発掘倉庫   作:ケツアゴ

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狂人達の恋の唄 ④

 コカビエルは闘いが好きだ。極限の状況下での血湧き肉躍る緊張感に高揚し、互いに限界まで力を絞り尽くしてぶつかり合う楽しさは忘れられない。

 

 だが、戦闘よりも戦争が好きだった。突出した個人の武が絶対ではなく、種族としての地力や連携、軍略など、全体と全体がぶつかるからこそ彼の持論が証明される。即ち、堕天使こそが至高の存在だと。だから大戦の勃発は嬉しく、死と隣り合わせの毎日に歓喜した。

 

 其れが狂ったのは二匹の龍の存在によるもの。戦場の真っ只中に決闘中の二匹、赤龍帝ドライグと白龍皇アルビオンが乱入し戦場は混乱に包まれた。

 

『たかが神如き魔王如きが我らの邪魔をするなっ!!』

 

 この二匹を鎮圧する為に三すくみの勢力は一時的に力を合わせ、やがて互いに多大な被害を出して終戦となった。それからのコカビエルの人生はつまらない物だ。神が作った道具に夢中の総督を始めとした戦争をする気のない仲間達。

 

 あのまま戦えば自分達が勝っていた。このまま冷戦が続くのなら散っていった仲間の死が無駄になる。どれほど言葉を尽くしてもアザゼル達は動かず、それが今回の事件を引き起こす結果となった。

 

 

 魔王の妹二人を犯して殺し、教会から奪ったエクスカリバーを使って大暴れする。最初から学園を強襲して二人を殺せば戦争は起きただろうし、教会にワザと潜伏場所を気取らせる必要もなかったが、どうせならと計画に遊び心を入れたのだ。どうせ上手く行くからと。……其れが予想外の二人によって狂わされた。

 

 

「汝、世に君臨し覇の理を神より奪いし二天龍なり」

 

 その呪文を聞いた時、コカビエルには何をする気か予想できた。二天龍を封印した神器の禁じ手中の禁じ手、『覇龍(ジャガーノート・ドライブ)』、生命力を大幅に削り一時的に二天龍と同等の力を得る技だ。

 

 それを知って尚コカビエルは邪魔をしようとしない。大戦時より強くなったという自負と、計画を邪魔された相手を叩きのめしたいという怒りからだ。

 

 幾ら二天龍の力を得ても使えるのは短時間のみ。ならばどうとでもなる、そう思っていた。

 

 事実、今までの所有者達は僅かな時間しか使えなかった。……つまり二天龍からすれば全力で暴れる、本人達からすれば龍の規格外の体力もあって少し疲れる程度だが、神器所有者からすれば文字通り命懸け。だが、其の戦いはニ天龍の戦いと認識され、所有者は赤龍帝や白龍皇と呼ばれている。

 

 

「自由を愛し、覇道を歩む」

 

 ・・・・・・・龍洞は其れが不快だった。彼からすればニ天龍への侮辱としか思えなかった。他人に興味を示さない彼が他人に怒りを感じる数少ない事、其れが神器を宿した()()の者を二天龍の名で呼ぶことだ。

 

「我、気高き御身を縛りし神の鎖を断ち切り この天の下に真なる支配者を呼び戻さん」

 

 何故其処までドライグ達に尊崇の念を感じるか。其の答えはこの場の誰もが理解した。宙に浮く刀より出でし赤龍帝の姿を見た者全てが理解した。忘れていたコカビエルさえ思い出した。

 

 

天理崩壊(てんりほうかい)天龍解放(てんりゅうかいほう)

 

 所有者同士の戦いなど、目の前の存在の戦いに比べれば、『ニ天龍ごっこ』、そう呼ばれても仕方ないのだと・・・・・・・。

 

 

 

 

「何なんだっ! お前達は一体何だって言うんだっ!」

 

 コカビエルは二天龍を憎んでいた。そしてそれ以上に恐怖していた。戦場で感じた圧倒的な力の差。経験や罠や知能でどうにかならない程の個体差。自分では決して届かない遥か高み。

 

 もはや自分に嘘はつかない。あの時声を聞いた時の震えは恐怖によるもの。その恐怖の対象が今、こうして目の前に君臨していた。

 

 コカビエルは必死に虚勢を張って叫ぶが心臓は高鳴り本能が危険信号を放つ。もはや背を向けて死に物狂いで逃げ出したい所だが、それでも歴戦の戦士としてのプライドが邪魔をしていた。邪魔をしてしまった。

 

『龍洞が、其処に居る俺の弟分が先程言っただろう? 貴様の手下に身内が傷付けられたと。戦争を起こしたいのなら、行動に出るべきだったな。魔王の妹を殺せば戦争になっただろうし、そうなれば天界も静観しなかっただろうに』

 

「貴方は選択を誤った。どうしても成し遂げたいのなら、娯楽要素など入れるべきではなかった」

 

 ドライグが復活した時に発生したエネルギーにより校舎は崩壊しており、その被害は校庭にも及んでいた。吹き飛ばされた土砂は砂嵐、いや津波の様に龍洞達に押し寄せたが、矮躯が飛ばされないようにと龍洞に押さえ付けられたギャスパーの目が妖しく光るとケルベロスの様に停止する。

 

「……一体何が起きているんだ」

 

 もはや状況に理解が追い付かず、信仰する神に封印された筈のドライグの復活と言う事実を呆然としながら認識するのがやっと。今の彼女の頭からは恨みのある龍洞への復讐や行方不明になったイリナの事、エクスカリバー奪還の任務の事すら抜け落ちていた。

 

 襲い掛かる土砂にはギャスパーの近くに居た為に飲み込まれなかったが、それでも余波で尻餅を着いている彼女はドライグの姿を眺めるしか出来ない。最早コカビエルの事など視界に入っても認識できない、其れほどの存在感が二天龍の称号を冠するドライグにはあった。

 

 

 

「ドライグさん。()は使わないで下さいね」

 

「ぼ・・・僕でもアレは停められませぇぇぇん」

 

『ああ、分かっている。そもそも使う必要すらない』

 

 ドライグは無造作に前足を振り上げる。まるで人間がアリを踏みつぶそうとするように、羽虫を手で払うかのように、其の挙動に敵意も殺意も籠もっていない。ドライグの目にはコカビエルは敵として映ってさえ居ないのだ。無論、それだけの力の差が有り、其れはこの場でコカビエルこそが一番理解していた。

 

 ドライグからすればコカビエルも下級堕天使も大した差はなく、一ミリと二ミリの差を目視で計るのはほぼ不可能。だが、二ミリの存在が目測不能な大きさと自分との間に測定不能な差が有るのを理解するのは容易かった。

 

「糞っ! 糞がぁぁぁっ!!」

 

 逃げられないのは分かっている。耐えられないのも防げないのも理解している。自分の攻撃などで痛痒を与える事など不可能だと、コカビエルが一番理解している。

 

 それでも! それでも諦めて死を待つだけの小物ではない。彼はコカビエル。聖書に名を記されし堕天使。自らの意志で偉大なる創造主に反逆し生き残った歴戦の戦士なのだ。

 

「此奴でも喰らいやがれぇぇぇぇええええええええええ!!!」

 

 其れは正しく決死の覚悟を込めた捨て身の一撃。生命力さえ光力に注ぎ込んだ生涯最強の槍。男の其の姿にドライグの口からさえ賞賛の言葉が漏れる。

 

『良い覚悟だ』

 

 

 

 

 

 だがやはり、圧倒的なのは・・・力の差。全身全霊の力を込めた光の槍は振り下ろされる前足に当たると同時に音を立てて砕け散る。最初から分かっていた結果だ。

 

「こんな筈じゃなかった! 魔王は死んだ! 神さえもだ! ならば我々堕天・・・」

 

 其れはコカビエルの最期の叫び。世界に自分達が君臨する事を夢見た男の言葉。だが、その言葉が終わるより前に、其の命は終わりを告げた。

 

 振り下ろされた龍の前足はコカビエルを肉片すら残さず消し去り、叩きつけられた地面は崩壊する。龍洞は咄嗟にギャスパーを掴んで跳び、退避が遅れたゼノヴィアは天地が逆転したかのように舞い上がる土砂に巻き込まれてしまう。

 

 

 

 

 計画が遂行されれば町一つ消え去る筈だった今回の一件は、駒王学園の完全崩壊という些細な被害だけで終わりを告げた。

 

 

「ドライグさん、何か言う事は?」

 

『すまん、すまん。久々に暴れたもので力加減を間違えた』

 

 土砂と瓦礫が混じり合い散乱する中、地面の一部が吹き飛んで、中から結界で身を守った龍洞とギャスパーが出てくる。ギャスパーは気絶し、龍洞はジト目。ドライグは誤魔化すかのように笑い、再び刀に戻ると自然と龍洞の手の中に収まった。

 

 

 

 

 

『所で明日は月に一度の飲酒の日だが肴は何だ?』

 

「ミノタウロス肉を仕入れています。酒は北欧の蜂蜜酒ですが良いですね?」

 

『おお! 其れは楽しみだ!』

 

 ギャスパーを背負いながら空を眺める龍洞。機嫌が良いし、口の中の物は余程美味しいようだ。先程の一撃で結界も決壊し、コカビエルの計画を外で警戒していたソーナ達は焦りを募らせながら遠目に姿が見えたリアス達を急かしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・おや」

 

 帰宅途中、缶コーヒーを買おうと自販機に近寄った龍洞がふと空を見上げた時、遙か上空を白い全身鎧を着た者が飛行していた。向かっているのは駒王学園の方向だ。

 

『アレは白いの・・・・・・・の宿主だな』

 

「興味あります?」

 

『俺を宿していた奴の様に、彼奴が神器を抜き取らせてくれたら、俺みたいに神器を改造して実体化した白いのと戦えるからな。でなければ興味はない。覇龍を使っても、小さい体で短時間白いのの力を使うのと、俺が短時間俺の力を使うのとでは違う』

 

 例え力自体が互角でも、体が圧倒的に大きい事は其れだけで有利だ。一撃の重さも、耐久性も、的が大きくなる以上のアドバンテージが存在する。

 

 故に、アルビオンを宿す者が居たとしても、ドライグは其の人物自体に特に関心を抱かなかった。あくまでドライグの宿敵はアルビオンであり、宿した相手ではない。だから宿主同士の戦いも、今のドライグはニ天龍の戦いとは認めていなかった。

 

 

 

 

 

 事件の顛末を語ろう。崩壊した校舎は一晩で修繕できるレベルではなく、不発弾が爆発したという情報を流し急ピッチで修繕する事となった。大勢で魔力を使えば数日以内には直るだろう。

 

 イリナは土砂から救出されたゼノヴィアがコカビエルのアジトへと戻り発見。一命は取り留め、奇跡的に発見されたエクスカリバーの核と共に本国へと帰還した。・・・・・・・ただしゼノヴィアは日本に残ったが。コカビエルの言葉を電話で報告した所、追放されてしまったのだ。今はリアスやソーナ達の世話になって暮らしている。眷属に誘われているが、踏ん切りが付かずに保留中だ。相手の中に印象の良い者が居ないのだから仕方ないだろう。

 

 アルビオンの宿主は堕天使側の人間でコカビエルを捕らえに来たが、状況から死んでいると判断。警戒して何も話さなかったゼノヴィアを一瞥して去っていった。

 

 木場だがエクスカリバーの破壊もバルパーへの復讐も果たせず、かといってリアスの眷属を完全に辞める事も出来ず、今は意気消沈して食事もロクに喉を通らないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・三すくみの会談に出て欲しい、ですか。まぁ、丁度良いですね」

 

 龍洞はお得意先であるV・Sからの依頼書を手に取る。依頼内容は三すくみの会談内容が知りたい。出来れば傍聴か出席がしたい、という内容であった。

 

  他人の成功を羨むのなら、其の人がして来た苦労も含めて―――などという事を言う者が居るが、『彼』は正しくそうだろう。

 

 昔、京都に一人の狐妖怪の少年が居た。生まれた時から家無し親無し名すら無し。生きる為に盗み、奪い、殺してきた彼はその内、化物として退治されていただろう。

 

 彼は天を恨んでいた。自分にこの様な宿命を与えた天を恨み、空を見上げる時は何時も憎悪を瞳に宿していた。

 

 彼は人を恨んでいた。自分の不幸など知る由もなく、欲しくて欲しくて堪らない幸せの価値も知らずに世の中を謳歌する者達が嫌いで、彼らに何をしようとも心が痛まなかった。

 

 彼は己を恨んでいた。何故自分はこの様な生き方しか出来ないのかと、己の不甲斐なさ、無力さ、運の無さを恨み、何よりも自分が嫌いだった。

 

「……おやおや、これは珍しい。獣が剣を持っている」

 

 何時もの様に盗んだ刀を使っての金稼ぎ。彼にとっては何度も繰り返した日常で代わり映えのしない事。だが、この日を境に彼の人生は様変わりする。

 

「……殺せ」

 

 彼はこの日の獲物を舐めていた訳ではない。たとえ明らかな弱者でも、くり返し戦えば何時かは自分にその牙が届く。其の何時かが来ないように彼は手など抜いてはいない、いないのだが、獲物は自分と同じ狐妖怪で、自分とは違う世界の住民。煌びやかな服装も、気品のある顔つきも、彼にとっては癪で、少しだけ剣筋が乱れた。

 

 そして、元より獲物の方が遥か格上で、負けた彼は死を求めたが、それは叶わなかった。

 

「いえいえ、殺しませんよ。……刀を交えている時、名など無いと申しましたね。では、私が貴方の名を決めましょう」

 

「……は?」

 

 思いもよらぬ言葉を聞き呆ける彼を男は屋敷に連れて帰り、其処が彼の家になった。

 

 

 

(……何を企んでいるんだ?)

 

 屋敷の者が彼に向けるのは、彼が知っているゴミを見る目ではなく、戸惑いながらも屋敷で日々を過ごす。何度も逃げ出そうとするもその度に捕まり、何時しか逃げ出す事を諦めて屋敷で暮らしていた。

 

 

 彼は後にこの日の事を思い出し、こう語る。あの日私は一度死に、新たに生まれ変わったのだ、と……。

 

 

 彼にとっての二度目の人生というべき日々は満ち足りていた。想像もしなかった幸せは日常となり、友や家族と言える者が増え、この世全てに向けていた憎悪は消え去っていた。

 

 

 

 そして、彼は自分が獲物にしようとしていた男の娘と恋に落ち、娘も生まれた。美しい妻と並んで座り、覚束無い足取りで必死に自分達の所に向かってくる可愛い我が子。この幸せが何時までも続く……そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

「ふむ。所詮はこの程度。狐など鬼の敵ではないわ!」

 

 高笑いしながら其の鬼は巨大な手で、向かって来た狐妖怪を握り潰す。彼の側近で老いた母の面倒を見ている親孝行者だった娘だ。彼は体中真っ赤だ。無数の刀や槍や矢が突き刺さり、己と己が斬り殺した鬼の血で服は真っ赤に染まり、辺りは紅蓮の炎に包まれていた。

 

 毒でも塗られていたか足はフラつき視界は霞む。その霞んだ視界に映るのは武器を持った鬼達と……何処か熱に浮かされたような目をした狐妖怪……彼の味方だった筈の者達だ。共に盃を交わし、笑いあったはずの仲間。其れが彼に刀を向けていた。

 

「あらあら、まぁまぁ。随分と丈夫ですのね。驚いてしまいましたわ」

 

 聞くだけで脳が蕩けそうな程の色香が篭った声が響き、醜い鬼や狐達が声の主の方を向く。その瞳は欲情しており、恋に落ちていた。尼僧の姿をしているにも関わらず、其の姿は見た者を堕落させ色欲の道に引き摺り込む。多くの仲間を殺した相手にも関わらず、妻を愛しているにも関わらず、彼でさえ其の姿を見た途端に欲情に駆られ、慌てて顔を左右に振って振り払った。

 

「キサマら、何が目的だっ!」

 

 鬼と狐は手を取り合う仲ではなかったが、それでも此処までの敵対はして来なかった。そう、この日までは。ある日行われた強襲。体勢を整える間もなく多くの仲間が殺され、多くの鬼を殺した義父である恩人は途切れなくやって来る鬼に纏わり付かれ、高笑いを上げる鬼が仲間ごと焼き殺した。

 

 

 この場に残ったのは既に彼だけ。毒は全身を周り命がやがて尽きる事は誰よりも彼が分かっている。だが、彼は自分が不幸だとは思っていない。

 

(……俺には相応しい死に方だな)

 

 自分の死は因果応報と思っている。だが、其れでもこの場に居ない仲間達、何よりも妻子の為に一人でも多くの敵を道連れにする。それだけを思い彼は命を力に変え、既に見えない目や効かない鼻を捨て、ただ向けられる殺気にのみ集中。……その瞬間、全身が総毛立った。

 

 殺気にのみ集中したからこそ分かった圧倒的な格の差。自分が生涯かけても放てないであろう、恩人を殺された今でも、想像すらしたくはないが妻子を殺されても自分では放てない濃厚な殺気。自分とは全く面識のない、何一つ因縁のない自分に対し、最早素手でも勝てるほど弱った圧倒的格下の自分に対して其れを放っていた。

 

「何故この様な事を?」

 

 

 だからこそ気付かなかった。幼子が蟻を踏み潰すかの様に、庭弄りで雑草を抜くかのように、殺気も敵意も欠片も向けず、ただ武器だけを向けていた存在に。

 

 

「奪い。壊し。犯し。喰らい。そして殺す。其れが鬼というもの。ただ其れだけですよ」

 

 首に刃が入る感触を感じ、一瞬の痛みの後に彼は死ぬ。クルクルと宙を舞う頭を最後に過ぎったのは愛しい妻子の姿だった。

 

(すまない。や……)

 

 愛する妻の名を頭の中で呼ぶ前に、彼の意識は途切れる。頭を失った体は前のめりに倒れ、頭は地面を転がって行く。其の惨状を引き起こした少年はそれらに全く関心を示していなかった。

 

「……むぅ。最後の最後で美味しい所を持って行きおって! ズルだズル! 吾は断固抗議する! 汝もそう思うよなっ!」

 

 絶対に納得行かないと鬼は抗議し仲間に同意を求めて顔を向ける。

 

 

 

 

「いえ、私は思いませんが?」

 

「そうっすよ、茨木の姉御」

 

「勝ちは勝ちっすよねぇ」

 

「……そ、そうか? 今の、ズルじゃないか? ……そうなのか」

 

 同僚どころか下っ端の鬼にさえ同意して貰えなかった彼女は涙目になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……随分と懐かしい。やはり茨木童子さんは弄られてこそ輝く方だ。……ん?」

 

 この日の朝、懐かしい夢を見た龍洞は布団から体を起こそうとして違和感に気付く。最初に感じたのは濃厚な酒の香り。匂いだけでよってしまいそうな強い香りだ。そして誰かが右腕に抱きつくようにして眠っている。其の姿には見覚えが有り過ぎた。

 

 オカッパの黒髪に二本の角、着物を肩に羽織っただけで前面は一部を隠しているだけだ。幼さの残る未成熟な肉体で凹凸が殆どない体付きだが、其れでも妖艶さを感じさせる彼女は差し込む朝日に反応してそっと体を起こした。

 

 

「お早うさん、龍洞ちゃん。今日も良い天気やなぁ」

 

「あっ、お早う御座います、大婆様」

 

 目が覚めたらベッドの中に遠く離れた地に住んでいる知り合いが入り込んでいた。普通なら驚く所だが、この人なら何をやっても変ではない、そう思っているのか龍洞には大して驚いた様子はなかった。

 

 だが、どうも彼女はそれが不満そうだ。自分ではドッキリが上手くいって慌てふためく姿が見られると思っていたのだろう。不満を頬を膨らませる事で主張し顔を背けていた。

 

「なんや、つまらんなぁ。少しは驚いてくれてもええのんとちゃうの?」

 

「大して驚きませんでしたから」

 

「つまらん、つ〜ま〜ら〜ん! ……まぁ、ええわ」

 

 手足をバタバタと動かしていた彼女だが、急に落ち着いて龍洞を頭の先から爪先まで眺め出すと指先を胸に、心臓の真上にそっと当てた。

 

 

「随分と強ぉなったんとちゃう? オーラが段違いや。ウチ、嬉しいわぁ。ええもん送って来てくれとるし、ほんま龍洞ちゃんはええ子やなぁ」

 

 母が、もしくは祖母が子や孫を褒めるかの様に頭に手を持って行き優しく撫でる。暫く撫でた後、今度は頬にそっと手が添えられた。

 

「ほんま、あの小僧によぉ似て来たわ。中身も見た目も違うけど気の質がそっくりや。態々あの小僧の子を攫って孕んだかいがあったなぁ」

 

「小僧……大婆様を()()()()()()()ですね?」

 

「そやそや。色々と勝負しとったんやけど、最後には美味いけど鬼には毒な酒飲まされて首撥ねられたって聞かせっとったっけ? お(とう)がウチらの魂を別の場所に分けとらんかったらこうしておらんかったなぁ」

 

 昔の事を懐かしみながらケラケラ笑い、今度はスンスンと鼻を動かす。潜り込んだ布団には激しい情交の痕跡が残っており、酒の香りに隠れているが僅かに匂う。

 

「……そや。ええ事考えた」

 

「え?」

 

 龍洞は決して細身なだけではなく、筋肉はしっかりと付いている。にも関わらず気付けば彼女の細腕に組み伏せられて居た。

 

 

 

 

「どうせアレやろ? 毎晩清姫ちゃんとよーさん楽しんではるんとちゃうの? 押し倒したは良いけどどうすれば良いか分からへんと困っとたんが成長したわ。……少し遊んで見るのんも楽しそうやなぁ。ほら、近親相姦っていうの?」

 

「あの、大婆様。後ろ……」

 

 貞操の危機だが龍洞は少しも慌てない。そして彼女が警告通りに後ろを振り向こうとした時、その頭に牙が突き刺さった。

 

『朝から何を盛っているか、この馬鹿者!』

 

「あ痛たたたたたっ!? 勘弁! 勘弁や、おと……琴湖っ!!」

 

 琴湖は両前足を彼女の両肩に掛け、その牙を頭に容赦なく突き刺す。流れ出す血で布団は真っ赤に染まった。

 

 

 

「……後で洗濯ですね」

 

「ちょっと、龍洞ちゃんっ!? どこ行くんっ!? ウチを助けて……」

 

『助けんでいい。暫く仕置を続けるから朝飯でも食べていろっ!!』

 

 聞こえてくる悲鳴を無視し龍洞は寝室を後にする。悲鳴が止んだのは五分後の事だった……。

 

「そう言えば何しに来たのですか?」

 

「なんやの。行き成りご挨拶やなぁ。ウチが可愛い龍洞ちゃんの顔見に来たらあかんの?」

 

 昼過ぎ、煎餅を齧りながら自分を追放した相手の方を振り向く龍洞。彼女が自分を可愛がっているのは幼い頃からの付き合いで理解している。名付け親で、家族と一緒に居た頃はよく遊んで貰い、彼女の元に移ってからも散々世話になった。

 

 だが、自分より大きな瓢箪を傾けて酒をグビグビと煽っている相手が只それだけの為に来たとも思えない。十中八九ロ碌でもない事、ただし一般的に、なのは予想が付いていた。

 

「顔見に来たんは本当。渡すモンや伝える事があったさかい、それならと思うてな」

 

 ジャラリと音を立てて差し出されたのは勾玉で作られた首飾り。翡翠や瑪瑙や珊瑚など、いっこいっこ違う材料で作られているが、素人の作品なのか少々作りが荒い所がある。何かしらの術も掛けておらず、価値はそれ程でもなさそうだ。

 

「狐の所からこれが良いって指定して受け取った賠償の品なんやけど……先代が娘婿に贈ったもんや。個人的な価値は高いんやけど、抗争を防ぐ品としては足りない。でも、ウチはコレで宜しおす。狐の顔が愉快だったさかいになぁ」

 

「まぁ、貰っておきましょう。……私としては舎弟が襲われたので物足りませんが、大婆様の決定には従いますよ」

 

 もう十分だからあげるとばかりに無造作に放り投げられた首飾りを龍洞はキャッチし、近くにあった小物入れに投げ入れた。中に入れられていた爪切りや鋏とぶつかる音がしたので少し傷ついたかもしれないが、もっと価値のある物を多く所有しているので二人に気にした様子はない。

 

「ふふふ、素直で良い子で結構や。ほな、その首飾りは修学旅行で京都に行く時に持ってくるんやで? あんさんが持っている所を見た狐が面白い事になりそうやからなぁ」

 

「はぁ。それで、伝えたい事とはそれですか?」

 

「いやいや、ちゃーんと他にあるよ。今度授業参観が有るんやろ? 本当ならウチが行きたい所なんやけど、ぬらりひょんと酒盛りする予定やさかい、幹部を向かわせるわ。龍洞ちゃんを可愛がっとったキアラちゃんならウチが行くのと同じやさかいになぁ」

 

「……それなら茨木童子さんで宜しいのでは? 人間嫌いなあの人に人間の変装をさせてどう見ても背伸びしているようにしか見えないスーツ姿をさせるとか」

 

「……其れも宜しおすなぁ。でもまぁ、キアラちゃんが行きたいって言うたんやし、ウチとしては滅多に会えない龍洞ちゃんで遊びたいんよ」

 

「この人でなし!」

 

「そうやで? ウチは正真正銘の鬼や」

 

 何を今更と言わんばかりの彼女に対し、龍洞は心底嫌そうな顔をしているが、その顔を見る為にやって来たのだから意味がなかった。

 

 決して逆らえぬ相手。天災を前にした矮小な存在にしか過ぎず、頭を下げて通り過ぎるのを待つしかないのだ。

 

 

 

「所でギャスパーちゃんはどうしたん?」

 

「コンビニの新商品巡りです」

 

 

 

 

 

 

 

「……うーん。新商品って割には昔発売していた頃と大して変化が……」

 

 毎週入れ替わる商品を逃すまいとネットを駆使して向かえるコンビニ全てを回っているギャスパーは今回の新商品はハズレだと判断する。財布の中身は龍洞から貰えるお金や株の投資で余裕があるが、それでもハズレ商品で無駄に消費した事へのショックは大きい。

 

 其れよりもショックだったのは一円足りずにお札を出す羽目になった事だ。

 

「おや、こんな所に居たのか。彼の家に行く手間が省けたな」

 

「ぼ…僕に何か用ですか? お金なら貸しませんよ」

 

 ギャスパーは行き成り話しかけてきた彼女、ゼノヴィアに警戒した眼差しを向けながら財布を体の後ろに隠す。其の光景はか弱い外国人少女からカツアゲしようとする外国人少女にしか見えない。制服は男子の物だが、普段の服装まで五月蝿く言われていないので今のギャスパーは水玉のワンピース姿だ。

 

 

 

「あの二人、可愛くね? 特に金髪の方」

 

「ああ、金髪の方が明らかに勝ちだな」

 

 だが、男だ。無情だが、ギャスパーは男で、先程から負けてばかりのゼノヴィアは女だ。

 

 

 

「……まぁ、良い。最近、悪魔になる方に心が傾いてね。いや、主への信仰が無くなった訳ではないのだが」

 

「悪魔になるとか厨二臭い事を公共の場で話すのはどうなんでしょうか……」

 

「……ちょっと路地裏まで来てくれるか?」

 

 咄嗟に警察に電話しようとするギャスパーだが、どうもカツアゲをする気ではないと思い、直ぐにでも掛けられるように発信ボタンを押すだけの状態の携帯をポケットに入れると言われるがままに路地裏について行った。

 

 

 

「実はだ、悪魔になるにあたってどの様に生きれば良いか教えられてね。信仰は捨てなくても良いらしいし、言われた通り、欲望に忠実に生きようと思うんだ」

 

(……あれだけ食べるのは食『欲』に忠実なんじゃないかなぁ。行き過ぎた暴食は七大罪の一つだし。それに信仰を捨てなくても良いって言っても……。あっ、さっきは揚がっていなかったホットスナックが出来上がる頃ですし、買いに行きたいなぁ)

 

「……それでだな。私も教会に所属している時は出来なかった女としての人生を送ろうと思ってな……私と子供を作らないか? 君は強かったしフリーだろう?」

 

「あっ、すいません。話聞いていませんでした」

 

 

 

 

 

 

「……っという訳だ。相手が居る仙酔龍洞は主の教えに反するから君しか居なくてね」

 

「この人が運命の相手だって思って反対を振り切って一緒になるカップルって居ますけど、相手の嫌な所ばかりが目に付く様になった頃に魅力的な相手が見つかるらしいですよ?」

 

「いや、私は子供が欲しいだけだ。そうだな、子供が父親の愛を欲しがった時にだけ会ってくれたら良い。ああ、私も初めてだし君も初めてだろうが安心しろ。どうにかなるさ」

 

 遠回しに断るギャスパーと、全く気付かないゼノヴィア。ギャスパーの耳に新商品が揚がったというコンビニ店員の声が届き早く行きたいが、だからと言って普通に断っても面倒そうだと困るばかり。

 

 

 

 

「あの、信仰心を捨てなくても良いそうですが、悪魔になったら聖水や十字架に触れませんし、祈ったり聖書を読むのにも困りますよ? 其れに……日曜のミサにも出られませんし、幼児洗礼も無理ですよ?」

 

「……あ」

 

 この瞬間、ギャスパーは何処ぞの新世界の神の様な笑い方をした。付け入る隙が出来た。故に畳み掛けるなら今だ。

 

 

 

「其れに今は天界と悪魔は敵対していますし、争いになったら内通を疑われませんか? あ、あの、それに僕は未経験では無いですよ?」

 

「……確かにな。コカビエルの一件で戦争が起きた場合、私は聖剣を天使や悪魔祓いに向ける事になるのか。……すまない。先程の事は忘れてくれ」

 

「あっ、はい。喜んで忘れます」

 

 冷静になった事で悪魔になる事のデメリットに気付いたゼノヴィアはそのまま去って行き、ギャスパーはコンビニで無事に新商品を買う事が出来た。

 

 

 

 

 

「『超有名大熊猫監修の唐揚げ ジャイ○ンシチュー味』……ゲフッ!?」

 

 この日、ギャスパーは三週間ぶりに走馬灯を見た。彼が向かったコンビニの店名は『アンノウンマート』。この日開店したばかりの店で、夕方には関連する書類や記録ごと店は無くなっていた……。

 

 

 

 

 

 二日後、今は使われなくなった旧校舎……ではなく神社で、恐怖の一夜が幕を開ける……訳はなく、何故か巫女衣装の姫島朱乃に出迎えられた龍洞は境内に向かっていた。

 

(この人、神社には住んでいなかった筈ですよね? 情報ではバラキエルは近くに構えた家から仕事場に向かっていたそうですし……コスプレ?)

 

「あらあら、うふふ。私に何か?」

 

「いえ、巫女服って仕事着ですし、巫女としての修行もしていない貴女が着るのはどうしてかなと思いまして。いえ、貴女はどうでも良いのですが、姫島本家が知ったら何か行動するかもしれませんし、巻き込まれたら嫌だなと」

 

「……此方です」

 

 返答を聞かなかったかのように振舞う朱乃は其の儘、来日した重要人物が居る場所を指差す。其処に居たのは計十二枚の羽と光の輪を持つ天使、大天使ミカエルだった。

 

 

 

「初めまして、仙酔龍洞君。私がミカエルです」

 

「ああ、貴方が天界のトップのミカエルですか。コカビエルの一件で恨まれているかと思いましたが、その様子は……いえ、殺意を完全に隠しているという訳でしょうか?」

 

「私が貴方を恨む? 一体何故?」

 

 この発言にミカエルは首を傾げるしか出来ない。自分の配下を助けて貰い、事件を解決に導いた龍洞に感謝の言葉と品を贈ろうと来たのだからだ。

 

 だからつい訊いてしまった。聞き逃していれば良かったのにだ。

 

 

 

 

「いや、だって最上級堕天使相手に雑魚を送るなんて、エクスカリバーを献上するような物でしょう? そんな事も分からなかったり、下部組織に全部任せて放置で良い様な事件かどうかの判断もつかない無能かと思いましたが、自分が何かしらの手段で起こした奇跡を神の祝福と言う様な()()()()行為を長年続けられる方が無能な訳がありませんし、だから邪魔をした私を恨んでいるのかと」

 

「……申し訳ありません。私は無能だったようです」

 

 どれだけ屈辱的でも認めるしかない、相手から悪意が感じられないからこそ、この場で無能と認める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスカロンですか……。大婆様に献上ですね」

 

 貰えた物は大して嬉しくなかった。

 

 

 龍洞が十四になった日、誕生日を祝うという名目で―――実際は何時も行っているのだが―――酒宴が行われた。だが主役の―――殆ど放ったらかしだった―――龍洞は落ち込みながら自室へと入って行く。何時も自分の傍に居てくれる(スートキングをしている)清姫が途中から居なくなっていた。

 

「……はぁ」

 

 本人が居ない所でエロ尼僧と呼んでいる『縁障女』の”殺生院キアラ(基本レズ)”からは『私の部屋で慰めてさしあげましょうか?』等と言われたので、酒を飲まされてフラフラしている舎弟の半吸血鬼を生け贄に捧げた。先程、彼女の部屋の方から悲鳴が聞こえたので性的な意味で食べられたのだろう。

 

 縁障女は菩薩の様な美しい姿で誑かした相手の血と精気を吸う妖怪なので大丈夫かとは思うが、一応は身内なので大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。ふと思い出せば、彼女が超強力な精力剤を仕入れていた気がするが、記憶の彼方に追いやると自室の襖を開けた。

 

「今日はもう寝ましょう」

 

 

 

「ええ、(わたくし)と一緒に寝ましょう」

 

 其処にはさも当然のように身体にリボンを巻いた清姫が居た。枕を二個置いた大きめの布団を背後に置いて、熱に浮かされたような瞳、人によっては獲物を前にした獣の目で龍洞を見ている。見ているのだが、其の瞳は其処には居ない何処かの誰かを見ていた。

 

 

「お誕生日おめでとう御座います、()()()。”ぷれぜんと”の清姫です。さあ! さあさあ! さあさあさあ! お受け取り下さい!!」

 

 体を殆ど上下させず、長虫が這うかの様に音を立てずに龍洞の眼前まで進んだ清姫はそっと顔を上げて無言でキスを求める。その腰に手が回され、唇が重ねられる。その感触を清姫が堪能するよりも前に視界がクルッと周り、浮遊感に襲われる。

 

「あ…安珍様?」

 

「……」

 

 気付いた時、清姫は布団の上に寝かされ、龍洞は彼女に四つん這いになって覆い被さっていた。右手は彼女の腰に回ったまま左手が帯を解いていく。シュルシュルという衣擦れの音を聞いた時、清姫の鼓動が高まった。

 

 

「あ…あの、(わたくし)まだ心の準備が……」

 

 清姫は愛に狂っている。会って間もない僧に夜這いを仕掛ける程には。

 

 

 だが、其れは結局拒否されて終わり、彼女の体は清いまま。思いばかりが先行し大胆になってはいるのだが、根本は純情な箱入り娘。いざ本番となると怖気付くのは当然の結果であった。

 

「あ…あの? きゃっ!?」

 

 だが龍洞の手は止まらない。帯を解くと着物ごと布団の外に放り投げる。昔の生まれで、着物だと形が分かるからと下着を着けていないので当然の様に着物を失えば生まれたままの姿であり、ただ見られるのとは違い押し倒されているという状況に羞恥心が限界を迎えていた。

 

「……貴女は自分をプレゼントすると言って来た。ならば私が好きにして良いはずだ」

 

 左手が清姫の小柄な体に似合わない大きさを持つ胸を触ろうとし……躊躇ってギリギリの所で止まる。無理やりやらされた酒呑童子との飲み比べで―――二人共拒否したがやらされた―――たらふく飲んだ酒の影響で理性が少し飛んでおり此処まで来たが、此処で止まっていた。

 

 

「……意気地がありませんね」

 

「……申し訳ございません。あの、序でに言いたい事が有るのですが……」

 

「ええ、どうぞ。嘘をつかず正直にお申し下さいませ」

 

 此処へ来て余裕を取り戻したのかホッとした様子ながらも少し不満そうな清姫は、伝えたい事があると聞いて頷く。その間にも彼女の両手は龍洞の背中に回っていた。此の儘では胸が丸見えなので少し近付いて貰おうとしたのだ。

 

 だが、それが裏目に出た。童○の龍洞は今の状況に緊張しきっていて、引き寄せられた事でバランスを崩し倒れこむ。肌が触れ合い唇が触れるまで数寸の距離。

 

 

「私が安珍の生まれ変わりだと、貴女が言うのならば正しいのでしょう。なら、貴女は私を安珍の生まれ変わりとして好きでいて下さって構いません。ですが……私が抱く貴女への思いは私自身の物。其れだけは覚えておいてください」

 

 

 

 

「……はい! 旦那様が、龍洞様が安珍様の生まれ変わりだという事()お慕いする理由です。(わたくし)、貴方様の全てを愛しております」

 

 引き寄せられた体は密着し唇が重なる。この日、二人の想いは初めて交わった。

 

 

 

 

 

「……あの、なさらないのですか?」

 

「此処から先ってどうするのでしょうか?」

 

 

 

 

「仕方あらへんなあ。ウチが教えたるさかい、今夜は楽しみや?」

 

 そして先程からのやりとりは全部覗かれていた。

 

 

「いや、それは流石に」

 

「なんや、ウチは嫌やの? 仕方ないなあ……茨木、教えたり」

 

「吾がかっ!? む…無理だ!」

 

「そやった、そやった。アンタ、陵辱は心地良いとか言うくせに経験なかったなあ」

 

 そして茨木童子の扱いは基本この様な物だった。

 

 

 

 

 

 

 

「よお! 勉強お疲れさん」

 

 龍洞とギャスパーが下校すると門の前に浴衣姿の中年男性が立っていた。彼の名はアザゼル、堕天使の総督だ。

 

 

「そうそう、駅前のケーキ屋が潰れるそうですよ、最後に何か買いに行きますか?」

 

「で…でも、彼処、不味いですよね? 納豆シュークリームや明太子ティラミスとかゲテモノばかりですし」

 

「でも琴湖はお気に入りなんですよね」

 

 二人はそのアザゼルをスルーして門を開けて中に入っていく。アザゼルが慌てて手を伸ばして門を掴むとようやく二人は今気付いたかの様に振り返った。

 

 

「それって不法侵入ですよ」

 

「やっぱり気付いてるんじゃねぇかよ……」

 

 他人に無関心とは聞いていたが、此処までとはとアザゼルは戸惑い、二人は再び背中を向けてしまった。

 

 

 

「おい、待ってくれよ! 少しお前に話があって来たんだ。土産あるから家に上げてくれや」

 

「……どうしますか? 私は早く家に入って清姫とイチャイチャしたいのですが」

 

「で…でも、あの人しつこそうですし、部下の方が上司を無碍に扱ったって襲って来ませんか?」

 

「ああ、コカビエルといい、先日の四人といい、部下の管理が出来ていない駄目上司ですし有り得ますね。……短時間でお願いします」

 

 本人を前にして容赦ない二人は話を進め、勝手に入って来いとばかりに背を向けて歩き出した。

 

 

「……やべ。心折れそう」

 

 

 

 

 

 

「ギャスパー、確か頂き物の玉露が有りましたよね? 勿体ないのでアザゼル総督には粗茶で、私達は悪くなる前に頂きましょう」

 

「はいぃぃぃぃ」

 

 ドタドタと廊下を走ってお茶を煎れに行くギャスパーの背中を眺めるアザゼルは今度は部屋の隅で寝転がる琴湖に視線を向ける。自分が何か妙な真似をすれば迷わず喉笛を噛み千切りに来る気だと感じていた。

 

(……ったく、これでフリーだっつうんだから怖いもんだぜ)

 

 アザゼルの情報では仙酔家は既に彼以外潰えており、仕事ではフリーを名乗っていると聞く。此処へ来る前は勧誘も考えたのだが、先程までのやり取りで自分以上に組織に向かないと判断を下していた。

 

「あ…あの、期限ギリギリのセール品ですぅぅぅ。粗茶ですがどうぞ……」

 

「粗茶ですって言いながら本当に粗茶を出されたのは初めてだぜ。……まあ、別に良いか。なあ、悪魔祓いの姉ちゃんが悪魔共に話したから俺にも情報が回って来たんだが……改造神器ってのを見せてくれねぇか?」

 

「嫌です。ドライグさんは無闇矢鱈と見世物になりたくないと普段から仰っていますし、どうせ他の勢力も言い出すでしょうから会談の時に持って行きますよ」

 

 取り付く島もない、とはまさにこの事かとアザゼルは逆に感心すらする。此処までの扱いを受けたのは初めてで、怒る気すらしなかった。

 

「まあ、ヴァーリの奴も興味を持ってるし……ああ、ウチに居る白龍皇……を宿している奴だよ」

 

 ヴァーリの事を白龍皇と呼ぼうとし、慌てて言葉を付け足す。神器の所有者を二天龍の異名で呼ぶ事を嫌っているというのも連絡を受けており、途中で明らかに機嫌が悪くなった顔を見たからだ。

 

「大変だったんだぜ。彼奴戦闘狂だし、二天龍……を宿す物の宿命に拘ってるからな。まっ、お前からすれば『ごっこ』なんだろうがよ」

 

「ええ、そうです、私からすれば玩具屋でヒーローのお面と変身セットを買って貰った子供がヒーローになった気でいるのと変わりません。既にドライグさんの許可なしでは力が発動しませんが、それでも所有者の私と戦いたいと言うのなら、この様にお伝え下さい。ごっこ遊びをしたいのなら、小さなお友達を探してしてください、と」

 

 実際、アザゼルも大戦でドライグ達の力を目にしており、其れに比べれば確かに……、と思ってしまう。二天龍の力を一時的に得る覇龍でさえ、本物と戦えばほぼ十割の確率で負けるだろう。巨体ゆえの重量や頑強さは同じ力だからこそ大きく響く。それに覇龍は短時間のみ。勝てるはずがないのだ。

 

 

 

 

「……んじゃ、帰るわ」

 

「ああ、ドライグさんからアルビオンさんに伝言です。『今の俺は、力を道具を使って使われているだけのお前と戦う気は起きん。自ら体を動かし力を使い、白龍皇としての力を、白蛇の名を取り戻したら相手をしてやる』、だそうです。……結界を張るのは誰だと思っているのでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だとよ」

 

「『ごっこ遊び』か。舐めてくれるね。そう思わないか、アルビオン? ……アルビオン?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(言ってくれるな、赤いの。だが、言われてみればそうだ。二天龍の名は我らの力を勝手に使う者に名乗られるほど軽いものか? 否! アレは我らのみ許された名! ……待っていろ、赤いの)

 

 薄暗い其の部屋は座敷牢という言葉が一番相応しいだろう。高温多湿な日本の夏の気温のせいか室内は蒸し暑く、入るとムワッとした空気が襲ってくる。

 

 室内には清姫の姿があった。目隠しをされた上で両手首を細い紐で縛られている。紐の先は天井に結ばれていて、何とか両足の裏が床に付く程の長さだ。

 

「……あっ」

 

 清姫は其の細身に何一つ纏っておらず、白い肌を完全に露出している。頬から流れ落ちた玉の様な汗が細い首に丸みを帯びた胸、括れた腰に小振りな尻を伝って床に落ちた。身動ぎすると軋む音が響く。暑さのせいか、それとも別の理由か肌は火照り息は荒い。

 

「……美しい。あまりに背徳的で魅力的な姿だ」

 

 背後から掛けられた声の主の手が汗が滲んだ肌に触れる。臍の辺りを円を描くように撫で回し、続いて腰に移動した手を上下にゆっくりと動かす。

 

「ひゃ…あっ……」

 

 手が動く度に清姫の口から声が漏れ、手の動きが激しくなる。やがて胸へと手が移動すると清姫は声を殺すように口を必死に閉じようとするのだが、手の平が胸を包み揉みだすと抑えきれなくなった。

 

「ふぁ…ひっ…‥ああっ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、普通にしませんか?」

 

「もう! 駄目です、旦那様っ! 偶に変化を付ける事で激しく燃え上がるというものですよ? 思い込みで龍に転じた(わたくし)はSにもMにも自由自在になれます」

 

「この様な事をしなくても、私は貴女と激しく燃え上がれますのに」

 

「ええ、勿論です。(わたくし)でも御座います。では、今宵はこのまま激しく……」

 

 

 

 

 

「琴湖様。夜食のオニギリを買いに行きますけど、何が良いですか?」

 

『明太子』

 

 今日も龍洞家は平常運転である。

 

 

 

「……またか」

 

 コンビニからの帰り、門の前で憤慨していた招かれざる客に視線を向けたギャスパーは辟易した顔で門を潜る。背後では影から生まれた獣が肉を貪る声が聞こえ、後で血を掃除しなくちゃな、と呟いていた。

 

 

 

 

「それでは今から配った粘土で好きな物を作って下さい。そんな英語もある」

 

「有り得ません、先生。今は英語の時間であって美術の時間ではありませんし、全く面白くないのでウケを狙わないで真面目にやって下さい」

 

 この日、駒王学園では公開授業が行われていた。中等部や初等部の生徒、各学部の生徒の保護者が学園に入ることを許される中、龍洞のクラスでは英語の授業で何故か粘土が配られる。

 

 本来ならば保護者達が騒ぎ出すのだろうが、何故か騒ぐ様子はない。それどころか龍洞の言葉に賛同する者すらおらず、保護者も生徒も巫山戯た授業を始めようとしている教師でさえ唯一点を見詰めている。

 

「あらあら、皆様に見詰められて穴が空きそうで……濡れてきましたわ」

 

 其処に居たのは正に色気の化身。場違いな尼僧の服装に剃髪と言った姿にも関わらず彼女は扇情的で魅力的。まるで誰もが、それこそ老若男女問わずの誰もが好みのエロ本を見ている時のような発情した視線を彼女に贈っている。頬を染めてクネクネと体を動かす仕草一つ一つが劣情を誘い、誰もが彼女に魅了されていた。

 

 

 

「……はぁ」

 

 こうなる事を予想していた様な溜息を吐く龍洞を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

「ギャスパー。……お互い苦労しますね」

 

「幾ら何でもキアラさんは……」

 

 授業後、廊下で顔を突き合わせた二人は互いの苦労を顔を見合わせただけで察する。ギャスパーの授業中も同じ様な空気だったらしく、今も先程の彼女を夢遊病の様になりながら探す者の姿がチラホラと存在していた。

 

「ソーナちゃん、待ってぇぇ!」

 

「来ないで下さい、お姉様ぁぁぁっ!!」

 

 そんな者達の間を縫うように、生徒達の手本となるべき生徒会長のソーナが羞恥に顔を染めながら走り、其の後ろを魔法少女アニメのコスプレをした女性が追い掛けていた。

 

 簡単に下着が見えるミニスカートに体のラインが丸分かりのピチピチの服。魔法少女のステッキまで手に持ち、学園で何時コスプレショーが開催されたのかと龍洞達が戸惑う中、二人は去っていった。

 

 

 

 

 

「……お姉様って呼んでいましたよね?」

 

「あ…あの噂って本当だったんでしょうか?」

 

 二人が思い出したのはソーナの姉で現レヴィアタンであるセラフォルーに関する噂。あまりに馬鹿馬鹿しいので裏を取る気にすらならなかった内容だ。

 

「いや、本当に脳味噌お花畑の痴女だったとは……。アレが魔王、つまり指導者で、外交担当?」

 

「悪魔って本当に人材不足なんですね。戦闘能力第一主義の弊害でしょうか?」

 

「まぁ、悪魔とは関係ない私達からすればどうでも良い話ですね。……いや、もしかしたら」

 

 龍洞がセラフォルーがあの様な言動を取る理由を考察しようとした其の時、離れた場所から騒めく声が聞こえてくる。その中には発情した身内の声も混じっていた。

 

「あ…あの、他人のふり、しませんか?」

 

「いえ、放置する方が後々恥になります。……出来れば関わり合いになりたくありませんが」

 

 

 

 

 

 この日、リアスの兄で現ルシファーであるサーゼクスも妹の授業を見る為に訪れていた。本人の羞恥心など全く気付かずビデオ撮影すら始め、良い映像が撮れたとご満悦だ。

 

 そんな彼に悲劇が、若しくは更なる幸福が訪れた。

 

 それは階段を上ろうとしていた時、ふと上を向いた彼の顔面に柔らかくも弾力がある物が押し当てられ、そのまま後頭部を強打する。階段からダイブするように落ちて来た彼女に押し倒される形でサーゼクスは仰向けに倒れ、左胸で顔面を塞がれた形で呼吸を封じられていた。

 

「むーむー!?」

 

「あっ……このような公共の場でその様に激しく……」

 

 サーゼクスは訳も分からず必死に息をしようと手を伸ばし、触れた柔らかい物を必死に押しのけようとする。傍から見れば学園の廊下で押し倒された男性(既婚者)が尼僧の胸を吸いながらもう片方を力強く揉んでいるようにしか見えず、男性陣は前屈み状態だ。

 

「舌まで使うなんて大胆な御方。あぁっ! 私、もう……」

 

 

 

 

 

「何をなさっているのですか、サーゼクス様?」

 

 廊下に絶対零度の声が響き渡る。人前で淫行を繰り広げているようにしか見えない二人に対し、銀髪のメイドが氷の様な視線を送っているが、サーゼクスは顔面を塞がれているので気付かず、必死に逃れようと手や顔を激しく動かし、女性はまずます身悶えるばかりだ。

 

 

 

 

「いや、廊下で何をしているのですか、キアラさん。その方、息が出来ない様ですよ」

 

「あら、龍洞君。……息? あらあら、まぁまぁ」

 

 この時になって彼女、キアラはサーゼクスの状態に気付くと立ち上がる。漸く解放されたサーゼクスは何があったか、何故グレイフィアが怒っているのかなど理解出来るはずもなく困惑するばかり。

 

 その様な中、頬に手を当てて困り顔をしていたキアラはサーゼクス達にそっとお辞儀をした。

 

 

 

「サーゼクス様とお見受け致します。私は龍洞君とギャスパーちゃんの関係者で……殺生院キアラと申します」

 

 以後お見知りおきを、と笑みを浮かべるキアラだが、サーゼクスの視線は彼女の胸を向いている。ほんの僅かな間にも関わらず、サーゼクスは軽くであるが魅了されてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「サーゼクス様、あちらでお話が」

 

「グ…グレイフィア……さん?」

 

 げに恐ろしきは女の嫉妬。かつて女性からの恋文を読まずに文箱に入れていた美男子が、中に溜まった陰の気で醜い鬼になった事もある。

 

 

 ギャスパーはそっと念仏を唱えた。サーゼクスがあまりに哀れだったから……。 地獄へ誘う穴が開く。其処から先は一方通行。口を揃えて皆が言う。老若男女変わりなく、迷いなく、躊躇なく。彼女こそが救世主だと。

 

 『魔性菩薩』、殺生院キアラをよく知る者は恐れを持って、そう呼んだ。その笑みは美しく、菩薩の如き慈愛に満ちる。だがしかし、綺麗な薔薇には棘がある。ならば綺麗すぎる薔薇には、美しすぎる存在には、棘どころか致死性の猛毒が有る。

 

 とある高僧が居た。長年仏への祈りを捧げ、悟りを開き、多くの人を導いて来た。そんな彼も当然の如く歳をとり、多くの者に惜しまれながら大往生を遂げる。其のはずだった。だが、その末路は悲惨なもの。キアラと出会ってしまったばかりに、彼女に魅了されてしまったばかりに。

 

 彼の最期、悟りを開き、一切の煩悩を捨て去った彼の死因は腹上死。齢八十を超えた老体で寝食を忘れ、色欲のままキアラの体を三日三晩貪り続けた。

 

 とある研究者が居た。多くの人を救いたい。その余りに純粋過ぎる情熱と類稀なる才能を持ち合わせた彼は、やがて数多くの難病の特効薬を開発する……其のはずだった。

 

 だが、キアラと出会ってしまった彼は、彼女を手に入れる事だけに全ての才能を、資金を、情熱を注ぎ込み、堕落の果てに恋煩いのまま死んだ。死因は過労死。たった一晩酒の勢いで犯した過ちが忘れられず、一睡する間も惜しいとばかりに動き続け、そして死んだ。何一つ成果を残す事もなく、かつての情熱など忘れ去ったまま。

 

 キアラは多くの者の人生を狂わせ、その周囲にまで破滅を齎せて来た。だが、自分の本来の未来を知っても直接関わった彼ら彼女らはキアラを絶対に責めず、彼女に救われたと断言するだろう。

 

 その様な悲劇を齎せ続けるキアラだが、彼女に悪意はない。彼女自体は菩薩のように慈愛に満ちている。だからこそ、その美しさと合わさって多くの者に求められているのだ、彼女の行動理由は純粋な、そう純粋な……性欲のみである。

 

 

 

 

 

 

 

「それでは私は京都に帰りますね」

 

「ええ、出来れば私が京都に向かう時は出掛けていて下さい」

 

 そんなキアラに魅了されていない数少ない存在である龍洞は、はっきり言って彼女が苦手だった。彼女に性的に食われたギャスパーも、心まで毒に侵される前だったのでやや恐怖している。清姫は特に好きでも苦手でもなく、只の世話になった知り合い程度の認識だ。

 

 ただし、龍洞が苦手としているので深く関わろうとはしなかったが。

 

「あらあら、照れているのですね。……そうそう。この前、床を共にした方に誘われたのですが、三すくみの不穏分子が集まった組織が存在するようです。もしかしたらジークフリードさんとやらも其処のメンバーかもしれません。どうも英雄の子孫が中心の英雄派という派閥があるそうで」

 

「……いやはや、どれだけ世界に迷惑を掛ければ気が済むのか。そして下らない。英雄というのは……」

 

「高潔な信念と絶対的な力を持ち、自己犠牲の果てに其の人生に感銘を受けた者から受ける称号。昔から何度も聞かされていますから存じておりますわ。神から貰った他者の力を振るう道具に頼る者が二天龍を名乗るのも、英雄に足らない贋作が英雄を名乗るのも不快極まりない、でしたね」

 

 クスクス笑うキアラはまるで親戚の子供に接する大人のようで、じっさい彼女からすれば龍洞はその様な存在だった。ただ、隙あらば頂こうとは企んではいるのだが。

 

 尚、彼女自身は同性愛者だが、性欲の対象は赤子から老人まで男女問わず幅広い。

 

 

 

(今度出会ったらあの銀髪の彼女を誘ってみましょうか? 私と同じタイプだと噂でお聞きしていますし)

 

 今度のターゲットはグレイフィアの様だ。尚この噂だが、グレイフィアは夏休みまで知らずに居た。

 

 

 

 

 その後、街中で観光するサーゼクスと相変わらずのメイド服のグレイフィアと出会ったり、ついキアラの事を訊ねたサーゼクスが妻であるグレイフィアの嫉妬を買ったり、清姫と夜中のデートをしたり、色々あったが会談の日がやって来た。

 

 

 

「おや、お久しぶりですね、会長」

 

「……其れは?」

 

 ソーナは龍洞が片手でぶら下げた人形、胡桃割り人形に視線を向ける。この様な場所にそのような物を持ってくる理由はないし、其れからは何かしらの力を感じた。

 

「おや、聞いていませんか? 私が出席する条件として、私の知人が正体を隠して出席すると。中には彼の事を知っている方もいらっしゃいますし、人形を通すことにしたのですよ」

 

『S・Vとだけ名乗っておこう。君達に呼ばれる事はないと思うがな』

 

 人形から聞こえてきたS・Vの声はそれなりの歳の老人の物だとは分かるものの、何かしらの術が掛かっているのか、どの様な声か聞いたばかりにも関わらず思い出せない。ただ、その声には敵意が篭っていた。

 

 

 

 

 

「皆揃ったようだね。では会談を始める前に大前提を確認しよう。此処に居る者は聖書の神の死を知っている」

 

『……』

 

 S・Vも予め聞かされていたようで衝撃的な内容にも関わらず特に言葉を漏らさない。ただ、彼の本体は拳を握り締め今にも泣き出しそうだった。

 

 

 

 

「……以上が私とイリナが関わった……と言うのも烏滸がましいレベルですが今回の事件の概要です」

 

「まさか赤龍帝が復活するとは……」

 

「こうして改めて聞かされても信じがたい話ですね……」

 

 ゼノヴィアの話を聞いた三すくみのトップ陣はドライグに関する話にザワめき、龍洞に注目が集まる。そしてゼノヴィアが着席すると今度はミカエルが口を開いた。

 

「ご苦労様でした、ゼノヴィア。……追放の件、本当に申し訳ございません。ですが今の天界は神の残したシステムで運営していまして、神の死を知る者が本部に近づくとシステムに影響が出るのですよ」

 

『……聖女アーシアを追放したのもシステムに関わるのですね?』

 

 この時、ずっと黙っていたS・Vが会談が始まって初めて口を開いた。その言葉を濁すことは許さないという意思が込められた言葉にミカエルは頷くしか出来ない。

 

 

 

 

『……なら、何故追放した者達を受け入れる施設を極秘に作らなかったのですか? 彼ら彼女らはずっと教会で生きて来た。外で生きて行く術を持たない者も居たのですよ! 何故追放されたのか分からぬまま野垂れ死ぬ者も居たはずだ!』

 

 其の言葉に篭った怒りにミカエルは黙るしかない。何一つ言い訳のしようなどないからだ。

 

『……失礼しました。どうぞお続け下さい』

 

 その態度にS・Vが何処の勢力に属する者かこの場に居た全員が理解した。だからこそ故の怒りであると理解してしまった。

 

「では、次に私ですね。……これがドライグさんが今封じ込められている改造神器『龍刀・帝(りゅうとう・みかど)』です」

 

『久しぶりだな、と言った所か?』

 

 その刀に最も反応したのはヴァーリだった。アザゼルの傍で腕を組んだまま目をギラギラと光らせる。その他のトップ陣も聞こえてきたドライグの声と刀から発せられるオーラに其れが本物であると信じるしかない。

 

「昔、籠手の方の所有者と争いまして、最終的に体から抜き取って死んで頂きました。……っと言うより、世界中で何度も暴れて居るのですから、天界が責任持って回収後に封印すべきだったのでは? たまに親が放置していた銃を子供が弄って発射されたというニュースを見ますが、それを悪質化したレベルですよね?」

 

『そう言ってやるな。お前の所には被害者が出なかった訳だし、、屋敷の破損も直ぐに直っただろう? 其れに封印しても我らの力を求めて奪おうとする愚か者は居るだろうからな。なあ、白いの?』

 

 ドライグの挑発するような言葉にヴァーリの頬が愉快そうに釣り上がる。しかし何も言わず、アザゼルはその仕草に違和感を感じていた。

 

「ああ、アザゼル総督には言いましたが、この状態になった事でドライグさんの意思無しでは倍化も譲渡も使えません。なので仮に奪えても赤龍帝ごっこは出来ないとお伝え下さい」

 

「あれ? どうして私達を見て言うの?」

 

 態々自分達の方を向いて放たれた発言にセラフォルーは少し不満そうだ。服装こそスーツだが、何時もの軽い口調で抗議する彼女に対し、龍洞の方も何故言われたのか分からなさそうな顔を返した。

 

「いや、今でさえ悪魔貴族による理不尽な契約などが横行して、貴女方はそれを知っていても止めようとしていないでしょう? まあ家督を継いで経験を積む前に魔王に推挙された時点で、最初から傀儡にしやすいように仕組まれていたのでしょうね なら、一応無駄だとは思いましても言っておきませんと。行き成り来て眷属になれとか言われても迷惑ですし」

 

「……」

 

 その発言を聞いてサーゼクスはある事に思い当たった。最近、上級悪魔が数人行方不明になっているのだ。周囲の者によると誰かを眷属にしてくる等と話していたらしいが、其れに龍洞が関わっているのではないか、と。

 

「そうそう。無理やり眷属にしょうとして来たら此方も手荒な手段を取らせて頂きますし、その事で魔王として武力を使おうという気配がありましたらドライグさんが冥界で暴れるそうです」

 

『ああ、うっかり堕天使にまで被害が出るかもしれんから、アザゼルも馬鹿な悪魔には注意しておけ』

 

 だが、黙るしかない。こういう手段を相手が取ってくるのは予想がついたし、万が一そのような事になればドサクサに紛れて他の神話が介入してくるだろう。それこそ二天龍の力を無理やり引き入れようとした悪魔を危険視して、という大義名分を掲げてだ。

 

「……あー、なんだ。そろそろ次に移ろうぜ」

 

 アザゼルのこの発言はサーゼクスには助け舟に聞こえ、実際にそのつもりの発言だった。そして会議は続き、アザゼルが白龍皇等の戦力を引き入れた事を危険視しているとミカエルが言ったり、アザゼルがそれをノラリクラリと躱したりしながらも進んでいく。

 

 

「……あ、なんだ。俺から提案がるんだが、その前に世界をどうにか出来ちまう奴らに訊くぜ。龍洞……呼び捨てで良いか? お前は世界をどうしたい? ヴァーリもだ」

 

「ええ、別に構いませんよ。私にとって貴方はどうでも良い存在だ。だからどう呼ばれても気にしませんし、同じ理由で世界がどうなろうと興味は有りません。私は身内と……何より愛する人と笑っていられれば其れで十分です」

 

「そ…そうか。な、ヴァーリはどうなんだ?」

 

「……ヴァーリはどうなのか、か。今となっては意味のない質問だな。世界なんぞに興味がないのは此方も同じだ。俺は唯一の白龍皇として赤龍帝と決着を着けられれば其れで良い」

 

「……あん?」

 

 その不可解な返答にアザゼルが聞き返した時、学園内の時間が停まった……。

 

 

 

 

 

 

 

「あ…あの、僕と同じ神器でしょうか? 多分禁手だとお…思いますけど、僕のとは違うようですね」

 

「いや、貴方と同じのがホイホイ居たら世界は終わりますって」

 

 室内では龍洞とギャスパーとヴァーリ、そしてトップ陣とグレイフィア以外はビデオの一時停止をされたように止まっている。外で陣取っていた警護の者達、揉めればその場で兵士になって市街地に存在する学園内で戦う事になっていたであろう悪魔天使堕天使達も停まっている。

 

「『停止結界の邪眼(フォービトゥン・バロール・ビュー)』か。ってか、其処の半吸血鬼も禁手に目覚めてんのかよ。……どんなんだ?」

 

『今はその様な場合か?』

 

 流石は研究者とでも言うべきか、アザゼルはこの様な時でも神器に興味を持っているようだ。停まっていなかったS・Vの責めるような声に誤魔化すように視線を外すも未だチラチラと見て来ていた。

 

 

「襲撃か」

 

「まあ、こんな会談の時には反対する過激派が出るもんだぜ」

 

『……分かっているのなら、何故市街地で会談を行った? 人間など巻き込まれても良い,そういう事か?』

 

 再び責めるような口調で言葉を放つS・V。今度の言葉はミカエルにさえ向けられている様にも聞こえた。ミカエルがその様な事に思い当たっていない筈がない。信頼するからこそ不信感を感じたのだろう。

 

 

「話は後だ。……お客さんだぜ」

 

 校庭に出現した巨大な魔法陣。其処から無数の魔術師が出現し校舎に攻撃を仕掛ける、だが、ミカエル達が張った結界に阻まれた。

 

「私達は結界に集中し襲撃者を市街地に逃がさないようにします。動ける方々で対処を……」

 

(……そもそも街中で行わなかったらその様な必要も無かったのでは? これがマッチポンプと言う奴ですか)

 

 街を守るような事を言っているが、そもそも街を危険に晒したのはミカエル達の選択ミスだ。龍洞がその様な事を考える中、無数の光の槍が魔術師達を串刺しにする。

 

「……キリねぇな。こりゃ首謀者が出てくるまで倒すしかねぇか」

 

 面倒臭そうに校庭に視線を向ける。大勢の魔術師が死んだが、魔術師達はどんどん出現していた。

 

 

「ギャスパー。少し勝負しませんか? どちらの兵隊が大勢倒せるか。……負けた方が全員に鰻重特上奢りで」

 

「は…はぃぃぃぃ! じゃあ、五十体ずつで……禁手化(バランスブレイク)!」

 

 その様な空気の中、龍洞とギャスパーは呑気な雰囲気で校庭を見詰める。

 

 

 

 

 

 其の瞬間、校庭中が闇に包まれる。それと同様に、まるで墨汁を入れたバケツを引っ繰り返したかの様に龍洞の影が広がっていく。

 

 

 

「な…何が起きてるんだ?」

 

 アザゼルが呟く中、闇から無数の魔獣が湧き出す。それはアザゼルでさえ知らない異形達だ。

 

 

 影からも同じように何かが湧き出す。まず出てきたのは黒い靄に包まれた太い腕。其の正体は人間の上半身と獣の下半身を持つ化物や頭部だけの化物。そして……八枚の黒い翼を持ち光の槍を持つ男。靄のせいで姿をハッキリと認識できないが、アザゼルは其れが誰か長い付き合い故に理解できた。

 

「コカ…ビエル…?」

 

「正確には其の食べ残しです。元より大分弱いですよ。……所でアザゼル総督。神器にお詳しいなら訊きたいのですが……」

 

 コカビエルはアザゼルの声が聞こえていないのか、そもそも理解する知能がないのか見向きもせずに校庭に向って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆、禁手化する時に毎回叫んでいますが、喉を潰せば封じ込められます?」

 

「……さあ? 考えた事ないな」 人は何処か自分が特別な存在だと思っている。其れは類稀なる天才だとか、他人はゴミだとか極端な物ではなく、極々普通な内容だ。

 

 例えば事故。誰しもが自分も事故に遭う可能性を理解しているが、それでも何処かで思っている。まさか自分は、自分だけは大丈夫だ、と。

 

 彼もそうだった。魔術師の一族に生まれ、魔術師の組織に入り、組織の方針として三すくみのトップ陣に襲撃を掛けた。中級悪魔クラスという常人を超越した力には酔いしれているものの、だからと言って魔王クラスに勝てると思う程に愚かではない。

 

 だが、それでも人数は多いし、今回の襲撃の首謀者や自分達の後ろ盾から負けるとは思ってなかったし、それなりに被害者は出るとは分かっていても自分は生き残ると根拠もなく思っていた。

 

「なのに…。何なんだ、一体何なんだっ!?」

 

 彼に向かって来たのは黒い靄に包まれた男。靄のせいで詳しい姿は分からないが、其れでも背中から生えた蝙蝠に似た翼が悪魔だと証明している。其の心臓があるべき場所を魔法で撃ち抜いた彼は自分の強さに酔いしれ、次に恐怖で固まる。

 

 其の悪魔は()()()()()()()()()()()()()()()自分に襲いかかって来たのだ。口からドロドロとした煙のような血を吐き、掴み掛って来た指が肉に食い込む。其の儘肉食獣――或いはホラー映画のゾンビ――の様に涎を口から零しながら喉に食い付く。ブチリ、という音と共に首に激痛が走り、血が噴水のように吹き出す。

 

 肉を食い切られた、と、理解した彼が最後に見たのは自分に向かって放たれた魔力の塊だった……。

 

 

 

 

 

 

「あぁっ! ぼ…僕が負けそうです。……堕天使幹部は卑怯じゃないですかぁ?」

 

「はっはっはっ! 勝てば良かろう、ですよ」

 

 校庭は阿鼻叫喚の地獄絵図と変貌している。二人が呼び出した兵と魔獣達は己の身が傷付いても止まらずに蹂躙を続け、死兵と化した正体不明の敵に魔術師達は抵抗するも命を散らしていく。

 

 その断末魔の叫びが響く中、龍洞とギャスパーは呑気に撃破数を数えていた。特にギャスパーなど右半身が魔獣を生み出す物と同じ闇に包まれ目が赤く怪しく光っており、放つオーラは寒気がする程に凶悪だ。

 

「……おい、なんでコカビエルの野郎が居る? 彼奴はドライグに殺られたはずだろうが」

 

 誰もが心の何処かで怖気付き、二人を遠巻きに眺めるしかない中、アザゼルが話し掛けた。彼の視線の先には死んだコカビエル、ただし理性を失っているのが一目で分かる力任せなだけの戦い方だ。

 

 例え戦争の引き金になりかねなくても、永久に投獄するしかない凶悪犯でも、其れでも長命種の堕天使でさえ長いと感じる年月を共に過ごした仲間。黙って見ている訳には行かなかったのだろう。

 

 

「先程言ったじゃないですか。()()()()だって」

 

「……お前、まさかっ!」

 

 アザゼルが放っていた気迫は正に歴戦の戦士に相応しもの。真の実力は彼を大きく上回るサーゼクスでも出せない、培った戦歴こそがモノを言う戦士としての威圧感。

 

 だが、ギャスパーは固まるも龍洞は平然としている。まるで道を尋ねてきた老人に再び同じ説明を求められた程度の様な態度で少しも臆した様子はない。

 

「ええ、魂を食べました。私、先祖返りでか、魂や思念を食べて力の一部を吸収出来るのですよ。吸収しきれないのはああやってリサイクル出来ますし、便利な力でしょう?」

 

 

「てめぇ、ロクな死に方しねぇぞ」

 

 正に死者を冒涜する行いにアザゼルは苦言を呈する。本来ならば此処で胸ぐらをつかむなどをしていたかもしれないが、その様な短絡的な行動に出るようでは彼は今まで生き残って居ない。高い知能と戦闘力、そして危険感知能力があったからこそ古の堕天使であるアザゼルは未だ健在なのだ。

 

 

「ええ、その程度理解していますけど、()()()()()() 私も貴方方も存在し続ける限り不幸を撒き散らかす害悪で、マトモな死に方を望むなど図々しい話など理解しているでしょう? でも、私は死に方は決めています。愛しい妻の手で死ぬか、彼女を殺して自分もすぐに死ぬか。一般的には多分マトモではない死に方なのでしょうが、私からすれば最高の死に方です」

 

(此奴、何でそんな事を平然と……いや、子供が将来の夢を語るようなキラキラした瞳で言えるんだよっ!?)

 

 歴戦の戦士であるアザゼルは、この会談が始まってから初めて恐怖という感情を感じ、気付けば後退りしていた。まるで龍洞とは少しでも距離を取りたいとでも言う様に……。

 

 

「さて、此処で一気に突き放します」

 

 龍洞はそんなアザゼルから視線を外すと右手を前に突き出し、何かを握るように指を曲げる。顔に浮かべるのは勝利を確信した笑みで、異変は直ぐに訪れた。

 

 

 

「ガッ……」

 

 黒い靄に包まれた者達は一箇所に集合し、粘土細工のように体をくっ付け合う。無理に体を伸ばしたり曲げたりする事で骨が折れる音が響き、表情は分からないが叫ぶ知能があれば死を懇願した事だろう。

 

 

「なんだよ、あれ……」

 

 アザゼルが呟く中、校庭で完成したのは例えるならば巨大な長虫。口内――と言うより体内――にはヤスリの様な小さな牙がビッシリと生えている。其の体内に魔術師達は次々と飲み込まれて行く。

 

 

「ぎゃああああっ!」

 

「誰か…誰か助けてっ!!」

 

「お母ちゃぁぁぁぁぁんっ!!」

 

 次々に上がる悲鳴も捕食者の慈悲を買えるはずもなく、次々と魔法使い達は飲み込まれて行き、今最後の一人が飲み込まれると同時に其の巨体が高速で回転し始めた。余りにも回転速度が早すぎて輪郭すら見る事が叶わず、竜巻と化して周囲を巻き込みながら回転を続ける。

 

 この時、アザゼル達は風の音が大きくて良かったと思う。もし風の音がなかったらば肉が引き裂かれ骨が砕かれる音を聴き続ける事になっただろうから。

 

 

 

「私の勝ちの様ですね」

 

「はい……」

 

 ギャスパーは何処か不満そうにしながらも頷き、元の姿の戻ると同時に魔獣達も消え去る。長虫の様な怪物も校庭まで伸びた龍洞の影の中に潜って消え去った。

 

 

「さてと、後は時間を停めてる奴らだが……ヴァーリ?」

 

 アザゼルが神のの持ち主の居るであろう方向、旧校舎の方を向くとヴァーリが背中から光る翼を出して飛び上がった。高く高く誰よりも高い場所で学園の敷地全てを見下ろすヴァーリの瞳は冷たい。其の口に超高密度のエネルギーが集まりだした。

 

「おいっ!? 一体何を……」

 

 アザゼルの言葉が終わるより前に、ヴァーリの口からドラゴンブレスが放たれた。拡散して驟雨の様に降り注ぐエネルギーは新校舎のみを態と避けるようにして数秒間降り注ぎ続け、旧校舎と()()()()を飲み込む。収まった後に残ったのは誰一人居ない穴だらけの荒野。その光景から最初に我に帰ったのはサーゼクスだった。

 

 

 

「アザゼル! これは一体どういう事だっ!」

 

 此処に来てアザゼルの信用の無さが疑念を加速させる。態々連れて来て会議室にまで入れたヴァーリが護衛を皆殺しにしたのだから仕方ないだろう。だがアザゼルは答えない。信用していたヴァーリが引き起こした事態に頭が付いていかないのだ。

 

 

「はははははははっ!」

 

 其の時、ヴァーリの口から笑い声が響き渡る。だが、その声はヴァーリの物では無い。

 

 

 

 

「……テメェ、何しやがった? 答えろ……()()()()()!!」

 

 そう、その声は白龍皇アルビオンの、ヴァーリの持つ神器に宿ったドラゴンの声だった。アザゼルの怒号は空気を震わせ、その威圧感は先程までの比ではない。

 

 

 

「何をした? あの小僧に私の名前と力の使用料を払って貰っただけだ。()()()()()()()()()()が一時とは言え白龍皇の名で呼んで貰えたのだから安いものだろう?」

 

 だが、アルビオンは動じない。動じるはずがない。()()()()()使()()()()の威圧に二天龍が怯むはずがない。アルビオンはアザゼルの威圧をそよ風にも感じていない顔で龍洞の手元に有る龍刀・帝を――其処に封印されているドライグを――見た。

 

 

 

 

『ほぅ。やはりな……』

 

「ああ、貴様の言葉のおかげで思い出せた。ヴァーリの魂を()()()()体を手に入れる事が出来たぞ、赤いの」

 

 其の言葉に龍洞とギャスパー以外の全員がドライグの方に視線を向ける。最初から気付いていたのか、という意思を込めて。

 

 

「……ヴァーリ君。いや、アルビオン。君が今回の主犯かい?」

 

 サーゼクスは滅びの魔力を体から放出しながら問い掛ける。だが、帰ってくる答えに予想が付いていた。

 

 

「いや、違うな。ヴァーリの奴が暴れたがってたから、せめてもの情けで叶えてやっただけ。……主犯は別に居るさ」

 

 アルビオンの返答が終わるのが合図だったかのように会議室に転移用の魔法陣が出現する。其処に描かれていた紋様を見たサーゼクスは歯噛みをした。

 

「旧レヴィアタン……」

 

 

 

「御機嫌よう、現魔王の皆さん」

 

 現れたのはメガネの女悪魔。前魔王の血を引くカテレア・レヴィアタンだ。其の瞳に宿るのは憎悪。己が継ぐ筈だったレヴィアタンの座を奪い、剰え巫山戯た格好と言動と番組でその名を貶めているセラフォルーに特に向けられていた。

 

 

「私が此処に来た訳は分かりますね? 貴方達偽の魔王を討ち滅ぼし……」

 

 

 

 

「若様っ! ()()()()来ました。あの予想は当たっていたんですね」

 

 誰しもがギャスパーの其の言葉の意味が分からず、最初に思い当たったのはカテレアだ。彼女は今まで以上に敵意を漲らせ、それ以上に屈辱に震えていた。

 

「……成る程、そういう事でしたか。……私はまんまと嵌められたという事ですね」

 

「え? え?」

 

「下手な演技はやめなさい。貴女の作戦は全て理解しました。……まさか私を殺すために自分の誇りを泥に塗れさせるなど……貴女を見くびって居ました」

 

 訳が分からず混乱するセラフォルーと何かを納得したようにしているカテレア。そんな中、アザゼルは龍洞に近付いていった。

 

「……おい、どういう事だ?」

 

「分かりませんか? 現レヴィアタンの言動は全て旧魔王派を抹殺する口実作りの為の捨て身の作戦だった訳です」

 

「えぇぇっ!?」

 

 驚く声を上げるセラフォルー、そして彼女以外の全員が納得したという顔をしている。サーゼクスなどは心底後悔した顔でセラフォルーの肩に手を置くほどだ。

 

 

 

「……すまない、セラフォルー。必ず内乱が再発するからと僕達は前魔王の血族を政治から追放した。何かしらの役職を与える事すら危険だったからだ。だけど、僕達じゃ上層部の意向を抑えきれず過激な手には出れなく、出たくもなかった。……君はその為に恥辱に耐えてきたんだね」

 

「あの歳を考えない馬鹿の様な格好に番組。同年代として恥ずかしいと思っていた自分が恥ずかしいです。全ては今回の様な襲撃事件を起こさせ、彼女達を始末する口実を作る目的だったとは感服いたしました」

 

「おいおい、マジかよ。脳味噌お花畑の痛い女かと思ってたが……俺も甘かったな」

 

「魔女の組織を敵に回してまで番組を続け、この様な阿呆を外交担当に据える様な種族との戦いで被害が出たことを内心恥じていましたが……その自分を今恥じています」

 

『私も噂を聞いた限りでは悪魔も終わったと安心していたが……愚かだったよ』

 

「あの様な愚か者が最強の女とは悪魔も堕ちたと思っていたが……見直したぞ」

 

「己の尊厳と魔王の名、そして悪魔の信用を貶めてまで私達を始末しようとしてたとは……其れを敬意と取り、こちらも全力で行かせて貰います! さあ、一騎打ちを受けなさい、セラフォルー!!」

 

 セラフォルー以外のトップ陣とカテレア、アルビオンまでが彼女を褒め称える。其れに対しセラフォルーは……。

 

 

 

 

 

 

「……あっ、うん。バレちゃったか〜」

 

 其れを肯定し、カテレアの誘いに乗って校庭に飛び出す。そう。全ては彼女の作戦だった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

(何、何、何っ!? 皆、そんな風に思ってたのっ!?)

 

 訳はなく、全て楽しんでやっていた。だが、誰があの空気で其れを言えるだろうか。恐らく龍洞でもなければ言えない。

 

(取り敢えず番組は……思惑が広まったらアレだからって続けようっ!)

 

 

 

 

「セラフォルー! 今回の件が無事終わったら、引き起こした責任を取ってって番組を止めたら良い! 僕も協力しよう!!」

 

「……うん。そうするね」「くっ! まさか策謀だけでなく実力でも此所まで差があるとは……」

 

セラフォルー・レヴィアタンとカテレア・レヴィアタンの一騎打ちはセラフォルーの優勢で進んでいた。カテレアは自分は魔王の血族だから勝てるという理由にならない理由から来る慢心を捨て去り、セラフォルーを格上と認めた上で戦っている。

 

 魔王の血族ながら、絶大な被害が出るにも関わらず続戦を唱えるなどと魔王にして置く訳には行かないと魔王の座を奪われた彼女達だが、皮肉にもセラフォルーの捨て身の策が今の彼女を誇りある魔王の血族に相応しくしていた。

 

 だが、其れだけでは敵わない。元々実力が下回るからこそ魔王の座を追われ、上級悪魔の特徴として、何より何時しか決起する為に目立たないようにと本格的な修練を行ってこなかったカテレアと、何時しかこの時が来るからと番組の演出のためと言って技を磨いてきたセラフォルー。二人の間には嘗てよりも大きな差が開いていたのだ。

 

(こうなったら……いえ、魔王が取るべき手ではない!)

 

 カテレアはセラフォルーが敬意を払うべき相手だと認め、一切の慢心を捨てて戦っている。其所にあるのは真の魔王と名乗るに相応しい誇り。だからこそ、勝率を大幅に上げる為のアイテムの使用を考え、即座に其れを却下した。

 

「……流石ですね、セラフォルー。だからこそ、貴女には()()()()をぶつけたくなりました」

 

 カテレアが突き出した右手の平に魔力が集まる。其れは彼女の残った全てで、其れを放てば飛行する力すら残らない。それ程までの魔力を野球ボール大にまで凝縮するなど彼女に其処までの技術は本来ない、其のはずだった。

 

 自分を殺す為に誇りも名誉も捨て去り魔王の名を穢す愚か者の侮蔑を浴びる相手への敬意がカテレアを急成長させた。ただの慢心ではなく、真の誇りが彼女の中を流れる血に眠る力を覚醒させたのだ。

 

「さあ! お受けなさい!!」

 

 直撃すればセラフォルーでも無事では済まない一撃。其れを見てもサーゼクス達は避けろとも叫ばず、ましてや助太刀しようともしない。

 

 この戦いは二人の誇りを守る為の戦いだと、本能で察したからだ。

 

 

 

 

 

「……今、後ろから襲えば楽に倒せるんじゃ」

 

『空気読め、アホ』

 

 そのような事などどうでも良いと感じている者が居たが……。

 

 

 

「……そう、分かったよ。受けて見て! これが私の全力全開!!」

 

 ぶつかり合う二人のレヴィアタンの魔力は二人の中間で拮抗し、やがて地力で勝るセラフォルーの魔力が押し勝った。

 

 

 

 

 

「……ふっ。最後まで痛々しい馬鹿の演技を辞めさせれませんでしたね」

 

 セラフォルーの魔力に飲み込まれる瞬間、カテレアは少しだけ惜しそうに呟いて目を閉じた。

 

 

 

 

 なお、全員が勘違いしているが、セラフォルーは好きで魔法少女のコスプレをし、そのままの格好で楽しんで番組を作り、外交の場に相応しくない言葉使いも何の疑問も抱かずに使っていた。

 

 だが、良い様に勘違いしたままで逝けたのなら、其れは其れで幸せだったのかもしれない。

 

 

 

 

 其れは行き成りの事だった。空気を読んでか、其れ共二人に敬意を払ってかは誰も知らないが、先程から黙っていたアルビオンが口を開く。既に声は完全にヴァーリの物から変貌し、瞳も龍の瞳になっていた。

 

「……さて、では今から二天龍の戦いを始めよう。……っと言いたい所だが、この体は脆弱過ぎるのでな。せめて使い慣れてから戦うとしよう」

 

 アルビオンは片手を結界に向ける。侵入者を逃さない為にミカエル達が力を合わせて張っている結界、その一部の力が急激に『減少』し始めた。

 

「半減じゃないっ!?」

 

「ああ、知らなかったか。これが私の失われた力の一つだ。全く忌々しい。神器の時は力の一部しか使えない上に、使う度に何を使っているか態々音声で知らせるのだからな」

 

 アルビオンは声を上げたアザゼルに忌々しそうに答えると結界の力が減少した部分を虫を追い払うかのように叩く。ピシリ、という音と共に簡単にヒビが入ったかと思うと其処を中心に全体へと広がっていく。三すくみの勢力有数の者達が協力して張った結界が窓ガラスに石を投げ付けたかの様に音を立てて砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行ったな。まんまと逃げられちまった」

 

 アルビオンが去っていった方向を見て黄昏るアザゼルの背中は何処か寂しそうだ。彼にとってヴァーリは子供同然だった故に体を乗っ取られた事にショックを受けているのだろう。

 

 

 

「アザゼル。気持ちは分かるが結界を張り直して続きをしよう。……彼が魔王の血族だとアルビオンが言っていたが、其処についても話してくれるかい?」

 

「ああ、分かったよ。でも、その前に提案があるんだ。和平を結ばないか?」

 

 この後、アザゼルの口からヴァーリが前ルシファーのひ孫だという事が語られるなど会談は進み、最終的に和平が結ばれる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

「……どうなると思いますか、若様?」

 

「何かあったら直ぐに崩壊しますね。これが小学生なら先生に『はーいお手々繋いでで握手して、それで仲良し喧嘩は御終い』、で済むでしょうが。共通の敵が居なくなるか別種族間で何か事件があれば……」

 

 三大勢力は長年争って来た。トップ陣が争いを止めて仲良くする、と、各種族の議会を通さずに決めた所で納得しない者は多くて当然。親を子を、兄弟姉妹を、隣人を、友人恋人を殺された怨みは簡単に消えない。一見消火したかに見えても火は燻り続け、何か起きれば一気に燃え上がる。

 

 そもそも、トップに争うように言われた直ぐに手を取り合うようなら、最初から戦争等起きなかっただろう。

 

 

 

 

 

『和平について少しお伺いしたい。今後、はぐれ悪魔を始めとした人間を害する存在への対処に付いてですが……』

 

「その事ですが、和平を結ぶからには悪魔祓いは不要になります。流石に悪魔の駒の取り扱いについて要求するのは内政介入になって貴族の反発を買いますし、和平の為にも……」

 

『成る程。良く分かりました……』

 

 事実、炎の一部は燻る事すらしなかった。和平が正式に決まった後、天界から悪魔祓いの縮小が知らされたのだが、其の数日後にはミカエルの耳に重大なニュースが届く事になる。

 

 

 

「我々一同、信仰心を守り抜くためにも今日をもって悪魔祓いを辞めさせて頂く!」

 

 前デュランダルの所有者であるヴァスコ・ストラーダと多くの悪魔祓いが教会を脱退。もはや天界は人を守りきれぬ、と言って人外から人を守る団体を創設し、匿名で悪魔や堕天使を嫌う神が支援を申し出たというのだ。

 

 

 

 理想というのは素晴らしい。だが、綺麗なだけの理想は泥船と同じ。夢を見るのは結構だが、運転者が転寝している様な車に載っていたい者など居ないだろう。居るとしたら其の事に気付いていない者か、同じように寝ている者だけだ。

 

 

 

 

 

「……S・Vとやらはあの人だったんだな」

 

 ギャスパーが登校途中、道の端で腕を組んで彼らを待っていたゼノヴィアは浮かない顔だ。ギャスパーは彼女を見て一瞬ギョっとした顔になるが直ぐに前を向いて素通りした。

 

「……一緒に行かなかったんですか?」

 

「私は悪魔の世話になり、一時期とはいえ悪魔に転生する事も考えていた。散々悪魔を敵として殺してきたのにな。……そんな中途半端な恥知らずがどんな顔して加われって言うんだ。追放されたとは言え、仲間を裏切って悪魔に着こうとした奴が、今度は世話になった悪魔を裏切って退魔組織に入るなど、私なら信用しないだろうな」

 

 ゼノヴィアそういう風に自嘲気味に呟く。本心を言えば付いて行きたかったが、自分が行っても和を乱すだけだと分かっているのだ。

 

 

 

 

 

(今日はお赤飯かなぁ……)

 

 話を振られたギャスパーは夕飯の事で頭が一杯だった。本心を言えば早く教室に行って読みかけの本を読みたかったが、正直に言っても面倒な事になると分かっているのだ。

 

 

 

「よっ! これから宜しくな。……なあ、お前の禁手を調べさせて……」

 

「ど…同盟相手でもないから嫌ですぅぅ。あ…あの、どうして居るんですか? 総督の座を追われましたか?」

 

 昼休み、オカルト研究部に呼び出されたギャスパーを出迎えたのはアザゼルだ。総督とは責任重大な立場であり、こんな所にホイホイ来て良い立場では無いので追放されたかと思ったギャスパーは正直にその事を口にした。

 

 

「違ぇよ。魔王の妹なんざ狙われるだろ? 幾らか神器所有者も居るし、此処で教師しながら指導する事にしたんだよ。ウチは有能な部下が居るから俺が居なくても良いしな。セラフォルーの妹に教師の地位貰ったし、女子高生でも食うとするか」

 

 手を出した場合、ソーナは抗議するどころではないだろうが、それでも相手は総督なのだから強くは出られないだろう。自分の立場を利用して教師という職業を馬鹿にした言葉ではあるが、ギャスパーは特に反応しなかった。

 

「総督って居ても居なくても成り立つんですね。……全部終わった時に椅子が残って居たら良いけど」

 

「おい、不安になるだろうが……。……所で仙酔の姿が見えねぇけどサボりか?」

 

「あっ、はい。漸く必要なだけの力が手に入ったらしくって……」

 

 

 

 

 

 龍洞の屋敷のとある部屋、香を焚き、壁床天井全てに血で文字が書かれた其の部屋に彼の姿があった。部屋の中心では白蛇状態の清姫が大人しくしており、時折舌を覗かせている。

 

「……はは、はははははははっ! 漸くだっ! 漸くこの時が来たっ!!」

 

 大声で狂ったように笑う龍洞の手の平から瘴気が吹き出し清姫を包む。渦を巻きながら小さな体を包み込むほどの大きさだった其れは徐々に大きさを増し、やがて小柄な人一人にまで膨れ上がる。部屋中の文字を書くのに使われた()()()()()()()()()()()が溶ける様に瘴気の渦に吸い込まれて行き、やがて瘴気が収まると其処には清姫の姿があった。

 

 

 

 

 

「ああ、最高の気分です、旦那様。…‥今の私に嘘はつかないでくださいね。食べちゃいたくなりますから……ふふふふっ」

 

 其処に居るのは確かに清姫だが、もはや別の存在だ。髪は白く染まり、反対に角は漆黒。何よりもその存在は余りにも禍々しい。もはや箱入り娘でもなく、蛇のまま死ねない呪われた身の少女でもなく、邪悪極まりない邪龍だ。

 

 

 

 

 

 

「ああ、上手く行ったんやなあ。おめでとうさん。ウチも嬉しいわあ」

 

 龍洞の背後からパチパチという拍手の音が響く。何時の間にか閉じていた扉が開かれて日の光が差し込んでいた。

 

 

「大婆様、何用ですか?」

 

「そろそろ清姫ちゃんにウチの掛けた呪いを掻き消す頃やと思うてな。お祝いついでに修行を言い渡しに来たんよ。夏休み、冥界で頑張っておくれやす。『カマイタチ』が鍛えてくれるさかいになあ」

 

 

 

 

 

 

「……えっと、三人の方ですか?」

 

「性格悪い方や。あの子の方が鬼術得意やろ?」

 

 この時、龍洞は心底嫌そうな顔をしていた……。

 


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