駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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26話 パティ、買い物に出かける。

 栗栖家の自室で、翔太が夏休みの宿題のお礼の手紙の文面を、うんうん唸りながら考えていたときのことである。

 

「ねえパティ、セリムさんにさ、何かお礼した方が良いのかなって思うんだけど」

 

 唐突に、彼がそんなことを言い出した。

 王国語を教えてくれてありがとうじゃ、先生や両親に何のことだって思われちゃうよね。勉強を教えてくれてって書いた方が良いかな。あと、他にはどんなことを書いたらいいんだろう。んー……だめだ、思いつかない。

 などと、頭を悩ませていた様子だったのに。どうやら随分と煮詰まってきて、集中力が途切れてしまったようだ。

 

 絵日記も書き終えて、特にやることもなく翔太の漫画を読みふけっていたパティが、億劫そうに顔を上げる。

 いま、良いところだったのに。主人公の格闘家が雑魚敵をばったばったとなぎ倒し、ボスの下に辿り着いたところだったのにと、少し不満顔だ。ちなみに、恋愛漫画などには手を出さないパティである。まあ、翔太もそういう本は持ってないけど。

 

「お礼って、その手紙じゃないの?」

「これもそうなんだけどさ。ほら、授業料みたいなの払った方が良いかなって」

「そんなの気にしなくてもいいのに。今までに本とか色々もらってるんだし」

「でも、それはパティにあげたやつだし。セリムさん、何か欲しがってるものとかないかな?」

 

 叔父さん、本当にそういうの気にしてないと思うんだけど。でもまあ、翔太がそうしたいって言うのなら。もしかするなら、こっちの世界の常識だとお礼をするのが当然で、しないのは礼儀知らずってことなのかもしれないし。

 ならばと、パティは考えを巡らせる。右手の人差し指をあごに当て、視線は空へと向けて、ん~っと頭を悩ませる。そのまま、しばし。

 あれ? 何も思いつかないわね。

 

「……特に、ないんじゃないかな?」

「えー。村で必要なものとか、何かあるでしょ?」

 

 と、言われても。基本的に村の生活というものは、自給自足で成り立ってしまうのだ。

 セージ村で育てられている農作物は、税としても納める麦と豆が主な物となる。これは、辺境領の他の村でも大体が同じ。麦の育ちにくいところでは芋を主食にしている場合もあるけれど、幸いなことにこの地は豊かな土壌に恵まれている。これに自分たちで食べるために育てている野菜や森からの恵みを加えれば、生きていくのに十分な糧となるのだ。

 他に必要な物と言えば、なんだろう。塩は税を納めるときに一年分まとめて領主様から買わせてもらっているし、味付けに使う野草も自分たちで採ってこれるから大丈夫だし。村であんまり手に入らない物っていうと……。

 

「あ、お肉っ!」

「いや、食べ物から離れようよ、パティ」

 

 なによ、せっかく教えてあげたのに。ぶーっと口を尖らせるパティ。

 でも実際、お肉はとても貴重品。栄養的な意味では豆からタンパク質は摂取できている。でも、それはそれとして、やっぱりお肉は美味しいのだ。特にセージ村では食べるための家畜は育てていないし、森にも大きな獲物は棲んでいない。つまり、肉を口にする機会は少ない。口に入る動物性タンパク質といえば、たまに罠にかかっている野ウサギや、川で獲れる魚。あとはせいぜい、木の中にいる芋虫ぐらいな物。

 肉。それはセージ村の住人にとって、垂涎の的なのである。文字通りに涎が垂れるという意味で。育ち盛りのパティならば尚更だ。

 

 ちなみに、村人の主なタンパク源である豆であるが、元々この辺りでは育てられていなかった。何でも、辺境伯様が自身の故郷の食べ物を再現したく、余所から持ってきて育て始めたのが始まりだったらしい。それがやがて、栄養価に優れて保存も利く素晴らしい食材であると、市井に広まっていったそうだ。

 尚、件の故郷の味の再現は叶わなかったとのこと。哀れ。

 

「でも、食べる物以外でって言われても……」

 

 村の暮らしでそれ以外の物はあまり必要とされていない。強いて言うなら、農機具や調理器具といった金物の類いだろうか。

 これらは、年に数回やってきてくれる行商人から買うか、急ぎの場合には温泉街まで出向いて手に入れることになる。とはいえ、これらはそう頻繁に買い換えるような物でもないし、現在は新しい物を必要とはしていない。それに何より、だ。

 

「翔太、そんなに高い物を買うお金持ってるの?」

 

 パティの疑問も当然。翔太がお貴族様だったなら、こんな心配は必要ないのだろう。でも実際は違うと言うことを、もうパティは知っているのだ。

 こっちの世界の物は、どれもこれも素晴らしい物ばかりだけれど。これらを持って帰れたなら、向こうでは一財産なんだろうけど。もしも車なんかが向こうにあったなら、とても便利なんだろうけど。個人的にはテレビとブルーレイが欲しいんだけど。でも、そういった物は子供の小遣いで買える値段ではないのだと、パティは既に学んでいるのだ。

 尚、それらを使うためにはガソリンとか電気が必要なので、仮に持って行けたとしても役に立たないという事実にはまだ辿り着いていない。

 

「えーっと……200円くらいかな?」

「それって、どれくらいの価値?」

「うんとね、菓子パンが二つ買えるくらい」

「翔太だって食べ物が基準なんじゃない」

 

 呆れた視線を向けるパティ。そして、同時に悟る。こちらの物価がどれくらいなのかは良くわからないけど、200円じゃお肉は諦めた方がいいんだろうなと。いや、セリムへのお礼であって、別にパティにあげる訳ではないのだが。

 

「200円で買えるもの、他にどんなのがあるの?」

「……ジュース二本くらい」

 

 パティのじと目に、渋い顔をする翔太。やっぱりこの値段では、セリムが喜ぶお礼の品などは難しいのだろうか。

 でもまあ、翔太を責めないであげて欲しい。200円というのは、彼からしてみればかなり思い切った額なのだ。月の収入の40%を大放出なのだ。

 しかも、貯金箱に収まっているお金を勘定に入れていないのにも訳がある。翔太はこれから毎月、お礼の品を届けるつもりでいるのである。所謂、月謝としてセリムに支払うつもりなのだ。それを踏まえての、200円なのである。

 

「菓子パンもジュースも美味しいから、それでも喜ぶと思うけど。ねえモーリ、何かない?」

「鎧兜」

「あんたに聞くだけ無駄だったわね」

 

 モーリ、平常運転である。

 ちなみにゲームにも飽きたようで、今は翔太の髪を気付かれないようにこっそりと三つ編みにするのにチャレンジしている。

 あ、追加でリボンが装着された。それ、どこから持って来たのよあんた。ばれないように、必死に笑いを堪えているパティも、随分とモーリに染まってきたようだ。

 

「お店に行って考えた方が良いかなあ」

「お店?」

「うん、駅前のスーパー。パティ、一緒に行かない?」

「行くっ!!」

 

 お買い物っ! 期待に胸の前で両の拳をぎゅっと握り、瞳を輝かせて即答するパティ。

 買い物なんて、彼女には初めての経験。こっちの世界だけでなく、自分の世界においても。村での暮らしに貨幣はあまり必要ではなく、子供にお金を持たせるなんてもってのほか。パティもこれまでに、お金を触った経験などほとんどない。

 

「ねえ翔太、お金を払うとき、私がやってみてもいい?」

「え? 別に良いけど?」

「ありがとうっ!!」

 

 喜びの感情のままに、ぴょんとパティの体が宙を舞う。これまでに何度も見てきた光景に、既に翔太も慣れたもの。両腕を開いて待ち受けていたりする。パティは予想通りにその勢いのまま胸に飛びつくと、力一杯ぎゅうっと翔太の体を抱きしめた。

 でも、自分も抱きしめ返すのは、やっぱり少し恥ずかしかったようだ。開いた腕が所在なさげにさまよっている。よく見ると、頬に少しだけ赤みが差してもいる。困ったような照れたような、そんな笑みを浮かべている。けれどそんな翔太の様子に、パティは全く気がついていない。既に心は買い物へと向かっていた。

 

 ああ、楽しみ。本当に、楽しみ。

 お店って、どんな物を売ってるのかな。遊園地や動物園の売店みたいな感じかな。ソフトクリームを買ってもらったときみたいな、屋台がいっぱい並んでいたりするのかな。

 あっ、きっとお肉も売っているわよね。買えないのは分かっているけど、見ているだけでも絶対楽しいに決まっている。一体、どういう風に売られているのかな。もしかして、一頭いくらとかで売っているのかしら。山羊や豚といった家畜がずらりと並んでいる様子を想像し、パティの口元がにんまりと。

 

「ほらパティ、離してくれないと出かけられないよ」

「あ、ごめんなさい。さ、翔太、行くわよっ!」

 

 パティはぴょんと翔太の体から離れると、颯爽と風を切って玄関へと向かって歩き出す。足取り軽く、意気揚々。さあ出発だ。

 っと。でも、その前に。

 

「翔太、出かける前に鏡を見ておいた方が良いわよ」

 

 パティの言葉に、不思議そうな顔をする翔太。

 その頭の上では、虫除けの花を翔太の髪に挿そうと、そうっとモーリが忍び寄っていた。


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