我思う、故に我有り   作:黒山羊

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命の洗濯

「……暇だ」

 

  芦ノ湖の湖底でそう呟いたサキエルは、ゆらりと浮上して湖面に顔をのぞかせる。その視線の先、第三新東京市では、今日も人が行き交っている。が、今日は少々変わったモノがその街を駆けていた。

 

 赤い車体、甲高いサイレン、ポンプとホース。いわゆる消防車が芦ノ湖に集っているのだ。どうやら、花火の不始末が原因で竹林火災が発生しているらしい。

 

 が、サキエルは今まで消防車を見た事が無かった。

 

「ふむ。赤いトラックにポンプを積んでいるあたり、消火用の車両か? ……あのサイレンは『急いでいるので道を開けろ』というサインなのかもしれないな」

 

 水をくみ上げて消火を始めた消防車をより近くで観察するべく、サキエルは静かに、しかし素早く火災現場に程近い場所に移動する。幸いにも皆火災に気を取られているのか芦ノ湖を気に掛けている人間はいない。そんな訳で、サキエルはのんびりと野次馬に徹する、つもりだったのだが。

 

「……火の勢いが強過ぎるな、このままでは子供たちが遊んでいた雑木林に引火しかねない。…………赤い車も近くで観察できたことだし、消すか」

 

 そんな呟きと共に、サキエルは湖面から立ち上がる。当然、消防団員、及び野次馬の皆さんが顎が外れんばかりの驚愕の表情を浮かべているが、驚かれるのは慣れているので無視。

 

 そのまま久々に上陸を果たしたサキエルは燃え盛る竹林を片足で何度も踏みつけ、煙草を踏み消すように物理的に鎮火。その上で湖畔にあった手漕ぎボートを柄杓代わりにして水をぶっ掛け、さらに何度か足で踏みつけ、取りあえず大まかに消火を完了したサキエルは、久々に立った事で少々動きの鈍い腰回りをほぐすべく大きく伸びをしてから、ついでだし、散歩でもしようかとエヴァ用の六車線道路に向かおうとして、先ほど学習した事を思い出した。

 

「……道を開けさせるには、あの音を出せば良いのだったな」

 

 直後、サキエルから鳴り響くサイレン。その音でサキエルに気付いた車達が慌てふためいて道を開ける中、彼はのんびりと移動を開始したのだった。

 

 

――――――――

 

 

「第三使徒、現在芦ノ湖から第三新東京市に向けて侵攻開始! 幸い、第三使徒から発生しているサイレンにより、住民は進行方向から退避しているため死傷者はいません」

「日向君、一応、非常事態宣言出しといて。……しっかし、何が目的なのかしら」

「諜報部より入電、先程、第三使徒が消火活動に協力したとの報告あり」

「……消火?」

「芦ノ湖の畔で火事があったそうです」

「…………それが原因かしら?」

「関連性は不明ですね。何か意図があって行動しているのか、単に散歩したくなっただけなのか。……個人的には後者だと踏んでいますが」

「青葉君、ちなみにその根拠は?」

「いや、そんなに深い意味はないですよ? 単純に、俺なら一か月も家に閉じ込められてたら、いい加減に外に出たくなるだろうな、ってだけです」

「……あー、確かに」

「第三使徒に思考回路がある以上、ストレスの蓄積も当然発生するってことか。……ストレス解消に街を破壊する可能性もあるわね」

「げ。それはまずいっすね。って……ん?」

「どうしたの青葉君」

「第三使徒より、入電! これは……テキストデータですね。モニタに出力します」

 

 いまいち緊張感のない発令所のスクリーンに映し出される「暇です」の文字に、ミサトとリツコはため息を吐き、オペレータートリオは肩の力を抜く。

 

「取り敢えず、『芦ノ湖に戻って』って返信しといて」

「了解。…………第三使徒、進路反転! 芦ノ湖方面に向け移動中です」

「素直な性格で助かるわね……」

 

 とはいえ、そう簡単にふらふらと出歩かれては困るのも事実。

 

 そんな訳でリツコとミサトは、サキエルの暇をつぶすべく知恵を絞る。

 

「ライオンの飼育員ってこんな感じなのかしら」

 

 そんなミサトのつぶやきは、人の少ない発令所に吸い込まれるように消えていったのだった。

 

 

――――――――

 

 シンジとレイが緊急召集されたのは午後三時。学校が終わり、二人仲良く帰路についた時の事。

 

 黒いスーツを着た諜報部の皆さんが運転するワゴンに乗り込み、本部へ向かう二人は、突然の召集に首を傾げていた。

 

「うーん、何で普通の日に緊急召集なんだろ? 綾波さん、何か聞いてる?」

「………………」

「あ、ごめん。……姉さん、何か聞いてる?」

「お昼にサッキーが町まで来たらしいわ」

「あ、サッキー関連なんだ。……最近、『シンジ君、何か暇つぶしになることは無いだろうか?』とか言ってたから、それかな?」

「……声真似、上手ね」

「サッキーは特徴あるから真似やすいんだよね。それに僕、相対音感には自信あるんだよね」

「相対音感?」

「うーん、説明し難いけど……ある音を基準にして聞いた音が何か当てる能力? まぁ、楽器弾いてる人なら大抵の人が持ってるよ」

「それでも凄いわ」

 

 そう言ってシンジの頭をよしよしと撫でるレイ。お姉さんポジションを気に入ったらしく、最近はシンジが『姉さん』と呼ばないと拗ねたりする程度に感情豊かな女の子になっている彼女だが、表情筋が発達していないのか何なのか、鉄面皮は健在だ。シンジ、ケンスケ、トウジ、サキエル、そして最近ミイラ取りがミイラとなりつつあるヒカリは彼女の表情はほぼ完璧に読めるが、他の生徒には無表情にしか感じられないだろう。

 

 とは言え、雰囲気が明るくなったのは流石に皆が感じ取っているらしく、最近では下駄箱に手紙があったり告白されたりとそれなりに花の女学生ライフを過ごしているようである。

 

 閑話休題。

 

 雑談している間にネルフ本部へと到着した二人はワゴンから出ていつも通りにミーティングルームへ足を踏み入れた。

 

「碇シンジ入室します」

「綾波レイ、入室します」

「二人とも急に呼び出してゴメンね、ちょっちマズい事があって……」

「サッキーですか?」

「あら、耳が早いわね」

 

 

 少し驚いたような表情を浮かべたリツコは、ならば話が早いとばかりに要件を手短に伝える。

 

「今回、サキエルが町に現れた理由は『退屈』が原因だった様なの。そこで、ネルフとしては今後もサキエルを芦ノ湖に封じ込めておくために急遽サキエルの退屈しのぎを考案する必要があるわ」

「あ。もう倒すのは諦めるんですか? 個人的には嬉しいですけど」

「第三使徒が荷電粒子砲を手に入れた時点でエヴァの勝率はゼロよ。そうね……10体程エヴァを揃えれば勝てるくらいかしら。」

「……サッキー、強いのね」

「汎用性が高い使徒である以上、同じく汎用性が売りのエヴァでは分が悪いのよ。……特化型の使徒相手だとサキエルの勝算は低いわ。事実、シミュレーションの結果では第五使徒に対するサキエルの勝率は3パーセントよ。倒すなら特化型の使徒を巧い具合にぶつけるしかないでしょうね。……でも」

「サッキーを倒せる程強力な使徒を芦ノ湖まで引き込むのはマズいってわけよ。リツコ、無駄話はこれぐらいにして手早く暇つぶし考えましょ?」

「それもそうね」

 

 珍しくミサトに諫められたリツコは、肩を竦めて苦笑する。

 

 さて、と思考を切り替えた彼女はカタカタとパソコンを操作し、壁に掛けられたスクリーンに今のところ挙げられた案を表示していく。

 

「今のところ有力なのが『ゲーム機を与える』、『テレビを与える』、『ネット回線を繋ぐ』の三つね」

「何というか、引きこもり三種の神器って感じですね」

「デメリットは?」

「……レイ、なかなか鋭いわね。ゲーム機はサキエルの趣味がわからない以上下手をすれば不興を買うだけ。テレビは慣れてしまえばラジオと大差ないので時間稼ぎにしか成らない。ネットはサキエルを飽きさせる事はないけれど、過度に知恵を付けさせるのはマズいわ」

「知恵ならもう付いてる気もしますけど……」

「それはまぁ、否定出来ないわ。けれど、ネットを駆使すればサキエルは恐らく現在の数十倍、いえ、数百倍の速さで知恵をつけるのよ」

 

「なるほど」

「でもさ……サキエルの暇つぶしを考えない限り、サキエルの散歩行為は止まないわよ、リツコ」

「問題はそれなのよねぇ……」

 

 げんなりとした声で突っ込むミサトと、それを聞いて頭を抱えるリツコ。

 

 完璧に煮詰まっている二人に、救いの手を差し伸べたのは、先程の質問からずっと疑問符を頭の上に浮かべていたシンジだった。

 

「……あの、一つ意見があるんですけど、良いですか? 今更過ぎて怒られるかも知れないですけど」

「怒らないわよ。シンジ君、何か思いついたの?」

「あ、はい。サッキーに何が欲しいのか訊いて、それをあげれば良いんじゃないかなって」

「…………シンジ君、その案は」

「あ、あはは、流石に想定済みですよね、ごめんなさい」

 

 流石にないか、とぎこちない笑いを漏らすシンジの前で、大人二人はひそひそと言葉を交わし、シンジへと向き直る。

 

「いえ、その案でいくわ。……きっと、私達は相手が使徒だからと無意識にその案を否定していたんだわ。相手に意志があるなら訊けば良いのは当然なのに……」

「……え? まさかの想定外ですか!?」

「あー、何というか、ちょっち頭が固かったみたいね。……年かしら」

「……シン君、流石ね」

「あー、そのー、ありがとう、姉さん」

 

 何とも微妙な空気の中で、シンジは再び乾いた笑いを漏らす。

 

 その笑い声は、ミーティングルームにしばらく響くのだった。


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