(ここは、どこだろう?)
目覚めたとき、そこは不思議な液体の中だった。透明度が低い上に屈折率が高くて周りの様子が判然としないような……。
最後に残っている記憶は核ミサイルの爆発から主任に身を呈して守られた、いや、N-9-19を身を呈して守ったのだっただろうか? そうだ、私はN-9-19を守ったのだ。そして、私は死んだ。なら、ここはどこだ?
意識ははっきりしてきたが、相変わらず視界は不良で音もよく聞こえない。その他のセンサーの状態もあまり明瞭ではないようだ。
(自己診断チェックルーチン、起動します)
頭の中に聞きなれた声が響いた。あれはN-9-19の声だ。
(エネルギー系および運動系のサブシステムの停止を確認。システムをホットリブートしますか?)
そうか、この不調はスリープ状態でエネルギー系を停止《サスペンド》していたせいか。
(ホットリブートを実行)
(了解。これよりホットリブートを開始します。人格AIはリブートされません。しばらくお待ちください)
ホットリブートとはN-9-19がメインシステムをオンラインにしたままサブシステムを順次リブートしていく機能で、サブシステムをアップグレードしたときや予期しないエラーが起きた時などに行われる処理だ。リブートのプロセスは人格AIが管理するので人手による調整は必要としない。
(一部情報に欠損を発見。自己修復を試みます)
どうやらシステムの記憶領域に問題があったらしい。核の直撃を受けて大量の放射線を浴びたのだから当然だ。むしろ、こうやって生きていることの方が奇跡に近い。
(管理者登録情報の欠落を確認。管理者を再登録してください)
管理者とはN-9-19のすべての機能を管理する権限を持ったユーザーのことだ。システムに対する最上位命令権を持つ。核の放射線で管理者登録情報がリセットされる可能性があるというのは予想外だった。すぐに対処できたのが私だからよかったが、これが敵国のスパイなどだったらとんでもないことになっていた。
(管理者を登録する。管理者名は……、「セイカー」。機体認証番号は8324901928)
(管理者登録完了しました、セイカー殿)
(私のことは指揮官と呼称するように)
(了解しました、指揮官殿)
管理者登録は無事完了したようだ。一瞬、自分の名前を思い出そうとしたときに、すんなりと思い出すことができなかった。確かセイカーであっていたはずだけれども。ただ、呼んだときに妙な違和感を感じたので、指揮官という呼称に変更させた。こちらの方が呼び慣れていてよい。
(ホットリブート、完了しました)
ホットリブートが完了すると、周囲の様子がより明瞭に見て取れるようになった。私は半透明のカプセルのようなものの中に浮いているような状態でいるらしい。外には同じようなカプセルがいくつか並んでいて、その周りにはカプセルの中を観察しているらしい人間が何人かいた。
(指揮官殿、エネルギー系にアップデートがあります)
(内容は?)
(魔導コアを経由したエネルギーと魔力素の変換が可能になりました。この結果、新たに魔力素がエネルギー源として利用可能になるとともに、エネルギータンクの最大キャパシティが2倍になります)
(魔導コアとは何だ?)
(ナレッジサブシステムに該当情報はありません)
どうやら眠っている間にいつの間にか未知のデバイスが体に組み込まれていたらしい。ナレッジサブシステムに情報がないのが不思議だが、新デバイスか組み込まれること自体は珍しいことではない。何せこの体はまだ試験機なのだから。
セイカーは内省的な思考をそこで打ち切って、とりあえずこの妙なカプセルから外に出ることにした。人間なら、このカプセルの中にいつまでもいたくはないだろうと思ったのだ。
まず、カプセルの中で手足を動かしてみた。どうやら問題なく動く。次にカプセルに触れてみると柔らかい不思議な感触がした。少し力を込めて押してみると、案外あっけなく穴が開いた。
すると、それに気づいたのか向こうの方にいた人間たちが何かを言いながら近づいてきた。だが、残念ながら言葉が理解できない。
(N-9-19、言語翻訳は対応しているか?)
(未知言語です。現在、学習中です。学習率、4%)
(分かっている単語だけでも翻訳してくれ)
(了解しました)
ディープラーニングAIには言語学習に特に優れたネットワークが組み込まれている。戦場で人間とのコミュニケーションを音声ベースで円滑に行うことが主な目的だが、ゼロから外国語を学習することも十分可能だ。もちろん、会話のサンプルデータがリアルタイムで取得できれば教科書は必要ない。
学習中の言語翻訳をONにすると、人間たちが話している内容が部分的に聞き取れるようになった。信頼性の高い部分だけ翻訳結果が理解できるようになり、そうでないところはドロップされて分からないままになるためだ。
「………すぎ……小………」
「……棄……」
「…………試……」
うん。さっぱり分からない。やはり学習率4%では信頼性が低すぎてほとんどドロップされてしまうのだろう。
ただ、分からないなりに少しでも分からないかとじっと聞いていると、そのうちの1人に手を引かれてどこかへ行くことになった。さて、どこへ行くのだろうか。できれば、ここが一体どこなのか、少しでも情報が得られるといいのだけれど。
セイカーと男が向かったのはスタジアムのような場所だった。それも、都会にある人気スポーツが試合をするようなものではなく、田舎にある観客席にゴザを敷いて観戦するような感じの。そんな場所に武器やら的やらという物騒なものが置かれていて、地面には線が引かれていた。
セイカーの脳裏に浮かんだのは、核ミサイル攻撃に会う前の最終試験のことだった。置かれている器具は違うものの、場の雰囲気はよく似ている。
「5034、……当てる……」
5034というのはセイカーのことを指すようだ。番号呼びをされるとはまるで囚人だ。断固抗議したいところだけれども、まだ言語学習が完了していないのでしゃべることができない。
男は向こうにある人型の的を指さして何かを言っている。よく分からないが、あの的に何かを当てればいいんだろうか? と、男は赤く燃える小石のようなものを打ち出して的に命中させた。
なるほど、その真似をすればいいのか。だが、残念なことに燃える小石というものを作り出す機能は搭載されていない。電磁砲で代わりになるだろうか?
セイカーは男が指差す的に向かって電磁砲を連射した。的は見る見るうちにボコボコになっていき、最後には折れて倒れてしまった。隣で見ていた男の顔が驚愕に染まっていたが、セイカーはそんなことを気にする素振りもなかった。
「報告は以上になります」
「それで、率直な意見としてどう思う、カタレイン魔導技官?」
魔導技官ロペ=カタレインが国防軍兵器局技術開発部部長エアリー=マドレックへに定期報告を済ませるとエアリー部長から意見が求められた。もちろん、先程の報告にあった5034番についてだ。
「はい。体格、魔法技術ともに基準を満たしておりません。基準を超えているのは筋力の高さだけです。廃棄処分が適当だと思われます」
「だが、炎弾で的を破壊できたのは5034番のみだ」
「それは5034番が必要以上に大量の炎弾を撃ち込んだためあります」
「5034番の連射速度が高かったのではないのか?」
「ホムンクルス兵は完全統制下の一斉射撃が運用の基本形態です。イレギュラーは現場に混乱をもたらします」
「新型は分隊指揮官の作成が目標のはずだ。ならば、ただの兵卒と同じである必要はあるまい。むしろある程度のイレギュラーなら歓迎だ」
「……それは……」
「5034番の分隊指揮試験を許可する。最優先で試験を行い結果を報告したまえ」
「了解しました!」
ロペはそう言うと敬礼してエアリー部長のもとを辞したが、どうにも心に引っかかりを覚えて仕方がなかった。