叙事詩の悪に私はなる!   作:小森朔

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ドゥリーヨダナについて、ターラーを通じて見る話


ターラーという娘

 薄暗い廊下は、あまり好きではない。たやすく寒さにやられてしまうこの身は、太陽のもとにおいておくのが好ましい。そうでないなら服を着込んでしまって、できるだけそのままの温度に保っておかなくては。そうでなければ、まともな動きさえできなくなってしまう。

 

「青白い髪の娘、王太子の侍女よ」

 先を急いでいるときに聴こえた声は、バラモンから発されたものだ。しかし、聞き覚えがある声だ。いつぞやに私の髪を褒めたという王子のものと、まるで同じ声。

 柱のそばに立っていたバラモンは、そのまま私に視線を投げかけ続けていた。疑る目は、よく研ぎ澄まされた鉾のようだ。そして、迷いがない。

「尋ねたいことがある。答えろ」

「なんでしょうか」

 浅黒い肌、黒い目、それに弓を常に引くものに特有の胼胝。それに彼からは薄まっているがインドラの気配がする。間違いなく、その息子で化身たる男だ。

「カウムディー、月光色の髪のヒジュラは、お前の縁者だな」

 アルジュナ王子は、随分と率直な物言いをする。ドゥリーヨダナ様が言っていた気障な物言いとは、かなりかけ離れていて違和感がある。けれど、シュードラへ掛ける言葉などそんなものなのだろう。

 

「……ええ、確かに。しかし、それがいかがなさったのです、尊きバラモン様」

 知らないふりしか、することはできない。私は今はただの侍女。身分の違いが大きすぎ、そして悟ったと知れれば面倒なことになるのは必至。主君たる彼が蛇蝎のように嫌っているあの男の耳にも、私の情報が入ってしまうだろう。提供者としても、余り知られないようにしたい。

「貴女が知っている彼のことを教えて欲しい」

 それを尋ねる男の顔は、必死さが滲むようで笑ってしまいそうになる。一度会っただけの半陰陽の子供に、それほど執着するとは。

 

「彼は、私の知らない人になりました。私達の元を去ってからは名も捨て、人生も捨てた。ヒジュラなど、そんなものでしょう」

「……それだけか」

 疑り深い王子だ。下級の、おそらく信仰深いだろう侍女がバラモンに隠し事をするとは普通なら思わないだろうに。しかし、私がドゥリーヨダナの侍女だから疑うのだろう。それは正しく、同時に間違っている。ここで引き下がるようなら愚かだ。

「ええ、それに、あの子は名を与えられなかったのです」

「なぜ」

「彼が青白く、そして不能だったから」

 私が言うことはごくありふれたこと。ラサロハとしての彼の見た目と、その機能をそのまま伝えただけのこと。しかし思惑通り、アルジュナ王子はその言い方に引っかかった。彼は神の近親者だから。

 

「ラサロハは、ヴァルナの化身なのか」

 うわ言のような呟きは脱力したからか。彼は、その言葉を吐き出してから、フラフラと私の来た方向へ歩いていった。すれ違いざまに礼を言われたけれど、頭を下げていてぎりぎり聞き取れるほどの大きさでしかなかった。それほど、大きな衝撃だったらしい。

 彼は化身ではない。しかし、無縁でもない。実際に、浅からぬ縁はあるのだから。

 

 

 

「ああ、ターラー。いい所に来てくれた。悪いんだけれど、妹への土産を選ぶのを助けてくれないかな」

 叱られてしまいそうなんだ、と眉尻を下げて頼み込んでくる彼は、本当にひどい火傷を負ったかのような化粧と、素顔とは異なる男らしい顔立ちに見せる化粧とをしていた。一瞬誰かと思うほどには化けている。

「それなら先程ご用意いたしました。お気に召してくださればよろしいのですが」

「私が選ぶより女心がわかっているものだろうから、大丈夫だよ。ありがとう」

 嬉しそうな彼は、妹が喜ぶ姿を想像したのだろう。顔をふやけさせている。

 諸悪の根源になるはずの彼は、人らしく、至極真っ直ぐに育っていて好ましい。神ではあるが、高位の神の座から引きずり降ろされ、人に組する今の私にはとても心地よく感じるものだ。

 

「ターラー、君が話せるようになってよかった」

 無邪気にそう言って笑い、子供のため、母親のため、男のため、老人のために東奔西走する。彼は、この時代では賢王の器ではないが、もしかしたら他の時代でなら賢王たりうる器なのかもしれない。

 誰かの幸せを願い、誰かの生活が上向くことを望んでいる。それは、とても好ましいことだ。それがたとえ、彼個人では彼の周囲にのみ、王としての彼では国民の隔てなくという本来ありえない範囲で望まれることであっても。

 

「海路はどうなってるか……海の神から嫌われてないといいけどなぁ」

「それなら、大丈夫でしょう」

 目を瞬かせて首を傾げる姿はまるで幼子だが、彼はそれでいい。無垢な子供のような彼だからこそ、本来は神から嫌われないのだから。

「なんで?」

「ラサロハは、ヴァルナの申し子と言われてますからね」

 青白い髪で、性的に不能な者。ヴァルナの申し子というよりは、後天的に加護を与えた存在であるのだけど。それでも、理由付けとしては問題ない。

「神様が力を貸してくれることなんてあるのかな」

「あるのではないでしょうか。少なくとも、海難事故が起きない、とかでしたら」

「だといいな」

 ドゥリーヨダナ様は、疲れたように微笑んだ。大丈夫、貴方なら。

 

 

 

 あの日、生まれ落ちてから散々な扱いを受け、人を呪おうとするほど酷い目にあわされた私を、力なき人になった私を掬い上げたのはこの人間だ。

 私は、残りの力を彼に貸してやろうと思うし、彼は末永く栄えてほしい。たとえ彼が、滅びの、カリ・ユガの化身であったとしても。神としては不適合な願いだとしても、化身の、人としての願いとして成就させたいと私は常々思う。

 

 それが、私、水の神でありナーガの王たるヴァルナの、落ちきった神の化身の願いだ。




実はすべての神からは見放されてないよって話。
これは後世に(この頃とか)ヴァルナの地位が落ちてるんじゃないかなっていう話を組み込んだ結果と、女神の「妨害を薄める」効果の結果。
ヴァルナの化身は「青白く、かつ性的に不能」という特徴があります。原作マハーバーラタにこの神の化身は居ません。
本編始めるときにドゥリーヨダナを半陰陽にしたのはこれを書きたかったがため。

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