駅から歩いて20分、そこは王国辺境領。   作:河里静那

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11話 お呼ばれするとドキドキします。

 王国辺境領はセージ村、その村長宅。パティの暮らす家の居間では、4つの人影がテーブルを囲んでいる。

 夕暮れの赤い光が差し込む中で行われているのは、その日その日を一生懸命に生きる彼らにとって、一日の中で一番の楽しみ。

 つまりは、夕食。家族が揃って食事をしながら、一日の出来事を語り合う。匙を口に運んで笑みを作り、誰かが何かを話してはその笑みが深くなる。

 

 なに? パティにとっての一日で一番の楽しみは、翔太と遊ぶことなのではないのかって?

 それは違う。それは一日ではなく、一週間の中で一番の楽しみなのだ。

 

 まあそれはさておき、会話は続く。

 さして広くもない村だ。それぞれがどんな仕事をしたかなど皆、知っている。その日に何があったかなんて、わざわざ聞かずともわかってはいる。

 けれどそんな他愛のない、日々のやり取りこそが、幸せというもの。

 

 食事の品数は多くはない。スープと、固いパンだけ。

 けれども、量はしっかりとある。残念ながら肉は滅多に口にできないが、スープには豆と野菜がたっぷりと。むしろ、煮込み料理と言ったほうが適切なほど。

 味付けは塩と、ハーブ代わりの野草を少々。海から遠いこの地では本来、塩は高い物。庶民がたっぷりと使うにははばかられる。けれど、彼らが口に運んでいるものには、しっかりとした塩味が。

 

 これも、辺境伯様のおかげだ。

 塩分とは、人が生きていくのに必須のもの。それなのに値段が高いからと十分に摂取できなければ、体を壊す原因となる。

 そこで、辺境領では海沿いの領土から塩を大量に仕入れ、それを領民に格安で販売しているのである。本当に、この地に住むものは領主様に対して頭が上がらない。

 

 けれど、注意も必要だ。

 安く手に入れることができるのは、あくまで自分たちが必要とする分だけ。それ以上に購入して、他の領土や国外に転売する行為は、固く戒められている。

 

 

 

 伯は領民に優しい領主様だが、犯罪者に対しては一転して、非常に厳しい。

 罪を犯した者は、その罪に応じて顔に入れ墨を入れられる。窃盗や傷害などで一段階、強盗や詐欺などで二段階、殺人や性犯罪などが三段階。三段階ともなれば、入れ墨のせいで元の顔がわからなくなるほど。四段階目は存在しない。罪を重ねてそこまで達した者は、等しく死刑となる。

 

 また、入れ墨の他にも、罪に応じた労役も課せられる。鉱山での穴掘りなどの他、現在は王都から領都、領都から各主要都市へと伸びる街道の整備へと回されることが多い。

 尚、この働き口は一般の人も受け付けている。衣食住が保証される上に給金も悪くはないので、農村からの出稼ぎ先として人気だ。

 他には、労役を終えた元犯罪者も、結局はこの仕事へと戻ってくることが多い。入れ墨のせいで、中々まともな仕事にありつけないのだ。こうして、辺境伯領の労働力は確保されているのである。

 

 

 

 それはさておき。

 どうやら、パティ一家の食事もそろそろ終わりのようだ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 匙を置いたパティが両手を合わせ、食事終了の挨拶をする。

 ああ、美味しかった。翔太がくれるお菓子は別格だけど、やっぱり母さんのご飯もとても美味しい。

 

「それは帝国式のマナーなのかい? 食事を始めるときも何かやってたよね」

 

 セリムが不思議そうに尋ねる。

 王国では、食事の前後には神に感謝を捧げるのが一般的だ。パティがやっていたような仕草はしない。

 ちなみに、セリムの家は隣。一人暮らしをしているのだが、食事はこの家で一緒に取っている。一人分くらい増えても変わりゃしないよという、パティの母の好意だ。

 

「帝国じゃないけど、ショーターに教えてもらったの。『いただきます』が食べられる命への感謝、『ごちそうさま』が作ってくれた人への感謝なんですって」

 

 ほう。

 糧を与えてくれる神への感謝ではなく、食材への感謝。そういう考え方もあるのか。中々に興味深い。

 なるほどと頷くセリムに、パティがじっとりとした目を向ける。

 

「そういえば、叔父さん。叔父さんが前に言ってたこと、全然違ったよ」

「何の話だ?」

「ショーターが帝国の貴族だって話」

 

 ……へっ?

 

「いやまてっ! 彼がそう言ったのか?」

「うん。帝国じゃなくて、ニホンっていう国から来たんですって。叔父さん、ニホンって知ってる?」

 

 知らない。聞いたこともない。

 いや、重要なのはそこじゃない。帝国貴族じゃないだってっ!

 

「ショーターはシューター家の一門、とか言っていたな、お前」

「あの弓の絵は、シューター家の家紋を簡略化したもの、とかも言ってたわね」

 

 パティの両親もまた、じっとりとした目をセリムに向ける。

 いや待って、そんな目で見ないで。そうじゃないかって言っただけで、そうだって断言したわけじゃないから。だから待って、食べかけの皿を取り上げないで。

 

「いやほら、でもさ、彼の家が金持ちっていうのは間違いないんだしさ。……ねっ?」

 

 四面楚歌、孤軍となったセリムの必死の命乞い。

 でもだって、そう思ってしまうのも仕方がないじゃないか。この辺であんな身なりの良い他の国の子っていったら、温泉街に遊びに来た帝国貴族の子だろうって。皆も言っていたじゃない。

 なので無罪を主張。俺は多分悪くない。

 

「ま、住む世界が違うってことには違いないか」

 

 兄からの沙汰。ギリギリ無罪。ほっと息をつくセリム。

 

「で、ニホンって国に心当たりは?」

「いや、知らない。……けど、もしかしたら……」

 

 ニホンは知らない。

 けれど、この辺りではあまり見かけない、あの子の黒い髪と黒い瞳。それと、パティに渡された数々のあり得ない技術の結晶。

 そこから導くなら、もしかすると。

 

「なんだよ、はっきりしないな」

「いや、確証があるわけじゃないんだ。ただ、ずっと東の果ての海に浮かぶ島国で、ジパングっていう国があるっていうのは聞いたことがある」

 

 王都にいた頃に聞いた噂話。

 この大陸は、大きく分けて西側を王国、東側を帝国が支配している。そのさらに東、帝国の支配も及ばぬ海に、そういう名の国があるという。

 

「その国は黒髪に黒い瞳の民族が住んでいて、魔術があまり発達していない代わりに技術がとても進歩しているって。そして、その技術力で生み出した製品を売って生計を立てている、職人と商人の国だとか」

 

 実際には、ジパング出身という人間に会ったこともないし、知り合いにいるという人も見たことがない。進んだ文化の製品が王国に流れてきたという話も聞いたことが無い。なので、眉唾物の話だと思っていた。

 

 けれど。

 例えばあの本。紙の質も、書かれた文字も絵も、王国の本よりも遥かに質が良い。

 例えば、あの筆記具。細い棒の中心に固めた煤を詰めた物というのはわかるが、じゃあ作ってみろと言われて作れるようなものではないだろう。

 

 他にもあれもこれも、彼が持ってきた品々はどれもこれも、この辺りの文化水準を大きく上回っている。

 だから、もしかしたら?

 

「ショーター君とその家族は、ジパングから技術の指導に呼ばれた一家、とか?」

「叔父さんもそう思う? 私も、そうじゃないかなって思ったの。明日、ショーターの家の人にも聞いてみようかなって」

 

 明日?

 明日って?

 

「あっ! そうだ、父さん。ショーターのおうちの人がね、遊びにおいでって言ってくれてるみたいなんだけど。……行ってきてもいいかな?」

 

 待ちなさい、パティ。

 そういう大事なことは、もっと早く言いなさい。

 父と母の視線が再びじっとりと。今度の標的は愛娘だ。

 

「村の仕事はその分、来週に多くやるからっ! だからね、お願いっ!!」

 

 父の眉間に皺が寄る。

 行く、行かないの話であれば、行かせるしかない。帝国貴族ではなかったとはいえ、上の立場からの招待を断ることなんて出来っこない。

 父が難しい顔をしているのは単純に、パティの身を案じてのこと。あの少年のこれまでの立ち振舞いを思えば、何かされるということもないとは思う。けれど、心配なものは心配だ。

 

「向こうの方に、失礼なことのないようにね」

 

 対して、母はといえば気楽なものだ。

 貴族相手なら不安は残ったが、そうではないというのなら。家柄の違いはあるとは言え、所詮は同じ平民同士。過剰な心配などいらないだろう。

 辺境伯様は民に優しく、罪を犯した者に容赦はない。仮にパティを害したとするなら、自分の身に返ってくるのだ。それを知っているなら、下手なことをするはずがない。

 

「……それとね。しっかり、おめかししていくんだよ」

 

 そして、金持ちの幼馴染とくっついて、娘の一生は安泰計画。もしかするなら、妾じゃなくて正妻の目も見えてきた。

 けしかける気、満々の母。

 その様子を見て、父は大きく溜息一つ。肺の中身を全て吐き出すように、ついていた。

 

 

 

 

 

「いってきまーすっ!!」

 

 翌日。

 朝食を食べてしばらく後。いつもの時間にやってきた翔太に連れられて、パティが元気に家を出る。

 

 顔は晴れ晴れ、意気揚々。弾む心が足取りにまであらわれて、一歩一歩がまるで飛び跳ねているかのよう。

 軽やかな足取りに合わせてブンブンと、しっかりと繋がれた手が振られている。そして顔が見合わせられれば、2人の顔が描き出すのはにっこり笑顔。もう、体中から楽しいが溢れ出して止まらない。

 

 一方、そんな2人を見送るパティの父とセリムの顔はすぐれぬもの。

 セリムはパティが粗相をしやしないかという不安で。父はパティの手を握りやがってという怒りで。

 そんな兄弟を苦笑とともに見やりつつ、母はふと思った。

 

「そういや、あの子達。向こうまでどうやって行く気なんだろね」

 

 というか。ショーターはいつも、どうやってこの村まで来ていたのだろうか。

 温泉街は森の向こう側。この村から、結構近い。とはいえ、歩いて行くにはそれなりに時間がかかる。大人の足で急いだとして、およそ2時間程度か。

 もっともこれは、森を迂回した場合の話だ。森の中を突っ切ればもっと短い時間ですむだろう。

 

 村人があの街に行く用事など早々ないが、行くとしたなら通常、迂回路を選ぶ。森の中には危険がいっぱいだから。と、いう訳ではない。

 あの森に、大型の獣は棲んでない。温泉街のお客様用に散歩道が整備されているので、見通しも悪くない。だが、この散歩道がいけないのだ。ぶっちゃけ、平民が貴族と鉢合わせると、色々と面倒という話。これも危険といえば危険か。

 

 でもまあ、平民とはいえ、温泉街のお客の息子だ。きっと顔が知られているだろうし、そのあたりの心配はないのだろう。

 

「ほら、いつまでもうじうじしてないで。仕事するよ、仕事っ!」

 

 小さくなっていく2人をいつまでも見送ろうとする父の尻を、いい加減にしなさいと蹴り飛ばす母だった。

 

 

 

 親たちの心配などなんのその。パティと翔太の2人は森の入口を目指して歩く。

 弾む心に合わせ、即興で歌なんて歌ったりしながら。作詞作曲、栗栖翔太。編曲、パティ。題名、さんぽ。

 色々と危ない。大きくなってから思い返したときに、恥ずかしさにのたうち回る、黒歴史的な意味でも危ない。

 

 でも、今の2人には関係ない。

 リズムに合わせて繋いだ手を振って、スキップしながらランランラン。次の曲は、作詞作曲パティ。題名、友だち。多分、黒歴史度は翔太の歌より高いと思われる。

 それが歌い終わった辺りで、森に到着。

 

「森の中、通っていくの?」

 

 森の入口、木の向こうを覗き込むようにして、パティが言う。

 この森、村から見て手前側は問題ないが、それより向こうには行かないように、両親から強く言われている。無論、貴族と鉢合わせないようにするためだ。

 なので、近いとはわかっていても、ショーターと一緒だから大丈夫なのだろうと思っていても、不安なことは不安なのだ。

 

 でも、帰ってきた答えは違うもの。

 ちょっと、パティが予想をしていなかったもの。

 

「ううん。ここにほら、近道があるんだ」

 

 そう言って1人で先に進み、下草が高く茂った一角を指し示すショーター。

 ……彼は、何を言っているのだろう? ただの草むらじゃない。

 

 最近パティの家で流行っている、じっとりとした視線をショーターへ向けて、パティが抗議の声をあげようと。した、その時。

 

「……ショーター? ショーターっ!!」

 

 不意に、彼の姿が掻き消えた。

 忽然と、草むらに溶け込むように。

 

 どくんと、心臓が一つ跳ねた。

 胸がきゅうっと締め付けられるように、痛い。

 いつも彼と会っているときのドキドキとは全く違う。不快な、痛み。不安な、心。

 

 嘘。ショーター、どこ行っちゃったの? いなくなったり、しないよねっ!?

 転げるように歩を進める。さっきまで彼がいた場所へと、慌てて駆けつける。

 草むらを、顔ごと体ごと突っ込むように、覗き込む。

 

「どうしたの、パティ。そんなに慌てて?」

 

 そこには、ショーターがいた。

 木と草で出来たトンネルがあって、その中に彼がいた。

 

 嘘。

 さっきまで、こんなのなかった。ここには草しかなかった。

 ……気が、する。

 

 気のせい? 勘違い?

 さっきいた場所からじゃ、見えなかっただけ?

 

 何だろう。

 何か、変だ。

 何だか、怖い。

 

「ほら行こう、パティ。ここを抜ければすぐなんだよ」

 

 ショーターに手をひかれる。

 さっきまで、手を繋ぐのがあんなに嬉しかったのに。あんなに、嬉しかったのに。

 何だか、嫌だ。じっとりと、手に汗をかいているのがわかる。

 

「……どうしたの?」

 

 ショーターは、何も気にならないのかな?

 ……そうだよね。いつも、ここを通ってきてるんだよね。なら、平気なんだよね。

 

「……ううん。急に見えなくなっちゃったから、驚いちゃっただけ。大丈夫、行こう」

 

 繋いだ手に込める力を、強める。ぎゅっと。

 大丈夫。ショーターと一緒なんだから、怖くなんかない。

 

 ふと。

 視界の端を、何かがよぎった気がした。

 あれは、蝶々?

 目をそちらへと向けた時、既にそこには何もいなくなっていた。

 

 ……森なんだから、蝶がいたって何もおかしくなんかない。全然、不思議じゃない。

 不思議なんかじゃない、はず。

 

「パティ? もし疲れちゃったりしたんなら、ちゃんと言ってね」

「うん。ありがとう、ショーター」

「平気? じゃ、いこっか」

 

 繋いだ手を握りしめ、一歩、踏み出す。

 緑色の、トンネルの中へと。

 

 どこからか、クスクスと笑う。

 子供の笑い声が、聞こえてきた気がした。


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