発掘倉庫   作:ケツアゴ

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狂人達の恋の唄 ②

 龍洞にとって価値が有る存在は清姫を除けば、畏怖しながらも慕う大婆様と呼ぶ存在と其の部下達だけ。それ以外は路傍の石ころ程度の認識しかなく、何一つ興味を持っていない。

 

 だが、興味がないという事と全く知らなくても良いという事は別物であり、その路傍の石ころ程度の存在に価値ある存在を脅かされないようにと情報集めには余念がない。

 

 アーシア・アルジェントについて知っていたのも其の情報収集の結果だ。

 

「馬鹿ですねぇ。そんな場所で怪我をしているという事は、怪我を負わせたのは悪魔祓いではないかと推察できるでしょうに。……よく殺されませんでしたね」

 

 其れは悪魔にであり、教会関係者に、という意味である。この推測が正しい場合に彼女のした事を例えるならば、武器を持って暴れている凶悪犯の武器を警察官が叩き落としたが、確保の前に彼女が拾って渡してしまったので逃亡された、となる。

 

 今は悪魔堕天使天使の三すくみの勢力は冷戦状態であるが、所々で小競り合いは起きており、当然のように死者も出ているし、悪魔祓いの中には敵に与する人間を殺した者も居る。ならば自陣と言える場所で追い詰めた悪魔を癒した彼女は今までの者達同様に殺されても不思議ではなかった。

 

 追放で済んだのは彼女を慕う信徒の心情に配慮したのか、殺す程非情になれなかったのか、どちらにせよ世間をロクに知らない少女が身一つで生きていける程に神の恩恵は世界に広まっていない。運良く善人に助けられる確率よりも、悪人に利用されるか野垂れ死ぬ確率のほうが高かっただろう。

 

 事実、彼女は()ではないが、明確な悪に利用されようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、非常に面倒臭い。こんな事に使う時間を貴女と話したり触れ合ったりする事に使った方が余程有意義だというのに」

 

「お仕事ですから、駄目ですよ。(わたくし)もずっと二人っきりで居たいのですが、より良い未来の為にお金が必要ですから。……もう少しの辛抱です。もう少しで私は……」

 

「ああ、そうですね。たった数時間だけでなく、ずっと貴女と話がしたい。色々な場所でデートもしたいですし、一日中貴女を抱いていたい」

 

 今回の依頼の対象であるアーシア・アルジェントが滞在する廃教会を術で探る龍洞は、胡座を掻きながら目の前の鏡に映る堕天使達の話を聞きつつ愚痴り、足の間にチョコンと収まっている清姫はメッとばかりにその態度を注意する。注意はしているが、向き合うように体の向きを変え、そっと体を預けてウットリとした表情になっていた。

 

 

『しかし、本当に大丈夫なのか? 上を騙している訳だし、何かしらの処罰が下るのでは……』

 

『ドーナシークは心配性っすね。元教会所属の人間より、堕天使であるレイナーレ様が回復の力を持つ方が便利っすし、上も文句は言わないでしょ』

 

『其れに此処の悪魔は契約者を殺されても何も出来ない臆病者だもの、問題ないわ。今夜、あの子を殺してさっさと街からオサラバよ』

 

 龍洞が立ち上がると鏡に映る映像は途絶え、元の古い鏡に戻る。歩き始めると一瞬だけ揺らいで松明の炎が消え去った。

 

「さて、行きますよ、清姫。直ぐに終わらせて、其の後はゆっくりと過ごしましょう。……今日くらいは月でも眺めながら語り合いますか?」

 

「ええ、其れも宜しいですわね。旦那様に抱いて頂くのも、(わたくし)がご奉仕するのも、静かに語り合うのも、ただ見詰め合うのも、影から一方的に眺めるのも、離れていてもお姿を想像するのも、全て大好きです。いえ、最早大好きだという言葉で言い表せません!」

 

 

 手を一度横に振るうと龍洞の服装が変化する。術を使う時に着ていた白装束から黒い着物へと変わり、何も持っていなかった手には刀が握られている。朱塗りの鞘に漆黒の鍔と柄、ただ、鞘には無数の札が貼り付けられていた。

 

 清姫もまた、懐から龍が描かれた見事な扇を取り出し、龍洞の背後を三歩下がって影を踏まぬようにして歩く。

 

『仕事か。なら、早く行くぞ』

 

 二人の前に琴湖が降り立つ。大型犬程の大きさの体は更に膨れ上がり、馬程にまでなっていた。まず龍洞がその背に飛び乗り、清姫が手を引かれて昇り、愛しい男の背中に抱き着く。その様な事をしなくても一人で飛び乗れ、何処かに捕まることなど不要にも関わらず毎度の様に繰り返される其の光景に対し、琴湖は僅かに視線のみを送るだけだった。

 

 呆れと諦めが入り混じった瞳のまま、琴湖は宙を踏みしめる。其処に見えない足場がある様に琴湖は空を駆け抜け、巨大な狗に乗る着物姿の男女という目立つ其の姿は偶々空を見上げた者でさえ気付かず、どの様な映像媒体にも映り込む事はなかった。

 

 

 

「……主よ、どうか私をお導き下さい」

 

 アーシアは部屋で一人静かに祈りを捧げる。時計の針はチクタクチクタクと無慈悲に進み、見張りの者が突如寝入ったり、逃げ出す為の天啓があったり、アーシアの姿が誰からも見えなくなる事も、一瞬で遠くに移動する事もない。

 

 故に、神は自分が生きる事を望んでいない、そう感じてしまった。

 

 やがて戸を挟んだ廊下の先から話し声が聞こえてくる。儀式の準備が済んだから早く連れて来いと、その会話は死刑宣告に聞こえ、近付いてくる足音は死神の足音だった。

 

「おい、付いて来い。レイナーレ様がお呼びだ」

 

「……はい」

 

 入って来た男はアーシアの腕を乱暴に掴んで引っ張る。か弱い少女への配慮など全くされていない腕の力は強く、力仕事など長らくしていない彼女の腕は強く痛んだ。この腕を振り払えば逃げる事が出来る、と心が叫ぶが、恐怖がそれを押さえ込む。後ろにも逃がさない為の見張りが居て、きっと庭にも居る。どうせ逃げても恐怖と苦痛が長引くだけだ、其の思いが全てを諦めさせていた。

 

 俯いたまま足元だけを見ながら廊下を進み、聖堂へと続く門へと続く曲がり角を曲がった時、急に男が止まりアーシアは背中にぶつかってしまう。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 この廃教会に居る男達は聖女時代に周囲に居た者達とは違い乱暴な言動が見られ、アーシアは彼らに恐怖していた。だからぶつかった事で殴られるかもしれないと直ぐに謝りながら顔を上げ、其の顔を更なる恐怖で引き攣らせた。

 

「な…なんだよ、此奴ら!?」

 

 曲がり角の先に居たのは廊下を埋め尽くさんばかりの蛇の大群。全長は三十センチ程の蛇が互いに覆い重なるようにして廊下に陣取り、その瞳でアーシア達をジッと見ている。

 

 此処に居る男達は元々は教会で悪魔と戦っていたが、堕天使に寝返った者達を始めとしたマトモでない者達だ。だからアーシアは兎も角、幾ら大群でも此処まで驚く筈がない。全ての蛇が其の体を異臭を放つドロドロに汚れた水で構成していなければ。

 

「うわぁぁぁっ!!」

 

 一人が光の弾を放つ拳銃を蛇に向けて引き金を放つ。弾丸は蛇の体を貫き、其の儘床に穴を開ける。貫かれた蛇の体は周囲に飛び散り、他の蛇の体に吸収された。この事で恐慌状態に陥った一人が光の剣を振り回しながら蛇の群れに突貫し、その体中に蛇が纏わり付いた。蛇に触れた場所が焼け爛れ、肉の焼ける匂いが充満する。込み上げてくる吐き気を我慢できずに其の場に蹲るアーシア。この日、最後に食べたのは何時もの質素な料理ではなく、前祝いにと用意した物を気紛れで分け与えられた……肉のソテーだった

 

「うぇっ! おぇぇぇぇっ!!」

 

 蛇達は濁流の様に動き出し、口の中の酸味に涙するアーシアを無視して男達を飲み込んでいく。まるで溺れる者達のように蛇の群れの中で男達は手足をばたつかせて藻掻き、肉の焦げた匂いを周囲に充満させて静かになった。蛇達はまるで用が済んだとでも言うように窓から外に出ていき、後に残されたのはアーシアだけ。死体は蛇達に持っていかれた。

 

「うぇぇぇっ! おぇぇぇっ!1」

 

 まだ肉の焦げた匂いが彼女の鼻を刺激し、適当に焼かれて出された肉の味が無理やり思い出される。ビチャビチャという音が響く中、近付いてくる足音が二人分聞こえて来た。

 

 

「……悪泥水で作った(みずち)は失敗だったでしょうか?」

 

「いえっ! 旦那様の判断に間違いなど起こるはずがございません。……昨日も初めて行う体位で(わたくし)を喜ばせて下さいました!」

 

 続いて聞こえたのは聞いた事のない男女の声。少なくても廃教会に居る者達ではなく、年の頃はアーシアと同年代程度だ。

 

 

 彼女の心は儀式で死ぬ前に既に死を迎えようとしていた……。

 

 

 だからこそ、彼女はこの時の事を忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「もう大丈夫です。どうしてかですって? 私が来ました!」

 

「ああ、もぅ! 素敵過ぎます、旦那様!!」

 

 姿を現したのは着物姿の少年少女。一人は黒髪で物静かな少年。もう一人は長髪の少女。ただし、その頭には角が生えていた。

 

「ええ、貴女こそ素敵ですよ、清姫。貴女に比べればこの世は等しく醜悪で無価値な物ばかりだ」

 

「いえ! 旦那様は醜悪でも無価値でも御座いません!」

 

 色々な意味で、この日の事を忘れないだろう……。

 

 

 

 二人は見つめ合いながら互いの手を胸の高さで取り、まるで聖女になる前に見た恋愛映画の一シーンのようだった。目の前のアーシアはガン無視だったが。

 

 

「それにしても先程は嫉妬してしまいました。其処の女にあの様な元気付けるような言葉を向けるなど……」

 

「ああ、これは心外です。今回は保護が依頼内容だから仕事として元気付けただけで、私にとって貴方以外の女性など、大婆様でさえ醜女にしか見えません。第一、この様などうでもいい方に態々優しい言葉を掛けるはずがないでしょう。……ああ、私は悲しい。やはり私の努力は足りていなかったのですね」

 

「っ! その様な事ございません! (わたくし)は嫉妬は致しましたが、決して貴方様を信用していないなど……。も…申し訳ございません! どうかっ! どうか見捨てないで下さいませ!」

 

「その様な事有り得ません。私はずっと貴女と一緒に、そう誓ったではありませんか」

 

 やがて二人はそっと口付けをする。尚、アーシアはガン無視である。

 

 

 

「あ…あの〜、お二人は? さっき、私を保護するみたいな事が聞こえましたが……」

 

 この時、アーシアは顔を真っ赤にしながらも勇気を出した。決して逃れられぬと思っていた状況から逃れられ、

 

「ああ、すっかり忘れていました。依頼主の名は立場があるので明かせませんが、貴女をよく知る方が用意していた保護先に受け入れさせる為に保護して欲しい、そんな依頼をして来まして。ああ、申し遅れました。私の名は仙酔龍洞です」

 

(わたくし)は妻の清姫と申します。……あっ、間違いました。愛する妻の清姫です。……ああ、本当に幸せです」

 

「ええ、私も幸せです」

 

「「これも全て……」」

 

 

 

 

 

「大婆様が私の家族を皆殺しにしてくださったからこそ……」

 

「あのお方が私に呪いをかけ、化け物にして下さったからこそ……」

 

 

 

 

 

 

「「本当に愛する方に出会えました」」

 

「!?」

 

 アーシアは今まで多くの目を見てきた。自分を聖女と崇拝する者や、優しい言葉を掛けてくる者。同じような者でも少しずつ目は違った。だが、この二人は違い過ぎる、そう感じた。

 

 

 

「では、行きましょう」

 

 次に向けられたのは優しい瞳。見るだけで人を安心させるその瞳には悪意が欠片も篭っていない。アーシアは違和感を感じながらも二人の後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ふん。この小娘を空港まで連れて行けば良いのだな』

 

「ええ、お願いしますよ、琴湖」

 

 教会を出て直ぐの所に待機していた琴湖はアーシアを一瞥すると不機嫌そうな声を出しながらも乗り易いように身を屈める。針金のような毛はアーシアが乗る瞬間には柔らかくなり、少し擽ったい位だった。

 

 

 

 

「あ…あの! 有難うございました!」

 

「いえいえ、お礼は時間の無駄ですから結構です。早く行って下さい。時間が惜しい」

 

 この時、アーシアは違和感の正体に気付いた。龍洞は優しい瞳を向けながらも自分を見ていない。悪意が篭っていなかったのではなく、感情自体が篭っていなかったのだ、と。

 

 そして琴湖は来た時同様に宙を駆けて町の外れを目指す。残された二人は帰りを待つ事なく歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「夜の散歩も良いものですね」

 

「いえ、旦那様との時間が良いものなのです」

 

 指を絡ませ合う恋人繋ぎで帰路に着く二人。既に二人の頭からは先程向けられたお礼の言葉も、斬り殺して魂を食らった堕天使達の命乞いの様子さえ綺麗に消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ…あの、旦那様。地下に拘束具が御座いましたが……」

 

「おや、そういったのをお望みで? まぁ幅を持たせるのも悪くは有りませんし。……今日はゆっくり月見をする予定でしたが……どうなさいますか?」

 

 清姫は真っ赤になって俯いてボソボソと呟くと、照れ隠しか龍洞の手の甲を抓る。其れに対し龍洞はただ笑っていた。 龍洞が通う駒王学園にはリアス・グレモリー以外にも悪魔の貴族令嬢が通っている。悪魔としての名前は『ソーナ・シトリー』、人間としての名前は『支取 蒼那』。学園の生徒会長を務める彼女は生徒の誰が異能力者かは把握しており、当然龍洞の事もリアス同様に異能力者だと知っている。

 

 いや、彼に関してはリアス以上に知っている、そう言って良いだろう。

 

「ッ!」

 

 この日、生徒会の仕事で中庭の一角を訪れたソーナの眷属で副生徒会長の『真羅 椿姫』は偶々其処で弁当を食べていた龍洞を見付け、思わず足を止めて顔を引きつらせた。其れは嫌っている相手に出会った時の物ではなく、恐怖を覚えて居る相手に出会った時の物。対する龍洞はチラリと彼女達を見て軽く会釈をすると直ぐに弁当に集中しだす。

 

「……彼奴、あんな量をよく食べれますよね。副会長?」

 

 彼女と一緒に歩いていたのは生徒会の新人でソーナ眷属としても新人の『匙元士郎』。男子生徒として女子から人気のある龍洞は面白くないのか、五段重ねの重箱を平然と食べ進める彼に向ける視線に僅かながら敵意の篭った彼は、今まで一般人だったせいか前を歩いていた相手の心境の変化には気付かず、まさか副会長も彼奴に気があるのか? 程度にしか思っていなかった。

 

「どうしたんっすか? 急に立ち止まって」

 

「い、いえ、何でも有りません」

 

「そうですか? 仙酔君を見た途端に様子がおかしくなりましたけど?」

 

「……気のせいでしょう」

 

 匙の同僚の『巡 巴柄』は退魔の家の出身だからか、同性だからかは分からないが椿姫の様子に直ぐに気付く。其れも、少なくても足が止まったのが恋心からではない事は分かっていた。

 

 だが、椿姫は心配する二人の問い掛けを何とか誤魔化そうとし、答えは出ない。其の代わり、当の本人から答えが明かされた。

 

「ああ、私の実家と言える所と副会長のご実家で抗争が起きた事がありましてね。その時に私が彼女を殺しかけたのですよ」

 

「んなっ!?」

 

 元一般人の匙にとって其の言葉は信じがたく、巡も驚きで物が言えない状態だ。椿姫は昔を思い出し顔を蒼白にさせ、龍洞は三人の様子を見て不思議そうな顔をしている。まるで地球は丸いと言われて驚く人を見ているようだ。何故殺し合いと聞いて驚くのか、其れが彼には理解できなかった。

 

「おや、おかしいですね。私は仕事の関係でシトリー家の関係者とお会いした事があるのですが、会長とアナタ方はレーティングゲームの学校を作りたいのでしょう? 子供達に()()()()を教えようとしているのに、何を今更……」

 

「違うっ! 俺達は殺し合いを教えるんじゃねぇ!!」

 

「匙っ!」

 

 今の言葉は匙達にとって放置する訳には行かない言葉だ。貴族と其の眷属にしか出場の機会が与えられないゲームを分け隔てなく出場出来る様にする、その為の足掛かりになる学校の設立が彼らの夢であり、其れを穢された気がした匙は駆け寄ろうとして、肩を椿姫に掴まれて止められる。彼女の顔は蒼白を通り越して真っ白だった。

 

「……止めなさい。貴方では絶対に彼には勝てません」

 

「あの、彼は何を怒っているのですか? レーティングゲームって要するに『私達はこんなに強いから、有事の時は役に立ちます。だから力に見合った評価をお願いします』とアピールする場でしょう? まぁ、ルールや評価基準のせいで実戦での力が出し切れないって事もありますが、戦争の役に立つ為の学校なのですから、敵の殺し方を教えるのでしょうに」

 

 其の言葉にはソーナの掲げた、匙が眩しいと思った夢を卑下する意図は全く篭っていない。話を聞いてすぐに無理だと否定する訳でも、手放しで賞賛するでもなく、道を聞かれたから答えるかのように、淡々と言っただけだ。事実、彼の目に悪意が篭っていないのは匙でも分かる。いや、全く興味を持っていない事を嫌でも分からされ、彼の言葉が真実だと思い知らされた。

 

「……それでも、俺達は」

 

 戦争、其の言葉がどういうものかは戦争を経験していない匙でも分かる。主であるソーナから三すくみの勢力の関係は知らされていて、考えられる有事とは天使や堕天使との戦争という事だ。同じ人間が土地や利益を巡って殺し会うのではなく、殺す為の殺し合い。なまじソーナの教え方が良かっただけに其れを理解してしまった。

 

「むぅ。何か落ち込んでいるようですが、全く関係ない私の言葉一つで揺らぐなら其の程度の想いだったという事ですが……良かったですね、早い内に気付けて。お役に立てたのなら何よりです。私、貴方には全く興味が有りませんが、人の役に立つのは悪い気はしませんから」

 

 嫌味でもなく、追い詰めようという害意が篭っていない其の言葉は、どの様な悪意ある言葉よりも匙の心を折るのには十分だった。無論、心を折られたのは匙だけでなく、椿姫達も自分達の夢が素晴らしい物だという想いに揺らぎが生じてしまう。

 

 当の本人は知る由もなく、知っても特に何も思わないのだが……。只居るだけで、関わるだけで厄を振りまく。その様な力を持つ妖怪は疫病神等と呼ばれ、嘗てはその様な正体不明の化物を総じてこう呼んでいた。―――『(おに)』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ…旦那様ぁ。(わたくし)、もう…ひゃうんっ! あぁ…んひゃ…んっ…んんっ!」

 

 時刻は十二時前になる頃、龍洞と清姫は互いに求め合い、相手の体を貪っていた。既に被せられていた布団は投げ出され、寝巻きは既に体を隠す役に立っておらず、かろうじて引っ掛っている程度。布団には二人の汗と其の他諸々の体液で湿り、太ももの内側が特に酷い。

 

「ああ、貴女はやはり美しい。貴女を除く此の世と彼の世全ての美を集めても霞むほどに……くっ!」

 

 清姫を下に敷いた龍洞は、背中に爪痕を付けられながら無我夢中で欲望をぶつける。清姫も愛しい男を受け入れようと必死に細腕を、その見た目からは想像も付かない様な力で背中に回して爪を立て、両足を蛇が獲物を絞め殺すかの様に腰に絡みつかせる。既に互いに何度も果てており、それでも尚、衰える事なく続いていた。

 

 ポーン、という鼓の音が響いたのは、回数にして十回目に達しようとしていた時の事。最初の内は勢い任せだったのが、徐々に時間を掛けて相手を感じる様になっていたその時、非常にゆっくりとしたテンポで鳴った鼓の音に二人は動きを止め、非常に不快そうに体を起こす。

 

「……あっ」

 

 体が完全に離れた際、達してしまった清姫はややワザとらしい動作で胸の中に倒れこんだのだが。数える事、数十回目の為に腰に力が入らなかったのは本当ではあるが……。

 

 兎に角、この音は二人が行為を止める程の事を示す物――何者かの侵入……未遂を示していた。屋敷全体に貼った結界により、許可なき者は中に入れないのだが、何者かが転移しようとして門の前に放り出された事を鼓の音は表していた。

 

「……無粋な」

 

 不愉快を隠そうともせず鏡に手を向けると門の様子が映し出される。其処に映っていたのはリアスの姿だった。怪訝に思いながらも術を使うと、門に飾った鬼瓦が口を開木、彼の声を届けた。

 

 

「この様な晩に何用ですか?」

 

「依頼よ! 言い値を払うから、今すぐ入れて頂戴!! 私の処女を直ぐに貰って欲しいの!」

 

「……はぁ?」

 

「お願いっ! 祐斗は紳士だから拒否するし、貴方ってお金を払えばどんな依頼でも引き受けてくれるって聞いてたから、藁にも縋る想いで来たのよ!」

 

 龍洞は意味が分からず、次の瞬間には非常に不愉快な気分になる。心底惚れた相手を抱いているのを邪魔されたかと思えば、石ころ程度にしか思っていない相手に男娼扱いされたからだ。……横の清姫は既に怒りが頂点に達し、口から炎が漏れている。

 

「……焼き殺しましょう」

 

「そうしたいですが、彼女の兄は魔王。……あの様な汚物を処分する為に貴女を危険に晒したくない」

 

 龍洞は口から漏れる炎を気にせず清姫の口を唇で塞ぎ、舌を捩じ込む。当然清姫も其れに応え、ピチャピチャという隠微な水音が響いた。尚、二人の言葉は全て筒抜けで、経験はないが知識は有るリアスは欲望に忠実な悪魔にも関わらず真っ赤になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「兎に角、無理ですし、嫌です。大体、私が感じる貴女の女性的魅力はドドリアさん程度です」

 

 ドドリアさん、その名はリアスも知っている。宇宙の帝王の側近でピンクの肌と頭や腕にある無数のトゲが特徴的な非常に不細工なキャラで――()である。

 

 

「ちょっとっ! ドドリアさんはないでしょ、ドドリアさんはっ!」

 

「では、魔王の妹という事でお世辞……は嘘と同じなので、女性的魅力が同じ程度でドドリアさんよりマシな……リクーム? ほら、人型ですし髪の色も貴女と同じ赤ですよ」

 

「……ドドリアさんよりマシね」 

 

「では、私は貴女と違って美しく愛しい()を抱くのに忙しいのでお帰り下さい」

 

 龍洞は術を解除し、再び清姫を押し倒す。一時は納得したリアスが我に返って戻ってきたが反応はなく、何処からも侵入出来ず、そうしている間に彼女を探してやって来たメイドに連れて帰られる。

 

 

 今晩の説明をするから明日の放課後に部室に来て欲しい、という置き手紙を残して。

 

 

 

 

 

 

 

「では、今日も寄り道せずに帰って来ますね」

 

 当然の様に、その呼び出しは無視されたのだが……。 時は平安、舞台は京都。悪しき鬼らが災い振りまき、其れを見かねて挑む者達。だがしかし、妖力秀でた鬼共に、優れた力のないモノノフが、幾ら挑めど勝てはせぬ。逆立ちしても勝てはせぬ。

 

 勇気絞って平和の為と、戦い挑んだ者達の命は儚く散り行きて、骨の欠片も残りはしない。親の敵と子が挑み、其の又子供が挑むとも、勇気と無謀は別物で、無駄に命を散らすのみ。

 

 だけれども、長き流転の物語にも、何時かはきっとケリが付く。四人の猛将従えし、勇者がいでしその日まで、醒めない悪夢は続けども……。

 

 

 夏草や、強者達が夢の跡。合戦場を思わせる草が生い茂る其の場所を進んで進んで進んだ先に、白い城が見えてくる。石ではない、何かで無い一種類の物のみで建てられた其の城には数多の魑魅魍魎が住み着いており、其のどれもが()()()()。何せ悪名高き悪鬼に挑み敗れたモノノフ達の成れの果て、弱い方が摩訶不思議。この城は固く閉ざされた天の門に拒まれた者達の墓場であり、()()()()である。

 

 そんな城の最上階に集められた者達は皆揃って異形の者達。人一人丸呑みに出来るほどに強大な宙に浮く首だけの鬼に、鬼の頭を持つ大グモ。割れた頭から赤児が這い出している若者も居る。だが、今宵の主役は若い二人。今宵の行事は百物語でも、百鬼夜行でもなく、目出度い目出度い婚礼だ。

 

「ほな、目出度い席やさかい皆はん、大いに騒いで(ゆおう)ってや」

 

 言の葉を吐いた本人も大盃に注いだ酒を喉に流し込み、コクリコクリと音を立てて飲み干す。妖し共から歓声が上がり、彼方此方で直ぐに騒ぎが起きだした。喧嘩をする者、肩を組んで歌う者、飲み比べ食い比べ、とても婚礼の場とは思わない惨状ではあるが、主役の筈の、放ったらかしの二人はそれでも幸せそうだ。

 

「なんやの、全然飲んどらへんなぁ。ほら、飲みや。それとも、ウチの酒が飲めへんって言うの?」

 

 口元は笑っているが、全く笑っていない目を見た龍洞はびくりと身を竦ませ、言外にお仕置きするぞと言っているのを感じ取った。目玉を抉る、両手足をもぎ取る、真っ赤に焼けた鉄の杭を突き刺す、これら全て大袈裟でなく、彼に悪戯を教えた額に目がある鬼と共に受けた内容である。

 

「頂きます……」

 

「ええ子やなぁ。素直なんが一番やで。清姫ちゃんはこっちの小さいのでええからなぁ」

 

「は、はい!」

 

 小さいといっても漂ってくる酒気は凄まじく、酒樽には『八塩折之酒』と書かれている。かの八岐大蛇退治に使われた酒で、酒に強い鬼でもキツい。二人は横目で目を合わせ、一気に飲み干した。

 

「ぶはっ!」

 

「ええ飲みっぷりやなぁ。ほな、明日から此処から出て外で暮らしぃ」

 

「……はい?」

 

 次の日、二日酔いに悩まされながら目を覚ました龍洞達は古びた神社の境内で寝ており、所有する家の住所と個人的な荷物、幾許かの金とお目付け役の琴湖だけを渡されて住み慣れた場所から追い出されたと知った。

 

 

 

 

 

「……未だ必要な領域には届かず。先は長いですね」

 

 手に持った籠手から吹き出す黒い霧の様な物を吸い取った龍洞は、用済みとばかりに近くに置かれた箱に投げ入れる。中には同じ様な形の籠手や蜥蜴の頭を模した奇妙な形の物、何れも此れも不思議な力を放っているが、当の本人は特に興味が無さそうにしていた。

 

『……勿体無いな。かなりの大金を注ぎ込んだだろうに。全て親方様に献上するのか?』

 

「ええ、私には不要なものです。私には皆から教わった剣と術、それに大大爺(おおおおじじ)様のお力添えが有りますしね」

 

 琴湖は箱に視線を送るも、聞かされた言葉に納得したのか床を爪で引っ掻く様にして梵字を描き、梵字に込められ力で箱を中身ごと転移させた。

 

「旦那様ぁ〜。お茶が入りました。お好きな塩大福も御座いますよ〜」

 

『吾輩の分の菓子はあるか?』

 

「ええ、琴湖さんがお好きな芋羊羹もご用意しております」

 

 用事が終わった頃を見計らい、急須と湯呑とお茶請けをお盆に乗せて入って来た清姫はイソイソとお茶の準備をし出す。舌が焼けるように熱いお茶をグビグビと飲み干し、大福に齧り付く龍洞の隣に座った彼女はお茶を啜りながら彼の方に頭を預けた。

 

「旦那様。(わたくし)、今とても幸せです。貴方を好きになって本当に良かった」

 

「ええ、私も幸せですよ」

 

 清姫の肩にソっと手が回され、優しく引き寄せられる。無言で互いに顔を近づけ軽く唇を合わせ、直ぐに恥ずかしそうに離れると真っ赤にした顔を同時に逸らす。

 

(此奴ら、何度も交尾しておいて何を今更……む?)

 

 半目で呆れた様な視線を送っていた琴湖は其の儘目を閉じ、耳をピクリと動かして片目を門の方角へと向ける。門の方から人の、正確には悪魔の気配を感じたのだ。其れが誰の気配かも、彼には見当が付いていた。

 

『……おい、来客だ。昨日の無礼な侵入者だが……跡形もなく食い殺してやっても良いぞ?』

 

「いえ、この町の管理者が無能だからこそ仕事が遣り易い。彼女には生きていて頂きましょう」

 

 やや鬱陶しそうにしながらも立ち上がり入り口へと向かう龍洞。その姿を少しだけ不機嫌そうに見る清姫に対し、琴湖は大アクビをしていた。

 

『……嫉妬か?』

 

「いえ、あの方に好意など欠片も向けてらっしゃらないのは分かるのですが、旦那様の時間を無駄に使わせるのはムカムカします。……いっそ、町ごと焼き尽くしたい程に」

 

『あまり殺しすぎると狐が煩い。高天原の連中もな』

 

 悔しそうに握り拳を震わせるも、それ以上の行動に出そうにない様子を見た琴湖は再び目を閉じ、今度こそ深い眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ。婚約が早まったのが気に入らないから、婚約解消の為にゲームをする事になったから、助っ人として雇いたい、ですか……」

 

「ええ、そうよ。今日の放課後、説明するはずだたんだけど、どうやらメモは見ていないようね」

 

「いえ、見ましたよ? 見た上で興味がなかったので向かわなかっただけです」

 

 来客はリアスと其の眷属三人。敷地内に入れるのも嫌なのか、態々門の前まで出向いた龍洞に対し、リアスは婚約者であるライザー・フェニックスとの婚約をかけての勝負の助っ人を依頼してきた。

 

 話によると準備期間として十日与えられ、更には余りにも戦力差が有るからと助っ人の参戦まで許可してきたというのだ。

 

(……非公式のゲームとは言え、随分と大盤振る舞いな。まぁ『不死』の特性を持つフェニックス相手ですから、徹底的に研究して運頼りのハメ戦略が上手く行っても……、っていう感じでしょうか?)

 

 龍洞にリアスへの関心があれば呆れや侮蔑を感じていただろう。公爵家の次期当主として何不自由無い生活を送り、様々な特権や金を好きに使ってきた彼女が、義務である婚約を拒否するというのだから。だが、全く興味のない相手を蔑視するほど龍洞は暇ではない。

 

「……前金で一億。勝利した場合に更に一億五千万。撃破した駒の価値一個に付き二百万円。更に諸経費を頂けるならお受けします。……弱みに付け込んでいるのでボッタクリですが、相手の弱みに付け込んで自分に有利な契約を行うのは悪魔の常套手段ですし、他に頼れる相手も居ないでしょう?」

 

 この婚約は公爵家と伯爵家、其れらに関係する家の他にもリアスの兄である魔王も関わっている。この時点で悪魔を雇うのは難しく、それなりに力のある上で悪魔以外の雇える人物といえば龍洞しか居なかった。

 

「……くっ。分かったわ。払うからお願い力を貸して」

 

「契約成立。此方も両家に睨まれる危険を冒している事をご理解下されば幸いです。……ああ、十日間の準備期間ですが、私も参加させるなら別途料金を頂きますよ。一日辺り百五十万で手を打ちましょう」

 

 リアスは蔑視するでも同情するでもなく、絞れるだけ絞れる鴨。そのお金も元を正せば公爵家の物で、修行に使う土地も宿泊場所も公爵家の物だが、龍洞はお金さえ貰えれば別に構わない。

 

 

(……清姫の嫉妬が大変ですね。夜中は帰らせて頂きましょう)

 

 こうしてリアスの将来をかけたレーティングゲームに、彼女の事など全くどうでも良い龍洞が出場する事となった。

 

 

 

 

 

 

 

『アレを使うのか?』

 

「いえ、使う程の事では有りませんから」

 

 琴湖は居間に飾っている柄も鞘も鍔も刀身も、埋め込まれている宝玉以外全て赤い刀に目を向けるも、龍洞は笑いながら首を振った。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、荷物を置いたら早速修行開始よ!」

 

 翌日、グレモリー家所有の山にある別荘にやって来た一行は直ぐに修行を開始した。此処までの山道は体力のない悪魔には厳しい位だが誰の顔にも疲れた様子はない。リアスを口車に乗せて夜中は帰れる様に交渉した龍洞の荷物は最低限で、適当に放り込むと集合場所に真っ先に付いた。

 

 

「じゃあ、早速だけど仙酔君がどれだけやれるか見せて貰うわ。小猫と戦ってみて」

 

「……宜しくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げた小猫は、開始の合図と共に小柄な体格にあった素早さと、『戦車(ルーク)』の特性である尋常成らざる怪力で殴りかかる。その拳は真っ直ぐに微動だにしなかった彼の腹部に命中し、即座に顔を顰めさせた。

 

「……どうして効いていなんですか?」

 

「私が強く、貴女が弱いからです。やはり駒の特性が有るとは言え、小柄な貴女では()()()()()を持つ戦士には届きません。……今更ですが騎士(ナイト)の方が良かったのでは?」

 

 砂鉄がギッシリ詰まったサンドバックを殴ったかのような感覚に、眉一つ動かさない顔。小猫が眷属になって四年と少し程度だが、その間に受けた特訓は彼女にそれなりの自信を付けさせていた。だが、今それを否定された。自慢の拳が効いていないという事実を突きつけられながら。

 

「……あ〜、次は私が行っても? 全力は出しませんが、本気で行きますよ?」

 

「……耐えてみせま……っ!」

 

 プライドを傷付けられた小猫は既に彼我の実力差を感じ取っていながらもプライドで其れから目を背け、自分も同じように正面から受けて平気な顔をしてやろうと考えるも―――次の瞬間には顔を青ざめる。目の前の男が使っているのは、彼女が心の底から怖がる物であった。

 

「仙…術……」

 

 周囲の気を取り込み自分の力にする仙術。それも、あえて邪気を取り込んでいる。小猫にとってトラウマを深く抉る其れを見て足が竦み、過去の恐怖がフラッシュバックした。自分を囲み、殺せと口々に叫ぶ悪魔達。やがて意識が遠くなり、その場に崩れ落ちた。次に目を覚ましたのは夕暮れ時、帰る前にミーティングに参加していた龍洞が口を開いた時であった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの、実はライザーさんと結婚したいし、させたいのでは? 少なくても先輩達二人からそう感じましたよ」

 

 其の言葉には偽りが感じられず、心の底から思っている事が伺えた……。 幼い頃の龍洞の遊びといえば体を動かす事が多かった。燃え盛る木を登ったり、荒れ狂う濁流を泳いだり、遊び相手になってくれる鬼は多く、退屈した事はなかった。

 

「な…泣くでない! 貴様は男だろう! 此の儘では吾が怒られる!」

 

 怪我は子供の勲章だ、等と言う言葉はあれど、やはり怪我をすれば痛いし幼い子供なら泣いてしまう。この日、一番遊ぶ事が多い茨木童子という鬼と木登りをしていたのだが、頂上付近で足を滑らせて直ぐ下にある岩に頭をぶつけてしまったのだ。

 

 幸い怪我は大した事はないが飛行術を未だ覚えていない龍洞では落下の恐怖と頭の痛みに耐えきれず泣き出し、茨木童子は直ぐ傍でオロオロするばかり。暴れ方なら得意中の得意な彼女も、泣いた子供のあやし方は不得意でどうして良いか分からない。

 

「あらあら、どうしたん?」

 

「ひぇっ!」

 

 そんな時、背後から突然聞こえてきた声に茨木童子はビクッと身を竦ませ、どうか勘違いであって欲しいと尊敬する鬼に願いつつ、ぎこちない動きで振り返る。背後に居たのは居て欲しくなかった尊敬する鬼だった。

 

「吾が泣かしたのではないぞ! 木から落ちただけだ!!」

 

 苛めたと疑っていると思わせるジト目を向けられ冷や汗を流しながら必死に弁解する茨木童子。少しでも距離を取ろうと後退りし、来るなとばかりに両手を前に突き出す。

 

「怪しいなぁ。ウチはなーんにも言うとらはんのに」

 

 目がスっと細められ、墓穴を掘って疑いを深めたと察した茨木童子の顔から血の気が引く。目が笑っていないまま笑って近づいてくる相手に恐怖して足が竦んで動かなくなったその時、思わぬ所から助けが入った。

 

「違うよ、大婆様。木の上から落ちたの」

 

 茨木童子に近付く彼女の袖を掴んで足止めする。泣き腫らした目を片手で擦りつつも空いた手で掴んだ袖をしっかりと掴んで離さない彼の頭にそっと手が置かれた。

 

「だからウチはなーんにも言うてないよ? 臆病モンの阿呆が勝手に怯えとっただけやさかい。……ほら、頭見せてみ? 痛いの痛いの飛んで行け〜」

 

 龍洞の頭に小槌を近付け、あやす様な声と共に軽く振るうと怪我が瞬く間に治って痛みも消える。泣いて赤くなった目も元に戻っていた。

 

「有難う、大婆様!」

 

「別にええよ。ウチと龍洞ちゃんの仲やないの。ほな、オヤツでも食べに行こか。今日は塩大福や。狐ん所の下っ端が態々買いに行ったのを奪おて来たんよ」

 

 お礼を言ってくる彼と手を繋ぐ時の顔からは愛情が感じられ、とても気紛れで彼の家族を皆殺しにした犯人とは思えない。嬉しそうに握る手に力を込める龍洞も家族を殺した犯人に対する態度とは思えなかった。

 

 

 

「でも、あの程度で泣くんは少ぉし情けないし、明日から特訓やな。ウチが金棒で頭をゴツンと殴るさかい、我慢せなあかんで?」

 

 残酷な事を言い渡す際の顔。間違いなく其の顔にも愛情は込められていた……。

 

 

 

 

 

「あの、力はこの程度で宜しいでしょうか、旦那様?」

 

「ええ、その調子でお願いします」

 

 縁側に座る清姫は少々不安そうにしながら手を動かし、寝転がった龍洞は不安を打ち払うかのように微笑む。其れだけで彼女の顔から不安は消え去り、先程と同様にゆっくりと動いた。

 

「ん……」

 

 先端が壁を掻く様に擦りつけられると自然と声が漏れ、余程気持良いのか顔が緩む。清姫は其れが嬉しいのか奉仕を続けていた。

 

 

 

「耳掃除終わりましたよ、旦那様」

 

「そうですか。でも、もう少しこのまま……」

 

「もぅ……」

 

 スベスベの太股を手の平で撫でて感触を楽しむ。触られる方も恥ずかしそうにするも、直ぐに気持ち良さそうに声を漏らし始めた。愛し合う二人の時間。其れはゆっくりと過ぎて行く。其の愛の深さに反して二人が触れ合える時間はあまりに短く、僅かな浪費も二人は拒む。

 

 

『……おい。悪魔共の様子はどうだ? 勝てなくとも良いが、あまりに無様に負けられればお前の評判にも傷が付くぞ』

 

 しかし、琴湖は容赦なく二人の時間に割って入り、二人は其れに不平不満を唱えない。只のお目付け役、其の筈なのに関わらずだ。それどころか龍洞は太股を撫でる手を止めて身を起こす程。少なくても敬意を払っていない相手には行わない動作だ。

 

「勝つ気が感じられません。仙術にトラウマがあるのか、邪気のみを吸収したのを見ただけで気絶した戦車や、普通に修行している剣士、この二人はギリギリ良しとしても、使いたくないという理由で有効な力を使わない眷属に、相手の事を少しも調べていない王。……恐らく心の奥ではライザーに惚れていますね。プライドと恋愛への憧れで認めたくないだけでしょう」

 

 ライザー・フェニックスは既に公式戦デビューしており、娯楽が少ない悪魔社会では貴族平民を問わずレーティングゲームは大人気だ。ならばゲームの映像や評論家の評価記事、ファンのブログ等、得意とする戦術や能力や武器等の資料は簡単に手に入る筈。だが、リアスはゲームの戦術に関する資料は集めたが、ライザーに関する情報は彼の一族の特性と女王の異名程度しか持っていなかった。

 

 敵を知り己を知れば百戦危うからず。相手について調べるのは戦いの基本であり、十日間はただ能力を伸ばすには余りに短い。経験や人数に差がある以上、相手に有効な戦術を練り、それを行う為の特訓に費やすべきだ。

 

 其れをしていなかったからこそ、龍洞は彼女達に勝つ気がないと判断したのだ。

 

『番いなど能力で選ぶべきだろう。不死は良い遺伝子なのではないか?』

 

 恋愛など理解出来ないように呟く琴湖。彼からすれば男女間の愛など発情に過ぎず、意味が分からないのだろう。恋に生きえる二人は其の意見に苦笑するも否定はしない。

 

『だがまぁ、持っていたかもしれない権利を欲するのは分からんでもないがな』

 

 リアスは公爵家の次期当主だが、彼女の次の当主は其の子供ではない。魔王である兄の息子、ミリキャスだ。年の差十歳程と長命種の悪魔からすれば僅かであり、それならミリキャスが次期当主でリアスは他の家に嫁入りする筈だっただろう。其れならば次期当主として婿を取る今よりは自由が効き、社交界等で相手を探せたかもしれない。

 

 だがミリキャスは魔王である父の才能を受け継ぎ、次期魔王候補として既に彼を支持する派閥まで存在する。故に彼が魔王になった場合に当主をする為にリアスは家に残るしかなく、公爵家当主の婿となると選択の幅が狭まるし、家や派閥の兼ね合いも出てくる。

 

 其の結果、リアスの意思とは関係なしに結婚相手が選ばれた。

 

 

「まぁ私には彼女の幸せなど関係有りませんが、私と清姫が更に幸せになる為にはお金が必要ですから稼がせて頂きましょう」

 

「ええ、そうですね。……旦那様。私は貴方様の声も腕も足も肌も皮膚も血液も筋肉も内蔵も贅肉も顔も爪も毛も目も心も考え方も前世も強さも弱さも正直さも、全部好きです」

 

「当然です。私は貴女の全てを愛し、貴女は私の全てを愛する。この世の終わりまで、其れは変わりませんし、変わってはなりません。……あの約束は覚えていますね?」

 

「ええ、勿論。相手を他の誰にも何にも奪わせはしない。私が死ぬ時は貴方の手で、貴方が死ぬのも私の手で」

 

 清姫は甘えるように寄り掛かり、其の儘抱きしめられて逆に体重を掛けられる。琴湖が呆れながら離れた後、暫く水音が部屋から響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何故邪気を吸収しても暴走しないのか、ですか?」

 

「……はい」

 

 仙術は周囲の気を吸収して力に変えるのだが、其の際に邪気を吸い込み過ぎると暴走状態に陥って心が邪念に支配されてしまう。だが、小猫は確かに龍洞が()()()()を吸収したのを見たし、目の前の彼は暴走していない。

 

 彼女にとって仙術はトラウマだが、暴走しない方法があるのなら、そんな思いが彼女を動かした。昨日、龍洞が帰った後のリアス達の落ち込み様を見て何か思う所があったのかもしれない。

 

 だから無理するなと言って会得に反対するかもしれない仲間に隠れて相談してきた。

 

「それはまぁ、そういう特訓をしたからですよ。邪気は例えるならばニトロの様な物。扱いは難しいですが、扱いきれば強力な武器になります。……貴女、先輩に恩があるのでしょう? 無様に負けられたら私の評判まで傷が付きますし、お教えしましょうか? かなりスパルタですけど」

 

「はい……グッ!? ウァァ? ウァァァァァァァァァァァッ!!?」

 

 返事をした次の瞬間、小猫の足が地から離れる。腹部に龍洞の掌底が叩き込まれ、体内に無理やり邪気を流し込まれた。

 

 

 

 

 

 

「毒を取り込んで抗体を作るのと同じです。先ずは体を邪気に慣らしましょう。大丈夫。危なくなったら限界量まで気を叩き込んで邪気を押し出しますから」

 

 頭を抱えて絶叫する中、龍洞は相変わらずの人の良さそうな笑顔を浮かべていた。

 

「其れと邪魔が入らないように結界を張って偽物を向かわせていますからご安心を。……もう限界ですか?」

 

 耐え難い苦痛と恐怖によって小猫は顔を涙と鼻水と唾液でグチャグチャに汚し、其れを見た龍洞は転がり回っている小猫に近付き、面倒臭そうに脇腹に蹴りを叩き込む。怪我をしない程度の力加減で蹴り飛ばされた小猫は木にぶつかって漸く止まり、痛みが全く無いのに戸惑いながら立ち上がった。

 

「……何か、しましたか?」

 

「邪気を追い出す序でに気で自己治癒能力を増幅させました。つまり、この方法なら無茶しても死ににくいという訳です。後は心が死ぬかどうかですが、其れは貴女の責任ですから。では、次行きましょう」

 

「えっ? ま…待って……」

 

「いえ、待ちません」

 

 再び腹部に衝撃が走ると共に体内に邪気が流し込まれるのを小猫は感じ、再び限界になると先程の様に無理やり回復されて、の繰り返し。小猫の心は折れかけるも、今度は折れた心を何かしらの術で無理やり直されて邪気を流し込まれた。

 

 

 

 

 

「……さて、こっちは彼女次第ですが……あっちはどうでしょうか?」

 

 勝つ気が感じられない、とは言ったものの、其の理由は伝えていないのを思い出し、其れでも其の程度に気付かないならば同じだと伝えるのを止める龍洞。

 

 

 

 そして、十日の準備期間は過ぎ、ゲームの日がやって来た……。


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