仮面ライダーフォーゼ サンシャインキターッ!   作:高砂 真司

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 シリアスな展開なのでギャグの前書きを挟めません。
 例のBGMは読んでくださった皆さんの頭のなかで各々自由にかけてください。
 今回は文字数多いです。
 よろしくお願いします。


第4話 画・歌・転・向

「先生って、結構無茶するよね」

 

「? そうか?」

 

「経験上で言わせてもらうとさ。普通の人は溺れてるってわかってても助けになんて行けないよ。助けなきゃって気持ちより、怖いとかビックリで体が動けなくなるから」

 

 絞ったTシャツを船着き場の階段下から上で待機する果南へと投げ、やはりピンときていないようで少し首を捻る。不思議そうな顔を見下ろす果南は、受け取ったシャツを丸太の安全柵に干しながら続けた。

 

「あんなに躊躇いなく飛び込む人も初めて見た。生徒って言っても、まだ一ヶ月も付き合いのない他人でしょ? やっぱりダチだから?」

 

「んー。それはちょっと違うかもな」

 

 借り物の無地のTシャツに袖を通し、重くなったジーンズを短パンへと履き変えるために手をかける。当の本人は全く気にしていないが、果南の花の女子高生。くるりと振り返って柵に腰を掛けると、答えを待つように空を仰いだ。

 

「ダチだろうがそうでなかろうが、きっと俺は助けに行ってた。体が勝手に動いたっつーか。ま、そんな感じだ」

 

「それって、先生にとっては誰の命であれ無意識にでも自分の命を懸ける価値があるってこと?」

 

「はははっ! そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ、守れるものがあるなら守りたい。助けられるものなら助けたい。目の前で何かを失いたくない。それだけだ」

 

「……すごいね。正義のヒーローみたい」

 

「そうか? きっと、誰にでもできることだと思うけどな」

 

 弦太朗の言葉に、少しだけ憂うような表情を浮かべる。その眼差しは寂しそうで、懐かしそうで。足下に視線を落とした果南は、誰にも聞き取れないであろう小声で呟いた。

 

「…………誰にでもは、できないんだよ」

 

「? 何か言ったか?」

 

「別に、なんでもない。お客さん来たみたいだからちょっと行ってくるね。あの子が目を覚ましたら、ちゃんとホテルに返ってシャワー浴びるんだよ」

 

 そう言って腰を上げた果南の足音は、少し速めに店の方向へと消えていった。昼から用事があると言っていたので、恐らく断りの対応だろうと予想する。ぐっしょりと重くなった靴を手に、これまた借り物のサンダルを履いた弦太朗はふっと息を吐いた。

 

「体が勝手に、か。まあそれだけじゃねぇけどな」

 

 さっきまでいた海の上へと視線を戻し、あの一瞬のことを思い返す。

 

 三人だけで潜り始めてしばらくあと。手持ち無沙汰な弦太朗が遊覧船よろしくカモメに餌をやりながら海を眺めていると、突然全身に寒気のようなものを感じたのだ。嫌な気配と鳥肌に驚く間もなく、千歌たちが慌てて顔を出して確信した。

 

(あの嫌な感じ。初めて遠望を見たときと似てた)

 

 寒気によって思い起こされる、闇を纏った女の姿。瞼と鼓膜に焼き付いた仕草と声に不安が掻き立てられ、気付けば体は船外へと飛び出していた。

 

 石段を踏みしめ、考える。

 

(梨子が目を覚まして、何もなけりゃそれでいい。ただの思い過ごしならいいんだけどな)

 

 助け出したときの梨子は気絶していて、全くと言っていいほど海水を飲んでいなかった。奇跡的だと思えればよかったのだが、寒気のこともあって懐疑的な思考が拭えない。

 もしあれが遠望からの攻撃であれば。一番訳のわからないゾディアーツの能力の影響を梨子が受けていたら。そのせいで梨子が気絶してしまったのなら。考え始めると不安は更に増長していく。

 

(今は様子を見るしかねぇか。一応、フードロイドの護衛も付けとかなきゃな)

 

 ガチャリと金属のぶつかり合う音を鳴らし、リュックを背負い直す。いつも以上の重みを感じながら階段を登りきった弦太朗は、残りの着替えを干そうと柵へと向かい合った。

 その時だった。

 

「……!?」

 

(なんだ!? また……ッ!?)

 

 再度全身に走る寒気。驚きに弦太朗の体は仰け反り、手元からジーンズと靴がこぼれ落ちる。腕を見れば寒気を拒絶するかのように、つい先ほどと同じ鳥肌が立っていた。

 ぞわぞわと肌の下を這いずる気味の悪さに、間違いないと直感が囁く。梨子が溺れたときと同じ感覚が、今の弦太朗を襲っていた。

 

「ですから、今日の営業は終わりなんです。申し訳ないですけど、また明日以降にお願いします」

 

「なら丁度よかったわ。待ってる間、飲み物をいただけるかしら。貴女ともゆっくりお話ししたいし」

 

「あの、話聴いてました? そもそもうちは喫茶店じゃないんですけど」

 

「若いうちからそんな顔してると、綺麗な顔から皺が取れなくなっちゃうわよ」

 

 怒気を含んだ果南の声を、挑発的な女性の声が窘める。眉間に皺を寄せるが、そんなことはどこ吹く風という涼しい顔。女は悪びれる様子もなく、デッキに並んだパラソルの影に腰を落ち着けていた。

 日陰よりも濃い黒。徹底的に自身を隠し通そうとするドレスと帽子が、ちらつく浮き世離れした白い肌をより際立たせる。余裕の表れともとれる微笑を蓄えた女は、弦太朗と目が合うと旧知の知人のような気さくさと笑みで手を振った。

 

「こんな所で会うなんて奇遇ね、如月先生。もしかしたら私たち、引かれ合う運命なのかもしれないわ」

 

 口から出任せの台詞に、クスリとも笑うことはない。果南の「何とかしろ」と言いたげな迷惑そうな表情も映り込むが気にしている余裕も弦太朗にはなかった。嘘臭いジョークを鼻で笑い、冷めたい目で小首をかしげる女をとらえる。

 

「そいつは探す手間が省けていいや。なんなら、ここがお前の年貢の納め時だと、これから探す手間が無くなってもっといいんだけどな。遠望」

 

「あらそうなの? でも私、納める年貢に覚えがないわ」

 

「しらばっくれるのも大概にしておけよ。……梨子に何しやがった」

 

 両者一歩も譲らず、にこやかな笑みとは対極の視線で睨み合う。ピリピリとした空気を察したのか、果南は口を挟まずただじっと行く末を見つめていた。生温い風が頬を撫で、水っぽい臭いが鼻を掠める。

 ゆっくりと、遠望は空を見上げた。

 

「今日は天気が悪いわね。一雨来そうだわ。これじゃ太陽は拝めない」

 

「……何の話だ?」

 

「大事な話よ」

 

 弦太朗の疑問に、目を細める遠望は白い指を空へと向ける。日の光を遮る雲へと二人の視線を誘い、彼女は続けた。

 

「あの雲の向こうに太陽が、光があるとわかっているのに、人一人の力ではどうすることもできない。影を落とされた人間は、雲がどこかへと去っていくまで耐えるしかないの。人の力はちっぽけよ。雲を払えるのは、貴方のような選ばれた人間だけ」

 

 演説に聞き入る姿に満足したのか、うふふと笑う遠望はデッキから一飛びで弦太朗の隣に着地する。重さを感じさせない軽やかさとは反対に、ふわりと広がった厚みのあるドレスのスカートが、重力を思い出してゆっくりと萎んだ。遠望は弦太朗の前を横切ると、先程まで持っていなかったはずの真っ黒な日傘をステッキのように手のひらの上で回し始める。オーディエンスからの視線に気をよくしたのか、そこからはまるで演劇の舞台のように、仰々しい身振り手振りで語り始めた。

 

「人が手を伸ばすだけでは、指先すら宇宙に届くことはない。背伸びをしても、空に近づけるわけじゃない。ただの人であり続ける限り、輝きを手に入れることなんてできはしないのだから」

 

「…………」

 

「一年前大切なものを失ったあの子は、今ようやくそれに気がついた。自分の求める宇宙を掴むには、人を越えなければならないと。だから彼女は願ったの。自分の中に眠る星に、この雲を払いのける力が欲しいと」

 

「星……? まさか!」

 

「願いは欲に。欲は彼女を飲み込み、一つの輝く星座となった。私の星空を飾るに相応しい瞬きが目覚めたの。つまり私の夢に一歩近づいたってこと。それってとても素敵なことじゃない?」

 

 嬉しそうに喉を鳴らす遠望は、柔らかく、可愛らしい笑顔を振り撒いていた。狂気が渦巻く腹の中とは正反対に、無邪気な少女の如く笑う様はやはり異様としか形容しがたい。

 スッ、と表情を大人びたものに戻した彼女は、日傘で目元を被う鍔を押し上げた。

 

「舞台は整った。役者はまだ少し足りないけれど、ようやく運命の幕が上がる。この物語、貴方にピリオドが打てるかしら。ねぇ、如月弦太朗(ヒーロー)さん?」

 

 遠望の問いかけと共に、ガラスの甲高い破砕音が周囲に木霊した。粉々に砕け飛び散った破片が、デッキやコンクリートへと雨のように降り注ぐ。辺りに散らばる水溜まりをジャリジャリと踏み鳴らし、遠望の視線の先に現れたのは、瞳を血のような紅に染めた梨子の姿だった。

 

「梨子ちゃん! どうしたの!?」

 

「千歌ちゃん待って! 今の桜内さんは変だよ!」

 

 追いかけ、梨子へと手を伸ばす千歌を曜は必死で抑えようとする。しかしそんな二人を梨子は、右手を振るだけで後方へと弾き飛ばした。放たれた見えない衝撃が二人を襲い、短い悲鳴と共に床に叩きつけられる。痛みに歪む二人の顔を一瞥すると、梨子は何事もなかったかのようにまた歩き始めた。

 

「千歌! 曜!」

 

 傍観に徹していた果南が、吹き飛ばされた二人へと駆け寄る。すれ違う果南に目もくれず、梨子は血の足跡を残しながら歩みを進める。決別を知らしめる後ろ姿に、千歌は声を漏らすことしかできなかった。

 

「どうしちゃったの、梨子ちゃん……?」

 

 梨子はただ、遠望を目指して一歩を踏み出す。足の裏にこびりついたガラス片がアスファルトを踏み締める度に奥へ奥へと食い込むが、彼女は眉ひとつ動かすことはない。痛みなんて気にしていないような足取りが、不気味な足跡をより色濃く滲ませていた。彼女に届きすらしない千歌の言葉に、躊躇う要素など無いのだろう。誰にも掬い上げられない思いは破片の海に溶け込もうとしていた。

 ただ、この男はそれを良しとしない。

 

「ダチが心配してるだろ。答えてやれよ」

 

 弦太朗の声に、梨子は壊れた人形のように首を傾けた。だらりと滑り落ちる髪から爛々と輝く双眼が覗き、厳しい視線を向ける弦太朗を映しとる。彼を認識してにんまりと三日月に変質する口から漏れ出したのは、くぐもった音が重なって聴こえる不快な声色だった。

 

『「ダチ、ですか。そんなもの、もうこの子には必要ありませんよ」』

 

「……誰だお前」

 

『「かわいい生徒の顔を忘れちゃったんですか? 桜内梨子ですよ。正確には、自分を受け入れた桜内梨子ですけど」』

 

 うふふと笑う彼女は、さっきまでとはうって変わって上機嫌に回りだす。記憶をどれだけ探っても、大口を開けて笑う梨子の浮かれた姿に思い当たる節はない。くるくると回る毎に、見ていられないような血がアスファルトに水溜まりを作っていた。普段の彼女との異常過ぎる乖離に、弦太朗の頭にある可能性が浮かぶ。

 

「……スイッチを押したのか」

 

 眉をしかめる弦太朗に、回り終えた梨子は上目遣いに腰を折る。その瞳にはまるで光がなく、虚ろさは人形かと錯覚させるほど。本当に人間かどうか疑いたくなる仕草と雰囲気を滲ませる彼女は、ゆっくりと首を振った。

 

『「押してませんよ。この子はまだ」』

 

 含みのある笑みを浮かべ、梨子はどこからか“御守り”を取り出す。無機質な風体を大事そうに両手で包み、彼女は危険な小箱にそっと口づけを重ねる。高校生、いや、桜内梨子とは思えない色香に、弦太朗の中の危険信号はけたたましく鳴り始めた。

 

『「私は一年、わたし()の中からずっと見続けてきました。寄り添ってきました。だからわたし(この子)のことならなんだってわかりますよ」』

『「周りから見離された辛さ。音楽に挫折し、今は楽しさを感じられない苦しさ。でも捨てきれない音楽への思いと、手入れだけは欠かさないピアノ。海の音が聴ければと淡い期待を抱いてやってきたこの町への不安と潮風の心地よさ。よそ者の自分を受け入れてくれた内浦の暖かさと嬉しさ。熱心に誘ってくれた千歌ちゃんへの感謝。友だちと呼んでくれた喜び。そんな彼女に自分をさらけ出せない怯え。そして聴こえなかった海の音。見つけられなかった自分の音。取り戻せなかった美しい音。あったのは無言と、微塵の光さえ届かない真っ暗な世界だけ。だからスイッチ()という彼女(じぶん)の中に巣食う、目を逸らし続けてきた心の闇を受け入れる決意をしたんです」』

 

「心の闇?」

 

『「真っ暗な世界。夜に堕ちて、わたしは今深い眠りについています。もう誰にも起こすことができないくらい、深い深い眠りに。闇に引きずられ、闇を受け入れ、ようやく自分自身の負の感情に全てを任せることにした。溜め込んできた思いに正直になることにしたんです。自分の音を取り戻すために、自分を取り巻く全ての雑音を消し去るために、私を受け入れてくれたんです」』

 

 そう語る梨子は、両手で抱えていた小箱を胸の前に掲げる。梨子の瞳がまた一段と紅に輝くと、共鳴するようにゾディアーツスイッチは真っ黒な靄を吹き出して形を変えた。

 

《LAST ONE》

 

 地の底から沸き立つような禍々しい声が辺りに響く。外に飛び出した千歌たちの前で、梨子は人としての一線を越えようとしていた。荒々しく伸びる荊と、血走ったドームへと変貌したスイッチに指をかける。何が飛び出すかわからないおもちゃ箱を開けるような、好奇心が形をもったような口元に弦太朗は声を荒げた。

 

「やめろ梨子! 押すな!」

 

『「私はあの子(わたし)の願いを果たす。わたしを救い出すために。この雑音だらけの世界から、わたし(この子)の音を取り戻すために!」』

 

 カチッ、と冷たい音がした。

 放出される闇。それは吸い込まれそうな宇宙の黒だった。黒が無邪気に笑う梨子を塗りつぶすと、まるでその黒を肯定するように目映い光の連なりが浮かび上がってくる。スイッチから解き放たれた闇と連なりは、沈黙していた淡島の木々を不穏にざわめかせる。惹き付けられる美しい輝きに千歌と曜は理解が追い付かず息を呑み、遠望は嬉しそうな、弦太朗は悔しげな顔を向けるよりない。ただ一人、果南はその目映さに言葉をこぼした。

 

「画架座……」

 

 闇が大まかな人の形を縁取る。光の連なりはその形をなぞる線となり、それを骨格として肉体は形成されていった。大小様々な星が点在し、闇は散りばめられた粒に収束していく。闇が晴れていく。だがそこにいるはずの“桜内梨子”はいなかった。そこにいたのは人であり、人間とは決定的に違う存在。

 大きな絵筆と化した右手。極端に伸びた左手の爪。額から伸びる触覚と硬質な赤い眼球。両腕の皮膚はパレットのようにも、鈴虫の翅のようにも見える楕円形に変質している。黒色(こくしょく)の体躯に巻き付いた蔦と、全身に音符記号が散りばめられたその姿は、およそ人が思い付く人間の形とは似ても似つかないものだった。

 

『「……うふふ。やっとなれた」』

 

 その存在はゾディアーツ。宇宙の力で人を越えた人類の進化種。一言で表すとするならば、それは━━━

 

「梨子ちゃんが、怪物になっちゃった……?」

 

 漏れでた千歌の声に、梨子だったモノは視線を向けた。テカりのある赤く小さな昆虫の瞳が、三人の少女の姿を順番に反射させる。言い表せない嫌悪感を抱いた曜は、意識せずに一歩下がってしまった千歌の怯えの表情を見逃さなかった。

 

『「千歌ちゃん。渡辺さん。松浦さん。こんな私でも、受け入れてくれる? ……なーんて、無理よね?」』

 

 そう嘯いた梨子だったモノは、喧しく下卑た笑いをあげた。小馬鹿にしたような態度は、その場にいる誰もがこの怪物と梨子とを結びつけられない要因となる。ケタケタと笑うゾディアーツに、弦太朗はやはり怪訝な目を向けた。

 

「一発でラストワンか……。おい。なんで梨子の体が出てこねぇんだ」

 

『「ふふ。きっと梨子(この子)は外に出るのが嫌なんですよ。大丈夫、私がずっと守ってあげますから」』

 

 意味ありげに視線を向けてくる辺り、ゾディアーツは覚醒した自身の力に気分が高揚しているのだろうか。千歌たちを、弦太朗さえも歯牙にかけない態度は余裕の現れだと落ち着いて観察する。だが、そんなゆとりを与えてくれるほど相手も馬鹿ではなかったようだった。

 

『「まあ先生はそんなこと気にする必要ありませんよ。……ここで死ぬんですし!」』

 

 その言葉を引き金に、体に巻き付いた蔦が浮き上がり均等な感覚を保つ五線譜となって弦太朗に放たれる。唐突な攻撃に横に飛び退いた弦太朗だったが、その場に派手な音もなく突き刺さる蔦に驚きを隠せない。避けなければ今頃地面に縫い付けられていたかと思うと背筋に冷たいものが走るのがわかる。

 ゾディアーツは絵筆となった右手を見せつけるように振り、不敵に笑った。

 

『「まさか、避けられたとか思っていませんか? ちょっと甘いですよ(ritenuto)」』

 

 右手の筆で空中に文字をなぞる。形を得たritenuto(アルファベット)は、書き終わると同時にゾディアーツに後押しされ空を滑った。この構図は見たことがある。千歌と曜が弾き飛ばされたあのとき。

 

 危険だ。

 

 弦太朗がそう感じたころにはすでに遅く、ritenuto(アルファベット)は吸い込まれるように横に跳ねた彼の足に当たり、体中に溶け込んでいく。二人のように弾かれることはなく、痛みも一切感じない。しかし、次の瞬間変化は起きた。

 

「!? 体が重い……ッ!?」

 

 横に跳ねた弦太朗の体は、スロー再生されているように慣性の法則を無視して宙に浮く。体が地面に接しない気味の悪い感覚が五感を支配する。宇宙の無重力と違いきちんと地球の重力を肌が感じているため、この浮遊はたちが悪い。頭ははたらけど、全身は思い通り動くことができない閉塞感。まるで水よりももっと重い液体のなかにいるような、重苦しさが体を包んでいた。

 

『「逃がすわけないじゃないですか、先生!」』

 

 五本線は更に伸びる。放たれ続ける蔦は、アスファルトを貫通して飛び退いた弦太朗の後ろから飛び出してきた。刺し殺すわけでもなく大きく弧を描いた蔦は、空中と地面を縫い付けるようにまた地中へと帰っていく。弦太朗の体が自由を取り戻したときには既に、彼を逃がすまいとする五線譜の檻が出来上がっていた。

 

「なんだよこれ……!」

 

『「気に入っていただけました? 先生専用の特別ルームですよ」』

 

 気分良さそうに喉を鳴らすゾディアーツを無視して、弦太朗は線に触れる。見た目の細さと裏腹に、檻を構成する柵は並みの金属よりよっぽど冷たく、硬い。ガンガンと遠慮なく蹴っては見るものの、ビルの壁を蹴っているような感触しか返ってこない強固さに脱出の糸口を見つけようと躍起になる。が、起きて半畳寝て一畳とはよく言ったもので、腕が通る程の隙間しかない堅牢な牢獄に弦太朗の抵抗は虚しいものだった。

 

『「無駄です。生身の人間がその檻を破れるわけありません」』

 

 ゆっくりと弦太朗の前に立ったゾディアーツは、右手で大きくト音記号を描く。宙に描かれた黒いト音記号は、絵であるにも拘わらず重力に従って地に落下した。カランカランと転がる厚みのないト音記号を拾い上げたゾディアーツは、一度振るってその切っ先を弦太朗に向ける。アスファルトに真一文字の傷を付けながらもキラリと微弱な太陽光を反射するそれは、刃物よりよっぽど鋭利な獲物だった。

 

『「まずは面倒なあなたから。先生もダチのために死ねるなら本望でしょ? 大丈夫です。痛くないようにしますから」』

 

 ゾディアーツはト音記号を振り上げる。当たれば人の体なんてものは真っ二つになるだろうことは想像に難くない。避ける隙間なんて、この狭い牢屋にありはしない。ここまで攻撃性の強いゾディアーツなら、フードロイドだけで応戦させるのは無理がありすぎる。万事休すかと冷や汗が頬を伝ったとき、二人の間に割って入る影があった。

 

『「……どいて、千歌ちゃん」』

 

「どかない」

 

『「……。もう一度だけ言うわ。死にたくなかったらそこをどきなさい」』

 

「どかないよ」

 

 ゾディアーツを睨む千歌の迫力に、曜も、果南も息を飲む。ただその姿に、遠くから眺めているだけだった遠望はほくそ笑んだ。

 

「どけ千歌! そいつは本気だぞ!」

 

「わかってるよ。何がどうなってるのかはいまいちわかんないけど、梨子ちゃんが怪物になったことも、すごく危ないことしてるってこともわかってる。でも、嫌なの!」

 

 語る千歌の肩を見て、弦太朗は察する。恐いのだ。目の前の怪物も、怪物の危険にさらされた弦太朗が命を失うことも、友達が人の命を奪おうとしていることも。それでも彼女は、何かに突き動かされてこの場に立っている。怯えは震えに、しかし思いは瞳に宿っていた。

 そんな目に当てられたのか。ゾディアーツはため息をつき、振り上げていた武器をアスファルトに突き刺した。

 

『「否定からできた私にはわからないわ、そういうの。だけど感動的ね。友情っていうのかしら」』

『「……でも、無意味よ♡」』

 

 そして、左手を振って千歌を撥ね飛ばした。

 

「千歌!」

 

 目の前を飛ぶ虫を払うように、最小限の鬱陶しげな動きが千歌を地面に叩きつける。人間を軽々と越えてみせる腕力の前に、女子高校生ができることなどありはしないのだ。道端の小石を蹴ったゾディアーツは、弦太朗の命を摘むため再び獲物を振り上げる。だが、ゾディアーツは何かに気がついたように呟いた。

 

『「…………。そういえば、千歌ちゃんってスクールアイドルだったわよね?」』

 

 光沢のある眼球が、ギョロリと起き上がりそうな千歌を捉える。何を考えているのかわかってしまった弦太朗は、目を見開いて檻を殴る。注意を引こうと痛みなんて忘れてしまう程に何度も殴るが、ゾディアーツはこちらに振り向きすらしない。

 

「おいやめろ!! 千歌! 早く逃げろ!!」

 

『「そうね。初めては千歌ちゃんがいいわね。友達で、スクールアイドル。ここまでお誂えな人間がいたのに忘れちゃってたわ!」』

 

 笑うゾディアーツの標的は、弦太朗から千歌へと完全に移行してしまっていた。状況を理解した果南が飛び出そうとしているが、間に合ったところで犠牲者が増えるだけ。事態はより悪くなるだけだ。離れてしまったゾディアーツに手は届かず、弦太朗本人にはどうすることもできない。

 

「頼む! あいつらの逃げる時間だけでも稼いでくれ!」

 

 満を持して、弦太朗はリュックの中身をぶちまけた。ロイドモードとなった機械仕掛けの戦士たちが、牢屋の隙間を縫って脱出しゾディアーツへ反撃を始める。

 ポテチョキンが武器を持つ腕を狙い、フラシェキーが視界を封じるために発光。その隙にホルワンコフとナゲジャロイカが疎かな足元を襲い、ツナゲットたちとソフトーニャが体を攻撃する。歴戦を勝ち抜いてきた連携でゾディアーツを数歩後退させ、千歌から引き離す十分な隙を与えることに成功した。

 飛び出した果南と後に続く曜がへたりこんだ千歌を起き上がらせる。

 

「果南! 曜! 千歌を連れて早くここから離れろ!」

 

「先生は!?」

 

「俺のことは気にすんな! 千歌が狙われてる! 次はたぶん曜だ! 今しかねぇんだ早く行け!」

 

 何とか隙間を抉じ開けようと蹴り、殴るが歪みひとつできない牢屋から声を張り上げる。置いていくことに後ろめたさがあるのだろう、三人の足は一向に動こうとしない。フードロイドに手をとられた怪物と囚われた弦太朗を見比べた果南は、二人の背中を船着き場の方向へ押して弦太朗の元へと駆け寄った。

 

「二人は早く走りな! 私も先生出したらすぐに追い付くから!」

 

「果南、お前……!」

 

「私だって死にたいわけじゃないよ。ただ、店の前で死人が出たら縁起悪いでしょ!」

 

「……悪ィな。さっさと逃げるぞ!」

 

 果南も交えて檻を蹴る。それでも動じることの無い特製の檻に、一心不乱に衝撃を与える。

 

「私たちだけ逃げられるわけないじゃん!」

 

「四人ならもっと早く開けられるんじゃないかな!」

 

 千歌と曜が二人がかりで柵の一本を引っ張る。その一本に果南と弦太朗が蹴りを入れる。出せる全力を振り絞る。少し、ほんの少しずつ歪みが生まれてきた檻に微かな希望を見出だし始めた。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 

「きゃ!?」

 

「千歌!」

 

 不意に千歌が羽交い締めにされる。弦太朗が気づいたときには、四体の黒装束が檻の周りを取り囲んでいた。やつらがいくら他の異形と比べて弱いと言えど、普通の人間が腕力で敵う相手ではない。拘束された千歌が暴れるも意に介した様子のない忍者衣装に身を包む怪人、星霜忍者ダスタードの登場に弦太朗は悔しげな視線を向ける。

 

「遠望……!」

 

『「ま、ちょっとだけお手伝いよ」』

 

 離れた柵に腰を掛けたテレスコープが、フードロイドたちを光弾で撃ち落としていく。多少自由が利くようになったゾディアーツも、粘っていた残りを一体ずつ丁寧に排除し始める。悲鳴もあげられないフードロイドたちは、強過ぎる衝撃を受けて物言わぬ置物と化していった。

 牢は多少歪んだだけで、逃げることなどできない絶望的な状況。絶対絶命という言葉がお似合いの場面に、歯軋りをするしかない。自由の身となって息を吐いたゾディアーツが、くつくつと笑った。

 

『「無駄な抵抗でしたね、先生」』

 

 ダスタードが暴れる千歌をゾディアーツの前へと連れていく。僅かに手の届かない距離に弦太朗は声を荒げるが、それくらいでどうにかなるはずもなく意味などない。助けにいこうとした果南を二体のダスタードが抑え、最後の一体が逃げられないように曜を捕まえる。想定しうる最悪の展開を前に、拳が血で滲んでいることも忘れて檻を殴り続けるが、ゾディアーツは止まるはずがなかった。

 千歌に膝をつかせ、ダスタードは首を差し出す。自分が何をされるのか理解しているのだろうか、それでも千歌は命乞いをするでもなく、罵声を浴びせるわけでもなく、ただぐっと口をつぐんで自分が反射するゾディアーツの目を見つめていた。

 

『「悲しむのは一瞬よ。あなた(わたし)の雑音は順番に消してあげる。勝手に失望して梨子(わたし)を遠ざけた友達も、梨子(わたし)の音を影に追いやったスクールアイドルも、邪魔なものぜーんぶ消してあげるから! アハハハハハッ!」』

 

 弦太朗は声を張り上げる。

 ゾディアーツはト音記号を振り上げる。

 曜は目を伏せ涙をこぼす。

 遠望はつまらなさそうに腕を組む。

 千歌は覚悟して目をつぶる。

 

『「ーーーーーー」

    

 が、千歌は、目を見開いた。

 

《POWER DIZER》

 

 機械の声がその場に響く。大きな飛沫と派手な音を伴って海面から現れた黄色の巨体・パワーダイザーに、全員の視線が釘付けとなった。振り下ろそうとしていた武器を鋼の腕がはね除け、動きの鈍ったゾディアーツを右のフックで後方へと弾く。そして千歌を捕らえるダスタードの拘束が驚きで緩んだ瞬間を逃さず、拳を見舞い彼女から引き剥がす。仲間がやられた姿を見てパワーダイザーを危険と判断したのか、残りのダスタードも乱入者の排除へと動き出した。三体のタックルをくらいなんとか持ちこたえるパワーダイザーは、踏ん張りながら声を絞り出す。

 

『「滑り込みギリギリセーフって感じっすかね! 何か昔を思い出しますよ弦太朗さん!」』

 

「その声、JKか!? 何でお前が!? つか何でパワーダイザーがここに!?」

 

『「ダチを助けるのは当然でしょ! 説明は、後でまとめてしますんで!」』

 

 ダスタードを振り払い、ゾディアーツの攻撃をくらいながら注意を引くために突進していく様はぎこちない。体力を使うパワーダイザーの操縦に、久々のJKもやはり切迫しているようだった。長い間のブランクがあるためか、歩き方も腕の振りも決して滑らかと言えるようなものではない。何が起きているのかわからない三人は言わずもがな。現状に頭が追い付かず呆然とする弦太朗だったが、そんな彼の耳に嫌でも冷静になる声が聞こえた。

 

「松浦君。予定が変わったのなら早めに連絡をしてくれと伝えたはずだ。客がいるのならこちらも日をずらすなり対応ができる。研究に協力してくれているのだからそれくらいの折り合いは当然つけるさ」

 

 背後からかけられた慣れ親しんだ声。顔を見ずとも間違えるはずがない。

 

「それと弦太朗。君を閉じ込めている檻は画架座のゾディアーツ、ピクターが能力でコズミックエナジーを物質化したものだ。生身の人間が寄り集まったところでどうこうできる代物じゃない」

 

 振り返る。そこには、頼りになる親友の顔があった。

 

「賢吾……!」「歌星先生……?」

「「……知り合い?」」

 

「説明は後でまとめてと言っただろ。この状況を切り抜けることの方が先決だ。と、その前に」

 

 仮面ライダー部のシールが貼られたアストロスイッチカバンとジェラルミンケースを引っ提げた白衣姿の賢吾は、弦太朗の前に立つ。その表情は、久々に会った親友に対するものでも、軽口を叩けるような優しいものではなかった。何となく、言いたいことがわかってしまった弦太朗は静かに次の言葉を待つ。

 

「弦太朗、約束したはずだ。今の君にゾディアーツと戦える力はない。遭遇しても戦わず逃げろと」

 

 なぜ逃げなかった? 冷たい口調で言い放たれた言葉に弦太朗は押し黙る。

 逃げられる状況ではなかった。逃げる前に捕まった。そう言えば納得してもらえるのかもしれない。実際、隙などありはしなかった。しかし、それだけの余裕があったとしても逃げなかっただろうと自分で予想がついてしまう。それは驕りや、約束を蔑ろにしたとかそういう話ではなくて、もっと単純なもの。

 空気に耐えきれずおろおろと擁護しようとする千歌や曜を制して、弦太朗はまっすぐに賢吾の目を見る。

 

「約束を忘れたわけじゃねぇ。ただ俺は、ダチを見捨てるような男にはなりたくなかったんだ。生徒に背中を向けるような教師にもな」

 

「……だろうな。それでこそ如月弦太朗だ」

 

 笑みを溢す賢吾は、ジェラルミンケースからあるものを取り出す。それは片手にはあまりにも大きく、澄んだ空に近いクリアブルーを基調とした装置だった。レバーと、そして四つのスイッチが嵌め込まれたそれ━━━フォーゼドライバーを賢吾は弦太朗に差し出す。

 

「君が最後に触ったときから何も変えていない。手は尽くしていたからな。使え」

 

「使えって、それじゃ使えないだろ」

 

「俺はずっと考えていた。何が足りないのか。装置としてそれ以上の手の施しようはない。なら何故起動しないのか。原因はなにか。……それは君だ」

 

 そう言って、賢吾は弦太朗にドライバーを押し付ける。反射で受け取ってしまった弦太朗は、ただじっと胸に収まるフォーゼドライバーを見つめ、頭のなかで賢吾の言葉を反芻させる。

 

「アストロスイッチは気持ちのスイッチ。君はそう言った。なら、足りないのは弦太朗の気持ちだ」

 

「俺の、気持ち……?」

 

「思い出したんだよ。君が戦い続けてきたのは、君が戦いたいと、何かを守りたいと思えていたからだ。しかし最近の弦太朗は変身することに抵抗があった。それをアストロスイッチが感じ取っていたんだろう」

 

 ガチャリと重々しい音をたてるドライバーへと視線を落とした。懐かしささえ感じるその姿から、これまでの思い出が流れ込んでくる。ゆっくりと目を閉じれば、瞼に焼き付いたあの頃が鮮明に映し出された。

 初めて変身したとき。それはまだダチと呼べない賢吾の代わりに、体の弱い彼の代わりに怪物を退治したかった。それからもダチを守るために、目の前の敵を倒すために変身し続けた。色んな思いの人間がいて、道を踏み外すこともあって、根性の曲がった人間もいて、後悔することもあって、ぶつかり合うことがあって、それでも手を、絆を繋いできた記憶。怪物は倒す、でもダチにはなる。その一直線がいつか一つの道になると信じて走り抜けた青春の日々が、弦太朗に再び力を与える。

 

「今の、君の心はどうだ?」

 

 賢吾の言葉に、弦太朗は笑ってフォーゼドライバーを腰に宛がった。ドライバーから伸びるベルトは久々にやってきた相棒の思いを汲み取るように自動で巻き付き、その様相を変える。弦太朗の闘志に火を付けるのは、コズミックエナジーだけの影響ではない。

 

「そんなもん決まってんだろ」

 

 四人が見守るなか、弦太朗はドライバーのスイッチソケットに付いた赤いトランスイッチを順に押していく。一つ一つアストロスイッチの力が解放されていき、内蔵されたコンピューター・AXS-4000に伝達されたコズミックエナジーがステイタスモニターに反映される。

 

「今も昔も、俺の心の真っ直ぐは変わらねぇ」

 

《3……》

 

 機械の声がカウントを始める。左腕を構え、右手をエンターレバーに添える。逸る心を押さえつけ、そのときを待つ。

 

「ゾディアーツは倒す。人は助ける。そんで、そいつとダチになる。それが俺の一直線だ」

 

《2……》

 

 弦太朗の様子が変わったことに気がついたのか、パワーダイザーに手を焼いていたゾディアーツ・ピクターは苛立ちを露にして右手を振るう。

 

『「ギシギシ雑音を振り撒いて! 邪魔なのよ鉄クズ! どけ《pesante》!」』

 

『「うわ!?」』

 

 顕現したアルファベットにぶつかったパワーダイザーは、まるで鉄球にでもぶつけられたかのように大きく体を傾かせた。はねられた巨体は体勢を保てずに後退し、強過ぎる衝撃に作用した緊急時脱出機能によってJKはコックピットから排出される。かなりの無茶をしていたのだろう、肉体の限界に近い疲労をみせ、玉のような汗を流すJKはピクターの意識が弦太朗たちにあることを察して、出せる全力の声で叫んだ。

 

「賢吾さんたち! 伏せてーー!!」

 

「だから頼むフォーゼドライバー! 俺にもう一度、生徒を、ダチを助ける力を貸してくれ!」

 

《1……》

 

「変身!!」

『「消えろ!(sforzando)! 消えろォ!(fuoco)!」』

 

 弦太朗がエンターレバーをいれるのと、ピクターが攻撃を放ったのはほぼ同時だった。右手で描かれたアルファベットが混じり合い、赤く燃え上がる塊が右手を高く掲げた弦太朗へと吸い寄せられていく。檻に着弾した塊から広がる爆風と熱気が、伏せた四人を後ろに吹き飛ばす。余波で十分な威力を発揮する攻撃に、千歌は直撃した弦太朗の身を案じる言葉さえ飲み下してしまった。煙と砂埃は絶えず沸き立ち、視界はお世辞にも良好とは言えない。見ていた誰もが諦めた。

 ただ、確信した賢吾を除いて。

 

 聞こえたのは金属の破裂音だった。バキンと甲高く、煙の中から勢いよく飛び出してきた檻だったものを見て、ピクターは表情を歪ませる。

 

『っしゃあ!』

 

 煙を切り裂く白い腕。背中に付いたブースター。露になった全身のフォルムは白く、メカメカしいが全体的に角張った印象はない。一歩踏み出し現れたその姿に、千歌は疑問を口にした。

 

「宇宙飛行士……?」

 

『久々に、宇宙キターッ!』

 

 体を×の字に大きく広げ、そう宣言する白い存在。声からして弦太朗であることに疑いはなく、賢吾の安堵した表情と、檻から解き放たれたことによる身軽さを背中が語っているのだから間違いないだろう。賢吾が、千歌の疑問に答えた。

 

「あれはフォーゼ。自由と平和を守る、仮面ライダーと呼ばれる戦士だ」

 

 二度自分の胸を叩き、右の拳を一直線にピクターへと向ける。それはいつだって、弦太朗が自分の気持ちをぶつけるときにする仕草。白き異形……仮面ライダーフォーゼは力強く宣言した。

 

『仮面ライダーフォーゼ。タイマン張らせてもらうぜ!』

 

『「仮面、ライダー……ッ!!」』

 

 言うが早いか、フォーゼは憎らしげに肩を震わせるピクターゾディアーツへと駆け出していく。二体のダスタードがピクターを庇うように立ち塞がるがものともしない。フォーゼが飛び上がると背中のブースターが作動し、落下とブースター二つの勢いを得た弦太朗我流の喧嘩殺法が人間を優に越えた腕力を発揮する。一撃食らえばゾンビのようなダスタードでさえノックアウトする拳を振るえば、降り立った勢いに任せて体を捻りもう一体に蹴りを見舞う。立ち上がってくるダスタードの胸に蹴り、殴りかかってくればそれを避けて胸ぐらを掴み投げ飛ばす。数年離れていたとはいえ、体が勝手に戦い方を思い出していく。あり過ぎる力の差に残り二体がフォーゼへと体当たりを食らわせるが、それも意味のない攻撃だった。

 

『そんなもん効くかァァッ!』

 

 二体の体を両腕で挟み回転することで、遠心力を利用して放り投げる。起き上がったばかりの先の二体にぶつけ、動きが鈍った瞬間を弦太朗は見逃さなかった。賢吾と果南がJKを連れて後退したのを確認すると、プロレスは終わりだとばかりに肩を大きく回す。

 

『そういや、ダチと生徒の礼がまだだったな』

 

《LAUNCHERーRADERーON》

 

 スイッチソケットに挿入されていた「No.02ランチャー」と「No.04レーダー」の二つを同時に起動する。オンになったスイッチが中に秘められたコズミックエナジーを、フォーゼをサポートするモジュールへと変換し対応する部位に刻まれたモジュールベイスメントに物質化していく。右脚、そして左腕に装着されたランチャーモジュールとレーダーモジュールは、展開が完了すると同時にその真価を発揮する。

 

『キツいのお見舞いしてやるぜ!』

 

 レーダーモジュールが四体のダスタードの姿を認識し狙いを定める。ロックオンされたことを確認したフォーゼが右脚に力を込めると、ランチャーモジュールからコズミックエナジーで生成された強力なミサイルが五つ発射された。危機を察知したのか四体は散り散りに逃げるが、レーダーによって追尾機能が付与されたミサイルは正確に四体を撃ち抜く。吹き飛ばされ地に伏せるダスタードは完全に沈黙し、起き上がってくる素振りはなかった。それどころか体はサラサラと分解していき、身構えていたフォーゼの目の前で塵となって風に溶け込んでいく。テレスコープは散っていく僕だったものを見ているだけで、不審げに見守るフォーゼすら眼中にない様子だった。

 

『「どいつもこいつも私の邪魔ばかり……! いい加減鬱陶しいのよ(secco)!!」』

 

 ギリギリと歯軋りをし、ピクターは右手を振るう。現れたアルファベットは弓を引くような斬撃となってフォーゼを襲った。一歩飛び退いて回避した弦太朗は、コンクリートを綺麗に抉る攻撃に冷や汗が垂れるのがわかる。フォーゼの装甲が無ければ、足の一本くらい簡単に持っていかれているだろうことは想像に難くない。

 

『当たったら痛そうだな』

 

『「痛いですめば(secco)! いいですね(secco)!」』

 

 しかし、攻撃自体は読みやすい。必ず右手を振らなければならない点を注意し、体から伸びてくる五線譜さえ警戒できれば回避にはなんら問題ない。そもそも中距離、遠距離の立ち回りが基本のピクターにフォーゼがとれる戦法は一つだ。

 

『そんじゃ、こっちもいかせてもらうぜ!』

 

『「ふふっ……。倒せるものなら倒してみなさい!」』

 

 右へ左へと避けるだけではない。駆け出したフォーゼはスーツによって補正された脚力で一気に懐へと潜り込む。近距離で警戒すべきは長い爪の左手と五線譜。あの蔦で動きが封じられれば大きな隙を作ることになってしまう。まずは大振りの左腕を弾いて脇に蹴りをいれる。怯んだ胴体に休まず拳を叩き込み、顔を殴りそうになった手を抑えて腹に蹴りを見舞う。スイッチャーである梨子が戦うということに馴れていないせいか、近づいてしまえば気味が悪いほどに脅威を感じられなかった。寧ろわざと攻撃をくらっているような気さえしてくる。

 手応えのなさに首を捻る弦太朗。途端に優勢に傾いたことを疑問視する賢吾の耳に、とても聞き取りやすい声が聞こえた。

 

「あら、倒しちゃうの?」

 

 いつの間にか人間の姿に戻っていた遠望が一人パラソルの影で呟いた。不気味なほど真っ白な顔を美しく歪ませ、釣り上がった唇は満足げに三日月を描く。湿っぽい風に吹かれて純黒のドレスを揺らす彼女は、警戒する賢吾たちをよそに笑みを携えて佇んでいた。

 

「女の子にはちょっとショッキングな映像になりそうね」

 

「どういう意味だ?」

 

 疲労困憊のJKと怯えを見せる少女たち。弦太朗も気にはしているが、ピクターの相手をしているため対応はできない。最善の判断として、警戒を解かずに一歩前に出た賢吾はそう問い返した。ちらりと視界の端に彼を映した遠望は、不敵な笑みで異形の戦いに目を向ける。

 戦況はどう見てもフォーゼが優勢に進んでおり、一見すればピクターの敗北は揺るぎ無いものだろう。スイッチをオフにして観戦に回っている遠望にも疑問を覚えるくらいだ。それでも、ピクターの戦い方には全くと言っていいほどに焦る様子がなかった。押されている同胞を眺め、遠望は口を開く。

 

「コズミックエナジー研究の権威、歌星教授ならもちろん知っているでしょうけど、ラストワンは言わばコズミックエナジーの塊。リミットブレイクによってその形が崩壊すれば、爆発するエネルギーは人体の耐えられるものじゃない。排出されていない梨子の体は無事じゃすまないわ」

 

「排出されていない……? まさか、ピクターまで変則的なラストワンなのか!? 弦太朗! 足止めしてカメラを使え!」

 

『おう、わかった!』

 

 フォーゼへと指示を出し、苦々しい顔をして賢吾はアストロスイッチカバンを起動させる。ピクターを蹴って距離をとった弦太朗は、指示通り「No.06カメラ」と足止めの「No.12ビート」をスイッチソケットへ挿入し、すぐさまスイッチをオンにする。

 

《CAMERA》《BEET》

《BEETーCAMERAーON》

 

『耳塞いでろよ!』

 

 放送用のビデオカメラを連想させるカメラモジュールが左腕に、大型スピーカーのビートモジュールが右脚に展開される。低音域と高音域の両方を操るビートモジュールから放たれる大音量の不協和音が辺り一帯に拡散し、ピクターゾディアーツの足を止める。事態の転換を静観するだけの遠望は、テーブルに自分のスイッチを転がして遊んでいるだけだった。

 耳を塞いでいる後方の千歌たちすら堪らず膝をつくほどの音に、踞るピクターは恨み言を溢す。

 

『「よくもこんな雑音を……!」』

 

『賢吾! どうだ!』

 

 ピクターに向けられたカメラモジュールは、その機能を遺憾なく発揮していた。バリアブルズームレンズとクロスビューファインダー機能を備えた超高感度のビデオカメラによって余すとこなく状況を映し取り、転送されたデータの解析結果に賢吾が目を通していく。ピクターゾディアーツ本体だけでなく周辺の温度、湿度、人には見えない物質から関知できない光や音、歪みまで分析していくなかで、一つのデータに賢吾の目が止まった。

 

『「私に向けて音の攻撃なんて、意趣返しのつもりですか……? そういうのが、甘いって言うんですよ(fine)!」』

 

 ゆっくりと立ち上がるピクターは、右手を走らせる。ビートから放たれる音波に溶け込んだfineの文字が意味するところは終わり。スイッチをオフにしていないのに音はピタリと止み、自由を取り戻したピクターは右手を振るう。

 

『「余所見はいけませんよ(fuoco)!」』

 

 カメラに集中していたためか、それともビートの拘束に油断していたのか。放たれたfuoco()はフォーゼの装甲に直撃し、派手な火花と炎を撒き散らす。後ろに大きく弾かれた弦太朗は、少なくないダメージに肺の中の空気を搾り取られた。

 

『クッソ……! やっぱ距離取ったら不利だな!』

 

 体勢を素早く立て直し、立ち上がった弦太朗はビートスイッチをオフにして反撃のためスイッチを探り出す。近づいて一気に攻勢に転じようと両足用のスイッチを取り出したとき、それに待ったをかける声が上がった。

 

「やめろ弦太朗! ピクターに攻撃するな!」

 

『は!? 攻撃するなってどういうことだよ!』

 

『「また余所見。随分と余裕ですね、先生(fuoco)!」』

 

 迫り来る炎を受け、注意を怠ったフォーゼはまた後ろに弾かれる。今が攻め時だと判断したのか、ピクターは笑いながら猛攻を仕掛けてきた。fuoco()を体で受け止め「No.18シールド」スイッチを取り出したフォーゼは、カメラスイッチをオフにして取り替える。

 

『全員俺の後ろに隠れろ!』

 

《SHIELD》

《SHIELDーON》

 

 カメラと交代に左腕に展開された、スペースシャトルを模したシールドモジュール。後ろに控えた仲間に一発だって漏らすまいと、シールドと体で攻撃を防ぎながら弦太朗は賢吾へと声だけを向ける。

 

『攻撃するなってどういうことだよ』

 

「スイッチとスイッチャーの融合率が異常に高かった。そのせいでダメージを受ける度、取り込まれたスイッチャーへコズミックエナジーが逆流している。このまま攻撃を続ければゾディアーツと肉体が完全に融合してしまう」

 

『は!? じゃあどうしろってんだよ!』

 

「スイッチをオフにするしかない。だが今リミットブレイクすれば、遠望の言った通りスイッチャーは無事ではすまないだろう。しかもスイッチャーの脳波は眠っているときと同じだった。ゾディアーツ体に宿った自我がスイッチャーの意識を眠らせている状態だ」

 

『そういや、夜がどうだのって言ってたな』

 

「仮に、肉体とゾディアーツ体が完全に融合する前にリミットブレイクできて肉体を無傷のまま解放できたとしても、二郎君のように眠ったままになってしまう可能性が高い」

 

『オフにするには倒すしかねぇし、倒しちまうと梨子は目覚めない。手の打ちようが無いってことか?』

 

「ゾディアーツの状態が長く続けば、立神や我望のようにスイッチの消滅とともに肉体が消滅するリスクもある。このまま放っておいてもスイッチャーの意識をゾディアーツの自我が取り込み融合してしまう。手をこまねいている時間もない。スイッチャーが目を覚ませば自らの意思で抜け出すこともできるだろうが……」

 

 そこで一旦言葉を区切った賢吾だが、言いたいことは話を聞いていた全員が理解していた。手詰まり。八方塞がり。そんな言葉でしか説明できない。このまま防戦を続けていても事態は深刻化していき、危険な存在へと進化してしまう可能性もある。手を打つなら早くしなければならない。暗にそう言っているということを。

 一つの結論を導き出してしまった賢吾は表情に影を落とし、届きそうで届かない距離に自然と弦太朗は奥歯を噛み締める。

 

「泣いてたの、梨子ちゃん」

 

「千歌ちゃん……?」

 

 お通夜のように静まったなかで、千歌が呟いた。爆炎を防ぐ弦太朗も、悔しそうに眉間にシワを寄せていた賢吾も、彼女の声に耳を傾ける。

 

「あの怪物が私を殺そうとしたとき、確かに聞いたの」

 

 ーーー

 

 死を覚悟し、目をつぶる。一時でも痛みを柔げられるのならと暗闇の中に逃げ込んだとき、千歌の鼓膜を震わせたのはたった一言だった。

『「ごめんなさい」

 たったその一言で、千歌の瞼は驚くほど速く開いた。目に写るのは真っ黒な怪物。でも確かに見えたのだ。頬を伝う、一筋の滴が。

 

 ーーー

 

「あれは梨子ちゃんだった。きっと梨子ちゃんだって苦しいんだよ! 私は、梨子ちゃんを助けてあげたい!」

 

「それは我々も同じだ。だが感情論だけでどうにかなる問題じゃーーー『千歌』

 

 諭すような賢吾を制したのは、他でもない弦太朗だった。迫る炎を防ぎながら、こちらを向くことのないフォーゼは淡々と問う。

 

『何か案があるのか?』

 

「あります」

 

 振り返ることはない。ただその背中を一心に見つめる千歌には、弦太朗の言葉が自分の心の底を覗いているような気さえしていた。

 

「        」

 

 だから嘘偽りのない気持ちを言葉に乗せて、ぶつける。使える頭はフルで活用する。あの怪物の言葉尻を取って懸命に考える。せっかく出会った“友達”を救うための知恵を絞る。

 

「        」

 

 曜はただ目を丸くしているだけだった。普通を自称する幼馴染みが、初めて見る怪物相手にとる作戦があまりにも突飛だったからだ。しかし真剣な千歌の表情を見て、何となく、嬉しくもなる。

 

「        」

 

 かなり無茶なことを言うだろうと果南は思っていた。実際、話を聞けば無茶もいいところだった。一歩間違えれば死にかねない危険な賭け。大博打で確率は五分五分。それでも揺るがない千歌の目に、果南は黙って聴くだけだった。

 

「    どうかな?」

 

 言葉にしてみて、自分が何を言っているのかようやく理解する。それでも後悔はなかった。やらずに失って後悔するより、やって得るものの方が大切だと思えたからだ。お人好しの彼なら、もしかしたら却下されるかもしれない。そんなことを考えて震えた言葉を受け取った弦太朗は、千歌の気が抜けるほどあっさりと頷いた。

 

『よし、それでいこう。場所と合図は頼んだぞ賢吾』

 

「待て弦太朗。いくら手がないとはいえこの作戦は無謀過ぎる! 素人の考えた作戦が通用するとは思えない。失敗するリスクを考えろ!」

 

『考えた。それと、無謀なんてことはねぇよ。なあ千歌。お前はあいつの、梨子の何だ?』

 

「私は……」

 

 そう問いかけられ、眉を潜める賢吾の視線を強く受ける。自分が誰かの何かなんて、千歌が生きてきてこれまで考えたこともなかった。

 

「わた、しは……」

 

 言葉につまる。どんな答えでもこの歌星賢吾という人は無茶だというのかもしれない。でもそれは頭ごなしな否定ではなくて、この場にいる人間の誰よりも最善を考えてのことだということはわかっている。言葉が喉で止まる。頭がぐるぐると回り出す。本当にいいのかと疑問が浮かぶ。声が小さくなる。思いが弱くなる。視線が落ちる。

 

 そのとき、自分の右手が見えた。

 

 目が開く。思い出す。約束を、あの時海岸で見た笑顔を。そして初めて見たときの切なそうな顔を。

 クラスメイト? お隣さん? 違う。もっと大切なもの。

 

(守りたい。絶対に、見捨てたりなんてしたくない……!)

 

 いつか刻んだシルシを胸に、右手を宝物のように抱き締めた千歌は狂ったように腕を振る怪物を見て答えた。

 

「……私は梨子ちゃんの、友達です」

 

 的外れだっただろうか。目を丸く開いた賢吾は数秒の間を置いてくつくつと堪えた笑いで喉を鳴らす。やがてそれだけでは耐えきれなかったのか、大きく口を開けて笑いだした。馬鹿にされているだとか、そういった嫌な笑いではない。心底楽しそうな笑顔で笑い終わった賢吾は、晴れやかな顔を千歌に向ける。そこには、先程までの迷いも苦悩も、微塵もなかった。

 

「今日はよく驚かされる。そうか、友達か」

 

 なら何の問題もないな。目を細めた賢吾は、そう告げた。

 

 

 

 

《CHAINARRAY》《PEN》《WHEEL》

 

 ピクターが変化に気づいたのはすぐだった。爆煙の舞う的役から機械的な反撃の音声が聞こえたとき、梨子を犠牲にすると決めた彼らの判断に内心でほくそ笑む。散々友達だなんだといっていた正義の味方の落ちぶれた顔を見てやりたいと、胸の内で渦巻く黒いものが色濃く顔を出した。

 

『「あらら。諦めちゃうんですね」』

 

《WHEELーON》

 

 左脚に二輪のタイヤ、ホイールモジュールを展開したフォーゼがシールドモジュールを盾にして猛スピードで突進を仕掛けてくる。愉快そうなピクターを撥ね飛ばしたフォーゼは素早く「No.26ホイール」をオフにし「No.13チェーンアレイ」を起動することで右腕に鎖付き鉄球のチェーンアレイモジュールを装備した。

 

《CHAINARRAYーON》

 

『「そうですよね。一人の命で大勢が救えるなら、切り捨てても仕方ありませんよね」』

 

 挑発的な物言いを無視し、ゆっくりと起き上がるピクターとの間合いを計りながらタイミングを逃さないようその時を待つ。ガントレットから伸びる鎖と約一二〇㎏のスパイク付き鉄球を回しながら、フォーゼは言葉を返すことなく静かに構えた。

 その姿は、怪物の無機質な目には滑稽に写る。痛いところを突かれて黙っているようにも、選択の余地のない現実に意気消沈しているようにも見えたからだ。ドス黒い感情が沸き起これば(ピクター)の存在は強まり、残るわたし(梨子)の存在をじわじわと飲み込んでいく。

 

『「友達だ生徒だと言いながら、先生は何も救えない。でも私ならわたし(あなた)を守ってあげられる。やっぱり私は正しかった! 雑音(たにん)なんて必要ない。スクールアイドルじゃ笑顔になんてできない! 私だけがわたしを理解してあげられる!」』

 

 ピクターは駆けた。一撃をもらうために。フォーゼの、弦太朗の心を折るために。モジュールによる強力な攻撃を受ければダメージの加減で梨子との融合は加速するだろう。取り込んだ梨子の意識は埋没し、自身は異物のない純粋な存在(桜内梨子)になれる。見捨てられた梨子の苦しみや悲しみが強まれば、負の感情で力が増大するゾディアーツスイッチの更なる力を引き出すことができるはずだ。

 案の定、フォーゼはピクターの一歩目と同じタイミングでチェーンアレイモジュールを投擲した。鉄球は手から離れ、ガントレットから絶え間なく射出される鎖を軌跡として恐ろしいまでの破壊力でピクターへと迫る…………はずだった。

 

『悪ィけど俺たちは諦めが悪くてな!』

 

 投げられた鉄球はピクターを狙ったものではなく、水平に右へと飛んでいく。しかしそれは手が滑っただとか、単なるミスではない。腕ごと鎖を振るって鉄球を迂回させたフォーゼの狙いは、ピクターを倒すことではなかった。鉄球がピクターの後方を通過すると同時に、鎖はピクターを起点に形をくの字に曲がる。目的を察したときには時すでに遅く、鉄球の重みで反動の付いたチェーンアレイモジュールは抵抗を許さずピクターに巻き付き拘束した。

 

『「こんなもの、すぐに壊してあげますよ!」』

 

『させるか!』

 

《PENーON》

 

 文字を書こうとする右腕に、「No.25ペン」の起動と共に右脚に展開された巨大な筆・ペンモジュールで真っ黒なインクを塗りつけた。速乾性の高い同質のインクがたちどころに筆を固め、ピクター固有の描く能力を封じる。

 

『これでもう描けねぇ。体の蔦も縛った。能力は封じさせてもらったぜ!』

 

 鎖を手繰り、ピクターの胸ぐらを掴んだ弦太朗は額がぶつかりそうなほど顔を引き寄せた。本当なら、梨子を縛るこの怪物に頭突きの一つでもかましてやりたいところだが、その一切の感情を飲み込む。しかしそれはピクターも同じだった。手が出せないとわかっているが故に、余裕の態度を崩すことはない。まるで焦りのない立ち振舞いで、彼女は弦太朗に向けて毒を吐いた。

 

『「だからどうしたっていうんですか? 例え能力を封じたとしても、倒せなきゃ意味はないんじゃないですか?」』

 

 クスクスと嘲笑されているにも関わらず、フォーゼは至って冷静だった。殴るわけでも怒るわけでもない。ただ静かに、弦太朗はピクターの瞳の奥にあるゆらぎを覗いていた。

 

『お前、梨子を取られるのが嫌なんだろ』

 

『「……ハァ?」』

 

 途端、ピクターは笑い声を引っ込め低いドスのきいた音を漏らした。余裕も何もかもを簡単に手離して見せた反応に、弦太朗の疑問は確信に変わる。

 

『千歌からさっき聞いた。梨子が一年前挫折したこと、立ち直るために海の音を探して引っ越してきたこと、内浦で千歌と出会ってスクールアイドルを初めて知ったこと、今日ここに来る約束をしたとき改めてダチになったこと。お前の恨みが向いてるのは、全部梨子が前を向こうしたことだ』

 

『「……私に揺さぶりをかけて梨子(この子)から引き離そうという魂胆ですか。言い掛かりも甚だしいですね」』

 

『お前の言う雑音ってのは、梨子とお前を引き離す全てだ。だからイレギュラーな俺を消したがったし、ダチやスクールアイドルを否定する。違うか?』

 

『「違いますよ。私の言う雑音は、梨子の邪魔をする全てです。梨子は純粋な音楽を求めている。自分の音を、海の音を。そこに友達やスクールアイドルなんて雑音は不要です。それを取り除けるのは、梨子そのものである私だけ。だからあなたたちを消したいんです。わかりましたか?」』

 

 挑発的に覗きこむピクターの目は、おちゃらけているようにも真剣なようにも見えた。奥にあったゆらぎはいつの間にか見えなくなり、奥の奥へと追いやられたのだと直感が告げる。ただ言えることは、弦太朗をたしなめるほどの余裕が見えなくなっているということだけ。それだけでも、布石は打てたことを確信する。

 不意に、海の方から光が差した。それが作戦開始の合図だと理解している弦太朗は、左脚のスイッチを「No.09ホッピング」に差し替える。

 

《HOPPING》 

 

『でも梨子はそれを望んじゃいない。今からそれを証明してやる!』

 

《HOPPINGーON》

 

 左脚に展開されたホッピングモジュールはバネを利用してフォーゼに跳躍力を与える力。常時発動され制御の難しい反面、操れれば素早く変則的な攻撃を加えられる特殊なスイッチでもある。何度かのタメを行って、鎖に繋がれたピクターごと大きく垂直に飛び上がったフォーゼは起動していた全てのスイッチをオフにした。拘束が解かれたピクターだが、能力を封じられているため地上四〇mの高さでは何をどうしたって逃げ延びることはできない。そもそもこの高さから地上に落下すれば梨子どころかゾディアーツ体である自身の身さえ危ないだろう。気持ちの悪い浮遊感が三半規管を支配する。恐怖による離別を狙ったのかと考えるが、そんな力業で対処に乗り出すとは思えない。ピクターには弦太朗の考えがさっぱりだった。

 しかし、助かる絶対の自信はあった。

 

《ROCKET》

《ROCKETーON》

 

 諦めないと言った弦太朗が梨子を見殺しにするはずがないという自信だ。案の定、空中でのフォーゼの動きは予想通りのものだった。

 「No.01ロケット」スイッチによって右腕に巨大なロケットモジュールを装着したフォーゼが自然落下を始めたピクターを受け止める。身動ぎをする余裕さえ無いほどしっかりと固定された胴回りに抵抗を試みるも、フォーゼに手を離す様子はなかった。淡島を周回し海の上を飛ぶフォーゼが何を考えているのか、仮面の上からでは伺い知ることはできない。

 ぐっと、体にかかる圧力の方向が変わる。

 

『梨子、お前宛の伝言だ。一つ目、「終わったら私も、梨子ちゃんって呼んでいいかな?」』

 

 その言葉を聞いて、何故か心がざわついた。

 

 高度が低下し、徐々にフォーゼは海面に近づいていく。そこで初めて、ピクターは向かっている方向に一隻の船が浮いていることに気がついた。どこか見覚えのある船体は、朝方乗っていた小型のクルーザー。常人離れした知覚をもってすれば、そこに待ち構えるように男が一人立っているのが見える。最もイレギュラー要因となった仮面ライダーフォーゼの復活に貢献した忌々しい白衣を見間違うはずもない。

 どうしてそんな人間が海の上にいるのか。

 

『二つ目、「海は必ず答えてくれる。信じて」』

 

 何かわからないが、とにかくまずい。

 直感と言うよりも、予感に近い。なおもざわつく心に、ピクターは自分(じぶん)の変化に薄々感づき始めていた。

 

『「梨子、聞く耳なんてもたなくていいの! あなたは私が守ってあげるんだから!」』

 

 心のどこかがベリベリと剥がれていくような感覚に、ピクターは焦りを感じた。閉じたままであり続けるはずの瞼がゆっくりと開くような、とてもじゃないが喜ばしい感覚ではない。違和感が広がる内面に恐怖を覚え、フォーゼから離れようと必死にもがくが捕む腕は決してほどけない。

 

『「離せ! 離せ!!」』

 

『最後に、「友達だから約束は絶対守る」。あいつらの思いは一つだ。ちゃんと受け取ってこい!』

 

 海面すれすれで手を離したフォーゼに押し出され、ピクターは一直線に青の世界へと潜り込んでいった。海水の抵抗で徐々に減速していくも、自分の手さえ見えない真っ暗な世界の中では上も下もわかりはしない。宇宙空間でも生命活動が続けられるゾディアーツの体だからこそ無呼吸で耐えきれるが、この孤独の中では体より心の方が先に根をあげてしまいそうだった。

 

『「真っ暗な世界。まるでわたしの心の中。これじゃ何も見えない。何も聴こえない」』

 

 現にピクターの胸の内の違和感はなりを潜めていく。何を企んでいたかわからず仕舞いだが、目論みは外れたようでピクターは気を緩めた。

 何よりフォーゼから解放されたのは、ピクターにとって嬉しい誤算だ。このまま海底に潜って逃げおおせれば、今すぐにとはいかないが梨子と完全に同化することもできる。そうすれば自分の力は増し、フォーゼを、友達を、スクールアイドルを排除することもできるようになるだろう。ようやく一つになることができる。そう考えると気がはやる。

 

 その時、一匹の魚が目の前を通り過ぎた。

 

 

 

 

 

「どうして急に乗り気になったんですか?」

 

「作戦のことか?」

 

 操縦席から問いかける果南に、デッキでフラシェキーを片手に二本の命綱を見守る賢吾は問い返した。喉奥につっかえたようなぎこちない話し方をする果南は、無言のまま眉間にシワを寄せて神妙な面持ちで答えを待つ。

 果南には不思議だったのだ。まだ数えるほどの日数しか交流はなく、歌星賢吾という人間を深く理解しているつもりはないが、無謀な賭けに乗るような人間だとは思えない。小を救うために尽力を惜しまず、いざというときは犠牲の責任を負える人間。考えに考え尽くし、最もベストな解決策を選びとれる賢い人物。行動を共にすることがあった果南にはそういう風に写っていたからだ。

 どう返すべきか悩んでいるのか、一拍分息を吐いた賢吾は気恥ずかしげな一人言のように呟いた。

 

「友達というものを信じているから、かな」

 

 その言葉に、果南は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。驚きで点になった目に反射する賢吾は、その沈黙にやはり恥ずかしさを感じたのだろう、決してこちらを向くことなく早口で捲し立てる。

 

「俺も最初は友達だの友情だの馬鹿馬鹿しいと思っていたさ! ……でも弦太朗が教えてくれたんだ。信じるということ、繋がるということの大切さを。だから信じているんだ。不可能を可能に変えてしまう、友達ってやつの力を」

 

 来たぞ! と表情を引き締めた賢吾は手を上げた。命綱が二回引っ張られるのを合図に、賢吾は手にしていたフラシェキーを起動させる。フラシェキーは最後の一踏ん張りとスイッチに残されたコズミックエナジーを絞り尽くす勢いで光輝く。出遅れはしたものの果南も我に帰り、クルーザー全ての照明のスイッチを入れて一点に照射させた。それは陸で待ち構えていたパワーダイザーも同様で、放てる最大光量を同じ箇所に照射する。太陽よりも眩しい光が海の中へと注がれ、波の動きが上澄みを乱反射させる。期待と不安の入り交じる賢吾は、両手を強く握りこんで祈った。

 

「頼んだぞ、二人とも……!」

 

 

 

 

 

『「なに? 光……?」』

 

 煌めく魚の姿と海面から射し込む光に、ピクターは首を傾げた。先程までの空は太陽のたの字もない、いつ雨が降ってもおかしくない曇天だったはずだ。それが唐突に、こんなピンスポットのように日の光が射すなんてことはありえない。見上げると一部だけが目映い光に照らされていて、そこから光が広がっているのがわかった。

 

『「光……」』

 

 右手が、吸い寄せられるように光へと伸ばされる。

 それは無意識だった。筆の成れの果てとなった右手は考える間もなく光へと伸びていく。この真っ暗で孤独な世界から垂れてきた一本の蜘蛛の糸を掴まんと、手が延びるのは必然だったのかもしれない。しかし、ピクターゾディアーツはその右手を長い爪が備わった左手で掴んだ。

 

『「どうして、右手が勝手に……!」』

 

 どれだけ押さえ込もうと、右手は照らす光へと伸びていく。この真っ暗な世界を拒絶するように、ただ右手には光への渇望があった。光に触れる。そんな気がしたときだった。

 

 

 ━━ ━

 

 

『「!?」』

 

 耳に届いたのは、確かな音。今まで聴いたどの音よりも美しい高音が頭の中に広がり、響き、奏でられる。心がざわつく。もっと聴きたい、あの美しい音を。そんな欲がピクターに生まれるが、首を払ってその思考をかなぐり捨てる。

 

『「やめなさい梨子! こんなものにすがってなんになるって言うの!」』

 

 

 ━━ ━━━ ━━ ━

 

 

 右手は収まらない。触れれば触れるほど音はピクターの中に溢れていき、聴けば聴くほど心のざわつきが蘇ってくる。光は止まることを知らず、真っ暗だった海の中を照らしていく。影に隠れて見えていなかった魚たちの群れがキラキラと光を纏い、ピクターの異形を意に介さず通り過ぎていった。そのキラキラでさえも音を宿し、駆け抜ける大群は無数の音楽となってピクターを責め立てる。

 体が拒絶する。痛みが全身に走る。張り付けていた糊ごと引き剥がされているような感覚がピクターを襲う。

 

  「ねぇ、聴こえてる? 梨子ちゃん」

 

『「誰!? わたしを呼ぶのは! やめろ! わたしを呼ぶな! わたしは、私のものだ!」』

 

  「一人ぼっちは真っ暗だよね。闇の中って言ってた。夜は寝るのが当然だもん。だからね、私考えたんだ。どうやったら梨子ちゃんに海の音聴いてもらえるか、どうやったら梨子ちゃんが起きてくれるか」

 

『「やめろ! 黙れ! 海の音なんて聴こえなくていい!」』

 

  「簡単だった。照らせばいいんだって。朝になったら起きるもん。私には朝にすることができないからちょっと無理矢理かもだけど」

 

『「やめろ! 梨子がやっと私を見てくれたんだ! 嫌いだ! スクールアイドルも! 友達も! 梨子から音楽を取り上げて一人にしたくせに、またそうやって私から梨子を奪うんだ!」』

 

 もがき苦しむピクターの右手に、何かが触れた。柔らかな感触。伝わってくる暖かさ。響く優しい鼓動はそれだけで心安らぐ音となり、ピクターの中に溢れていた海の音と重なりあう。

 左手も誰かが握る。そこから伝わってくるのは右手とも、海ともまた違う音色。とても落ち着いた静かさと、しかしどこか寂しげで元気のある音。

 それぞれは何の感動も生まない二つの音。ごくありふれた、耳にもつかない雑音なのかもしれない。それでもいつしかどこからか流れてきた四つめの音が重なり、バラバラのメロディーが一つに溶け合う。それは紛れもなく、雑音なんかではない“音楽”だった。

 

 繋がれた両腕から、人の手が抜け出た。

 

『「駄目よ梨子! また裏切られるのよ!? また傷ついて大切なものを失うことになる! 私と一つになれば、私はあなたを裏切ったりなんてしない!』

 

 ピクターが泣きじゃくる子どものように駄々をこねるが、体から梨子はベリベリと剥がれていく。痛みが、悲しみが、苦しみが、海に溶け込むように抜け落ちるのがわかる。体に散りばめられた音符が剥がれ落ち、体に巻き付く蔦は梨子の体に引っ張られ白い繭へと変化していく。それを、じぶんを、必死でかき集めようと腕を伸ばすがピクターの指の隙間からは簡単にすり抜けていってしまった。

 

  (あなたは、私なのよね)

 

 ピクターの頭の中で、弱々しい声が鳴る。

 

『そうよ、あなたは私、わたしは貴女!』

  (私の、誰かのせいにした私の弱い部分が、あなた)

『誰かのせいになんてしてない! あれは雑音のせいよ!』

  (プレッシャーを感じていたのは、期待を背負って、誰にも相談せず一人で抱え込んでいたから)

『でも、友達はみんなわたしに失望して離れていった!』

  (私がプレッシャーで潰れたから、みんな気を使って距離をとっていた。そんなこと、わかってたはずなのに。私はそう思い込んで八つ当たりしていた)

『スクールアイドルがいなければ、μ'sがいなければ、わたしはあの学校に通うこともなかった! こんな苦しい思いをすることもなかった!』

  (初めて聞いたとき、普通だなんて嘯いた。わかってた。きっと人を魅了する何かに、私は嫉妬していただけなんだ。正面から向き合うことから逃げていたんだ)

 

 

(だから、ごめんなさいわたし。虫のいい話かも知れないけれど、私はもう一度前を向いてみようと思う)

 

 

 ありがとう。その一言を最後に、梨子はピクターゾディアーツという殻から抜け出した。手を伸ばしても、もう足を引っ張ることはできない。浮上していく三人の影に、突き放された異形の腕は届かない。じぶんという存在意義を否定され、ただ真っ暗な世界に取り残されたピクターは、より暗い場所に沈みながら一つの答えを出した。

 

『……そう。貴女の中に、もう真っ暗な世界(わたし)はいないのね』

 

『梨子は照らせる光を見つけた。真っ暗な世界を照らして、埋もれちまった雑音を音楽に変える光を。人を越えなくても、特別じゃなくても、誰かと手を繋いで腕を伸ばせば届く光を』

 

《ROCKET―DRILL―ON》

 

『人はそれを、友情って呼ぶんだ』

 

『……否定からできたわたしには、わからないわね』

 

 左足に装着された「No.03ドリル」スイッチによるドリルモジュールとともに右腕のロケットモジュールを再度展開する。左手でエンターレバーを引くことで、フォーゼモジュールシステムの真の力を引き出すことができる奥の手。スイッチに秘められたコズミックエナジーが解放され、モジュールに伝達されたエネルギーは過剰分が目に見えて漏れ出すほどの威力を顕現させる。

 

『あばよ、もう一人の梨子』

 

《ROCKET―DRILL―LIMIT BREAK》

 

 フォーゼドライバーからのコールとともに、各モジュールの出力が大幅に上昇する。右腕を引き、左足を付き出す体勢をとれば右腕のロケットモジュールの推進力でフォーゼは真っ直ぐにピクターゾディアーツへと進んでいく。海の中の抵抗さえ感じられないのはドリルモジュールの高速回転がフォーゼの進む道を切り開くから。海上を波打たせるほどの究極の一撃を、何の反応も示さないピクターへと叩き込む。

 

『ライダーロケットドリル海中キーーック!!!』

 

 ドリルモジュールがピクターの腹部を突き刺す。悲鳴のひとつも漏らさない満足げなピクターを明るい海面へと押し上げ、ロケットモジュールの力で更に上へ上へと登っていく。大きな飛沫とともに宇宙を目指して飛び出したフォーゼは、天高い空を見据えて突き進んだ。空で見た輝く海を、ピクターは目に焼き付ける。浮上した千歌と曜を含めた、顛末を見届ける全員の前でフォーゼの必殺キックはピクターゾディアーツを貫く。断末魔の悲鳴のような爆発音とともに身に宿した全てのコズミックエナジーを破裂させたピクターゾディアーツは、内に秘めた真っ暗な世界とともに内浦の空にて爆炎に飲み込まれた。

 爆発から唯一難を逃れたゾディアーツスイッチを振り返り際に器用にキャッチしたフォーゼは、そのスイッチを押す。オフになったスイッチはフォーゼの手のひらでブラックホールに飲まれたかのように跡形もなく消滅した。見届けた弦太朗は、ふぅと息を吐く。

 

『やったぜ』

 

 空は弦太朗の勝利を祝福するように晴れていく。もうこの世界には暗闇なんてないと言いたげな太陽が、雲間から顔を覗かせた。

 

 

 

∝∝∝∝∝

 

 

 

 パワーダイザーの背後でスイッチを押して、人間に戻る。同時に周囲を覆っていた膜のようなものが弾け、涼しい潮風が鼻についた。唾の広い帽子を被っていても日差しが眩しかったのか、遠望はこれまたドレスと同じ真っ黒な日傘をぱっと差す。生まれた影と心地よさそうな笑みを蓄えて、彼女は船の上に着地して変身を解除した弦太朗と目が覚めた様子の梨子を取り巻く仲間たちを眺めていた。

 

「負けちゃった。残念だわ」

 

『「どうして手助けなんてしたんだよ。ピクターが倒されて困るのは、あんたじゃないの?」』

 

「助けてもらって感謝の言葉もないなんて、随分といい教育を受けたのね。この距離であれだけの光を届けられるのは、私の望遠鏡座の力あってこそよ?」

 

『「……助かりました。ありがとうございました」』

 

「ふふっ。それでいいの。素直な子は好きよ」

 

 皮肉を口にする遠望は、くるくると傘を回して歩きだした。向かっているのは船着き場だろう、さっさとこの島から出ていこうとしているのは明白だ。逃がすまいと操縦席を飛び出したJKだが、体は正直なもので溜まった疲労を無視できるほどの元気はない。ただ、離れていく真っ黒な背中に答えを求めるしかなかった。

 

「まだ答えてもらってない! どうして仲間を倒させるような真似したんだよ!」

 

 何か新しい情報が得られれば儲けもの。JKの言葉に、遠望はぴたりと歩みを止める。回していた傘も止めて、少しだけ考える素振りを見せて空を仰いだ。

 そして、振り返った彼女の表情を彼は一生忘れることはないだろう。

 真っ白な肌の下に、透けて見える真っ黒な笑み。美しい顔立ちとは真逆の、歪んだ口元。目が合うだけでハートが掴まれるような瞳だが、今は見られるだけで心臓を掴まれるような冷たい眼差し。唇に指を添えた遠望は、後ずさるJKに向けて呪詛に似た言葉の羅列を吐き出した。

 

  一つ、星が目覚めた。

      私の願いはいずれ果たされる。

   この空に、私たちだけの星空を。

      宇宙に夢を。

 

     星に、願いを。

 

 心の底から楽しそうな笑い声を引き連れ、日傘を機嫌よくくるくると回して去っていく。JKには追いかける気力などなく、糸が切れたようにそのまま腰を抜かしてへたりこんでしまった。クルーザーは凱旋してくる。遠望は上機嫌で歩いていく。大きな邪悪が迫っているのだと確信させるには、十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、仮面ライダー……」

 

 淡島に、勝利を見届ける姿がひとつ。少女を担いだリーゼントの男と服を絞る二人の少女は船から降りると慌ただしくダイビングショップへと消えてしまった。チャラそうな男に駆け寄る白衣の男性と果南を影から眺め、少女は誰に聞かれるでもない独り言を呟く。

 

「二年ぶりですか」

 

 目的を終えたのか、誰かの目につく前に少女は踵を返す。期待や不安が入り交じる心、やり遂げなくてはいけない使命。その全てを胸の内に秘めて、彼女の思い描く未来を選びとるために。しかし、そんな彼女の存在を機敏に感じとる人間が一人だけいた。

 

「どうした、松浦君」

 

「え? ……いや、何でもないよ」

 

 誰かいたような気がする。そんな一言を、果南は口にしなかった。これは無関係な誰かに話すものでもないと思ったからだ。

 果南の髪が潮風になびく。夜になれば用事も済まさなくてはならない。今夜は星がよく見えそうだと、眩しいくらいに輝く太陽を見て思った。




『「ダイヤっほー。今日は月が綺麗だね」』

「そんな下らないギャグを言うために、わざわざ深夜に電話をかけてきたんですの?」

『「違う違う、一つ報告があってさ。仮面ライダーを見た」』

「っ! ということは、やはり昼間の爆発はリバースターの謝罪文通りというわけではなかったのですね」

『「何それ?」』

「近隣住民宛に声明が出ていました。実験の失敗による爆発音で迷惑をかけたという旨が書かれていましたが、見ていないんですか?」

『「来てたかなー? もしかして、当事者だからハブられちゃったとか? ……あ、ごめん。捨ててた」』

「そんなことだろうと思いましたわ。……それで、ゾディアーツの方は」

『「うん、違うよ。画架座。スイッチャーは転校生だった」』

「……そうですか。で、どうでしたか? 如月弦太朗先生は」

『「んー、いい人だね。すこぶる善人って感じ。あれなら鞠莉のお父さんが推してきたってのもわかるよ」』

「そうですか。私も話をしましたが、信用に足る人物であると思います」

『「だろうね。でも、ごめん」』

「……わかっています。私も押し付ける気はありません」

『「ありがと。それじゃ、起こしちゃってごめんね。夜の感覚わかんなくなってきててさ。おやすみダイヤ。いい夢見てね」』

「あ、ちょっと果南さん! ……切れてしまいましたか」

 切れてしまった罪悪感を胸に、ダイヤは少しだけ空を見上げる。確かに月が綺麗で、星空もまた美しい限りだった。だからこそ、胸を締め付けられる。

「あなたは、鞠莉さんが帰ってきていることを知っているんですの……?」

 時間は止まったままでも、運命は動き出したのだろう。新しい風と、新しい嵐を引き連れて。ダイヤの溢した誰にも聞かれない呟きは、もう一人の眠れぬ夜を過ごす少女の耳に届いていた。
 立ち聞きとは気づかれれば怒られるだろうが、そんなことは少女にとって些末なこと。少女に捨てきれぬ憧れを向けられた九人の彼女たちは、抱き締められてシワになりながらも全員が満面の笑みを浮かべていた。

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