「あのさ……、放課後プリクラ撮りに行かない?」
「いや、今日ちょっとアレだから」
女子が勇気を出して口に出した誘いの言葉を、何とも不明瞭な理由で即断る男子。
あまりにも女子側が不憫に感じられる風景である。しかし男子側……比企谷八幡にとってこれは当たり前の流れだった。
今日も今日とてお昼の時間である。
初めの方は何とも不格好だった二人の食事会も、いくつか回数を重ねるとたどたどしさも抜けてくる。
お互いの好きなラノベを完膚なきまでに酷評し合ったり、クラスのリア充に対する愚痴や文句をすがすがしい笑顔で交換し合ったりと、二人は様々な話をした。
歯に衣着せぬ会話が飛び交う中、もともと無遠慮だった二人の距離は急速に近づいて行った。
だが、だからといって、二人が仲良くなったということでは決してない。
距離がいくら近づいたとしても、二人の間にははっきりと溝があった。お互い超えることができず、また超える気もない深い溝が。
だからこそ、八幡にとって誘いを断るのは当然で、智子もそれを承知しているだろうと彼は考えていた。
しかしどうやらそれは八幡の思い違いだったようだ。
「まっ……、またまた~! あれだろ? 本当は行きたいけど恥ずかしくてつい断っちゃうっていう、思春期男子にありがちなあれでしょ?」
八幡の拒絶を曲解しながら、智子は食い下がってきた。そのうっとおしさはいつも通りだが、その振る舞いには違和感を覚える。
八幡は顔をしかめながら、再度否定の言葉を口にする。
「……? いや違うから」
「『は!? ちげーしっ!!』?」
「勝手に中学生男子の照れ隠しっぽく脳内変換するな。てか何か今日お前しつこくない? 何なの?」
「っ……! どっ、どうしても……ダメ?」
智子は懇願の言葉を口にすると、それきりうつむいてしまう。
その神妙な雰囲気に、どこか調子を狂わされてしまった八幡は、少し智子に歩み寄ってみることにした。
「いやまあ急だからな……。どうした? 何かあったのか?」
「いや、あのまあそれは何というかその……」
随分と歯切れの悪い智子の様子に、八幡はどこか既視感のようなものを感じ取る。
校舎の端、女子と二人、不自然なデートの誘い。
八幡は似たようなシチュエーションを過去に経験している。
それは彼がトラウマとして、根強く記憶に残しているものの中にあった。
――まさか……、罰ゲームか?
リア充の中でも特に性格の悪いグループで行われる、ぼっちへの擬似生贄罰ゲーム。今の状況はそれに酷似している。
何度となくその餌食となってきた八幡だからこそ、それをはっきりと察知することができた。
校舎裏に呼び出されてのドッキリ告白パターン。教室内で唐突に話しかけられ、その反応を遠目から観察・嘲笑されるパターン。期間限定偽お友達パターン。
八幡はそれら全てを、あらゆる状況で経験させられてきたのだ。
初めから罰ゲーム感丸出しで近づいてくるものもあれば、醜悪なまでにカモフラージュをして、こちらを騙し尽くしてきたものもいた。
八幡はそのたび枕を涙でぬらし、そのたび目を腐らせてきたのである。
今八幡の目の前で、さも健気そうにうつむいている女も、思えば不自然な部分があまりに多い。
どうして二学期も始まってしばらくたった今更、この場所に弁当を食べにくる必要があったのか?
いくらなんでも急に人のことを罵倒してくるような奴がこの世にいるのか?
あんな形で友達宣言してきたのだって、あまりに不自然ではなかったか?
一度心の中で沸き始めた疑念は、どんどんと膨らんで、やがて八幡の思考を支配し始める。
――俺はまた騙されたのか? 勘違いしてしまったのか……?
疑念がほぼ確信へと変わろうかという瞬間、しかし八幡は思考の崖をぎりぎりで踏みとどまる。
ぎりぎりのところで八幡の闇落ちを救ったもの。それはリア充への悪口を交わした時に、智子が浮かべていたゲスいニヤけ面だった。
あの心の底から他人を憎んでいるような、人を貶すことが人生の全てといったような表情は、とても演技とは八幡には思えなかったのだ。
あの時間が、二人で何の遠慮もなく交し合ったあの会話の全てが、嘘だったとは思えないし、思いたくなかった。
ならば、確かめなくてはならない。
八幡は震えそうになる唇を必死で動かしながら、理由を尋ねる言葉を再び口にした。
「おい……、教えろよ。 なあ、どうして俺なんかを誘うんだ?」
「……」
智子はなかなか答えなかった。
彼女にはよく見られる返答にまごつく時間ですら、今の八幡にとっては、何か恐ろしいことが言い渡されるまでの猶予に思えて恐ろしい。
だから八幡は心の中で願う。
――なあ、早く答えてくれよ。……俺たち
――友達、だろ?
「いやリア充どもがよく話題にしてっからさー、弟に『一緒にプリクラ行ってやろうか?』て言ったら即断られてよー。弟のくせに姉の誘い断るとか生意気だろ? だからさ! お前とのプリクラ写真見せびらかして『お前来ねーから彼氏と撮ったわ』とか言って嫉妬させてやろうかと思ったんだよ!」
「……」
堰を切ったように智子が理由を語り始める。その顔には見慣れた、見るに堪えない下卑た笑みが浮かんでいた。
「……おい、『まさか彼氏役から本当の恋人同士になるワクドキの展開か!?』とか童貞臭い勘違いすんなよ? あくまで弟見下すついでに一生女とプリクラなんかとる機会がないだろうお前に、私という天使の慈悲でもってだな!」
「いやいいわ。今日マジでアレがアレでアレだから」
やっぱコイツただのアホだなと、八幡は思い直した。
智子が捲し立てたその酷過ぎる動機の内容に、八幡の疑念は宇宙の遥か彼方八万光年か先に消し飛んでしまっていた。八幡だけに。
ちらとスマホで時間を確認すると、もう五限の始まる時間が迫ってきていた。
すでに飲み終わっていた缶コーヒーの缶をごみ箱へと捨てる。いまだに何やら騒ぎ立てている智子に背を向け、八幡は教室へと戻ることにした。
その後智子がどうなったのか、彼は何も知らない。
翌日八幡の自転車の節々に、一人珍妙なポーズで映る女のプリクラが貼られていた。
もちろん八幡は速攻で全て剥がし、手にべたつくそれを全力で地面に投げ捨てる。
だがしかし、サドルの裏に貼られた顔面ドアップの一枚は気づかれることなく残り続けた。
八幡の尻の下で、いつまでも写真の智子がニヤけ面を浮かべていることを、やはり彼は知らない――。
また明日続きを投稿します。