駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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24話 翔太、王国語を学ぶ。

 動物園で大満足の一日を過ごした、その翌日。

 翔太は朝ご飯を勢いよく掻き込むと、約束したとおりにパティの住む村へと向かうことにした。

 

 家から歩いて少しの場所にある基地の、その生け垣。その一箇所にぽっかりと、草木で編まれたトンネルが口を開けている。

 改めてまじまじと見てみれば本当に、なんとも奇妙な光景だ。どうしてこれを不思議に思わなかったのかと、自分の観察力とかそういったものを疑問に感じてしまう程。でもどうやらパティがいうには、それもモーリの悪ふざけの一つだったらしい。魔法なのか何かは分からないけど、妖精の力でそれが普通だと思わせていたとか。その上で世界が違うということに、どれだけ気づかせずにいられるか。それを楽しんでいたとのこと。

 エルフのラニが、妖精はめんどくさいと言っていたそうだけど。うん、確かにそれも良くわかる。

 

 でも、そのおかげでパティと友だちになれたんだ。だから、僕はモーリに感謝している。お礼をするというのも変な話なのかもしれないけれど、一回きちんとお話しをしてみたい。そう、翔太は思っているのだが。

 

「ねえ、モーリ。いるんだよね?」

 

 虚空に問いかけてみるも、応えはない。

 もしかしたら、頭の上辺りで返事をしているのかもしれないけれど、その声は翔太には届かない。

 

 しばしの後。ちぇっと、小さく呟いて。翔太は異世界の友だちと会うために、トンネルの中へと一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

「いらっしゃい、翔太っ!」

 

 目的の家の扉をコンコンと叩くと、待ちかねたと言わんばかりに元気よく扉が開かれ、パティが嬉しそうに顔を覗かせた。夏の日差しを浴びた金色の髪がきらきらと、顔に浮かんだ笑顔とともに輝かんばかり。

 

 ちなみに、パティの髪の毛であるが。翔太の家でお風呂に入らせてもらって以来、かつてのくすんだ黄色に戻ることもなく、輝きを保ち続けている。

 こっそりと母さんがお土産に持たせてくれたリンスインシャンプーで、週に一度は髪を洗っているのだ、パティは。川辺で泡泡になっているパティを見て、そんなにこまめに洗わなくてもいいんじゃないかいと、母などは呆れた様子で言っている。それに怒ったように顔を赤らめて、もしくは照れたように頬を染めて、「別にいいじゃないっ!」と声を荒げるパティである。

 彼女だって女の子。やはり容姿には気を使ってしまうのだ。自分の髪の毛が実はきらきらととても綺麗だったのだと、そう知ってしまったのだから尚更だ。もう、元には戻れない。これも文明の毒に染まってしまったと言うことなのか。

 そして、可愛い娘が誰かのために綺麗でいようとしているのかと。それがどうにもこうにも気に入らなくて。色気付きやがってとぶつぶつと、不貞腐れたように呟く父。ここまでがワンセットである。

 

 さて、翔太を見る目がじっとりと湿っている父のことは、さておき。

 いよいよ、王国語の勉強会だ。

 

「じゃあ、まずね。これが、パティっていう字。私の名前ね」

 

 以前に翔太からもらったノートと鉛筆を使い、パティが文字を連ねていく。翔太もよく知る英語のアルファベットにもどこか似ているようで、やはり異なる文字列。

 これが、パティの名前なんだ。これで、パティって読むんだ。全く知らない言葉を覚えるのはとても大変で、時間のかかることだろう。それでも、この名前だけは一番に覚えよう。すぐに書けるようにしよう。そう、心の中で決意する翔太だった。

 

「それでね、これが村の名前。セージ村ね。それで、これが村長の父さんと、母さんの名前」

 

 白いページに、次々に書き連なれていく文字たち。

 パティの顔は得意気な色に染まり、翔太に何かを教えられるのがとても嬉しそう。

 

「後は、領主様に納める作物の名前が、これと、これと……」

 

 パティ先生の気分は最高潮。気分はまるで、おとぎ話の魔法使い。鉛筆という杖を振るい、文字という魔法が生まれていく。

 

 だが、しかし。前触れもなく、翻っていた右手がぴたりと。時が止まったかのように、固定された。

 楽しげに響いていた声は沈黙に取って代わり、魔法は打ち止め。笑みの浮かんでいた顔に表情はなく、真顔で虚空を見つめるパティ。

 

「……パティ?」

 

 訝しげな翔太の声にも、反応はなし。その動きは、固まったまま。

 

「どうしたの? 平気? 気分でも悪いの?」

 

 ぽん、と。翔太の手がパティの肩に乗せられた。とたん、ビクリとパティの背筋が震える。

 心配した翔太が首を傾けて、その顔を覗きこんでみたならば。視線を合わせまいと顔を逸らし、あさっての方向を見つめている。なんだか、だらだらと冷や汗までかき始めた始末。

 

 じっと、無言で見つめる翔太。

 やがて、観念したようにパティが口を開いた。

 

「……翔太ぁ」

 

 声が震えている。悲しみとはまた違う、別の要因で。

 

「私ね、王国語って、これしか知らないんだった……」

 

 堪えるようにぷるぷると震える、鉛筆を握る右手。うつむいた顔は、恥ずかしさを堪えて赤く染まり。上目遣いに翔太を見つめる目には、うっすらと涙がにじんでいた。

 

 

 

 くてんと机に突っ伏して、決して顔を上げようとしないパティ。

 大丈夫だよ、僕は気にしてないよと翔太が告げても、嫌だ嫌だと伏せた顔を左右に振るだけ。机とおでこがぶつかってゴリゴリいってるけれど、大丈夫だろうか。赤くなっていないか心配なところ。

 

 まあ、つまりはそういうこと。

 パティに出来る王国語の読み書きは、自分の名前と家族の名前、村の名前、税として納める農作物の名前。これでおしまいだったのだ。

 現在のパティは、翔太に対抗意識を燃やすあまりに、母国語よりも日本語の方がよほど達者に読み書きできるようになってしまっている。目的に対して一直線に過ぎるというか、脇が甘いというか。なんとも、パティらしい話であった。

 

 けれど、別にパティが誰かに劣っているという話でもない。むしろ、これだけ知っているだけでも、たいしたもの。辺境の開拓村の暮らしにおいて、必要にして十分なだけの読み書きは出来るということなのだから。

 

 そして、これまで翔太に日本語を教えてもらった分のお返しが出来ると思って舞い上がって、その事実に自分で全く気づいていなかった。恥ずかしい、ああ恥ずかしい、恥ずかしい。

 そうして顔を上げられず、首を振るだけの現状である。羞恥に顔が赤く、おでこは擦れて赤い。

 けれど一体、どうしたものか。このままずっと机とおでこを喧嘩させたままでいる訳にもいかない。

 

 だが、仮にパティが十分に王国語の読み書きが可能であったとしてもだ。それを翔太に十分に教え込むことは、なかなかに厳しかったことであろう。全くの未知の言語を学ぶというのは、非常に難易度が高い行為なのである。

 しかし、パティ自身はそれを成し遂げた。異世界の言語である日本語を、少なくとも小学生レベルには習得して見せた。ここに、何か現状を打破する方法が隠されていないだろうか。

 パティは考える。おでこをゴンゴンさせながら考える。自分が日本語を学ぶ際に役に立ったことは何だろうか?

 

 まず第一の理由を挙げるならば、それはパティ自身の能力の高さだろう。彼女が生まれ持った頭脳の優秀さは並大抵のものではない。一方向に集中すると周りが見えなくなる欠点はあるけれど。

 第二に、学習意欲の高さ。怒りから転化された、絶対に翔太と話せるようになってやるというモチベーションの高さもまた、常人に持てるものではなかった。

 この二つの理由はパティだからこそというべきものであり、残念ながら翔太にはないものであろう。

 

 では、翔太にも転用できるものは何かないのか。

 次に挙げられるものとして、教師の存在。言うまでもなく、パティに日本語を教えた翔太のことだ。

 これは、立場を入れ替えることで自分が王国語を教えられるとパティが思い、舞い上がり。そしてつい先程、挫折した。

 

 四つ目、そしてパティの日本語習得において役に立った最後の要因。それは、教材の存在である。

 翔太が持ってきた文部科学省監修の国語の教科書は、長年に蓄積されたノウハウの詰め込まれた、問答無用に優秀な教材だった。まあ、それはそうだろう。小学校に入学したばかりの子供が、一から学ぶための教材なのだから。

 しかし、パティはそのようなものを持っていない。持っているはずがない。以前にも言ったが、この世界において本とはとても貴重で高価なものなのだ。叔父のセリムが学んだ王都の学校などならまだしも、こんな辺境の村に存在するはずがない。

 では、何か代わりになるようなものはないか。何か、翔太が学ぶ助けとなるようなものは、この家にないものか。

 

 パティはがばりと、おもむろに顔を上げると、きょろきょろと家の中を見渡す。

 急にどうしたの、僕は気にしてないから、ゆっくりと王国語を勉強していくから気にしないでと。慰めてくる翔太の声も置き去りにして、必死に考えを巡らせる。

 

 そして。

 ついに、パティは見いだした。とっておきの、教材を。

 

 

 

「これが、翔太が王国語を勉強するのに使う、とっておきの教材です。はい、拍手ーっ!!」

「おー、ぱちぱちー」

 

 意味が良くわからないけど、とりあえず拍手する翔太。

 意味が分かっているので大笑いしながら、翔太の頭の上で拍手するモーリ。

 

「……俺には帝国語は分からないけどね。でも、とりあえず扱いが酷いんだろうなってくらいは察せるよ、パティ」

 

 やけくそ気味に声を張り上げ、はいこちらと。ぴんと指を伸ばした両手の平で、自分の横の席を指し示すパティ。

 そこには、苦々しい表情を顔に浮かべて、パティの叔父が座っていた。

 王都の学校で学問を学んで、それなりに優秀な成績で卒業して。でも色々あって辺境へと帰ってきた、セリムの姿があった。


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