すべての艦たちのための艦娘解体   作:うずしお丸

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二年後/元空母寮前にて

   二

 

 キス島沖作戦完了から()()()()()。正規空母加賀の自殺から現在までの期間をかけて、艦娘を取り巻く状況は変わった。

 

 一つは深海棲艦との戦争の激化。新たな兵装や艦娘システムの研究が進み人類側の戦力は増強されていたが、深海棲艦たちもそれに応じるように、いやそれ以上の速度で進化を遂げていた。その様相は常に混沌として底が窺えず、新たな海域に駒を進めるたびに敵の新たな『タイプ』が戦端の淵から次々に発見されている。その中で《姫》と称される首魁級の艦は今も昔も変わらぬ存在感を放っており、各地の艦娘や提督を脅かし続けていた。

 

 大本営は当初、艦娘システムの導入によりこの戦争は数年で終わると見当を付けていた。しかし戦線に未だ終わりは見えない。深海棲艦がどこから来たのか、何故人類を攻撃するのか、確かなところは何も分からないまま戦いの日々は過ぎゆこうとしている。その中で、艦娘システムに《解体制度》という、艦娘の引退を公的に認める規定が追加変更された。解体制度は艦娘を引退させ、艤装を外す。また、元艦娘に新たな名前や戸籍、就職先を与えるなど、その内容も引退後の社会復帰までを含めて急速に整備された。

 

 呉鎮守府についての話もしよう。呉も変わった。その多くは些細なことだが、例えば呉に所属する艦娘の数が増え、施設の規模が色々と様変わりしたことなど。その煽りを受けて空母寮も移転することになり、空いた場所に軽巡寮を増設させることになっていたのだが、匿名の投書により兵科関連の施設が建つことになったらしい。その投書というのが、同僚が死んだ建物で暮らしたくないと切望する内容だという噂であった。死んだ同僚とは加賀のことだ。

 

 二年前の加賀の死因は服毒による自殺。加賀が最後に飲んでいたアルコールの中から毒物の成分が発見された。吐血し、苦しんでの最期だと想像できる部屋の有り様だった。

 

――そう、加賀は聞いている。

 

   ◇

 

「で、私の幽霊が出るから取り壊しですか」

 

 一面の雪景色。加賀は静かに佇む元空母寮を見上げていた。

 

「改装して、研究楝が建つらしいですね」

 

 隣に立っているのは赤城。加賀が差す傘から雪がはらりとこぼれて、赤城の肩を少し湿らせた。少しの間の道のりを、二人は一本の傘で歩いてきた。

 

「加賀さんの幽霊だったら、是非会ってみたいです」

 

非科学的(おかると)ですよ」

 

 加賀は白い息を吐いた。

 

「まったく幽霊だなんて、誰が言い始めたのやら」

 

 これも噂になるのだが、加賀の部屋の窓を何か黒い人影が横切ったらしい。純粋なる科学主義者の加賀がそっと傘の雪を払っている間、赤城は玄関ドアを開けて三和土を踏む。

 

「電灯、点かないんですか?」

 

 加賀が聞いた。薄暗い廊下が続いている。

 

「点くんですけど、この方が雰囲気があって良くないですか?」

 

 子どものように冗談めかして赤城は言う。建物の中はしんと静まりかえって、掛け時計の秒針の音だけが響いていた。

 

 元空母寮の取り壊しが決まったのは、加賀が《建造艦》として鎮守府に着任してから一ヶ月ほど経った最近のこと。例の自殺があった加賀の部屋も、一掃してしまうらしい。そこには彼女の私物がいくつかそのままになっている。加賀は私物整理のために(といっても彼女にとっては他人の物であるのだが)、赤城はその付添いで、この人気のない建物に足を踏み入れているのだった。

 

「空母寮が移転したのって、あれからすぐでしたっけ」

 

 加賀が訊ねる。

 

「そうですね。二年前だから」

 

「そのわりには綺麗というか、掃除が行き届いていますね」

 

「間宮さんがやってくれてます。たまに私も手伝ってますし」

 

「え、そうだったんですか。知らなかった」

 

 加賀は廊下に出ている箪笥の天板に指を滑らせる。では噂の影とは掃除中の間宮か赤城ということなのだろうと加賀は考えた。指に埃は全くついていない。

 

「なんというか……、ありがとうございます」

 

「せめて、それくらいはね……と」

 

 赤城は丸い壁鏡がふと気になったようだった。

 

「そういえば加賀さん。実は私、本物の幽霊を見たことがあるんですよ」

 

「そうなんですか?」

 

 続く話の内容が気になるという具合に加賀は赤城を見た。

 

「うん。だいたい一年前のことなんですけどね。ちょっと長くなるのだけれど、いいですか?」

 

「ええ。急ぎの用でもないですから」

 

 赤城はにっこり笑うと話し始める。

 

「その日は北からの長い任務の帰りでした。水温の低い海流に冷やされて、進路上に巨大な霧が広範囲に発生しているのを見て、旗艦だった私はそれをどうにかして躱すよう指示を送りました。

 

 しかし迫り来る濃霧を回避することはどうしてもできないと判断して、艦隊は霧の中を突っ切ることにしました。視界を遮られて何も見えない状態。ここではぐれて一人きりになったときに深海棲艦に狙われるのが一番恐ろしいですから、私たちは離れ離れにならないよう、声を掛けあって進行することにしていました。単縦一列になり、前の艦の声が聞こえてお互いに衝突しないぎりぎりの距離と船速を保って、自分の名を点呼します。前の艦の点呼が聞こえたら、十秒待って自分の名を点呼する。しんがりまで点呼が終わったら、今度は後ろから先頭に向かって同じことをします。そうやって点呼を繰り返しながら常にお互いの位置を確認して霧を抜けようとしていました」

 

「そんな中私にはうっすらと、嫌な予感がしていたんです。深海棲艦が潜んでいるのももちろん怖かったですが、実はその付近は数十年前に大きな海難事故があった場所でした……。その事故の日も濃霧だったことを思い出したんです。何か良くないことが起こりそうな気がしていました」

 

「……それでどうなったんですか?」

 

 加賀は訊く。

 

「結論からいうと、艦隊は運良く何の被害にも遭わずに霧を抜けることができました。でも、その途中で奇妙なことがあったんです。あるとき霧が一瞬だけ割れて外の光が入ってきたんです。陽の光に内側が照らされて、霧の断層が巨大な壁のようにはっきりと見えました。そのとき、その壁の向こう、上空に人の影がぼうっと浮かんでいたんです。それがまるで私たちを見下ろすように揺らめいていて。私、驚いて動けなくなってしまいました。周りからも『助けて……!』って押し殺すような声が聞こえてきて。だけどしばらくするとその影はふっと消えてしまったので、あれは一体なんだったんだろう……と。後から考えてみたら、ひょっとしてあれは幽霊だったんじゃないかなあって思ったんです」

 

 赤城は考えこむような仕草で加賀に振り返る。

 

「加賀さんはどう思います?」と赤城が訊く。

 

 加賀は少しだけ考えるようにして言った。

 

「ええと、私見を言わせてもらえば」

 

「うん」

 

「それは幽霊じゃないですね。いうなれば妖怪でしょうか」

 

「妖怪のしわざ?」

 

「いえ、そういうことではなく」

 

 加賀は自分の解釈を口にした。

 

「ブロッケンの妖怪。大気光学現象の一種です」

 

「へえ……!」

 

 耳慣れない言葉に赤城の眼がぱっと輝いた。

 

「要するに、雲間に映った自分の影ですよ。この場合でいえば、霧の切れ目から入った太陽光がバックライトになって、自分の影が霧の壁に映ったのだと思います。シンプルな答えですね……あれ? 赤城さんどうしてがっかりしてるんですか?」

 

 そうやって加賀が説明付けてみると、赤城は残念そうに眉をひそめて肩を落としていた。

 

「そういうことだったんですかあ。あー……、ちょっと残念です……」

 

「幽霊の方が良かったですか?」

 

「だってそっちの方が不思議というか、神秘的じゃないですか。あと宴会で話せなくなってしまいました。鉄板だったのにぃ」

 

「意外と損得が絡んでたんですね……」

 

 拗ねたように赤城は膨れる。加賀はフォローするように付け足した。

 

「そ、その現象はとても縁起の良いものなんですよ。その時は上手く映らなかったのかもしれませんが、本来は真横から差し込む太陽光が、雲に散乱して虹になるんです。円形の虹になる。その中心に、自分の影が浮かぶんです。昔の人は、それが後光を背負った阿弥陀如来に見えたんです。つまり最上のご利益が得られるわけで……だからそんなに落ち込むことはないといいますか…………」

 

 科学主義者が『縁起』などと口走っていたら、赤城は希望を発見した犬ような視線を向けた。

 

「私、ラッキーだったんですか?」

 

「も、もちろん」

 

「そっか、私ラッキーだったんですねー。じゃあ、幸運艦だったという話にしましょう!」

 

 くるくると尻尾を振っているみたいだった。

 

 そうして今や、加賀と赤城は、二年前の加賀が死んだ部屋の前の廊下に立っていた。加賀がドアノブに手を掛けるようとする。ところが赤城はどこか釈然としないように、まだ考え事をしていた。

 

「……でもね加賀さん。これは誰にも言ってない話なんですけど、実は一番不思議に思ったのはその後なんですよねぇ……。十秒おきに声を掛け合って霧の中を進んだはずだったのに、旗艦の私が最初に霧を抜けたあと、艦隊全員が霧を抜けて合流するまでには、()()()()()()()()()()()んです。確かに私もみんなも、点呼しながら霧を抜けたはずなのですが、どうしてなんでしょうか」

 

 これには加賀も答えを返すことができなかった。二人はドアノブを回して、二年前そのままの部屋に足を踏み入れる。 


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