駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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6話 仲良く遊びました。

「ただいまー」

「あら、今日は早かったのね。お風呂入っちゃう?」

「いや、これから飯だろ? 一緒に食べるよ」

 

 薄っすらと昼の残滓を残す微妙に明るい空。夜の帳の降りる少し前。真新しい玄関をくぐると、妻が出迎えてくれた。一家の大黒柱の帰還である。

 栗栖家の夕食開始時間は通常、午後7時。定時でうまいこと会社を抜け出すことができれば、父も一緒に食事をとれる。愛する妻と我が子と過ごす至福の時間のため、今日も父は必死に仕事を片付けてきたのだ。

 

 なお、ありがたいことにホワイトな職場に勤められているとはいえ、それでも週の半分は間に合わないことが多い。以前の家よりもこの家のほうが会社から遠いので、なおさらだ。決算期には、終電間際に電車に飛び乗ることもままある。

 企業戦士の戦いは過酷なのだ。下手をするなら、異世界での生活よりも。頑張れ日本のお父さん。

 

「おかえりなさい、父さん」

「ただいま、翔太。今日は臭くならなかったか?」

 

 風呂上がりなのだろう、パジャマに着替えてホカホカ湯気を立てた翔太も、ひょいと顔をだす。その頭をワシワシと撫でくりまわしながら、父が笑った。

 酷いよ父さん、そんな何度も同じ失敗はしないよと、やや不貞腐れたように言葉を返す。もちろん、本気で拗ねているわけではない。これもいつものコミュニケーションだ。

 

「今日は何してたんだ? またパティちゃんのところに行ってたのか?」

「うん。パティのお父さんとお母さんに挨拶もしてきた。あ、そうだ母さん、クッキー喜んでたみたいだよ。美味しそうに食べてた」

「そうでしょう。あれ結構、良いやつなのよ。母さん奮発したんだから」

 

 昨日に引き続き、今日もパティのところへ行ってくると言う翔太に、出掛けに渡したのがあのクッキー缶だ。引越し蕎麦の代わりにご近所に配ろうと、いくつか買い込んでいたうちの最後の一つ。

 こっそり自分で食べようとか企んでいたのだが、息子のこの街でできた最初の友達のためなのだからと、涙をのんだ。

 

「でも、喜んでたのは絶対なんだけど、何て言ってたのかわからないんだよねー」

「英語かあ。翔太、英会話学校とか通うか?」

「んー……いいや。パティに教えてもらうよ」

 

 まあ、そのほうが楽しく覚えられるかもなと、納得する父。

 言葉の壁があっても、子供同士で遊んでいる分には、なんとなく意図は伝わるものだ。そんな中で自然と学ぶほうが、学校で勉強するよりも覚えが早いかもしれない。駅前留学も結局、講師と雑談をして英語に慣れるのがメインだと言うし。

 

「翔太がそれでいいならそうしよう。それで、今日はどんなことをして遊んだんだ?」

「えっとね、父さん言ってたでしょ、アメリカ人だったら、日本の昔のおもちゃとか喜ぶんじゃないかって。だからね……」

「ほら翔太、続きは食卓でね。用意、できてるわよ。あなたは手を洗ってきて」

 

 気づけば、玄関でついつい話し込んでいた2人。母が呆れた様子で食事にしようと促す。

 今日のメニューはなんだろう。漂う良い香りを味わいながら、靴を脱いで洗面所へと歩を進める。

 念願のマイホーム、温かい食事、そして愛する家族。ああ、俺は幸せものだと。そう、父が微笑んだ。

 

 

 

 

 

 一方、その頃のセージ村。

 

 この世界の夜は早く、そして暗い。

 電気式の街灯などもちろん存在せず、明かりをもたらす魔法具はとても高価。闇を照らすには火を用いるのが普通だが、その為の燃料も貴重なものだ。出来るだけ節約しなくてはならない。

 なので、王都や領都のいかがわしいお店など、暗くなってからが本番の店などはともかくとして。一般の民は日の出る前に起き出して、そして日の入りとともに床につく。

 

 それはこの村においてももちろん同じ。

 だがしかし、どうやら今日は夜更かしをしている者がいるようだ。パティの住む村長宅の居間には明かりが灯され、3人の男女が難しい顔を突き合わせていた。

 

「パティはもう寝たか?」

「ええ、昼間あんなに遊んだから疲れたんでしょうね。床につくなりぐっすりよ」

 

 2人はパティの父と母。その会話だけを聞くなら、どこにでもあるあたたかい家庭の何気ない会話。だが眉間に浮かぶ物憂げな皺が、それを見事に打ち消している。

 

「それで、どうするんだい、兄さん」

 

 3人目、王都帰りのセリムの表情もまた、似たようなものだ。

 彼らの悩みの種はもちろん、昼間ここへとやってきたパティのお友達のこと。

 友人ができたこと、その事自体は喜ばしい。けれど問題なのは、それが身分の大きく違う相手だということ。

 

「とりあえず、あの子の名前はクリス・ショーター。帝国の人間で、家がとんでもなく金持ちというのは間違いない」

 

 こんな馬鹿げたものを、ぽんと手土産に持ってくるくらいだからな。

 セリムはクッキー缶を見つめながら、ふうっと溜息を一つ。

 

「そしておそらくは、シューター家の関係者。姓が微妙に違うようだから、直系じゃなくて一門の者なのかもしれないけど。どちらにせよ、貴族だ」

 

 わかってはいたことだが、改めて告げられると頭が痛い。パティの父に刻まれた皺が深くなる。

 貴族と平民の友誼というものも、なくはない。例えば、幼いころに家の子と使用人の子が一緒に遊んでいて、成長してからも気安い関係になったとか。長年使えてくれた家令に対し、当主が友情めいたものを感じたりとか。

 

 けれど、そういう間柄になるのは一般に、平民とは言っても貴族に近しい位置にいる、裕福である程度の教育を受けたような者だけだ。

 開拓村の農民の子では、流石に釣り合わない。たとえ本人が良いと言っても、周囲から文句が来る。そうすれば、被害をうけるのはこちら側だ。

 

 流石に邪魔だからと、村ごと焼き払われるようなことはないと信じたい。昼間の堂々とした態度を見れば、民にも優しい良い貴族だと思える。

 万一、周囲で先走るような者がいたとしても。国が違うのだ、そう大事には出来ないだろう。いざともなれば、辺境伯様に庇護を願い出ることも出来る。

 

 けれど、何らかの問題が起きた場合、結局は傷つくのはパティなのだ。可愛い娘に、そんな辛い思いをさせたくはない。

 せめて、貴族の中でも騎士や男爵など、下位のものならまだ釣り合いが取れたのだが。シューター家に連なるものともなれば、それも難しい。

 

 3人は、昼間に見せつけられた、あの紋章を思い出し。そしてまた苦悩を深めた。

 

 

 

 

 

 村の大人たちに衝撃をもたらした、手土産のやり取りの後。翔太はさあ遊ぼうと、いそいそと村の外の草原へパティを連れ出す。そして得意げな表情で、父からのアドバイスをもとに選んだ、家から持ってきたとっておきを取り出した。

 じゃじゃーんと翔太が口でつけた効果音をバックに、大きめのビニール袋から現れた物。それは竹ひごで作られた骨組みに、丈夫な和紙を貼り付けた、日本では正月の遊びとしておなじみのもの。つまりは、凧だ。

 

 ちなみに、父の手作りである。

 去年、翔太と一緒に凧を作るイベントに参加し、満足行く出来上がりになったので家の壁に飾っていたもの。もちろん、今の家にも持ってきていたそれを、翔太が持ち出したのだ。

 仕事から帰ってきた父が、散々こき使われてぼろぼろになった凧を見つけ、しょっぱい涙を流すことになる。

 

 しかし、得意げな翔太とは裏腹に、パティにはそれが何だかわからない。

 そもそも、この国の人間で凧を見たことがあるものなどいない。もしかしたら世界の何処かの国にはあるのかもしれないが、王国にも帝国にも凧は存在しないのだ。

 

 今一つな反応に、翔太がむうっと口を曲げる。

 けど揚げてみたなら、きっと喜んでくれるさ。そう気を取り直すと、凧を地面に設置し、凧糸を握りしめ、勢い良く走り出した。

 

 凧は地面を転がった。

 

 あれー? もう一回だ。

 向きが悪かったのかな。慎重に立て直し、今度こそ。

 

 凧は転げ回った。

 

 ……むうう。

 パティがなんとも言えない顔でこっちを見てる。控えめな感じだけど、何か文句も言ってるみたい。

 実際には、よくわかんないけど、なんか手伝おうか? と言ってくれていたのだが、未だ言葉の壁は厚いのだ。

 

 おかしいな、父さんと揚げたときは上手くいったんだけどな。

 あのときは……って、そうだ! 父さんに、持っててもらったんだっ!

 

 ねえパティ、お願い。ちょっと、これ持っててもらえる?

 うん、そうそう。そうやって高く上げて、そのままね。

 それじゃ、行くよっ!

 

 翔太、全力で走り出すも、手を離さないパティに引っ張られるようにして転倒。

 涙目の翔太だが、これでパティを責めるのは酷というものだろう。凧が壊れなかったのが幸い。丈夫に作ってくれていた父に感謝。

 

 むううううう。どうしよう。難しい顔をして考え込む翔太。

 いたたまれない空気の中、悩むことしばし。その時、翔太に電流走る──!

 

「パティが持って走って」

 

 結論。他人任せ。

 でもまあ、自分で揚げたほうがきっと、感動もひとしおだろう。きっとこれでいい。いいに違いない。いいことにしておこう。

 

 さっきから何をしたいのかは分からないが、翔太が走っているのをパティも見ていた。そして紐を渡されたのだから、きっと走れば良いのだろう。

 そして翔太が凧を持ち、パティが走り出す。タイミング良く翔太は手を離し、そして。

 

「揚がったっ! 見て、揚がったよ、パティっ!!」

 

 叫ぶ翔太を振り返って見れば、目に入るのは、浮かび上がった凧。

 そしてさらに、凧は風を掴みとると。ぐんぐん、天高くへと登っていった。

 

 驚きにまんまるの目。あっけにとられてぽかんと開いた口。そんなパティの顔が見る間に、眩しく輝いていく。

 後はもう、笑顔とはしゃぎ声しかない。パティの夕食の時間になるまで、2人は凧を手に、草原を走り回り、転げ回り。そして、笑いあったのだった。

 

 

 

 

 

「あれは、魔法具か何かなのかしらね」

 

 そう、母が言う。3人は貴族の子に何かあっては困ると、少し離れたところから子ども達の様子を見守っていた。そして、やはり見たこともない空飛ぶ道具に仰天したのだ。

 

「……わからん。俺にゃ魔法のことなんてわからんし、あれが子供のおもちゃなのか、それとも高価な何かなのか、それすらわからん」

「帝国のものなのか、もっと遠方から伝わったものなのか。少なくとも、王都でも見たことはなかったよ。それよりも……」

 

 あれの正体も気にはなるが、そんなの些細なことだ。

 重要なのは、あれに書かれていた紋章。それこそが、問題。

 

 翔太の父が凧を制作した際、そこには絵柄が入れられた。

 特にこれと言って意味のあるものではない、なんとなく和凧なのだから和風なのがいんじゃないかと探し、ネットで見つけた絵。素人でもこれならなんとかなると選んだ、そう複雑なものでもない。

 どこかの家の家紋らしい、2つの弓が交差した図案だ。

 

 日本ではその程度の、特に意味のないもの。だがその絵は、この場においては全く違う意味を持った。

 かのシューター家、その始祖は超絶的な弓の技量を持って貴族に取り立てられたという。

 故に、弓とはかの家の代名詞でもある。そしてその紋章にもまた、描かれているのだ。意匠化された、弓が。

 

「あれはやっぱり、シューター家の紋章を簡略化したものだと思う。かの一門に連なる証拠、って訳だ」

 

 貴族の紋章を勝手に使うことは、重罪に当たる。あそこまで簡略化されていれば、ただ偶然似ただけだと強弁することも出来るかもしれないが、目をつけられることに違いはない。わざわざそんなことをするメリットなど、ないのだ。

 

「もしかしたらあの道具は、戦場で使うものなのかもしれない。一族の紋章を空高くへと掲げることで、戦意の高揚をはかれるんじゃないかな。簡略化されているのも、遠目でもわかりやすくするためだと考えれば、理解できる」

 

 セリムのその言葉に、また頭を悩ませる。

 そして同時に、悩ませたところで意味もない。それがわかっているからこそ尚、父は苦悩する。

 どうせ、いくら厄介に思ったところで、追い返すことなど出来ないのだ。お貴族様に対して邪魔だから帰れなんて、言ってしまったら後がどうなるか。くわばらくわばら。

 

「結局、俺達にゃどうすることもできないか。とりあえず、あの子が来たら相手をするのが、パティの一番の仕事にする。それと、何か問題が起きたら、領主様の庇護を求めよう」

 

 長々と話し合ったが、平民に貴族をどうこうにできる方法など結局、ほとんど何もないのだ。

 父は長い溜息をつくと、今日はもう寝るかと、場を閉めようとする。

 

「でも、さ」

 

 と、何か思いついたように、母が声を上げた。

 

「そう悪い方にばかり考えなくてもいいんじゃないかい? もし、うまいこと妾にでもしてもらえたならさ、あの子の将来は安泰だよ」

 

 いや、待て。それはそうかもしれないが、でも待て。

 

「いやいやいやいや、まだあの子は9歳だぞ。嫁とか妾とか、そんな話は早すぎる」

「何も今すぐってわけじゃないでしょ。それに、あっという間だよ。女の子が大きくなるのなんてさ」

「なにをいう、パティは俺がずっと面倒を見てやるっ!」

 

 ふんすと、鼻息荒く父が言う。

 それを生暖かい目で見る、他の2人。

 

 この父は、パティを溺愛しすぎだ。

 まあ、わからなくはない。本来、働き手のためにも子沢山が普通の農村にもかかわらず、一人っ子のパティなのだ。その分、大事に思っているのだろう。

 

 パティを産んだ後の肥立ちが悪く、母は一命はとりとめたものの、次の子を産めない体になってしまった。それでもなんとかやっていけたのは、豊かなこの領土に住んでいたから。そして何より、村の皆が色々と手助けをしてくれたからからだ。

 その恩を返すため、父は村分けの際に、この地に移るのを立候補した。そんな経緯がある。

 

 もちろん、母もパティには幸せになって欲しい。

 その形の一つとして、身分違い故に妾ではあるが、幼馴染と一緒になるというのは悪くないようにも思う。

 

 まあ、どうなるかは、これから先の2人次第だろう。

 出来得ることなら、面倒な身分とか権力とか関係なく、仲良くやっていってくれたらと、願わずにはいられない。

 

「パティは、絶対に嫁にはやらんっ!」

 

 叫ぶ父。

 馬鹿なこと言ってないで今日はもう寝るよと、その後ろ頭をひっぱたく母だった。


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