第0話 プロローグ
何も無い場所で私は倒れている。
辺りには物が燃えた後特有の、焦げた臭いが充満しているが、炭も灰も何処にもなかった。小さく燻る青い火種だけが、確かに何かが在ったことを推測させる。
ここには何も無い。何もかもが燃えた後。一つの命も残っていない。私の体にも一つ大きな穴があって、心臓のあったその場所は空洞になっている。
これは私の意志でやった。私が――英雄になる為に、必要なことだったから。
私は英雄になる為に生きていた。これは正しい結末で、これは正しい行いで、そして私は確かに世界を救ったのだ。
義務は果たした。上手く行けば、"少しの楽しみ"も得られるはずだったし、もう十分だった。
目の前が暗くなっていく。空が遠くなっていく。
誰かの足音が聞こえた。叫び声、泣き声、最早死体同然の私を抱きしめて、何かを叫んでいる。
心臓なんてもうないのに、必死で私の穴を防ごうとしている。
もういいのに。やらないといけないことは、全部終わらせたのに。
だから――もう、死んでも構わないのに。
■■■
「行ってきます」
誰もいない部屋に声をかけ、エレベーターへと向かう。十五階建てのマンションの、八階の、805号室。何の変哲もない一室は、学生の一人暮らしには少し広すぎる。
だけどそこには、今の私の全部がある。
登校したら靴を履き替えて、自分の教室に向かう。新学年になりたての心を浮つかせながら散策する二階は、今まで先輩の領域だった場所だ。
からりと引き戸を開き、自分の席を確認する。前から三番目、近くに前のクラスの友達はいなかった。
席に着き、リュックサックを下ろす。手持ち無沙汰で、ぽつんと一人ぼっちなのが居た堪れなくて、こんなこともあろうかと用意していた本を取り出す。
栞の場所を開き、一文字目に目を落とした――その瞬間、声をかけられた。
「あの、おはよう
「おはよう……?」
声をかけてきたのは、男子生徒だった。黒いくせ毛っぽい髪に、青い目。何処かで見たことがある顔な気がするが、知り合いでは無い。
不思議そうな私の表情を見てとって、男子生徒は頬をかいて、少し照れくさそうに笑った。
「あっちゃー、やっぱ覚えてないよな……。実は俺、深波と同じマンションに住んでて、勝手に顔と名前覚えちゃってたんだ。登校の時とか、コンビニ行く時とか見かけてさ」
「っえ、そうだったんだ。全然気づいてなかった……。ごめん、ご近所だし隣りの席だし、何かとお世話になるかもだね。これからよろしく。……えーと、名前なんて言うの?」
苦笑いをして表情を伺うと、隣人は快活に笑って、なんのてらいもなく、名乗りを上げた。
「俺の名前――藤丸立香っていうんだ。よろしくね」
その瞬間、私の全てが凍りついた。