SAO帰還者のIS
第七十八話
「指輪」
IS学園学生寮にある和人と明日奈の部屋には、ベッドの上で安静状態の明日奈と、椅子に座って左手でキーボードを打つ和人の姿があった。
肋骨を折った明日奈は歩く事は可能でも、出来る限りは安静にしていなければならないので、こうしてベッドに横になっていて、脱臼した左腕は填め直しているものの、骨が折れている右腕は固定して三角布で吊るしている和人は利き腕が使えない不便に若干の不満を表情に表している。
「それにしても、骨折したってのに全治1~2週間って凄い早いんだねー」
「普通は3~4週間は掛かるけどな。でも俺らはほら、治療用ナノマシンを注射して貰っただろ? だから早いんだよ」
この治療用ナノマシンというのは、ラウラの唾液などに含まれている常時体内に住まうタイプのナノマシンではなく、一時的に体内に入れて患部の治療を行い、直った後は尿と一緒に体外へ放出されるタイプの物だ。
この技術は一般医療にも浸透し始めているが、まだまだ保険の対象外なので料金が高いという難点がある上、外科治療用にしかまだ実用化されていないので、発展はこれからという事になる。
ただし、IS学園ではナノマシン治療は一般的に使われており、治療費も国が負担するため、IS学園の生徒は最先端医療を本人負担一切無しで受けられるという贅沢を味わえるのだ。
「ところでキリト君は何を?」
「ん? ああ、菊岡さんの伝手で日本政府から俺に話が来てな……IS学園へのメディキュボイド導入計画をVR研究部部長の俺主体に進めて欲しいんだってさ」
「メディキュボイド……?」
「簡単に言えばアミュスフィアを大きくして医療用にした物……かな? 通常治療が困難な患者の意識を電脳世界へダイブさせて、その間に現実の身体の治療を行うっていう目的で開発が進められているんだ。確か、今は試作1号機が既に治験者の治療に稼動してるらしいな」
「へぇ……」
「んで、今回IS学園に入れたいって言ってるのは試作3号機らしい」
試作2号機も既に完成して都内の大学病院に導入されるのが決まっているらしく、今回IS学園への導入を検討されているのは試作3号機。
試作1号機は内科医療用に使われており、試作2号機はPTSDなどの精神医療に、今回の試作3号機は外科治療用になるのだ。
「代わりにメディキュボイドを使った実験の枠を一つ、俺に分けてくれるらしいぜ」
「それってもしかして……」
「ああ、ユイの現実世界での身体を作る為の第一歩……視聴覚双方向通信プローブの実験だ」
和人と明日奈、二人の共通の夢の一つ。この現実世界で和人と明日奈と、ユイと親子三人で本当の意味で親子として生活する事。
その夢の為に必要なユイの身体を作る第一歩として、和人はプローブの作成を計画しているのだ。
「そっかぁ……あれ? そういえばユイちゃんは?」
「ユイならスグがクエストに協力して欲しいって連れて行ったぞ」
「あらら、ユイちゃん大人気だねー」
「スグにとってもユイは姪だからな。あの二人は結構仲良いんだ」
とりあえず和人は仕事を終えたとばかりにPCの電源を落として出掛ける身支度を整えた。それを見ていた明日奈はきょとんとした顔をしている。
「キリト君、出掛けるの?」
「ああ、午後から外出届けを出してたからな……ちょっと買わないといけないものがあるんだ」
「そっかぁ、こんな身体じゃなければ一緒に行くんだけどねー」
「アスナは安静にしてないと、すぐに帰ってくるから」
ベッドに近寄り、明日奈の唇に自分の唇を軽く重ねる程度のキスをした和人は、そのまま部屋を出て行く。
残された明日奈は頬を赤く染めながら和人にキスをされた余韻に浸かり、悶えた瞬間に折れている肋骨の激痛で涙目になってしまうのだった。
IS学園からモノレールで出発した和人は都心まで走り、目的地の近くの駅で降りると、今度は徒歩で街中を歩いていた。
しばらく歩いた先に見えてきた目的の店は、都内でも有名なジュエリーショップで、主に結婚を控えたカップルが多く訪れる店だ。
「いらっしゃいませー」
「あの、予約してた桐ヶ谷なんですが……」
「あ、はい。桐ヶ谷様ですね? 少々お待ちください……はい、確認出来ました! ご予約の際に注文頂いていましたエンゲージリングでしたら直ぐにサンプルをお見せ出来ますので、どうぞこちらへ」
歳若い女性の店員に案内され、店の中ほどに移動した和人は、早速だが差し出されたサンプルの指輪数点をじっくり観察する。
シルバーやプラチナのリングが並び、どれもダイヤモンドが装飾された婚約指輪なのは一目瞭然、それをじっくり選んでいる和人の姿は店内でも相当に目立っていた。
「ねぇ、あれって男性IS操縦者の桐ヶ谷和人じゃない?」
「え? ホントだ」
カップル客や店員達の注目を浴びて居心地悪さを感じながらも、指輪を一つ一つ見ている中で、和人は一つの指輪に注目した。
プラチナリングに0,1カラットのブルー・ダイヤモンドをハート型にカッティングして装飾されたそれは、ALOでのアスナの瞳の色によく似ている。
「これ……」
「あら、お客様お目が高いですね! これは希少なブルー・ダイヤモンドを使用した商品でして、大変品薄なのですが、先日偶然にも入荷するチャンスがありまして、今回こうしてご紹介させて頂いているんです……ただ、ダイヤの方が大変希少性の高い物ですので、お値段が少々普通の物より高くなってしまうのですが……」
「いや、これにします。支払いは一括でも大丈夫ですので、これをお願い出来ますか?」
幸いにもサンプルとして見せてもらっている指輪自体のサイズが明日奈の指のサイズにぴったりなので、このまま購入してしまおうとサイフからカードを出して見せた。
レクトから毎月給料が支払われているのと、専用機のデータ提出による報酬、それから菊岡からの依頼による報酬などで、和人の懐は随分と温かい。この程度の出費ではビクともしないのだ。
「では、このまま包装してもよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
専用の指輪ケースに入れて貰って、カードで一括払いする。一緒に和人用の同じデザインで宝石が一切付いていないプラチナリングも購入したので、そのまま店を出た。
高い買い物をした上客である和人を最大級の笑顔でお見送りしてきた店員一同に苦笑しながら店から離れた和人は、買ったばかりの指輪が収められたケースを眼前に翳しながら、表情を引き締める。
「Poh……確かに、今の俺じゃあアスナを、ユイを守りきるなんて、難しいのかもしれない。でも……」
あの日、学園祭でのPohとの戦いのとき、スターバースト・ストリームを使った後の事を思い出した。
そう、あの戦いで、黒の剣士の代名詞でもあった、切り札とも言うべきソードスキルを、Pohに破られてしまったあの時……。
二刀流ソードスキルの上位剣技、16連撃という脅威の連続攻撃を放つスターバースト・ストリームは青白いライトエフェクトの軌跡を描きながらPohが駆るジャック・ザ・リッパーに襲い掛かる。
嘗てアインクラッドにて74層のフロアボスを葬り、アインクラッド最強の聖騎士ヒースクリフの防御すら突破した黒の剣士の切り札にして代名詞となったそのスキルは、Pohにも確かに届いた。だが……。
「軽い! 軽すぎるぜ黒の剣士ぃ!!! そんな軽い剣じゃあテメェの大事な閃光はいずれ守れずに殺されちまうぜぇ!!!」
「なっ!?」
スターバースト・ストリームの弱点は、攻撃中は一切無防備になってしまうという点にある。グリーム・アイズとの戦いの際に使った時も、それが理由でキリトのHPがギリギリまで削られてしまったのだ。
Pohはその弱点を初見で見破ったのか、連撃を受けながらも、
「Yeah!!」
Pohが使ったのは短剣ソードスキルの一つ、アクセル・レイドだ。スターバースト・ストリームの連撃を9発受けてから10発目に合わせる形でパワー重視の9連撃が放たれ、16連撃を終えた和人にアクセル・レイドの残り2発が直撃した。
一発は右腕に叩き込まれ、骨が折れる嫌な音が響き渡り、最後の一撃も左腕に直撃しそうになったが、直前で和人が回避しようとした結果、左肩に直撃して脱臼してしまう。
「グッ!? あ、あああああああっ!!!」
骨折と脱臼、同時に襲い掛かる激痛が和人の意識をPohから完全に逸らしてしまい、Pohの回し蹴りが腹部に直撃してそのまま地面に叩き付けられてしまった。
だが、Pohはそこから追撃はしないで
「チッ、痺れてやがるな……シールドエネルギーも心許ない。ザザ、撤退するぞ……須郷サンを担いで離脱しろ」
これ以上の戦闘は不味いと判断したのか、Pohは明日奈を撃破して調度須郷と共に彼女を攫おうとしていたザザに声を掛けた。
「待て! 彼女を連れて行け!」
「見ろよ、無理だなあれだと」
須郷がこのチャンスに明日奈を攫ってしまえと言うが、既に気絶した明日奈の傍には簪が打鉄・弐式を展開して守っていた為、手出しが出来ない。
勿論、無理にやろうと思えば出来るだろうが、簪の後ろにはラファール・リヴァイヴを纏ったシャルロットと真耶も居て、迂闊に手出しをすれば損害が大きくなるのは明白だ。
「M! 撤退するぜ」
「チッ! ……セシリア・オルコット、この勝負はお預けだ」
「逃がしませんわ!!」
唯一自由に動けるセシリアが、逃げようとするPoh達を追おうとしたが、直前に投げ捨てられたフラッシュグレネードが空中で爆発、閃光によって視界を奪われたセシリアが漸く目を開いた時には既にPoh達の姿は無かった。
あの戦いの後、気絶した和人と明日奈は真耶の指示で簪とシャルロットの手で医務室へ運ばれて治療を受け、今に至る。
「もっと……今よりもっと強く、あの頃より強くならないと。この指輪は、その誓いでもあるんだ」
明日奈を、ユイを……愛する恋人と娘を、守る為に。SAOやALOと同じように、リアルでも指輪を左手薬指に填める決意を固めた瞬間だった。
「そして、今はこの状況を何とかしないとなぁ……」
指輪ケースをポケットに仕舞った和人が周囲に目を向ければ、一般人の姿は無くなり、変わりに重火器で武装した集団が銃口を和人に向けて取り囲んでいるではないか。
それも、その集団は全員が女性で、何やらTVで見たことがあるような気がする顔すらある。
「ああ、ニュースなんかで見た顔だな……確か、女性権利団体」
「桐ヶ谷和人、今すぐ専用機をこちらに渡せ」
狙いは和人の専用機である黒鐡と、恐らくだが和人自身の命だろう。
「貴様と、織斑一夏は男の分際で女性の神聖なる象徴であるISを汚す汚染物質だ! 更には男でもISに乗れるゲームを世に広めた大罪人、もはやこの世に生きる資格は無い!!」
リーダー格の女性が和人を狙う理由をご丁寧にも説明してくれたが、まぁ予想通り過ぎて笑いが込み上げてきた。
「な、何を笑っている!!」
「いやぁ……だってさ」
今現在、黒鐡は自己修復モードに入っているので展開不可能だが、だからといって和人がピンチになったというわけではない。
「俺が、何の準備も無くIS学園の敷地から出てきたと思ってるのか?」
「何っ!?」
次の瞬間、全員の手から銃が弾き飛ばされてしまった。長距離からの狙撃で銃を狙ったのだろう、近くには銃弾の跡が見える。
「ど、どこから!?」
「きゃああ!?」
「なっ!?」
直ぐに、黒服を着た屈強の男達が襲撃してきた女性集団を取り押さえ、残るはリーダー格の女性だけになってしまった。
「くっ、こうなれば!!」
銃が手元に無くなってしまったからか、懐からナイフを取り出して和人目掛けて走り、心臓へ突き立てようとしたのだろう。だが、それは和人相手には悪手だ。
「ぐっ!?」
たとえ黒鐡が自己修復モードに入っていようと、収納していた白兵戦用の武器は取り出せるのだ。
白兵戦用のダークリパルサーを取り出した和人は、左手に握ったそれでナイフを弾き飛ばし、身体を横にずらしながら女性の足を掛けて転ばせる。
「くそ……っ!」
「動くな」
首元に突きつけられたダークリパルサーの切っ先が女性の動きを封じた。
しかし、流石に人殺しは出来ないだろうと、これはただのハッタリだと無視して起き上がろうとした女性だったが、和人の目を見た瞬間、その表情を真っ青に染める。
「ヒッ!?」
「悪いけど……人を殺した事が無い訳じゃないんでね」
動けば殺されると、和人の殺意の篭った冷たい瞳を見て悟ってしまった。女性はガクガク震えながら腰を抜かしたように座り込み、その尻の下はいつの間にか生暖かい液体が広がっている。
「大方、俺が怪我したことを突き止めて狙ったんだろうけど……考えが甘いよ、
ダークリパルサーを収納した和人は黒服に連行されていくリーダー格の女性を見送り、黒服の代表に挨拶をする。
「ありがとうございます……助かりました」
「いえ、こちらは楯無様のご命令で護衛している身ですので、当然です」
この黒服達、実を言うと更識から派遣されている和人の護衛なのだ。基本的に和人がIS学園の外に出る時は必ず彼らが隠れて護衛してくれている。
「じゃあ、俺はそろそろ学園に戻ります」
「はい、私らもまた護衛に戻りますんで……ああ、それと」
歩き出そうとした和人を、黒服リーダーが何かを思い出したかのように呼び止めたので、何事かと振り返った和人に、黒服リーダーはサングラスを掛けたままイイ笑顔を浮かべる。
「あまり奥さんとのイチャイチャは外でやらんでください。うちの若い連中が嫉妬に狂うのを宥めるのも面倒ですんで」
「……はい」
今度から外では自重しようと心に誓った。
次回からキャノンボール・ファストへ向けての授業が始まるのと同時に、シャルロットの日本代表候補生選抜試験に向けての話がスタートです。