すべての艦たちのための艦娘解体   作:うずしお丸

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食堂にて

 食堂に通じる廊下は消灯時刻を過ぎたため、暗闇の中に照明がぽつぽつと点いていて足元がおぼつかない。長門は陸奥の後ろ姿を見失わないように一歩遅れて歩いていたが、彼女の陰が暗闇に紛れて見えにくくなっていた。ものの輪郭がおぼろで、切れかかった電灯の明滅に、長門の視界はくらりと揺れる。陸奥の背中に手を伸ばすも、陰が光を覆い隠すように滲んで姿を見失った。不意に目の奥に強い痛みを感じて、長門はきつく目を閉じる――

 

 暗闇に身体を浸している気がする。暗闇が自分の身体に向かって激しく叩きつけられている気がする。

 

 目を開けると、それは激しい雨であった。一片の月明かりも漏らさない空の緞帳(どんちょう)から、暗い雨が己れの身体に降り注いでいた。雨滴で波打つ水面に半身が浸かり、身体が芯まで冷たい。手足のどこにも力が入らず、砂浜の砂を握ることもできない。まるで座礁した(ふね)のように、長門は海水が身体をさらっていくのをじっと待っていた。

 

 ……これは記憶だ。さっきまで私は誰かの隣にいた筈……。

 

 そんな意識も激しい雨音と耳鳴りにいつしかかき消されていった。

 

 不意にすべての音が消え去った。身を打つ雨滴の針のような痛みも消えていた。レインコートを着た青年が、頭上で傘を高く広げていた。目が合う。彼は頷く。それから遠くに向かって大声で何かを言った。間もなく大勢の救援がやってくる。

 

 それから私は、キス島の守備隊に拾われて、彼らと共に島を守る日々を過ごすようになった。

 男たちと座を囲んで、みんなが笑っている。温かい火に当って、彼らと宴を共にしている。

 

 炎は砲火に変わる。島に向かって撃ち込まれる砲弾の雨に、守備隊は前線を撤退しながらも応戦した。私はでも、戦えている。私の身体の一部と言ってもいい主砲の両門をやつら深海棲艦に向けて放ち、何隻も何隻も木っ端微塵にした。男たちは初めての勝利に歓喜した。そして相次ぐ戦いに、私たちは血を流した。一人死に、二人死に……、そのたびに私は死んだ仲間の名を主砲に刻んだ。

 

 ……キス島での暮らしに、栄光の日々が時折よぎった。いや……それは私の記憶ではない……。私は知らない……。私を拾い上げてくれた青年の顔が、誰かに被った。その人は制帽をかぶって、敬礼している。海風が吹いて、制帽が飛んだ。甲板の向こうに、私は手を伸ばした。

 

 黒々とした雲から暗い雨が降る。それは激しい雨であった。砂浜に打ち上げられている私は、手足のどこにも力が入らず、不意にすべての音が消え去った。傘を差す青年は私を拾ってくれた彼だ。しかし彼は私の目の前で、溶け、皮膚が裂け、骨となり、そしてばらばらに砕けて消えた。光が明滅した。

 

 黒い雨を遮るものはもはや何もなかった。私の身体はひしゃげ、骨が圧し曲げられていく。決して目に見えることのない極小の力の粒が弾丸のように飛来して、私の身体に無数の穴を空けていく。私は目を強くつぶり胸をかき抱くように丸くなろうとした。大事なものを守りたかった。私の身体が、表面から音を立てて変形していくのがわかる。私もまた、この黒い雨と同じく、死の力を撒き散らす物体になろうとしている……

 

『――――! ――長門! ――!』

 

   ◆ ◆ ◆

 

「長門! ――長門、どうしたの!」

 

「陸奥!? 私から離れろォ!!」

 

 突然気を失って倒れ込んだ長門を抱きかかえていた陸奥だったが、長門は意識を取り戻すやいなや彼女に怒声を浴びせた。

 取り乱し方が尋常ではなく、パニックに陥っているようだった。

 

「大丈夫だから、長門――大丈夫……」

 

「陸奥……私は……」

 

 異常な量の汗をかき、しばらく動転していた長門だったが、陸奥の声を聞きながら徐々に今いる場所を思い出して、少しずつ落ち着こうとしているようだった。

 

 陸奥もこのような事態は初めてで、困惑している。

 

「いったいどうして突然……」

 

 口にされた陸奥の疑問は、その場に現れた第三者が聞いていた。

 

『――沈む前の記憶が蘇ったり、自分を(ふね)そのものであると錯覚してしまう『記憶の混濁』と、そこから生じる『記憶の発火(フラッシュ・バック)』。ドロップ艦に見られることのある現象ですね』

 

 暗がりから現れたのは、肩まで長い黒髪に、赤を基調とした弓道着、そしてその上に赤い半纏を羽織っている空母赤城だった。

 

「赤城?」

 

 陸奥がこんなところに赤城がいるのを意外に思う。

 

「取り敢えず、明るいところに行きましょう? 長門さんも、その方が落ちつくと思います」

 

 にこりと微笑んで、赤城は灯りの点いた食堂への方へと向かった。陸奥も憔悴している長門の肩を取って、明るみを目指す。

 

 食堂は消灯時刻を過ぎても、資材使用量の記入と後片付けさえきちんとすれば自由に使ってよいので、調理場として利用されていた。

 長門の真向かいに赤城が座り、机の上に握り飯が五個ほど盛られているのを見て、陸奥が疑問を呈する。

 

「あら、赤城さんもまだ夕食を摂っていなかったんですね?」

 

「いえ? 夕餉はそれはもうおいしくいただきまして……――!? い、いえ、これは決して慢心の夜食などでは……そうこれはボーキサイトダイエットの一貫であってですね!」

 

 あたふたと何かの弁解をしようとしている彼女は、呉鎮守府の主力の筆頭に数えられる、正規空母赤城に違いなかった。

 

「結果的に摂取量は減ってるんですよ?」

 

 がんと盛られた資材を前に、赤城は犬のような目で二人に訴えていた。

 

「本当ですよ?」

 

 陸奥は自分と長門の分の夕食を用意するために調理場に立っている。二人の会話は自然に聞こえてくる位置だ。

 

「改めて、長門さんに会えて嬉しいです。本日付で呉に着任したと聞きました」

 

 長門が名前通りの力を有しているならば、やがて背中を預けることになるだろう。赤城の信頼の眼差しを長門は受けた。

 

「こちらこそ光栄だよ、赤城。国を守ること、子どもたちが安全に暮らせることが私の望みだ」

 

 握手の代わりに、視線を交差させた。 

 

「ところで長門さん、お加減はどうですか?」

 

「ああ、お陰で随分落ち着いた。赤城はこの手の対処に慣れているみたいだったが……」

 

「ええ、まあ」

 

 そう言って彼女は微笑んだ。

 

「赤城、さっきドロップ艦がどうとか言っていたけれど……」

 

 陸奥が気になっていることを訊ねた。長門の先ほどの状態と、ドロップ艦であることがどう関係しているのか。ドロップ艦の不安定さに関しては陸奥も噂に聞いていたが、艦娘があんなに取り乱す姿を見たのは初めてでショックを受けたのだった。

 

「陸奥さんも私と同じで建造艦でしたね。少し説明しましょうか」

 

 赤城は、困惑している二人に起こったことの概要を解説しようとしている。多くは知っていることの確認になってしまうのですが、と前置きをして。

 

「艦娘にはドロップ艦と建造艦が混在しているのはご存知ですよね」

 

「ええ、それは」

 

 艦娘と深海棲艦が戦うようになり数年が経ったが、最も驚くべきことは沈んだ艦娘が再生成されるという現象が確認されたことだろう。深海棲艦との戦いに破れ、海底深くに沈んだはずの艦娘が、深海棲艦との戦いに勝つことで人類の側に戻ってくる。島に打ち上げられたり、海面に浮かんできたり……このことを総称して『ドロップ』といい、ドロップを経験した艦をドロップ艦という。

 

「このときドロップ艦は、基本的にかつての記憶と関係のない新しい個人として生まれ変わります。ですが稀に、沈む前の記憶を持っていたり、記憶自体が無意識下で混乱して、自己同一性を見失うことがあります。先ほどの長門さんは見るからに後者の症状でした」

 

「そ、それってもう、PTSDじゃない。治すことはできないの?」

 

 陸奥は長門の顔色を伺った。長門は目を閉じ腕を組んで黙って話を聞いている。

 

「できません。これはもう引退したとしても、一生残るようです……。ただ長門さんが暗闇に対してフラッシュ・バックを起こしたように、必ず症状の出る前には特定の『きっかけ』があるとされています。きっかけは個人ごとに異なるようですが、それさえ回避すれば平常に戦えるというのが、ドロップ艦運用の基本とされています」

 

「なるほど、夜戦さえ避ければ、私は戦ってもいいということだな」

 

 長門が納得したように頷いた。そこには一片の不安の色も見られなかった。

 

「分かりやすい。面倒事は苦手なんだ」

 

 長門には戦線を離脱する気は一切無いようだ。

 

「でもどうしてこういった事態になっているのかしら……。ドロップ艦は戦場に送り出さず、引退してもらった方が彼女たちにとってもいいと思うのだけど……」

 

 陸奥は疑問を呈す。しかしそれは、『艦娘システム』の不条理に阻まれる。

 

()()()()()では、自己同一性の観点で、既に存在しているはずの艦娘は建造しないことになっています。これは沈んでいるはずの艦娘にも適用され、このようにすることで同じ艦が『増える』ということを回避しているんですね」

 

「お、おい……それは難しい話か? 陸奥、私には分からないぞ?」

 

 長門が若干狼狽している。自分は国のために戦えることが分かればそれでいいのに、話が複雑になりそうな予感を感じとって恐れているのである。

 

 同じ艦が『増える』。建造された艦娘が、『沈む→ドロップする』を繰り返すのであれば、轟沈(ロスト)したのを確認してから建造したのでは増えてしまう。図式すると次のようになる。

 

(同じ艦娘が増えるプロセス)

 建造する→沈む  →ドロップする

      建造する→『増える』

 

「いまの規定では、同じ艦娘は増えないようにされているから、逆に簡単に引退させるわけにはいかないってことね。それはでも、クローン技術的には可能なんでしょう? 兵士として艦娘を増やさないのはやっぱり倫理的な問題が大きいのかしら」

 

 陸奥は言う。艦娘という当事者であるのに、どこかクローン兵士の話題には他人事以上の実感が湧かないのであった。それはまだ自分と同じ艦と出会っていないから、現行の規定に守られているからか。

 

「そうみたいですね。上層部はそれが艦娘を兵器として扱わないことの一線だと思っているみたいです。噂としても、同じ艦を増やすのはドッペルゲンガーだとか、狂うとか、自殺するとか言われています。私はどちらも肯定しようとは思いませんが――」

 

 赤城は、感情の読めない声色を少し落とした。事実の説明を大きく越えた話をしようとしていた。

 

「この規定のよくないところはここにあるんです。『増える』ことを認めないとはどういうことか。それは艦娘を初期版だけでやりくりするということです。ドロップ艦がどんどん増えていきますよね。そして艦娘は、沈み、ドロップし戦うことを繰り返す……」

 

(同じ艦娘が増えないプロセス)

 建造する→沈む→ドロップする→沈む→ドロップする→沈む→ドロップする→沈む→ ……

 

「――これって輪廻じゃないですか」

 

 赤城に真剣な表情で顔を覗き込まれて、陸奥は背筋が粟立っていた。

 

「なあ! 一体何を話しているのか分からないんだが……?」

 

 長門が完全に遭難していて助け舟を要請したところで、この話も一旦落ち着いたようだった。

 

 それから調理場から盆に料理を乗せたエプロン姿の陸奥が現われる。食欲をそそる香辛料の香りと共に、柔らかな湯気が上がっている。

 既に夜食を平らげてしまって頬にご飯粒を付けている赤城と入れ替わりに、二人は食事を頂くことにした。

 味の加減を聞く陸奥、うまいと答える長門、そんな二人の姿をぼうっと見ていた赤城は呟いた。

 

「なんだか既に夫婦みたいですね」

 

 ブフォッ――と、湯のみに口をつけていた陸奥は吹き出さざるを得ない。

 

「ちょっと羨ましいです」

 

 そう呟いて赤城が席を立とうとして、しかしどうしても何か気になることがあるように動きを止めた。

 

「陸奥さん、一つ聞いていいですか? そのメニューは一体……?」

 

 しずしずと訊ねられた陸奥は平然と答える。

 

「海軍式カレー茶漬けよ」

 

「海軍式カレー茶漬け!?」

 

 赤城が、ぐっと何かを飲み込んだ。

 

「くっ……。いいな……明日わたしも……それに、します……」

 

 何故かそう惜しむように言い残して、赤城は食堂を去っていった。

 

「……ふぅ、今日は色々なことがあったわね」

 

 再び二人きりになって陸奥は言う。

 

「ああ。流石の私でも少し疲れたかもな」

 

 陸奥は、たくさんの記憶を抱えているであろう長門のことが、どうしても大切に思えた。

 

「長門、少しずつ、話せたらでいいんだけど、あなたがキス島にいた頃の話を聞かせて欲しい」

 

「そうだな。時間をかけてゆっくりと、私も話していきたいよ」

 

 長門の鎮守府着任初日の夜はこうして更けていった。

 


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