叙事詩の悪に私はなる!   作:小森朔

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彼の正義と僕の正義の話。ユディシュティラ視点。


幼馴染の王太子について

 正義について考えが変わったときの話をしよう。

 自分は王たるうる人間だと、僕は思っていた。僕の父は正義たるダルマだったから。

 それが打ち砕かれたのは、幼少の頃から共に育つことになったカウラヴァのドゥリーヨダナに会ったせいだ。

 

「君はさ、もう少し子供らしくすることを覚えたら?」

「その言葉はそっくりそのままお返しするよ。いつまでも子供でいられるものか」

 淡々と返事をするあたりが子供らしからないんだけど、少しぐらい反応をしたっていいと思う。彼の反応はいつも淡白で面白みがない。作業しているときなんかは特に。

 パームリーフに書きつけた何かを見ながら、ドゥリーヨダナは新たなパームリーフを使って書物をしている。覗き込んでみれば、設計図のようだった。

「そこは邪魔だからどいてくれ」

「じゃあどこならいいんだい?」

「斜め後方」

 

 振り返らずに返事だけをするドゥリーヨダナにムッとしたけど、手元が狂ってもう一度あれだけ書き込むのも大変だからと思い、一応言われた通りに斜め後ろから書き付けているものを覗き込む。

「何書いてるの」

「上下水道の作成図。……この分じゃあ、一気に工事はできないな」

 街の全体図を見ながら書いていたらしいそれは、随分簡単に、真っ直ぐ線を引いて張り巡らされていた。国土全域に広がった用水路は、出来る限り民草の生活の邪魔にならないように要所を避けて描かれていた。

「どうして」

「これがあれば汚物が溜まらないから、感染症は減る」

 そう言われて、彼が数ヶ月前まで流行病のあった地域に出向いていたのを思い出した。念のため、と離宮で一月休んでから宮殿に戻ってきたあと、その地域の感染者の治癒率が上がっていたという報告を聞いたけれど、まだ手を抜かないんだ。執念深い。それに、神の意志に反している。

「それで、何になるの。死は神の意思だよ」

「じゃあお前は今、母御が流行病で死んでも簡単に受け入れられるんだな」

「貴様ッ」

 母上が、死ぬ。想像しただけでも全身の血が沸き立つような悍気がする。流行病でなんて、特にそうだ。

 あまりに酷い物言いをしたドゥリーヨダナに掴みかかると、こいつは僕が今日ここに来てから初めて僕の目を見た。

「腹立たしいだろう。だから、やるんだよ」

 その言葉は、毒気を抜くには十分だった。そして、その程度のことに気付けないほどに自分は頭に血が上りやすいことにも愕然とした。

 

「人間なんぞ死ぬときは死ぬんだよ、ユディシュティラ。けど、それでいいと思えるような人間はいない。だから、今できることはやるんだ」

「できること……」

「私たちは変わる、常に死に向かう生き物だ。克服は出来ない。仕方がない。

でも、仕様があるのに怠惰で民草を殺してたまるか」

書き終えたパームリーフを積み直し、彼は体をこちらへ向けた。笑みに狂気が混じっているのを感じ、恐ろしいと思ってしまう。彼は、僕らのような正義ではないというのに。恐れるに足らないというのに。

「私は、その誰かが生きていける国にする。それは王としての義務だ」

「神の意思に反しても?」

「それが、民の為になるならな」

 微笑んだドゥリーヨダナの目は、割ったばかりの黒曜石のようだ。そして、彼の言葉は獅子や虎の牙の様相をしている。この男は、勇猛であり、凶暴な獣だ。

 背に冷たいものが伝うのを感じながら作業に戻った彼の横顔を見つめていると、ふと思い出したようにドゥリーヨダナが再び口を開く。

「私のこの命は、この国の民のためのものだ。ユディシュティラ、私は自分の命を自由に使ってはいけないと思ってる」

 そういうものじゃないか、王族なんて。

 目を細めたドゥリーヨダナは、確かに王の顔にそっくりだった。彼は、彼なりの正義に従って生きている。その様は確かに王だ。

 

 彼もまた、王たりうる者だと悟って、王たるのは僕らだと驕っていた自分が何だか馬鹿らしくなる。僕のように正義ではないにしろ、僕らだけじゃないなら叩き潰すしかないじゃないか。

 でも、彼のような王があっても、悪くはないのではないかと少しだけ、ほんの少しだけ頭の片隅で考えた。

 

 

 

 

 

「お前は確かに良い王だよ、スヨーダナ。だが、私も王だ。民のために神の法を守る、お前とは違う王だ」

 

 即位式の華やいだ空気の中、何も感じない、何も聞いていない、何も見ていないような姿でそこに居たスヨーダナを思い出す。礼服に使われていた美しい布は、彼が肝入りで関わった事業の成果だという。さっぱりと整えられた彼の出で立ちに反して、肝心の中身がないのだからまるで人形のようだった。

 ただ、目はあの頃と同じように鋭く、硬質な輝きを宿していた。

『此度の即位、誠に目出度く存じ上げる』

 覚え込まされたように、しかし滑らかで演技とは思えない話し方で祝われたとき、背筋が伸びる思いがした。この王太子の歩んできた道が平坦でなかったことも何もかも知っている。しかし、神の側でないにも関わらず善政を敷く彼に負けるつもりなどない。

 

 私は全てを、この別れた国のすべての土地を、神の意思が浸透した真の王国にする。それが、私の歩むべき正しい道であり、私に課せられた使命だからだ。

 

「私は神に従う。お前はこれから、一体どうやって国を動かす?」




ドゥリーヨダナはバックに民がいると対神仕様になるタイプのバーサーカー。

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