仮面ライダーフォーゼ サンシャインキターッ!   作:高砂 真司

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「あの、渡辺さん。聞きたいことがあるんだけど……」

「曜でいいよ。どうしたの、梨子ちゃん?」

「……ありがとう。で、その、聞きたいことなんだけど。私が入る前って、作曲は誰がする予定だったの? 引き継ぎみたいなことしておかないとなって思って」

「あー……。一応弦ちゃん先生ってことになりそうだったんだよね」

「先生って作曲できるの?」

「先生自身はできないらしいんだけどさ。先生の友達で、高校の頃自分で衣装作って作詞作曲してミスコンみたいなのに出た人がいるらしくって」

「それってすごい人なんじゃ」

「うん。今は宇宙飛行士として頑張ってる人なんだって。確か曲名は、がんばれはやぶさくんだったっけな?」

(どうしよう。突然不安が襲ってきた)

「だから私、梨子ちゃんが入ってくれて本当によかったと思ってるよー。あははっ」

(この人、笑いながらすごいこと言うのね)


第5話 最・初・一・歩

 寝ぼけた朝日が差し込む山道に、バイクのエンジン音がこだまする。日の光を浴びた木葉が嬉しそうに風と騒ぎ、場違いな機械音に驚いた鳥たちが飛び立っていく。五月ともなれば走っているときの肌寒さもある程度和らいで、沼津なら上着を着ずともスーツ姿でバイクに乗れるほどに暖かい。心地よい風を切りながら、スペースシャトルを模したマシンは目的地に向けて進んでいた。

 

「……この辺だよな」

 

 指定された場所は山道を上った先にある……と思われる沼津大学。地図やナビに従っているものの、電波が不安定でGPSが飛びやすいのと周りが木々ばかりなので正しい道を進んでいる自信が沸いてこない。不安に苛まれながらも走り続ける弦太朗の目にようやく建物が見えてきたのは、それから数分後のことだった。

 

「お、ここか」

 

 建物は早朝ということもあってか静まり返っていた。ヘルメットを脱ぎ、珍しいものを見るような目の警備員に頭を下げた緊張気味の弦太朗は、マシンマッシグラーを案内通りの場所に駐車して校舎の中へと進んでいく。途中見つけた自販機で購入した土産の缶コーヒーを片手に歩く静かな構内は、ドライバーの調整で研究室に通っていたときと同じ匂いがして少し落ち着く。送ってこられたメッセージ通りの階に着けば、あとは簡単に目当ての部屋を割り出すことができた。一室しか電気が付いていないのだから一目瞭然なのだが。

 コンコンコンと三回、小気味良いテンポでノックした弦太朗は、向こうからの返事を待つことなく扉を開いた。

 

「オッス。悪いな賢吾、朝早くから」

 

「構わないさ。こっちもバスを逃しては泊まり込んでばかりだったからな。運動部用のシャワーもついているし、サークルの洗濯機も借りられるからかなり快適だぞ」

 

「なんつーか、喜んじゃいけない気がするのは俺だけか?」

 

 そう言いながらありふれたレイアウトの教授室に踏み込んだ弦太朗は、いつもの銘柄を手渡した。受け取った賢吾が口をつけている間に、机に広げられた資料を覗く。深海の写真、水揚げされた深海魚の資料、見ただけで頭が痛くなるような数式の羅列に、小難しそうな専門用語がびっしりと書き記された紙。パソコンのモニターにはグラフが映っており、入るギリギリまで作業をしていたのがよくわかる。とはいえ、徹夜明け特有の自室と化したこの部屋の有り様や空のカップとビーカーの中で冷めたコーヒーなどの、学生時代ではまずあり得なかったはみ出してしまう生活感は相変わらずのようだった。これも学生が登校してくる頃には元通り綺麗にしてしまえるのだから、ラビットハッチを荒らしていた自分とは雲泥の差があると弦太朗は何度か省みたことがある。

 

「へー。これが言ってた海洋研究か。見てもよくわかんねぇや」

 

「なかなか面白いぞ。特に海底に生息する生物も陸上の生物も、コズミックエナジーは同程度有しているというのが非常に興味深い。ここが解明できればコズミックエナジーがどうやって発生しているかがわかるからな。わざわざパワーダイザーを海底の圧に耐えられるよう強化した甲斐があった」

 

「海から出てきたときはビックリしたぜ。そういや、JKもこっちに来てたんだな」

 

「たまたまパワーダイザーの操縦を頼んでいたんだ。研究成果の独占取材を交換条件にな。今は遠望のことで気になることができたらしいから調べに戻っているが」

 

 話の一区切りで、賢吾はコーヒーを流し込む。口いっぱいに広がる苦味と酸味に一息ついて、しばしばとする目に活気を与える。

 データを纏め始めると止まらなくなってしまうのは高校の時の反動だろうと、賢吾は個人的に解釈している。学生の頃のような時間的制約と拘束がないというのは、人をダメにしてしまうと身をもって体験しているのだから。今日の講義は自習にしようと、少し悪い知恵を付けてしまったのも要因の一つだろう。と、そんな無駄な言い訳を考え付くくらいには目が覚めてきたのかもしれない。賢吾は資料から弦太朗に目を向けた。

 

「それはそうと、弦太朗はよかったのか? 今日もこれから仕事だろう。別に午後でも良かったんだぞ」

 

「いや、放課後は色々と忙しいんだよな。書類整理したり、家庭訪問したり、千歌たちの練習の補助したり」

 

「練習?」

 

「あ、言ってなかったな。千歌たち三人でスクールアイドルってのをやってんだよ。知ってるか?」

 

「……すまないが、流行りのことは全くわからない。部活か何かか?」

 

「学校公認のアイドルで大会もあるんだぞ。ま、今は人数足りてないから仮だけど、正式に始動すればそこで顧問をやる予定だ。ライブするときは呼ぶぜ」

 

「……楽しそうだな」

 

「ああ、スゲー楽しいよ」

 

 迷っていたことが嘘のような彼の笑顔につられ、こちらも笑ってしまう。心から楽しいのだろう、賢吾の目に写る偽りのない表情は昔のままだ。青春に夢中になっている姿も、高校のあの頃と同じだった。

 

「そうだ。一つ知らせがあったんだ」

 

 そう言って思い出したように賢吾は机の引き出しを開いた。そこから飛び出したのは、見た目は完全にファーストフード。しかしバンズを車輪代わりに自立走行する姿を見間違うはずがない。弦太朗は悪戦苦闘した先週を思い出して思わず声を大きくしてしまった。

 

「おお! バガミールじゃねぇか! 直ったのか?」

 

「ああ。内部の回路だけが不自然にショートしていたから電気系統の攻撃を受けたと考えられる。記録データを解析しようとしたが、破損していたせいで復元には時間がかかりそうだ」

 

「つまり、バガミールに撮られちゃまずいものを撮られたから壊したってことか?」

 

「俺もその可能性は高い思う。相手にとって重要か、不都合な映像であることは間違いないだろうな」

 

 それともう一つ。指を一本立ててそう前置きした賢吾は、神妙な顔つきで言った。

 

「テレスコープに電気を操る力はない。断言する」

 

「……新しいゾディアーツ、か」

 

「そう考えるのが妥当だ」

 

 新しい悩みの種の出現に頭を悩ませる弦太朗のポケットの中で、NSマグフォンが間抜けな着信音を鳴らした。画面に表示されているのは自分の勤める学校の名前。嵐の到来を予感した弦太朗を真似してか、机の上で跳び跳ねるバガミールがやたらと場違いに首を傾げていた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 クールビズが奨励されるのはまだ早い。熱意の現れである真っ赤なネクタイを締め直し、ようやく主が現れた部屋の前で自慢のリーゼントを整える。

 話でしか聞いたことがない小原(おはら)鞠莉(まり)理事長。自分の知る天高の理事長の年齢から想像するに、かなり若いことは間違いないだろう。良くて同年代、下手すれば大学卒業したてという可能性もある。その若さで理事長に就任するというのであれば、かなり堅物かやり手なのかもしれない。実際どんな人間かそれとなく役職持ちのベテラン勢に聞き出そうとしてみたものの、名前を出すだけで皆は口を揃えて「会えばわかる」としか教えてくれなかった。そう思うと、始業前から同僚伝で呼び出された理由がわからないという点も踏まえて自然と緊張が高まる。

 

「ま、なるようになるか」

 

 しかし結局のところ、やることは同じなのだから考えても仕方ない。宇宙に生きる全員と友達になるという夢を掲げる彼に、恐れることなど一つもないのだ。腹を括った弦太朗はノックをして待つ。どうぞ、という若々しい女性の声が聴こえると、弦太朗は思いきって扉を開いた。

 

「失礼します!」

 

 賞状、トロフィー、決して少ないわけではない栄光を飾る理事長室の奥。暖かな日に照らされる中庭を背景に真っ黒な革のシートに背中を埋める人物の姿は、弦太朗の言葉を簡単に奪い去った。

 

「御呼び立てして申し訳ありません如月弦太朗先生。初めまして。理事長の小原鞠莉です」

 

 落ち着いた印象のある一言目は、やはりあの小原理事長の娘さんといったところか。気品ある佇まいに、こちらを見つめてくる瞳には力と、優しさがある。しかし弦太朗の思考を困惑の色に染め上げたのは、太陽の眩しさに溶ける髪でも、革のシートに浮かび上がる肌でもない。それは……

 

「気軽に、マリーって呼んでね。ゲンタロー?」

 

 浦の星女学院の制服を身に纏う彼女は、年相応らしいチャーミングなウインクを弦太朗に披露した。

 リボンの色が緑なので三年らしいことはわかる。だが、それが理事長として堂々と構えているのだから目を剥くのも仕方ないことだろう。一言目と二言目の雰囲気がガラリと違うこともさることながら、彼女の顔をこれまで学内で一度も見たことのないということがより混乱を招く。

 

「マリー、理事長……?」

 

「ノンノンノン! みんなとダチになるのがゲンタローなんでしょ? ならマリーともダチになってほしいわ。ダメかしら?」

 

 堅苦しい空気をぶち壊す鞠莉は、そう言って立ち上がり右手を差し出した。その手と彼女の笑顔を交互に見比べた弦太朗の頭はその意味を瞬時に理解し、難しいことなど簡単に隅に蹴飛ばしてしまう。一歩踏み出した弦太朗は、快くその手をとった。

 

「ダメなわけねぇ! こっちこそ取り乱して悪かった。よろしくなマリー」

 

 固い握手を交わし、友情のシルシを刻む。突き合わせた拳に、彼女は一瞬懐かしむような視線を送り優しく笑った。

 

「パパから聞いていた通り、とっても真っ直ぐな人ね。あなたなら私も信頼できるわ」

 

「俺がこうして呼び出されたのと、何か関係あるのか?」

 

「ええ。じゃあうるさい生徒会長も来そうだし、腹を割って話しましょうか。ここからの話はトップシークレットだから、他言無用でお願いね」

 

 背を向けた鞠莉は何を思っているのか、窓から中庭を眺めて一呼吸おく。風に揺らされた木の葉が光を反射させ、人っ子一人いない空間を賑やかに囃し立てる。彼女は、努めて明るい声で呟いた。

 

「この浦の星女学院には、統廃合の話が持ち上がっています」

 

「統廃合? 無くなるってことか……?」

 

「このままいけば今年度中に。しかし、私はその運命を変えるために理事長として帰ってきました」

 

 振り返った鞠莉の表情は、真剣そのものだった。生半可な気持ちを飲み込んでしまう力強い瞳に、弦太朗は目が離せない。確固たる意思を見せる彼女は、ただまっすぐに弦太朗を捉えていた。

 

「もちろん私も手は尽くします。ですが廃校を回避するための方法として、私はスクールアイドルが最も有効であると考えています。地域の過疎化、それに伴って減少した生徒数を回復させるためには、今の子達にここまで登校してくれるだけのメリットを提示する必要がありますから。そこで特例ではありますが、現在あるスクールアイドル部を正式に部として承認しようと思っています。顧問はもちろん如月先生で」

 

「タダで、ってわけじゃないんだろ?」

 

「……話が早くて助かるわ。私の目に狂いはなかったわね」

 

 そう言った鞠莉は親指と人差し指を立て、ゆっくりと人差し指を折る。強調するように示されたその行為に、弦太朗は“トップシークレット”の意味を悟った。秘密にしたい条件というのに、意識せずとも身構えてしまう。生徒数の確保を目的とするならただの部活では終われないのかもしれない。頭の中で勝手にハードルが上がっていくが、その心配が肩透かしなほど彼女が挙げた条件というのは至ってシンプルで、そして不可解なものだった。

 

「一つ、友達としてマリーのお願いを叶えてほしいの。ゲンタロー」

 

 

 

 

 

「……随分とたくさんコピーしてますね。明日の教材ですか?」

 

「え? ああ、これは部活のチラシッス。来月の最初の日曜にライブすることになったんで、無咲先生もよかったら」

 

 そう言って、熱いお茶をすする同僚に出来立てのコピー用紙を一枚差し出した。手に取った無咲はまじまじとそれを見つめ、そして頬を緩める。ヒラヒラとしたカラフルな衣装に身を包む三人の可愛らしい絵と日時が記された宣伝用紙に、彼女はへぇーと声を漏らした。

 

「朝方仰ってたスクールアイドル部ですね。気になってたんですけど、これって高海さんの絵ですよね?」

 

「わかります?」

 

「もちろん。小テストの裏とかにちょこちょこ描いてるので」

 

 裏よりも表を正答で埋めて欲しいんですけどね、なんて茶化すように言うはにかみ顔に、弦太朗はただ苦笑いを返すしかなかった。しかし彼女に責める雰囲気はなく、ただ湯飲みに口をつけながら感心したように全体を目で追っていく。興味を持ってくれているのかその目は少し楽しそうに揺れていて、ステージに立つのは自分でないのにくすぐったいような嬉しさが込み上げてきた。

 無咲はチラシから目を離すことなく口を開く。

 

「これ、正面玄関の掲示板に貼っておきましょうか。実は私、高海さんから貰っちゃってるんですよね」

 

「あ、そうなんですか? じゃあ、お願いします」

 

「わかりました。……でも、先生も大変じゃありませんか? 部活の顧問なんて。一年生の不登校のあの子。お家に通われてるんですよね?」

 

「津島のことですか? あれは俺が好きでやってることなんで。自己紹介で躓いたくらいで、折角の青春を無駄にしてほしくないじゃないですか。ただの俺の自己満足です」

 

 そう言って頭を掻く弦太朗の胸ポケットが、メッセージの受信を知らせて震える。画面に表示された差出人は、今まさに駅前でチラシを配っているはずの人物だった。断りを入れてからメールを開く。

 

『チラシが風で飛ばされちゃった~! 早く来て~!』

 

 その一文だけでなく、体育座りでベンチに座る横並びの千歌と曜のたいへんに愉快な画像が添付されていた。誘われた梨子が苦笑いで断る場面が簡単に想像できてしまえるのが、特に笑いを誘う出来映え。

 

「すいません! 今日はお先に失礼します!」

 

「あ、はい! お疲れ様です!」

 

 出来上がったチラシをリュックに詰め、NSマグフォンをねじ込んで職員室を飛び出す。同僚の声を後押しに少し走るスピードをあげた弦太朗は、真面目の塊である生徒会長に出会さないよう祈りながら廊下を駆け抜けた。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「遅いよ弦ちゃん先生ー!」

 

「距離考えろって。どんだけ離れてると思ってんだ」

 

 これでも急いだんだぞー、とリュックからチラシの束を手渡す。

 マシンマッシグラーのデザインと、それを乗りこなすスーツ姿のリーゼント。それが駅前で怪しげな行為をしていた女子高生三人組と関わっているのだから色々な意味で注目を集めている。客観的に見てこれからチラシ配りをするのが正解かどうか返答に困る梨子は、二歩ほど離れた位置から成り行きを見守っていた。

 

「で、調子はどうだ?」

 

「バッチリだよ!」

 

 親指をピンと立てる自信満々の千歌を横目に、弦太朗は曜へと視線を向ける。この一月で扱いが何となく掴めてきたのを悟ったのか、彼女は目を合わせても答え辛そうにあははと笑みを浮かべるだけ。困ったときの愛想笑いとはよく言ったものだと、弦太朗はつくづく感心させられる。

 

「空回りしてんだな」

 

「察し方がひどいよっ!」

 

「でも、飛ばされたの考えても結構な枚数配れてたもんね!」

 

「否定してよっ! フォローしきれてないよっ!」

 

 助けを求め、千歌は梨子の胸へと泣きつく。梨子が思い返してみても、スルーされたり壁際に追い詰めて押し付けたりするのをバッチリと呼称するにはいささか無理があるような気がしないでもない。そもそも配れたのも大半を捌いた曜の活躍が大きいことは明らかだろう。自分も怪しげなサングラスとマスクの人物に一枚渡せたのがいいところだったのだから。

 しかし、言いたい本音をグッと飲み込んで子どもの頭を撫でる梨子も、当初より少しはこの空気に馴れたのか手つきは母親のそれだった。

 

「うぇ~ん! 梨子ちゃ~ん! 二人がいじめる~!」

 

「よしよし。元気出して配り直そ?」

 

 同学年にあやされている少女を眺め、それでいいのかと心の内で問いかける弦太朗の思いは届きそうにない。少し羨ましそうな曜の眼差しに、最近の女子はこういうのが当たり前のやり取りなのだろうと解釈する。姉がいるらしい千歌の甘え方がうまいのだろうか、それとも自分から言うのは恥ずかしいものなのか、曜はただ二人を見ているだけだった。

 ふと、弦太朗の視界に大きな風呂敷を抱える人の姿が映りこんだ。この時代に風呂敷? と首をかしげて注視すると、いくつか気づくことがある。その人物が女性であること、隣にもう一人いること、それと……

 

「……うちの制服か?」

 

「あ! 花丸(はなまる)ちゃんだ!」

 

 やる気を取り戻したのか、立ち直った千歌が手を振って駆けていく。遠くから呼び止められた二人も気づいたようで歩みを止めるが、隣のもう一人は怯えた様子で風呂敷の影に身を隠してしまう。離れていく千歌の背中を見つめ、弦太朗はようやく思い出し手を打った。

 

「そうだ。一年の国木田(くにきだ)とルビィだ」

 

「知ってるんですか?」

 

「全校生徒の名前と顔は一応な。将来のダチの顔なんだから当然だろ?」

 

「あはは。弦ちゃん先生らしいね」

 

 後ろに隠れてしまったルビィに、千歌は目線を合わせてチラシを渡す。怯えつつも手を伸ばすその姿は、さながら餌を手渡しされる小動物。教頭から口頭で注意されていた人見知りと男性恐怖症の二点から、弦太朗が学院で最も気を使っている相手でもある。一度職員室の前で遭遇したときに見た、リトマス紙のように赤から青に変化した彼女の顔は忘れるはずもない。

 

(あのダイヤの妹っていうんだから、姉妹でも似ないところは全然似てねぇよな)

 

 堅物、真面目、寄らば斬るという日本刀のような鋭さと脆さを感じさせる生徒会長を思い出し、ダブりもしない影を隣に置く。武器で例えるなら、ルビィはさしずめピコピコハンマーといったところか。両極端でありながら、どこか似た匂いのする姉妹の並ぶ姿を想像するが、印象がかけ離れすぎているため仲睦まじい絵は浮かんでこなかった。校内外で揃った姿を見たことがないというのも、要因かもしれないと一人ごちる。

 三人のやり取りを遠巻きに眺める弦太朗の隣で、梨子が何かに気がついたのか声をあげた。

 

「あ。あの人……」

 

 今度は何だと、弦太朗は曜と共に梨子の視線の先へと目を向ける。

 千歌たちとは対面。支柱の影に隠れて三人をこっそり見つめる怪しげな影がそこにはあった。暖かくなってきたというのにコートを着込み、マスクとサングラスで隠された顔は火を見るより明らかな不審人物。花粉症という言い訳すら通用しないほど、怪しげな空気を身に纏うその人影は髪の長さと華奢な肢体から女性であることは予想できた。

 

 

 「テレスコープに電気を操る力はない」

 

 

 パッ、と今朝の賢吾の言葉が蘇る。もし仮に新たなゾディアーツが浦の星女学院に潜伏しているのだとしたら、その目的は破壊工作よりもスイッチの頒布である可能性が高い。

 梨子が回復してからというもの、遠望からの接触は途絶えている。しかし、だからといって裏で何もしていないとは限らない。

 

(でも、流石にあれはないよな……)

 

 不審者は周りの視線に気づいていないのか、道行く人が振り向くも三人から視線を外すことはなかった。観察しているこちらとしても、あんな間抜けな敵がいるものかと懐疑的な思考を拭えない。そもそもあのシルエットをどこかで見たことがあるような引っ掛かりを感じていた弦太朗の頭は、考えれば考えるだけもやもやが溜まっていく。

 が、そのもやもやを晴らすのは曜のたった一言だった。

 

「思い出した! 入学式の日に木の上から落ちてきた子だ!」

 

 すっきりとした様子の曜の声に、不審者がこちらを凝視する。その背丈、その髪型、その団子。生徒手帳用に撮影された写真しか弦太朗は見たことがないが、入学式の日に木から落ちるなんてエピソードに思い当たる人物は一人しかいなかった。流石に一ヶ月以上も登校していなければ周りが気になるのか、季節外れのコートと顔は変装用だろう。イメージと不審者の影がピタリとはまったとき、弦太朗の脳に電気のような閃きが走った。

 

「あああ!! お前、津島か!!」

 

 弦太朗の絶叫に対して見せる、マスクやサングラス越しでもわかる頬の引きつりと心底嫌そうな表情。どれだけ訪問しても部屋から出てくることはなく、未だ声すら聴くことができていない不登校児。不審者こと津島(つしま)善子(よしこ)は一拍の間をおいて全力で走り去っていった。

 

「え、ちょ、何で逃げるんだよ!」

 

 弦太朗の問いかけに反応することなく、善子はぐんぐんと距離を離していく。ここで追わなければ二度と会うことができないのではないか。そんな考えが浮かんでしまったせいか、そこからの弦太朗の動きは早かった。

 

「梨子! これ頼む!」

 

「え? え!?」

 

「帰るときはバイクにでも引っ掛けといてくれ!」

 

 口の空いたままのバッグを梨子に押し付け、彼女の返事も待たずに駆け出す。なかなかに素早い動きを見せる善子が消えていった入口から、弦太朗も少し遅れて土地勘の無い裏道へと足を踏み入れる。

 残された梨子と曜は、顔を見合わせてパチパチと瞬きをした。

 

 

 

 

 

(津島のやつ、何で逃げるんだよ……)

 

 夕日に照らされた海岸線を、いつもとは反対方向に進む。

 結果的に善子は見失ってしまった。見知らぬコンクリートジャングルから迷路を脱出する気分で歩き回り、ようやく駅前まで戻れたのは日もだいぶ傾いてからのことだが、驚いたのは駅から大して離れていなかったというところだった。駅を出入りするのは学生より会社員の方が目立つようになり、当然千歌たちは撤収済み。バッグは梨子が預かっているらしい連絡が来ていたので、ひとまず下宿先を通り越して練習場所となっている海水浴場に足を向けることとなった。

 きつい西日が弦太朗を照らす。

 

(やっぱ沼津の方は全然道わかんねぇな。今度回ってみるか)

 

 流石、地元の人間と言うべきか。体力には自信があったので、すぐに追い付くと高を括っていたのもよくなかったのだろう。反省する箇所は多かれど、今生の別れというわけでもないのでこれ以上考えても仕方無いと切り替える。

 そして対向車の疎らな道をひた走り、漁協の近くに差し掛かったときだった。

 

「……ダイヤ?」

 

 遠くでも、後ろ姿でも、制服に映える日本人形のような黒髪を見間違うはずがない。未だ心を通わせるに至っていない堅物な生徒会長が、そこにいた。

 目前までやってきたバスを眺めているように見受けられるが、実際は違うようだった。目の前で停車してドアが開いても、ダイヤは視線を外すことなくじっとどこか遠くを見据えていたからだ。乗り込むときに流れる髪からちらりと覗いた表情はいつもより固く、不安げな皺が眉間に深々と刻まれている。すれ違い様でも、彼女は終始弦太朗に気づくことはなかった。

 信号に引っ掛かった弦太朗が振り返る。バスは当然見えなくなっていて、ダイヤがどこへ向かったかは皆目検討もつかない。思い返すと、背景の漁協との言い知れぬミスマッチさもさることながら、ひとつの決定的な違和感が小骨のように弦太朗の喉に引っ掛かっていた。

 

「アイツの家、反対じゃなかったか?」

 

 そもそも、どうしてこんなところからバスに乗っていたのか。周りにあるものと言えば、コンビニ、喫茶店、漁協に郵便局と、どれも目的をもって降りたとは思えない。

 だからといって、生徒のプライベートにズカズカと踏み込んでいいというわけではない。堅物なダイヤとはいえ、高校生にもなれば寄り道くらいはするだろう。束縛したり、邪推する権利は弦太朗にはないのだ。

 後続の車に急かされた弦太朗はグリップを捻る。千歌たち三人は今も砂浜でダンスの練習をしているだろう。今は彼女たちの夢の実現に向けて応援に注力するべきだと気持ちを切り替える。たった二週間でパフォーマンスを形にして、宣伝もこなすのだからやることは山積みだ。困難な道のりのようにも思えるが、弦太朗はどこかワクワクとした気持ちだった。

 

 

 

 しかし、後に弦太朗はこの日のことを思い返して二度後悔することになる。わかっていたはずなのに、注意していたはずなのに、と。見えないところを見ていなかったこの日の自分を激しく責めるなんてこと、このときの彼は知る由もなかった。

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

「すみません如月先生! 声かけてみたんですけど、この雨で遅れてるみたいなんです!」

 

「いやいや、無咲先生が来てくれただけでもありがたいっスよ。できるだけ前の方で見てやってください」

 

 生徒のステージだからか、気合いの入った私服姿の無咲を先に通した弦太朗は、振り返って辺りを確認する。校舎からはみ出る二つの影に事情を察した弦太朗も、誘導を切り上げて濡れた革靴を脱いだ。水を吸った靴下は踏みしめる度に水分を絞り出すが、僅な変化では足の裏にある違和感は拭えない。

 本当は弦太朗も一番前で見たいところだが、選んだのは有事に備えて全体を見渡せる一番後ろの壁際。入り口のそばの方が良いのかもしれないが、外にいるルビィが入ってこれるよう少し離れたところに陣取った。体育館の前には看板も立て掛けてあり、校門にはここまでの道順を記した案内板も用意してある。遅れてきた人もやってこれるように準備はしているので、後は信じて待つだけだとジャケットの内側にしまっていた宣伝用紙を広げた。

 

「……Aqours(アクア)、か」

 

 修正を経て出来上がったチラシに踊る、千歌たちが浜で偶然見つけたという名前を呟く。しかしその言葉は誰かに言ったわけでも、聞かれるわけでもなかった。彼の呟き程度、壁に打ち付ける雨粒の大合唱が、吹き込んでくる暴風が、唸る雷が、いとも容易くかき消してしまうからだ。この日内浦を直撃した嵐は、Aqoursの船出を祝うには少し激し過ぎるようだった。

 照明が落とされ、光源は解放された入り口のみという体育館は太陽を遮る分厚い雲のせいか、それとも暗幕のせいかやや暗い。不安や期待、それ以外にも色々な感情がひしめき合うこの暗闇だが、弦太朗は逆に緊張で速くなる鼓動を落ち着けるにはちょうど良いのかもしれないと思った。

 胸ポケットで震えたNSマグフォンを開く。

 

『道が混んでいて車が動かない。すまないが少し遅れそうだ』

 

 親友からの断りの一文に、弦太朗は短い返事を送る。この天気だ、沼津からここまでほぼ片側一車線しかない道路なら混むのも仕方ないだろう。親友にダチの晴れ舞台を見せてやれないことは悔やまれるが、事情がわかってしまうのでここは落胆を飲み込む。

 返信が済んだのを見計らったように、NSマグフォンをしまうと隣に誰かが立つ気配がした。同じように壁に背を預ける彼女の顔は見るまでもなく、あのいつもの難しそうな顔をしているのだろうことは雰囲気で察することができる。ちらりとも見ずに、弦太朗は口を開いた。

 

「正直、ダイヤが来てくれるとは思わなかった」

 

「鞠莉さんが来ているんですから、来ないわけにはいかないでしょう。それに、私は確かめに来ただけです。あなた方の言う熱意とやらで奇跡が起こせるのかどうかを」

 

「……そうか」

 

 冷徹にも聞こえる言葉の裏に、ほんの少しの混じり物を感じる。その混じり物を機敏に感じ取った心が囁く。この冷たさは、厳しさだと。

 

「結果はもう見えていますが」

 

「わかんねぇぞ。こっから大逆転サヨナラ満塁ホームラン叩き込んでやるからな。ダイヤだってちょっとは期待してるんだろ?」

 

「……知りませんわよ。彼女たちがどうなっても」

 

「大丈夫だよ、あいつらなら。きっと」

 

 ダイヤの心配する通り、逆境と呼ぶに相応しい舞台だった。思い返してみても、僅かな時間で彼女たちはかなりの努力をしただろう。短い時間の中で揃えたダンス。経験者の梨子指導のもとレベルを上げた歌唱力。弦太朗考案の基礎体力メニュー。曜が生み出した衣装も、裏方を頼んだよしみ、いつき、むつの三人のサポートも、足掻きに足掻いた宣伝も、その他恵まれている事を差し引いても申し分のない努力を重ねたと、贔屓目に見ても弦太朗はそう断言できると確信していた。

 

 幕が上がる。

 

 ゆっくりと、運命を彼女たちに突きつけるために。自然と弦太朗の握り拳が固くなる。腕を組むダイヤも息を飲む。静かにその時を待つ鞠莉は、期待の眼差しを注ぐ。ただ共通していたのは、これから起きることから目を反らすまいとしていたことだけだった。

 三人がステージに照らし出されたとき、拍手が起こった。パチパチと、壁に吸い込まれるほど控えめに。集まった()()名|()の生徒たちが、友人たちを期待の目に、これから起こることを想像したワクワクした目に写していた。

 

 体育館満員という条件達成には、程遠い数の生徒。

 

 手を繋いだ三人は目を伏せる。着飾った衣装と一段とうつくしく引き立てられた表情に影を落とし、流すまいと涙を堪えているのかもしれない。彼女たちの夢も、希望も、一瞬にして瓦解してしまったのかもしれない。

 それでも、顔を上げた千歌は一歩前に踏み出した。

 

「私たちは、スクールアイドル! せーのっ!」

 

「「「Aqoursです!」」」

 

「私たちはその輝きと」

「諦めない気持ちと」

「信じる力に憧れて、スクールアイドルを始めました」

 

 三人の言葉に、この場にいた全員が聞き入っていた。このステージが最初で最後になるかもしれないとわかっているからこそ、弦太朗にはその言葉の一つ一つが重く感じ、心にぐっとのしかかる。自分達が一番わかっているはずだ。どれだけ手を伸ばしてもまだ遠いということを。それでも腐ることの無い真っ直ぐな光を灯した千歌の瞳は、弦太朗には瞬く星を幻視するほどにキラキラと輝いて見えた。決して夢に嘘をつかない彼女は、その真っ直ぐな輝きを放ちながら言った。

 

「目標は、スクールアイドルμ's(ミューズ)です! それでは聴いてください!」

 

 

 “ダイスキだったらダイジョウブ!”

 

 これはμ'sの代表的な曲の一つであるラブソング、“Snow halation”のような曲が作りたいと無茶な事を言い出した千歌が、“自分の大好きなスクールアイドルへの気持ち”を歌詞にした曲。歌われているのは今、この瞬間を生きる千歌のありのままの心そのものだった。キラキラとしたスクールアイドルに出会い、憧れ、たくさん躓いて、ようやく繋がった三人の絆があったから立てた舞台。好きという気持ちだけでここまで走ってきた彼女だからこそ紡ぐことができた歌詞。そして、熱い好きという気持ちがあれば誰だってなんだってできるという思いが込められた一曲。

 

(これが、スクールアイドルか……!)

 

 練習も見てきた。衣装合わせも見てきた。裏側の全てを見た。つい数時間前まで普通の女子高生だった三人が、今はキラキラと輝くアイドルとして踊って歌っている。記録として残された他のスクールアイドルとは違う、身近な普通だった女子高生がアイドルになる瞬間。その一瞬が今、目の前で起きている。その感動が、手の届かなかった現実に対する悔しいとかそんな気持ちをどこかへ払ってしまえるほど、彼女たちに夢中にさせる。それだけの力と熱量がこのステージにはぶつけられていた。

 

「鞠莉さん……?」

 

 隣で見ていたダイヤが小声を漏らした。一気に現実に引き戻された弦太朗は、はたとして目を凝らす。この暗がりでステージに熱中する生徒の中に、先程までいたはずの鞠莉が忽然と姿を消していた。解放された入口から出入りしたのなら、夢中になっていたとはいえ二人して気づかないはずがないし、どこかを開ければ光が入ってすぐに気がつくはずだ。

 そして。

 

 

 ブツンッ

 

 

 残酷で、とても短い悲鳴が上がる。

 前フリも、大きな雷の音もなかった。しかし体育館に響いた機械音につられて照明が、音楽が、必然に歩みを止める。きらびやかな夢の世界は唐突に終わりを迎え、一際暗く感じる闇が館内を包む。

 停電。

 それっぽっちの言葉で集約されてしまう現実が、彼女たちの努力の何もかもをかっさらっていった。二度目の厳しい現実が、彼女たちスクールアイドルの雛に突きつけられる。騒然とする館内で、ダイヤは強く弦太朗の腕を掴んだ。

 

「来てください」

 

 切れ長の目はより鋭く。有無を言わせぬ圧のある声で短く用件を伝えた彼女は、腕を引いて入口へと向かう。品行方正な生徒会長のイメージにそぐわない乱雑な履き方で革靴に足をねじ込んだダイヤは、傘に目もくれず吹き降りの中庭へと駆けていく。声をかける暇もない弦太朗も、それに倣って外へと飛び出した。

 

「おい! どこ行くんだよダイヤ!」

 

「体育館は災害時に備えて、学校の予備電源とは別に手動の非常用電源があります。ですが、そもそもどうして予備電源は機能していないのでしょうか」

 

「それは俺も変だと思った。……って、校舎電気付いてるぞ。直ったのか?」

 

「さっき停電になってからすぐ、先生がぼさっとしている間に確認しましたが電気が落ちた様子はありませんでした」

 

「何か当たりキツくないか?」

 

「主電源は無事。だとするなら……」

 

 ダイヤは何かを見つけたのか立ち止まる。苦笑いの弦太朗も、彼女の視線を辿っていくにつれて顔が引き締まっていくのがわかった。

 まず見つけたのは体育館の天井から垂れた電線。引きちぎられたのかチューブが延びきり少し溶けた状態で、雨降りでもゴムの焼けた臭いが鼻につく。しかし、周りを見てももう片方あるはずの切れた電線は見つからなかった。

 それもそうだろう。ゆっくり、本来なら電線が繋がっていた場所を見上げればその理由が簡単にわかってしまうからだ。三年生の教室近くの壁に張り付く異形に、ダイヤは憎らしげに目を細め、逆に弦太朗は大きく目を見開いた。

 

「やはり……」

 

「おいおい。蜘蛛が電線食ってるぞ……!」

 

 雨に触れて火花を散らす電線を前足で器用に掴み、その先端にかじりつく人間大の巨大な蜘蛛の姿がそこにはあった。弦太朗の声でこちらに気がついたそれは、チューブから口を離して赤い八個の目に二人を焼き写す。そして、事もあろうかそれは三階ほどの高さから簡単に身を投げた。自然に加速していくそれは慌てることなく、それでいて受け身をとる様子もなく、ただ青く発光しただけで体を激しく地面に打ち付ける。子どもに見せるべきではないと思いダイヤの前に立って背中で隠すが、それは杞憂だったようだ。地面に接触したそれの体はまるで水のように弾け、そしてすぐさま人型へと形を変えた。

 全身の錆び付いた金属色と頭の左側に引っ掛かったボロボロの王冠。右肩には口の開いた宝箱を備え、そこから溢れだしたのか右半身には光のない大小様々な宝石たちが埋め込まれていた。背中から申し訳程度に覗かせる縮こまった二組の脚と、時折開閉する顎は虫嫌いにはトラウマものだろう。だがそれはもちろん、自然発生した突然変異種などではない。

 

「クラウン、ゾディアーツ……」

 

 背後のダイヤの呟き通り、体に刻まれたスターラインがその存在の名を示していた。その蜘蛛人間ーークラウンゾディアーツは微動だにせず、こちらの出方を伺っているのか直立不動のままピクリともしない。異様さと不気味さを際立たせる存在感に、弦太朗は一歩前に踏み出した。

 

「何でゾディアーツって名前を知ってるのかとか、色々と訊きたいことができたが後回しだ。とりあえず、こいつは俺が引き受ける。電源は任せたぞダイヤ」

 

「……承知しました」

 

 フォーゼドライバーを腰に宛がった弦太朗は、ベルトが巻き付くとトランスイッチを押してエンターレバーを握り構える。

 《3……》ドライバーのカウントを見守るダイヤ。

 《2……》それでもピクリとも動かないクラウン。

 《1……》降りしきる雨を身に受ける弦太朗は、一人と一体の視線に挟まれながら強く宣言した。

 

「変身!」

 

 コズミックエナジーが物質化し、軽快なメロディと共に空を掴まんと手を伸ばす弦太朗の姿を変えていく。白いアーマーとオレンジのラインが宇宙飛行士を想起させる、宇宙の力を宿す戦士・フォーゼへの変身を完了させた彼は、体を大きく広げてお決まりの台詞を叫んだ。

 

『宇宙キターーー!!』

 

 胸を二回叩き、拳を突き出す。例え相手が何であれ必ず伝えてきた信念を胸に、弦太朗は言葉を放った。

 

『仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!」』

 

 一連の動きを見届けたクラウンは、スイッチが入ったのかグッと身を屈めた。ようやく動きらしい動きを見せたかと思えば、クラウンの肩で口を開いていた宝箱から微弱な光が漏れ出す。その光は埋め込まれた宝石に呼応して、クラウンの全身に淡い黄色の光を付与する。

 バチッ と音がした。

 

『ヴゥ……』

 

 呻き声と共にフォーゼの眼前まで接近したのは、ほんの一瞬の出来事だった。

 

『「!?』」

 

 瞬きをしたコンマ数秒の世界で実に十数メートル先への瞬間移動に近い動きを見せたクラウンは、鋭く変形した右手で喉を突いてくる。脊椎反射とフォーゼの性能だけでその先制攻撃を紙一重でかわすことができた弦太朗は、僅かな音を残して空間を貫く凶悪な一手を無意識に蹴り上げた。一撃で急所を突いてくる、人を殺すことに躊躇いの無い感覚に怖じ気が走る。鋭利な切っ先が弦太朗の真後ろにいたダイヤの鼻先を掠め雨粒を綺麗に二等分する刹那、やっと頭が追い付いてきた弦太朗は倒れかけの姿勢からクラウンの腹を蹴り飛ばした。

 

『グヴゥァ!!』

 

 クラウンが後方に弾かれたのと、フォーゼが背中から地面に倒れこんだのは同時だった。ワンバウンドしたフォーゼは背中のブースターの勢いを利用してバク宙で体勢を立て直す。まぐれにしてはいいのが入ったのか、隙を見せるクラウンを見て弦太朗はすかさず左腕のスイッチを「No.16ウインチ」に差し替えた。

 

『動きが速いなら、捕まえるまでだ!』

 

《WINCH》

《WINCHーON》

 

 左腕に展開されたオリーブグリーンのウインチモジュールから、内蔵されたスピニングタービンによってロープを高速で射出し、五トンの力で牽引するブーストフッカーでクラウンを拘束した。ほどこうと暴れるクラウンを体育館側から力ずくで引き剥がし、水を吸った芝生に叩きつける。弦太朗は一瞬で起きた攻防に放心するダイヤに向けて叫んだ。

 

『ぼーっとすんな! 早く行け!』

 

「は、はい!」

 

 ダイヤは慌てて体育館袖の扉から中へと入っていく。舞台裏の配電盤から非常用電源とやらで復帰させるのだろうが、今はその辺りのことを気にかけている余裕はない。思考を切り替えて目の前の敵を見据える。

 あの瞬間移動で距離を詰められればいくら動きを封じていても注意が必要だ。そもそも液体化、瞬間移動と手の内がまるでわからない相手にいつまでもウインチの拘束が続くとは思えない。それに、戦闘に時間をとられ過ぎるとライブどころの話ではなくなる。早く次の手をと考えるが、その時間をくれるほどクラウンは優しくはないらしかった。

 起き上がったクラウンは腰を低くして反撃の動きに入る。

 

『キシュルルル……』

 

 右肩の宝箱がもう一度黄色く、しかし今度は強烈な光を放つ。八個の目で狙いをつけるクラウンが咆哮と共に全身に力を込めると、その光は稲妻となってウインチモジュールを伝播した。

 

『うわおばばば!?』

 

 左腕から高圧の電撃を食らったフォーゼは膝から崩れ落ち、堪らず拘束を緩めてしまう。電撃を止めても追撃の手は緩めないクラウンはたわんだロープの隙間から腕を出すと、ウインチモジュールを両手で掴んでお返しとばかりにフォーゼを地に叩きつけ、引き寄せる。体勢を崩されている上での近接戦闘は危険だと判断した弦太朗は、痺れる体に鞭を打ってスイッチをオフにした。

 引っ張られた勢いを前転で逃がし、懐に潜り込んだフォーゼの拳がクラウンの腹に突き刺さる。だが、その攻撃は予見していたのか少し体をずらして急所を避けたクラウンは、逆に腕を掴んでフォーゼの装甲を加減なしに数度蹴りあげ、喉を掴んで持ち上げる。

 

『ぐっ、おあ、うぅ……っ!』

 

『グルルゥゥ……』

 

 姿に似つかわしくない獣のように喉を鳴らすクラウンは、まだ余力があると言いたげに首を捻る。開閉を繰り返す口を見て、ずいぶん前に見たSF映画の宇宙人を思い出しゾッとする。締め上げる手を剥がそうと抵抗を試みるが、片手とは思えない握力で掴まれているため取り除きようがない。人体の構造を理解しているのだろう、的確に気管と脛動脈を押さえられているので少しずつ意識が遠退いていく。明滅する視界に、弦太朗は多少のリスクを覚悟して右脚のスイッチをオンにした。

 

『この、やろ……ッ!』

 

《LAUNCHERーON》

 

『グギ!?』

 

 モジュールの展開と共に吐き出されたミサイルが超近距離のクラウンに着弾し、解き放たれた爆風が鈍い痛みとなってフォーゼを襲う。決して少なくないダメージと引き換えに自由とたっぷりの酸素を手に入れた弦太朗は、じっくりと肺を満たしながらクラウンとの距離を大きくとって両脚のスイッチを入れ換えた。

 

『お前がどこの誰だかわかんねぇが、電気使うってことはお前がバガミール壊した犯人って事でいいのか?』

 

『シュゥゥゥ……』

 

『それどういう返事だよ』

 

《CHAINSAW》《SPIKE》

《CHAINSAWーSPIKEーON》

 

『倒したら答えてくれるってことでいいんだよな? 行くぜ!』

 

 右脚に「No.08チェーンソー」、左脚に「No.15スパイク」と近距離戦闘用に装備を整えたフォーゼは、起き上がるクラウンを目指し地を駆ける。一分間に一万五千回転する右脚のチェーンソーモジュールの回し蹴りを避けられても、左脚の伸縮する棘・デンスリークラッシャーを備えたスパイクモジュールは避けきれない。斬撃と串刺しの二通りの攻撃全てに対応できるはずもなく、次第にクラウンには傷が増え、戦局もフォーゼの優勢に傾き始める。

 ソーブレードがクラウンの胸を切り裂き、芝生を転がる。蓄積されたダメージのせいか、まるで抵抗してこないクラウンは起き上がろうとする姿も弱々しい。チャンスを確信した弦太朗は、エンターレバーに手を掛けた。

 

『決めるぜ』

 

《CHAINSAWーSPIKEーLIMIT BREAK》

 

『食らえぇぇ!!』

 

 二つのモジュールの力が極限まで解放され、目に見えるほどのエネルギーを纏う。駆け出したフォーゼは、側転からハンドスプリングの要領で飛び上がって勢いを付け、高速回転するソーブレードと伸び代を残したデンスリークラッシャーでの挟み蹴りを繰り出した。猛獣が大口を開けてエサに食らいつくような、大振りかつ獰猛な一撃。為す術のないクラウンは、防御の姿勢もとらずフォーゼの必殺キックをまともに食らってしまう。

 

 かに思われた。

 

『悪いけど、そこまで』

 

 牙が怪物を噛み砕く。その寸前で、響いた声とともに放たれた水の塊でフォーゼは弾き飛ばされた。見えない位置から襲ってきた衝撃に持っていかれかけた意識を立て直し、水を吸った芝生のクッションを転がる。鈍器で殴られたような背中の痛みを堪えながら、弦太朗は襲撃者を探すため顔を上げた。

 

『誰だ……っ!?』

 

 緑を踏みしめて現れたそれは、疲弊するクラウンを庇うようにして立つ。

 身を包むぼろ切れのようなエメラルドグリーンのマントから見える、青みがかった筋肉質な体とスターライン。両肘から突出したヒレ。小さく真っ白な瞳と細かく綺麗に生え揃った歯。どこか魚座のピスケスゾディアーツを彷彿とさせる、しかしあれより細く精錬された体躯。ただ立っているだけで凄みのある気迫を放つそのゾディアーツは、勢いの落ちてきた雨の中でフォーゼを見下ろす。

 

『ゾディアーツが、もう一体……!』

 

『ここで倒されるわけにはいかないんだよ』

 

 男とも女とも、子どもとも老人とも聴こえる不安定な音を出すゾディアーツが右手を広げると、雨粒は意思を持ったように手のひらに集まっていく。ようやくソフトボール大に形成された流動する塊を、ゾディアーツは躊躇いなくフォーゼへと投げつけた。

 

『うぉ!?』

 

 バッティングセンターのどの機械よりも速い、豪速球と呼ぶに相応しい球体を反射的に避けた弦太朗は、自分の勘の良さに感謝することになる。芝生をえぐり爪痕だけを残して元の水に戻った球体は、たかが水とは侮れない鉄球並みの破壊力を持つ凶器へと変化していた。

 

『お前も遠望の仲間か?』

 

『答える義務はないかな』

 

 コズミックエナジーを消費した両脚のスイッチをオフにして、拳を構える。静観するゾディアーツもまた、フォーゼの姿に合わせて少し腰を低く落とした。先に動いた方が負ける。そんな緊迫した空気に騒がしかった雨が緩やかに黙り始める。屋外とは思えないほど静かになった中庭で、暗灰色の雲だけが時が流れていることを証明してくれていた。

 少しして何かに気がついたのか、構えを解いたゾディアーツは体育館を振り返る。途端、中から世界を揺らすつもりなのかと勘違いしてしまうほどの拍手が起こった。静寂を打ち破る歓声に、ゾディアーツは先程までの刺々しい雰囲気を抑えて肩の力を抜く。そしてあろうことかフォーゼに背を向け、片手をあげてこう宣った。

 

『今日はやめておくよ』

 

 ゾディアーツがクラウンの肩に手を乗せると、二体を中心に霧が渦巻く。ゾディアーツが操っているのか、じゃあね、と一言告げると竜巻のように激しく猛威を振るう霧は二つの異形の使徒を軽々と飲み込んでいく。

 

『あ、おい! 待て!』

 

 逃がすまいと弦太朗が手を伸ばすが、霧散した水蒸気の先に二体の姿はなかった。虚空を掴んだ手を下ろし、辺りを見回すも気配はない。数秒の沈黙をもって完全に離脱したのだと確信を得た弦太朗は、トランスイッチを上げて変身を解除した。

 水の滴るジャケットを脱ぎ、雨に打たれてしなだれた髪を整える。中庭に残った戦闘の傷跡は浅く、既に命のやり取りがあった場所とは思えないほど風景に溶け込んでいた。唯一非日常を仄めかす分断された電線を見て、弦太朗は頭を掻く。

 

「何て説明すっかな」

 

 困り顔で見上げた空は、二体のゾディアーツの出現に当てられてかまだどんよりとしている。しかし、千切れた雲の隙間から差し込む光明は分け隔てなく世界を照らす。その輝きの方へと飛んでいく三羽の白い鳥を見て、弦太朗はなんとなく行き先が気になった。




 吹きぶる雨に晒されても、この町の温もりは冷めない。次々に入ってくる車と、嵐に負けない人々が校門を潜るのを見て賢吾はそう思う。
 しかし、その人々の流れの中でも浮き彫りになる純粋な黒の存在は、やはり目に余る。母親と手を繋ぎ、もう片方で無邪気に手を降るレインコートの少女に微笑みと手を振り返す女の背後に立った賢吾だが、件の遠望は意に介す様子もなくやってくる観客たちを迎え入れる。その姿にどうも嘘臭さを感じられない不可解さに、頭を悩ませる他はない。

「ゾディアーツが交通整理か。一体何を考えている」

「地域貢献に決まってるじゃない。我がリバースター社は人類の自由と平和を愛し、沼津の発展と地元の子どもたちの夢を応援する優良企業よ? これくらいのこと、当然サービスでやってあげるわ。夢は大切だもの」

「馬鹿も休み休み言え。何を企んでいる」

 間を開けて、ふぅっと遠望は息を吐く。うんざりした表情で振り返った彼女は、懐から取り出したこれまた黒のオペラグラスで体育館を覗き見る。
 最初に乗り込んでいった、高海千歌の姉が引き連れていった一軍が体育館に消えていって数分が経つ。もう少しすれば、()()()()()()()ライブは再開されるだろう。

「早く行かないとライブ始まっちゃうわよ。折角学校までたどり着いたのに、見れませんでしたじゃ悲しくならない?」

 そう言うと、賢吾は納得できないながらもしぶしぶ体育館へと足を進める。

 そう。誰も、中庭で行われている戦闘には気づいていない。テレスコープの光の膜によって隠されたあの場所での戦いは誰にも気づかれない。
 再度オペラグラスで体育館横の中庭を見れば、予定通りフォーゼはクラウンと静かに激しい戦闘を行っていた。

「へぇ。いるか座……。まさか、私以外にスイッチを持ってる子がいるなんてね」

 体育館の屋根で様子を伺う一体を見て、遠望は口角を歪める。少し面白くなりそうだと、心の中でほくそ笑んだ。

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