発掘倉庫   作:ケツアゴ

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狂人達の恋の唄 ⑨

オーディンの愛馬スレイプニルは最高の馬と称えられている。では、其のスレイプニルをどのようにして手に入れたのか。其れは少し面倒な話しになる。

 

 アース神族がヴァルハラを建設するなどして暮らしていた時、石工に変装した巨人がとある提案を彼らにしてきた。強く、高い、新しい壁を作る代わりに太陽と月、そして妻としてフレイヤが欲しい、と。

 

 これに対しアース神族の悪神ロキの提案で半年以内に誰の力も借りずに完成したら報酬を払い、無理なら報酬は無しという条件を提示した。

 

 これに対し巨人は愛馬である、スヴァジルファリを使って良いならと承諾した。この時、神々は巨人を侮っていた。半年の間に広大なヴァルハラや市街地を囲む壁など出来はしないと思っていたのだ。

 

 だが、壁は期日内に完成しそうになり、責任を追及されたロキは牝馬に化けてスヴァジルファリを誘惑し、期日内に完成出来ないと悟り、正体を現した巨人はロキに討たれた。

 

 ……話は此処で終わりではない。この後、ロキは八本足の一匹の仔馬、スレイプニルを連れて来た。馬に化けた彼は心も馬になっており、スヴァジルファリとの間にスレイプニルをもうけたのだ。

 

 これがスレイプニルの誕生に関わる話であり、スレイプニルはオーディンに献上されて彼の愛馬となった。

 

 

 

 つまり、スレイプニルはロキの子として有名なフェンリルなどの三匹の怪物の兄弟なのだ……。

 

 

 

 オーディンの我が儘から始まった三竦みによる接待観光。アザゼルなどのトップ陣の計画により順風満帆に進み、このまま同盟も結べるかと思われたが・・・・・・・。

 

「鬱陶しい! 食事の時は幸せで救われていなければならないというのに!」

 

 珍しく龍洞が声を荒げ、隣を歩くギャスパーは服に臭いが移っていないか心配して袖を嗅ぎ、顔をしかめる様子から嫌な予想が当たったようだ。直ぐ上を飛んでいたドライグは臭いが届かない上空に逃れ、オーディンも不快そうに歩いている。

 

 場所は住宅地から離れた老舗の寿司屋の傍。静かで落ち着ける景観が広がる其の場所は、横転したバキュームカーから漏れ出した糞尿の悪臭が充満していた。

 

「楽しみにして来たのじゃが・・・・・・・これなら期日ギリギリまで北欧に居るべきじゃったな」

 

「オ、オーディン様! 案内して下さるアザゼル総督達もいらっしゃるのですから・・・・・・・」

 

 スレイプニルに引かれた空飛ぶ馬車の中、不機嫌を隠そうともしないオーディンを宥めようとするロスヴァイセだが、王という地位故か、本来の性格か、彼女の言葉程度では機嫌は直らない。接待役として選ばれた女性悪魔も近寄るのを躊躇う雰囲気の中、アザゼルはバラキエルと顔を突き合わせて話し合っていた。

 

「こういう姑息で意地の悪い嫌がらせはアザエルの仕業だろうな」

 

「ああ、ただ刺客を送るだけなら撃退されて力のアピールをされるだけだが・・・・・・・これでは戦闘力も役に立たん」

 

 見た目重視で選ばれた女性悪魔を含め、此処にいるのはかなりの実力者達。にも関わらず接待相手のオーディンが此処まで不機嫌になる理由。其れは相手の手口にあった。

 

 

 今回の観光、当初はオーディンも機嫌が良かった。堕天使が経営するパブに行ったりショッピングを楽しんだり、護衛の女性陣にセクハラしたり、ギャスパーを戯れに口説こうとした挙句に性別を知って悶絶したりと順調だった。

 

 

「・・・・・・・む? 事故か?」

 

 其れは遊園地に行った時の事。女性陣と一緒にコーヒーカップに乗って嬉しそうな顔をしていたオーディンだが、急な停電による停止に折角の気分を害されたという顔をする。この時はアクシデントを装っておさわりを決行しようとしてロスヴァイセに止められたのだが・・・・・・・これは始まり時に過ぎなかった。

 

 

「何じゃ、またトラブルか・・・・・・・」

 

 次に向かったゲームセンターでは機械の故障によって順調に進んでいたスコアが台無しになり、ホテルでは火災報知器の誤作動や嘘の通報で夜中に何度も起こされ、レストランは水道管の故障で床が水浸しになる騒ぎ 。

 

 直接的でない危機には戦闘力は役に立たず、相次ぐトラブルの後には遠くからの犯行声明による煽りを受け、オーディンに対する接待は見事に失敗に終わりそうだった。

 

 

 

 

「このまま日本神話との会談も失敗して戦争にでも成ればいいのに」

 

「君は日本神話の神に恨みでも有るのかね? どうも気になってな」

 

 馬車による空の旅の途中、ポツリと呟かれた内容が気になったのかヴァスコは尋ねる。龍洞だけでなく横のギャスパーも賛同するかの態度で、異教の神とはいえ今はスポンサーなので思うところも有ったのだろう。

 

 

 

 

「有る・・・・・・・どころの話では有りませんよ。私は身内が大切でして、今回も報酬の九割と引き換えに便利な物を二つも貸して頂けて感謝しているんです。本人達は好き勝手やったのだから文句はないと言っていますが、奴らには身内が散々煮え湯を・・・・・・・」

 

 突如馬車が揺れて止まる。二人は即座に会話を切り上げ武器を構えて飛び出した。今居るのは海の上、目の前には腕を組んで此方を見ている男が一人。無論、宙に浮かんでいる男がただ者な訳はない。

 

 

「ロキ様、何故この様な場所に居るのですか!? この馬車にはオーディン様が乗っておられるのをご存知なのですか!?」

 

(……北欧の悪神か。身内内でのゴタゴタは此処まで深刻ではないと聞いていたのだが……)

 

 名を聞いた事で目の前の男の正体とある程度の目的を察したヴァスコはフッと溜め息を吐く。彼自身も天界の意向が気に食わず、自分の信仰を貫く為に協会を脱退した身であるから、トップの決定に不満を持つ部下が出ても当り前だと思っている。むしろ、国の様に膨れ上がった集団で、上が決めたら下も無条件で従うと思う方がどうかしているのだ。

 

 

 

「無論知っているとも! 我らが神話領域から抜け出し他の神話と関わろうなど我慢出来んのでな! カオスなんちゃら、とか言う組織に便乗させて貰った!」

 

 ロキの様子からして戦闘も辞さないと行った様子。其の姿に何か告げようとオーディンが前に出たその時、龍洞の手が襟首を掴んで強引に引き寄せる。当然、息が詰まった。

 

「ぐえっ!? な、何をするんじゃ!」

 

「いや、貴方の護衛は仕事ですから。・・・・・・・その他は知ったことでは無いですけど」

 

 先程までオーディンの頭が在った場所、其処を高速の何かが通り過ぎる。其れは小型の光の槍だった。小型の上に光の屈折で不可視化された超高速の狙撃はもう少しでオーディンの頭を貫いていただろう。だが、即座に察知した龍洞の活躍で助かった。もし殺されていれば北欧と、今回の護衛を引き受けた三大勢力の関係は悪化していた事だろう。

 

 

 

 

「・・・・・・・え?」

 

 だから、少しの犠牲は仕方ない。放たれたのは一本だけでなく二本。其れもとっさに防げるのはどちらか一本という絶妙な距離とタイミングによるもの。だから龍洞もオーディンを選んだし、ヴァスコもオーディンに向かっていた槍を優先せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・さてと。本命は当然無理でしたが、これはこれで関係や立場に悪影響でしょうし・・・・・・・帰りましょう」

 

 つまりロスヴァイセの犠牲は仕方がなかった事なのだ・・・・・・・。

 

 

 

 

 

「奴め、余計な真似を。・・・・・・・だが、これはこれで良い。ではオーディンよ! 此処まで来た以上、最早後戻りはできぬ! 今此処で! ラグナロクを始めようではないか!」

 

 ロキの掛け声と共に巨大な狼が現れる。名をフェンリル。神殺しの牙と爪を持つ最強の魔獣であり、二天龍クラスの力を持っている。

 

 

 今もうなり声を上げながら歯をむき出しにし、其の姿にオーディンの顔にも焦りが浮き出た。

 

 

 

「・・・・・・・所でロキ達はどうやって私達の居場所を知って行動したのでしょうか?」

 

 その言葉が合図であったかのようにフェンリルが飛びかかる。

 

 

 

 

 

 

「なっ!? どうした、息子よ!」

 

 ただし、ロキのいる方向に、で、明らかに殺気を剥き出しにして、だ。驚愕でロキが固まる中、鮮血が飛び散る。其れも明らかに重傷の量であった・・・・・・・。 ロキの息子にして北欧神話最強の魔獣フェンリル。今回のオーディン襲撃の際の最大の切り札であるこの存在をロキは信頼しており、衰退著しい三大勢力の護衛など取るに足らないと侮っていた。

 

「フェンリル!?」

 

 だが、そのフェンリルはオーディンではなく自分に向かって襲い掛かったかと思うと、脇腹から血を噴き出して倒れ込む。強靭な毛皮は赤く染まり、動脈を傷付けたのか鮮やかな色の血がドクドクと流れ出す。傷口を注視すれば、うっすらと骨さえ見えていた。

 

『ほぅ。やはり昔話同様に犬には気付かれるのか。いや、アレは口元の灰を餡子ごと舐めとったからか?』

 

 何もなく誰も居ない筈の空間、フェンリルが飛び掛った其処からロキが最も警戒していた者の声が聞こえて来た。何処か感心したような歓喜の声であったが、続いて緊張感のない訳の分からない内容を呟きながらドライグが姿を現す。その右前足の指先で小汚い蓑を摘んでいた。

 

『おーい! 其の辺どうだったか?』

 

「私が聞かされた話では灰を塗りたくって盗み食いした饅頭の餡子を舐めとったのが先です。そんな事よりも壊さないで下さいね、其の隠れ蓑は借り物なのですから」

 

「ちょっ、待てっ! ドライグの奴、何処から現れやがったっ!?」

 

「最初から居ましたよ? 天狗の隠れ蓑って昔話知りません? アレと同じ物を使いました。灰にしなければ全身を覆う必要はないので」

 

 オーディンの護衛の面々が気の抜けた様子で話す中、フェンリルは立ち上がる。通常ならば立ち上がれる怪我ではないが、最強の魔獣の称号は伊達ではない。其の命尽きる時までフェンリルは戦い続ける闘争心と生命力、其れこそが神殺しの爪牙を超える最大の武器だった。

 

 

『……ほぅ。暇潰しの積もりだったが・・・なぁっ!!』

 

 ドライグの口から放たれたブレス。フェンリルならば避けるのは容易いがフェンリルは避けない。いや、避ける事が出来ない。直線上にロキが居たからだ。ロキの防御用魔法陣では防ぎきれないと悟ったからだ。

 

 親を庇う息子という美しい光景ではあるが、同格の敵が相手という状況では悪手でしかない。フェンリルへと向かうブレスは直前で握りしめた手を広げたかの様に拡散し、強靭な生命力で塞がり始めた傷に直撃して其の身を焼く。

 

 毛皮を焦がし肉を焼き骨を焦がす。其れでも矜持からか、フェンリルは声を上げず、牙を剥き出しにして闘志の篭った瞳を向けた。

 

「……此処が引き時か。相手の戦力を見誤った」

 

「させるかっ!!」

 

 ロキが腕を振るとロキとフェンリルを転移の術式が包み込み、ドライグの最後のブレスは一瞬遅れて二人が居た場所を通り抜けて真下へと向かって行く。山が幾つか吹き飛んだ。

 

「あらら。アレは隠蔽が面倒そうだ。此方が出した損害は全部北欧任せの契約で助かりましたね」

 

 大勢の人が巻き込まれたかもしれないにも関わらず龍洞の口調は穏やかで呑気そう。ギャスパーも何か言おうとしたが結局言わなかった。

 

 

 

 

「……さて、これからどうするか」

 

 アザゼルもまた、出たかもしれない人の被害よりも、これからの事に頭を悩ませる。だが、直ぐにドライグの姿を見て大丈夫かと思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃま、今度の会談中の警備について話そうぜ。……どうせロキが何かしてくるだろうよ。多分アザエルの野郎もな」

 

 アザゼルは集まった者達と共に予想される日本神話と北欧神話の会談への襲撃の対策を始めようとしていた。だが内心ではフェンリルの相手はドライグに任せるのは決定していたのだが。直ぐに口にしないのは意地からで、アルビオンを倒した今のドライグなら先程同様に問題ない。そう思っていた。

 

「あの嬢ちゃんは可哀想だったが、今は其れ所じゃねぇし、爺さんを観光で散々不機嫌にしちまったから張り切らねぇとな」

 

 残酷な様ではあるが、オーディンの付き人であるロスヴァイセには政治的価値はない。主神の付き人といえば重要そうではあるのだが、彼女自身には特別な価値は無いのだ。

 

 田舎出身で年若く、元々は窓際社員。付き人も十代で貴族でも何でもない田舎出身の小娘で、そんな彼女でさえ一番長く続いている程に離職率が高いという事は、主神の付き人は北欧でさえ重要とされていないという事。簡単に辞められるという事はそういう事だ。

 

 故に護衛中に付き人を殺されたという政治的不利になる材料となったものの、次に挽回すれば良いとしか思われていなかった。

 

 

 

 

 

 

 だから、聞こえてきた言葉をアザゼルは直ぐに理解出来なかった。

 

「あっ、勘違いしないで下さいね。私達は観光中の護衛であって、今度の会談中は仕事外ですし、私としては日本神話の神には死んで貰った方が都合が良いので引受けませんよ? って言うかこんな時こそ実力主義の悪魔の出番でしょう。魔王なりゲームのチャンプなりに出て貰えばどうですか? 私は知りません」

 

 持ち込んだ問題で被害が出たからって戦争になったら万々歳です、と言って去っていく龍洞とギャスパー。止める事が出来る者は居なかった……。

 

 

 

 

 

 

「さてと、宿題も終わらせましたし暇ですね。茨木さん、何かして遊びますか?」

 

「花札だ! 今度こそ吾が勝たせて貰うぞ! ・・・・・・・しっかし、よくロキとやらはオデンの居場所が分かったな」

 

 通算三百二十連敗中の茨木童子は鼻息荒く花札を取り出し、今までの負け分を散り返そうと意気込む。明日以降、彼女のオヤツ代は消え去る運命にあった。

 

「まぁロキの子が引く馬車ですから、幾らでも探す方法は有るのでしょう。猪鹿蝶こいこい月見酒花見酒こいこい青短」

 

「ぐぬぬ! もう一度だ! 次は秘蔵の菓子を賭ける!」

 

「あっ、喰付。・・・・・・・一緒に食べましょう」

 

「・・・・・・・うん、食べる」

 

 茨木童子がガチ泣きしそうになった時、襖が静かに開いてギャスパーが入って来る。入って来る時の動作は兎も角、声を掛けずに入って来た事を咎めようとした龍洞だが、其の顔を見て何があったかを察した。

 

「見事に引っかかりましたか」

 

「は、はい! あのサ・・・何とかさんに感謝です!」

 

 

 

 

 

 

 

「あ奴、随分と嬉しそうだな。汝ら、何を企んでいる?」

 

 縁側を走るギャスパーからは何時もの臆病で消極的な姿は想像出来ず、まるで早く散歩に行きたがって飼い主を急かす子犬の様だ。其れが訝しいのか茨木童子は龍洞に不信感を込めた視線を送っていたが、突如吹き出した。

 

「し、しかし、護衛には奴が居たのであろう? あの酒の席での笑い話に必ず挙がる姫島家の大間抜けの夫が! ククク、何度思い返しても笑えるな!」

 

「私は聞き飽きましたよ。実家の立場や仕事も、夫の事で何を失うかも考えず、家と縁も切らず敵対も逃亡もせず、襲撃があっても護衛を付けない所か、実家の子と娘を仲良くさせようとした挙げ句に敵対組織に情報を売られて殺されたって話しでしょう? まぁ落語に登場する間抜けな男の話みたいですが・・・・・・・」

 

「ハッハッハ! 其の挙げ句に娘は何かあったら戦争になる敵種族の仲間入り。内通を疑われるか人質が関の山だろうさ。何せ堕天使の幹部の娘。恨む悪魔は大勢居ようぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人共、早くして下さい! グレイフィアさんが吸血鬼の国に侵入して、ヴァレリーを誘拐しようとしてくれているんですから!」

 

 雪降りしきる寒空の元、非常に熱い二人が居た。

 

「旦那様、はい、あーん」

 

「あーん」

 

 先程から振る大粒の雪は見えない屋根に遮られるかのように其処には届かない。大きく広げられたピクニックシートの上では何段にも重ねられた重箱にギッシリと詰め込まれた料理を美味しそうに食べる龍洞と、幸せそうに彼に食べさせる清姫の姿があった。

 

「ああ、私はなんて幸せなのでしょう。貴女の様な妻を持てて世界一の幸せ者です」

 

「違います。貴方様の様な夫を持てた私こそが世界一の幸せ者です」

 

「では、同点という事で」

 

「ええ、それが良いでしょう」

 

 何時の間にか箸は止まり、清姫は龍洞の胸にそっと寄りかかる。その背に手が回され抱き寄せられる。重なる視線と視線、そして唇と唇。静かに雪が降りしきる中、舌を絡め合う音が響いていた。

 

 

 

 

 

 

『おい、ギャスパー。俺の背中の上でイチャつく馬鹿二人を振り落としたいから千回ほど旋回して良いか?』

 

「む、無駄ですぅ。その程度じゃ僕しか落ちません」

 

 天狗の隠れ蓑で姿を消し去ったドライグは自らの背中の上だろうと構わずに何時も通りの二人に呆れ、相手が居ない自分を嘆きながらも飛び続ける。やがて人里から遠く離れた場所に存在するギャスパーの故郷が見えてきた。

 

 

 

 

 

 吸血鬼の国の王が住まうのは中世を思わせる城ではあるが、城下町まで中世の町並みではない。むしろ近代的だ。これは吸血鬼にされた人が住まう為であり、車だって普通に走っている。そんな街の中で一人の兵士が休暇を満喫して来た。

 

 

「今日は何処で遊ぶか。……馴染みの娼館はツケが溜まってるからな」

 

 彼は人から成ったのではなく、身分こそ低いが純潔の吸血鬼。だから人から変化した者達よりは上に見られるのである程度の勝手は効くのだが、やはり先立つ物がないと力も振るえない様だ。

 

「痛っ!?」

 

 ふと、雪が乗った頭にチクリとした痛みが走る。何故その様な痛みが走ったか、其れを考えるよりも前に彼は前のめりに倒れ込んだ。周囲の吸血鬼達も同じように倒れこみ、直ぐに起き上がる。ただし、其処に居たのは先程までの彼らではない。

 

 

 

 

「相変わらずエグい。ですが……其れが良いっ!」

 

「えへへ、そうですか?」

 

 親指を立てて褒め称える龍洞にギャスパーは照れ笑いをする。今この国に降っているのは只の雪ではない。ギャスパーの禁手によって作り出された寄生能力を持つ超小型の魔獣だ。雪の結晶の形を持つこれらは対象の頭の皮を食い破り、頭蓋骨を削って脳まで進むと溶解液でドロドロに溶かし、其処に同化すると同時に再生を始める。まるで蛹の中で体を芋虫から蝶に作り変える様に脳と同化した魔獣は対象の体を自らの物へと変えていた……。

 

 

 

「所でギャスパーさん。故郷に来ましたけど何かご感想は?」

 

「え? 特に無いですよ?」

 

 清姫の問いにギャスパーは返答する。無論、清姫は何も反応しない。其れは彼の言葉が紛れもない真実だと言うことであり、事実街を見下ろす彼の目は路傍の石ころを見るようであった。今、眼下では虐げられていた下級身分の吸血鬼達が武器を持って立ち上がり王城を目指す。刃向かう庶民など容赦なく兵士に斬り殺されるが、其の兵士もまた突如反転して主へと牙を向く。

 

 この日、吸血鬼の国は未曾有の大混乱に見舞われていた。

 

 

 

 

 

 

「……待っていて、ミリキャス。直ぐ貴方を抱き締めるから」

 

 雪を踏みしめる音が静かな森に響く。地面も木々も純白に染まる中、吸血鬼の城に進入し『幽世の聖杯(セフィロト・グラール)』の所有者であるヴァレリーを連れ去ったグレイフィアの口からは白い息が漏れ出し、流した涙は忽ち凍てつく寒空の下で氷の結晶と化す。

 

 突如勃発した暴動によって混乱に陥った城に侵入するのは容易く、ヴァレリーを連れ去るのは拍子抜けするほど容易だった。

 

 上手く行き過ぎだと、冷静な彼女ならば思っただろう。だが、我が子を失った母の悲しみが、復讐を許されない屈辱が、失った息子を取り戻せるという希望が、失敗する訳には行かないという焦燥が現実から目を逸らさせる。我が身に付いた操り人形の糸に気付かぬまま、グレイフィアは冥界へと通じる魔法陣の隠し場所へと突き進む。

 

「ん……」

 

 眠らせたヴァレリーが寝言で何やら言っているが、今は気にする暇もない。ただ、グレイフィアは彼女を悪く扱う気はない。いや、虐げられている半吸血鬼を救い出すという大義名分で自分を騙しているからこそ今回の行動に出られたのだ。

 

 全く関わりのない種族から貴族の子女を連れ去るなど、今の冥界の、混乱を来たしている悪魔社会に更なる混乱と苦境を招くだけだとグレイフィアとて分かっている。だが、それでも会いたいのだ、抱きしめたいのだ。失った我が子の笑顔をもう一度見たい。その気持ちだけが原動力だ。

 

 

 

 

「あっ! 此処までご苦労様です。ヴァレリーを助けるのにご協力頂いて有難うございます」

 

 だからこそ、我が子を殺した仇敵の仲間が目の前に現れた時、グレイフィアは何が起きたか理解できなかった。

 

 

「な、なんで貴方が……」

 

「だって僕の代わりにヴァレリーを攫ってくれた貴女から彼女を受け取る必要がありますから」

 

 この瞬間、グレイフィアは全てを理解した。匙にヴァレリーの情報を漏らしたのはギャスパーだ。そしてそのギャスパーの目当てはヴァレリー。まんまと嵌められた、そう悟ったグレイフィアの頭に血が上るより前に首が飛ぶ。唖然とした表情のまま、姿を消して背後から忍び寄った龍洞に刎ねられたグレイフィアの首はクルクルと宙を舞い、飛び出た血が白い雪を赤に染める。

 

 

 

「若様、コレはどうします?」

 

 ギャスパーは仰向けに倒れる首なし死体を蹴りつけ、龍洞は背後からやって来た兵士達を手招きする。彼ら全員既にギャスパーが創り出した魔獣に寄生された者達だ。

 

「取り敢えず今回支配した者達に辱めさせた後で誘拐犯の死体として提出させなさい。そろそろ暴動も鎮圧させる頃ですし……妻の無残な死体を見たサーゼクスがどう出るか楽しみですね」

 

「そんな事よりも、今日は一旦ヴァレリーを京都に預けますし、ついでに出席する宴が楽しみです」

 

「私もです」

 

 

 

 後日、サーゼクスの元にズタボロされた屍姦済のグレイフィアの遺体が届けられる。この者に貴族の一人が連れ去られたという手紙と共に。その手紙は敵対する貴族にも送られており、先日のロキ率いるフェンリル達との戦いで親友であるアジュカ等の有力な味方達と右手を失った今の彼には余りにも辛い知らせだった。

 

 

 

 現政権が作り上げた悪魔社会。他種族を踏みにじってでも手に入れようとした安寧と繁栄は静かに終わりを迎え始めた……。 高校生活にはイベントが目白押しだ。その中でも修学旅行は格別だろう。この日、駒王学園二年生は新幹線に乗り京都へと向かっていた。

 

 ただ、生徒達の顔は晴れやかとは言えない。4月から相次いで生徒が次々と姿を消し、転校していった。その中でもリアス・グレモリーや支取蒼那、木場祐斗などの特に人気があった生徒が居ないのが特に影響しているだろう。

 

 そんな中、喜色を浮かべている生徒も居た。

 

「……車内販売侮りがたし」

 

 山のように積まれた弁当箱の空き箱に更に一個積まれ、新しい弁当に手が伸ばされる。コンビニの新作弁当を町にある全部の種類のコンビニで買い求め、更にスーパーの弁当に駅の売店の弁当、そして車内販売の弁当、その全てを平気で食べている者こそ仙酔龍洞。

 

 彼は今、故郷である京都に行く道中で小腹を満たしていた。

 

 

「いや、よく入るな、そんなに」

 

「何処に入ってるんだよ……」

 

 呆れ顔なのは修学旅行で同じ班になった元浜と松田。イケメン王子と呼ばれていた木場が居なくなった今、女子の人気が更に上がった龍洞を利用すべく班に誘い、彼らを使って女生徒を避ける為に龍洞は誘いに乗った。

 

 尚、既に彼らへの嫌悪を利用して女性を避ける術を発動しているので二人の思惑は潰えているのだ。

 

 

 

 

「そういや仙酔って京都出身なんだろ? しかも凄い金持ちとか」

 

「芸者さんのお店とか良い所知ってる?」

 

「聞いたことはありますが利用はしていませんね。……あと、行くのなら自腹でお願いしますね」

 

 そんなこんなを話している内に新幹線のアナウンスが到着間近だと告げる。そして京都駅のホームを出た瞬間、途轍もない殺気が向けられた。

 

 

 

 

(狐が……二十匹程。随分と殺気立っていますね)

 

 ちらりとカバンに付けた勾玉の首飾りに目を向ける。昔、協定を無視して襲撃をかけた際、京都の妖怪の多くを支配する九尾の姫の夫を殺したのだが、その彼の持ち物だ。

 

 今回、態々其れを目立つようにして持って来いと言われていたが、効果はあったようだと笑みを浮かべる。態とらしく手を振ると更に殺気が増したのだが襲っては来ない。今は一般人が居るからだと判断した龍洞はそのまま他の生徒と共にホテルへと向かっていった。

 

 

 

「アザゼル先生も転勤しちまうし面白くねぇよな」

 

「あの人なら遊び方とか教えてくれそうだったのにな」

 

 ホテルは二人部屋だが、生徒数が奇数だったので龍洞だけは一人部屋だ。松田達と一旦別れ、部屋に着くなり背後から手が伸びる。全く抵抗をしないまま龍洞は目を手で覆われた。

 

 

 

 

 

「だーれだ?」

 

「私の愛しい妻である清姫」

 

「正解です、旦那様」

 

 龍洞は振り向くなり清姫をお姫様抱っこするとベッドまで運び、そのまま覆いかぶさる。慣れた動きで着物を脱がし、全身をまさぐった。

 

 

 

 

「あ、あの、僕も居るんですけどぉ? ……もう無駄ですね、分かってました」

 

 ギャスパーは大きく溜息を吐き、バスルームに向かっていく。二人はシャワーよりも風呂派であった。

 

 

 

 

 

「まさか部屋に着くなり寝ちまうとはっ!」

 

「早く女子と合流しなくては!」

 

 三時間後、()()()部屋で眠ってしまっていた松田と元浜はこの機に彼女を作ろうと女子を探しながら京都を散策する。その隣に龍洞の姿がないのだが、二人に気付く様子は無かった。

 

 

 

 

 

 

「……さてと、そろそろ出て来たらどうですか?」

 

「態々此方から襲いやすい場所に来たというのに無礼な方々ですこと」

 

「こっちは急な帰還命令で学校をサボってきたんです! じゃ、邪魔しないで下さいぃぃぃぃ」

 

 一方、龍洞達は人気のない古びた神社の前で立ち止まると武器を取り出す。龍洞は刀を抜き、清姫が扇を口元に当てると蛇の形の炎が彼女の周囲を舞い、ギャスパーは情けない声を出しながらも何時でも神器を発動出来る様にする。

 

 其れに応えるかの様に現れたのは武装した妖怪達。狐の面を被り、武器を構え一歩ずつジリジリと寄ってくる。そんな中、一人の巫女服の幼女が現れた。

 

 

 

 

「悪鬼共め! 母上を返せ!!」

 

「おや、九尾の姫の娘ですね。確か九重でしたっけ? 私は九尾の姫が攫われたなど聞いていませんが?」

 

「恍けるなっ!! 父上でだけではなく母上まで害そうとは許せぬっ!! 者共かか……」

 

 九重が配下の者達に命令を下そうとした時、龍洞はカバンに付けていた首飾りを外し、其れを見せ付けるように突き出すと九重の表情が固まる。物心つく前に父を失った九重にとってその首飾りは形見であり、一部のものが襲撃をかけた為に慰謝料として奪われてしまった物だ。

 

 固まったその顔を見て笑みを浮かべた龍洞はゆっくりと前進し。九重が容易に受け取れる様にしゃがむ。返してくれるのかと九重の顔に希望が宿った。

 

 

「これ、もう要りませんね」

 

「な、なら……」

 

 返して欲しい、そう九重が告げるよりも前に首飾りは地面に落ち、龍洞の足が踏み下ろされる。勾玉が砕ける音が響いた。

 

 

 

「な、何で……それは父上の」

 

「今は私の物ですから壊そうが捨てようが勝手です。……ですがまぁ、()()を放置するのも駄目ですよね。……清姫」

 

「はい、旦那様」

 

 清姫の口から青い焔が吹き出し、首飾りの破片を焼き尽くす。後に残ったのは白い灰だけで、九重がそれに手を伸ばすよりも前に風が吹いて飛んでいった。

 

 

 

 

 

「……てやる」

 

「おや、震えていますが寒いのですか?」

 

「殺す! お主だけは絶対に殺してやる!!」

 

 涙をポロポロと流しながら九重は狐火を操り、配下の者共も一斉に武器を構える。一触即発の空気の中、九重達の動きが停まった。

 

 

 

「ご苦労様です、ギャスパー。……ご褒美は狐の襟巻きで良いですか? どうせ九尾の姫は大婆様の仕業でしょうし」

 

「でしょうね」

 

 あの人ならやりかけないと二人が思った時、背筋に冷たい物が走る。錆び付いた絡繰の様に振り向くと其処には刀を構えた皐月姫が立っていた。

 

 

 

 

「うむ。久しぶりだな、二人共」

 

「「お久しぶりです、師匠!!」」

 

 一瞬で二人の顔が青褪め、即座に土下座。もはや九重達の事など忘れ去り、気温。が高いのにガタガタ震えていた。

 

 

「お久しぶりです、皐月姫様。先日帰還した時はお会いできなくて残念でした」

 

「ん。久しぶりだな、清姫ちゃん。どうだ? 馬鹿弟子とは仲良くヤってるか?」

 

「はい。毎日可愛がって頂いています」

 

「そうか。それは結構。……おい、馬鹿共。何時までそうしている? 立ち上がらないのなら足は要らないという事だな?」

 

 即座に立ち上がる二人。皐月姫は僅かに微笑むと何もない空間目掛けて刀を振るう。空宙に切れ目が入り、悪鬼の住まう屋敷が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

「……っと、言うのを忘れていた。お帰り。元気そうで何よりだ」

 

 そう言って向けた笑顔は彼女に恐怖する二人でさえも安堵を覚える優しい物だった。


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