すべての艦たちのための艦娘解体   作:うずしお丸

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加賀の日記/赤城と加賀

 結局、『艦娘解体』の話はどうなったのか。加賀は瀬名司令を探して鎮守府内を歩き回っていた。「話の続きは彼女に訊くと良い」、そう芦木が言ったからだ。早い話がたらい回しで、次の語り部を探すよう言われていた。長官の口ぶりからして、瀬名司令も二年前の事件に一枚噛んでいるということなのだろう。三人の司令官が、それぞれのやり方で『艦娘解体』に関わっているのかもしれない。

 

 「ああ、結局自分は絶望していないんだ」と気付いたのは、歩いている途中だった。自身が艦でありながら人間であることの矛盾を無意識の中でずっと感じていたのだが、その謎が少しずつ解きほぐされているようで、不思議と心が落ち着きを取り戻してきている。それともそんなに簡単に動揺が取れてしまうことが、心の不在の証明なのか。加賀は考えていた。

 

 瀬名の姿を見つけたのは食堂だった。色々あったせいでとっくに昼を回っている。彼女もこちらに気付いた。

 

「もう、加賀ったらいつもこの時間って言ったのに、居ないんだから」

 

 瀬名が不平を漏らした。

 

「わざわざずらしてくれてたんですか」

 

「一緒に食べようってこの間言ったじゃん。もう片付けるところだったけどね」

 

 ふてくされたように言う瀬名の正面に加賀は座る。この間と同じ光景だ。

 

「すみません……忘れてました。って言ってましたっけ」

 

「言ってなかったっけ」

 

 少なくとも約束をした覚えは無かった。ふと、瀬名の目元が腫れているのに気づく。

 

「目……」

 

 思わず口に出してしまうと、瀬名は観念したように肩をすくめた。「ちょっとね」と言う。

 

「一人になると……沈んだ子のこと思い出しちゃって。私、雪風だけは絶対に沈まないって思ってたから特にね……」

 

「瀬名さん……」

 

 後悔や深い悲しみを、瀬名は同じ歳頃の人よりも多く背負っているように見えた。加賀は彼女のためにも話題を変えたく思ったが、結局何も思いつかない。だから意を決して本題を持ち出した。

 

「瀬名司令。話があります」

 

「何かな?」

 

「『艦娘解体』についてです」

 

 驚いたように顔を上げた瀬名に加賀は芦木に貰った白い装丁の日記を見せた。それを見て彼女は大体の事情を察したようだった。

 

「長官に訊いた?」

 

「はい」

 

 手帳に触れた彼女は緊張したため息をつく。その手つきは昔の自分の宝物に触れるよう。

 

「長官に、どこまで訊いちゃったのかな?」

 

 加賀は芦木から聞いた話を彼女に話す。すると彼女は笑った。快活に笑った。先ほどまで沈鬱な面持ちで悲しんでいた彼女だ、加賀はその感情の起伏が躁鬱に見えて戸惑った。

 

「あーあ芦木長官、こういったことはすぐ私たちに任せるんだから……『俺は人の気持ちが分からないのだ』とか言って」

 

 「続きは私が話せってことね」と、口を尖らせてそう言う。

 

「大変だったわね、加賀。そしてごめんなさい。私たちは、きっと地獄に落ちても償いきれないことをしているわ」

 

 そして瀬名が頭を下げていた。加賀は戸惑った。突然そんなことをされても困るし、加賀にはその謝罪は無意味に思えて仕方なかった。

 

「長官に艦娘の成り立ちの話をされた今、気持ちの整理はつきません……司令たちを憎む気持ちが、ないと言えば嘘になります。しかし今は、二年前に起きた出来事の、本当のことが知りたいんです」

 

 加賀が感じていたのは、司令官たちに対する怒りや復讐心といった激しいものではなく、身体を貫くような寂しさだった。目の前の人を信じられたらどれだけいいか、加賀はやるせない思いだった。

 

「瀬名司令、二年前の加賀の自殺は、そしてそのとき二人の赤城さんに起こったことはいったい何だったのですか……? そこだけが気にかかっています。瀬名さん、教えてください」

 

 加賀は言う。ここまで来たら全てを知っておきたい。そう思っている。

 

「わかった。私もあなたには、話しておきたかったの」

 

 瀬名は加賀のことを茶化そうとしていたわけではない。だから加賀から見えた彼女の態度の不整合も、彼女の中では正しいものだった。加賀の真剣な思いを汲み取って、瀬名は芦木の話の続きを語り始める。

 

   ◇

 

 二年前まで、艦娘は《兵器》であると考えられていた。芦木長官はそのことに疑問を抱き、《艦娘解体》という制度を打ち立てる。それは艦娘を人間として扱うこと。戦う意志を失った艦を、人間社会に溶けこめるようにする制度だ。その考えを彼はまず仁蔵と瀬名に話し、二人は賛同した。特に瀬名は今すぐにでもやるべきだと言った。しかし上層部は芦木の考えを受け入れることができなかった。《兵器》を社会に放つわけにはいかないと頑として譲らなかった。彼らにとっては、艦娘は人間ではなく兵器なのだ。その考え方は変わらない。艦娘たちに恐怖を抱いている者もいた。戦意を失った艦娘は処分するべきだと言い放つ者もいた。

 

 そう思うのは艦娘をその眼で見たことが無いからだと芦木は思っていた。艦娘の弱さに触れたことが無いからだと。彼女たちを、誰かが守ってやらねばならないのだと考えていた。それは芦木の拙いだけの希望だったろうか。単なる切望にすぎなかったのだろうか。否。理想で終わらせるつもりは芦木には無かった。芦木草々という男は《艦娘解体》を制度化させる方法を、水面下で構想していた。それも超短期的に行う方法だ。そして結局は、上層部の思想を根底から変えるしかないと考えるに至った。それには「艦娘の悲劇」が必要だ、そう考えた。

 

 そうして、加賀の解体を、自死に偽装する計画が始まった。

 

 人体組成的に艦娘と人間を隔てているものは、《標識》と呼ばれる特殊な体細胞である。この細胞は特定の波長を発し、同じく《標識》からの波長を受信することができた。艦娘は初対面の他の艦娘を見ただけで瞬時に同業であると分かることがあるが、それはこの波長を感じ取るからであるとされているし、大本営はその波長を衛星探知することで、艦娘の現在地や、同種の艦娘を同時に二体以上所持していないかを判断していた。

 

 つまり《標識》という体細胞を破壊すれば、艦娘を艦娘として判断するものが無くなる。解体することができるのだった。これは『艦娘解体制度』の根幹を担う仕組みだ。

 

 実は呉は《標識》を破壊する技術を、既に秘密裏に開発していた。空母赤城の二体所持、これを隠すために、呉は二年前の赤城、建造艦の方の《標識》を破壊していたのだ。それを可能とする薬品の開発に成功していた。それは飲むことで《標識》の働きを抑制する、確実に《標識》の活動を止めることのできる薬だ。

 

 芦木は解体制度の普及にこの薬品を利用することを計画した。そのことで呉の不正が明るみになったら免職は免れないと思っていたが、覚悟の上だった。

 

「――そして加賀は《解体》を受け入れたわ。そうしてあの晩、薬を飲んだ。だけど加賀は本当に死ぬつもりだった。故意に薬を飲みすぎたの。薬と毒は同じもの、どんな物質にも致死量はある、そして加賀はその薬の致死量を知っていた。直後の光景は凄まじく、機能停止した《標識》を喀血と共に吐き出すほどだったと聞いているわ。そしてのたうち回り意識を失った加賀を、赤城が見つけてしまったのよ…………」

 

 瀬名はその後の顛末を語る。

 

「加賀は日記の最後に、遺していく赤城への文章を書いていた。そして日記を赤城が目につく机の上に置いていた。自分が死んだあとに、赤城に読んでもらうために。しかし赤城が取った行動は、加賀も想像しなかったことだった」

 

 加賀は唖然とする。二年前、血まみれの加賀を発見した赤城は彼女が死んでしまったと思った。しかし恐らくまだ生きていた。薬を吐き出したのなら、致死量を僅かに下回り、仮死状態になっていたのかもしれない。そしてこの話の結末が赤城の「後追い自殺」という悲劇ならば、その先は…………意識を取り戻した加賀が見たものは…………

 

「加賀、そろそろ私の司令室に移ろう。そこに、私が破った加賀の日記の続きがあるから」

 

 瀬名はそう言った。日記を破ったのは、瀬名庵だったのだ。

 

   ◇

 

 瀬名庵の司令室。加賀は瀬名から日記の後半のページを受け取っていた。日記の構造は、前半と後半に分かれていたのではなかった。前半と後半と、最終ページの遺書の三層に分かれていたのだ。そして日記の第一層、前半部には、普通の日記が書かれている。加賀が自分の記録をつけるために書いた日常の報告、日々の生活で起こったこと、あるいは戦いへの思いが綴られている。前半部は本来の日記としての機能を果たしている。

 

 日記の後半部は、「解体制度」を作るための、悲壮な文章で日常が綴られていた。おそらくは芦木に指示されて書いたものだった。それはある部分では真実で、ある部分では第三者に読ませることを意識した虚構の日記だ。加賀が今まで誰にも語らなかった、それまで日記の中にすら書けなかった、視力障害の進行度や戦闘への苦しみについてが、そこには克明に書かれている。読んでいて過去の加賀の凄絶な闘争が目に浮かぶようで、加賀は息が詰まった。同時にあきつ丸の役割も理解した。

 

 あきつ丸は彼女が知ってか知らずか、芦木に利用されたことになる。この加賀の日記の後半部分を、あきつ丸は呉から陸軍に輸送する働きをした。仮にあきつ丸が本当に陸軍からの諜報員だとしたら、呉が艦娘を非人道的に扱っている証拠としてその日記を陸軍に提出できる。そうでなくあきつ丸が呉側の人間だったとしても、二重スパイとして同様の理由で陸軍に日記を提出することができる。彼女は海と陸を繋ぐパイプ役で、その役割を果たすため二年前呉を去ったのだ。艦娘システムを統括する海軍上層部は、陸軍からの告発を深刻に受け止めなければならない。内からではなく外からの圧力に対応するために、制度自体を変えなければいけないと思わせることを芦木たちは画策したのだった。

 

 そのために三層目の遺書の部分が余計だった。二年前の加賀もそのことは分かっており、読んだらこのページを破り捨てるよう、最終行に書かれていた。しかし赤城は破らなかった。そのため瀬名が破ったという。そのとき感情的になり、後半部分も共に日記から分断してしまったのだと告白した。しかし結局は、その日記の前半と後半は、あきつ丸の手によって陸軍へと運ばれた。

 

 それから、瀬名の口から事件の結末が語られる。加賀はその話に胸が締めつけられるのを感じていた。

 

   ◇

 

 もうすっかり日が暮れていた。空母寮に戻った加賀は、赤城の部屋をノックする。しばらくして返事があった。

 

「はーい、どちらさまですか?」

 

 加賀はその声に安堵する。

 

「加賀です。少しお邪魔してもいいですか?」

 

「ど、どうぞー」

 

 加賀がドアを開けると、赤城がリビングの中央までコタツ机を引っ張っている姿が見えた。

 

「いま丁度、出してるところだったんですよ」

 

 赤城が恥ずかしそうに笑う。ああそうか、と加賀は気づく。もう随分と夜が冷え込むようになっていた。

 

「加賀さん、おコタで蜜柑とかどうですか?」

 

 魅力的なお誘いだ。

 

「もちろん、ご一緒します」

 

 コタツ布団の下の空気は当然まだ冷たいままで足を入れると一瞬騙された気分になるが、じきに温かくなるのをじっと待っていると、真向かいに赤城が座った。

 

「今日はどうしたんですか? 加賀さん」

 

 赤城が聞く。その間に蜜柑がたわわにある。

 

「二年前の話、分かったことがあったので赤城さんに伝えようと思って」

 

「ほんとですか?」

 

 赤城も気にかけていた様子だった。

 

「でも、どこから話したらいいんだろう……」

 

 本当に分からない。たくさんのことがありすぎて、順序付けて話せるかどうか自信がなかった。

 

「全部教えてください。どこからでも……」

 

 そう言った赤城はいくらでも待ってくれそうに微笑んでいる。それを見ていたらどうしてか安心してしまって、加賀は話し始めることができた。

 

 二年前の加賀と赤城のこと。艦娘のこと。解体制度のこと。複雑に交錯する話は説明が難しかったが、赤城は時折相槌を打ちながらじっと聴いてくれていた。何かの拍子に、加賀は自分の悩みも打ち明けてしまった。自分には感情が欠如しているんじゃないか。心が鉄でできているんじゃないか。そういったことを訥々と語ってしまった。赤城が聞き上手だったからだろうか。もうどれほど時間が経ったのか分からない。

 

「加賀さん。私実は自分たちが艦じゃないって、なんとなく分かってました」

 

 赤城が言う。

 

「そうだったんですか?」

 

「うん。やっぱり感情だけは、人にしかないものだと思うから」

 

「感情……」

 

 加賀は呟いた。

 

「赤城さんは自分の感情を感じたことがあるんですか? これが心だって、言えるものがあるんでしょうか」

 

 自分でも奇妙な質問をしていると思う。感情を感じるなんて、言葉から矛盾している。

 

「あるよ」

 

 赤城は言った。

 

「今も胸の中が暖かいわ。不思議ね」

 

 赤城がするように、加賀は自分の胸を押さえてみた。

 

「分かりません……。感覚の話は……比較するものが無いので……」

 

 そう言うと、赤城は微笑む。

 

「加賀さん。『感情』って、胸の中に降り積もっていくものだと思うんだ」

 

 そう赤城は言う。

 

「それはね。ひと降りの雪みたいに、すぐに溶けてなくなってしまうの。だからそれを大事にして、大事に胸の中に積もらせるんだ。だから最初はそれが『何か』なんて気がつかないんだけれど」

 

 気づけば足下にあった、積もり始めていた雪。

 

「振り返っていつの間にか積もっているそれが『気持ち』だったんだって、『心』はそうやってふと気づくものなんだって、そういうふうに私は思うな」

 

 それは暖かいものだったんだ――加賀の胸の隙間に、何かがすとんと落ちていった。

 

「加賀さん?」

 

 頬を伝うものが暖かくて、波が静かに広がるように心が穏やかだった。加賀はくしゃっと顔を歪ませて笑った。

 

「赤城さん。私も赤城さんと同じでした――」

 

 加賀は静かに、心のかたちを指でなぞっていた。


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