駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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19話 大切なことに遅れて気がついたりもする。

 右手が痛い。右の、手の平がじんじんする。

 別に怪我をしている訳じゃない。あれからもう何日も経っていて、痺れなんかもとっくになくなってる。

 それでもまだ、痛い。翔太の頬を叩いた感触が鈍い痛みになって、手の平にまとわりついて離れない。

 日はとっぷりと暮れて、今はもう寝る時間。けれどパティはベッドの中で今日も眠れず、ぎゅっと右手を握りしめていた。

 

 

 

「あの子と喧嘩でもしたのかい?」

 

 夕食の時に聞いてきた、母の言葉が思い出される。

 いつもだったら翔太と2人で遊びに行っている日のはずなのに、出かける様子も迎えに来る気配もないまま一日が終わって。次の日も同じで。そりゃあ、何かあったなんてすぐわかる。

 けど、そのお見通しっていう顔はやめてほしい。なんだかイラッとする。翔太が来なくて喜んでいる父と、何をしでかしたんだと青くなっている叔父の顔は、更に癇に障るけど。

 

「別に、なんでもないよ」

「本当に?」

「……」

「パティ?」

「……叩いた」

 

 ごまかそうとかとも思ったけど。パティは嘘をつくのが嫌いだし、それ以上に嘘をつくのが下手だった。それにどうせ、母さんにはすぐばれる。

 パティは溜め息一つはき出すと、やらかしたことを正直に告白した。

 

「あの子がかい?」

「違う、私が」

「だろうねえ」

 

 そこで納得するのはさすがにどうなのよ。私だってそこまで乱暴者じゃない……と、思う。

 父が喜色満面になっている。父さん、しばらく口をきいてあげないから。セリムはあわあわしている。もう、叔父さんはそれでいいよ。

 

「で、何があったんだい?」

「……翔太はずるいの」

 

 そうだ、翔太はずるいんだ。

 だって、そうじゃない。私が日本語を一生懸命に勉強したのは、翔太と友だちになりたかったからなのに。なのに翔太が王国語を覚えたいのは、ラニと話をしたいからだという。

 なんだか、私だけが必死になってる。私の友だちは翔太しかいないのに、翔太からすれば私なんて友だちの一人でしかないみたいで。そんなの、ずるい。そんなの、不公平だ。

 

 たどたどしく、自分でも良くわかっていなかった心の内を整理しながら、パティが言葉を紡ぐ。

 聞いている母の顔は優しい色で満ちていて。対照的に父はぶすっとした顔。叔父さん? 青くなったままですが。

 

「なるほどね。あんたが何を気に食わないでいるのか、だいたい分かったよ」

「ね、翔太はずるいでしょ?」

「いいや、それは違うよ、パティ」

 

 自分の言葉を否定され、むすっとするパティ。

 そんな彼女に母は優しく、諭すように言葉を続ける。

 

「ショータ君の友だちが、自分一人じゃなきゃ嫌なのかい?」

「……ううん。翔太にはもう、いっぱい友だちいるし」

 

 翔太は学校の話をしてくれた。この村の全員を合わせたよりももっといっぱいの子供が通っていて、友だちだけでも何十人もいるって言ってた。

 別にそれを聞いたときは、ずるいとは思わなかった。いいなあと、うらやましくは感じたけど。だから、今いる友だちと別れろなんて、流石にそんなこと思ってない。

 

「それじゃあパティ。そのラニって人のこと、あんたは好きかい?」

「うん、ラニは好き。いい人だよ」

「なら、ショータ君とラニさんと、そしてパティ。3人で友だちになるってのはどうだい?」

 

 考えてみる。

 3人で一緒に遊んでいるところ……は、いまひとつ想像できないわね。でも、自分と翔太が遊んで、それをラニが見守ってくれているところだったら。それなら、しっくりくる。

 うん、それは素敵な光景だ。

 

「別にショータ君とラニさんが仲良くなるのが嫌ってわけじゃない。だったらパティは、何が気に入らないんだろうね?」

 

 ……なんでだろう?

 母さんの言っていることは間違ってない。なら、なんで私はあんなに嫌な気持ちになったんだろう。

 

「……わかんない」

「そうだねえ。まだ、よくわかんないかもね」

 

 眼を細めて、なんだかとても楽しそうな母。

 

「教えてあげるのは簡単だけど、自分で気がついた方がパティのためだ」

「そうなの?」

「ああ、そういうもんさ」

 

 そう言ってくすりと笑う。

 ぶすっとしながら何か言おうとした父の額を、母の手がぺしりと叩いた。

 

「とりあえず、ショータ君は悪いことしてないってのは分かるね、パティ?」

「……うん」

「じゃあ、どうしようか?」

 

 ううっと、下を向いて考えるパティ。

 けど、本当はもう分かってる。認めたくなくて、わがまま言ってただけだって。

 

「……謝る」

「よくできました。次に会ったときに、きちんとごめんなさいするんだよ」

「……うん」

「パティ、一つだけ母さんからヒントだ。あんたは言ってたでしょ、自分がショータ君の一番の友だちになるんだって。頑張りな、自分が一番だったらきっと、怒ったりはしなかっただろうからね」

 

 おっと、ちょっとヒントを与えすぎたかねえ。

 にやりと、母が珍しく悪戯顔を浮かべていた。

 

 

 

 寝床の中で、母の言葉を思い返すパティ。

 自分が翔太の一番になるってこと、その大切な気持ちを忘れてた。翔太は普通だったら自分じゃ届かないところにいるけれど、それに釣り合う自分になるんだって。そう、決意していたのに。あんなに強く思っていたはずなのに。

 ……まあ、貴族だと思ってた翔太は、実際はそうじゃなかったんだけど。

 

 それなのに、いつの間にか翔太と一緒に遊ぶのが当たり前になっていて。自分が翔太の隣にいるのが当たり前だと思うようになっていて。その気持ちを忘れかけてた。

 でも、そうじゃない。そうじゃ、なかったはずなんだ。

 

 翔太がラニとお話ししたいんだったら、すればいい。他にいっぱい友だちを作りたいんだったら、つくればいい。

 それでも翔太の中での一番に、自分がなればいいんだった。

 もう、忘れない。私はもっと、もっとっもっと、成長してみせるんだ。

 

 とりあえず、今やらなければいけないのは、勇気を出すこと。きちんと、叩いてごめんなさいって、躊躇わないで翔太に言うこと。

 本当は、今すぐにでも翔太の家に行って、この気持ちを伝えたい。けど、私の方からじゃ会いに行けないからなあ。

 

 ……あっ。

 もし、翔太がもう来てくれなかったらどうしよう。どうしようもないんだけど、そうなっちゃたら私、どうしたらいいんだろう。

 

 頭を抱えて、ベッドの上でごろごろと。

 パティの眠れぬ夜は、今日も続いていくようだった。

 

 

 

 

 

 その頃。翔太もまた、眠れないでいた。

 パティに叩かれたことをまだ怒っていたから、ではなく。それとはまた、別の理由で。

 

 あの時は、そりゃあ頭にきた。

 けれど家に帰って、父さんと母さんにパティが酷いんだよと話してみたなら。

 

「あー。そりゃあ、翔太が悪い」

 

 って言われてしまったので。

 パティちゃんは、翔太と話したくて日本語を覚えたんだろ? それなのに翔太は別の人と話をしたいんだって。そんなこと言っちゃったら、そりゃあパティちゃんだって面白くないさ。まあ、手が出ちゃったのは良くないことだけどな。

 

 そう言われてみて、納得できた。

 うん、確かに。パティが自分のために日本語を覚えたんだったら、自分だってパティのために王国語ってのを覚えるべきだった。

 あのお姉さんとお話ししてみたいのは本当のことだけど、一番の理由は2人が話しているところに入っていけなかったからなんだから。だから、パティと王国語で話したいっていうのも、それも本当のこと。

 

 だから、次の土曜に会いに行って、自分からごめんなさいをしよう。

 もちろん、パティからもぶったことについては謝ってもらって。それでおしまい、仲直り。また2人で一緒に遊ぼう。

 

 翔太の中では、このことに関しては気持ちの整理がついていた。

 いつまでもうじうじと、過去にはこだわらない。これも、翔太の良いところだ。まあ、細かいところを気にしない大雑把な性格だともいえるが。

 

 だから、翔太が眠れないでいるのは、また別の理由。

 今回の仲違いの原因の一つとなった、あのお姉さんのことを思い出していて。そして、気がついてしまったのだ。

 

 銀色のきらきらとした髪の毛。雪のような白い肌。宝石みたいに不思議な色の瞳。

 お人形さんみたいに綺麗な顔。少しさみしそうな笑い方。

 ファンタジー映画に出てくるみたいなあまり見ない服装。腰から下げた細い剣。

 

 

 

 ……剣?

 

 

 

 あれ?

 何であの人、剣なんて持ってたんだ?

 パトロールにつかうのかな? でも、ナイフとか銃とかじゃないの、普通は。よく知らないけど。

 

 なのに、剣。

 あんなの、アニメや映画の中でしか見ないよね。何て言うのかな、エルフが持ってそうな細い剣。

 

 ……あれ?

 あの人の耳、少し尖ってなかった?

 

 えっ? ええっ!?

 なんで? どうして今まで気がつかなかったの?

 それだけじゃない。ひとつおかしいと思うと、どんどん変なところに気がついてくる。

 

 あの森の奥の基地だって、いくら何でも地平線が見えるほどの広さなんてこと、あり得るの? 東京タワーやスカイツリーに上ったって、家やビルがいっぱい見えるだけだってのに。それなのに、あそこではそういう高い建物がどこにもなかった。

 

 あの緑のトンネルを抜けてパティを送っていったとき。あのとき、トンネル消えてたよね? 後ろを向いたら茂みがなくなってたよね?

 

 あの街だって、馬車とか今時ないってばっ!

 石畳の町並みとか、ヨーロッパの方ならあるかもしれないけど。でも、重機を使わないで人の手だけでわざわざ作ったり何てしないよね?

 

 えっ?

 ええっ!?

 えええええええええええええっ!!

 

 こんなの、おかしいって。

 これじゃあまるで、まるで。

 

「まるで、異世界みたいじゃないかっ!」

 

 どうして今まで、何も疑問に思わなかったのだろう。

 でも、気がついてしまったらもう。胸はどきどき、目は覚めて。

 今日はもう、とても寝れる気のしない翔太だった。


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