駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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2話 お花畑の女の子。

「それじゃ母さん、いってきまーすっ」

「しっかり摘んでくるのよー」

 

 畑仕事をしている男連中の為に、大量の昼ごはんを仕込んでいる母親へと声をかけ、パティは家を飛び出した。

 玄関を出て、三歩も進めばもう、トップスピード。くすんだ金髪を風になびかせ、走る。

 途中ですれ違った村人がパティへと向けてくる微笑ましい視線に、右手に持った籠をブンブン振って応えるも、速度は落とさずに走る走る。パティは今日も元気いっぱいだ。

 

 目的地は、村近くの森の手前。そこまで足を止めずに走り抜けられれば、パティの勝ち。

 いや、別に誰と戦っているわけでもないのだが、パティの中ではそういうことになっているのだ。

 

 やがて心臓が悲鳴を上げ、肺が懸命に酸素を求め、鉛のように重くなった足が止まりそうになったとき。ついに、一面に白い花が生い茂ったその場所へとたどり着いた。

 ふう。今日もいい勝負だった。

 

 パティは今年で9歳になった。この、まだ出来て日が浅いセージ村において、数少ない子供の一人だ。もっとも、他の子供は村分けされてこの場所に住み始めてから生まれた子ども達。なのでまだまだ、よちよち歩き。

 一緒に遊ぶ相手がいないため、彼女は様々な事柄にマイルールを定め、勝った負けたと一喜一憂している。

 寂しい一人遊びだって? それも仕方がないではないか。実際、寂しいのだ。それに、他に遊ぶ方法などないのだから。

 

 ちなみに、村分けとは何らかの理由があってその村でそれ以上の住民を増やすことが難しくなった時、有志を募って別の地に新しい村を起こすことを示す。大体、単純に土地が足りなくなったとか、水路をそれ以上伸ばすのが難しくなったとかで、新しい畑を作れなくなったときに行われる。

 所謂、開拓民の村だ。そう聞くと過酷な生活が待っているような気もするが、実際のところはそこまで生活が厳しいということもない。

 

 その理由としては、もともと土壌が豊かな土地だとか、人を襲うような大型の獣が少ないとか色々とある。だが、一番の理由は領主様からの支援を受けられるから。

 この、王都から遠く離れた辺境の地一帯を治める辺境伯様は、領民のために様々な手助けをしてくださるのだ。

 

 

 

 辺境伯様は偉大な方だ。

 そう、この地に住まう民は皆、彼のことを慕っている。そして、その立志伝に強い憧れを抱いてもいる。

 

 彼はもともと貴族などではなく、一介の商人に過ぎなかったという。それも遠い異国からやってきた、己の身一つで商う行商人。

 つまりはこの国の階級の中で、奴隷を除けば最も底辺に近い存在だったのだ。

 そんな彼は、この国の王都に流れ着いた時、こう思ったという。

 

「何故、誰も手を洗おうとしないんだ?」

 

 当時、王国の民に手洗いという習慣は存在しなかった。

 うがいなんて聞いたこともない。風呂なんてもってのほか。3日に1度、濡れタオルで体を拭いたなら、それはもう綺麗好き。

 

 ぶっちゃけ、不潔だった。臭かった。誰も彼もが、汚かった。衛生? なにそれ美味しいの?

 自然と、病気が蔓延することとなる。だがしかし、それも彼らにとってはごく普通のこと。平民たちの間に赤子が生まれて一年が経った時、半分も生き残っていれば儲けもの。そんな国だったのだ。

 

 若き日の辺境伯には、それがどうしても我慢ならなかった。無駄に失われてく命に、強い憤りを覚えた。そして、彼はその衝動のままに行動を起こした。

 手洗いとうがいの重要性を説いて周った。体は毎日拭くよう、出来るなら水浴びをするよう指示を出せと、有力者に掛け合った。そして、皆がふんだんに水を使えるよう、決して多くはなかった資産を投げ打って井戸を掘った。

 

 下町を中心としたその活動を当初、真面目に受け入れる者は少なかった。けれど、試しに言うとおりにしてみると当然、体はスッキリと気持ち良い。それが気に入って続けてみるとどうだろう、不思議と体が丈夫になっていく。

 そして数年が経った後、彼の住む下町の病人の数は激減していたのだ。

 

 そしてこの事実が、王の目に止まることになる。彼はその功績を持って、1代限りの爵位である准男爵位を賜ることとなった。

 

 あとはもう、トントン拍子だ。

 彼が持つ異国の様々な常識、この国にとっての非常識を伝えていくうちに、だんだんと国が豊かになっていく。彼の爵位もどんどんと上がっていく。そしてついに、辺境の王とまで言われる辺境伯へと上り詰めたのだった。

 

 地位と権力、領土を手に入れた後の彼も、何も変わることはない。領民が健康で豊かに暮らせるように。それが彼の望みだった。

 井戸を掘り、時には水を生み出す高価な魔道具を配布し、過度な税をかけることもなく、自身は清貧な暮らしぶりのまま、ただ民のために。

 

 生活が楽になるということは、生産が上がるということ。生産が上がるということは、税収も上がるということ。

 そして辺境伯がその地位について、30年ばかりの年月が流れた今では。この地は辺境とは名ばかりの、国内でも有数の豊かさを誇る領土へと変貌を遂げていた。

 もともと、隣国である帝国と接した王都から最も遠い土地が故に辺境と呼ばれ、開発がなされていなかっただけだったのだ。土地が持つその潜在力は、十分なものだった。

 

 もっとも、辺境伯のことを批判する人がいないわけでもない。パティの父の弟、セリムなどは言う。伯が民に優しいのは、それが国力に繋がるからそうしているに過ぎないからだと。

 セリム叔父さんは子供の頃から頭が良く、厳しい試験をくぐり抜けて王都の学校に通うことの出来た、村の期待の星だった。

 ちなみに、この学校の設立も辺境伯の肝いりがあってものだ。

 能力のある民は身分にかかわらず育てるべきだと、それ結局は国の力となるのだと、彼は王の前で力説したという。

 

 だが、セリム叔父さんはそれなりに優秀な成績で卒業したにも関わらず、あまり良い仕事にはつけなかった。王都とは結局、生まれが物を言う世界なのだ。出身が農民では、上に登るのも難しい。結局は、商会の下働きとして安月給でこき使われる毎日が待っていたのだ。

 

 そういう訳で、王都でくすぶっていた叔父さんは、村分けによって兄が新たな村長となったという知らせを受けた時、辺境に帰ってくることにした。 

 新たに生まれたセージ村を発展させて、その功績をもって辺境伯に文官として取り立ててもらうつもりだとか。何だよ、結局は領主様に頼っているんじゃないかと、村人たちは呆れて笑っている。

 

 

 

 何だか随分と話が逸れてしまったが、パティの住む土地はそういう場所だった。生活していくに十分な収穫と、優しい領主様。おそらく国内の農民の中で比較すれば、相当に豊かな生活をおくれているのだろう。

 

 とはいえ、働かずに暮らしていけるなんて言うことは当然、ない。それが例え9歳の女の子でも、もちろん。

 パティの仕事は、親たちが仕事をしている間、ヨチヨチ歩きの子ども達の面倒をみること。それと、あれやこれやの様々な雑用。そのうちの一つが、今この場所まで走ってきた理由だ。

 

 村から近くの森の手前、この場所にはこの時期、一面に白い花が咲き乱れる。

 女の子なら自然と、うっとり見とれてしまうような光景。だがしかし、その花を見つめるパティの目は熟練した狩人のそれ。獲物を見つめる眼光が鋭い。

 

 パティの名誉のためにも言っておく。彼女も初めてこの場所に来たときには、湧き上がる衝動を抑えきれずにはしゃいだのだ。それはもう、女の子らしく、可愛らしく。

 歓声を上げ、微笑みを浮かべ、ゆっくりと花に近づき、その香りを堪能し。

 そして、思いっきり顔をしかめた。

 

 臭かった。

 

 何だろう、鼻にツンと来る。ちょっと涙が出てきた。

 ここまで案内してくれた母を見れば、必死に笑いをこらえている。酷い。

 

「ごめんね、パティ。この花はね、虫除けの花なのよ」

 

 そう、笑いながら言われた。

 先に言ってよ、そういうことは。いやこれ、絶対わざとだ。そうに違いない。 

 何でも、この花の香りが虫は大嫌いらしい。……いや、人間だって嫌いだよ。本当にひどい匂い。

 

 ただ、こんなにひどい匂いだけのことはあるようで。この花を煎じて煮詰めた汁は、万能虫除け薬になるとのこと。

 原液を木窓の桟や玄関の枠に塗っておけば、家の中に虫が入ってこなくなる。水で薄めたものを畑に撒けば、作物が虫でやられることがなくなる。そんな便利な花らしい。

 そしてこの日より、この花を集めるのがパティの仕事となったのだった。

 

 

 

 ぶちり。

 花を摘む。というか、もぐ。

 

 えいやっと抜いてしまうのは駄目。次の花が咲くように、草が死んでしまわないように、根っこは残しておかなければならないのだ。だから、花のちょっと下あたりを摘んで、ブチリと引きちぎる。

 

 一回に摘む花は、持ってきた籠に一杯になるまで。

 花はまだまだたくさん咲いているけれど、これ以上摘んでしまうのも駄目。その調子では花が散ってしまうまでに全部を摘むことは出来ないけれど、それでいい。種ができる分の花は残しておかなければ、いずれこの花畑がなくなってしまうから。

 

 指先が段々と緑色に染まってくるけれど、それは我慢するしかない。ナイフがあれば作業がだいぶ楽になりそうだけど、鉄製の刃物は貴重なのと、子供にはまだ危ないということで持たせてもらえないのだ。

 

 今日はいい天気だ。

 屈んで下を向き、一心不乱に作業をしてると、自然と汗が滲み出てくる。

 でも、気をつけなくてはいけない。これは、罠だ。

 何気なく手で顔の汗を拭おうとすると、染み付いた草の汁で目が染みるのだ。それはもう、痛いほどに。涙が出てきて、しばらく目が開かなくなるほどに。体験談なのだから、間違いない。

 

 虫除けの花摘みとは、過酷な戦いなのだ。

 もうパティの心の中には、初めて花畑を見たときの感動など、欠片も残ってはいない。ここは戦場だ。汗がポタリと垂れるまでの間に、籠を一杯に出来ればパティの勝ち。そういうルールの。

 

 やがて、決着のつくときがやってきた。

 籠の中は花で溢れている。そして汗は……垂れていない。

 

「……ふぅ。今日も、厳しい戦いだったわ」

 

 パティは自身の勝利を噛みしめる。

 そうして一息ついて、ニヤリとした笑みを浮かべつつ、額の汗を拭うと。

 

「目がっ! 目があああっ!!」

 

 その場にのたうち回る羽目になった。

 教訓。油断大敵。

 戦場では、気を抜いたその瞬間こそが一番危険なのだ。

 

 

 

 その時だった。不意に、背後から声をかけられたのは。

 知らない声。そして、意味のわからない音の連なり。外国の言葉? こんな響きは聞いたことが無い。

 村の人じゃないのは間違いないけど……って、しまったっ!

 

 戦いに夢中になりすぎて、周囲への警戒をすっかり怠ってしまっていた。最低限の警戒すら忘れてしまうなんて、戦士としてあるまじき失態だ。

 この辺りには大型の肉食獣もいないし、人さらいが出たという話も聞いたことが無い。辺境伯様のお陰で治安は本当に良くなった。

 とは言えそれでも。人は、死ぬときは死ぬ。それはもう、あっさりと。命の火が、消えてなくなる。それが、この世界の常識。だと、言うのに。

 

 目は、まだ開かない。もどかしい。はやく、そこに迫った危険を確認しないといけないのに。

 焦るパティに、再び言葉がかけられる。けれどやっぱり、何を言ってるのか全くわからない。声はまだ幼い子供のもの。自分と同じか、あるいはもっと年下か?

 はっきりとわかることは、一つだけ。やっぱり、聞いたことのない言葉だということ。

 

 染みて涙が溢れる目を無理に、どうにか薄っすらと開けてみる。

 涙でぼやけた視界の中には、心配そうな顔をしてこちらを見つめる、可愛らしい男の子の姿があった。

 

 

 


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