彼の生涯に貴族だった頃はないが、貴族であった頃の話を語る時の祖父の誇らしげな顔は良く覚えている。どのような生活をして、どのように活躍していたのかを何度も聞かされ、彼は己の身体に流れる血に誇りを感じるようになっていた。
「……復興は認められなかった。私達に人間の血が流れているのが理由だそうだ……」
そんな祖父は家の復興を夢見たまま死んでいったが、志を受け継いだ父が必死に一族の者であるという証拠をかき集め、政府に家の復興を願い出た。政府も七十二柱の者は特別視しているし、きっと叶うはずだ、そのような希望は純血主義の上層部に踏みにじられ、父は無念のまま命を絶つ。
だから彼は誓った。何時の日か上級悪魔になって一族を復興させることを。
やがて彼はサイラオーグと出会い、何時しか彼に惹かれていた。同じ夢を見たいと思った。彼に尽くしたいと思うようになった。
「諦めた方が良いね」
呼吸器半壊胃袋全摘、其れが一族復興の為の手段であるレーティング・ゲームで受けた傷。リタイアシステムが有っても傷は残るし死ぬことさえ有ると分かっては居た。ゲームで出世すると言う事は何時か起きる戦いの矢面に立つ事だと理解していた。だが、まさか夢を掴む最初の一歩で自分に降りかかるとは思っては居なかった。
「・・・・・・・何とか、何とかなりませんか?」
そんな事を口にしながらも内心では惨めったらしいと自嘲する。どうにかなるなら諦めろとは言わないし、今回のゲームは異常事態が起きたとはいえ、自分達は普通にゲームをしていて負った怪我だ。これでは誰も責められず、責めるとすれば実力不足の自分自身しか居ない。
「・・・・・・・どうにもならないよ。胸部に受けたねじ込む様な一撃で肋骨が粉々に砕け、グチャグチャになった臓器や筋繊維の間深くに突き刺さっている。これではフェニックスの涙も意味を成さないんだ。ゲームばかりが生きる道じゃない。他の方法で主を支えることを考えなさい」
ああ、やっぱりな、と思う。彼はもう自分が戦うどころか日常生活すらままならないと何処かで分かっていた。只、其れを認めたくなかっただけだ。
「・・・・・・・リハビリの方、お願いします」
「ああ、腕の良いのを紹介するよ。・・・・・・・取りあえず消化の悪い食べ物は控えるように。まあ、暫くは病院食だけどね」
心の奥底で湧き上がった黒い感情を必死で抑え込む。手加減してくれれば、と考えた自分を責め立てた。其れは言ってみれば八百長をしてくれというようなものだ。力の温存は必須の策であるが、自分と戦っている相手に力を温存する事を求めるのは恥知らずだと彼は思っている。力の限りを出し尽くして競い合うからこそ彼はレーティング・ゲームに夢を見いだしたのだから・・・・・・・。
「・・・・・・・そうか。残念だな。ゲームが終わったら皆で焼き肉に行く約束だったのに」
心底惜しそうにしながらも彼の心は新しい道を見据えていた。確かにレーティング・ゲームで活躍できないのなら出世は難しいが、其れでも可能性は零ではない。契約を頑張って主を支え、何時しか祖父と父の無念を晴らそうと心に誓うのであった。
「タン・ミノ三十人前ずつ追加ー! 五番テーブル様でーす!」
「またあの席か! 一体幾ら食べるんだ!?」
冥界随一の高級焼肉店『暗之運』。可愛らしい白黒の珍獣の看板を掲げた超人気店で、貴族でも1ヶ月は前に予約を入れておかないと入れない程だ。厳選されたミノタウロスの肉を筆頭に正体不明の店主が調達してきた林檎のような謎の果物(天界関係者には絶対に見せないようにとマニュアルに記載)を使ったフルーティーなタレは極度のベジタリアンさえも夢中にさせる程。勿論、値段も其れ相応するのだが・・・・・・・。
「ちょっとっ! 其処のカルビは私が育ててたんだけどっ!」
「はっ! 子はやがて親元を巣立つもの。貴女が育てた肉は私の胃袋に旅立っただけですよ。あっ、ロース五十人前追加で」
アザエルを追い返したという功績を称えて、という名目で貴族派が予約支払い全てを受け持ち龍洞達を招待していた。本来ならばキアラも来るはずだったのだが、ゲーム観戦の際に仲良くなった貴族達と親交を深めると言って遅れているのだ。
『隙有りっ!』
龍洞と恋花が焼き具合の良いカルビに同時に箸を付け引っ張り合う中、残りの肉全ては大型犬ほどの大きさに変身したドライグがかっ攫っていく。焼き網の上には野菜と一枚の肉のみが残された。
「……ちぇ。仕方ないか。……生で食べよう」
当たり前のように大皿を持ち上げて生肉を口に流し込む恋花だが、龍洞とドライグに止める様子はない。
「また生肉ですか? 焼いた方が良いって言っていませんでした? 焼けば良いじゃないですか」
「いやいや、人間は焼いた方が美味しいけど、牛は生の方が好きだよ? でもまぁ、生きたまま丸呑みにして腹の中で暴れるのを感じるのも良い気持ちなんだけどさ。……あっ、五個目の間違いみっけ」
三十人前のモツを全て生のまま流し込みながら恋花は新聞の間違い探しを続ける。見出しには魔王に対するバッシングや貴族派の情報操作によって彼らと仲の良い龍洞の活躍を称える内容となっており、アザエルという大物堕天使やコカビエルの件から堕天使への不信を訴えるデモが加速しているらしい。
「さっきキアラから聞いた話じゃ貴族派も内部抗争が加速して、今のままだと大王家も元側近に契約やら何やらの権利を好きにされちゃうんだってさ。今の次期当主よりも元次期当主の弟の方が操りやすいから怪我を口実に一時的に交代して済し崩し的に、だそうだよ。腹上死した貴族が自慢げに語ったって」
「はぁ。貴族ってのは大変ですね。私達……えっと、もう戻って良いと言われているので私達で良いですよね?」
「あっ、うん。龍洞君が修学旅行で京都に帰ってきたら改めて所属させるって。……姫ちゃんも喜んでたよ」
「先生がですか……どういう喜び方なのだか」
そもそもバアル家とはどのような家だったかさえ龍洞の頭からは抜け落ちている。精々が現当主が先代や初代の傀儡同然だという情報程度で、自分が再起不能にしたのが次期当主の眷属だという事さえ忘れてしまっていた。
「……あっ、そうそう。私の予想以上に強くなったから清姫ちゃんと会って良いよ。……残像っ!?」
先程まで肉を食べていた格好のまま龍洞の姿は薄れていく。超高速でホテルへと戻った彼の座っていた席には報酬の詰まったケースが残っていた。
「あ、ああ……幻ではないのですね?
清姫は目に涙を溜めながら龍洞を見つめ、龍洞は無言で彼女を抱き締める。清姫も彼の背中に手を回し、万力の様な力で抱き締めた。
「……漸く会う事が出来た。貴女と顔を合わす事が許されない日々は何よりも……先生の修行の日々よりも辛く苦しかった。もっと、もっと貴女を感じていたい。いえ、正直に言いましょう。私は貴女を犯し……」
龍洞の言葉は清姫の人差し指が口に当てられた事で止められた。
「……どうぞ。此方の準備は出来ています。旦那様も……ああ、準備万端ですわね。あの、自分で脱ぎますか? それとも旦那様がお脱がしに? それとも……」
「全て脱がすのもまどろっこしい」
「きゃっ! ……もう」
「……すまない。私では戦いでサイラオーグ様を支えられなくなった」
呼吸器半壊胃袋全摘という重症の彼だが、生き残ったサーラオーグ眷属、つまりは龍洞と戦った眷属の中で彼が一番症状が軽く、今のように死んだ仲間の墓に花を供えに来れた。サイラオーグはいまだ予断を許さない状況で、フェニックスの涙も貯蔵庫がドラゴンの群れに襲撃され回ってくるのが遅れると聞いている。
「だが、見ていてくれ。必ずや……」
ふと、妙な音が耳に入り振り返る。まるで水音のような、それでもって何かが蠢くような音。周囲には誰も居なかった。そして水場も水を発生させる物もない。だから聞こえるはずのない音だ。
「イタダキマス」
「あっ、あぁあああああああああああああっ!?」
ゴボゴボと水が排水口に流れ込む様な音と彼の苦しげな声が響く。数秒後、其処には平然と立つ彼の姿があった。 レーティング・ゲームは眷属の自慢合戦から始まり、今では貴族に人気の最高の娯楽とされている。チェスを模したとされてはいるが、あまりにもルールが懸け離れている物も幾つかあるものの、分かりやすく直接的な実力や戦術眼を示し、貴族の権威を民衆に知らしめる絶好の機会なのだ。
故に、このゲームには本当の意味での闘争だけでなく、政治的なそれも絡んでくる……。
「糞っ!」
ソーナとリアスが行った試合の結果はソーナの作戦勝ちに終わり、基本スペックを上回る見事な勝利だと讃えられた。逆にリアス達は相手の殆どを打倒した小猫以外に特に活躍した者は居らず、評価記事で散々に叩かれている。だが、評論家に叩かれているのは彼女達だけではない。
『確かに勝利の為に無茶は必要だが、これはやり過ぎだ。彼は長期的な事を考えてはいない。この様な事では選手生命は短いだろう』
『ゲームの学校を創りたいそうだが、私が親ならこんな無茶をする教師に子を任せたくはない』
格上である小猫と相打ちに持ち込む為、匙は己の生命力を力に変えて戦った。結果上手く行ったのだが、その行動はソーナの作戦の汚点と散々な評価を下されたのだ。ゲームは一試合ではなく、寿命が長い悪魔だけに総試合数も多い。確かに勝たなければならない勝負も存在するが、後々に響く様な無茶を続けるのは選手失格と言われても仕方ないだろう。其処に政治的な策略が絡んでいたとしても、匙はこの記事に反論が出来なかった。
才能乏しい自分では格上相手には無茶をするしかなく、其れでは何時か致命的な故障を起こしてしまう。選手生命が絶たれたとしてもソーナは駒の交換をしないだろう。眷属を使い捨てにするようでは学校に関する信用度が下がる云々は関係なく優しい気質ゆえに。
「会長、すみません。俺はどうしたら……」
会合の時といい、今回の記事といい、皆の夢の足を引っ張っている。その事実が匙の心に重く伸し掛っていた……。
「……旦那様。まだ出来ますでしょうか? まだ出来ますわよね?」
早朝、漸く薄らと明るくなり鳥の囀りが聞こえて来た頃、目を覚ました清姫は龍洞に伸し掛りながら頬にそっと手を当てる。白い肌は所々汚れ、昨晩何があったかは一目瞭然で、今から何をしようとしているのかも然り。甘えるような声を出しながら密着させた体を揺らしていると、腰にそっと手が回された。
「……まったく。箱入り娘が随分と積極的に……いえ、前からですか」
「……もう。全ては旦那様のせいですわ。
思い起こしてみれば夜這いを掛けた上に一人で旅に出てまで意中の相手を探しに行く程までだから元からかと、其処まで思った所で安珍への嫉妬心が湧き上がる。抱き締める力を強めると其の儘転がる様にして上下を入れ替えた。
「では、染め直す意味を込めて何処が弱いか一から確かめましょう。貴女が止めてくれと懇願しても止めませんので悪しからず」
「きゃっ。一体どうなってしまうのでしょうか? ……うふふふふ。楽しみですわ」
龍洞の手が清姫の体を弄り、既に何十何百何千と行った確認を一から始める。部屋からは時折悲鳴のような声や水音、体がぶつかり合う音が響いていた。
「……あ〜、今日も朝から盛っているなぁ」
夏休み中、ギャスパーは基本平穏だった。何日かはキアラに一日中絞られ続けたが、それ以外の日は宿題をしたりゲームをしたり海外ドラマをワンシーズン一気に観たりと充実した引き籠もりライフを満喫したのだが、逆に其れが砂糖を吐きたくなる空間への耐性を弱めたようで、半吸血鬼の基礎能力と”先生”による地獄の特訓によって卓越した聴力は全ての遣り取りを捉えていた。
「あっ、朝食はフレンチトーストなんですね。楽しみだなぁ。とりあえず二度寝しよっと……」
非常に砂糖を吐きたくなる遣り取りを耳にしたが、少しは慣れているので二度寝が出来ない程ではない。聞こえて来た会話から朝食のメニューが好物だと知ったギャスパーは惰眠を貪る。熱中し過ぎて作る時間がなくなるのでないかと不安に駆られてはいたが……。
「旦那様、あーん」
「ああ、貴女に食べさせて頂くと一際美味しく感じる。これが愛の力なのですね」
「旦那様ったらお上手なんですからぁ。……時間がないのが残念ですわ、くすん」
『ギャスパー、醤油』
「あっ、はい。濃口と薄口と出汁醤油のどれが良いですか」
『今日の吾輩は薄口気分だ』
今日から新学期、仙酔家の食卓では何時も通りの光景が繰り広げられ、何時もの様に龍洞とギャスパーは学校へ向かう。その途中、ギャスパーはふと思い出した事を口にした。
「若様、漸く戻る許可を親方様が出されたそうですが、学校はどうするんですか? ……僕とすれば先生から離れられるから大学部まで此方に居たいのですけど」
「大婆様の話だと、”金稼ぐのに都合が良いから大学は卒業しておくれやす”、だそうです。……先生ですが、修学旅行で京都に戻った時に不甲斐ないと判断されたら家に住み込むかもしれませんよ」
「ひぃぃいいいいいいいいいいっ!? が…頑張って下さいっ! 止めてくれる人が居ないから多分修業中に殺されるぅぅぅっ!」
「一応琴湖が居ますけれど……不安だ」
まだ九月で冷える時期ではないのだが、二人はまるで雪国の真冬の様にガクガク震えながら歩く。その姿は事情を知らない者の目には非常に奇異に映っていた。
「……そうそう。昨日になって漸く答えが出たようで、魔王夫妻は親の立場よりも魔王としての立場を優先させるようです。”他の貴族や他勢力の要人と天秤に掛けられた際、そっちを優先させて欲しい”、ですって。そんな事よりも今晩の鍋のシメは何にします?」
「確かキムチ鍋ですよね。僕はチーズ入りの雑炊が良いです」
「私はラーメンですが……清姫もラーメン派で琴湖は雑炊派で分かれますね。鍋、もう一つ出しておきましょう」
悪魔のトップとして今まで出してきた犠牲の為にも我が子を見捨てる同然の判断を下したサーゼクス達。この選択によってリアスの婚約相手探しが加速する。民衆が不安に苛まれる時期だからこそ明るいニュースが必要であり、血を絶やさない為だ。
だが祐斗に恋するリアスは反発するであろうし『魔王の妹』と縁を結びたい家は多く争いが起きるのは必須。グレモリー公爵の頭痛は増すばかりで、龍洞は鍋のシメで揉めない様に予備の大鍋の場所を思い出そうとしていた。
「……お父様達ったら。折角自由になれたと思ったのに……」
「あっ、この前割ったんでした。折角自由にシメを選べると思ったのに……」
グレモリー家のリアスではなくリアスとしての結婚を望むリアスは思い悩み、新しい鍋を買うかどうかで龍洞は悩む。この日の放課後、次のゲームの予定が知らされた。
「……二対一ですか。いえ、実力差からして当然ですね」
「うん。そうなんだ…のよ、ソーナた…ちゃん」
この日、テロが起きたばかりだとして他の神話の要人を招待する事を貴族派を中心に反対された為に暇が出来たセラフォルーは
「皆、聞いての通りです。私達はディオドラと組んでゲストチームと戦う事になりました。では今日から早速ですが相手への対策会議を……サジ? どうかしましたか?」
「いえ、何でもないっす……」
ソーナは訝しげな視線を様子のおかしい匙に向ける。ふだが、この後幾ら問い質しても匙は答えようとはしなかった。
「……今、なんと申しました?」
この日の夜、事前の連絡もなしに勝手に家の敷地内に転移しようとした悪魔がリアス同様に門前に弾き出された。丁度鍋が煮えた頃にやって来た非常識な客をギャスパーが応対した時、其処に立っていたのは貴族らしい青年、ディオドラ・アスタロトだ。
「ああ、やっとこうして会えたね」
彼はギャスパーの頭の上から爪先までを眺め、趣味で履いているスカートと靴下の間をもう一度眺めるとその場に膝を着いてギャスパーの手を取った。
「僕は君を愛してしまった。仙酔家の者なんかよりもずっと幸せにしてみせる。……だから僕と結婚して欲しい」
「……ふむ。これで良いのでしょうか? いえ、妥協は駄目ですが、あまり待たせすぎるのも‥…」
グツグツと中身が煮立つ鍋の前で龍洞は顎に手を当て悩む。白い中身にパラパラと白い粒を入れ、小匙で掬って口に運んで咀嚼。どうやら満足いく出来栄えだったようだ。火を止めると小さい容器と液体が入った容器と共に離れた部屋へと持っていった。
「ケホ! ……申し訳御座いません、旦那様」
「ほら、無理しない。お粥を作ってきましたよ」
何時もは二人が眠る布団に入って上体を起こした清姫は少し赤くなった顔でニトロ臭と炎が混じった咳をする。喉が痛いのか立て続けに咳が出ており、そっと差し出された水を飲んで喉を潤していた。
「旦那様の手料理……
「ええ、当然ですとも。はい、あーん」
「あ、あーん……」
目が潤んでいるのも赤みが濃くなっているのも風邪だけのせいではないだろう。風邪のせいかやや苦しそうな清姫であったが、こうして世話をして貰える事を役得とさえ思っていた。
「あの、旦那様。家事が出来なくて申し訳ございません。……其れに」
「こら。こんな時に心配する事ではないですよ」
モジモジとしながら恥ずかしそうに向けられた視線の先は龍洞の下半身。つまり、そういう事だ。少々呆れながら龍洞の指先が清姫のデコを叩き、清姫は軽く舌を出している。こんな時でも二人の遣り取りは相変わらずだ。
「……しかしドラゴン風邪とは。……タンニーンから私を介して感染ったのでしょうか?」
「旦那様から感染ったのなら不満はありませんわ。……旦那様の体を通った物が
「はいはい。後で大大爺様から教えて頂いた秘薬を持って来ますから寝ていて下さい。早く治って元気な顔が見たいですからね。……今の熱に浮かされる顔も色気があって素敵ですが」
「もう。旦那様たらぁ。……今の清姫ちゃんを召し上がります?」
そっと龍洞の手に清姫の手が添えられ胸元へと持っていかれる。汗ばんだ肌と潤んだ瞳、荒くなった吐息は彼女の色気を際立たせ、龍洞は思わず生唾を飲み込んだ。
「……房中術。旦那様の気を私に注いで下されば早く治るかもしれませんよ?」
最後の一撃とばかりに甘い囁きがなされ、口実を与えられた龍洞は彼女の両肩に手を置き、そっと押し倒す。左手は襟を開いて小柄な体格に対して成長している胸を包み込むように触り、右手はスベスベした手触りの太股を往復するように何度も撫でる。二人の息は次第に荒くなって行き、太股を撫でていた右手が帯を解くと服をはぎ取ろうとやや乱暴に掴んだ
『何をやっているか、馬鹿者共がっ! 全く、色を知ったばかりの小象共はこれだから困る。ほら、吾輩が薬を作って来てやったぞ』
突如襖が開き頭に湯呑が乗ったお盆を乗せた琴湖が入って来る。傲岸不遜な態度で足取り荒く清姫に近付くと湯呑が見えない手が持っているかの様に宙に浮いて差し出された。
「あれ? 私が作るのでは?」
『阿呆か。薬だぞ? 素人に作らせた物を病人に与えられるか。……それと貴様も龍の因子を持っているから早く出ろ。感染れば粗奴が気に病むのだぞ』
「だからこうして房中術で」
『其の後お前がドラゴン風邪に感染するというオチか? そしてその次も……何だ、その馬鹿のエンドレスは』
龍洞の襟首を咥えた琴湖は其の儘引き摺って部屋の外へと運んで行く。龍洞も抵抗しようとしたが、まるで厳格な祖父に連れて行かれる悪戯坊主のように抵抗虚しく意味がなかった。
「……残念。ああ、続きは治った後で……」
「ええ、たっぷり愛して下さいませ……」
『……程々にしておけ。病み上がりは安静にな』
最早突っ込む気力さえ尽きかけ、只々深い溜め息を吐く琴湖であった……。
「そう言えばギャスパーがディオドラに求婚されたそうです」
『……男色家か? 関わりたくないな。次の試合、キャンセル出来ないのか?』
「いえ、其れが裏切り者の可能性があるとかで、次の試合で炙り出すそうです」
事実、大規模なテロの可能性があるからと他神話の要人は何かしらの口実をつけて招待していない。むしろテロの可能性がある場所に自分達の指導者や幹部を呼ばれた場合、上が納得しても下の者の不満は燻り続けるだろう。
それは必ず破綻へと繋がるだろう。組織のトップは体で言えば脳だが、下の其れこそ末端の者でさえ当たり前だが知性も自意識も価値観も持っている。組織と組織の協力関係は容易ではないのだ。
聖書の陣営はそれが理解出来ていない者がやや見受けられるが、其れは実力主義の弊害だろう。誰もが納得する程の実力者且つリーダーに相応しい能力と人格を持ち合わせる者など早々居るはずがないのだから仕方がないのだが……。
「ああ、そうそう。質問があるのですが。娘と孫、味方するなら何方ですか?」
『……孫だな。娘より孫の方が可愛い。って言うか吾輩の娘はな……』
「よく来てくれたな。……正直ボイコットするかと思ったぜ」
「仕事ですからね。そうでなければ家へ直帰です」
次の日の放課後、早く帰って清姫の看病をしたい龍洞だが、仕事に関する話だと言われたので仕方なくアザゼルのマンションを訪ねていた。
『早くしろ、アザゼル』
「へいへい。まあ、これを見てくれや」
アザゼルがリモコンを操作するとディオドラとアガレスの試合の様子が映し出された。途中は見る必要がないと早送りで進んで行きゲーム終盤、互角に戦っていた筈のゲームはディオドラ一人の猛進撃で呆気なく終了した。
「ワンマンチームって評価が悪いんですよね?」
「いや、其処じゃねぇだろ。力を隠していたとか他にないのか?」
「どう見てもドーピングでしょう。ほら、龍のオーラが混じっていますし、拷問した魔女から聞き出したオーフィスとやらの力かと。……もう帰っても?」
用は済んだとばかりに立ち上がり、出された飲み物にも手を付けずに帰り出す龍洞。その背後から慌てたアザゼルの声が聞こえてきた。
「おい! ゲームの時はソーナ達を守ってくれ! 囮になって貰う為に黙ってるんだ。ドライグも居るし、楽勝だろ? 迎撃は俺達も参加するからよ!」
「箔を付けたくて参加させるなら怪我はやむ無しですし、守りたいのなら参加させない事です。彼女達を守るなんてくだらない事にドライグさんは力を貸しませんよ?」
『ああ、その通りだ。戦いに出たなら自己責任。知らせずに出したならお前達の責任だ。其のような些事に俺は力を貸さん。文句があるのなら力尽くで来い。俺が相手をしてやろう』
封印された状態にも関わらずアザゼルは威圧感から指先一つ動かせない。彼が動けたのは龍洞が帰った数分後の事であった。
「……おいおい、マジかよ」
アザゼルは封印前のドライグの力を知っている。アルビオン共々封印できたのは二匹が争いで疲れていたからで、そうでなければ乱入前まで戦争をしていた三すくみの付け焼刃の団結など役に立たず全滅していただろう。例えスペック上は互角の超越者二人が居ても、闘う力がある者と闘争のみに生きている者では違う。
故にアザゼルはかの二天龍の威圧感を未だ覚えている。未だ憎む悪魔が居るのも恐怖が残っているという事を認めたくないからだ。
そして、先程感じた威圧感は当時を上回っていた……。
「ちょっと良いかしら?」
この日、リアスは龍洞に頼みがあった。従兄弟であるサイラオーグの眷属がどうなったか彼女は聞いている。彼と戦った眷属は生きてはいるが日常生活を送るのさえ長いリハビリが必要に成る程の状態。当然其の話を聞いたリアスは憤ったのだが、話をしたサイラオーグは彼女にこそ怒りを感じていた。
「リアス、俺達はゲームに夢を託した。だからこそ今回の件、ゲームに関する部分では誰も恨む気はない」
「でも!」
「この事で怒るという事は、ゲームに夢を持つ全ての者への侮辱だからだ。リタイアシステムがあっても死ぬ事もある。リタイアで消えだした相手から手痛い反撃を受ける事もある。なら、力を温存するという策以外で必要以上に強力な攻撃をするのは当然だ。ルールを守っている以上は負けた方が悪い。勝者が欲しい物を手にし、敗者の夢が潰える。ゲームに必要なのは実力云々よりもその覚悟だ」
自分の眷属が手酷く負けた事に対しての発言にリアスは信じられないと憤慨する。情愛が強いグレモリー家の彼女には理解出来ない考えであった。
故に戦力外で蚊帳の外故に今回の囮の一件を知らされていないリアスは、ソーナ相手には手加減をしてくれと頼む気であった。友情からの行為であるが、言ってみれば八百長の持ちかけで、スポーツ界では罰則を受ける事もある無気力試合の注文だ。
……もしソーナがこのお願いの事を聞けば怒るだろう。立場が逆ならリアスも憤慨するはずだ。だが、大切な幼馴染の為に動いているのも確かだった。
「ちょっと良くありません。では、此処で」
もっとも、それは相手が話を聞いてくれたらの話ではあるが……。「……さて、今月も大儲けです」
この家でパソコンの操作がマトモに出来るのはギャスパーだけである。この日は趣味である株の売買で何時もの様に大儲けでご満悦。今月も龍洞が何時も受ける仕事の一回あたりの半額ほどの売上だ。彼が株を売った後で急激に値下がりが起き、何処かの堕天使幹部が暫くは趣味のSMクラブを我慢しなくてはならなくなったが彼が知る由もない。
ギリギリを見極める直感的な何かはギャスパーが上だっただけだ
「あっ、そうだ、龍洞さん。目標額貯まりましたけど、何時ごろ吸血鬼の国に強襲掛けます?」
『俺なら何時でも良いぞ』
普段の臆病な彼からは想像もつかないような物騒な事を平然と言っているがドライグも驚くどころか”雨だから来るまで送っていこうか?”とでも言うような気軽さだ。半吸血鬼であるギャスパーは苛められて育っており、自分を救ってくれた幼馴染のヴァレリーを助けたいと思っている。だからこそ邪魔な国そのものを滅ぼしたいと前から言っているのだ。
実際、既にそれだけの力はギャスパーだけでも有している。七百七十七回目の臨死体験の時に自分に宿る物の正体やその辺を全て知った彼は以前から計画を立てていた。抜け出した頃のギャスパーならおびえながらも同じ境遇の者全てを救いたいと思っただろうが、今の彼は大切な少数だけ守れれば其れで良い。
一人残らず救う力も気も理由も今の彼には存在しないのだ。
「のちのゴタゴタを避ける為のお金ですが、どうもテロリストのせいで予定より高くつくそうですよ。それでも一刻も早く助けたいのなら私も協力致しますが……」
答えは言うまでもない。否だ。国を滅ぼせても国民全てを殺す事は難しいしする気はない。だが、国に居るという事で抑えが効いていた吸血鬼が人を襲えば滅ぼした責任を取らされるし、そもそも人に害成す存在でも国を滅ぼせば他の勢力から警戒される。其れは非常に良くない。
そして助けるという事は其の場の危機を乗り越えさせればいいという事ばかりではない。苦難に満ちた環境下であっても、其処でなら辛うじて生きていけるといい場合もある。なら、最後まで面倒を見て初めて助けたと言えるのだ。
事実、ギャスパーは吸血鬼の国から逃げ出せたが旅の途中で死に掛けていた。国に居れば非常に生き難くともその様な目には合わなかっただろう。
尊厳の欠片もない環境でも生きていられるから良しと思う者と、命よりも誇りが大切と思う者が居る。一々判別していられない。だから、全部見捨てる。救いたい者だけ救う。世の中などそんな物だ。結局、多かれ少なかれ救い手は取捨選択をしているのだから。
「いっそテロリストのせいにできませんか? 彼らのせいで各勢力がピリピリしてリスクが増しているんですよね。……その方が相手した際のリターンが多くなりそうですし」
「それか元教会の戦士達をぶつけるとか? でも協力したのが知られたら厄介ですよね」
二人にはマトモな倫理観は存在しない。それは育った環境のせいであり、本人達の本質的なものに起因するのだろう。だから自分達に害がなければテロリストがいくら暴れようと、それこそ勢力間のバランスが崩れてものんきにお茶を飲んでいるだろう。精々が収入が減って困ったとか其の程度だ。
だが、この時から彼らはテロリストを明確に敵と認識した。自分達の計画の邪魔になるからという理由で……。
「旦那様、ギャスパーさん。お茶が入りましたよ。お茶請けは頂き物の栗羊羹です」
「ああ、それは良い。一旦話は止めて三人でお茶にしましょう」
すっかり風邪が治った清姫。龍洞にも伝染ることなく、病み上がりから早速二人で……。
『ぶわっくしょい!! ……この状態でも風邪を引くのか』
なお、琴湖にはバッチリ感染っていた。龍洞に感染らないようにと率先して看病したからだろうが、とんだとばっちりである。
「勝ち目があるかどうかも見極められぬ愚か者共が」
テロ集団禍の団・旧魔王派の会議を途中から抜け出したアルフレッドは吐き捨てるように呟きながら扉を睨む。この日、会議では建設的な意見は出ず、ただ根拠もなく血筋の尊さで勝利が決まると本気で思っている愚かな若造が吠えるだけと彼は感じていた。
サーゼクスの魔力は前魔王の十倍、真の姿になれば更に十倍。対する前魔王の血族は切り札であるドーピングアイテムを使って漸く前魔王を上回る。今の魔王に組みした貴族の方が数が多く、プライドが高い彼らは他の派閥との共闘は候補にすら上がらない。これで何故勝てると首を傾げるのは彼だけではなかった。
「やあ、久しぶりだね。……無能達の相手は疲れるだろう?」
「言質を取られるようなヘマはせぬよ、曹操君」
横から話しかけてきた青年に無愛想に返事をする彼だが最早認めているのと同じ。そもそも彼は旧魔王派の指導者達に忠義心など持ち合わせていない。何せ彼にとっては家族の仇であるからだ。今はただ、利用するために偽りの忠義を捧げているだけ。
「先の大戦の後もせめてある程度復興してからで良かったのに、他の神話に根回しもせず疲弊した状態で再戦を唱えたんだろう? よく協力するよ。……ああ、そうか。共倒れを狙って居るんだね」
「さて、何の事やら。……君も口には気をつけたまえ。利用できる馬鹿も利用できなくなるぞ。何せ頭も能力も足りないが、プライドと血筋と余計な事をする時の行動力だけは一流の奴らだ。他の勢力の者と同じ組織に入ったり、光力を操る武器を使ったりなど、都合の良い時だけ相手を利用しているだけと抜かす程だからな」
「無能な働き者ほど手に負えない、か」
曹操と呼ばれた青年は苦笑しながら肩を竦め、アルフレッドは無言でロケットの中の写真を眺める。其処にはクーデターの際の暴動で行方不明になった孫が、お気に入りだったペンダントを持っている姿が写っていた。
(……娘婿は忠義の果てにサーゼクスに消し去られた。娘は暴動に巻き込まれ死んだ。孫よ、お前が生きて同じ空の下で微笑んでいてくれる、私はそれを願うだけだ)
合理主義の悪魔が何を感傷に浸っているのだと自嘲し、ロケットを胸ポケットに仕舞う。貴族の保護を優先した事で当時は民衆に甚大な被害が出た。幼い孫が生きているはずがないと彼にだって分かっているのだ。
「……お父様、今なんと?」
その頃、リアスは呼び出された実家の居間で父親から告げられた言葉に固まっていた。それは自由恋愛を望んで政略結婚から逃げ、本人にとっても領民にとっても将来的に有益にも関わらず貴族の学校に通わなかったリアスには聞き入れられない内容だった。
「……この情勢で何か明るいニュースが必要になる。だからリアス。……高校を卒業したら直ぐに結婚しなさい。来月、婚約発表会見を行う。準備も既に出来ている」
差し出された写真の相手はリアスが知っている相手。ただ、知っているだけで面識はないが真面目な男だとは聞いている。ただし、リアスよりも大分年上で、数年前に先妻に先立たれていた。
「そんなっ! ライザーとの婚約を解消したばかりじゃない。それに私は今、あの街の領地経営を……」
「こう言っては何だがお前は大した功績をあげておらず、逆に此処最近失態が多い。……和平の象徴であるあの街の管理を任せるに値しないと議会で決まったんだ」
数度に渡る堕天使やはぐれ悪魔の侵入やそれに伴う被害。例え彼女が全て解決したとしても、一部を除いて事の発端は彼女の失態であるからして評価に繋がる訳はないのが当然だ。ただ、プライドが高いリアスは其の言葉に怒りを感じていた。
「っ! いい加減にしてっ! 私は私が決めた相手としか結婚しないわっ!」
リアスは静止する声も聞かず屋敷を飛び出していく。向かう先は勿論……。
「祐斗! お願い……私を連れて逃げてっ!!」
彼女は悪魔に相応しく欲望い忠実で恋愛には熱狂的。好きになった相手にファーストキスを捧げるどころか一緒に住んで平気で混浴や裸での同衾すら行う。そんな彼女が追い詰められればこの様な事態になる可能性は大いにあった。
只、恋愛に夢を見ている彼女はどれだけアピールしても自分から告白はせず、相手から告白されるのを望む。それは言ってみれば相手に自分の理想を押し付けるという事で、相手を理想というフィルターを通して見るという事。
皮肉な事に彼女が嫌う『貴族としての婚約の押しつけ』、『グレモリー家のリアスとして見る』と変らない事であった。 笛の音と共に鈴の音が響き荘厳な雰囲気の下、仙酔家の屋敷の庭では清姫による
庭を得体の知れない何かが埋め尽くすが、耳を澄ませようと聴こえてくるのは笛と鈴の音のみ。この庭に居るもの全てが息を殺し笛の音と舞いに見惚れていた。
やがて笛の音が止むと同時に清姫の舞いがピタリと止み、最後に、シャン!、という鈴の音が響き渡ると同時に庭からは影一つ消え失せた。
「……ふぅ。久々でしたが上手く舞う事が出来ました。総大将にお教え頂いたのですが、どうでございましたか?」
額を濡らす汗を手で拭いながらの問いかけだが、既に答えは分かりきっている。龍洞が否定の言葉など投げかけるはずがないと理解していても尚、その言葉が欲しいのだ。
「ああ、私は自分の無知が恐ろしい。私の拙い語録では貴女を褒め称えるに相応しい言葉が出て来ないのです。このような私ですがお許し頂けますか?」
「何をおっしゃいますか! 例え芝居から抜粋したような有り触れた言葉あったとしても、旦那様の口から発せられたのなら至上の賞賛で御座います」
「それでも! 私は貴女を褒め称える言葉に妥協はしたくない!」
「……旦那様」
「……清姫」
次第に言葉がヒートアップして行き、最後には手を取り合って見つめ合う。やがて龍洞の手は清姫の肩を抱き寄せ、清姫の手は龍洞の胸にそっと当てられた。
「あの、そんなに匂いを嗅がないでくださませ。今は少々汗をかいでおりまして……恥ずかしいです」
「ふふふ、その様な顔の貴女も美しい。それに良い匂いですよ。今日は仕事で不快な匂いを嗅ぎましたのであなたの匂いで上書きさせて下さい」
「では、せめて湯殿で……」
龍洞は清姫を抱き上げると浴室へと運んでいく。その姿を離れた場所からギャスパーと琴湖が眺めていた。
「今日はさっさとお風呂に入って早めに寝ようと思っていたんですけど……三時間は出て来ませんよ」
『……いや、本当にスマンな。身内として謝っておく。しかし、今日は何の仕事だったのだ? 妙に不機嫌だったが』
「えっと、グレモリー先輩が眷属の木場祐斗
部屋は事後だと分かる強烈な匂いが立ち込め、更には残留思念を察知した際に事の様子が頭に入って来たらしく、清姫の顔を見るまで龍洞は非常にピリピリとした様子だったとギャスパーは語る。
『……なら、自分達も我輩達の前で少しは抑えて欲しいものだ』
「む…無理だと思います」
二人の顔には少々哀愁が浮かぶ。どれだけバカップルの遣り取りに心労を重ねているのかが見て取れた。
尚、グレモリー家の屋敷には悪魔が入ってはいけない場所に入る為の許可書が保管されているのだが、幾つかの地域の物が
「流石に悪魔を派遣出来ませんし、若様も面倒だからと断ったので親交のある魔術師や請負人に口止め料などを上乗せして捜索を頼むそうです。……どうせ本音は先生に会いたくないからでしょうけど。どうせ戻ったら毎日会うのに」
『……ふん。我を通す為の力がないからそうなるのだ。……そんな事よりも夜食は何だ?』
「ラーメンです。えっと、確か貰い物の焼き豚が……」
『フカヒレ! フカヒレラーメンが食べたい! それと酒! 八塩折の酒!!』
「いい加減懲りましょうよ。……何の話ししてましたっけ? まぁ、どうでも良いですね」
既に二人の思考はラーメンの具を何にするかに切りかわり、冷蔵庫の中の物を確認しに向かう。既にリアスの事など完全に頭から抜け落ちていた。
「楽しいわね、祐斗! あっ! 忍者と記念撮影ができるわ!」
恋する相手である祐斗が居るにも関わらず、又しても両親に一方的に結婚を決められた事に不満を持ったリアスは魅了の術などを駆使して無理やり関係を持った祐斗と共に京都に来ていた。
(ふふふ、私が京都の町並みが好きなのは皆知っているし、まさか敢えて此処にしたとは思わないでしょう。お金も有るだけ持ち出したし、このまま婚約が破断になるまで逃げ切って、その後絶対にお父様達を説得して……)
リアスはまるで新婚気分で京都観光を楽しんでいる。変装のつもりなのか目立つ赤い髪を三つ編みにして眼鏡を掛けて帽子を被っていた。元々目立つ容姿な上に明白に変装だと分かる姿にすれ違う人は芸能人か何かと注目し大いに目立っている。聞き込みで足取りを追うのは容易だろう。
(多分僕は殺されるだろうね。でも、もうどうでも良いや。和平が結ばれたからエクスカリバーの破壊は困難だし、部長に最後まで付き合う事で恩を返して死のう)
其れに反し祐斗の心は暗く冷めていた。自分は復讐の為に生きて来た事を聖剣強奪の一件で思い出し、復讐が叶わず生きる気力を失っていた彼であるが、婚約前の貴族令嬢と眷属悪魔が肉体関係を持てばどうなるかは理解できる程には冷静だ。
元々は家同士の関係構築が目的で有り、死人に口なし、眷属の死因の捜査など主の家がやる事なのでどうとでもなる。リアスは其れが分かっておらずライザーの婚約の際も純潔を散らして破談にしようとしたが、成功しても無駄だっただろう。
観光名所を巡り、名物を食べ歩き、京都観光を楽しむリアスと表面上は笑みを浮かべる祐斗。時折名前で呼ぶように言うリアスに対し祐斗はやんわりと誤魔化す。そんな彼に業を煮やしたリアスは町外れにある誰も寄り付かない寂れた神社まで彼を連れて行った。
(……あの時は勢い任せだったし、此処でもう一度関係を持てば……)
神社は神を祭る場所であるがこの神社からは神聖な気配を全く感じない。事実此処は神が関わらない捨てられた場所。最早ホテルまで待てないリアスは強引に祐斗の手を引っ張り境内へと入っていった。
「あの、部長。もうそろそろ宿を決めた方が……」
「……リアスと呼びなさい」
リアスは恋する乙女というよりは恋に恋する乙女と言ったほうが近い。故に理想の恋愛を相手に押し付ける傾向があり、位が高い家と甘い両親や兄に囲まれ、お金で大体の事を解決して来た。故に思い通りに行かないことが気に入らない。
故に今も祐斗の前で胸元のボタンを外し、此処で先日の続きを行おうとした。祐斗はその事に辟易し、リアスは祐斗の事しか眼中にない。
故に気付かなかった。二人が境内に入った途端にまだ青かった空が血の様な赤に染まった事に。数百数千羽の鴉が一言も発せずに二人を木の上から見ている事に……。
「其処の悪魔共。此処に何用だ?」
虫の声すら聞こえない静まった境内に凛とした声が響く。先程まで其処に居なかった人物の出現に気付いたリアス達の視線は彼女に向けられた。
「聞こえなかったか? 悪魔がこの場所に何用だ?」
其処に居たのは金糸の龍と銀糸の髑髏が描かれた黒い着物を着た美女。其の美しさは同性のリアスでさえ息を飲む程だが、其れは清姫の様な一輪の花を思わせる美しさでもキアラの様な妖艶さでもなく、研ぎ澄まされた刀身、抜けば玉散る氷の刃という言葉が似合う美しさ。鋭い眼光も腰の二本差しも彼女の美しさを際立てる材料でしかない。
「え、えっと、貴女は?」
「私は此処を所有する者の所の食客だ。……さて、これが最後だ。此処に何をしに来た? 立ち入る許可を出した覚えはない」
流石に眷属を誘惑しに来たとは言えないリアスだが、既に今の姿が物語っており向けられる視線は鋭い。今出来る事は一つ。今居る事の正当性を主張する事だけだ。
「この通り許可書はあるわ。だから……」
「其れが有効なのは天照配下の神と狐共の支配地のみ。此処は別だ」
彼女は早く出て行けとばかりに親指で外を指す。余りに素っ気ない態度にプライドを刺激されたリアスであったが、今の立場を思い出しトラブルは避けなければと思い直した。
「……そう、知らなかったのよ。だったら失礼するわ。行くわよ、祐斗」
「は…はい!」
其れでも彼女の態度と彼女に見蕩れる祐斗が気に入らないのか向ける目付きを厳しくしながら横を通り過ぎていく。
そして鳥居の前まで来た時、背後から声が掛けられた。
「ああ、そうだ。……頭上には気を付けろ」
リアス達に突如影が掛かり、上を向く。何年も野晒しにされたかの様に色褪せた巨大な骨だけの足が二人を踏み潰した。
「むっ。注意するのが遅かったか」
「……うっわ。悲惨な光景だね。アレどうする? 今夜の鍋にでも入れる?」
屋根の上から其の光景を見ていた恋花は彼女の横に飛び降りる。だが、声を掛けられたにも関わらず見向きすらされなかった。
「……あ〜、もしかして拗ねてるの、姫ちゃん? 龍洞君の指南を私が任されたから」
「拗ねてない。私がその程度で拗ねるものか。それと私を姫ちゃんと呼ぶな」
「良いじゃない。友達だし、私の方が年上だよ?」
そうは言っているものの、その顔は明らかに拗ねた顔。先程までの研ぎ澄まされた刃のような顔に人間味が浮き出ている。
「もう! 貴女はどうせ京都に帰って来たら鍛え直すんでしょ?
「ああ、当然だ。今のままでは価値のない塵に過ぎん。私が少しは価値が有る存在にしてやるさ」
五月姫、又の名を―――。尚、彼女こそが龍洞とギャスパーが心底恐る師匠である……。