「フラン、しっかりしろ‼死ぬんじゃない!」
瞳を閉じたフランの意識は既になく、慌てた僕が必死に彼女の身体を揺すってもそれらが戻ることはない。そればかりか彼女の背からとめどなく溢れる鮮血が石畳を赤く染め上げていく。
「頼むよっ!目を覚ましてくれよ‼」
僕の瞳から涙が止まらない。彼女を揺する手も止まらない。頭が混乱していて、何をすればいいのかの判断ができない。
すると、横から勢いよく人影がやってくる。レミリアさんだ。
「咲夜っ!急いで紅魔館へ帰るわ」
「あなたも来なさい」
レミリアさんはフランを抱き上げると、翼を力一杯に羽ばたかせる。一方、僕はレミリアさんに声を掛けられたものの、その場に座り込んだままただ目の前に起こった出来事に呆然とするしかなかった。フランが刺された?どうしてこんなことに…?ほとんど動かない脳がたったそれだけを考え続ける。
…君のせいじゃないのかい?
僕の理性が僕の耳元で囁く。フランを傷つけたのは僕自身だと…。理性という形を持ったもう一人の僕が僕の目の前で不気味に笑っている。
そもそも、君が彼女に未練など残さず、大人しく消えてしまってさえいれば、こんな事態になることは防げたんじゃないかい?
冷静に、そして、冷徹に僕へ言葉を投げかけるもう一人の僕。その言葉は僕にとって研ぎ澄まされた刃のように鋭くて、冷たくて、痛くて、苦しかった。僕のせいでフランが死んだ。考えたくない可能性を彼が示してくる。
君さえいなければ、彼女は傷つかずに済んだんだ。君の存在が彼女の身体と心を傷つけたんだ。
「何やってるのよ!?早くついて来なさい!」
「…僕の、僕のせいでフランが……」
「馬鹿なこと言わないの!咲夜、急いでこいつを連れて来なさい」
そんな言葉の直後、僕の身体がふわりとした浮遊感を認識する。だが、今の僕にはそれすら意識を向けていられなかった。僕の精神はどんどん追い詰められていた。
結局僕は君を傷つけてしまうのか…。会いたいと望んでしまったがために君を傷つけてしまうのか…。
冥界がどんどん小さくなっていき、月の優しい光が辺りを照らし始めた。
やがて、僕の目の前にあの懐かしい紅い館が姿を現す。
「パチェ!早く出てきてちょうだい!!」
帰ったレミリアさんがすぐさま向かった先にあったのは広大な広さを持つ図書館であった。レミリアさんが叫ぶと向こうから紫色の髪をした女性がやってくる。
「どうしたのよ」
「フランが怪我をしたの。重傷よ、早く手当てしてちょうだい」
パチェと呼ばれているその女性はその言葉を聞くや否や、慌ててフランに駆け寄り、即その足元に魔法陣を形成する。僕は近くのソファに寝かされ、状況を少し遠くから静観していた。何にしても今の僕がフランにしてあげられることはない。僕は医療の知識を持っているわけではないから、この陥ってしまった状況も素直に他人に頼らざるを得ない。
「フラン…ごめんな」
僕は絞り出すように小さくそう呟いた…。
しばらくして僕は目覚めた。すると、僕のすぐ横であのメイドさんが付き添うように座ってくれていた。
「お目覚めですか?」
彼女の言葉で鈍かった頭がようやく回り始める。そしてその瞬間僕は瞬時に身体を起こした。
「フランは!?フランは無事だったんですか!?」
メイドさんに問うものの、彼女の表情は暗い。
「妹様の所へご案内します」
僕は彼女に案内についていく。恐らくは緊急時の対応をするためなのだろう。フランのいる部屋へはすぐに辿り着いた。
「こちらです」
すると、彼女は他の業務があるからと言ってそのままその場を去っていった。
締め付けられるような苦しみを抱えながらも、僕はゆっくりと扉を開いた。
「…フラン」
そこには死んだように眠るフランと、その手を握り締めて離さないレミリアさんの姿があった。
「俊か、目が覚めたのね…」
「はい…」
彼女に手招きされ、僕は彼女の座るソファの隣に座り、共に眠るフランに視線を送った。
「パチェが言うにはかなりの重傷らしいわ。治療の手は尽くしたけれど、意識ももう戻らないだろうって…。持って…三日だろうって…」
彼女の声は徐々に震えて、最後には溢れた涙が堪らず自身の膝にかかる。妹を助けてあげられなかった無念さが彼女自身の心を蝕んでいるのだろう。
しかし、本当に責められなければならないのは僕なんだ。僕がさっさと消えてしまっていれば、フランがこんなことになることもなかった。レミリアさんがこうして苦しまなければならないこともなかったはずなのに…。僕がこんな未練さえ残さなければ、もっとフランは幸せになれたのに…。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。僕のせいでフランが幸せになり損ねてしまった。
「レミリアさん、ごめんなさい。僕のせいでフランがこんな目に…」
僕はレミリアさんに向かって頭を下げたが、彼女は僕と目を合わせようとはしなかった。怒っているのか、それとも心に溢れる悲しみが僕と視線を合わせることすらも拒絶しているのか。どちらでもいい。悪いのは全て僕だ。言い訳をするつもりもないし、する資格がないことも分かってる。
フランを置いて、僕が生きるわけにはいかない…。
「レミリアさん。本当にすみませんでした。謝って許されることではないことぐらい分かっています。責められるべきは僕です。では…」
僕はソファを立つとレミリアさんに一礼して、扉へと向かう。
「Give a fool rope enough and he will hang himself.何か分かるかしら?」
「…いえ」
「直訳すると『愚か者に十分な紐を与えると必ず首を吊る』っていう意味。もっと噛み砕くなら『愚か者を好き勝手にしておくと必ず身を滅ぼす』ということ。私が言いたいこと、分かるわよね?」
やはり彼女は気づいていた。僕が自ら命を断とうとしていることに。
「今の貴方は本当に愚か者よ、どうせ私が止めなければこのまま命を絶とうなんて思っていたんでしょう?」
「だから何なんですか?フランはもう長くないなら、せめて僕も一緒に死んで…」
「いい加減にしなさいっ!」
レミリアさんは僕の胸倉を掴むと、勢いよく壁に叩きつけた。その目には涙が浮かんでいて、僕を掴んだ腕も酷く震えていた。
「確かにフランは貴方を探した、結果としてこういう状況にもなった。けど、貴方が死ぬのとは意味が違う」
「あの子は危険を冒すことを承知で貴方の元に行ったの。少しでも可能性があるのなら死んででも貴方に会いに行きたいって…」
「でも、僕さえいなければフランは来なかった。僕がいなかったらフランがこうなることもなかったじゃないですか…」
「こうなるのも覚悟の上よ。だからこうして貴方はここに立ってる。貴方はフランに助けられた。あの子は命を懸けて貴方を助けたのに、貴方はその命を捨てようって言うのよ?」
フラン、君に幸せになって欲しかったのに、僕は結果として君を苦しませる結果になってしまった。
フラン、君ともう一度会いたい。形だけの再会じゃなくて、もっとじっくり君と話がしたい。もっと君と触れ合っていたい。
「レミリアさん。もうフランの意識は戻らないんでしょうか…。もう二度とフランと話をすることはできないんでしょうか…」
返事はない。分かってはいたけれど、その残酷な答えが余計に辛く苦しい。
僕の視界がぼやけ始めた。そしてその直後、生温いものが僕の頬を伝った。それに呼応するように肩が震えてきた。
絶望に
「そろそろ部屋に戻るわ。貴方も早く寝たほうがいい」
レミリアさんはそう言い残すと、部屋を後にする。その背中はやけに小さくて、今にも押しつぶされてしまいそうに見えた。
「……フラン」
レミリアさんの悲愴で小さな呟きが辺りに鈍く響いた。
レミリアさんがいなくなってしばらく、僕はフランの手を握ったまま離さなかった。この温もりが離れていってほしくなくて、ずっと生きていてほしくて、離してしまったら最後、もうこの温もりを感じることが出来なくなりそうで苦しかった。
「心からその子を愛してるのね。もう死ぬ運命にあっても…」
そんな声がどことも知らない空間から聞こえてくる。その直後、僕の目の前に裂け目が出来、その中から懐かしい人物が顔を出す。
「紫さんじゃないですか」
「幽々子から聞いたわ。重傷らしいわね」
「はい…」
僕の声は小さかった。詳細も話す気にはなれなかった。今更話したところで、フランが死ぬという事実が変わることはない。そう思っていたからだ。
しかし、次の紫さんの言葉が僕の心を心底から動揺させた。
「この子、まだ助かる余地がありそうよ」
「えっ…?」
すると、紫さんは彼女の額を触り、直後に僕の目の前に裂け目を作る。前に蘇らせてもらった時以来、また見ることになろうとは。
「今この子が危ないのは傷だけじゃないの。傷だけならこの子の治癒能力でどうにかなるわ。問題はこの子の中にいる存在よ」
「フランの中にいる存在…」
なんとなくだが、僕にも分かった。フランはたまにまるで人格が変わったかのように豹変してしまうことがあった。何故かは未だに分かっていないが、一回だけ出会ったことがある。僕が紫さんに救われるきっかけになったあの時だ。
「貴方に彼女を救ってあげられるほどの勇気があるかしら?」
無論だった。愚問とだって言えるほどだった。フランを救えるなら僕は何だってする。そのチャンスがあるなら僕は喜んでやろう。それが、彼女に対する態度だと思うから。
「もちろんです」
紫さんの表情は穏やかで優しかった。
「けど、その代わりに約束して欲しいことがあるの」
「どんな危険が待っていても絶対に死なないこと。生きて必ず彼女を救ってあげなさい、いいわね?」
「はい」
僕は目を瞑り、大きく深呼吸する。今までのフランとの記憶が頭を掠めていく。彼女の笑顔を思い出す度に胸を締め付けるような苦しみと、必ず助け出すという強い意志をより確固なものにしていく。きっと彼女は心の中で必死に足掻いているに違いない。
深呼吸を三回行うと、意を決した僕は、思い切って裂け目の中へと飛び込んでいったのだった。
どうでしょうか。次回からはフランの精神の中に俊が飛び込んだ話になります。頑張りますのでどうぞご期待ください。