叙事詩の悪に私はなる!   作:小森朔

12 / 35
まだ「吉祥」の家着工中、仕事や交易とか価値観の話。カルナ視点。


友について

「愛らしいよなあ、この子猫」

 もうやめた、と飼い猫の居る居間に移動してから、ドゥリーヨダナはひどく満足げに笑った。この男、楽しんで計略を企てるときよりも、犬猫などの動物と居るときのほうが微笑みが常より深い。

 

 自分を取り立てた奇特な男の様子を見て、そっとため息をついた。気付かれるとうるさい男だということは最初の数日で嫌というほど思い知っている。しかし、疲労の色の濃いまま、この後も何もなかったかのようにまた執務に戻ると考えると溜息をつかずにはいられない。

 

 実は大笑いしてても微笑みを浮かべているようにしか見えない、しかし愛想笑いだけはそれとわからないように浮かべられるこの男は、自分の知る王族からは随分離れているように思えた。ただし普段彼を悩ませている眠気が無い時は、愛想笑いも目つきが鋭く、目が笑っていないことに誰もが容易に気づく。本人も自覚しているらしく多忙な執務の合間にしか市井に視察に行くことはない。

 しかし本人が統治する人々とは反対に、鋭い目つきのドゥリーヨダナを見て、この男の弟たちや好意的な使用人はひどく喜んでいた。ドゥリーヨダナは誰よりも早く起きて仕事にとりかかり、誰よりも遅く眠る。疲れから来る眠気で柔らかくなっているだけの視線は、市井の人間は喜ばせてもドゥリーヨダナを大切にする人間には良くないものだ。

 

「幸せだぁ……」

 つややかな短い毛並みの猫をひたすら撫でながらしみじみとつぶやくこの男は、実はこうして働くことに向いていないのだと思う。

 登用されて初めて見た「紙」と言う高価なものが、山積みにされている執務室。一回一回の反故紙は少なくとも、積み上げられたそれはかなりの量だった。

 そしてそれを処理するために、この男は多くの時間を費やしている。それこそ、オレには数日街に出られるほど与えている自由な時間を、自分は削り取って機械のように生きている。

「いっそ王子をやめたら更に幸せになるだろう」

「えぇ……、それって死ぬしかないだろ。国民の生活が安定しないと私、首を刎ねられるからな?」

 ただでさえ不吉な王子で印象悪いんだからな、と不貞腐れながら文句を言うが、それはありえないと何度言っても聴かない。聴こうとしない上に、キコエナーイなどと異国人の発音を真似たように言って耳を塞ぐ始末。

 

「お前は、平凡な王だ」

「うん、だからそのうち国民に殺されかねない」

 そうだろう、と表情を変えず言うドゥリーヨダナの顔には、濃い影が落ちていた。

 この男は、強迫的な観念にどれほど囚われ続けているのだろうか。この国で誰よりも重い仕事を、ただ一人で行うのは並の心構えではできないだろう。

「凡夫であることは罪ではない」

「ああ、そうかもしれないね」

 猫をそっと床におろし、座り直すと、ドゥリーヨダナは真っ直ぐにオレを見た。黒い目はどこまでも透明で、そしてひどく暗い。

「でもな、平凡な王はそれだけで重罪なんだよ、カルナ」

 愚王ではない、されど、神のような優れた統治を行う王でもない。飛び抜けて優れていないただの人として、しかし人だからこその統治をする男だ。

 しかし、ドゥリーヨダナにはその重みが分かっていない。お前が苦労して変革しようとする今のこの国で、確かに敬われているというのに。

 

 

「お腹が空いた。おやつにしようか」

 唐突に、暗い色を消して目を輝かせながらドゥリーヨダナが立ち上がった。手には、美しい紐を通した鈴が握られている。廊下の遠くへ向かって鳴らされるそれは、侍女を呼ぶためのものだ。

 座り直してしばらくすると、一人の白い侍女が大きな銀の盆を持ってくる。チャイと、何種類かの焼き菓子の皿が数枚載っている。

 

「今回の毒味役はカルナ、お前だよ。感想を聞かせてくれ」

「お前がそう望むなら」

 毒味、という割には他の王族に饗しても全く問題がないように見えるその黄金色の菓子を口に運ぶ。ギーの香りが広がるそれは、スパイスと、形はないが木の実の味がした。

「悪くない」

「そうか、なら作った甲斐があった」

 その言葉で、隈がしっかり寝ていたはずの昨日よりも濃い原因を知って何とも言えない心持ちになる。

「スパイスで食中毒を予防できないかと思ってな、練り込んでみた。他の土地なら大丈夫な菓子も、このへんだとすぐ湿度や気温の高さで傷むから。新しい食文化で甘い焼き菓子があったら、もっと輸出品やこちらへ旅する客が増える」

 不思議なものばかり作るドゥリーヨダナは、蜂蜜の流通がしっかりできるようになると自分用の窯を作らせて新たな食物を作っていた。やはりこれも、その窯を使って焼いた菓子なのだろう。

 実は菓子づくりがこの国のどんな女より上手く来賓用のお菓子を全部用意していた。この性分のせいで弟たちも大変だろうと労しく思う。そして、真っ先に食べることができる役得が少し羨ましくも思う。今回はオレのほうが先だったようだが。

 

「交易品が増えればスパイスの需要が増す……菓子はともかく、果実の蜜漬けと、茶葉も抱き合わせで売って行きたいところだな」

「蜂蜜はまだ手が届かないほど高価だが」

「そう、だから蜜漬けは輸出限定で、数も絞る。高級なままだからいいんだよ」

 

 このあたりに多くある果実でも、他の土地では珍しいものがあると言うことを知ったのは、陸路で西方から来る商隊をこの男が引き込んでからのことだ。

 そこで抜け目なく、蜜漬けという形で日持ちする商品を握らせて高価な絨毯や布、葡萄の苗木やガラスを得た手腕は見事だった。迷い込んで来ただけの商隊がそれから定期的に立ち寄るようになったことで、街はさらに雑多な雰囲気になってきている。上下水道や道路、ごみ捨て場の整備を行って必要最低限に整えてある街は、それほど悪いものではない。

 あと少し後押しがあれば、この男が統治せずとも勝手に育つのではないかと思うほどには、ドゥリーヨダナの育てる街は成長していた。

 

「お前がいなくとも、街は育つだろう」

「そりゃ、この国は"人の国"なんだから当たり前だ。……まぁ、用無しになれば全て捨て国を去るってのもありかな」

 

 その言葉の自然さに、少なからず気を抜いていたオレは頷いてしまった。ハッとして慌てて訂正しようとドゥリーヨダナを見る。が、満足そうにしているのを見て、喉まで出かけていた否定の言葉が霧散してしまった。

「どうせ人間50年。それより先に要なくなったなら辞去するだけだ。そうだろう?」

「……ああ」

 その後は砂漠でも見に行きたいな、と呑気に宣うドゥリーヨダナには、おそらく全てを投げ捨ててしまおうとしているのではないかと思うような、一種の諦念が見えた。

 

 

 まず形だけの友となり、それからしばらく共に過ごしてみて気づいたことが一つある。ドゥリーヨダナは、何があっても生き抜くという強さをおそらく持ち合わせていない。きっと何かのきっかけがあれば生を放棄するこの男を、オレは側にいる限り恩返しとして生かさねばならないと思う。




仕事放棄してるドゥリーヨダナの表情筋の代わりにそれ以外が気持ちを伝えるお仕事をしていたりする。

追記
学校が始まるので更新が不定期になります。亀かシルバーカーくらいの遅さになるはず。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。