叙事詩の悪に私はなる!   作:小森朔

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足跡を少しだけ振り返る話。アルジュナ視点。


後の王族の回想

 カウラヴァの治世は良かった、と口々に言う商人たちがいる。クルから離れ、遠つ国の民となった者たちだ。ドゥリーヨダナの治めた土地から人は減った。それこそ、大地の女神が慌てて引き戻せと神託を下してしまう程度には。

 土地の民たちは、神の治世の今、ドゥリーヨダナの統治よりも秩序正しく、豊かに生きていられる。それなのに、人が流れていくことの歯止めはかけられない。人の世を求め、人は神から離れつつある。

 

 もちろん、土地に残る者たちも多い。しかし、余所者になれど「人として皆尊重されてよいのだ」と知った者たちは、この国のくびきから逃れていく。人の統治が心地よかったものは、徳治を求めて旅立ってしまうのだ。

「貴方の采配は正しいようですよ、スヨーダナ」

 我が従兄弟。宿敵を御していた、徳高き只人の王。民のために燃え尽きた王。

 

 彼が死んでから、彼の遺言に合わせて国は一つとなった。しかし、このような事態が始まり、神の国は少しばかり揺らいだ。ビーマ兄上とクリシュナは、何一つ彼の作り上げた「構造書き」を見つけられず、民の間に残っていた知識は不完全で、良かった部分を引き継ぐことはほとんどできなかった。特に、酒精で悪しき気を払う方法、その酒精の作り方は全くと行っていいほど残らなかったのだ。母親から恨み言のような陳情を挙げられたのも両手の指の数などでは全く足りはしない。

 

「貴方がラサロハだと知らされなかったら、きっと、私は貴方のことを探し続けました」

 凶報が届いた後、あの侍女が鬘と竪琴を持ってやってきて、すべてを明かした。そして、これから彼の復讐がある、と艶やかに微笑んで去っていった。それが、これだ。

 国の統一のために戦争は無かった。しかし、度重なる戦で疲弊するものは多いが、建て直しのために尽力してくれると思っていた人々は出ていってしまった。辟易し消えるもの、神を頼るに足りないとしたもの。理由は様々だが、ドゥリーヨダナのような統治が求められたのは確かだった。そうなると、そのつながりから更に人が流れ出していく。信仰は保たれるが、強固にはならない。神の世は、きっとこれから衰退していくのだろう。

兄上たちは困っているが、それでも、あの男なら仕方ないと笑っている。人の統治もなかなか悪くないものだと、あの男は一生涯かけて証明してみせ、兄たちを納得させた。クリシュナも、頭を抱えながらも否定だけはしなかった。

 

「ラサロハの貴方なら、私は手を取ることができた。こちらに来て欲しかった」

 竪琴の側に活けた薔薇の、花弁が散る。彼が育てたという株を分けられたものだった。

「まあ、来ないのは構いませんが、愛したものをおいていってはいけないでしょう」

 彼の弟たちはもはや一介の諸王だ。彼らは兄の言葉に従い、好きに生きている。責務は果たしながらも、それでも。

「愛していた国民を見放すとは、王失格でしょう」

 屈託ない笑顔を思い出す。打算なく、ただ指針をくれた彼は、誰からも指針を見つけてもらえなかった。墓守となった種違いの兄は、この前の病で死んだ。しかし、表向きはそうでもスーリヤ神に召し抱え上げられたのだろう。あいつなら、きっとそうだ。先にあちらで会っているかもしれない。

 

「さようなら、ラサロハ。わたしは、あなたのあり方が好ましかった」

 パーンダヴァの一人としてではなく、ただのアルジュナとして、あなたに別れを告げよう。もう二度と、ラサロハの姿は追いかけることがないように。




 パーンダヴァ兄弟も、死後、座で会えると思ったら居なくて愕然とする。
 死体はクルに埋葬されることはなく、彼は違う土地のものとなって眠り続けただけだった。その魂は、神代の跡地に残らなかった。

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