まちがいさがし   作:中島何某

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6話

 

 喉が渇いたから、水を飲もうと思って部屋から出た。多分フレッドと夜中まで馬鹿騒ぎしていたせいだ。もう喉がカラカラ! フレッドは寝る前に水を飲んでたけど。さっきまで屋根裏お化けまで巻き添えで騒いでて、それ以上大きな声でママに怒られた。「もう寝なさい!」って。ただでさえ僕たちの昼のイタズラを許したパパとケンカしたせいで機嫌が悪いから、明日の朝は卵もソーセージを出して貰えないかもしれない。わお、パンだけの朝食なんて考えられないね!

 外は暗く、古い窓枠がカタカタと風で揺れる。みんな寝静まっていて、パパのいびきが微かに聞こえてくるくらいだ。

 階段を降りると、小さな明かりがついていた。誰だろうと思って体を少し緊張させたが、別に悪いことをしているわけでもない。気負わず近づくと、それには黒髪がしゃがんで息を乱していた。

 この家で黒髪と言えば、我が家の末弟のロータスしかいない。昔はおじいちゃん(生きてる方じゃなくて死んでる方。確かバッコスおじいちゃん)が黒髪だったらしいけど、今家に居るのはロット一人だ。

 ロットは目つきが鋭くて体がガリガリだ。口数も少ないしいつ見ても無表情。からかってもロンみたいに騒がないしつまんない奴だ。

 

「どうした、ロット?」

 

 首を傾げて顔を覗き込むと、まるで僕なんて一切気付いてないみたいに息をきらしていた。シンクに手をかけていて、目には今にも零れそうなほどの液体がはっている。シンクにはコップがあるからロットも水を飲みに来たのだろう。

 何度声をかけても気づかないから、むっとして肩をゆすった。その瞬間体を強張らせて小さく悲鳴をこぼした。だけどゆっくりと此方を向いて「ジョージ?」と零したから会話は出来る。

 

「そうだよ」

 

 間違えてもフレッドではない。そう言うとロットは何度か短く息を吐いてから、不格好に笑った。誤魔化すみたいな笑いは随分下手くそだ。彼はずるずるノロマな様子で手を掛けていたシンクに背を預けた。

 

「怖い夢でも見たのか?」

 

 これがロンだったらからかってやるんだけど、いつも冷静で驚きも慄きもしないロットのことだったのでちょっと心配になってきた。もしかしてビルより頭がいいんじゃないかって僕は時々思う。

 

「そんなところ」

 

 じっとり僕の顔を見てからそう言って俯いた。それから少しも動かないもんだから僕は心配になってべちべち俯いたロットの頬をうった。ロットはやめろともなんとも言わずに顔をあげた。

 ぼんやりした目にだらりと垂れた腕、赤毛より青い顔。(赤毛は色素がどうのこうので顔が青白くなるってこの前ロットが言ってた。それってどこで手に入れてきた情報?)僕はまるで弟の幽霊でも見ている気分だった。目が死んでいる。眼球を動かすのさえだるいという様子で視点も一切動かない。ママが毎日掃除しているけど傷んで汚い床をじっと見据えてる。

 

「ところで僕も水が飲みたいからどいてくれな……」

 

「なんだ、ジョージも起きてたのか」

 

 言い掛けた言葉をそのままにして振り向く。そこにはフレッドが立っていた。さっき上の方からバタンって音が聞こえてきたからフレッドはトイレに行っていたのだろう。

 適当に返事をしてもう一度言い掛けた言葉をロットに言おうとしたら、彼は真っ青になっていた。インクよりも青いんじゃないかと思うくらい。裸電球の下、ぼんやりとした明かりだったにも関わらずそう思った。

 

「おい、ロットどうした」

 

 肩を揺さぶるとロットは口元を覆って呻いた。そして僕の手を振り払ってほど近い玄関に駆け出した。多分外に行ったんだと思う。僕とフレッドは顔を見合わせて首を傾げた。

 

「どうしたんだ、ジョージ?」

 

「さあ、フレッド」

 

 僕たちは取り敢えず、肩を竦めてみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。昔だったらただの架空の人物が死ぬ夢を。今では架空の人物どころか実の兄である人物が、死ぬ様を。物語では数多くの登場人物が登場した。それでもはっきりと覚えている。あの話で死にゆく人物を。セドリック・ディゴリーから始まり、最終巻まで続く死の連鎖を。それでも自分は決めたのだ。死にゆく予定の人物を生かしたりなどしないと。そんなことは、しないと。

 それは、他の文章の世界に生まれ変わってする行為とはわけが違うのだ。全然、まったく。三島だとか、太宰だとか、川端だとかそういうのとは全然。児童学書のファンタジーは笑えるくらいどれもこれもスケールが尋常じゃない。世界が掛かっているのだ。ヴォルデモート卿、トム・マールヴォロ・リドルは間違いなく世界を変革するのに人殺しを厭わない。純血主義で世界を完結するために良識を見向きもしない。

 自分には、誰を生かせばどれだけの人が生き残るか、どれだけの人が死ぬのか分からない。普通、誰にも分からないのだ。誰にも。これから死ぬ人間だって、普通は分からないのだ。

 それを自分は、可能性の一部として知っている。これは、忌むべき事実だ。どうしようもなく、恐れるべき事実だ。倫理的に考えても、現実的に考えても生かしても殺してもならないと思った。だって、人が死ぬのだ。それは文面のように軽い出来ごとではない。日本語でならたったの一文字、英語でなら五文字のローマ字で、その言葉が適用される人間の数え切れない時間が失われる。死。

 ひとつひとつが合わさって、世界は構築していくのだ。言動だったり、発明だったり。そのひとつが、自分の言動で崩れる?

 とんでもない。とんでもないことだ。

 けれど、自分は恐れている。生死の行方を知り得ながら、人が死んでしまうことを。そんなの間接的な人殺しじゃないか。あまりに主人公から近い人物になる予定の人間の、すぐ横に立つ自分は、もしかしたら必死になれば生かすことが出来るかも知れないのだ。死人になる予定の人物を。だからこそ、罪悪感を咎で固めたような感情が心臓を食い破る。

 自分の努力次第で。人の生死が変わる。その後の未来が、笑顔が、絶望が。嗚呼、それが、どれだけ恐ろしいことか。アパルトヘイトやカーストを知ってるか? 公共車両、住居、職業、生きてる間に毎日生まれで差別される。階級が下の女の子にラブレターを送れば女の子と同じ階級の見知らぬ少年達に市中引き回しの後殺される。歴史の流れとしては噛み締めるべきものだろう。だが、果たして、一個人が偶然ステージに引っ立てられて無辜の民の慟哭を受け入れきれるだろうか。

 ガタガタとみっともなく震える体をさすり、目の前の口から出た汚物を見た。その結果がこれだ。気持ち悪い。恐ろしい。兄弟が、死んでしまう。それでも自分は、その兄弟を見殺す気でいる。薄情者と罵られようがそれでいい。否定も言い訳もしない。

 だけれど、もう、耐えられそうにない。毎夜毎夜魘されるなんて、馬鹿馬鹿しい。なんて馬鹿馬鹿しい。耐えられないから見殺しにするのに、見殺しにするのが耐えられないなんて。毎日兄弟や会ったこともない人物に「お前が殺したんだ」と糾弾される。けれど、そんなものたかが夢だ。体は未だ片手で足りる年齢でも、頭に刻まれる記憶はもう三十年に近い。なんて弱いんだ。なんてさかしいんだ。なんて、なんて――

 

「サヨナラだけが、人生だと?」

 

 人生別離足る。確かにそうだ、けれど、そんなに早く別れなくてもいいじゃないかと思う自分は、やっぱり明日も魘されるのだろう。

 頭上では、星々が煌めいていて、なんだか泣きそうになった。

 

 


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