時差ですよ、多分。
なし崩し的にだったけど、翔太がパティに好きだと言って。それにパティがほっぺにちゅうで返事をして。あの誕生会の日の出来事から、めでたく両想いとなった翔太とパティ。
けれど、それで二人の関係に何か劇的な変化があったかといえば、特にそのようなことはなかったりする。
そりゃあ、あれからしばらくは妙に気恥ずかしくて、二人で会った時も互いの顔を上手く見れなかったりしたけれど。うっかり目と目が合ってしまったなら、二人して頬が林檎のように真っ赤に染まったりもしたけれど。一人でいる時だって、大人になった後の自分たちのことを想像して、ごろごろとベッドの上を転げ回ったりもするけれど。
けれども今のところは、それ以上の何かがあるという訳でもなく。せいぜい、翔太が週末だけでなく、平日の学校が終わった後にも、ちょくちょくパティに会いに来るようになったくらい。ろくに話す時間も取れないというのに、それでも二人とも楽しそうにおしゃべりしているくらい。そして、それを見ているパティの母がニヤリと笑い、父がぶすっとした顔をするくらい。
とはいえ、それも当然と言えば当然のこと。いくら十代の半ばから後半までには結婚するのが普通の環境に住んでいるとはいえ、流石にパティにはまだ早い。翔太に至っては、十年経ってもまだまだ早い。
まあ、二人ともまだ子供なのだし、焦る必要などどこにもない。未来は二人の前に、無限の可能性と共に広がっているのだから。
そして。今日も翔太は、はにかみながら手を差し出して。嬉しそうに笑うパティが、その手を取るのだ。
これは、そんな二人に訪れた、とある小さな事件のお話。
「ねえ翔太、あれって何?」
繋いでいない方の手でそこを指差して、首を傾げつつ尋ねるパティ。不思議そうな顔をしているのは、そこに見慣れぬ品々が並んでいたからだ。
全体的に赤やピンクといった色彩で飾られた空間に、丁寧にラッピングされた箱がずらりと並べられている。前に来た時には、確かこんなのはなかったはず。
パティと翔太の二人は現在、駅前のスーパーマーケットにて買い物を楽しんでいる真っ最中。毎月の恒例となっている、セリムに渡すプレゼントを買いに来ているのだ。
トンネルをくぐって向こうに行って、パティを誘って戻ってきて。別にわざわざそんな手間をかけなくても、翔太が一人で買い物をすることだってもちろん出来るけど。仮にそうしてしまったのなら、後が怖い。
向こうではあり得ない品数の並んだ店内を目移りしながら歩いたり、レジでお金を払ってみたりするのが大好きなパティなのである。誘われなかったら、とても悲しむのだ。そして、とても怒るのだ。
まあ、目をキラキラさせながら品物を選んだり、お肉やお総菜に目が釘付けになっているパティを見るのは翔太だって楽しいので、何の問題もない。パティが喜んでくれるなら、それはとても嬉しいことなのだ。
これってもしかして、デートなんじゃないかって。そう気がついてからは、さらに喜びもひとしおの翔太である。
そうして二人並んで店内を歩いているうち、とある一角に目をとめたパティが疑問の声を上げたわけだ。売り場の並びを普段と変えて、人目に付くよう作り出された空間。そこに並んだ沢山の箱や袋。
お菓子売り場にあるのだから、やっぱりこれもお菓子なのかしら。あ、初めて会った頃にもらったクッキー、あれと似ている感じね。パティとしてはそんな何気ない疑問だったのだけれど。でも、尋ねられた翔太の反応が、少しおかしい。
返事が返ってこない。あれっと思って顔を覗きこんでみれば、目が泳いでる。
何故だか翔太は曖昧な笑みを浮かべて、言葉を濁すばかり。困っているような、照れているような、そんな顔をしているばかり。
「翔太?」
「えーっと、あれはね。なんていうか、その」
物怖じとなどとは縁のない、マイペースな翔太にしては珍しく、どうにも歯切れがよろしくない。
しばらく、そのままじーっと見つめてみる。無言の圧力をかけてみる。やがて観念したのか、翔太が一つ息を吐いて、何とも言いにくそうに説明してきた。
「……バレンタインのチョコレート、なんだけど」
ばれんたいん? 何それ、初めて聞く言葉ね。
小首を傾げ、さらなる説明を求めて、じーっと見つめ続けてみる。
「えっと、二月十四日にね、女の子がね、チョコレートを上げるんだ……好きな男の子に」
既に、顔が真っ赤の翔太である。
だって、仕方がないではないか。パティの好きな人が誰なのか、もう翔太は知っているのだし。ここでこんな説明をしてしまったのなら、何だか催促しているみたいというか。僕にチョコを渡す日なんだよって、まるでそう言ってるみたいじゃないか。それって何だか、とても恥ずかしいじゃないか。
以前だったらこんなに照れたりしなかったはずだけど、さらっと流せた気もするけれど。でも、こういうのは一度意識してしまうと駄目なのだ。年齢的にはまだちょっと早いけど、ただいま青春真っ盛りなのだ。
「へー。こっちには、そういう風習があるのねー」
対してパティといえば、特にそれほど気にした様子は見せない。感心した風に、売り場の方を眺めている。でも、良く見て欲しい。耳の辺りとか。ほら、やっぱりこちらも真っ赤に染まっているから。
けれど、パティから翔太にチョコを贈るには、一つ大きな問題がある。
「けど、ごめんね翔太。私、こっちのお金持ってないから」
「あっ、うん。……そうだよねー」
うん、知ってた。それは知ってたけど、少し悲しいような。でもちょっと、ほっとしたような。けれどやっぱり、とても残念なような。そんな複雑な気分の翔太である。
でも、ごめんねってことは。仮にお金を持っていたなら、チョコをくれたってことだよね。夜になってからそう気がついて、翔太はベッドの上でゴロゴロともだえることになる。
そんなやりとりはあったけれど、セリムへの贈り物は無事に購入した翔太。ちなみに、今回はパティのすすめもあって、久しぶりの砂糖である。
その後は二人でのんびり散歩をして、そのままパティを村まで送って。そしてその日は解散となったのだけれど。
翔太は、気がつかなかった。
スーパーでバレンタインの話をした時とか、さようならをしたときとか。パティが、何か企んでいるような、そんな顔をしていたことに。妖精の笑顔を浮かべていたことに。
「さて、と。これで準備は完了ね」
あれから数日が過ぎ去って、今は翔太の世界の暦でいうところの二月十三日。バレンタインの前日である。
場所はセージ村にある、パティの自宅のかまどの前。目の前に並ぶのは、今日のために彼女が用意した品々。足りない物がないことを確認し、満足気に良しと頷いている。
一体、パティは何をしようとしているのか?
答えは簡単。翔太にチョコレートを贈るために、準備をしているところなのだ。バレンタインの話を聞いた時、パティは既に決めていたのだ。これは、チョコを渡すしかないわよねって。
きちんと言葉にして好きだと伝えるのは、まだちょっと恥ずかしいけど。だけどチョコを渡すくらいなら、自分にだって出来るはず。ほっぺにちゅうが出来たのだから、これくらいなら頑張れるはず。
「翔太、喜んでくれるかな-?」
うきうき気分で、その時のことを想像してみる。
気持ちのたっぷりと込められた、甘い甘いチョコレート。少し照れながら、それを翔太に渡す自分。翔太はきっと、ありがとうって言ってくれるわよね。それで、チョコを一口食べて、微笑んで。それから、お返しとか言って、翔太の顔が近づいてきて、口と口が……。
「駄目っ! それはまだ駄目っ! まだ早いんだからっ!」
いやんいやんと、身もだえするパティ。やけに妄想が具体的なのは、おそらく翔太の家で見せてもらったアニメのキスシーンを参考にしているからだろう。
なお、その先についての知識は、まだ彼女は持っていない。流石に翔太の両親も、見せる作品の内容については気を使っているようだ。
ところで、パティの計画を実行するに当たっては、一つ重要な問題がある。それは、あのスーパーだけでなくこちらの世界でだって、パティがチョコを買って手に入れるのは難しいということ。
こっちとあっちの世界の関係性から考えるに、こちらの世界においても、何処かにチョコは存在する。そう、パティは予想している。でも、残念なことにセージ村はもちろんのこと、温泉街でも売っているのを見たことはないのだ。仮に売っていたとしても多分、パティの手持ちのお金では買えないだろう。きっと、見たこともないような数字が並ぶ値段に違いない。
では、どうするか。
「買えないんだったら、作るしかないわよね」
それがパティの出した結論。正直、手探り感は否めないけど。でも多分、何とかなる。何故なら、パティは知っているのだ。チョコレートが、何から出来ているのかを。
こっそりと、スーパーで売っていたチョコの箱をひっくり返して、原材料の欄をチェックしていたのだ。既にパティは、ひらがなカタカナはもちろん、漢字だって大体は読めるのだ。そうやって得た知識、すなわち。
「チョコレートの材料は、カカオ豆っ!」
右手に作ったこぶしを高々と掲げ、得意気に宣言。
「……は、ないから、大豆で代用っと」
初手、躓く。
豆の種類は違うけど、まあ似たような物は出来るでしょ。そんなお気楽なパティだけれど、彼女は知らない。カカオは豆とは呼ばれているけれど、大豆などのいわゆる豆とは全然違う物だという事実を。
けれど、それで止まるようならパティじゃない。彼女は、一度決めたことならば、壁にぶつかるまでは突き進む性格なのだ。むしろ、ぶつかったならば、その壁を正面からぶち破るタイプなのだ。
「とりあえず、水で戻しておいた大豆を煮込んで柔らかくして、っと」
弱火でじっくり、クツクツと煮込まれていく大豆。
ちなみに、大豆は領主様がこの地に広めた食材。彼の故郷ではよく食べられていた物で、この豆から作られる調味料を再現するために取り寄せたのがそもそもの始まり。結局、目的であったその調味料自体は、正確な作り方がわからなかったこともあって、似たような何かしか完成しなかったけれど。でも、豆そのものは優れた食材として、皆に受け入れられたのだ。
なお、この豆が本当に領主様の言うところの大豆と同じものであるかどうかは、彼自身にも今ひとつ確信がない。けれどまあ、少なくともカカオ豆と比べれば、より大豆に近いものには違いないだろう。
「チョコは甘いんだから、これも忘れちゃいけないわよね」
パティ、袋の口をびりっと破いて、中身を鍋にどばっと投入。この間、翔太と一緒に買ったばかりの、砂糖をどばどばと惜しげもなく投入。
いいのか、パティ。その砂糖の使用量は、こちらの世界においては相当な金額となるのだが。というか、そもそもそれは、翔太からセリムへのお礼の品ではなかったのか。けれど、パティの行為を止める者はこの場にはいない。
一応、パティも考えての行動ではある。前にもらった砂糖を大事にため込んでいるセリムに対して、もっと使ってくれていいのにって翔太は常々言っていたのだ。そもそも、砂糖は向こうでは百円ちょっとで買える品なので、使い惜しみする必要はないとパティは知っているのだ。
それに、この砂糖を使い込んでしまった分は、別の形でセリムに返すつもりのパティである。彼は今、温泉街に学校を作るという事業に取り組んでいるので、その手伝いという形で。向こうの小学校のカリキュラムとかを図書館で調べて教えてあげれば、きっと手助けになると思う。
そうこうしているうちに、どうやら豆はすっかりと煮えて、柔らかくなってきたようだ。
試しに一粒を、あちちあちちと言いながら摘まみとって、ぱくりと口の中に放り込んでみる。柔らかく煮えた豆がほろりと崩れて、じんわりと染み出してくる甘み。うん、とっても美味しい。これはご馳走ね。
……何となく。本当に、何となくだけど。チョコとは、ちょっと違うような気がしなくもないけど。とりあえず、気にしないことにする。
「さてと。それじゃ、次はっと」
これはこのままでもとても美味しく食べられるけど、このままではチョコレートとは呼べない。チョコはもっと滑らかできめ細かくて、口の中でとろりと溶けるもの。豆の形なんて、残っていてはいけないのだ。
なので次に行うのは、豆を潰す作業。木べらを使ってえいえいと、大胆かつ丁寧に、げしげし豆をついていく。裏ごしするような道具があればいいのだけれど、残念ながらこの家にはない。頼れるのは、手にしたこの木べらだけ。よろしく頼むわよ、相棒。
思っていたより重労働だけど、そこは翔太の喜ぶ顔を想像すれば、むしろやる気が満ちてくるというもの。嬉しそうに楽しそうに、笑顔で鍋の中にへらを振り下ろす少女。ちょっとホラー。
ここで、予想外の事態がパティを襲う。
あれ、これって、どうしようかしら。
「どうしよう、取った方がいいのかなあ」
既に水分は十分に飛んだので、鍋は火から外されて。豆もあらかた潰れて、滑らかなペースト状になっているのだけれど。チョコレート(予定)の中に、豆の皮が固形物として残ってしまっているのだ。
この状態からチョコを無駄にしないように皮だけを全て取り除くとなると、ものすごい作業量となってしまう。まあ、大変とはいえ、作業自体は苦にはならない。一つ一つ取り除く度に、より翔太の喜ぶ完成品に近づくと思えば、きっと楽しく出来ると思う。
でも、それはそれとして。
「うん、これはこのままにしておきましょ」
見た目や舌触りは変わってくるけど、味が悪くなる訳じゃない。
それに何より、豆の皮だって大切な食べ物なのだ。美味しく食べれるものをわざわざ捨ててしまうなんて、とんでもない。開拓村育ちのパティとしては、いくら翔太のためとはいえども、この辺りは譲れない部分であるようだ。
そういう訳で。これにて無事に、チョコレートの完成。
とは、ならないようだ、どうやら。残念なことに。
「……これ、固まる気がしないわね」
うーんと、眉根を寄せたしかめっ面で、鍋の中身を見つめるパティ。
チョコレートとは、手に持っている時はカチカチだけど、口の中に入れればトロリと溶けるもの。それを目指して、一口サイズに丸めて乾かそうと思ったのだけど。
どうしよう。これ多分、固まらない。どちらかというと、干からびる未来が見える。
チョコって、どうやって固めるんだろう。何か固まる成分のあるものを混ぜるのかな。スーパーで見た原材料の中には、それっぽいものは無かったと思うんだけど。
あっ! 冷凍庫っ! ……は、うちにはないし。翔太に頼んで冷凍庫に入れてもらうんじゃ、渡す前にバレちゃうし。うーん、困った。
鍋を前に腕を組み、目を瞑ってうんうんと頭を悩ませるパティ。そのまま時が過ぎること、しばし。
やがて、パティの目が見開かれる。頬が上気して、嬉しそうに口元がほころんでいる。どうやら、何か名案を思いついたようだ。
パティは食糧の貯蔵部屋へと足を伸ばし、挽いた小麦の粉を用意。それを水で溶かしてタネを作って、フライパンに薄くのばして焼き始めた。
まもなく、普段食べてるパンとは全然違う、まるで紙のように薄くて丸い生地が完成。そしてそれを何枚も、何枚も。
「ふっふーん。流石、私」
そうよ。チョコが固まらないなら、手に持てないんだったら。持てるように、生地で包めばいいじゃない。
これって、テレビで言ってた、逆転の発想って奴? そう得意気に胸を張るパティだけれど、残念なことにそれは違うよと突っ込んでくれる翔太は今、隣にいない。荒ぶるパティを止めてくれる人はいない。
まあ、どちらにせよ、今となっては手遅れなのだけど。止めるのなら、豆を煮始める前に止めなくてはいけなかったのだけれど。
焼き上げた生地の真ん中に、匙ですくったチョコレート(推定)を乗せて、くるりと巻いて。一口サイズの大きさに仕上がった何かを、丁寧に並べていく。
入れ物は、以前にもらったクッキーの空き缶だ。既に綺麗に洗って、用意してある。包んで詰めて。包んで、詰めて。包んで、周りをきょろきょろ、誰も見ていないのを確認して、ぱくりと一口。
美味しいっ! これ、すっごく美味しいっ!
……でも、あれ? 美味しいんだけど、あれ? これって、もしかして……あれえ?
味は、間違いなく美味しい。作った自分だって満足出来る。きっとと翔太も喜んでくれる。
見た目だって、悪くない。綺麗な入れ物にきっちりと並べられた、同じ大きさのチョコレート(仮称)。これなら温泉街に持って行ったって、きっと売れると思う。あのお金持ちのお爺さんだって、きっと喜んでくれる品になったと思う。
……だけど。
おかしいわね。こんなはずじゃなかったのに。
見事に完成した、翔太に贈るバレンタインのチョコレート。それを見つめるパティの顔には、何処か納得のいっていないような、憮然とした表情が浮かんでいたのだった。
「パティ、おはようっ!」
一夜明けて、翌日。
バレンタインデイ、つまりは決戦の日がやってきた。
都合の良いことに今日は土曜日だったので、朝早くから翔太が会いに来てくれた。
今日はどうしようか、お買い物かな? それとも図書館? 公園を散歩するのもいいし、こっちでピクニックも楽しそうだな。あ、温泉街まで行ってみるのもありだねっ! パティの顔を見るなり、指折り候補を挙げていく。
どうやら翔太は、家の中でゲームをするのではなく、今日は外に出たい気分のようだ。
でも、いいのだろうか。今日はとても良い天気だけれど、逆に気温はとても低いのだが。良く晴れている日こそ、二月の空気はとても冷たいのだ。
けれど、心配する必要など全くない。この冷たい空気こそが、実は嬉しいのだから。だって、繋いだ手の温かさを、より感じることが出来るから。最近、冬が好きになった翔太である。
そんな、今日という一日を過ごすのが楽しみで仕方が無い翔太とは裏腹に、パティの様子がどこかおかしい。手を後ろに回して、モジモジと。何だか気もそぞろな様子。
いつもなら、色々と翔太が候補を挙げた後、鶴の一声とばかりにパティが予定を決定するのだけれど。でも今日は何故だか、翔太の声すら届いていないみたい。
「どうしたの、パティ? 具合でも悪いの?」
「だっ! 大丈夫っ! 元気、だからっ!」
もしかして体調が悪いのかと、心配した翔太が顔を覗きこんでみるけれど。二人の顔と顔が近づいてきたとたん、急に飛び跳ねるように、赤い顔をして体ごと後ずさるパティ。
その仕草に、翔太がむうっと口を尖らせる。何だよ、別にそんな、大げさに逃げなくったっていいじゃないか。ぷくりと頬を膨らませ、じとりと視線を湿らせて、無言で抗議を訴えてみる。
「違うからっ! 別に、近づいたのが嫌だったとかじゃないからっ!」
「……じゃあ、何さ」
「えっと、そのね。この間、言ってたじゃない、バレンタインって風習があるって。女の子が、その、あれなやつ。あれって、今日でしょ?」
恥ずかしそうに、背中を丸めて。まだ翔太より少し背が高いのに、伏せた顔からの上目遣いで。はっきりと伝えたいのだけれど、上手く言葉に出来なくて。
そんなパティが、どうにかこうにか勇気を振り絞って。一生懸命に思いの丈を、言葉にして紡ぎ出した。
「……だからね、作ってみたの。その、食べてくれるかな……翔太?」
そうして。
後ろに回していた手を、翔太へと差しだしてきた。少し震えるその手にあるのは、いつかのあのクッキーの缶。
すると当然、今度は翔太の挙動が不審になる番だ。
ロボットみたいにぎくしゃくと、上手く動かない手をカクカクと、心臓だけは飛び跳ねるように元気いっぱいで。
そうやって、翔太は受け取ったのだ。パティの気持ちがぎゅっと、溢れるほどに詰め込まれている、その贈り物を。
ごくりと、緊張で喉が鳴る。翔太も、パティも、二人とも。
翔太が缶の蓋に手をかけて、伺うようにパティを見る。うん、と。パティが声に出さずに返事をする。
壊れ物を扱うように繊細に、蓋がそうっと開けられて。中に並んだそれを見てキラキラと、翔太の瞳が輝いていく。パティの顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。
そして、そっとその一つを手にとって。伺う翔太に、うんうんと頷くパティ。
無言のまま、翔太の手が、口に運ばれた。
ゆっくりと、ゆっくりと。一噛み一噛み、味わって。その甘い甘い愛情を、舌と心で味わっていく。
期待するような、でも怖がるような。不安に揺れるパティの見守る中、最後の一欠片までしっかりと味わった翔太が、ついに声を上げた。
「……美味しいっ! 美味しいよ、パティ!」
もう、声だけでなく、顔だけでなく、体中から一杯の幸せをまき散らしている翔太。
その溢れる感情の激流を、喜びの奔流を。整えることなくむき出しのまま、言葉に乗せてパティへと。
「本当に美味しいよっ! このアンパンっ!!」
「チョコレートだもんっ!!」
ちょっとだけ、涙目のパティであった。
でも本当は、パティにもわかっていたのだ。最初に煮えた豆を味見した時に、思ったのだ。あれ? 色は違うけど、これって餡子じゃない? って。
その後も、やっぱり思ったのだ。完成したものをぱくりとした時に、既にわかっていたのだ。薄いけどパンで包んじゃったんだから、これってアンパンよね、って。
でも、それを素直に認められないのが、複雑な乙女心だったのである。
この後、自分の言葉の何がそんなに彼女を傷つけてしまったのかもわからずに、必死にパティをなだめる翔太の姿があったそうな。
でもまあ、特に心配する必要など無いのだろう。
なんだかんだといいながら、それから二人は。今はまだ花の咲いていない、思い出の虫除けの草の生えた丘まで行って。
冬の寒空の下、身を寄せ合うようにして。二人して、幸せいっぱいのこぼれそうな笑顔で。パティの主張するところのチョコレートを、互いに食べさせあったりなんて、していたのだから。
辺境領は、今日も平和です。