呼吸が荒い。目眩がする。
「おなか、いたい……」
貫かれた腹にそっと触れると、ぬるりとした内臓の感触がして気持ち悪い。
深波は、立香を抱えて走り去るマシュと、彼らを守りながら後退するイシュタルが遠ざかるのを、じっと立ち止まって見ていた。
腹部から絶えず血が溢れ出る。深波は、人一人をまるまる絞っても足りないくらいの量の血液が自分から零れるのを、少し悲しそうに自嘲した。
「はは……こんな、に、使ったことないから、知らなかった、な。意味、分かんない、量じゃん……これ、アラヤの、サービスか、何かか……?」
水分許容量を越えたのか、スカートの端からも血が滴る。腹から落ちた血液が、太ももを伝って地面まで下りて、まるでそれ自体が意思を持つ生き物のように、蠢いて着実に広がっていく。
大地に覆い広がった血液は、深波の命令に従い、触れたラフムをみんな焼いていく。炎の絨毯は、ケイオスタイドを媒介に、爆発的にラフムを焼き殺していく。
深波は青ざめた顔で目を閉じて、自身の魔術回路に意識を集中させる。強く念じれば、上手く操作できたのか、血管が開き、血が滝のように勢いよく溢れだした。
「王様が言ってたこと、ほんとに、なっちゃったな――」
『ふむ、本来ならば貴様に割く時間などないが……何の偶然か、我は死んでおり、さらに今は休憩タイム。
無様な走狗へと成り下りながらも、意志の強さだけは人間並みの貴様に、我が玉言を下賜してやろう。伏して喜ぶが良い』
『っ? あ、ありがとうございます?』
『では、心して聞け。貴様は――』
赤い目がゆっくりと細まる。ギルガメッシュは冷たく無感動な目で深波を見下ろした。
『――この特異点で、死ぬ』
深波はギュッと手を握って、目を見開いた。それから、力を抜いて静かに脱力した。
『…………そう、なんですか』
大した驚きもない様子の深波に、ギルガメッシュはわざとらしく片眉を上げた。彼にとって、詰まらない反応をしてしまっただろうか?
『私が死なずにここまで来れたのも、全部藤丸のお陰です。いつ死んでもおかしくないって思ってましたし。
……それに、大丈夫ですよ。私、システム・フェイトに登録してもらいましたから』
『ハァ……呆れ果てたやつよな。お前も分かっているだろう。二度も"奇跡"は起こらんのだ。お前は生きる為にもっと足掻かねばならん』
『いえ、だって私が死ぬ時ってやっぱり、特攻とか、自爆とか、そういう形の終わりだと思うんです。だったら、それも――いいかな、って思います』
振り返ると、立香がマシュと何かを話しながら微笑んでいた。イシュタルがそれを立香の膝の上で胡座をかきながら見上げている。
『藤丸は、多分成し遂げると思います。私もその一端を担えたら――藤丸や、マシュや、職員の人や、見たことない何億人もの人達を、救うことが出来るなら――そんなに嬉しいことって、他にありませんから。
それに、この冗談みたいな力で役に立てるのなら、それは凄く……幸せなことですし』
『本当に、貴様は…………』
何故か憐れむような目で、ギルガメッシュは「首輪が外れてこれか……奴隷根性甚だしい"雑種"だ」と言った。
彼の中で、深波は人間にカテゴライズされるらしい。何だかそれが、無性に擽ったかった。
「アン、ッタ! いつまで"時間稼ぎ"やってんのよ!早く戻るわよ! 走りなさい!」
「……っ、ぅ?」
殆ど吐息のような返事しか出来ない。深波はチカチカ点滅する視界を動かして、空を見上げる。イシュタルが、乱舞するラフムに追われながら深波に呼びかけてくれていた。
(あれ……藤丸と逃げたんじゃ……)
「特別に乗せたげるから、上から攻撃なさい! アンタ自分の足元見えてる? もう血は十分だから、傷もちゃんと処置しなさいよ!」
(あしもと……)
ぼんやりと視線を下ろすと、青い。青くて青くて目が眩みそうだ。
ユラユラ揺れる炎に合わせているかの如く、頭の芯がくらくらする。足元が覚束無くなって、歩くのを止めた。
歩く? 何のために歩いていたのだったか?
とにかく――進まないと行けなかった。青い炎を広げて、何かを燃やさないと――そう、人類の――藤丸の、為に。
「ふじまる……」
足を無理やり動かして、また一歩進む。靴下がじっとりしていて気持ち悪い。足に何か液体が伝う感触がする。なんだろう。虫が這ってるみたいだった。
「ちょっ、何でさらに血を出すのよ! アンタも逃げなさいって言ってんの!! 殿務めるにしても、もっとやり方ってもんがあるでしょうに!?」
イシュタルのほっそりした腕が深波の体に絡みつく。美貌の女神は、深波の為に地上ギリギリまで降りてきて、血に塗れるのも厭わずに抱き上げてくれた。
「あーもう! この舟に乗ったからにはアンタはもう私のものよ! 私の所有物! だから大人しくしてなさい! 火なんて下にある分で十分でしょ、あれ操作して私たちもトンズラするのよ!!」
「……だめ、たりない……」
「はァ!?」
深波は虚ろな目で、ティアマト神を見た。
「ほんと、変なことばっかり……。なんで、右の角――折れて、ないの?」
何もかもをはっきり覚えているわけじゃない。それでも、深波の知っている話では、ケツァルコアトル、ゴルゴーン――もとい、アナ――の両名のお陰で、ティアマト神の右角は折れていて……それは言うまでもなく、彼女の侵攻速度に影響していたはずだ。
走っている間は気付かなかった、絶望の福音。あれが両方ともあったら――どうなるんだろう? どのくらいあの神は早く着く?
緻密に作り込まれた、人類救済の青空のジグソーパズル。ピースは、幾つまでなら失くなっても大丈夫なんだろう。
「こんなんじゃまだ足りない……けど、宝具はあれのために、取っておかないと……」
「へ!? なんて? 聞こえないんだけどっ?」
「イシュタルさま……わたしのこと、あそこに落として」
脱力している深波をイシュタルは片手で抱えてくれていて、もう片方の手では敵へ牽制をかけている。
深波は青ざめた頬を彼女の白い肌に凭れかけて、何とか目をティアマト神へ向け、切に訴えた。
「何言ってんのアンタは! 死ぬ気!? アンタのお陰で二人は十分距離を稼げたの、このまま全員で――ていうかそもそも所有物の言うこと聞く義務なんかないのよ私には! ……っあ、今凄い自己嫌悪感が」
「おねがい、します……私が、行かないと……世界、終わっちゃうかも、ッしれない、から……」
「――! 何よそれ、それもシステムからの指示な訳!? 認めない、認めないわよそんなの! 全体浄化なんてクソ食らえよ! アンタそんなのの為に死ぬつもり!?」
「でも、丁度、そこに私が居て、私なら救えて、誰かが助けてって言ってきたら――何でか助けたく、なっちゃうんです」
魔術回路を全力で励起させて、深波は自分の持つ全ての魔力を体に循環させる。起動時の独特の痛みが全身に広がり、貧血のせいで消えかかっていた深波の意識が少し明瞭になった。
宝具を、使う。
イシュタルにお願いして、連れていって貰わなければならなかった。
「――絶っ対、嫌! その技だって、アンタが研鑽したものじゃ無いんでしょう!? アンタが望んでアンタが磨いて、アンタの為に身に付けた力なんかじゃ無いでしょうに! そんなものに振り回されて――」
「振り回されて、ませんよ。特異点において、私とアラヤとの接続は完全に切れてます」
深波は、イシュタルの片手を体からそっと離して、自分の意思でマアンナに座った。
「生きてたら――いえ、また次に会ったなら、何でもします。だからどうか、私のことをティアマト神の元まで連れて行ってください」
「――っ、馬鹿!!」
唇を噛み締めて、イシュタルは深波のことを詰った。目の端に涙が浮いているように見えたのは、深波の思い込みだろうか。
「イシュタル様、実は私のこの能力、痛いし、怖いし、あんまり好きじゃないんですけど、」
「……そう、なら使わなきゃいいのよ」
深波が指先を文字を描くように動かすと、地でラフムを燃やしていた炎が薄く広がり、ケイオスタイドの表面を――全体に比べれば小規模だが――焼きながら広がっていく。
「でも――強いから、結構気に入ってるんです」
魔力の質も量も、アラヤが用意してくれたからか、とても上質で、深波は自分の炎が燃え尽きるまでに対象が生きている所を、見たことがなかった。
炎を動かし、ウルクへ近い部分のケイオスタイドを集中的に燃やし、蒸発させていく。ティアマト神の侵攻と共に元に戻ってしまうが、侵食速度は目に見えて落ちた。
「凄い強いんですよ。宝具も。だから、期待してて下さいね」
ずっと下の方で、小さな人影が走っている。もうすぐ城壁に辿り着くだろう。深波はほっとして、マシュと立香を見下ろした。
マアンナは飛行型ラフムを避けて、ガンガンにコーナーを攻めながら進んでいく。ウルク最速とやらの称号は伊達ではないらしい。
深波は援護射撃をしながら、急回転するマアンナに振り落とされないよう、しっかりとしがみついた。
「――着いたわよ。これ以上は流石に近付けないわ。……っていうか、落とした後の回収とか、頼まれても無理だからね! アンタ自力で走って逃げてきなさいよ、肉体強化出来るんでしょ!」
イシュタルはそう言うと、わざと怒ったような口調で、深波を指差して詰め寄った。
深波は急に申し訳なくなって、でも嬉しくて、泣きそうな顔で笑った。
「イシュタル様、ごめんなさい……」
「な、何で謝るのよ。し、心配してるとかじゃないんだけど!? わ、私の所有物がドブに沈んじゃうのが嫌なだけよ、別にアンタのこと助けたいとかじゃないから!」
「うん。ほんとに、ごめんなさい……」
深波はティアマト神をチラリと見た。人類悪は人の敵だ。きっとこれは、人類の守護者の一員である深波の為のステージだ。
一番輝ける瞬間、この時だけの名脇役。だけど――立香には、見て欲しくないような気がした。
深波はマアンナからふらりと身を投げ、風を追い抜き、落下しながらイシュタルを見上げる。彼女はハラハラした様子で深波を凝視しており、深波は本当に申し訳なくて、また泣きそうな顔で笑った。
「ごめんなさい」
――でも、本当なんです。本当に、この力のこと、結構気に入ってるんですよ。
イシュタル様 推せる
エミヤとの絡みが凄く良い……特殊セリフに凛の要素があって嬉しいし、でもやっぱり神思考なとこも良い
色彩聞きながら書いてると捗る気がします