とある土曜の昼下がり、駅前までの道のりを一人、少女が軽やかに歩んでいる。
少女は見た目いかにも今どきの女子高生といった感じで、その華やかでかわいらしい外見は、男女関係なく、道行く人々の視線を引き付けるには十分なものだ。
そんな周りの視線に気づいているのかいないのか。少女は右手に巻いた時計をちらちらと気にするそぶりを見せながらも、実に機嫌が良さそうにしている。
誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。少女の様子はどこか急いでいるようにも感じられる。彼女を観察していた周囲の男は、顔も名も分からぬ彼氏の存在を感じ、嘆息しつつ視線を外す。
知らず幾十数もの男の純情を打ち砕いた少女は、しかしそんなことには気付くはずもない。再びちらと時計を見やると、軽くステップを取りながら歩みを速めた。
少女は名前を成瀬優と言う。
彼女は黒木智子と同じ中学校の友人であり、そして智子の唯一の親友でもある。
中学の頃は親友と同じように地味で目立たない、眼鏡三つ編み少女であった。高校デビューで驚くべき変貌を遂げた彼女。だがそれでも、優は変わらず智子の友人であり続けていた。
今日は智子の誕生日を祝うため、駅前のカフェで待ち合わせをしている。
誕生日プレゼントとして優が用意した紙袋の中には、意匠を凝らした瓶に詰められた香水が入っている。
この香水は以前智子と行ったショップ(下着店)と同じ桃の香りがするものだ。優は智子がその匂いを気に入っていた(智子は下着から香ってくると勘違いしていたが)のを覚えていたのである。
「もこっち、喜んでくれるかなっ」
これを受け取った智子はどんな反応を返してくれるのだろう。後でどのような感想を聞かしてくれるのだろう。
それを想像しただけで、自然と目的地に向かう優の表情はまた鮮やかにほころぶ。その歩調がまた少し速まる。期待に胸弾ませる優にとっては、自分の歩幅すらもどかしく感じた。
つまり、そんな程度には、自分の親友のことを彼女は大事に思っているということである。
まあ実際には、黒木智子という人物はそんなオシャレな贈り物をされても扱いに困るだろう。智子が香水を使ったところで、それを気にしてくれる存在がそもそも彼女には枯渇している。
しかし成瀬優という少女は、そこまでの思慮深さは持ち合わせていない。
つまりどういうことかというと、彼女はド天然ということである。
優は待ち合わせ場所のカフェに到着すると、店内の時計に目をやる。二時を示すまでにまだだいぶ余裕がある指針は、自分が予定よりもだいぶ早く来てしまったことを知らせていた。
まだ待ち合わせの時間までには余裕がある。優は軽く息をつき、呼吸を整えると、足取りを落ち着かせながらお店のカウンターへと向かう。
ここのカフェは、ファストフード店のような形式を取っている。まず商品を注文し、受け取ってから席へと向かうのが通例だ。
優も店の様式にのっとり、まずは注文を済ますことにする。席はその後ゆっくり探せばいいだろう。
何を頼もうか考えながら、優は軽く店内を見渡す。
だいぶ余裕をもって到着してしまったため、まさか智子が先に席についているということもないだろう。そうは思いつつも、一応確認しておこうと優は思う。智子の行動は、時に優の予測を超えてくることがあるからだ。
店内の席は、土曜の昼過ぎにしては割と空いている。ぽつぽつと空きがあるのが見える。
席状況を見るついでに智子の姿も探してみる。一人で座っている女性客を集中して探してみるが、やはり智子の姿は見られなかった。
自分が早すぎたのだから当然だろう。優はその結果に一人納得すると席から目を外す。それから真剣にカウンターの上のメニューを見つめると、前回智子と来た時と同じモカフラペチーノを注文する。
商品が来るまでの間手持ちぶさたになる。視線はカウンターの方に固定したまま、優の意識は自然と、店内から聞こえてくる音の方へと向けられていった。
エスプレッソマシーンがけたたましく稼働する音。
活気にあふれる店員の、どこかマニュアルじみた接客文句の声。
食器同士が不意にぶつかって鳴る、甲高い金属音にも似た音。
店内で交わされる客同士の談話の声。いろいろな会話が混ざり合って、そのほとんどは意味のない雑音となり果てている。
しかし優はその中でも、一際大きく交わされる、一組の男女の会話が何となく気になった。良くないこととは思いつつ、耳をそばだてる。
「……いや、まじでかわい…から。私の友達」
「はいはい。女子同士のかわいいとかこの世で一番信用ない…ら。ソースは妹」
「本当なんだって。めちゃくちゃエロ……しいい匂いするからな。念のため言っとくけどぼっ……すんなよ」
「するかよ……。てかもう帰っ……いいか? はあ……、入る店間違えた……」
ところどころ聞こえにくくて内容はよくわからない。だがその会話の雰囲気だけで、優にはその二人の距離感がなんとなく分かるような気がした。
お互い全く飾り立てる気がなく、言いたいことを言い合って本音で通じ合っている。そんな空気感がそこにはあった。
ただ聞き耳を立てているだけの優まで、なぜかほっと安心してしまうような、独特な雰囲気がその会話から感じられた。
きっとこの二人は、とても深い絆でつながっているのだろう。家族か親戚か、もしかしたら恋人同士かもしれない。
ただ耳で聞いただけの、顔も知らない二人の関係に優は想像を膨らませる。そうしているうちに、注文したものがカウンターから出てきた。
飲み物を受け取りながら、先ほど想像した二人の姿が優は気になった。声がした席の方に視線を向ける。
そこには優にとって、やや驚愕の風景が繰り広げられていた。
そこには優の親友である智子の姿があった。
先ほど店内を見まわした時、優は智子の姿を確認できなかった。それもそのはず。「女性の一人客」の中に智子は含まれていなかったのだから。
片方が空席のままの二人席に腰かけ、智子は横を向き楽しそうにしている。その視線の先には、すぐ隣の席に座る見知らぬ青年の姿があった。
青年は中途半端に飲まれたコーヒーを片手に、文庫本を開いている。しかしその本には目を通すことなく、横目で智子と何やら話をしているようだった。
まるで腐った魚のような彼の淀んだ目つきは、何よりも特徴的だ。しかし優にはむしろ、ややうんざりしていながらも智子に向けられる、その優し気な眼差しが印象的であった。
自分の親友に対して、そんな顔を見せる人物を優は見たことがなかったのだ。
思わぬ事態に優がどうしようか逡巡しているうちに、手元のモカフラペチーノがしっとりと濡れ始める。
それが結露によるものなのか、それとも手の内に染み出した汗によるものなのか、優には判別することはできない。
手の内の湿り気は、早く席に着けと自分を急かしているような気がして、優は少しずつ二人がいる席に近づいて行った。
いったいどうやって声をかけようか優は考える。しかしその心配は杞憂となった。不意に視線をこちらに向けた智子が、優が話しかけるより先に彼女を見つけたからだ。
親友が自分たちの席に近づいてきているのを発見した智子は、安心と喜びと、期待に表情を明るくさせながら声をかける。
「あっ、ゆうちゃん! こっちこっち!」
「?……げっ、マジかよ……!」
智子が入口の方に向かって、高らかに声をかけているのにつられて、八幡は目線をそちらに向ける。そこには自分とは一生縁がなさそうな、一言で言ってしまえば美少女がいた。
「……もこっち、早いね。いつからいたの?」
少女は訝し気な目線をこちらに送りながら、手に持っていた飲み物を智子の席の前に置く。そして八幡の方を向くと、頭を少し前かがみ気味になるように下げ、また元のところまで上げるという動きをした。
それが自身に向けた会釈だと八幡が気付くまでに一瞬の間が空き、少女の戸惑う視線がますます深くなっていく。それを敏感に察知した八幡は、慌てて挨拶を返すことになってしまった。
「……? あっ! うっ、ウッス!!」
これじゃあまるで柔道部員だよ……。
八幡は深く後悔した。
「……うくっ!! ぷぷぷっ……! 『ウッス』て! くくくっ……!!」
その動揺ぶりをすぐ横で目の当たりにした智子は、顔を真っ赤にして、腹を抱えて笑う。
笑い転げる智子の頭を、八幡は無性にぶん殴りたくなる。だが智子の友達の手前それもできず、ただひたすら拳を握りしめることでこらえるしかない。
そんな光景を見せられ、優はますます二人の関係が気になり、たまらず智子に男の素性を尋ねた。
「それでもこっち、この人は……?」
優の質問に、智子は待ってましたとばかりに目を輝かせて答える。
「ああっ!コイツ彼氏!」
「はあ!? おま……!」
「やっぱり! うわー! おめでとうもこっち!」
「!?」
智子のあまりの妄言に、八幡はすぐさま否定しようと声を上げた。だがそれ以上の抑揚で感動を露わにする優の勢いに、言葉に詰まってしまう。
一体どういうつもりかと問い詰めるつもりで、八幡は智子へと目をやる。
智子は何の言葉もなくただニヤニヤと、目の前で歓声を上げる美少女へと視線を送っていた。
その表情を見ただけで、八幡はほとんどの事情を察してしまう。
――ああ、コイツ何も考えてないわ。ただ面白がっているだけだわ。
智子のたくらみが大体分かり、八幡は何だか急にめんどくさくなってしまう。とりあえず彼は事の次第を見送ることにした。
彼氏云々の否定は別にいつでもできるのだから慌てることはない。八幡は腰を据え、事に当たることとする。
八幡が自分の身の置き方に結論をつける。そうしている間にも、歓喜に満ちた優による、二人の関係への詮索は続々と展開されていた。
「すごいねもこっち! えっ、いつからお付き合いしてるの!?」
「えっ、うんまあ……三か月くらい前からかな」
ちなみに三か月前とはおおよそ二人が出会った辺りのことを指す。
出会ったその日を付き合った日に指定する当たり、智子の場当たり的な思考が透けて見える。八幡は知らず口角を上げた。
そんな彼の表情一つでさえ、優にとっては告白の場面を思い返し微笑んでいる彼氏が浮かべるものだ。自分の何気ない所作ですら、ますます誤解を深める要因になってしまっていることに、八幡は気付いていない。
「さっきも少しだけ二人の会話聞こえてたんだけど、すごく仲がいいんだね~!」
「う、うんまあね……!」
「どっちから告白したの? あっ! あとどこで?」
「え~……、どっちからだったかな~? コイツからだったような~私からだったような~? ばっ、場所~~?」
だいぶ苦しくなってきている智子の様子を見やりながら、これは長くは持たないなと八幡は予測を立てる。
このままこの茶番が終わってくれないかと、八幡が完全に油断しているときだった。
急に、しばらく智子とやり取りをしていた優が、八幡へと視線を向ける。
八幡はそれを受け、先ほどの二の舞は踏むまいと軽く身構えた。
「あのっ!」
「へゃいっ!? なんっすゅか!?」
だが抵抗むなしく、やはり八幡は盛大に噛んだ。
ふえぇ……、体が言うことを聞いてくれないよぉ……。
醜態を繰り返してしまったことに八幡は軽い自己嫌悪に陥った。
通常であれば、彼は二度と復帰できなくなっていたところである。だが八幡は何とか意識を保つことができた。視界の端で、再び隠しもせずに腹を抱えている智子の姿を捉え、体に殺意が満ち溢れたからだ。
全く、友達様様である。まあその友達のせいで、現状彼は恥をかかされているのであるが。
そんな八幡の複雑な心情などお構いなしに、優は目を輝かせながら言葉を続ける。
「私、成瀬優っていいます! もこっちの中学からの友達です。お名前なんて言うんですか?」
本当に良い子っていうのは、自己紹介からして良い子なんだなと、八幡はどこか感慨深いものを感じる。
礼儀には礼儀でもって返さなくてはと、八幡は一度咳ばらいをしてのどの調子を整えると、一言返した。
「比企谷八幡だ」
何の飾り気もないシンプル過ぎる自己紹介だった。あまりの短さに、しばらく何か言葉が続くのではないかと優が様子をうかがうほどだった。
もう自己紹介は終わっていたのだと優は察すると、さらに深く尋ねるための質問を口にした。
「あのっ……、比企谷君はもこっちのどこが好きになったんですか?」
「いや、ていうか彼氏じゃな」
「あーーーー!! そういやお前この後用事あったんだっけ!? ほら帰れよ今すぐ!!」
八幡があっさり自身の正体を明かそうとすると、智子が慌てて妨害に入った。
「は!? いやだから俺は……」
「おいおい、そんなに私と離れたくないのか!? 全く愛され過ぎてまいっちゃうなー! でも今日はもう諦めてねハニー!!」
「いやむしろ離せ……。 諦めんのはお前の方だろ、どう考えても無理あっただろ。いつまで続けんだこんな茶番」
これ以上ボロが出ないよう、さっさと帰らせようと八幡を出口へと押す智子。
何とか真実を告げようと智子を押さえつける八幡。
お互いの思惑が錯綜する、不毛なるくんずほぐれつがしばらく続いた。
そんな二人の様子を見て、優は思う。
あんなにじゃれ合って、本当に仲が良いんだな……。
優はどこか遠くを眺めるように視線を一瞬外すと、意を決したように声を発した。
「ねえ、比企谷君!」
「……? 何だ?」
手をじたばたさせる智子を押さえつけながら、八幡は優に目を向ける。そこにはなにやら神妙な面付きを見せる優がいる。手をもじもじとさせてどこか言い出しづらそうに、八幡へと目線を向けたり外したりしている。
――まさか、告白!? ……んなわけねーか。
脳内で即勘違いし、即セルフ突っ込みをかますという、ある種器用な真似をする。そうすることで自分を落ち着かせた八幡は、とりあえず優の言葉を待つことにする。
やがて心の準備ができたのか、優が思い切ったように自らの決心を叫んだ。
「もこっちのこと、よろしくお願いします!」
「「!?」」
この子は何を言いだしているんだ?
二人はそろって先が予想つかず、固まってしまう。
そうしているうちにも優は次から次へと、自身の思いを喉の奥からあふれ出させていた。
「私、初めてだったんです。あんなに楽しそうにもこっちが男の子と話しているとこ見るの。きっと比企谷君のこと、ものすごく信頼しているんだろうなって。……ちょっと悔しくなっちゃうくらい!」
「……」
言われた内容にはいろいろ突っ込みたいところがある。しかし八幡は黙って優の独白を見届けることにした。
自らの気持ちを打ち明ける彼女を邪魔してはならない。そう感じられるほど、どこか尊いものがそこには込められているように、八幡は感じたからだ。
「もこっちって、言ってること時々訳分かんないし、たまに嘘つくし、変な所でこだわり強かったり、エッチな事ばっかり言うときあるけどっ……!」
「ゆっ、ゆうちゃん!!?」
「でも、中学の時一人だった私に声かけてくれたり、落ち込んでるときに慰めてくれたり、色々楽しいこと教えてくれたりっ……! すごく優しくて、良い子なんですっ!」
「ゆうちゃんっ……!!」
いつの間にか優の目には、かすかに涙が浮かんでいた。
それは友人の門出を祝う祝福の涙であり、これから自分とは離れていくことを予期した寂しさの涙でもあり、そして何よりこれまでの思い出を振り返る懐古の涙であった。
そんな優の涙につられて、智子の目も潤いを帯び始める。なぜ優が泣いているのかは全く理解できていなかったが、何となく雰囲気で智子は泣けた。
二人の様子を眺めながら、『なんだこれ……』とは思いつつも、八幡は佳境を迎えた優の独白の終わりを待つ。
「だから、だから……。これからあまり遊べなくなっちゃうのは寂しいけど、でも! もこっちが楽しそうなのが私は一番大事だから……! だから比企谷君っ! もっ、もこっちのこと……大切にっ、してあげてくださいっ!」
言い終わるなり優は大きく頭をたれ、それから人目を憚ることなく嗚咽をもらし始める。
智子はそんな優の姿を見て、何も言わずに目を赤くして感動に浸っている。
先ほどから周囲の視線が刺さりまくり、八幡は非常に居心地が悪く思いつつも、目の前で親友のために深く頭を下げ、鼻をすすっている少女を見やる。
何とかこの訳の分からない状況にけりをつけるため、この健気な少女に、八幡は自分の正直な感想も交えて言葉をかけることにした。
「あー……、成瀬さん、つったっけ? とりあえず頭をあげてくれないか? やりづらいんだが」
「うっ、うん! あはは、ごめん……ね? なんだか気分が上がっちゃって……」
「いや、いい。なんつうか、黒木は幸せ者だな。こんなに思ってくれる友達がいて」
「えっ? そっ、そんなことないよ! 全然!」
「あるだろ、全然。つうか中学のころから卑猥なことばっか言ってたんだなコイツ。成瀬さんはよく友達でいられたな。素直に感心するわ」
「はあ!? 何言ってんだお前の方が卑猥だろうが。この童貞全身生殖器が!!」
「ちょっとお前は黙っててくれないか……」
卑猥という言葉に瞬時に反応し、反論してきた智子を手で制す。とにかく優の気持ちを落ち着かせようと、八幡は締めの言葉を口にした。
「大丈夫だ。コイツ高校でもこんなだけど、まあ……一応なんとかやってると思うから。昼とかは俺と飯食ってるし」
「うん……、そうなんだ。もこっちあんまり高校のこととか話してくれないから、どうしてるんだろうって思ってたけど。あはは。安心した!」
優が輝かしいばかりの笑顔を浮かべると、八幡も一仕事終えたかのように微笑みを浮かべる。
やるべきことは全て終えたと言わんばかりに、八幡はコーヒーのカップを持つと立ち上がった。
「じゃあ俺もう行くわ。あとは二人で楽しんでくれ。」
「うん! またね比企谷君! ほらっ、もこっちも!」
「おおう……、じっ、じゃあな……!」
何とか乗り切ったかと智子は一安心する。しかしこの後、優からは質問が殺到するであろう。それをどう答えようかと智子が考えを巡らせていた時だった。
「あと俺、彼氏じゃねえから。全部こいつの嘘。じゃあな」
最後に八幡は捨て台詞を残し、全く振り返ることもなく、流れるようにカップのごみを捨てると外に飛び出していった。
八幡のあっさりとした裏切りに、智子は一瞬怒りに身を震わした。
しかし隣から漂うただ事ではない空気を感じ取ると、巻き取られていくように激しい感情はどこかに引っ込んでしまう。
――今横にいるのはゆうちゃんではない……! もっと恐ろしい何かだ!!
智子はそんなモノローグを頭に浮かべながら、戦々恐々としながらゆっくり優の方へと振り返る。
そこにあったのは口角を上げながらも目を見開き、先ほどとは一転して、どこまでも乾いた視線を智子へと向ける優の姿であった。
「い、いや~……、あいつ照れちゃったのかな? まったく冗談にしてもひど過ぎるっつの! ねえ! ゆうちゃっ……ひぃっ!!?」
どうにかごまかして場を乗り切ろうと、智子は再び嘘に嘘を重ねようとする。瞬間、智子は変わらず微笑む優の背後に、般若の姿を見たような気がした。
表情を全く変えずに、優は語りかける。
「ねえ、もこっち。私はもこっちが大好きだよ」
「ゆ、ゆうちゃん……?」
「時々嘘つくときもあるけど、でもそれがもこっちだもん。そんなので嫌いになったりしないよ」
「ゆうちゃんっ!!」
優の受容の精神を示す言葉に、智子は希望の光を見つけた気がした。
「でもね」
「っ!?」
しかしそれは勘違いだ。口角すら下げ全くの無表情となった優が発した一言により、智子は思い知らされることとなる。
「それを許せるか許せないかはまた別なんだよ? もこっち?」
自分に向けられる、かつてない優の眼光。智子はもはや逃れることはできないのだと悟った。
店から出た八幡は、駅前に止めておいた自転車の駐車料金を払うと、帰路を急ぐことにする。
もともと駅前には本を買いに来ただけなのだ。カフェにはその帰りに、いつもは寄らないようなところに、何となく入ってみただけ。
そこで思わぬ足止めを食らってしまった八幡は、買ったラノベを早く帰って読もうと、ペダルをこぎ始める。
やはり、慣れないことはするもんじゃない。
嘘つきぼっち女の悲鳴が、どこからか聞こえてくるような気がする。八幡は自省すると、自嘲気味な笑みを浮かべた。