃん!」
優花里の怒りに沙織も続いた。普段より穏やかな印象の強い華も、不快感からか眉を顰めている。
「別に戦車道のルールブックでは禁止されてないぞ」
ぱらぱらとルールブックをめくっていた麻子が言う。彼女は別段、怒りなど抱いている様子ではなかった。
「ルールブックでは禁止されてなくても、こんなん卑怯じゃん」
沙織が麻子に喰いつくように意見すると、優花里と華も同意の意を込めて頷いた。さらに怒りのままに三人はみほへ視線を移すと、怒りはたちまち治まった。
優花里、沙織、華の三人、いやこの場合麻子も含めて四人としては、みほが一番激怒しそうな案件である。そのみほが随分と楽しそうに笑うので、怒りなどどこへやらだった。
「西住殿、怒らないんですか?」
「何故怒らなくちゃ駄目なの? 確かに私はこういう手段は採らないし、好みではないけど、卑怯だとも思わないよ。寧ろ嬉しいし、楽しい」
どういうことだと、傾げられた首は四つ。
「相手は全力でやってくれてる。自分の持つ全てをぶつけて来ている。それが嬉しい。それにここまで好き放題にやられたのは記憶には無い。初めてだから楽しい。そして、今からこの作戦を打ち破ってみせる」
最後の方は自信が満々と声に出ていた。
策はあるのかと優花里が訊ねた。
ある、というのがみほの答えだ。
「アリサさんが切れ者だということは十分に分かった。今だ無名校の大洗に対して油断はなく、おそらくは私を非常に意識している。そこを突くんだよ」
からくりさえ分かってしまえば、やりようはいくらでもある。
みほは優花里、沙織、華、麻子の顔をそれぞれ見回して、バルーンの方に視線を移しながら言うのだった。
「策士策に溺れる、だよ」