またしても僕は病室で目を覚ました。いや、それだけではない。さっきから身体の自由が効かない。正確には自由が効かないわけではないが感覚が極端に鈍ってる。お陰で布団に触れている感覚すらもない。
一体、僕はどうなって……。
「俊っ!」
病室の扉を勢いよく開けて入ってきたのは僕の母さん。それも物凄く必死な表情を浮かべている。
「よかった…。無事で」
息切れした母さんは僕の姿を見るなり安心したようにその場に崩れ落ちる。
いやいや、母さん流石にそれはオーバー過ぎやしません?
「何?僕なんかなってたの?」
母さんのあまりに必死だった表情に思わず動揺しながらも僕は問う。すると、母さんは僕の思いもよらなかったことを告げた。
「あなたの容体が急に悪化して手術をうけてるって聞いたから飛んできたのよ」
「へっ…?手術?」
聞いた直後は理解できなかった。だが後々よく考えれば納得がいった。恐らく、僕の身体の鈍さは手術に用いられた麻酔の影響なのだろう。
……あ、フランは⁉︎
彼女に会わなくては…、僕に残された時間は僅かしかない。少しでも彼女の心の負担を軽くしてあげないと彼女自身の心はもう限界だった。あれ以上自分自身の心を締め付けたら彼女は壊れてしまう。意識を失う間際、あそこの館の主人は言った。
「フランが暴れている」と……。
もしそうなら、彼女は精神的にまともではいられなくなっていることを意味している。
行かなきゃ!!
僕は固く決意する。しかし、その決意とは裏腹に身体はほとんど疲労しておらず、眠ろうにも眠れない。その上、決意したことでの焦りが少なからず僕の睡眠を邪魔しているのだった。
眠らなきゃ‼︎
それがまた眠れない。
行かなければっ‼︎
その焦りが眠らせてくれない。
「俊……」
そんな時だった。僕の頭上から僕を呼ぶ声、見上げれば母さんがこちらを少し心配している表情で見つめていた。
「母さん、どうかした?」
「いえ、あなたを見てると懐かしいなって」
「懐かしい?」
唐突に切り出された話に思わず聞き返した。母さんは少し考え込むと、やがて意を決したように口を開いた。
「私は元々はあなたが夢で見ていた世界、
「えっ……」
突然の母の驚愕の告白に僕は放心したようにただ母を見つめていた。
すると、母さんは僕の手を持って、そして自身のもう片手に握られた何かを僕に渡してしっかりと僕の手で握らせた。
「これは…?」
「幻想郷で生まれた琥珀よ。これがあればいつでも幻想郷に行ける。眠るのではなく、実際にね」
ただ驚くしかなかった。あの世界はただのリアリティの高い夢というわけではなかった。あの子も幻では無かったわけだ。
そして、母さんはその世界の人間だった。
「
しかし、言葉とは裏腹に母さんの表情は明るく優しい。
「でも、そんな時あなたが生まれてくれた。私の人生で一番幸せな瞬間だったわ」
母は僕の方に向き直ると、どこか優しさを残しつつも強い表情で言う。
「あなたが行くと言うなら、私は止めない。あなたの意思を尊重するわ。でも、幻想郷は危険な場所。人間はあっという間に妖怪に食われてしまう…。あなたが中途半端に踏み出して食い殺されるのだけは嫌、だから今一度聞くわ」
「幻想郷で果てる覚悟はある?食い殺されても後悔はない?」
…流石は母さんだ。でもやっぱり心配性だね。
「大丈夫、後悔はないよ。たとえそれが
そう母さんに伝えると、母さんは何も言わず、病室の扉を開ける。
「その琥珀を握っていきたいところを想像しなさい。きっと琥珀はそこまで連れて行ってくれるわ。あと…」
「元気でね……」
最後に母さんはそう言って去っていく。姿を消す直前、彼女の目に雫があったように見えたのは果たして僕の思い違いだろうか……。
ともあれ、これで彼女に会える。昨日は会えなかった。たった1日だったのにここまで長く感じるなんてこれも余命が迫って来ているせいか、それとも…
よし、行こう。
僕は目を瞑り、琥珀を握ってあの地下室を想像する。
……
………
…………
30秒たったくらいだろうか。再び目を開けると、あの白かった壁はあの赤い壁へとしっかり変化し、あの無駄に長い廊下が目の前に広がっていた。
ドォォッッッン‼︎‼︎
突如として激しい揺れが館全体を襲う。僕自身もかなり揺られたが、今度こそ堪える。しかし、断続的な揺れは続き、歩くのも楽ではない。
どうにかフランがいるであろう揺れの発生源らしき部屋の前まで着きドアノブに手を伸ばす。
「待ちなさい」
しかし、その行動は突然の声に呼び止められることによって止まる。振り返ればそこにいたのは昨日のあの幼いお嬢様だった。
「あれ、先日のお嬢様じゃないですか。あのいつものメイドさんはどこ行ったんですか?」
彼女とその周囲を見て真っ先に思ったのがそれだった。僕を殺そうとした殺人鬼。真っ先に思ったけど会いたくはない…。
「あー、咲夜のことかしら。咲夜ならこの館の補修に回ってるわ。いくらこの館でもこんなに揺らされたらたまったものじゃないもの」
皮肉そうに彼女は言う。つまりは僕の心は少しホッと安堵する。
「それで、あなたはなぜここに?死ににでも来たのかしら?」
「まぁ、そんなところです」
彼女はそんな僕を
「おめでたい奴ね。わざわざ自分の命を捨てに来るなんて」
「それはあなたも同じなんじゃないですか?」
その時だった、彼女の眉が一瞬動いたのは。
「……どういうこと?」
「簡単じゃないですか。あなたも僕と同じようにフランの為に命を捨てに来た。…違いますか?」
この
「あなたもフランを助けたいんじゃないですか?だからこんな薄暗いジメジメした地下室にわざわざやってきた」
彼女はついに俯いた。なんとも言えないようで、ただ単純な僕の問いに黙っている。
「あなたはフランをこの薄暗い地下に幽閉した。フランはあなたに嫌われたからと言っていたが、それは違う」
「あなたはフランが無意識に誰かを殺め、友達を失わせることを、そしてそれによって彼女が自分自身を嫌悪することを防ごうとしたんだ」
その瞬間、彼女ははっきりと身体を震わせて動揺した。彼女の握り拳にも力が入る。
「……そうよ」
「私はフランに幸せになって欲しかった。たくさん友達を作って笑って欲しかった」
震える身体、俯いた顔から流れる雫が彼女がどれほど妹を愛しているかがうかがえるものだった。
「でも無理なのっ‼︎あの子の能力はあらゆるものを破壊できてしまう能力。私にはあの子の為に何もしてあげられない」
彼女は膝から崩れ落ち、そのまま床にその雫を垂らしていく。
「私は…悔しい…」
彼女は涙ながらに呟く。無力な自分が悔しくて悲しいのだろう。その気持ちはよく分かる。いや、分かると言ってしまうのは浅はかで軽率なことであり、僕にできるのは察してあげることだけ…。
「…ここは、僕に任せてくれませんか?」
「まか…せる?」
彼女はその涙に包まれた顔のまま僕の顔を見つめる。僕は強い気持ちで彼女に言った。
「えぇ、そうです。僕だってフランを助けたい」
僕はしばらく彼女に視線を合わせたままに離さなかった。フランを助けたい。その気持ちは強い。その気持ちを飲み込んでくれたのか、彼女は涙を拭いながら立ち上がり、僕の方へと近づいてくる。
「なら、フランのことはお任せするわ」
彼女は必死に手を伸ばして僕の肩を叩く。彼女なりの励ましだったのだろうか。そして、僕の顔を必死に祈るような顔で覗くと、僕に言う。
「フランを…お願いね」
彼女なりの応援と切望を受けながら、僕は目の前に立ちはだかる扉に向き直る。さっきまで止んでいた揺れも待っていたかのように再開し、まるで僕を呼んでいるようだった。
そして、僕はゆっくりと扉を開いていくのだった…。