駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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12話 知らないほうが幸せだった真実もあります。

 トンネルの中は思っていたよりも、ずっとずっとしっかりしていた。

 翔太とパティの2人が、ぎりぎりだけど、並んで立って歩けるくらい。それだけの高さと横幅がある。

 

 けれども、のしかかるような圧迫感がものすごい。まるで、閉じ込められたみたいな不安感。逃げ場のない虫籠に、押し込められたかのよう。

 天井も、壁も緑色。びっしりと隙間なく、草や木で覆い尽くされて、それこそ虫の這い出る隙間もないほど。

 

 でも、そう感じているのは私だけ?

 隣を歩く翔太といえば、また新しい歌なんて歌って、相変わらず楽しそう。一緒に歌おうともしてみるけど、駄目。口を開くと、震えが漏れてしまいそう。

 だから、ただ歩く。

 翔太に手を引いてもらっておずおずと、口数も少なく、パティは歩き続ける。

 

 光が入り込むような隙間なんて、どこにももないように思える。入り口からの光だって、本当だったらもう届かないはず。それなのに、この中は不思議と明るい。翔太の顔が見えるのに、ただほっとする。

 ほっとはするけど。でも、やっぱり変。どうして明るいのかがわからない。何か不自然で、何処かおかしい。

 絶対に、こんな場所が自然と出来たりはしないと思う。

 

 怖い。

 何がかはわからない。何処がかは、わからない。それなのに、ただただ怖いという感情が、心の奥底からじんわりと滲み出してくる。自分の感情が制御できない。

 逃げ出したい。入ってきたところまで、思いっきり走って戻りたい。そんな気持ちが沸き起こる。

 

 翔太の手を握る力を、ぎゅうっと強めた。

 この手だけが、頼みの綱。繋いでいるなら、安心できる。多分、手にたっぷりと汗をかいているだろうから、ちょっと恥ずかしい。

 

 ……あっ。また、だ。

 また、視界の端の方を、蝶がひらりと舞い踊った。

 

 壁にも天井にも、蝶が入ってこれるような隙間なんてないのに。

 入口も出口も、見えないくらいに遠いのに。

 この場所に、蝶が飛ぶなんて、どう考えたっておかしいのに。

 でも、それ以上は考えないようにする。考えてしまったなら多分、もうこれ以上は歩けなくなってしまう。

 

「パティ、大丈夫? 疲れた?」

 

 パティの様子がおかしいのに、翔太もとっくに気がついている。だって、普段の彼女だったら、きっと喜ぶはずなのだ。

 こんな不思議で面白い場所に来たのなら、いつもの彼女なら大はしゃぎ。出口まで競争とか言って、翔太を待たずに走り出したに違いないのだ。

 

 それなのに。

 薄暗いのが怖いのか、狭いのが苦手なのか、知らない場所が嫌なのか。さっきから、怯えて震えて。

 まるで、可愛らしい女の子のようじゃないか。

 

「ううん。大丈夫だから早く、ここから出よ。それよりも翔太、なんか失礼なこと……」

 

 

 

──……帰れ。

 

 

 

「わひゅあうっ!!」

 

 何っ!

 今の、何っ!

 何か聞こえたあああああっ!!

 

「ショ、ショオオオタアァァ……」

「どしたの、パティ? いきなりおっきい声なんて出して」

 

 パティ、手を繋ぐだけじゃあ、もう駄目だと。体ごと抱きつくように、翔太の腕にしがみつく。

 無理よ、1人でなんて歩けない。歯の根は震えて、足はガクガク。

 何あれ、何あれ、今の何あれっ!?

 

 けれど。そんなパティのことを、翔太は不思議そうに見るばかり。

 涙目どころか、既に零れ落ちそうなほどに瞳に雫が溜まっているのを、首を傾げて見つめるばかり。

 

「何か、帰れって聞こえたあぁぁ」

「えー? 気のせいじゃない?」

「聞こえたもんっ! 絶対変だって、ここ……」

 

 

 

──……その手を、離せ。

 

 

 

「ほらまたぁぁ。手を離せってぇぇ」

「パティ? 何も聞こえないよ?」

「嘘だあぁぁ」

 

 翔太、私のことからかってる?

 ……ううん。翔太は冗談や悪ふざけは好きだけど、本気で嫌がられることはやらない。 

 だから。本当に聞こえてないんだ、翔太には。

 

 何で聞こえないの? 何で私にだけ聞こえるの?

 誰の声なの? 何の声なの? 何して欲しいの?

 戻った方がいいの? 手を離した方がいいの?

 いったい私は、どうすればいいの?

 

 頭の中が大パニック。疑問が溢れて止まらない。

 どうすればいいのか、わからない。どうしたら駄目なのか、わからない。只今、絶賛混乱中。

 

 足を止めて翔太にすがりつくパティの、その頭の周りを淡い光がをくるくると。おどけるように、嘲笑うように、舞い踊る。

 そしてまた、クスクスという笑い声がパティの耳へ。楽しむように、からかうように、響き渡る。

 

 

 

──帰れ。帰れ。離せ。クスクス。

 

 

 

 嫌。やめて。怖い。助けて。

 誰かっ! ショーターっ!!

 

 必死の思いも、届かない。

 すぐ隣りにいるのに、体温を感じ取れるほどなのに、この気持は届かない。翔太はパティを心配しつつも、変わらず首を傾けるばかり。

 

 

 

 帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。離せ。帰れ。帰れ。

 帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。離せ。帰れ。帰れ。離せ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。離せ。帰れ。帰れ。帰れ。帰れ。

 

 

 

──かえ……

 

「うるっっっさあああああああああああああああああああああいいいいいっ!!!」

 

 突然。

 パティが叫びを上げた。

 

 何よ、何よ、何よっ!!

 帰れ帰れって、それしか言えないの? 隠れてコソコソするしか出来ないの?

 むっかついた、頭にきた。あんたの言うことなんて、聞いてやらないっ!

 

 人間、恐怖が限界を超えてしまったなら、突飛な行動を取ってしまうもの。

 例えば、ただその場に蹲って泣きわめいたり、何処へ向かっているのかも定かではなく走り出したり。

 

 それがパティの場合には、怒りの発現という形で現れた。わかりやすく言うと、切れた。ブチ切れた。

 湧き上がる怒りが、恐怖を何処かへと押し流しす。何故にこんなにも理不尽に、自分が怯えなくてはならないのか。何故、従わなければならぬのか。

 

 そんな理由なんてない。そんな道理なんて、何処にもない。ええ、ふざけないでもらいたい。全く欠片も、ないったらないのだ。

 なによ、私に言う事を聞かせれるもんなら、聞かせてみせなさいよ。

 

 私は……負けないんだからねっ!!

 

 まあ、開き直ったとか、そうともいう。

 そういえば。翔太が村に来なくなったときととか、名前呼びを断られたときとかも、こんな感じになったような。

 怒りを糧に成長する女、パティ。扱いを間違えると大変だ。翔太は気をつけるように。

 

 まだ涙は残っているものの、顔つきを一転、きりりと引き締める。負けるものですかと、握りしめた拳が頼もしい。

 ただし、注意して欲しい。

 何も聞こえていない翔太から見れば、突然に叫び声を上げだした、ただの変な子に相違ないのだから。

 

「えっと、パティ?」

「行くわよっ! ショーターっ!!」

 

 繋いだ手を握りしめ、今度はパティが先頭に立って、ぐんぐんずんずん歩きだす。

 え、突然どうしたの? ちょっと待ってよ、パティ。待って、早いっ! 歩くの早いってっ!!

 

 翔太の必死の抗議もパティには届かず。だってパティも、これで必死だし。何気にテンパってるし、仕方ないよね。

 なので、手を引かれる翔太の足が追いつかず、つっかえつっかえになっていることなんて、ろくに視界に入ってないのもまた、仕方のないことなのだ。

 あ、翔太が転んだ。けれどパティは振り向かない。後ろは見ない、前向きな女。転んだ翔太をそのままに、繋いだ手もそのままに、ただただ前へ前へと歩みを進める。

 村の仕事で鍛えた力は伊達ではない。ズルズルと引きずられる翔太が、哀れ。

 

 

 

──帰れ。

 

 やだ。

 

──帰れ。

 

 知らない。

 

──手を離せ。

 

 何で?

 

──帰れよ。

 

 断る。

 

──帰れってば。

 

 やだってば。

 

──帰れって言ってるじゃんかよー。

 

 やだって言ってるじゃない。

 

──もー。お前、ほんと帰れよなー。

 

 何よ、どんどん怖くなくなってきてるわよ。

 

──コイツから離れろってー。

 

 絶対、嫌。

 

 

 

「お前なんて嫌いだーっ!」

「私だって、大っ嫌いっ!!」

 

 

……あれ?

 

 最後、今までで一番はっきりと聞こえた声に、思わず叫ぶように返事をした時。目に見える景色が、一変していた。

 迫るような天井も壁も、何処にもない。空は高くて青くて、お日様の光がさんさんと。

 

「……出れたんだ」

 

 振り返ってみれば、木でできた壁の下の方に開いた、屈めばくぐれるくらいの小さな隙間。

 あれ、今まで通ってきたトンネル? あんなに小さかったっけ?

 何か変だ。でも、変なのはあそこに入ってから。ううん、入る前からずっとそう。

 

 あそこは、人が通っちゃいけない道な気がする。

 少なくとも、私はそう。あの声が何なのかわからないけど、私のことを追い出そうとしてたことだけは、はっきりと分かる。

 

 でもなんだか、ショーターのことは違うみたい。あいつ、ショーターのことが好きなのかな?

 ショーターはあれが何なのか知ってるのかな? でも、声は聞こえていないみたいだったし。とりあえず、聞いてみよう。

 

「ねえ、ショーター……ショーターっ! どうしたの、大丈夫っ!!」

 

 一息ついたパティが、視線を翔太へと向けてみれば。そこには、引きずられてボロボロになった無残な姿が。

 服はドロドロ、髪はボサボサ。擦りむいた膝小僧からは血が滲んでる。

 

「……酷い。あいつにやられたのね。そうなのねっ!」

 

 あいつ、ショーターのことは好きなんじゃないかって思ったのに。

 許せない。私の大切な友だちを傷つけるなんて、絶対に許せない。次は絶対、とっちめてやるんだから。負けないんだからねっ!

 

 ボロボロの翔太を抱きかかえるように、自分の方へと引き寄せる。そして穴の向こうの何かから守ろうと、自身の体を盾にする。

 視線にのせた燃え盛る炎。怒りも露わに、トンネルの向こうを睨みつけるパティ。

 

「……パティって、力が強いんだね……」

 

 翔太とはいえば、ようやくそんなことを呟くのが精一杯だった。

 それでも、恨み辛みや怒りの言葉を口にはしない辺り、彼の体の半分は優しさで出来ているのかもしれない。

 

 とりあえず、これからもパティの友だちでいるためには、もっと運動をした方がいいのかもしれない。

 家でのゲームは控えめにして、もっと外で遊ぼうと誓う、翔太であった。

 

 

 

 

 

「ここが、ショーターの住んでる街なんだ」

 

 温泉街は、パティの村とは全くの別世界だった。

 どこまでも続く、真っ平らな一枚板で出来た道。その道を、馬が牽かない馬車が走っている。

 あれ? 馬が牽かないのに馬車って変よね。『ばしゃ』じゃなくて、『しゃ』? あっ! あれが本に載ってた『くるま』ってやつなんだっ!

 

 あの、人が動かしてる車輪が2つの乗り物も、『くるま』の仲間なの?

 あれ、乗ってみたい。楽しそう。

 

 小さな狼に縄をつけて、連れ歩いてる人が何人もいる。

 猛獣使いもいっぱい住んでるのね。衛兵みたいなものなのかしら?

 

 道の横に建っている建物もすごい。信じられないくらいに高い。翔太に聞いたら、10階建てくらいかなって言ってた。

 2階建ての家だって、村にはないっていうのに信じられない。階段で登るのが大変そうね。

 

 すごい。温泉街すごい。ニホンの技術力ってすごいっ!!

 

 でも、ちょっと。空気の匂いがあんまり好きじゃない。

 何だか臭くて、目に染みるような気がする。これが、温泉の匂いってやつなのかしら。独特の臭いがするって聞いたもの。

 

 目に映る物の全てが目新しくて、あれもこれもが物珍しくて。

 翔太を引っ張っては、あれは何だと聞いてまわり。翔太を引きずっては、これは何だと尋ねてまわり。

 さっきまでの恐怖や怒りなどすっかり忘れて。謎の声のことをショーターに尋ねるのもすっかり忘れて。全身全霊で、知らないものを知る。それに夢中になっているパティ。

 その一挙一動が、楽しそうで。その笑顔が、眩しくて。案内している翔太の顔も、にっこにこ。

 

 

 

 だからパティは、油断をしていたのかもしれない。

 あのトンネルよりも、この温泉街よりも。そんなものなど霞んでしまう衝撃が、この後に。パティに襲いかかるのを、虎視眈々と待っているというのに。それに一切、気づくことなどなかったのだ。

 真実とは、時に残酷なものだ。それを、パティは知ることになる。

 

 

 

「ついたっ! ここが僕の家だよ、パティ」

 

 ショーターの家は、とても立派なお屋敷だった。パティの基準では。

 そりゃあ、ここまで歩いてきた中には、もっと大きな家もいっぱいあったけど。それでも、今の村にも前の村にも、こんな素敵な家はなかった。

 

 家の周りは生け垣で囲まれて、そんなに広くはないけど庭もある、2階建ての家。庭には雨をしのげるように屋根の付いた場所があって、そこには『くるま』が停められている。

 あの不思議な乗り物、ショーターの家にもあるんだ。やっぱりすごい。あ、『じてんしゃ』もあるっ! 乗せてもらえるかな?

 

 パティの手を引いて、大人の胸の高さくらいまである金属で出来た門を開ける翔太。

 そこで、パティは気がついた。門の横に、何か文字が書かれた石版みたいのが貼り付けてある。

 

 知ってる。これは、漢字。

 でも、漢字は種類が多すぎて、まだ簡単なものしか読めない。残念ながら、これも知らない字だ。

 

「ねえ、ショーター。これ、何て書いてあるの?」

 

 尋ねてしまったのは、好奇心から。

 聞けば何でも教えてくれる。何でも知ってる。それがショーターなのだ。

 なので当然、その答えも返ってきた。

 

「これはね、表札っていうの。家に住んでる人の名前が書いてあるんだよ。だから、これは栗栖。くりすって読むんだ」

 

 ……?

 ……クリス?

 

「ショーター、家族と住んでるんでしょ?」

「そうだよ?」

「なら、クリスじゃなくてショーターって書いてないと変じゃない?」

 

 ショーターの説明を聞く限り、家名が書かれるのが普通なのではないだろうか。貴族のお屋敷に、家の紋章が記されるのと同じようなものでしょ?

 

 パティの質問に、翔太もまた不思議顔。

 この子は一体、何を言っているのだろう? 栗栖翔太って、何度も自己紹介しているというのに。

 

 ……って。

 あ、そうか。

 

「そっか、順番が違うんだ」

「順番?」

「うん。日本ではね、名字が先で、名前が後なの。だから僕は、栗栖が名字で、名前が翔太」

 

 ……。

 ……え? それって、どういうこと?

 ……もしかして? え? えっ!? えええっっ!!

 

「っていうかさ。じゃあパティは、ずっと僕のこと名字で呼んでるつもりだったの? ひどいよー」

 

 ショーターが、口をとがらせて抗議の声を上げている。

 でも待って。今、それどころじゃないから。

 だって。

 

──次に会った時、ショーターじゃなくて、クリスって呼んでみようかな。

──友達だもんね。名前で呼んだっていいよね。

 

 とか。

 え、もうとっくに呼んでたってこと?

 嘘、あの決意は何だったの?。

 

 

──そしてそのときには、絶対に言わせてみせるんだ。

──家名なんかじゃなくて、名前で呼んで欲しいってねっ!!

 

 とか。

 え、これって私の勘違いだったってことよね?

 言わせてみせるって、むしろ名前で呼ばなきゃ拗ねちゃってるじゃない。

 

 え?

 えっ!?

 えええっっ!!

 

「……恥ずかしい……」

 

 恥ずかしい、穴があったら、入りたい。

 パティ、心の一句。俳句とか知らないけど。

 

 両手で顔を覆って、その場にうずくまってしまったパティ。

 見えないけど、顔が真っ赤だ。見えてるけど、耳まで真っ赤だ。

 

「ちゃんと説明しなかった僕も悪かったよね。ごめんね、パティ」

 

 翔太、動かなくなったパティにどう対応したものか。迷った末、とりあえず下手に出ることにした模様。

 それが届いているのかいないのか。パティはしゃがんで、うーうーと唸るばかり。

 

 それでも何とか宥めようとする翔太の言葉を受けて。やがて、ゆっくりとパティが顔を上げた。

 

「……ショーター」

「なあに?」

「これからも、ショーターって呼んでも……いい?」

 

 伺うような、パティの声。

 そんなの、返事なんて決まってる。

 

「もちろんっ!」

 

 思いっきり元気よく、翔太はそう答えた。

 と、いうか。今更、栗栖なんて他人行儀に呼ばれたら。翔太はきっと、怒るだろう。

 

 それはパティもわかってたけど。それでも、名前で呼んでもいいかって、そう尋ねたのはパティのけじめ。

 なし崩し的にじゃなくて、なあなあじゃなくて、きちんと。ちゃんと友だちになるんだっていう。なりたいんだっていう、思い。

 

 うん。

 もちろん今までと何が変わるっていう訳でもないんだけど。これではっきりと、自身を持って言える。

 私とショーターは、友だちだって。

 

「それとね。ショーターの名前の漢字、教えて」

「うんっ! ちょっと難しい字だから、頑張って覚えてねっ!」

 

 そういって、翔太がパティに手を差し伸べる。

 はにかみながら掴んだ手は、とてもとても温かかった。


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