ずっと音楽一筋だった。物心つく前から、中学入学の今日まで。運動は演奏に集中する体力を付けるため。遊びも音楽に役立つ感性を得るため。恋愛なんてかけらも興味はなかった。恋歌も良いと思うものはあっても理解はできなかった。
そんな私が、入学式の今日。一目惚れをした。
「……鎧塚、みぞれです。よろしくお願いします」
表情の無い、綺麗な横顔から。私は目を離すことができなかった。
いつの間に家に帰ってきたのか。全く記憶にない。
ふと思い出されるのは、朝の自己紹介での彼女の横顔。白い肌に大きな瞳。柔らかそうな唇と艷やかな長い髪。どうしようか。めちゃくちゃどきどきする。なるほど、安っぽいとばかり思っていたアイドルの恋歌の歌詞も今ではよくわかる。
しかし、まあ。まさか女の子に見惚れるとは思わなかった。恋愛するにしても、男の子相手になると思っていたけれど。それがまさか。
家族と晩御飯を食べ、色々誤魔化しながらも今日の話をして、お風呂に入ってからも。まだ胸の高鳴りが収まらない。
こうなったら何か聴こうか。いや、吹こう。今のこの気持ちを。心が思うそのままに。
リードを咥えながらオーボエを組み立てる。さあ、どう奏でようか。柔らかにか、軽やかにか。彼女の顔を思い浮かべる。見上げていた私と一瞬絡む視線。あの時、彼女はどう思ったのだろうか。知りたい。彼女のことが。
リードを吹き口に挿し、一音奏でる。うん、さあ、思い切り吹こう。目の前の色が広がるような、高らかなこの気持ちを。胸の苦しい、甘酸っぱい感情を。ただ、心の向くままに。
翌日の朝。いつもより早い時間に目が覚めた私は、昨夜の余韻を残したまま、わくわくとしながら学校に向かっていた。
ひらひらと舞いちる桜を眺めながら通学路を歩く。昨日とは見える風景が違う気がする。鮮やかできらきらと輝いているような。
学校に近づくと、朝練をしているのだろうか、生徒たちの声と楽器の音が耳に入る。ここ、大吉山南中学校は京都府内でも吹奏楽強豪校の一つだ。昨年度も関西大会で銀賞を取っている。金も過去に数回取れているがいずれも全国には行けていない。それでもまだ全国を目指しているのだろう。澱みのない伸びやかな音からは生徒たちの実力と意気込みを思わせる。
うん、ここの吹奏楽部はやっぱりいいな。私も頑張れそうだ。
午前7時の教室。流石に誰もいないだろうから少し吹こうかなと考えながら中にはいると、窓に近い中ほどの席で、女の子が本を読んでいた。
背筋の伸びた綺麗な姿勢で、朝日に柔らかく照らされながら静かに本を読んでいる。
暫し見とれた。胸が高鳴るのがわかる。彼女が顔を上げた。私の方をちらと見上げてくる。時が戻った。
「お、おはよう、鎧塚さん。朝、早いんだね」
声は上ずらなかっただろうか。顔が赤くなるのがわかる。少し緊張しながら自分の席……彼女の隣へと腰掛ける。
「おはよう……。…………」
「…………?」
「目覚まし……」
「目覚まし?」
「……1時間、間違えた……」
天然か!なんだもうすごく可愛いぞどうしようかもう!
内心で心底悶ていると、鎧塚さんが言葉を続けた。
「あなたも」
「うん?」
「朝……」
「ああ。うん、楽器、吹こうと思って。早く来れば誰もいないかな、と思ってね」
「そう……」
軽く返事をして、彼女の視線が本に戻る。マイペースなのかな。だけど、嫌いじゃない。寧ろ好みど直球である。
隣の席に腰掛けて、彼女の顔をしばし眺める。少し伏せたような目で、本の文字を追いかけている。
開けられた窓から流れ込む風が、彼女の髪を揺らす。静かな喫茶店で本を読んでいるイメージが浮かんできた。
「そだ、鎧塚さん」
「……?」
「楽器、少し吹いてもいいかな?あまりうるさくしないから……」
言葉はないが、頷かれたので、早速準備を始める。机の上に置いたオーボエケースからリードケースと水入れを取り出して、1本選んだリードを水に付ける。水入れから出ているコルクにグリスを薄く塗り馴染ませる。指を軽く拭いてから、ケースからベルと下管を取り出して組み付ける。
続いて上管も取り出していると、鎧塚さんがこちらを見ているのに気づいた。
「それは……?」
「オーボエだよ。知ってる?」
「名前だけ。……見たのは、初めて」
「そっか。かっこいいでしょ?」
「……機械みたい」
「……今の楽器って大体機械みたいなもんだしねー……」
手元から目を離さずに会話する。オーボエは繊細な楽器だ。余所見をして組み立てようものなら間違いなく壊してしまう。リードも乾きすぎてはだめ湿らせすぎてもだめで。リードの具合の確認ついでに水入れから取り出したリードを咥えながら、組み上げたオーボエを確認した。
「ん、よし。では……」
リードを吹き口に挿して一音。ん、音も合ってる。何を吹こうかな。ん、そうだ。あれにしよう。
「〜〜〜〜♪」
「カントリーロード……」
せいかい!日本ではジブリの映画で有名だが、元々はアメリカの歌だ。故郷を想う歌だが、入学して二日目の今に物悲しい曲調は相応しくない。優しく、でも明るい希望を込めて。そう、気をつけて奏でる。
「………………♪」
鎧塚さんが目を閉じながら聴いてくれてる。口元も少しほころんで見える。ふふ、嬉しいな。
「……ふう。どうだった?」
「きれいだった」
「よかった。何かリクエストある?いろいろ吹けるよ」
「じゃあ、千と千尋の……」
「りょーかい」
二人だけの演奏会。音楽は人と人を繋いでくれるのだろうか。少し前まで無表情だった彼女の頬が染まって、今では楽しそうにしてくれている。他の生徒たちが来るまでの短い時間はあっという間で。でも、とても幸せに感じる時間だった。
オーボエの描写にツッコミがあれば是非くださいおねがいしますなんでも(ry