救世と共に祝杯をあげよう   作:ぱぱパパイヤー

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第4話 出会いと別れは一度だけ 中

 

 何故と問う藤丸の青い目は、炎のように揺れていた。彼は明らかに憤怒していて、同時に深い哀しみを抱いているようにも見えた。

 

 深波はその眼光に怯み、一歩退いて、月の光から逃れた。

 

 「藤丸、何で怒ってんの? あ、当たり前のことじゃん、藤丸に、死んで欲しくないからだよ……?」

 

 「そんなの、俺だって!! っ俺だって、深波に死んで欲しくないよ……!」

 

 深波の怯えたように震える声は心細そうで、顔は少し引きつっていた。それでも、立香は涙が滲んだ目で、睨みつけるように深波を見る。決して目を逸らされないよう、じっと訴えかけ続けた。

 

 その真っ直ぐな、鋭い視線が深波を貫く。

 彼女の息はひゅ、と止まって、それから全身の古傷が疼いた。

 もう痛覚は切ってしまったのに、さっきまでの痛みなんかより遥かに上等な"何か"がこみ上げてきて、深波の目から涙が落ちた。

 胸が、痛い。さっきより――今までよりずっと。

 

 立香は本気で言っていた。本気で――戦力とか、役に立つとか無しで、深波の身を案じてくれていた。嬉しかった。涙が止まらなかった。

 

 だけど、その信頼が分からなかった。その期待が、その親愛が分からなくて、知らず知らずのうちに裏切ってしまうんじゃないかと、深波はずっとずっと怖かった。

 

 「藤丸、意味分かんないよ……。何でなの? 何で、そんなに私のこと心配出来るの? 何でそんなに、わ、私のこと、信じてくれるの?」

 

 立香は特段、深波に依存していたり、執着していたりすることは無い。

 深波は元から存在しない者だったのだから、それも当然なのだ。藤丸立香の構成要素に、深波真昼は必要ないのだ。

 だというのに、立香は平等に、他の名だたる英霊たちと同等に、深波のことも大切にしてくれた。友達で居続けてくれた。

 

 それが、ずっと分からなかったのだ。

 

 「私、最後に会った時、藤丸に予言みたいな事言ったよね? しかも本当に召喚されて……それだけじゃない。同級生とか言ってる癖に、こんな変な術使って、気持ち悪いって思わないの!?」

 

 「思って、ないよ」

 

 「なら、何で……」

 

 「そんなの、どうでもいいからだ」

 

 青い瞳が、深波の体を食う炎みたいに燃えていた。

 

 立香は深波の左手を、力強く両手で握って叫んだ。火傷をしそうなぐらい熱い手だった。

 

 

 「俺と深波が――友達だからだ!!」

 

 

 手から熱が移ったみたいに、体の中が温かくなっていく。冷たくなっていた全身が弛緩していき、そこで初めて、自分の体が強ばっていたことを知った。

 

 死ぬのは、いつも、怖い。

 そんな当たり前のことも気づかずに、必要だからと、戦闘の度に自傷をしていた。実感のないまま傷ついて、覚悟もないまま死に近づいた。

 

 立香は、どの特異点でも心配そうに深波を見ていた。

 それは多分、深波が長いこと忘れていた怪我や死の恐怖を、立香自身が、特異点に出て指揮をする度に味わっていたからだった。

 

 例え英雄になろうとも、痛みは、死は恐ろしかろうと、何度も彼は言ってくれていた。思い出させてくれていた。

 

 立香の目が深波を捉えて離さない。その青い炎の目に見られていたら、心の奥まで全部溶かされてしまって、上手く言葉を話すことが出来なくなる。

 だけど、やらないといけない。深波は、立香に死んで欲しくない。深波は、立香を守るために戦いたい。

 

 「でも、私が怪我するのなんて、当たり前なんだよっ? 大したことないんだ、って納得しないと何も守れない! 藤丸どころか、人理も、世界も、なんにも!」

 

 そうだ、これは"人間"を守る為の戦いだ。

 世界はズタボロで、アラヤの機能は弱っている。だから深波はここに来られた。

 他のどんな聖杯戦争でも呼ばれない、他の英霊よりも深くアラヤと結びついてる深波が、唯一深波真昼(・・・・)として呼ばれる場所なのだ。

 

 深波真昼(・・・・)として――人間という種の為に殺戮を行うでもなく――友達を守れる戦場なのだ。

 

 「分かってる、分かってるよ!! 俺は、本当は怪我もして欲しくない! でも、戦ってる以上は仕方ないって、分かってる! だけどせめて、言って欲しいんだ!! 俺は――深波のマスターでもあるんだから!」

 

 「――――っ!」

 

 「無理なら、嫌だって言って欲しいし、怖いなら止めたいって言って欲しい。俺に、もっと頼って欲しいんだ。

 深波が俺のことを、一生懸命守ろうとしてくれるのは嬉しいけど、俺だって頑張るよ。こんな風に、深波だけに頑張らせたくないんだ……!」

 

 彼の全部を燃やし尽くせてしまいそうな、青い炎の視線は、きらきらとした見えない意思の輝きに満ちていた。

 

 心がグラグラ揺れる。嫌々頑張ってるんでも、感謝されたくてやっているんでもなかった。

 それでも、嬉しいとか頼ってくれとか言われるのは、とても、とても――しあわせ、だったから。

 

 「……ふじまるぅ……! っだって! だって藤丸に、死んで欲しく、ないんだもん〜〜!」

 

 ボタボタボタっ、と涙が一息に落ちて行く。涙が次から次に生まれ、感情の爆発の分だけ嗚咽が酷くなっていった。

 

 「わだしだって、わ゛たじだって、痛いのやだよぉ! でも、仕方な゛いじゃん!! これしか、ッ、出来ないんだから……!」

 

 深波は、キャスターのサーヴァントでありながら、大気に満ちるマナを利用することも、取り込むことも出来ない。

 何故なら、彼女は真っ当な訓練を積んだ魔術師ではないからだ。

 何者かによって身体の魔術回路を励起され、何者かによって莫大な魔力を与えられ。しかしその使用の後に、どうやってそれを補給するのかを、深波は知らなかった。

 

 たくさん使ったこともあったが、いつの間にか元の量にまで足されていた。マナを取り入れる必要は無かったし、やり方は教えられていなかった。

 食事によって少しは増えると分かったのは、後から知ったことで、知識には刻まれていなかった。

 

 呪術の行使の為の知識は与えられているが、それは必要な分を必要なだけ(アラヤにとって都合がいいものしかない)。深波は本当にちぐはぐで、この世の中で、自分のことが一番よくわからなかった。

 ある一定量の積まれた燃料を、操られるがままに吐き出す。それが仕事の爆弾人形なのだと、その唯一の役割さえ、理解出来たのは英雄になる直前だった。

 

 「わたし、ただでさえ、アラヤのバックアップ無くてっ、特異点じゃめちゃくちゃ弱くて! っひく、こんなんじゃ、藤丸のこと、守れないしっ! な、なんにも出来ないって、思ったら、怪我よりッ、そっちの方が、こわ、くて……ッ!!」

 

 全部知っていたのに。知っていて、だけどその通りに何もかもが上手くいくなんて、断言もできなかったくせに。

 

 立香に、何にもしてやれなかった。

 

 深波は何にも出来なかった。立香に何も出来ずに、英雄になって死んでしまった。

 アラヤによって、なまじ人を救うことの多い人生だったから、余計に自分の見捨てた立香のことが酷く気にかかった。

 送り出す時の言葉も陳腐で、今だって使い勝手の悪い能力で立香の足手纏いだ。ここに居るのがマシュだったら、エミヤだったら、とにかく、深波以外の英霊だったら。

 

 深波のような、ただアラヤに力を与えられただけの人形でなければ、もっと上手くやれたに違いなかった。

 

 「ごめんッ、ごめんね、ふじまる……っわたし、ぜんぜん、役に立てなくて……!!」

 

 涙が流れた跡を、また涙が辿っていく。余った裾で拭うが、片手だけでは間に合わない。

 

 ――どうして私はこうなんだろう?

 

 好きでこんな風になった訳じゃないはずなのに、アラヤの支援が無ければ何にも出来ない。何の役にも立たない。誰の助けにもなれない。

 

 同じ守護者でも、エミヤはもっと凛々しく、毅然として前を向いている。だけど深波には覚悟が足りない。もっと食らいつくような、執念が足りない。ポンと与えられた力への熟練度も、慣れも経験も、何もかもが足りない。

 

 こんな深波なんて、藤丸立香(主人公)の側になど居ない方が、よっぽど良かったに違いない!

 

 「――そんなこと、絶対ないッ!!」

 

 立香は、深波を強く抱きしめた。今にも崩れ落ちそうな彼女は、心が折れかけているように見えたからだった。

 

 立香は自分が、必死で前を向いて走り続けているから、生きていられることを、知っていた。

 諦めることは簡単だ。後ろから迫る暗闇に、大人しく呑まれてやるだけでいい。でも、立香はそれをしない。

 

 ――死にたくないからだ。生きたいからだ。

 

 諦めては、駄目だ。前を向き続け、生きたいと思わなければ、生きられない。

 

 「深波は、いつも俺を助けてくれてる。絶対に、役立たずなんかじゃない」

 

 彼女の震える背を何度も撫でた。氷のような体を温めて、自分の言葉が嘘じゃないと信じてもらいたくて、じっと深波が落ち着くのを待った。

 嗚咽が小さくなり、しゃくり上げる数も減っていく。深波はぎゅうっと立香の服を握りしめ、最後にまた「ごめんなさい」と言って、静かになった。

 

 「謝らなくていい、一人で思いつめないでよ」

 

 「でもっ……」

 

 「――俺、深波が来てくれたあの時、凄く嬉しかったよ! あの時一人で泣いててさ……真っ暗な部屋でじーっとしてたからか、考えることも全部怖いことばっかりで……。もし、あのまま泣いてたら、もう立てなくなってたかもしれないって、今でも思う」

 

 小さな声で囁かれるのは、嘘偽りのない感謝の言葉で、深波の止まった涙がまた頬を伝って、立香の服を濡らすのを感じた。

 

 「そ、んな事ない……! 藤丸は一人で立って、私が居なくてもやってこれたよ!」

 

 「どうしてそう言えるの?」

 

 「どうしてって、だって、藤丸は、世界を……世界を救う、マスターだから……」

 

 根拠なんて自分の中にしかない妄言だったが、深波は立香の人柄を、このカルデアに来てからよく知った。だからこれがただの夢物語ではなく、本当に世界が救われるのだと、分かっていた。

 

 彼は一人で立てる人だった。一人で歩くことは出来ないかもしれない。だけど、他の人に道を教えてもらいながら、決して諦めずに、最後まで走り抜ける。

 そんな人間だということを、もう分かっていた。

 

 「藤丸は……絶対やれるよ。私なんか居なくても、絶対平気だよ」

 

 「私なんか(・・・・)、って、そんなの変だよ、深波」

 

 「……?」

 

 「俺が世界を救うって、深波は信じてくれてるなら、俺は本当に、世界を救うマスターなんだよ? だったら深波は――世界を救うサーヴァントじゃないか」

 

 世界を、救う。

 

 そんなことするのは――二度目で、一度目のソレは、深波の全部を擲った行為だった。

 アラヤに促されるまま、覚悟も意思もなく、なんの感情が付随しているのかも分からないままに、行われた救済。

 だが、今、再びその機会を与えられている。

 

 「わ、私また、世界救うの? やり直せるの? 今度は――今度はアラヤなしで、自分の意思で……友達と、一緒に?」

 

 特異点は時空の狭間にあって、人理は燃えていて。だから、今アラヤのバックアップは無いけれど、代わりに深波は、自分の心をおかしくされたり、体を操られたりされることも、無い。

 

 じゃあ、今度は、確かめられる?

 ――私が、本当に世界を救いたくて、戦ったのか。

 

 「あのさ、藤丸……もし、私が本当に、役立たずじゃ、なかったとして……」

 

 「そんなわけないって言ってるだろ」

 

 「じゃあ……もし、もしもだけど……私が、藤丸のサーヴァントとして、一緒に世界を救いたいから――ここで死にたくないって、言ったら、藤丸は、怒る? 困ったり、しない?」

 

 「しないよ」

 

 立香はこれまで何度も、死なないでくれ、傷つかないでくれ、と深波に言っていた。

 今、初めてその言葉が、深波の心の奥にまで届いたのを、立香は悟った。

 

 しないよ、ともう一度言って、立香は深波の背を撫でた。

 

 もう深波の涙は止まっていて、鼓動も呼吸も安定している。ゆっくりと手を下ろし、身を離す。最後の確認のつもりで目を覗き込むと、涙の溜まった目には、彼女にずっと足りなかった"強い意思"のようなものが、月光を反射して煌めいていた。

 

 「私――頑張るよ。頑張って、二人でカルデアに戻ろう」

 

 「うん」

 

 「ありがとう、藤丸。私、自分がこんなに――生きたいって思ってたこと、ずっと……ずっと前に、忘れちゃってたよ」

 

 今、聖杯への願いを聞かれれば、すぐに心の底からの望みを答えられると確信した。

 

 深波の願いはただ一つ。かつての自身が――望んで世界を救ったのかどうかを、知ること。

 

 「本当に、ありがとう。絶対、守ってみせるからね、マスター」

 


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