救世と共に祝杯をあげよう   作:ぱぱパパイヤー

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第7話 走れ、逃げろ、立ち向かえ

 

 暗く生命のない世界。歩くだけで、呼吸をするだけで、そこに在るだけで死に近づくという地下空間。

 深波は、そんな冥界の天蓋を眺めながら、立香の背中を追っていた。

 

 七つ目の特異点は、色濃い神秘の渦巻くウルクだ。人類自体の数も少なく、例えここが特異点でなくても、アラヤの力はまだ弱々しいことだろう。

 その意味では、神代を断ち切り、人に世界を明け渡したギルガメッシュという偉人すらも、深波がこうして、立香の仲間として存在していられる理由の一つであり、恩人であると言えるのかもしれない。

 

 とはいいつつも、そんな恩人に向けて深波に出来ることなど、殆どないのだが。全ての財を手にする王に、深波如きが恩返しなぞ出来るわけもない。精々青い火を灯し、消耗品として蝋燭代わりになるくらいだ。

 

 「そこの蝋燭、火をもっと強くしろ」

 

 「えっ? はい」

 

 丁度考えていたように、ストレートに蝋燭と呼ばれてしまった。慌ててナイフで指先を切り出力を上げると、ギルガメッシュは満足そうに頷いて前を見る。

 

 彼の立ち姿は威風堂々としていて、そこにいるだけで圧を感じるほどに力強い。

 深波はこの独特のカリスマが少し苦手で、どの時代の王様でも、共に歩くのは気後れしてしまう。だから余計に、立香のキビキビとした采配には心底感心していた。

 彼はギルガメッシュを敬いつつ、ビシリ、と指示を出すのだ。ギルガメッシュは気を害した風でもなくそれに従い、時には自身の臣下でもない彼を褒めることもあった程だった。

 

 ここまでの経験が、確実に彼のマスターとしての能力を育てていた。今の立香ならば或いは、深波の能力を深波よりも上手く使う事もできるかもしれない。

 

 「王様ー、ここで少し休憩しましょう」

 

 「ことは一刻を争うと言うのに呑気な奴め……しかし赦すッ! 適切な休息を摂り、次なる戦いに備えるが良い」

 

 立香は「はーい」と良い子の返事をして、小さくなった女神イシュタルを小脇に抱えて石に座った。

 豪胆ここに極まれり、という奴だろうか。一歩足を踏み外せば深淵に真っ逆さまだというのに、彼は平然とイシュタルに突進されたり、ビンタされたりしている。いや、手加減してるだろうけど、彼女軽トラとあんまり変わらない膂力の持ち主だからね? と突っ込みたくなる光景だった。

 

 深波も手頃な石に座り、深淵とやらを覗き込む。あちらからも深波を覗く存在が居るのだろうか。

 

 ――随分、遠いところまで来たなぁ。

 

 あの日、知らない場所で目を覚まし、ただ戸惑い目を背けることしか出来なかった自分が、こんな所へ来ることになるとは、思ってもみなかった。

 

 冷たい空気を吸う度に、自分の手に世界の救済が近付いていることを自覚して武者震いする。もう少しで、本当の意味での自分の人生の意義を、知ることが出来るのだ。

 

 (空気、冷たいなぁ……嗅いだことない、不思議な匂いもする)

 

 こんな所まで、深波は来れた。それは、藤丸のお陰だった。藤丸は、深波を一度も消滅させずに、自身も五体満足で、こんなに遠いところにまで深波を引っ張ってきてくれた。

 

 「藤丸は、本当にすごいなぁ……」

 

 「――あれは確かに骨のある雑種よな」

 

 「うひょっ!?」

 

 背後からまさかの返答が来て、深波は腰掛けた岩から飛び上がる。

 ギルガメッシュだった。いつの間にか藤丸から離れて、深波の側に来ていたのだ。

 

 「お、王様……その、何のお話しでございましょう?」

 

 敬語ってこれであってるっけ? 緊張で固くなりつつ、様子を伺う。

 

 「ふむ、本来ならば貴様に割く時間などないが……何の偶然か、我は死んでおり、さらに今は休憩タイム。

 無様な走狗へと成り下りながらも、意志の強さだけは人間並みの貴様に、我が玉言を下賜してやろう。伏して喜ぶが良い」

 

 「っ? あ、ありがとうございます?」

 

 ぎょくげん、ぎょくげん、と何度か口の中で転がして、初めて「玉言」へと変換できた。意味はぼんやりとしか分からないくらいに、日常生活から遠い単語だ。

 しかし、勇敢でも博識でも変わり者でもない深波に、わざわざギルガメッシュが話しかけてくれるというのだ。恐れ多いことだけは間違いない。

 深波は出来るだけ姿勢を整えて、ギルガメッシュから目を逸らさないように、真っ直ぐと目を合わせ続けた。

 

 「では、心して聞け。貴様は――」

 

 

 

 

 一言二言程度だと思って――だってあのギルガメッシュ王だよ? そんなに話してくれるとか考えもしなかった――背筋に力を入れ続けていたのだが、肉体強化の呪術を使っていない時の深波の身体能力は、普通の女子高生並みなのだ。

 よって――何故か説教の有様を成してきた"玉言"をこれ以上聞き続けるのは、とても苦痛なことに転じつつあった。

 

 「そもそもだ、運良くも首輪が解かれているのだから、はしゃげとは言わぬが、もっと好き勝手に動けば良いものを。真面目に、寄り道もせず人理修復だと?

 報告によれば貴様、我がウルクに在りながら娯楽の一つも嗜まなかったそうだな」

 

 「は、はいぃ……」

 

 「羊の毛刈りにも、まるで年老いた仲人が如く、"二人で行ってきなよ"等と抜かしたと聞いたぞ」

 

 「な、何でそこまで詳しく……」

 

 「大体貴様は、折角のその覚悟の使い時を常に誤り続けて――」

 

 「おーい! 深波ー、何か変なものあるんだけど、照らしてもらっていいかなー?」

 

 王様の言葉を――信じられないことに、事もなげに――遮り、立香が足元を示しながら深波を呼ぶ。これ幸いと顔を輝かせ、退席しても良いかと目で問うと、ギルガメッシュはフンと鼻を鳴らして首を立香の方へと遣った。

 

 深波は軽やかに走り去り、立香の横へと並ぶ。血で以て火を燃やしながら、マシュと二人で顔を見合わせ、それから立香が"変なもの"に顔を近づけているのを、ハラハラと見守っている。

 

 それから深波は、何か面白いことを言われたのか、マシュと立香を交互に指さして笑った。

 楽しそうに、笑っていた。

 

 

 

 

 黒い泥のような海。赤く見える時もあり、紫に見える時もある。

 深波は走っていた。ケイオスタイドが迫って来ていたのだ。

 

 歩くだけで殺すとは、これはまた冥界の神よりも悪質である。死の安息なぞ夢のまた夢。あの場所の、寒々しくも揺りかごのような穏やかさが、無性に恋しかった。

 

 息を切らすマシュに、「気持ち悪くてごめんね」と謝りながら、指の先を食いちぎりその血を背に塗り広げる。これで少しは速くなるはずだった。

 

 「いっつ……。よし、頑張れそう? マシュちゃん」

 

 「はい、ッ、ありが、とう、ございます! 真昼ちゃん」

 

 息を切らしながらも律儀に発されたお礼を受け取り、深波は戦況を確認する。

 

 イシュタルが空から迫るラフムを撃ち落としてくれているが、時折こちらに追いつく者もいる。

 醜悪に嘲笑いながら、ラフムは立香たちを襲う。切りかかられて、思わず止まってしまった数秒――これが積み重なれば、ケツァル・コアトルやゴルゴーンの稼いだ貴重な時間と同じ量になるなんて、深波には到底理解出来ないことだった。

 

 分からないことと言えばもう一つある。何故か、ラフムが追ってくることだ。

 逃げる獲物を追う。それが当たり前だと分かっている。深波だって、何匹か飛行形態をとる者が迫ってくることくらいは想定していた。

 だけど――何故こんなにも、大量に追ってくる?

 

 おかしいだろう。だってこの場面、深波は居なかった。マシュに強化を施す者も、背後に青い炎をばら撒く者も、この場面には居なかったはずだ。

 指が壊死しかけたマスターと、彼を抱えて走る、盾を持つ手さえも震える有様なマシュに、舟に乗るイシュタル。その三名だけのはずだ。

 

 (こんなの、三人で突破出来るわけない。私ってオマケが居る今でも、追いつかれかけてるのに)

 

 描写されていないだけで、令呪でも切ったのだろうか? 深波はそう益体もないことを考えながら、人指し指の第一関節までを噛みちぎり、後ろへ放った。

 

 「深波っ、痛いだろうけどごめん! 右手の方、大軍が来てるから吹っ飛ばしてくれ! イシュタル、余裕があったらでいいから左手の殲滅もお願い!」

 

 「了解!」

 

 「大丈夫だよ!」

 

 立香の指示は的確だった。諦めてなんかいなかった。マシュも、息をするのも苦しいだろうに、足を止めずに走り続けている。

 

 深波は言われるがまま、中指を噛み砕いた。第二関節だけが残った指が歪に起き上がり、無くなった部分の指がもし残っていれば、罵倒のハンドサインを示したいただろうことが、彼女の表情から分かった。

 

 「っ、イッタイ、なぁ……! お前らゴキブリみたいに湧いてきやがって!」

 

 ボオンッ、と爆発したかと思えば、その火は忽ちのうちに周囲のラフムたちを薪に燃え広がる。

 ラフムに燃え移った火はケイオスタイトを辿って、次のラフムへと飛び火する。あの火は対象を燃やすまで、媒介たる血肉の魔力が尽きる以外の理由では消えたりしない。

 右方のラフムは苦悶の声を上げて、たちまちに灰となり、それさえも燃え尽きた。

 

 しかしまだ奇襲は止まない。イシュタルが必死な顔をして何度も光の矢を射出する。

 海そのもののような数のラフム。マシュは走るがそれよりもラフムの方が速い。

 

 これを、深波無しの三人で乗り越えることが出来る人間だと、そういうことなのか。それが、人類最後のマスターであるということなのか。

 

 「ほんと、藤丸はすごいなぁ……」

 

 ふと振り返ると、矢張り数え切れないほどのラフムが走ってきていた。中でも先頭付近のラフムの足が、突如誰かが引っ張ったように撓む。それが解放された途端、彼らは滑るように動きながら、深波たちへ鋭い足を突き刺しに来た。

 

 「ッ!? adolebitque(燃えろ)adolebitque(燃えろ)Monstri Sánguinis(怪物の血)……!」

 

 急いで手首に刃を突き刺す。痛みに呻きそうになりながら、背を反転させてラフムに向き合い、向こうとこちらを隔てるように血で線引きして、轟々と燃える炎の壁を作る。

 

 ウルクは、まだ遠い。

 

 (おかしいなぁ。私が居なくても大丈夫なんだって、ずっと思ってたのに)

 

 イシュタルが撃ち漏らした飛行型のラフムが、まるで槍そのもののように勢いよく降ってくる。狙いは立香を抱え懸命に走るマシュであり、見過ごせる訳のない深波は、倒れ込むようにして彼女の背を押した。

 

 「真昼ちゃん……ッ!?」

 

 「――あーあ、もうちょっとだったのになあ」

 

 腹に刺さったラフムの足を掴み、術で直接焼いてやる。

 深波はふらつきながらゆっくりと歩き出し、立ち止まってしまったマシュに並び、立香の令呪のある方の手をそろりと握った。

 

 「藤丸、これちょーだい」

 

 「分かった、傷を治――」

 

 「違う。宝具解放に使うの」

 

 立香は目を見開いて、何かを言おうとした。

 深波は明らかに、今までは宝具について触れられたがらなかった。自身の逸話そのものである宝具を厭うということは、生前の行いそのものを否定するということ。

 当然、彼女にはそれなりの理由があるはずだった。

 

 立香は、ピンチを理由に軽率な判断をしたくない。したくない、のに――深波は、追い打ちをかけるように言った。

 

 「藤丸は絶対世界を救う。それで、私のことを世界を二度も救ったサーヴァントにしてくれる。……でしょ?」

 

 「――ああ!」

 

 その質問には、嘘でも「違う」等とは言えなかった。

 

 立香は世界を救う。深波はそう信じてくれて、あれから立香は本当にそうなりつつあった。

 深波の"世界をもう一度救いたい"、"その時に自分がどう思っているのかを確かめたい"という願いを叶える為だけではない。

 目の前の、この五年後の深波を――或いはその覚悟を、偉業を、思いを――消させない為にも、絶対に止める訳にはいかなかった。

 

 「深波――ッ、頑張れ!!」

 

 「分かった。……藤丸」

 

 ――本当に、ありがとうね。

 

 「っうん、こっちこそ、ッあ、りが、とう……!」

 

 もっと――もっと言いたいことがたくさんあるはずだったのに、立香の喉は引きつって、言葉を出せなくなってしまった。視界が滲んで、深波の顔もよく見えない。

 何か、言いたいことがあった。今この場で言えないような、もっとしっかり考えてから言うべきことがあった。丁寧に心を込めて渡したい、暖かくて大切な言葉が。

 語りたい思い出話も、深波が付いてなかった時に起こったレイシフト事故の先での変なイベントとか、一杯一杯、言いたいことがあったのに、立香の喉はひくり、と痙攣するだけで、音を吐き出せなかった。

 

 この時のことを、後から立香は一生後悔する。嘘でも、そんなこと不可能だと分かっていても。

 

 ――生きて、帰ってきてよ。

 

 そう言えなかったことを。

 

 深波の覚悟を決めた目は、あの日立香が分火した決意に、青く煌々と燃えているのだった。

 


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