仮面ライダーフォーゼ サンシャインキターッ!   作:高砂 真司

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「千歌ちゃん! その、歌詞の期限、一応今日までなんだけど……」

「ごめん梨子ちゃん! まだ全然書けてなくて……!」

「そっか、じゃあ仕方ないね。私も手伝おうか?」

「いいの!? 助かるよー!」

「練習終わりに曜ちゃんも誘って、皆で考えよっか」

「うん! 次はちゃんと間に合わせるから~!」






「千歌ちゃん? 歌詞の期限、今日までって言ったよね?」

「ごめん梨子ちゃん! まだ全z「全然? 千歌ちゃん一度も期限守ったことないよね? 毎回毎回次はちゃんと間に合わせるから~って言ってるの、あれは嘘なの?」

「あ、いや、嘘じゃなくて。その、インスピレーション? っていうのが湧いてこなk「言い訳は聞きたくありません。今週中には提出してね」…………はい」

「大丈夫、千歌ちゃん? 手伝おうか?」

「曜ちゃんがそうやって甘やかすから、いつまで経っても期限通りに千歌ちゃんが書いてこないんじゃないの!?」

「ご、ごめん梨子ちゃん……。頑張ってね、千歌ちゃん」

「そんなぁ~……」

(仲良いんだろうけど、あれは仲間とかダチっていうより親子だよな)


第6話 異・心・友・心

∝ ∝ ∝

 ∝ ∝ ∝

 

 

 気がつくと、そこは見知らぬ空間だった。

 真っ白で、しかし安心する匂いに包まれた不思議な世界。この鼻をくすぐるものが紙の匂いだと理解すると、  の周りには最初からそこに有ったような顔をした本棚たちがずらりと現れた。突然起きた夢のような出来事に驚くけれど、すぐに嬉しい気持ちが湧いてくる。例え夢でも、こんなにたくさんの大好きなものに囲まれるということはとても楽しいし、嬉しいからだ。だけど、心のどこかに魚の小骨でもつまったような違和感が  の中にはあった。

 そのたくさんの、良く言えば簡素な、悪く言えば味気のないデザインの本たちに触れる。でも、  は一冊たりとも手に取ることができなかった。触れているのに引き抜けない。抜けないほど詰まっているわけではないのに、なんというか、立体的な背景に触っているような感覚。ハードカバーがぎっしりと押し込まれた、無限とも思える数の夢の本棚たちは、まるで  に読まれるのを拒むようにタイトルや背表紙の文字すらぼやけて見えた。

 

 いくら歩いただろう。読める本を探していたのに、いつからか出口を探していた。

 進む度、誰かに呼ばれている気がして帰らなくちゃいけない気がしたからだ。でも、途方もない無限の書庫に終わりなんてなかった。歩けど歩けど景色はかわらず、振り返っても背景が変わっている気がしない。進むのは本棚の隙間のような道で、楽しいはずの遠足の途中で道に迷ったことに気がついた、そんな気分。雪山で一人遭難しているような心細さと寂しさ。何かに急かされるようにそわそわと心の底の方が落ち着かず、そのそわそわに蓋をするように雪のような不安が静かに、しかし確かに積もる。

 早く帰らないと。

 そんな気持ちだけが奥底から、  の心の底の底から、不安の雪の底の方から、ふつふつと湧いてくる。

 

「あれ? オラ、どこに帰るんだっけ……?」

 

 それは唐突に、口をついて出た言葉だった。

 疑問が一つ生まれると、自分がここに来るまで何をしていたのか覚えていないことを自覚する。すると、途端に震えるほど怖くなった。夢だと思っていたけれど、これは夢じゃないのかもしれない。このまま一生、この書庫の住人として生きていかなくてはならないのかもしれない。そう思うと、  の足はすくんでしまった。

 一人なんて嫌だ。どうしても会いたい人がいる。家族に、大切な  に。その  の名前は……。名前……?

 思い出せない。ふとしたときに見せる笑顔も、可愛らしい声も、小動物のような仕草も……。とても大切な  の  のはずなのに。ただ大切という事実だけが頭にあって、それに伴う全ての事柄が検閲でも受けた後のように空っぽで。心に、記憶に、修正液をこぼしてしまったみたいな大きな空白を作っていた。

 

 怖くなった  は、その恐怖心を振り払うために走った。心の大切なものがジグソーパズルのピースみたいに抜け落ちていて、部屋中を探しても見つけられないような、そんな気分。無くても飾ることができる端っこのピースなのか、やけに目立つど真ん中なのかはわからない。しかし、それが無ければパズルは、  という人間の物語は完成しない。ここで放り投げてしまうことは、  の全てを否定してしまうような気がした。

 考えても考えてもわからない。ここに眠る知恵の結晶も、人々の思想の書きなぐりも、空想を膨らませる作り話も、何も教えてくれない。いつも  が一人のとき傍に居てくれる文字たちは、今は振り向きもしない。何も語りかけてくれず、何も囁いてくれない。そのことがより怖かった。堪らなく、怖かった。だから、  は逃げるように走った。どうしてこんな文字の群れや紙切れの束が好きなのか、自分でもわからなくなっていくのが堪らなく怖かったから。ピースがパラパラと落ちていく音が、  の走った後を追いかけてくる。落とし物を知らせてくれる親切な人のように、はたまた、  の記憶のピースを奪い取る追い剥ぎのように、  のうしろをぴたりとくっついて離れない。

 

「誰か! 誰かいませんか!?」

 

 人生の中でも、一番の大声だったと思う。でも  の声を拾ってくれる人なんていなかった。真っ白な世界に吸い込まれた  の声は、宇宙のように広いこの世界では蚊が鳴くのと相違ないのかもしれない。

 

「あッ!」

 

 足が縺れて倒れても、手を差し伸べてくれるあの子はいない。鼻にじわりと残る痛みが、これは夢なんかじゃないと囁く。足は言うことを聞かず、もう立ち上がることもできない。揺るぎないと信じていた気持ちさえ朧気になっていく。

 

 とても強くてとても儚い、  にとってとても大切な  は、   ちゃんは、ここにはいなかった。

 

 望んだ“一人”。でも、“独り”になりたいわけじゃない。背中を押したことを後悔なんてしていないのに、  はあの子が向けてくれていたはず笑顔が、あの  を呼んでくれていたはずの声が、共に過ごしたはずの温もりが、思い出すことさえできなくなりつつあるその全ての、曖昧な虚空になろうとしているそれが、とても恋しく感じた。

 

「誰か……」

 

 悲しみよりも深い、ひとりぼっちの世界で嘆く言葉は誰にも届くことはない。たった一人なのだと心に強く、鮮烈に刻み込んでくる孤独という獰猛な牙が、  という人間に食い込みその形を少しずつ崩していく。俯く目から涙が一滴溢れ落ちそうになったとき、ついっとその滴を掬う風が  の頬に触れた。

 

「……誰?」

 

 そこにいたのは、膝を着くぼんやりとした輪郭を持つ人影だった。どこもかしこもがぼやけていて、人なんだろうということしかわからない幻想的な姿。頬を伝った悲しみを拭う指の確かな熱が、怯える  の心に優しく微笑む。

 

「あなたは、何……?」

 

 人影は悩むように顎に手を当てると、納得したのかどこからともなく一冊の本とペンを取り出した。紙の上をさらさらと走る筆がその人影の言葉を紡ぐ。そして差し出されたページには、こんな一文が記されていた。

 

【僕はここの管理人みたいなものさ。君はどうしてこんなところに?】

 

「わかり、ません……。気がついたらここにいて、帰り方もわからなくて、それでオラ、名前も、何も、思い出せなくて……」

 

【それはとても心細いだろうね。でも安心してくれ。君のことは僕たちが必ず帰してあげるよ。探偵の名にかけて、ね】

 

「探偵……?」

 

【猫探しから不思議な事件まで、なんでも解決するのが探偵さ。もちろん女の子一人お家に帰すことも、君の涙を拭うことも、二色のハンカチには造作もないことだよ】

 

   に本を預けたその人は、背を向けて手を広げる。すると、本棚は自分の意思を持ったように動き出した。

 ただ動いているだけじゃない。その数を少しずつ減らしながら  たちの周りを取り囲んでいく。夢物語、まるで魔法のように世界が移り変わっていく様を見て、  は言葉を漏らすことしかできなかった。

 

「み、未来ずら……!」

 

 やがて本棚はすべて消え去り、残ったのは一冊の本。宙に浮かんだその一冊を手に取った彼は、それをへたりこむ  にすっと差し出した。

 受け取ったマルは、そのずっしりと重い黄色のハードカバーの表紙に目を落とす。そこには【diary】とだけ書かれていた。

 

 パチッと、何かが嵌まった音がした。

 

 

 ∝ ∝ ∝

∝ ∝ ∝

 

 

「よっ! ダイヤ」

 

「お疲れ様です、如月先生」

 

 一冊のファイルを持った弦太朗は、後ろ手に生徒会室の扉を閉める。ずかずかと入ってくる彼を意に介さず、顔をあげることもなく作業を続けるダイヤ。机に積まれた書類は生徒会の仕事だろうか。彼女と机を挟んで向かい合った弦太朗は、遠慮なんて微塵も感じられない様子で椅子を引き寄せ、背もたれを抱えるように跨がった。

 じっと見られるだけでは居心地が悪いのか、渋い表情でダイヤは口を開いた。

 

「スクールアイドル部。承認されたようですね」

 

「おう。千歌たちと部室の掃除中だ。あいつらは図書室に、俺はこれを生徒会に返しに来た」

 

 そう言って、手に持っていたファイルを片付けてねBOXなる箱に投函する。丸文字なところから見てダイヤが作ったものではないのだろうが、なんというか、とても場にそぐわないチープな可愛らしさがクセになる。

 用事が済んだにも関わらず立ち去る様子がない弦太朗は、頬杖をついてダイヤの顔を覗きこんだ。

 

「気になってたんだけどよ、生徒会って一人なのか?」

 

「いいえ。あと二人います」

 

「何で手伝ってもらわねぇんだ?」

 

「……一人の方が落ち着くので」

 

 適当な相槌を打ってそれ以上の言及を避けた弦太朗は、ぐるりと辺りを見回す。黒板に書き込まれた年間行事と最新の掲示物。放送室と兼任になっているせいか、ダイヤの声が構内に響き渡った件は記憶に新しい。壁に立て掛けられた看板などが空間を圧迫し、実際よりも狭く見えるのは仕方のないことなのだろう。ただ、一人には少し広い部屋だなと感じた。

 

「昨日はありがとうございました。先生のお陰で被害を最小限に抑えることができました」

 

「ん? ああ、気にすんな。違うやつが乱入してきてクラウンには逃げられちまったしな」

 

「違うやつ、ですか?」

 

「ああ。ダチに確認してもらったら、いるか座のゾディアーツらしい。つーわけで、もしまたゾディアーツを見たら連絡くれ。これ、連絡先な」

 

 じゃ、と言って立ち上がった弦太朗は、椅子を元の位置に戻して踵を返す。未練なく真っ直ぐに出入り口を目指す彼の背に少し驚くように目を開いたダイヤは、扉に手を掛けた弦太朗を言葉で制した。

 

「待ってください! ……本当は、昨日のことを訊きに来たのではないのですか?」

 

「んー。まあそのつもりだったんだけどよ。ダイヤ、言いたくなさそうだからやめた」

 

「やめたって、そんな簡単な……!」

 

「言いたくないこと無理に聞き出したりしねぇよ。それとも、訊いたら教えてくれるのか?」

 

「それは……」

 

 へらっと見透かしたように笑う弦太朗に毒気を抜かれたのか、彼女の語尾は萎んでいく。それでも納得がいかないのか、ダイヤは弱々しい言葉で反論した。

 

「……前と言っていることが違うじゃありませんか」

 

「前?」

 

「スクールアイドル部に、反対したときです」

 

「あー。あれは、千歌の夢にケチつける理由が知りたかっただけだ。嫌いなら嫌いでよかったし、事情があるならそれも仕方ないしな。別に、ダチの心に土足で踏み込みたいなんて思ってねぇよ」

 

「……ダチではありません」

 

「いつかなるさ。ダチってのは、心に抱えた重いものを一緒に持ってやれるやつのことを言うんだからな」

 

 そんじゃあな、と手を振る弦太朗は今度こそ扉を開いて歩いていく。ふらつくことなくまっすぐ歩く彼の背中に迷いなど少しも感じられず、陰日向を選ぶことなく進む足に躊躇いはない。

 

「……その意見については、私も同感です」

 

 その背中が、ダイヤには目が眩むほどの輝きを放って見えた。照らし出された自分の濃すぎる影が、あの日の幻影となって脳裏に蘇る。

 

 

 ━━━“友達”、やめよう。それが鞠莉のためだから

 ━━━スクールアイドルなんてやらなければよかった。巻き込んでごめんね、ダイヤ

 ━━━ごめん。もう、誰も信じられないんだ。鞠莉も、ダイヤも。……私自身も

 

 

「だから、一番傷の浅い私がぬるま湯に浸かりに行くわけにはいかないんです」

 

 手を伸ばしても届かない過去を心にしまい、ダイヤは引き出しから悪夢の始まりをそっと取り出した。これを壊してしまえばあのときの後悔がなくなるんじゃないか、なんて淡い期待はとっくの昔に捨て去っている。痛みも、苦しさも、そんな誤魔化しで消えるようなちゃちなものではないのだ。

 ダイヤは知っている。この中に詰まっているのが、絶望だけだということを。

 

「私は誓ったのです。もう二度と、果南さんを一人にはしないと……!」

 

 ゾディアーツスイッチを、憎らしげに精一杯握りしめる。静かな生徒会室に溢れ落ちた独り言は、物悲しく壁に吸い込まれていった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「そう言えば知ってますか? 鳥人間の話」

 

「鳥人間、っスか?」

 

 カキーン、とグラウンドから響く音が二人の会話を遮った。窓から入ってくる風がソフトボール部の声を乗せて生徒のいない廊下を駆け抜けたあと、無咲は薄いファイルを片手で抱え直し乱れた髪を耳にかけ直す。顔に疑問符を張り付ける弦太朗への答えを出すため、彼女は顎に指を当てて記憶の中を覗くために天井の方へと視線を向ける。

 

「最近、沼津の方で深夜になると空を飛ぶ人のような影が出るらしいんですよ。たまたま生徒たちが話してるの聴いちゃいまして。如月先生は津島さんのところに通われているから聞いたことあるんじゃないかな、と」

 

 弦太朗の脳内に書き起こされた姿は、鳥人間というより蜘蛛女。未だに何のアクションも起こさない、誰がスイッチャーかも見当がつかないクラウンゾディアーツだった。思い浮かんだ幻影を振り払い、へらっと笑顔を浮かべる。

 

「いや、俺は聞いたことないですね。何かの見間違いじゃないスか?」

 

「私もそう思うんですけど、見たって子が一人や二人じゃないんですよ。不思議だと思いませんか?」

 

 無咲のいぶかしむ表情に、弦太朗も少し考える。新手のゾディアーツという可能性が高いのだろうが、現れるだけで何か目的をもった行動は起こしていない。その一点に何か、得体の知れない疑問が張り付いていた。

 

(沼津の方なら、賢吾に連絡した方がよさそうだな)

 

 そんなことを考えていた弦太朗を置いて、無咲は職員室を目指していた歩みを止めた。彼女の視線の先には、美しい澄んだ青を隠すような白の雲が浮かぶ空。少し眩しそうに目を細めた無咲は、ぽつりと言葉をこぼした。

 

「でも、もし本当なら空を飛べるなんて凄いですよね。あの雲の向こうまで行けたら、きっと自由で気持ちいいんだろうなって思います。……私はいいかな」

 

「? どうしてですか?」

 

「届かない空を目指しても、いいことなんてありませんから。近づき過ぎればその翼は溶けて落ちてしまう。届かない太陽は、地上から眺めているくらいがちょうどいいんですよ。……あ、イカロスの翼ってご存知ですか?」

 

「すいません、神話とかはあんまり……」

 

「こちらこそすいません! 大学で神話学を噛っていたのでつい」

 

 頬を染め、恥ずかしそうに手をパタパタと振る無咲に笑みを向ける弦太朗もふと空を見上げた。雲は流れ、空を染め上げるのは心まで晴れる群青一色。

 ふと、イカロスという言葉に折れた翼を持ったあの姿を思い出す。

 

(元気にしてるかな、あいつ……)

 

 そんな風に物思いに耽っていると、校舎の屋上に動く影を見つけた。無咲も気がついたようで、弦太朗と顔を見合わせる。どちらから声を出すわけでもない日が差し込むだけの廊下に、カキーンと音が響いた。

 

 

 

「あ、弦ちゃん先生!」

 

「こんなとこで何してんだお前ら」

 

「練習だよ。部室は狭いし、外は他の部が使ってるからさ。ルビィちゃんの提案でここに来たんだー」

 

「声も通りますし、教室からも近いので」

 

「ほーん」

 

 代わる代わる答えてくれた二年生三人から視線を外し、花丸とその後ろで萎縮してしまったルビィを捉える。そういえば昨日、生徒会室から帰れば体験入部だなんだと千歌が騒いでいたな、と思い出した弦太朗は、ふむとついでにもう一つ思い出したことを口にした。

 

「そういや、μ'sも屋上で練習してたんだっけか」

 

「先生、μ'sのこと知ってるんですか……!?」

 

 不意に呟いた言葉に思いの外食いついたルビィの目は、花丸の影から大きく身を乗り出すほど輝きに満ちていた。今まで怯え以外の感情を向けられたことのない弦太朗は流石に面食らってしまったようで、ワンテンポ反応に遅れる。

 しかしそれも一瞬のことで、瞬きをすれば弦太朗の中で落ち着いていた気持ちが燃え上がってくる。

 

「そりゃあ、第二回大会優勝者で生ける伝説なんて言われてたら押さえておかねぇとな! どれもいい曲で、知ったのはついこの間だけどはまっちまったぜ」

 

「生ける伝説……! そうですよね! 結成からたった一年で駆け上ったスターダム! 各地からスクールアイドルを集めたアキバでのSUNNY DAY SONGは今でも語り継がれる伝説です!」

 

「おお! そのあとのラストライブも印象的だよな。直接見てたら、俺も映像に写ってたファンみたいに光るやつ振り回してる自信あるぜ」

 

「ライブDVD見たんですね! ぼくひかがラストライブっていうのは公式なんですけど、実はその少し後にどこかの町で災害の追悼ライブをしたっていう噂がファンの中にあって━━━」

 

 顔を付き合わせ、μ'sトークが熱を帯びていく二人を眺める千歌たちは目を丸くした。もう周りが見えていないのだろうか、二人の話は終わりが見えないほど加熱していく。流石にルビィが推しへの熱を語り始めた頃、ようやく千歌と曜が割って入って練習を促すと、ルビィは弦太朗との距離の近さに飛び跳ね、当の弦太朗はばつが悪そうに頭をかいていた。

 

「本当に、ルビィちゃんってスクールアイドルが好きなのね」

 

「はい。オラじゃ話を聞いてあげることしかできないから、久々に語り合えて嬉しいんだと思います」

 

 わちゃわちゃとした雑踏を見つめる花丸の目は嬉しそうで、母親のように優しく暖かなものだった。視線の先にはいつものように怯え、弱々しい小動物の彼女はいない。そこにいるのは、人に囲まれて笑みを溢す大切な友達だ。そんな花丸の慈愛に満ちた表情を見た梨子はにこりと微笑み、引きずられて会話に飲み込まれつつある千歌を引き剥がしに向かった。

 そんな彼ら彼女らの姿を見て、花丸はとても嬉しそうに笑う。自分じゃない誰かの後ろに隠れ、最も苦手とする男の人と言葉を交わす彼女を見て、自分の選択が間違ってなかったのだと確信する。

 

(よかったね、ルビィちゃん)

 

 夢に一歩近づいた彼女の放つ輝きを、花丸は少し眩しいなと感じた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「これ、一気に登ってるんですか!?」

 

 夕陽が煌めく海岸線を背景にして、急すぎる参道を前にルビィの声は響いた。頂上を眺めて自分が走っている姿を想像しているのか、花丸は至って大人しい。対照的な二人の反応に、階段ダッシュを始めた頃の千歌と梨子の顔を思い出して、弦太朗と曜はくすりと笑う。

 

「もちろん!」

 

「いつも途中で休憩しちゃうんだけどねー」

 

「でも、ライブで何曲もやるには頂上まで駆け上がるスタミナが必要だし」

 

「ま、途中で休憩しても登りきる根性がいるってことだ。早速始めようぜ」

 

 準備運動を終えた弦太朗は、スーツのシワなど気にせずジャケットを腰に巻く。ネクタイを緩めボタンを幾つか外し、大きく伸びをしたところで花丸から声がかかった。

 

「先生も走るんですか?」

 

「おう。ハンデで三十秒後からスタートだけど、俺に勝てたら帰りにコンビニでアイス買ってやる約束してんだよ」

 

「アイス……!」

 

「でも、弦ちゃん先生からアイス買ってもらえたことないんだよね」

 

「人聞き悪ィな。参加賞のジュースが嫌なら俺に勝ってみろ」

 

「二人とも無理せず、自分のペースで走ってね」

 

「よし、じゃあ行くよー! よーい、ドン!」

 

 千歌の合図と共に、五人は階段を駆け上がっていく。その姿を見送った弦太朗は腕時計で時間を見ながら、静かになった鳥居の前できつく絞ったジャケットの腕を見下ろした。腰に巻き付けたせいで少し悲鳴をあげているのか、若干の後悔が押し寄せてくる。

 

「やっぱバイクに置いてきた方がよかったか……?」

 

「なら預かっておいてあげようか? 如月先生」

 

 不意にかけられた言葉に振り返る。声の主は自販機に用事があるのか、小銭をいれて指を迷わせているところだった。何にするか決めたのかボタンを押すと、自販機はガトン、と間抜けな音を上げてミネラルウォーターを吐き出す。

 

「先生足速いからここに置いていっても問題ないと思うけど、どうする?」

 

「んー。じゃ、頼んだ果南」

 

「はいよ」

 

 弦太朗は腰に巻いていたジャケットを引き剥がし、ベンチに腰を落ち着けた果南に渡す。綺麗に畳んだそれを自分の隣に置くと、彼女は少し憂うように目を細めて夕日を見つめた。

 

「如月先生は参加賞、準備しておかなくていいの? どうせ勝っちゃうでしょ」

 

「そんな、あいつらを馬鹿にするようなことしねぇよ」

 

「そっか」

 

 キャップを開けて口をつける。果南が少し眉間にシワを寄せるのと、弦太朗が少しの寒気を感じるのは同時だった。暖かくなったとはいえ日も暮れれば海辺の潮風は冷えるようで、弦太朗はもう一度体をほぐすために伸びをする。そんな彼の動きを視界の端で捉えていた果南は、海を見つめて呟いた。

 

「…………来た」

 

「? なんか言ったか?」

 

「別に。そういや先生、気を付けてね。なんか昨日ぐらいから変な風が吹いてるんだ」

 

「変な風?」

 

「ダイバーの勘ってやつかな。ま、それだけ。そういえばハンデの時間は大丈夫?」

 

「……やっべ! すぐ帰ってくるから頼むな!」

 

 捨て台詞を置いて、倍以上オーバーしたハンデをものともしないスピードで駆け上がっていく。もう石段を踏みしめる音がしなくなった鳥居を観察し、果南はふーっと息を吐いた。

 

「ダイバーの勘、ですか」

 

「なんだ。ダイヤ来てたんだ」

 

「とっくに気がついていたでしょう。それに、連絡を寄越したのは果南さんではありませんか」

 

「ま、そうなんだけどさ。……飲む?」

 

「結構です」

 

「そっか。じゃ、勿体ないけど」

 

 何を思ったのか結った髪を下ろした彼女は、ペットボトルの中身全てを頭から被り空になった容器をゴミ箱へと投げ入れた。そして折り畳んだジャケットを無造作に掴み、それをダイヤへと放り投げる。

 

「それさ、明日にでも如月先生に返しといてよ。どうせ先生、今からジャケットどころじゃないだろうしさ」

 

「……承知しました」

 

「ん、お願いね。必要なら船着き場に置いてるフローディングバイク使っていいから」

 

「果南さんは、どうなさるんですか……?」

 

「私? 決まってんじゃん」

 

 逆光だからかどこか影の差すダイヤに、薄っぺらい笑顔を向けた果南はポケットをまさぐる。お目当ての物はすぐに見つかったようで、それを掴んだ手を顔の近くまで、ダイヤにもよくわかるように掲げて見せる。絶望だけが詰まったそれに対して暗い表情に深いシワを刻みこんだ彼女を見ても、果南の顔色は少しだって変わることがなかった。

 ダイヤは痛ましく目を伏せる。西日はより傾き、更に濃くなる影に向けて果南は至って普通に、さしずめ自販機に飲めもしないミネラルウォーターを買いに行くような気軽な表情で答えてみせた。

 

「掛かった網の様子を見に、かなん?」

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「━━━ィよっし! 二番!」

 

「ハァ……ハァ……。今日は、勝てるかもって、思ったんだけど……」

 

「うー……。また負けたー!」

 

「三人とも……最後、飛ばし過ぎよ……」

 

「いやいや、今回は俺たちの負けだ。国木田のやつこんなに体力あったとはな」

 

 頂上にて登りきった順に倒れこむ二年生たちを見下ろし、称賛するため一番乗りを探す。しかし、どこを向いてもお目当ての人物はおらず、隠れるような場所のない二つ目の鳥居周辺から拝殿の裏まで確認するが誰もいない。不思議そうに弦太朗が首をかしげていると、息の整った曜が訝しげに口を開いた。

 

「花丸ちゃんがどうしたの?」

 

「いや……。登ってくるとき国木田を追い抜かしてないから、あいつが一番だろ? どこいったんだ?」

 

「花丸ちゃんが? 一番後ろだったはずだけど、ルビィちゃんと一緒じゃなかったの?」

 

「ルビィは一人だったぞ」

 

「でも、私たちは先生以外に追い抜かされていませんよ」

 

「……どういうことだ?」

 

「一人で降りちゃったのかな」

 

「それでもすれ違うだろ。ロックテラスにもいなかったんだぞ」

 

「迷ったり踏み外して落ちたりするようなところ、なかったわよね」

 

「柵もあるしそれはないと思うよ」

 

 沈黙と共に、最悪の事態を思い浮かべてしまう。冷や汗が垂れる弦太朗は、何一つ理解できていない現状を打破すべく登ってきた石段に足を掛ける。

 

「探してくる。国木田がどこからか登ってくるかもしれねぇし、お前らはここで待っててくれ」

 

「あの子ならもうここにはいないわよ」

 

 三人が不安げに弦太朗を送り出そうとしたときだった。嬉しくもないが聴き慣れてしまった声が境内に木霊したのは。振り返った弦太朗の視線は、ただ一点に釘付けになる。

 拝殿の瓦屋根に腰を掛け、足を組んで夜を誘う。暮れていく空に溶け込むそれが優雅な笑みを従えてふわりと地面に着地すると、コツコツと靴を鳴らして四人へと歩み寄ってくる。迷いのない足取りにすかさず三人を背中で隠すよう立ち塞がる弦太朗は、訳知り顔な遠望を睨み付けた。

 

「ハロー、梨子。元気そうで何よりだわ」

 

「遠望さん……」

 

「国木田はどこだ」

 

「あらかわいそう。心配するのは花丸だけかしら」

 

 挑発的な笑みを浮かべる遠望が指を鳴らすと、彼女の背景の一部が奇妙に揺れ動いた。空間が意思をもって歪み、まるで始めからそこに立っていたように姿を現したのは、記憶に新しい異形の存在。羽交い締めにされた人質の姿を見て、千歌は反射的に声を上げた。

 

「ルビィちゃん!」

 

「クラウン……! ルビィまで……!」

 

 目いっぱいに涙を溜めたルビィの口を塞ぐ生々しい錆色の異形・クラウンゾディアーツは、耳の中を撫で回すような生ぬるい唸り声を上げて肩を上下させていた。背中から伸びる二組の足がカチャカチャと音を立てて動き、その気になればルビィを串刺しにできることをうかがわせる。こちらの声を聞く気がないのか、主導権がどちらにあるかよく理解している遠望はにんまりと口角を吊り上げ、唇をなぞった。

 

「私にも花丸がどこにいるかわからないのよね。だから、ちょっと協力してもらおうと思って」

 

「協力だと?」

 

「そ。花丸は今、内なる自分と対峙しているわ。梨子は経験したことがあるからわかるわよね? 見ないようにしていたもう一人の自分と真正面から向き合う辛さとか、受け入れるしかない闇を突きつけられる痛みとか」

 

 梨子の眉間にグッと皺が寄る。遠望に傷口をなぞられて思い出してしまったのか、噛み締める歯がギリッと音を鳴らす。

 そんな彼女の手を優しく握ったのは千歌だった。曜も痛くない程度にしっかりと肩を支える。二人の温もりに安堵し表情が少し柔らかくなった梨子を見た遠望は、少しだけ眩しそうに視線をルビィへと移した。クラウンはその動きに合わせて幼い少女の拘束を緩める。口呼吸と僅かばかりの自由を取り戻したルビィを覗き込む遠望は、その奥の奥に眠る暗い心にまで入り込もうと目を爛々と輝かせていた。

 

「ルビィ、あなたならわかるんじゃない? そんな花丸がどこへ行くか」

 

 話を振られたルビィだが、喉元まで出そうになっている言葉を飲み込もうとしているのか真一文字に結んだ口を開くまいと必死につぐむ。死の恐怖と隣り合わせにいる彼女は、その畏れに負けそうになる心を奮い立たせ大粒の涙を頬に伝わせた。一音たりとも漏らすことない固い彼女の意思にあっさりと諦めたのか、遠望は両手を広げて降参のポーズをとる。

 

「友達思いのいい子ね。自らの命さえ惜しむことがない、尊くも素晴らしい友情だわ。そういう子は好きよ」

 

 遠望は見せつけるように胸元からスイッチを取り出した。それをルビィにもよくわかるように目の前でちらつかせると、先程まで見せていた愉悦とは違う柔和な笑みを浮かべる。それが何故か、三日月に裂けた口元と重なっても美しく思えたルビィの背中に悪寒が走ったとき、彼女は呼吸の一環のようにごく自然にスイッチを握りしめた。

 

「だから、ご褒美をあげなくちゃ」

 

 スイッチを押す。溢れだした暗黒が純黒を飲み下せば、そこにはやはり人間と呼べるものは立っていなかった。右腕が望遠鏡と同化した、クラウンが蜘蛛ならば七節とでも形容すべき怪物がその正体を現す。

 目を見開き息を飲むルビィに銃口を突きつけるテレスコープの姿を見て弦太朗がフォーゼドライバーを構え腰に巻き付けると、テレスコープは首だけをこちらに向けて笑い声をあげた。

 

「駄目よ、先生。変身したらルビィの可愛い顔が無くなっちゃうかもしれないわ」

 

「遠望、テメェ……ッ!!」

 

「さあルビィ。私に協力してくれるかしら?」

 

 右腕を彼女の頬に添える。例えテレスコープが弱くとも、人類を超越した怪物の放つ一撃を食らえば一堪りもないだろう。クラウンに動きを封じられ身動ぎも儘ならない状況では、遠望の機嫌一つで簡単に命を失ってしまう。そうとわかっていながらも、ルビィは強い意思をもって大きく首を振った。目尻に溜まった滴が跳ね、その軌跡を追うテレスコープは心底疲れたように溜め息を吐く。

 

「そう。じゃ、仕方ないわね」

 

「やめろッ! 遠望!」

 

 弦太朗は叫ぶ。今から変身しても距離は間に合わず、仮に間に合ってもクラウンの手でその幼い命は摘み取られてしまうだろう。万策つき、目の前の生徒の手を掴めないやるせなさが彼の心を支配する。そんな弦太朗を嘲笑うように、テレスコープはその制裁を下した。


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